南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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まずフィリピンからにしようか、ね、、3

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/11 18:27 投稿番号: [2984 / 41162]
バターン死の行進
16人の将校を含む7万人以上のフィリピン人およびアメリカ人兵士がバターンで武器を捨てた。降伏後彼らは勝利者である日本軍の残忍な扱いをうけた   。
飢え、渇き、病、疲労で極度に衰弱していたにもかかわらず、彼らはバターンのマリベレスからパンパンガのサン・フェルナンドまで約80kmの全工程を行進するよう強制された。この悪名高き「死の行進」中フィリピン人約1万人アメリカ人約1200人が路上で死亡した。サン・フェルナンドで生存者は有蓋貨車に詰め込まれ、ターラックのキャパスあったオドンネル、キャンプにつれて行かれ収容された。その結果、飢えや病気でほとんどが死亡した。最終的に家族の下に帰れたのはごく少数の人たちであった。
(バターンのマリベスから鉄道のあるサン・フェルナンドまで80kmの道のりで捕虜達はそこを5〜6日がかりで移動させられた。サン・フェルナンドからフタつきの貨車でカパスまで運ばれ、カパスから再びオドンネルキャンプまで12kmを歩かされた)

日本の軍政
日本軍マニラ侵入の翌日1942年1月2日   日本の軍事政権がフィリピンの政治,経済,文化活動を指揮するために設置された。第一主任将校にハヤシ・ヨシヒデ   第2.第3にタカギ・ワイチ各陸軍少将が就任した。


東京からの命令を実行して日本軍事政権はいくつかの規定を定め無力なフィリピン人はそれに従わざるを得なかった。夜間外出禁止令および灯火管制が全マニラに施行され、戒厳令がしかれた。火器、弾薬、その他の武器全てが没収され、日本軍に敵対するいかなる行動も処罰の対象になった。日本人一人を殺せば有力なフィリピン人を二人射殺するという軍の布告が出された。
全てが日本の支配下に置かれた。日本の「軍票」がフィリピン通貨に換わって配布された。

4へ続く
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