米における東京裁判批判の決定打
投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/09/06 19:46 投稿番号: [2951 / 41162]
アメリカにおける東京裁判批判の決定打となったのは、歴史学の権威であったチャールズ・ビアード博士が一九四八年(昭和二十三年)、アメリカの公式資料に基づいて『ルーズベルト大統領と第二次世界大戦』なる著書を発表したことであった。博士はその著の中で、
《日本が真珠湾を攻撃するより数カ月前にルーズベルト大統領はアメリカをして海外に秘密なる軍事行動をなさしめた。》(菅原裕・東京裁判の正体・PP328〜329)
と指摘し、戦重責任を問われるべきは日本ではなく、ルーズベルト大統領だと訴えたのである。
東京裁判の菅原裕弁護人によれば、アメリカの要人たちもビアード博士が学界の権威であるだけに弁解の余地もなく、「もしそうなら戦犯も追放もあったものではない。アメリカから謝罪使を送らねばなるまい」という者や、「いまさら謝罪もできないから、この上は一日も早く日本を復興させて以前に戻してやらねばならぬ」という者もあったという。
かくして内外で東京裁判批判が続出するなかで、裁判の事実上の実施者である連合国軍局司令官であったダグラス・マッカーサー元帥自身が、一九五〇年一昭和二十五年一十月十五日、ウェーキ島でトルーマン大統領と会見した際に、「東京裁判はあやまりだった」と告白したと言われている。マッカーサー司令官は公式の場でも、一九五一年(昭和二十六年)五月三日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で次のような答弁を行なった。
〈日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。》(『東京裁判日本の弁明。PP564〜565』
これは メッセージ 2867 (kurunsupot さん)への返信です.
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