南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

南京に行った朝鮮人

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2004/09/10 10:01 投稿番号: [2974 / 41162]
>>現実問題として、私が恐れを抱くのは、この占領された南京に日本兵の恰好をした朝鮮兵がいたことです。
>では、この時期、中支那方面軍のどの師団に朝鮮兵が居たのか、具体的な師団名旅団名・連隊名をいってみろよ。


朝鮮人の従軍

『4   軍需員としての動員
(一) 軍属
国民徴用令による軍属としての朝鮮人動員は、一九三九年に開始されていたが、対米戦争開始以後、その数が急激に増大した。厚生省発表によると一九四五年までに一五万四九○七名の朝鮮人軍属が動員され、日本本土や南洋諸島で軍事土木工事、炊事係、捕虜監視要員や運輸要員として労働させられていた。
(二) 志願兵制度
  日本政府は、当初、朝鮮人に武器をもたせることを恐れていたが、戦争の際限のない拡大の中で、朝鮮人青年の軍人としての動員に踏み切った。一九三八年二月、陸軍特別志願兵令(勅令第九五号)を公布、同年三月に勅令一五六号で、六ケ月間の志願兵訓練所官制を制定し、羅南、   興、平壌、大邸などに陸軍兵志願者訓練所を設置、同年四月から志願兵制度を実施した。また、太平洋戦争が始まり、海軍の兵力が不足すると、一九四三年七月、海軍特別志願兵令(勅令六○七号)を公布、鎮海に海軍志願者訓練所を設置し、一○月一日から朝鮮人青年を海兵として養成しはじめた。
さらに、一九四三年には学徒志願兵として専門学校、大学の朝鮮人志願兵として動員された朝鮮人人青年は二万三六八一名である。
(三) 徴兵制度
日本政府は、対米戦争が始まり、より多くの兵力が必要になると、朝鮮人青年の戦争への動員をより義務的なものにするため、一九四二年五月一九四四年度からの徴兵制導入を決定し、「徴兵制施行準備委員会」を設立して準備にとりかかった。そして、中学以上に現役将校を配属し、国民学校卒業生を義務的に入所させ、軍事訓練や皇民化教育を行い、同年一○月には徴兵適齢届を行わせた。こうした準備を経て、一九四四年四月、ついに朝鮮に徴兵令が適用され、一九四五年までに二○万九二七九人の朝鮮人青年が戦場に狩り出された。
(四) 朝鮮人軍人軍属の処遇
日本軍は朝鮮人青年を動員したものの、その反乱を恐れ、朝鮮人だけの部隊は編成せず、日本人部隊の中にばらばらに配置した。』

このため、「朝鮮人部隊」はありませんでしたが、


http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19450514baikaru/15baik-simbun.htm

『ばいかる丸で帰国した160名は,朝日新聞によると「南京攻略戦に輝かしき武勲を樹て」た勇士ということです.日本軍は12月17日に中華民国の首都南京を攻略しますが,その直後に所謂南京事件が起こります.』

この朝鮮半島出身の鄭達去氏は、軍属として日本軍の通訳をしていた人ですね。
(もちろん従軍中はヘルメットも支給される軍服も日本軍のものです。)

この人がそうだというわけではありませんが、「日本軍の規律」を叩きこまれたわけではありませんし、「占領された中国人市民」との出会いは、彼ら(やその他南京にいた100名以上の朝鮮人)に「優越感」と「長年虐げられた恨みを晴らす機会」を与えただろうとは思います。


また、「朝鮮人下士官にイビられる日本内地人新兵」や「朝鮮人兵をいじめる」話は日本兵の従軍日記にも良く出てきますし、上海事変以降で中支軍や朝鮮軍に朝鮮人兵がいたのは間違いないですが、具体的な師団名旅団名・連隊名はすぐには分かりませんでしたので今後も調査してみます。

(ちなみに、日本軍の中では洪思翊中将や金錫源少佐が有名ですし、東京裁判で死刑になった日本軍のB,C級戦犯1061人中朝鮮人は23人です。南京にいたのが有名人ならすぐに分かるでしょうが、一般兵士や軍属から探すのは大変そうです。)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)