南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 11:06 投稿番号: [27401 / 41162]
唐変木の解説がない、出来ない、内容が違っていた?
脳味噌が不足するとこのようになる、脳足りん。
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Re: 日本軍の少年兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 10:58 投稿番号: [27400 / 41162]
第1条
戸籍法の適用を受けざる帝国臣民たる男子にして昭和18年法律第
4号附則第2項又は同年法律第110号附則第3項の規定により兵役
に服せざる物の中兵役に服することを志願する物は陸軍大臣の定る所
に依り銓衝の上之を兵籍に編入し現役に應ぜしむることを得
前項の規定により現役に服せしめられたる者の兵役に関しては陸軍大
臣の特に定る場合を除くの外兵役法の定る所に依り現役兵として徴集
せられたる者の兵役に同じ
第2条
年齢十七年未満の帝国臣民たる男子にして兵役に服することを志願
するものは陸軍大臣の定る所に依り銓衝の上之を兵籍に編入し年齢十
七年に満まで第二国民兵役に服せしむることを得
第二国民兵役
年齢17歳以上45歳迄の者で常備兵役・補充兵役・第一国民兵役に服さなかった者が対象となる。徴兵検査基準の「丙種」と判定された者がこれにあたり、その基準は「身体上極めて欠陥の多い者」をいう。徴兵検査では甲種・乙種が合格で、丙種は一応合格、丁種・戊種が不合格だった。
これは メッセージ 27398 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 日本軍の少年兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 10:30 投稿番号: [27399 / 41162]
>沖縄戦では、10代の少年・少女も戦争に参戦している。15歳から18歳までの女学生は「ひめゆり部隊」、旧制中学生の4年・5年と師範学校生は「鉄血勤皇隊」。
青年は、「郷土防衛隊」。半数は戦死した。
↑参加しているのと兵隊は違う。
15歳以上は志願兵。
これは メッセージ 27398 (fukagawatohei さん)への返信です.
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日本軍の少年兵
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/06 10:26 投稿番号: [27398 / 41162]
沖縄戦では、10代の少年・少女も戦争に参戦している。15歳から18歳までの女学生は「ひめゆり部隊」、旧制中学生の4年・5年と師範学校生は「鉄血勤皇隊」。
青年は、「郷土防衛隊」。半数は戦死した。
戦局の悪化による兵力動員で1942年以降は成人男性の入植が困難となり、15歳から18歳ほどの少年で組織された「満蒙開拓青少年義勇軍」が主軸となった。
陸軍特別幹部候補生というのはこの年十二月十四日付の勅令第九二二号「陸軍現役下士官補充及び現役臨時特例」によって生まれた陸軍現役下士官養成制度。
戦線の拡大で航空、船舶などの下級技術系幹部が不足してくる。
それで未だ頭が柔軟で一定の軍事教練の下地のある十五歳から十九歳の少年を集め、速成して戦地に送り出した。
16才で戦艦大和とともに死んだ少年兵もいる。
15才で特攻隊として死んだ少年もいる。
カミクズから真実は見えない。
これは メッセージ 27396 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 元残留兵の体験
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 10:04 投稿番号: [27397 / 41162]
これは メッセージ 27395 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 元残留兵の体験
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 09:45 投稿番号: [27396 / 41162]
これは メッセージ 27395 (fukagawatohei さん)への返信です.
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元残留兵の体験
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/06 09:28 投稿番号: [27395 / 41162]
奥村和一氏は、15歳で少年兵として徴用され、中国大陸山西省で中国軍と戦った。
中国軍と、というが実際に殺戮したのは無辜の農民である。
いまでも、最初に突き殺した場面を夢に見る。にらみ返す農民に目が向けられずあらぬ方向を向いて突き刺す。何度付いても急所、心臓を刺せない。上官が怒鳴る。
あたりでは、日本兵が農民の首を、剣で叩き切っている。
日本政府が
国体護持(昭和天皇の死刑を免れること)を条件に連合国が7月につきつけたポツダム宣言を受諾したのは昭和20年8月14日のことだ。
しかし、中国山西省にいた陸軍第一軍の将兵59000人のうち2600名は、残留兵として居残り、当時共産軍とたたかっていた国民党系の軍閥に合流して戦い続けたのである。なぜ、こうなったのか?
当時(戦争終了後)、「戦犯」であった軍司令官が責任追及(戦犯として)への恐れから軍閥と密約を交わして「祖国(日本)復興」を名目に残留を画策した、と主張した。実際は、残留兵を残しておのれらだけまっさきに日本に帰国してマッカーサーにすり寄ったのである。
残留兵として戦って、捕虜になった奥村氏は昭和23年人民解放軍の捕虜になり、中国国内で6年あまりの抑留生活を送る。故郷新潟県にもどったのは、昭和29年のことであった。終戦の翌年、彼の軍籍は抹消されていた。
日本政府は、「残留兵はみずからの意志で(すなわち軍の命令でなく)残り、勝手に戦い続けた」と主張したのである。なぜか。そうしないと、ポツダム宣言に違反するからである(武力放棄、戦闘行為の終了が一つの条件であった)。
奥村氏等13名の中国残留兵は、軍人恩給の支給を求めて困難な裁判闘争に入る。東京地裁に提訴するも、2004年4月敗訴、2005年3月の二審でも敗訴。2005年4月に生き残った5名が最高裁に上告している。裁判闘争中、4名が死亡した。
これは メッセージ 27394 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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唐変木の解説は?
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 08:52 投稿番号: [27394 / 41162]
発言を総て示したからね。
不適切な所を指摘して、解説しなさい。
唐変木の脳味噌が試される時だよ。
期待はしていないがね、脳足りんに。
これは メッセージ 27386 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 08:42 投稿番号: [27393 / 41162]
○山岡参考人
ものにはいろいろ考えようがあるものだということを感じました。なお、時期と実際とがいろいろ前後撞着しておるところがあるようにも思いますので、時期を合せて一つ観察していただきたいということを感じました。
○山岡参考人
はあ。
○山岡参考人
考えておる点があるように思いました。
○山岡参考人
これは、たとえば朝鮮人の隊長あるいは朝鮮人の兵は、国に帰るために逃亡されました。それからいろいろの方があったと思います。全部の方が全部というわけじゃない、純真な気持で残ろうという気持でもって逃亡といいますか、結局離隊されたわけであります。それから、中には離隊すると、そのときに復員規定によりましていろいろ物がもらえます。その物を持って外に出ると、閻錫山の方でうまい給与をしてくれる、女の子とも遊べるというような関係から離隊された方もないとはいえないと思います。それから、もうおってもしょうがない、早く出かけていけ、残ろうというので離隊された方もあると思います。それから、これに対して軍が何も処置しなかったか、実は処置できなかったのでございます。懲罰令及び陸軍刑法、これは中国側の命令で、逃亡とかああいう軍刑法に関するものはもう適用できなくなりました。それから、憲兵はみな戦犯をおそれた関係か何か無力化しまして、またこれを救うために早く出して帰せというので、居留民にして早く出してしまいました。従いまして、どろぼうした者に対しての軍法会議というようなものは残っておりましたが、逃亡というような処置に対しての手当はできません。しかも、私どもは閻錫山側に投降しろという命令でございます。すべて閻錫山側の命令に従って行動しなければならぬ立場になったわけでございます。その際に、逃亡者は閻錫山側の同意を得る人間でございます。従いまして、逃亡者を逮捕するとかいうことも何もできないわけでございます。また、先ほどから、岩田、元泉氏が、逃亡したのになぜ断固たる手段をとらないか、こう言われますが、実際断固たる手段をとるだけの権限が軍にないわけでございます。ことに岩田参謀は、参謀として行動しますと影響が非常に強い。誤解を起させるというので、十二月に参謀をやめさせたのでございます。他の職に転ずるということは、私どもの権限ではできません。参謀をやめさせました。そこで、二月だったか三月だったか忘れましたが、軍司令部付にしてもらったわけであります。これも電報は、暗号電報は一切取り締られておりましたし、普通の電報は打とうにも打てない。参謀の肩章をはずさせまして、そして参謀ではなくなったという命令は、軍の各兵団に通達せられたはずでございます。そういう情勢でございます。
○山岡参考人
混乱と申しましても、軍全般といたしましては、最初の時期を通じまして、そうえらい混乱というほどじゃなかったと思います。ただ個個に残留しようという人と残留したくないという人との間の争い等があったということは事実でございますが、軍全般として収拾がつかないような、ハンガリーのような問題じゃございませんでした。
それから高級参謀等も残ったということでございますが、これは具体的に申し上げますと、今村参謀は残られました。それから大同の高級参謀も残られました。それから兵団長は塁兵団の元泉小将が残られました。これは残っておられましたが、たとえば百十四師団の参謀で、三人の参考人が言われました太田黒参謀は帰っております。それから大隊長クラスでは砲兵の大隊長が二人、それからもう一人あったと思いますが、まだあったかもしれません。私が今思い出します範囲では三人くらい残られて、あとは帰られました。三人残られまして、あとは全部帰っておられます。
○山岡参考人
今述べられました各参考人の述べられましたことの中で、事実もありますし、私の知らないこともございますし、また事実間違っておるという点も、これは私の見方だけでございますが、あります。その一つ二つを申せと言われれば申し上げますが、総軍で御心配になって、宮崎中佐を派遣してこられたのは、たくさんの人が残るということについて心配をせられたわけでございます。帰還の命令が出ているのに、一向その処置をとらないというので、連絡にこられたものと私は記憶しております。
これは メッセージ 27392 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 08:38 投稿番号: [27392 / 41162]
こういう方、あるいは終戦後、軍の規律というものが戦前とやはり違いまして、一部に飛び出してこられた方もある。そういうような日本人の勧誘と、それから中国人と一緒になっての勧誘が行われておったわけでございます。十一月ごろからこれが盛んになりまして、十二月末になりまして、軍の帰還の状況がさっぱりわかりません。閻錫山に聞きましても、たまに一列車、二列車と居留民をまず帰すだけのことで、そのほかは出してくれず、計画等も、まあゆっくりしろ、早く帰ったってしょうがないではないか、海が詰まっているのだから、こういう話でもって、さっぱり計画がわかりませんので、北京に連絡に行きたいと思って頼みましたが、その名義ではどうしても許してくれません。残留者について、一体方面軍がどういう考えを持っておるか、それも聞きたいということを申しましたら、それならばやろうといって、人を一人つけて私を北京まで送ってくれました。そこで、北京の方面軍司令官に会いまして、輸送のことを聞きましたところが、輸送の状況はさっぱりわからない。それから米軍に参りまして聞きましたが、米軍の方もまだわからない、そのうち早くやるからというお話でございました。残留の問題につきましては、これは米軍司令官としてもまことに迷惑な話で、その権限がないのでございます。中国側が残留させてよろしいという命令を出したものですから、権限がないのでございますが、私はこの残留者の多数というものが、一体国際関係にどう影響するか、ことに米ソの関係がありましたので、その関係を見て、あとで国際問題の起るようなことがあったならば、残られた方に不利だ、こう思いまして、その点を聞きましたら、まあ千五百人ぐらいだけであったら大したことはないだろう、これももとよりまとまった御意見とか、責任ある御意見とかいうわけでなく、御自分の考えだけであったろうと思います。それぐらいまでのところなら、大した問題はないだろうということを帰って報告をいたしました。一時その後非常にふえまして、一万人に達するような状態になったという話も聞きましたが、その後全員帰還させよという命令がまた来まして、またこれを伝えまして、それによって残られた方が結局二千六百名ということになっております。この間に戦犯が十三名軍内でできました。これをあの北京付近に送ってくれということを申しましたが、それは損だ、そんなところへ送ったらあとでもってどうしても罰を食うようになる、ここで時期を待った方がいいだろうという閻錫山の意見でございまして、シナ全体におきまして南京と上海と北京と太原、これだけに戦犯が残るようになったのでございます。戦犯の残るところに対して、連絡班というものを残してもいい。この連絡班というものは、日本のもとの軍人が残りまして、その名前は中国側のつけたものでございます。日本軍といたしましては、残してもあと給与その他のことは一切何もできませんものですから、もちろん強制的に残れという命令はありませんでしたが、私は残られた戦犯の弁護とかあるいは差し入れ、それから釈放後の帰るまでの引き受けということでもって残ることにいたしまして、約二十名ばかりの人を、これは私が直接その人たちには一々聞きまして、差しつかえないということで、二十名ばかりの人が一緒に残りました。この戦犯の問題も、中国側はなかなか早くやってくれません。早くやったら損だ、どうしても、国民感情上、早く処置できないというので、やってくれませんでしたが、昭和二十三年の四月に澄田司令官だけを残しまして、そのほかの人は判決が終りまして、いずれも上海に送るということになりました。澄田司令官の方は、これは早くやっちゃできないから、もう少し時期を待たなければどうにもならぬ、こういう閻錫山の話で、そこでひとまず澄田司令官以外の方の戦犯が片づいたというところで、私は一緒に残った二十名ばかりの人とともに帰って参りました。
この間、残留しております際に、軍から、軍が引き揚げるときに、持っておりました金を、途中で使うもの以外は、全部もらったのであります。額が幾らだったか忘れましたが……。ところが日本軍が引き揚げてから後に、がぜんインフレがどんどん出て参りまして、一年分くらいは十分食えると思っておったのが、実は二ヵ月くらいでもう底をついてきたのであります。もうこの上は閻錫山に頼んで食べさしてもらうよりしょうがないというので、閻錫山の方から教育をやってくれということがありましたので、私は教育を担任し、それによってみんなも月給をもらいまして、食いつなぎをしておったわけでございます。
大体私の申し上げることは、そんな状況でございます。
これは メッセージ 27391 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/06 08:37 投稿番号: [27391 / 41162]
○山岡参考人
最初に、終戦後における閻錫山と軍との関係について申し上げたいと思います。山西地区だけは、おそらく全日本軍のおりました地域内で最も特徴のあった形をとりました。それは閻錫山がすでに終戦前から軍と特殊の関係にありました。これは昭和十五年からの密約がありまして、お互いに侵さないという密約でございます。それによってやっておりましたので、何にもしておりませんでした。向うの連絡者もあって、連絡がよくついておりました。終戦とともに私は閻錫山のところに派遣を命ぜられまして、彼が降伏を受ける指揮官であるという通知によりまして参りました。その際に、彼に私は会ったことはありませんが、前から電報で始終いろいろ話をしておりましたので、一体日本軍が去った後にどうするか、こう聞きましたところが、日本軍の援助によってお互いにやろうということを言っております。引き続いてさらに彼はロ安地区――と申しますと山西の東南方地区であります。それから山西の東方の孟県地区、これは最も地味の豊富な地域ではございますが、共産軍の力の強い、交通の不便なところでございます。この二つの地区に日本軍が隠れたならば、おそらく世界の世論を刺激することなく、日本の再建ができるだろうということを私に申しました。これを伝えてくれという話でございました。その件は帰ってから伝えましたし、また居留民の方にもその件はお伝えしてあります。そういう関係で、彼としては、共産軍に対して、日本軍の援助がなければ、とうてい存在ができないのでございます。このために、彼は最初から日本に対して自分が勝った国だという態度をとりませず、懐柔策に出て参りました。閻錫山が十月に、早く入ってくれないと軍の責任が重くなりますので、早く入ってくれと電報を打って、日本軍が援助いたしまして太原に入ってきましてからも、全く戦勝国とかあるいは降伏を受けるという態度をやめまして、日本軍の手にすがりつくという態度でございます。表向きは受降指揮官でございましたが、彼のやることは一切日本軍の気にもとるようなことのないように、しかし受降指揮官としての権限があり、また私ども軍は閻錫山に降伏しろという命令を受けておりましたので、その命令に応じまして、彼にいろいろやってくれということを要求しましても、武装解除も何もしない。それから軍隊をなるべく中心地域に引き揚げてくれということを申しましても、まあ待ってくれ、まあ待ってくれ、あるいは中国軍を出してくれと言っても、言うことを聞かない。しかも、居留民及び日本軍に対しましては、物資が不足ならば何でも出してやる、それから、居留民に対しましても、残りたいものは残れということを最初から言いまして、全く敗戦の感じというものを持ち得なかったのでございます。ここが今度のいろいろの問題が起る一番の根源であったろうと思います。あとはここに書いてございまする通りに、十一月ころから、何とか日本人を残そうという感じを持って工作いたしました。この際も、閻錫山の考えは、あとから考えてみますと、初めから何でもかんでも数を残せばいい、質はどうでもいい、何でもいいから数を残せという考えでおったようでございます。それは、いい人ばかり集めるということが、わけがわからなかった関係もありましょうが、共産軍に対して、日本人がおるというだけで一つの威圧を与え、また山西軍に安心感を与えるために必要だったんだろう、これはあとから想像したわけでございます。これがために、その勧誘工作というのもいろいろ手を変え品を変えまして、暮夜ひそかに菓子折りを持って個人々々を訪ねていって、残らないかというようなことをやることも珍しくないように聞いておりました。なお、これには、最初に終戦とともに現地の人で召集をいたしました方が相当ございます。そういう方を、家族が現地におられますので、すぐ召集解除せよという命令がありましたので、召集解除をいたしました。
これは メッセージ 27386 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 22:32 投稿番号: [27390 / 41162]
○澄田参考人
独立団体長は全部集まりました。独立団体長ですから、師団長、独立旅団長、軍直轄の部隊長、これだけであります。
これは メッセージ 27389 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 22:31 投稿番号: [27389 / 41162]
そういう状態で、十一月末期まで部隊を回りました。自後、前申しましたように、私自身は戦犯容疑者でありますから、直接の指導は山岡君をわずらわしたのでありますが、私は時々報告を受けまして、あくまで帰還をするのである、帰還をさせるのであるという方針は堅持をしておった次第であります。自後、二十三年五月に山岡少将が帰還をいたしました。私はなお戦犯容疑者として残ったのでありまして、私の帰りましたのは、太原の落ちます――二十四年の四月に落ちたのでありますが、私は二十四年の二月十二日――ちょっとさかのぼりますが、当時中国関係の戦犯者は、岡村元大将初め、一同一月二十六日に上海を立って日本に送還をされております。従って、中国の戦犯容疑者として当時残りますのは私一人という状態になりました。閻は私のそういう状況を見まして、私だけ残しておくわけにいかない、全責任を負うから、変名でお帰りなさいという指示を受けて、変名をして――たまたま太原は完全包囲を受けている、飛行場は砲弾がくるのでありますが、当時食糧等を米軍の援助で補給をしておりました飛行機が、エンジンに故障を生じて不時着をしました。その不時着した飛行機の部品を持ってくる飛行機が強行着陸をするので、その飛行機に乗れという指示を受けまして、二月二十六日の朝未明に、この飛行機に乗って帰還をしたのであります。
この間、二十三年の七月、いわゆる晋中作戦と申しますか、残留日本人部隊が多数の損害を受けました作戦で、山西軍が完全に敗退をしまして、太原城近くが包囲を受けて、完全包囲の状態になった。そのときに閻側から再三使者を受けまして、ぜひ助けてくれという、窮鳥ふところに入るというような気分になりまして、手伝ってやろう、ただし、山西側としては、私に軍隊の指揮をしろということを執拗に申し込んできたのでありますが、私は戦犯容疑者でもあり、また、たとい日本人部隊を指揮するにしても、いやしくも軍司令官をした者で、五百や六百、一千くらいの兵隊を指揮するには、なくなられました今村大佐もおりますので、その上に私がすることは屋上屋を架するにすぎないので、意味がないという考えから断わりました。が、総顧問という名前だけはとうとう受けざるを得なくなりました。それまで戦犯容疑者であるけれども、かばってくれました関係もありまして、それは受けて作戦の指導をいたしましたが、軍隊の指揮は一ぺんもとったことはありません。陰の顧問といたしまして、いろいろアドヴァイスはしておりました。そういう状態でありますうちに、マーシャル元帥が参りまして、国共戦停のあっせんをしたのであります。戦争は一時中断の形になりましたときに、私は飛行機に乗って帰ったのであります。こういう状態でありまして、山西側の残留に対する介入がしきりと行われ、またこの問題が紛糾をしました時期は、ちょうど軟禁状態にありましたので、この間の事情は私が直接申し上げるよりも、山岡君にお話を願った方が適切であると考えますので、同君の御説明に譲りたい。以上であります。
○澄田参考人
そのときは、これは重大な事態である。何とかしてこの中国で、最前線の山西におきまして、いろいろ誤解等のために不測のことが各部隊に起きないようにしなければならぬ。それがためには、日本軍が降伏をして、われわれは喜んで陛下の決心に沿うように処置をしなければならぬということをまず第一に考えました。すぐ主要団体長会議を開きまして、その趣旨を団体長を通じて伝達をいたしました。
これは メッセージ 27388 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 22:31 投稿番号: [27388 / 41162]
○澄田参考人
私は、終戦当時、第一軍司令官として、山西省の太原におりました。日本軍降伏の命令を受けまして、閻錫山の第二戦区に降伏をすることになりました。降伏をすると同時に、私どもの任務といたしましては、当時張家口がソビエト軍のために占領されておりましたために、大同方面の後方連絡線が断たれましたので、この部隊が私の軍の指揮下に入りました。従って、総計軍約六万、これに居留民約三万ぐらい、これらの人数をなるべく多数、できたならば完全に日本内地に帰還せしめるのが、私の任務であると思いまして、できるだけの努力をしました。また私どもといたしましては、特別の事情がない限り、山西側のいろいろ要求、希望があるにもかかわらず、できるだけの人数を完全に復員させるために、あらゆる努力をしたつもりでおります。ただ、私は、十一月になりまして、戦犯の容疑者として、軟禁状態に移されました。自後は、参謀長を当時しておられました山岡君が、私にかわりまして、前述の方針に基いていろいろ苦心指導をされました。その後いろいろのこの問題に関する流言飛語が伝わりますし、当時、本来ならば軍は即刻武装解除しまして、一地に集結して復員時期を待つべき状態なのが自然でありまするが、中共軍の勢力が強く、しかも山西軍が劣弱であるために、軍自体、あるいは居留民の復員のための輸送を確保しなければならぬ、言いかえれば、鉄道を中共軍の妨害から守らなければならぬ、これを守らぬ以上は、全員の復員ができないという立場に立たされまして、また閻側からも希望がありましたので、しばらくの間、日本軍は旧来の配置を収縮をしながら、その配置に基いて警備を担当しておったのであります。それで、そういう状態にあります関係上、中共軍に随所攻撃を受けまして、多少の損害もでき、また将来も起きるという懸念をしておりました。現に軍の参謀を大同に派遣する途中、中共軍の砲撃のために成田中佐が戦死するという状況も起きましたので、この間の説明に部隊に対して十分しなければならぬし、またいろいろの流言飛語に対する軍の指導者としての真の意図を各部隊を伝える必要があるということを痛切に感じまして、山岡君の勧めもあって、閻錫山に特別に願い出て、十二月下旬から一月一ぱいかかりましたと思うのですが、大同地区を初めとして、各部隊の現場を回りまして、なるべく多数の将兵を集めて、なぜ軍が降伏後も武器をとって中共軍に対して警備をしなければならぬのか、また内地帰還は全員するのである、ただ、特別の希望があって、特殊の事情で残る人はこれはあるいはやむを得ぬかもしれないが、それでない限り、軍としてはできるだけの人数を連れて帰らなければならぬし、また帰るべきだということを、各部隊のおもなる駐屯地は残らず回りまして、説明をして歩いたのであります。この出発に当って、私の乗りました列車が爆破を受けまして、私は無事でありましたが、負傷者もできるし、護衛中隊の客車がひっくり返って、負傷者もできるという事態が起きるほど、警備をやる必要が現実にあったのであります。
これは メッセージ 27386 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 22:17 投稿番号: [27387 / 41162]
No 回次 院名 会議名 号数 開会日付
061 23 衆議院 議院運営委員会 6号 昭和30年12月05日
062 23 衆議院 本会議 11号 昭和30年12月16日
063 24 衆議院 議院運営委員会 18号 昭和31年03月01日
064 24 衆議院 議院運営委員会 24号 昭和31年03月15日
065 24 衆議院 本会議 27号 昭和31年03月27日
066 24 衆議院 本会議 29号 昭和31年03月30日
067 24 衆議院 内閣委員会 52号 昭和31年05月23日
068 24 衆議院 本会議 61号 昭和31年06月02日
069 25 衆議院 本会議 18号 昭和31年12月13日
070 25 衆議院 議院運営委員会 19号 昭和31年12月19日
071 26 衆議院 議院運営委員会 4号 昭和32年01月31日
072 26 衆議院 社会労働委員会 6号 昭和32年02月15日
073 26 衆議院 社会労働委員会 31号 昭和32年03月28日
074 26 衆議院 社会労働・海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会 1号 昭和32年04月03日
075 26 衆議院 本会議 33号 昭和32年04月16日
076 26 衆議院 内閣委員会 33号 昭和32年04月23日
077 26 衆議院 本会議 38号 昭和32年05月07日
078 26 衆議院 本会議 44号 昭和32年05月18日
079 26 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会海外同胞引揚に関する小委員会 2号 昭和32年08月13日
080 26 衆議院 議院運営委員会 51号 昭和32年10月31日
↑有名な割には、収録されていないね。
唐変木チャン。
これは メッセージ 27386 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/05 21:54 投稿番号: [27386 / 41162]
>>古本屋さん御得意の裁判記録を調べたらどないでっか。
>↑矢張り知らないようだね、ガセネタだからね。
>唐変木の唐変木たる所以。
これ結構有名ですよ:
↓
- quote -
北支那派遣軍第一軍、総兵力5万9千人。その司令官、澄田らい四郎中将(「らい」は貝へんに來)は、日本のポツダム宣言受諾を受けて、閻錫山の率いる国民党山西軍に降伏した。
閻錫山の山西軍は、表向きは国民党の一部であるが、事実上山西省の軍閥である。戦時中、日本軍は、彼を取り込んで抗日運動を弱めようと考えて接触していた。
閻錫山の方は、降伏した日本軍を八路軍との内戦に協力させようとした。A級戦犯の容疑がかけられていた澄田中将は閻錫山の要求を受け入れ、彼の顧問となり、ポツダム宣言に違反して第一軍の一部残留を画策する。
残留工作は、いったんは発覚して表向き中止させられるが、秘密裏に続けられた。結局約2,600人の将兵たちが軍命によって残留させられ、その後4年間も八路軍(共産党人民解放軍)と戦い続けたのである。
残留兵士たちには、共産軍と戦い中国の発展に貢献することで、祖国復興の礎石となるのだと説明された。この残留日本軍は、1949年4月の太原の戦いで敗北して人民解放軍に投降するまで、熾烈な闘いを繰り返し、約550人が戦死した。
捕虜となり抑留生活を送った元日本軍兵士たちの大半は、1953〜54年にようやく帰国できたが、彼らは、現地除隊し自らの意志で望んで残留したことにされていた。したがって、軍籍も抹消されていて恩給や補償の対象外とされた。
戦犯に問われることがなくなった時点で部下を見捨てて逃げ帰った司令官
残留日本軍は、表向きは国民党軍の一部に編入された形になっていたが、独自の軍隊として行動し、国共内戦の最終段階まで八路軍(人民解放軍)と死闘を繰りひろげた。
1949年4月の太原の戦いで敗北してついに投降したが、その最後の決戦を前にして、最高指令官の澄田中将は閻錫山の手引きで、もはや戦犯の追及がほとんど終わろうとしていた日本へ逃げ帰った。
1956年に「第25回特別国会衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会」で、澄田元第一軍司令官と山岡元参謀長が証言した。それは、自分たちが命令を出して残留させた将兵たちを愚弄するものであった。
澄田は、全員帰還の方針を堅持しあらゆる努力をしたつもりであると述べ、山岡は、残留兵たちは規律に従わず勝手に残留したのだと述べたのである。
この委員会では、下級将校たちも証言し、残留が軍の命令であったと口々に証言したが、政府は最高位2人の証言を支持し、下級将校たちの証言を黙殺した。
90年代に入って、ようやく人生の終わりを見据えるような年齢に達した元残留兵士たちが、連絡を取り合って結束して再び運動を開始した。国会への請願や政府への陳情などを行ないながら、執念で事実資料をつきとめ収集していった。
小泉厚生相(当時)に陳情に行ったとき異議申立書を出すよう勧められて、約100人が異議申し立てを行なったが却下された。それで、2001年に訴訟に踏み切った。
裁判は、具体的な要求をしなければならないことから、軍人恩給の支給を求めるという形がとられた。軍人恩給を支給させるためには、残留後も軍籍があったことを認めさせなければならない。
国側は、軍籍を認めるということは、終戦後も日本軍が中国で戦闘していたという事実を認めることになる。国側は、それは絶対に認めない。元兵士たちは、真実が明らかになれば必ず自分たちの主張が認められると信じていたと思われる。
だが、裁判闘争では、この壁を突き崩すことはできなかった。
- unquote -
これは メッセージ 27383 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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fukagawatoheiは
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/02/05 21:35 投稿番号: [27385 / 41162]
頭が悪いなあ、投稿は読んでないけど分かる
(笑
同じテーマで繰返しやっつけられているんだろう
(笑
出任せ書いてはつっこまれ、
証拠を示せと迫られては、もうやったと逃げる
(笑
恥辱に慣れている
(大笑
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民国33年、昭和19年
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 17:26 投稿番号: [27384 / 41162]
山西省政府日本人職員
山西省顧問室
9名
民政廰
1名
財政廰
1名
教育廰
3名
建設廰
14名
警務廰
3名
保安司令部
2名
急進建設団
1名
地方行政訓練所
2名
雁門道公署
1名
保安隊各道総隊部
3名
大原都市建設局
13名
各県警務教導官
34名
山西省種畜場
11名
各区署
2名
林業試験場
3名
種馬牧場
5名
農業改善指導班
10名
工業職業学校
3名
大原市公薯
12名
各警察署
3名
甲種警察署
2名
甲種幹部養成所
1名
乙種警察教練所
4名
乙種幹部養成所
2名
小学師資訓練所
1名
農科職業訓練所
4名
各新小学校
4名
農事試験場
8名
山西省労工局
8名
陽泉鉱業弁事處
2名
山西油脂化学工廠
1名
水道管理署
4名
桐旭医専学校
37名
各中学校
8名
各師範学校
15名
日本語専科学校
4名
新民報社
15名
無線電
13名
省府顧問
2名
顧問補佐官
4名
省府嘱託
3名
幕僚長
1名
↑山東省政府は日本と、仲好しこよしだったんだね。
唐変木が知らない事実。
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 16:38 投稿番号: [27383 / 41162]
>古本屋さん御得意の裁判記録を調べたらどないでっか。
↑矢張り知らないようだね、ガセネタだからね。
唐変木の唐変木たる所以。
これは メッセージ 27381 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 16:37 投稿番号: [27382 / 41162]
>相変わらずトンチンカンだね〜。
↑唐変木のことだね。
>売られた本人の証言なんだけどね〜。
↑誰から誰へ、何時売られたんだい?
>彼は日本政府に軍人恩給を請求したが、政府は彼が勝手に日本軍を離脱したのだから恩給はださないと言ってるんだよね。
↑敵前逃亡だね。
若しくは、兵営脱走。
>これが、この美しい国の御役人の正体だよ。
↑老兵は自分の罪を人に着せようとしたんだね。
誰が何時何処で、之を明かすことが出来ないようだね。
これは メッセージ 27380 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/05 16:26 投稿番号: [27381 / 41162]
>↑現地司令官とは誰のことなんだい?
>唐変木は知っているのかい?
古本屋さん御得意の裁判記録を調べたらどないでっか。
これは メッセージ 27379 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/05 16:24 投稿番号: [27380 / 41162]
>↑通常、密約は誰にも知られないと思うんだけどね。
>其の兵隊さんは何処から入手したんだい、其の情報を。
>唐変木君は知っているのかい?
相変わらずトンチンカンだね〜。
売られた本人の証言なんだけどね〜。
彼は日本政府に軍人恩給を請求したが、政府は彼が勝手に日本軍を離脱したのだから恩給はださないと言ってるんだよね。
これが、この美しい国の御役人の正体だよ。
これは メッセージ 27378 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 16:24 投稿番号: [27379 / 41162]
>日本軍の現地司令官が戦争責任追及の恐れから国民党系の軍閥と密約を交わし、約2600名の将兵を差し出したのである。
↑現地司令官とは誰のことなんだい?
唐変木は知っているのかい?
これは メッセージ 27377 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 16:17 投稿番号: [27378 / 41162]
>日本軍の現地司令官が戦争責任追及の恐れから国民党系の軍閥と密約を交わし、約2600名の将兵を差し出したのである。
↑通常、密約は誰にも知られないと思うんだけどね。
其の兵隊さんは何処から入手したんだい、其の情報を。
唐変木君は知っているのかい?
これは メッセージ 27377 (fukagawatohei さん)への返信です.
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国民党軍に売られた日本兵
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/05 15:51 投稿番号: [27377 / 41162]
- quote -
「棄てられた部隊
靖国神社の境内を小柄な老人が歩いていく。今年82歳になる元日本兵だ。
靖国神社を訪れたのは、旧日本軍の資料を探すためだ。「参拝はしないのか」という取材者の問いに、彼はこう答えた。
「侵略戦争に動員された兵隊を神といって祀るのはおかしい。相手を殺して自分も死んでいった。それを神様だなんて言われても困る」
かつて彼が所属した部隊は、第2次大戦後も中国山西省に残り、中国の内戦を戦った。
日本軍の現地司令官が戦争責任追及の恐れから国民党系の軍閥と密約を交わし、約2600名の将兵を差し出したのである。
「これは日本軍再建の戦いだ」という命令の下、残留日本兵はその後4年間にわたって、共産党軍との戦闘をくり広げた。約550人が戦死し、700人以上が捕虜になった。
そして、数年間の抑留生活を終え帰国した兵隊たちを待っていたのは、すでに軍籍を抹消されていたという驚愕の事実であった。
「残留兵は勝手に残り傭兵になった。だから国家補償の対象とはならない」というのが日本政府の言い分である。彼らは国家に棄てられたのだ。」
- unquote -
(中国軍と日本軍が友軍とはね〜、マヌケな事をいう世間知らずがいるもんだな〜。)
これは メッセージ 27376 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 日本の友軍
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 15:33 投稿番号: [27376 / 41162]
>戦中は中国大陸では、せっかく日本のスパイにした張作霖を暗殺しちゃって、てんちゃんを怒らせたり、戦後は台湾の李登輝さんを煙たがったり、
日本の戦略ってめちゃくちゃだよね〜。
↑日本軍は、張作霖を殺していないから、張学良とは仲が良かった。
脳足りんの唐変木。
これは メッセージ 27374 (fukagawatohei さん)への返信です.
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毎日阿呆を晒すコピペ屑(笑)
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2009/02/05 15:32 投稿番号: [27375 / 41162]
毎日暇で幸せだな。
しかし芸無し・進歩無しの無能ぶりが何年もそのままなのには笑える。
これは メッセージ 27369 (fukagawatohei さん)への返信です.
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日本の友軍
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/05 15:30 投稿番号: [27374 / 41162]
>当然、戦中もだよ。
戦中は中国大陸では、せっかく日本のスパイにした張作霖を暗殺しちゃって、てんちゃんを怒らせたり、戦後は台湾の李登輝さんを煙たがったり、
日本の戦略ってめちゃくちゃだよね〜。
中国に日本の友軍がいたなんて、ノ〜テンキな事を平気で言い出す
世間知らずがいるんですね〜。
これは メッセージ 27371 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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共匪討伐、終戦後
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 15:20 投稿番号: [27373 / 41162]
中国陸軍第四六軍長韓錬成閣下
日軍舞鶴鎮守第一特別陸戦隊第五中隊長の対奸匪連絡に関する件報告
民国三十四年九月十三日共匪約100名美迎村(臨高の南約500米)に進
入せりとの部落民情報に依り第五中隊海軍中尉西村■■の指揮する兵力一個
小隊を同地に急派し該共匪をして蘭堂村(臨高の南約二粁)に退去せしむる
と共に該匪の申し出に応じ第五中隊長庭野■■は民国三十四年九月二十四日
臨高に於いて■崖共産党第四支隊長馬白山と会見左の如き談話を交換せり
中略
会見後の情況
爾後今日に至るまで臨高付近に対する共匪の進駐を見ず
又爾後会見の申込等無し
↑国民党政府軍と共産党匪賊とは別組織なんだよ。
日本軍は正規軍と共に共匪と対峙した。
これは メッセージ 27369 (fukagawatohei さん)への返信です.
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またも大負け、fukagawatohei (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/02/05 15:08 投稿番号: [27372 / 41162]
歯が立たなかった
(笑
貿易実務35年、日本語より英語の方が得意とか言って
(笑
六十面下げて
(笑
うそばっかり
(笑
頭が悪い
(大笑
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Re: 友軍 - 2.28事件 台湾の資料
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 14:58 投稿番号: [27371 / 41162]
当然、戦中もだよ。
区別が付くようになってから出直しなさい。
脳が不足している、唐変木チャン。
これは メッセージ 27369 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 友軍 - 2.28事件 台湾の資料
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 14:56 投稿番号: [27370 / 41162]
戦前と戦後の区別が付いていないようだね。
唐変木の限界だね。
これは メッセージ 27369 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 友軍 - 2.28事件 台湾の資料
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/05 14:47 投稿番号: [27369 / 41162]
>日本の友軍は国民党政府軍と、共産党匪賊と戦った。
>お前には構図が見えていないようだな。
2.28事件をwikipediaで調べるよ〜じゃ〜、さすがの古本屋さんも
台湾の資料は持ってないようだね。
現実社会は複雑だからね〜、古本屋さんが世間知らずでも無理はないでしょ〜。
これは メッセージ 27368 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 友軍 - 2.28事件
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 14:39 投稿番号: [27368 / 41162]
最後に一つ。
日本の友軍は国民党政府軍と、共産党匪賊と戦った。
お前には構図が見えていないようだな。
脳足りんと言われる所以がここにある、唐変木の。
戦後教育の弊害だな、総て右か左か、○か×か、上か下か、之じゃ世の中が見える訳がない、唐変木に。
これは メッセージ 27363 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 友軍 - 2.28事件
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 14:22 投稿番号: [27367 / 41162]
事件の分析
国民党がなぜ、このような過酷な手段を採ったのかについては議論があるが、一つには彼らが大陸時代に行った、統治方法をそのまま台湾でも採用した、ということが考えられる。国民党政治の基本は軍隊や暗殺団を利用した恐怖政治であり、従わないものは徹底的に弾圧するものだった。その傾向は抗日戦や内戦によって拍車がかけられ、1947年当時にはピークに達していたと考えられる。
また彼らはこの蜂起の背後に中国共産党が糸を引いていたのではないかと疑心暗鬼に陥っており、その疑いは事件後の知識人層への徹底弾圧になって現れる。当時、知識人には共産党シンパが多かったからである(陳水扁もマルクス主義を研究したために逮捕された経験があり、李登輝も一時期マルクス主義に傾倒していた)。
一方、台湾人は日本の法治政治に慣れそれを当然のものと考えていたため、警官や軍隊が群集を無差別に虐殺する事態を想定してはいなかったようである。そのため陳儀が対話姿勢を見せるとそれに応じ、彼に時間稼ぎの余裕を与えることとなった。
これは メッセージ 27363 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/27367.html
Re: 友軍 - 2.28事件
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 14:21 投稿番号: [27366 / 41162]
背景
1945年に日本が敗戦した後の台湾には、連合国軍の委託を受けて日本軍の武装解除を行うために大陸から蒋介石率いる中国国民党政府の官僚や軍人が進駐し行政を引き継いだ。
当初、少なからぬ本省人が台湾の「祖国復帰」を喜び、大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの腐敗の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人・官僚は国共内戦の影響で質が悪く強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が罰せられぬことがしばしばあり、もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、上海の国際市場で競売にかけられるに到り、台湾の物価は高騰、インフレによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。
比較的不正の少なかった日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい腐敗は到底受け入れがたいものであった。人々の不満は、いやが上にも高まっていった。 当時の台湾人たちは「犬去りて、豚来たる」(犬(日本人)は五月蠅くとも役に立つが、豚(国民党)はただ貪り食うのみ)と揶揄した。
これは メッセージ 27363 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/27366.html
Re: 友軍 - 2.28事件
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 14:19 投稿番号: [27365 / 41162]
二・二八事件(にいにいはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった大規模な当時日本国民であった本省人と外省人の抗争。約40年後、戒厳令の終了と政府側の遺族への謝罪により漸く終結した。本省人はこの事件を台湾大虐殺と呼んでいる。
これは メッセージ 27363 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/27365.html
Re: 友軍 - 2.28事件
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 14:17 投稿番号: [27364 / 41162]
台湾は日本の領土。
お前は知らなかったようだな。
脳足りん。
これは メッセージ 27363 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 友軍 - 2.28事件
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/05 14:15 投稿番号: [27363 / 41162]
>↑日本軍と中国軍の仲の良さ。
>唐変木は之を知らない。
なるほど〜っ。
2.28事件で台湾人を何万人と虐殺した国民党軍と日本軍は
友軍だったって事ですか。
やっぱり、類は友を呼ぶですな。
これは メッセージ 27362 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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友軍
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 13:55 投稿番号: [27362 / 41162]
(一)友軍
1.呂武各兵団は随所に延安軍、新四軍の掃討戦を実施し周辺重慶軍
の蠢動を未然に封殺しあり
2.大治黄梅九江陽新地区は最近治安不良にして至勇兵団は之が粛正
に当たれり
↑日本軍と中国軍の仲の良さ。
唐変木は之を知らない。
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