Re: 国民党軍に売られた日本兵
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/02/05 22:31 投稿番号: [27389 / 41162]
そういう状態で、十一月末期まで部隊を回りました。自後、前申しましたように、私自身は戦犯容疑者でありますから、直接の指導は山岡君をわずらわしたのでありますが、私は時々報告を受けまして、あくまで帰還をするのである、帰還をさせるのであるという方針は堅持をしておった次第であります。自後、二十三年五月に山岡少将が帰還をいたしました。私はなお戦犯容疑者として残ったのでありまして、私の帰りましたのは、太原の落ちます――二十四年の四月に落ちたのでありますが、私は二十四年の二月十二日――ちょっとさかのぼりますが、当時中国関係の戦犯者は、岡村元大将初め、一同一月二十六日に上海を立って日本に送還をされております。従って、中国の戦犯容疑者として当時残りますのは私一人という状態になりました。閻は私のそういう状況を見まして、私だけ残しておくわけにいかない、全責任を負うから、変名でお帰りなさいという指示を受けて、変名をして――たまたま太原は完全包囲を受けている、飛行場は砲弾がくるのでありますが、当時食糧等を米軍の援助で補給をしておりました飛行機が、エンジンに故障を生じて不時着をしました。その不時着した飛行機の部品を持ってくる飛行機が強行着陸をするので、その飛行機に乗れという指示を受けまして、二月二十六日の朝未明に、この飛行機に乗って帰還をしたのであります。
この間、二十三年の七月、いわゆる晋中作戦と申しますか、残留日本人部隊が多数の損害を受けました作戦で、山西軍が完全に敗退をしまして、太原城近くが包囲を受けて、完全包囲の状態になった。そのときに閻側から再三使者を受けまして、ぜひ助けてくれという、窮鳥ふところに入るというような気分になりまして、手伝ってやろう、ただし、山西側としては、私に軍隊の指揮をしろということを執拗に申し込んできたのでありますが、私は戦犯容疑者でもあり、また、たとい日本人部隊を指揮するにしても、いやしくも軍司令官をした者で、五百や六百、一千くらいの兵隊を指揮するには、なくなられました今村大佐もおりますので、その上に私がすることは屋上屋を架するにすぎないので、意味がないという考えから断わりました。が、総顧問という名前だけはとうとう受けざるを得なくなりました。それまで戦犯容疑者であるけれども、かばってくれました関係もありまして、それは受けて作戦の指導をいたしましたが、軍隊の指揮は一ぺんもとったことはありません。陰の顧問といたしまして、いろいろアドヴァイスはしておりました。そういう状態でありますうちに、マーシャル元帥が参りまして、国共戦停のあっせんをしたのであります。戦争は一時中断の形になりましたときに、私は飛行機に乗って帰ったのであります。こういう状態でありまして、山西側の残留に対する介入がしきりと行われ、またこの問題が紛糾をしました時期は、ちょうど軟禁状態にありましたので、この間の事情は私が直接申し上げるよりも、山岡君にお話を願った方が適切であると考えますので、同君の御説明に譲りたい。以上であります。
○澄田参考人 そのときは、これは重大な事態である。何とかしてこの中国で、最前線の山西におきまして、いろいろ誤解等のために不測のことが各部隊に起きないようにしなければならぬ。それがためには、日本軍が降伏をして、われわれは喜んで陛下の決心に沿うように処置をしなければならぬということをまず第一に考えました。すぐ主要団体長会議を開きまして、その趣旨を団体長を通じて伝達をいたしました。
この間、二十三年の七月、いわゆる晋中作戦と申しますか、残留日本人部隊が多数の損害を受けました作戦で、山西軍が完全に敗退をしまして、太原城近くが包囲を受けて、完全包囲の状態になった。そのときに閻側から再三使者を受けまして、ぜひ助けてくれという、窮鳥ふところに入るというような気分になりまして、手伝ってやろう、ただし、山西側としては、私に軍隊の指揮をしろということを執拗に申し込んできたのでありますが、私は戦犯容疑者でもあり、また、たとい日本人部隊を指揮するにしても、いやしくも軍司令官をした者で、五百や六百、一千くらいの兵隊を指揮するには、なくなられました今村大佐もおりますので、その上に私がすることは屋上屋を架するにすぎないので、意味がないという考えから断わりました。が、総顧問という名前だけはとうとう受けざるを得なくなりました。それまで戦犯容疑者であるけれども、かばってくれました関係もありまして、それは受けて作戦の指導をいたしましたが、軍隊の指揮は一ぺんもとったことはありません。陰の顧問といたしまして、いろいろアドヴァイスはしておりました。そういう状態でありますうちに、マーシャル元帥が参りまして、国共戦停のあっせんをしたのであります。戦争は一時中断の形になりましたときに、私は飛行機に乗って帰ったのであります。こういう状態でありまして、山西側の残留に対する介入がしきりと行われ、またこの問題が紛糾をしました時期は、ちょうど軟禁状態にありましたので、この間の事情は私が直接申し上げるよりも、山岡君にお話を願った方が適切であると考えますので、同君の御説明に譲りたい。以上であります。
○澄田参考人 そのときは、これは重大な事態である。何とかしてこの中国で、最前線の山西におきまして、いろいろ誤解等のために不測のことが各部隊に起きないようにしなければならぬ。それがためには、日本軍が降伏をして、われわれは喜んで陛下の決心に沿うように処置をしなければならぬということをまず第一に考えました。すぐ主要団体長会議を開きまして、その趣旨を団体長を通じて伝達をいたしました。
これは メッセージ 27388 (nyankotyanndamon さん)への返信です.