南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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元残留兵の体験

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/06 09:28 投稿番号: [27395 / 41162]
奥村和一氏は、15歳で少年兵として徴用され、中国大陸山西省で中国軍と戦った。

中国軍と、というが実際に殺戮したのは無辜の農民である。
いまでも、最初に突き殺した場面を夢に見る。にらみ返す農民に目が向けられずあらぬ方向を向いて突き刺す。何度付いても急所、心臓を刺せない。上官が怒鳴る。
あたりでは、日本兵が農民の首を、剣で叩き切っている。


日本政府が   国体護持(昭和天皇の死刑を免れること)を条件に連合国が7月につきつけたポツダム宣言を受諾したのは昭和20年8月14日のことだ。

しかし、中国山西省にいた陸軍第一軍の将兵59000人のうち2600名は、残留兵として居残り、当時共産軍とたたかっていた国民党系の軍閥に合流して戦い続けたのである。なぜ、こうなったのか?

当時(戦争終了後)、「戦犯」であった軍司令官が責任追及(戦犯として)への恐れから軍閥と密約を交わして「祖国(日本)復興」を名目に残留を画策した、と主張した。実際は、残留兵を残しておのれらだけまっさきに日本に帰国してマッカーサーにすり寄ったのである。

残留兵として戦って、捕虜になった奥村氏は昭和23年人民解放軍の捕虜になり、中国国内で6年あまりの抑留生活を送る。故郷新潟県にもどったのは、昭和29年のことであった。終戦の翌年、彼の軍籍は抹消されていた。

日本政府は、「残留兵はみずからの意志で(すなわち軍の命令でなく)残り、勝手に戦い続けた」と主張したのである。なぜか。そうしないと、ポツダム宣言に違反するからである(武力放棄、戦闘行為の終了が一つの条件であった)。

奥村氏等13名の中国残留兵は、軍人恩給の支給を求めて困難な裁判闘争に入る。東京地裁に提訴するも、2004年4月敗訴、2005年3月の二審でも敗訴。2005年4月に生き残った5名が最高裁に上告している。裁判闘争中、4名が死亡した。
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