南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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Re: 何処までも負け犬 re 日本刀
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/09/17 10:40 投稿番号: [26052 / 41162]
>日本軍が作った刀の資料を見たいかい、暗奔丹>
オイラが言ってるのは(日本軍が百人斬りなどのすえもの斬りや中国人の虐殺に使った日本刀の資料など作るわけが無いだろ〜)という意味だよ。
文脈を考えていちゃもんをつけろよ、非国民のセガレの古本屋よ。
これは メッセージ 26051 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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何処までも負け犬fukagawatohei へ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/17 10:33 投稿番号: [26051 / 41162]
>日本軍が日本刀に関する資料など作るわけがないだろ〜が。
これが、日本軍が作った資料か。
↑日本軍が作った刀の資料を見たいかい、暗奔丹。
これは メッセージ 26050 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26051.html
Re: 何処までも負け犬koudousuruへ
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/09/17 10:20 投稿番号: [26050 / 41162]
>おりょおりょ、誰が百人斬りの刀のことを書いた、ボケナス
(笑>
日本刀の件は百人斬りの話の中から出てきた事だろ〜が。
オマイは素人のくせに日本刀の使い方の能書きをたれていたな。
日本軍が日本刀に関する資料など作るわけがないだろ〜が。
これが、日本軍が作った資料か。
↓
鵜野晋太郎氏は、旧陸軍第39師団232連隊第2大隊情報将校として自ら40名以上もの中国人を、主に日本刀(「備州長船祐定」および昭和新刀「助川貞光」)を用いて虐殺した体験者であり、中華人民共和国における戦犯裁判において、大尉以下の800名の中ではただ一人重刑判決を受けた。
告白手記『日本刀怨恨譜』
「私は常用の貞光を引き抜くと、一息入れてくるりと剣背(嶺、つまり刀の刃の背)を軽く村長の首に当て、間合いを見て足の位置を定め、今度は刃部を前に戻し乍ら一気に振り下ろした。
〝ドスッ〟と鈍い手応えと同時に、噴水の如く二、三本と吹き出す血。村長の首は胴体より僅かに早く落ち、顔は苦悶に歪み、歯はガチガチと砂を噛んだ。凄愴、無残。ただよう血の匂い。 ……つづいて私は次の四十がらみの村幹部の後方に廻った。
(先ずはうまくいったが、目釘はどうかな。刀の曲りは出たかな?)
目釘は異常ないが、刀身はわずかに曲りが出たようだ。
(大丈夫だ。連続してどこまでいけるか、やるんだ)
次の首に剣背を当てるや、返して振り下ろす。そして三人、四人目へと息もつかせず斬った。だが四人目は八分通りの斬れ方で首は胸に垂れて倒れた。
(失敗だ!落ち着け!)
私は強いて笑顔を試みたが、泣き面になってしまった。」
昭和十二年十一月 ― 十二月の日本の新聞は、連日南京へ進撃する皇軍のニュースで埋まっていた。
とりわけ私の関心は、野田・向井両少尉の百人斬り競争であった。今日は何人目と報ぜられる記事は何者にもまして素晴らしく、一八歳の私の胸は皇国の無敵ぶりへの確信を一段と高めたものである。
当時私は幼稚な「天下無敵大和魂武勇伝」を盲信していたので、百人斬りはすべて「壮烈鬼神も避く肉弾戦」(当時の従軍記者の好きなタイトルである)で斬ったものと思っていたが、前述の私の体験的確信から類推して、別の意味でこれは可能なことだ――と言うよりもむしろ容易なことであったに違いない。
しかもいわゆる警備地区での斬首殺害の場合、穴を掘り埋没しても野犬が食いあさると言う面倒があるが、進撃中の作戦地区ではまさに「斬り捨てご免」で、立ち小便勝手放題にも似た「気まま(イ盡)な殺人」を両少尉が「満喫」したであろうことは容易に首肯ける。
ただ注意すべきは目釘と刀身の曲りだが、それもそう大したことではなかったのだろう。また百人斬りの「話題の主」とあっては、進撃途上で比隣部隊から「どうぞ、どうぞ」と捕虜の提供を存分に受けたことも類推できようと言うものだ。
要するに「据え物百人斬り競争」が正式名称になるべきである。尚彼等のどちらかが凱旋後故郷で講演した中に「戦闘中に斬ったのは三人で他は捕えたのを斬った云々」とあることからもはっきりしている。その戦闘中の三人も本当に白兵で斬ったのか真偽のほどはきわめて疑わしくなる。
何れにせよ、こんなにはっきりしていることを「ああでもない、こうでもない」と言うこと自体馬鹿げた話だ。
私を含めて何百何千もの野田・向井がいて、それは日中50年戦争――とりわけ「支那事変」の時点での〝無敵皇軍〟の極めてありふれた現象に過ぎなかったのである。 」
これは メッセージ 26048 (koudousuru009 さん)への返信です.
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何処までも負け犬fukagawatohei へ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/17 10:07 投稿番号: [26049 / 41162]
諦めた方が良いぞ、知恵無し、知識無しでは、暗奔丹。
これは メッセージ 26047 (fukagawatohei さん)への返信です.
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何処までも負け犬fukagawatoheiへ
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/09/17 09:35 投稿番号: [26048 / 41162]
>百人斬りに使われた刀の資料
おりょおりょ、誰が百人斬りの刀のことを書いた、ボケナス
(笑
貞光だろ、オマイがかいたのは、あほう
(笑
頭が悪いなあ
(笑
逃げるのに、必死か、あん
(笑
さっさと示せよ、腰抜け
(怒
>とっくに、やってるだろ〜が
投稿No.25758
投稿者:fukagawatohei
投稿No.25579〜25758 の間にあるはずだろ、そうだろ、あん
(笑
逃げるのに必死の負け犬fukagawatohei、
howling of the loserは、オマイだったら、どう訳す
(笑
それから、bad loser
は?
(笑
皆が読んでいる事を自覚してレスするように!
(大笑
これは メッセージ 26047 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 何処までも負け犬koudousuruへ
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/09/17 09:07 投稿番号: [26047 / 41162]
>三笠宮がどうしたこうしたも、軍刀の貞光も、
日本軍の資料が出元だろ>
オマイ、ほんとうのノ〜タリンだな〜。
三笠宮の自叙伝や百人斬りに使われた刀の資料を
日本軍が作るわけが無いだろ〜が。だからオマイはバカショク大学出と
言われてるんだよ。
>defeated dog、これはな、オマイをカラカッタノダヨ
(笑>
くだらんごまかしは、恥の上塗りだよ。オマイのテ〜ノ〜をさらしただけだろ〜が。
>その、とっくにやった投稿を示せよ、ボケナス
(怒 >
いいから、オマイははやく(アメリカの良心)とは何かちゃんと日本語で説明しろ。できないだろ〜、ノ〜タリンのオマイには無理だ。
これは メッセージ 26038 (koudousuru009 さん)への返信です.
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南京で日本兵は何も見なかった
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/17 08:21 投稿番号: [26046 / 41162]
上海十八日発
(イ)ロイテル通信社南京特派員エル・シー・スミス氏は本日英国軍艦レディー・バード号に便乗上海に帰還したが、同氏の談話に拠れば、去る十二日南京の支那軍がその守備を日本軍の為に撃破された時にはその光景たるや悲愴極まりなきものであった。
スミス氏は伊太利亜大使館屋上より少数の外国特派員及び写真班と観戦したものであるが、その語る所に拠ると紫金山は砲撃の為燃え上がっており、市の南方には三ヶ所に大火災が起こり、天に沖する黒煙が朦々として立ち上がっていた。
同時に市の西部の水道局へ砲弾が命中する毎に南京はひどく振動した、二隻の日本の気球が砲撃の観測をやっていた、すると午後四時三十分頃南京市民の間に一大恐慌が起こり「日本兵がやって来た」と叫びながら何れも先を争って防空壕へ潜り込んだのであった。同時に支那兵は北へ北へと逃げだし下関を目指していくのであった。中には隊伍堂道として退却する者もあったが、中には武器を全部捨てて逃亡した者もあった。
アメリカ大使館の側を通り過ぎていった支那兵だけでも一個師団はあった、すると間もなく銃声が聞こえたかと思うとその兵隊がしぶしぶ戻ってきた、それは督戦隊八十八師の為に追い返されたのである。その中日本の包囲網が益々厳重になり逃げ遅れた数千の支那兵は梯や縄や或いは服を裂いて紐に作り此を城壁に引っかけて市内から逃げ出したのである。かくして支那兵は下関で船でも筏でも乗れる物には皆乗って海岸へ逃げ出したのであるが、余り多数の兵士が乗った為転覆して数千人の支那兵は溺死したのである。殿軍を努めた支那軍は善戦して日本軍の進撃阻止に努めたが、夜半にいたり城外で数千の支那軍が日本軍の為に一掃されてしまった。十三日になっても市内で袋のネズミの様になった支那兵が多数在ったが何れも武装していた、然しその中避難地帯に入何れも武器や制服を捨ててしまった、これらの兵士は外国人を見さえすれば、何とか命を助けてくれと懇願していた。
(ロ)間もなく退却が始まった江辺に出る幹線道路中山路は退却軍と馬匹でぎっしり一杯になりそれが周章てるものだから道々ボトボトと備品、手榴弾、銃、弾薬、毛布等を落として行く、日本軍飛行機は支那軍の退却を認めるや之に掃射を浴びせかけて大混乱に陥れた、支那軍の或者は武器を携帯、秩序整然として退却した者もあるが、又一方には只逃げたい一心で身についた物全部をかなぐり捨ててしまった者も多数あった、午後十時になると江岸への道路中山路に沿う交通部の付近支那家屋から火を発した、ここには弾薬が置いてあったものだから、その爆発火焔は物凄く車類は一切交通できない、その為道の反対側は押し合いへし合いの有様となり、火が車や木材、銃、自転車、人力車に飛び火して惨惨たる光景を呈した、よって支那軍は全部徒歩で車がやっと通れる位開いている下関門へ赴いたが、此にも既に一杯の車が集まっておりそれに火が付いた為混乱の為踏殺された支那兵が多数出た。
これは メッセージ 26043 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京で日本兵は何も見なかった
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/17 08:05 投稿番号: [26045 / 41162]
上海十八日発
(イ)ロイテル通信社南京特派員エル・シー・スミス氏は本日英国軍艦レディー・バード号に便乗上海に帰還したが、同氏の談話に拠れば、去る十二日南京の支那軍がその守備を日本軍の為に撃破された時にはその光景たるや悲愴極まりなきものであった。
スミス氏は伊太利亜大使館屋上より少数の外国特派員及び写真班と観戦したものであるが、その語る所に拠ると紫金山は砲撃の為燃え上がっており、市の南方には三ヶ所に大火災が起こり、天に沖する黒煙が朦々として立ち上がっていた。
同時に市の西部の水道局へ砲弾が命中する毎に南京はひどく振動した、二隻の日本の気球が砲撃の観測をやっていた、すると午後四時三十分頃南京市民の間に一大恐慌が起こり「日本兵がやって来た」と叫びながら何れも先を争って防空壕へ潜り込んだのであった。同時に支那兵は北へ北へと逃げだし下関を目指していくのであった。中には隊伍堂道として退却する者もあったが、中には武器を全部捨てて逃亡した者もあった。
アメリカ大使館の側を通り過ぎていった支那兵だけでも一個師団はあった、すると間もなく銃声が聞こえたかと思うとその兵隊がしぶしぶ戻ってきた、それは督戦隊八十八師の為に追い返されたのである。その中日本の包囲網が益々厳重になり逃げ遅れた数千の支那兵は梯や縄や或いは服を裂いて紐に作り此を城壁に引っかけて市内から逃げ出したのである。かくして支那兵は下関で船でも筏でも乗れる物には皆乗って海岸へ逃げ出したのであるが、余り多数の兵士が乗った為転覆して数千人の支那兵は溺死したのである。殿軍を努めた支那軍は善戦して日本軍の進撃阻止に努めたが、夜半にいたり城外で数千の支那軍が日本軍の為に一掃されてしまった。十三日になっても市内で袋のネズミの様になった支那兵が多数在ったが何れも武装していた、然しその中避難地帯に入何れも武器や制服を捨ててしまった、これらの兵士は外国人を見さえすれば、何とか命を助けてくれと懇願していた。
(ロ)間もなく退却が始まった江辺に出る幹線道路中山路は退却軍と馬匹でぎっしり一杯になりそれが周章てるものだから道々ボトボトと備品、手榴弾、銃、弾薬、毛布等を落として行く、日本軍飛行機は支那軍の退却を認めるや之に掃射を浴びせかけて大混乱に陥れた、支那軍の或者は武器を携帯、秩序整然として退却した者もあるが、又一方には只逃げたい一心で身についた物全部をかなぐり捨ててしまった者も多数あった、午後十時になると江岸への道路中山路に沿う交通部の付近支那家屋から火を発した、ここには弾薬が置いてあったものだから、その爆発火焔は物凄く車類は一切交通できない、その為道の反対側は押し合いへし合いの有様となり、火が車や木材、銃、自転車、人力車に飛び火して惨惨たる光景を呈した、よって支那軍は全部徒歩で車がやっと通れる位開いている下関門へ赴いたが、此にも既に一杯の車が集まっておりそれに火が付いた為混乱の為踏殺された支那兵が多数出た。
これは メッセージ 26041 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26045.html
南京で日本兵は何を見たのか (8)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/17 07:52 投稿番号: [26043 / 41162]
これまでは、南京攻略戦に参加した陸軍関係者の陣中記録を引用した。
ここで
海軍の艦上爆撃機搭乗員だった奥宮正武大尉 (敗戦時中佐) の
証言を見てみよう。
奥宮大尉は、南京上空で撃墜された海軍機の搭乗員の遺体を捜索するため、
南京市内を移動する最中に「処刑」の現場を目撃していた。
これは、南京入城式から1週間以上も経過した市街の目撃談であり、
虐殺は、入城式が終わっても
一向に収まらなかったことを示している。
(前略)下関にはかなり大規模な停車場と開源碼頭 があった。
そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が多数の中国人を
文字通り虐殺している現場を見た。
碼頭の最も下流の部分は、揚子江にそって平坦な岸壁があり、
やや広い敷地を挟んで倉庫群があった。そして、その倉庫群の中に、
約30人の中国人を乗せた無蓋のトラックが次々と消えていった。
不思議に思ったので、何が起こっているかを確かめようと、警戒中の
陸軍の哨兵にことわって、構内にはいった。
私が海軍の軍服を着た将校であったこと、海軍の車から降りてきたこと、
軍刀や拳銃で身を固めていたためであろう。私の動きを阻止する者は
いなかった。また付近には報道関係者などの姿はなかった。
構内の広場に入って見ると、両手を後ろ手に縛られた中国人十数名が、
江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、軍刀や銃剣で惨殺された
のち、揚子江上に投棄されていた
(中略)
12月27日、この日は市内の西部を重点的に見回る予定であった。
が、前々日の光景があまりにも鮮明に記憶に残っていたので、
念のために、まず、再び下関に行くことにした。
下関の処刑場に近づくと、この日もまた、城内の方から、
中国人を乗せたトラックが続々とやってきて、倉庫地帯に消えていた。
再び、警戒中の哨兵にことわって、門を入ったところ、
前々日と同じような処刑が行われていた。そこで、ある種の疑問が生じた。
それは、「多数の中国人を、大した混乱もなく、どうしてここまで連れて
くることができるか」ということであった。
そこで、処刑場の入口付近にいた一人の下士官に、その理由を尋ねた。
ところが、彼は何のためらいもなく、
「城内で、戦場の後片付けをさせている中国人に、“腹のすいた者は手を
上げよ”と言って、手を上げた者を食事の場所に連れていくかのように
して、トラックに乗せているとのことです」と説明してくれた。
そこで、更に、「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」
と質問したところ、「上官から、弾薬を節約するために、そうするように
命じられているからです」との答えが返ってきた。
このような処刑が、南京占領から2週間近くを経た後の25日と27日に
手際よく行われていた。もっとも、26日と25日前と27日後にどのような
処刑が行われていたかは分からなかったが 、2日間のことから察して、
それが戦場にありがちな、一時的な、興奮状態での敵対行動であるとは
私には思われなかった。
この日もまた、一連の処刑が、ある種の統制のとれた行動であるように
感じた。私は、この2日間に下関で見た合計約20台分の、言いかえれば、
少なくとも合計500人以上の中国人の処刑だけでも、大虐殺であった、
と信じている。
もっとも、どれだけの被害者があれば大虐殺であるかについては、
人それぞれに見解の相違があるかも知れないが。
それらに加えて、玄武湖の湖上や湖岸で見た大量の死体のこととも
考え合わせて、正確な数字は分からなかったが、莫大な数の中国人の
犠牲者があったのではないか、と考えざるをえなかった。
(出典:「私の見た南京事件」奥宮正武PHP研究所
P33〜39)
これは メッセージ 26041 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26043.html
Re: もうすぐ自民も 創価学会も潰れる?1
投稿者: todorigafuti 投稿日時: 2008/09/17 07:08 投稿番号: [26042 / 41162]
>>北方領土は侵略じゃないだろ(笑)
日本側の言い分は不法占拠だ。
>オマエはアホか?
侵略されて不法占拠されたんだろ。
デリちゃん
冷静になりなよ、、あくまでも
日本側の主張だよ(笑)
侵略?
侵略戦争始めたのは日本なんだけどね
ほんでね
戦にまけて
攻め込まれたってことね。
米軍も戦争に勝って
日本を占領し
占領統治してる
形は日本の独立をゆるしたが
結果はまだまだ
日本は独立国としての体をなしてはいない。
やっぱり
いまだ
米国の占領国なんだよね。
北方4島も同じ
ただ日本人の主張することが認められないってことね
形の上においてね(笑)
まず
日本がしなきゃならんことは
樺太に強制連行した朝鮮人達の祖国への帰還
あるいは
戦時賠償だな
それやってから
大口たたけ
ってことだろうな。
侵略して
追い戻されたが、、以前よりも
深く
追われたってことだけなんじゃないの?(笑)
身から出た錆ってことだろうね。
>>1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを日本に通達した。
>で、期限が切れるのは、何年何月何日なんだ?
ん?
答えろ!
ばかじゃないの?(笑)
国際条約ってのは
1年後まで有効なんて
ありゃしない(笑)
それは事務的なことで
そんなこと信じてることこそ
アホの見本じゃないの(笑)
実に幼稚な外交感覚だと思うよ(笑)
不可侵条約を結んでも
その後の態度の変化を読まなきゃ〜〜
アホ丸出しってことだろうね。
国際条約上約束を破っても
なんら
罰則もないんだよ
日本の場合もそうだったね
だまし討ち
闇討ちやっても
その罪は無いんだよね(笑)
日本もハーグ陸戦法を批准署名してるが
宣戦布告も警告もなく
いずれの戦いも
闇討ちだまし討ちをやってきてるじゃないの(笑)
盗人猛々しいってことだね(笑)
条約を更改しないって通告だけでも
ソ連は常識ある国だぜ、、日本はそんなことさえ
一度たりとも
相手国に宣言してやしないよ(笑)
>ワシントン講和条約には日本の領土は四島と書かれてるんじゃなかったか?
説破
ツマってんだね(笑)
やっぱ
つっこんできたね
ワシントン条約ってのは
国際保護動物の保護条約だったんじゃないの?
人間の姿に似た
狸ネコ
を保護しましょうって条約ね
4人ほど存在するようだぜ(笑)
常識で考えなきゃ
駄目じゃないの
デリちゃん(笑)
講和条約には日本は4島とす
って明記されてるんじゃないの?
その解釈の違いじゃないの
あまりにも都合良く解釈してやしないかい?
日本の固有の領土
あるいは
戦前の領土に
戻すなんて
1行も書いてなかった様だけどね(笑)
日本の領土は
4島とする
ってことだよ(笑)
チッコイ日本領海に存在する島は
当然日本領土に含まれるだろうね。
沖の鳥島は
どうなったんだろうかね?
600億円掛けて
沈没しちゃったんじゃないの?そうだろうね
馬鹿なことやってるぜ、、と思うのが常識人だよ。
国際条約はなるたけ
遵守しましょうね
それと
日本国憲法を遵守しましょうね。
君もワシントン条約での保護動物に認定?
しないでおこうね
今回は、、、
>支那は何の根拠もなく尖閣諸島の領有を主張し、東シナ海のガス田を勝手に開発している。
あのね、、大きな間違いね(笑)
日本政府の主張は日中中間線なんだよ
その中国側で試掘
発掘生産してる天然ガスについて
文句言える立場にないんだよ(笑)
経済水域の線引きは
当事国の話し合いにおいて
為されるってことに海洋法上なってるんだよね(笑)
中国側の主張は
沖縄トラフの先までだぜ
それを日中中間線の中国側で行ってる以上日本政府の口出しはできないってのが国際常識なんだよ
しかも
海底探査船さえ持たず
データも
資料もな〜〜も無いのが日本政府だぜ、、あげくに
データ
資料を見せろって?
馬鹿じゃないの(笑)
自国のデータを提示して
これこれ
かくかくだから
生産を止めろ
どろぼ^って言えるのに
その資料さえないのが
日本政府だよ(笑)
諸外国から観れば
北朝鮮と
同じような国だな
って日本を観てるだろうよ
情け無いことだよ
やっぱ
闇討ち
だまし討ちが
政府の政治姿勢なんだろうな
呆れるばかりだね(笑)
ドロボーって云って
今度は金だすから
仲間にしてって共同開発だ〜〜?
マンガだね(笑)
これは メッセージ 25936 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26042.html
南京で日本兵は何を見たのか (7)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/17 06:56 投稿番号: [26041 / 41162]
南京虐殺と言うと、南京陥落後に
市街に突入した日本兵が、
勝手に行なった
という印象を持つ者も少なくないと思うが、
実際は、南京市の領域は広大であり、市街占拠後の虐殺は
全体の
ごく一部にすぎない
というのが事実だ。
捕虜や住民への残虐行為は、日本軍の進撃路上の各所で起こっていた。
第16師団歩兵第20連隊に所属した牧野信夫上等兵の残した日誌には、
南京への進撃路上の「掃討」の実態について
次のように綴られている。
11月22日
道路上には支那兵の死体、民衆および婦人の死体が見ずらい様子で
のびていたのも可哀想である。
橋の付近には5,6個の支那兵の死体がやかれたり、あるいは首を
はねられて倒れている。話では砲兵隊の将校がためし切りをやった
そうである。
11月26日
第2大隊は喚声を上げ勇ましく敵陣地に突進し、敵第一線を奪取。
住民は家を焼かれ、逃げるに道なく、失心状態で右往左往しているも
まったく可哀想だがしかたがない。午後6時、完全に占領する。
7時、道路上に各隊集結を終わり、付近部落の掃討がおこなわれた。
自分たちが集結している場所に4名の敗残兵がぼやっと現れたので
早速捕らえようとしたが、1名は残念ながら逃がし、3名は捕らえた。
兵士たちは早速2名をエンビや十字鍬で叩き殺し、1名は本部に連行、
通訳が調べたのち銃殺した。
8時半、宿舎に就く。3小隊はさっそく豚を殺していた。全くすばやく
するのにはおそれ入った。
11月27日
支那人のメリケン粉を焼いて食う。休憩中に家に隠れていた敗残兵を
なぐり殺す。支那人2名を連れて11時、出発す・・・・・・・・
鉄道路線上を前進す。休憩中に5、6軒の藁ぶきの家を焼いた。
炎は天高くもえあがり、気持ちがせいせいした。
11月28日
午前11時、大隊長の命令により下野班長以下6名は小銃を持ち、
残敵の掃討に行く。その前にある橋梁に来たとき、橋本与一は船で
逃げる5、6名を発見、照準をつけ1名射殺。
掃討はすでにこのときから始まったのである。
自分たちが前進するにつれ支那人の若いのが先を競って逃げていく。
何のために逃げるのかわからないが逃げる者は怪しいと見て射殺する。
部落の12、3家に付火すると、たちまち火は全村を包み、全くの
火の海である。老人が2、3人いて可哀想だったが、
命令だから仕方がない。次、次と三部落を全焼さす。
そのうえ5、6人を射殺する。意気揚々とあがる。
11月29日
武進は抗日・排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず
全員銃殺す。敵は無錫の線で破れてより、まったく
浮き足だって
戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地にたてこもるのか
わからないが、全く見えない。
12月1日
途中の部落を全部掃討し、また船で逃げる2名の敗残兵を射殺し、
あるいは火を付けて部落を焼き払って前進する。
呂城の集落に入ったおりすぐに徴発に一家屋に入ったところ3名の
義勇兵らしきものを発見。2名はクリークに蹴落とし、射殺する。
1名は大隊本部に連行し手渡す。
(
「南京事件」笠原十九司
岩波新書530
P87-89より引用
)
これは メッセージ 26035 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京で日本兵は何も見なかった
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/17 04:55 投稿番号: [26040 / 41162]
陣中日記は個人のものではない、馬鹿目。
之は軍隊の様式になっていない、捏造はいい加減に止めておけ、馬鹿目。
これは メッセージ 26035 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: mokneybrain123氏
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2008/09/17 02:34 投稿番号: [26039 / 41162]
追いつめたと言うかワダツミは自爆してますからね。
それを踏まえて馬鹿だと指摘していただけですよ。
貴殿の投稿を読んだところ勘違いされている気がしたもので先の投稿となりましたが、
言わんとするところは理解できました。
それにしても昨日はもう一人まの屑まで登場していた様ですな。
これは メッセージ 26001 (mokneybrain123 さん)への返信です.
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何処までも負け犬fukagawatoheiへ
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/09/16 23:49 投稿番号: [26038 / 41162]
>日本軍が作った資料など信用してないんだよ。従って、日本軍が作成した資料をコピペした事実はゼロ。
おりょ
(笑
三笠宮がどうしたこうしたも、軍刀の貞光も、
日本軍の資料が出元だろ、あん
(笑
まあいい、負け犬fukagawatoheiのムジュンはいつものことだ (笑
とにかく、今後日本軍の資料が元になっている投稿はするなよ
(怒
これは、命令だ!
それにオマイ、この投稿も、コピペばっかりじゃないか
(笑
頭が悪いんだなあ、やっぱり
(笑
defeated dog、これはな、オマイをカラカッタノダヨ
(笑
カラカワレタとわからなかったのか
(大笑
それじゃ、howling of the loserも、ワカラナカッタンダナ
(大笑
何処までも、何処までも、負け犬だな、オマイ
(大笑
おう、忘れるなよ、
>とっくに、やってるだろ〜が
投稿No.25758
投稿者:fukagawatohei
その、とっくにやった投稿を示せよ、ボケナス
(怒
これは メッセージ 26031 (fukagawatohei さん)への返信です.
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日本人が殺戮された事実に付いては
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/09/16 23:07 投稿番号: [26036 / 41162]
見ようともせず、日本人が侵略したと言って自虐に陥る日本人て真実を見てないと思う今日この頃。
全て、条約を結び、当時の日本国のトップは戦勝国に断罪されて犠牲を払って居るにも拘らず、日本断罪。
で、歴史の事実として、こう言う面も有ったと言う事を殊更喚く反日日本人は本当の事実を言っているとは思えない今日この頃。
日本人の誇りも失わせ、ご満悦成る似非日本人。
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南京で日本兵は何を見たのか (6)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/16 23:06 投稿番号: [26035 / 41162]
近藤伍長は、実際の虐殺現場に居て、“一生忘るる事の出来ざる光景”を
目撃したことを
日記に記録していたが、
さらに
もう一歩近くにいた人物も、同じ事件に関して日記を残している。
それは、第13師団山砲兵第19聯隊第III大隊・大隊段列上等兵
黒須忠信の
陣中日記であり、出典は
前掲の『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
350〜351頁所収によるものだ。
ちなみに
大隊段列というのは
輸送部隊のことを意味する。
上等兵であった黒須という人物の日記は、以下のようなものだ。
12月16日
晴。
「我が段列より二十名は残兵掃蕩の目的にて幕府山方面に向かう」。
この時点で、もう戦闘は終わっているので、実際は警備のためだ。
「二、三日前、捕虜にせし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に
連れ出し、機関銃を以て射殺す」。
機関銃で殺したとあることから、かなり具体的だ。
このときに、前述の将校の日記によると、向こう側にいる日本兵に
弾が当たり、日本軍側にも死者が出たことになっている。
「その后、銃剣にて思う存分に突刺す。自分もこの時ばかりと、
憎き支那兵を三十人も突刺した事であろう」とある。
この人物は、先ほどの伍長と違い、あまり痛ましいとは思っていない。
このときとばかり
思い切り突刺した、と書いているのだ。
「山となって居る死人の上をあがって
突き刺す気持は、鬼をもひしがん
勇気が出て、力いっぱいに突き刺したり。うーんうーんとうめく支那兵の
声。年寄りも居れば、子供を居る」。
これは
解釈が難しいところだ。
「年寄りと子供」と言っているが、兵隊にしては
年寄りで、
兵隊にしては
子供なのか、それとも
本当に年寄りと子供なのか、
どちらにも取れるが、
「一人残らず殺す。刀を借りて、首をも切って見た」
「こんな事は今まで中にない珍らしい出来事であった」
「××少尉殿並に×××××氏、×××××氏等に面会する事が出来た」
「皆無事、元気であった。帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれ」
て居た
と書いてあることから、相当数
殺したことが判る。
この人物は
先ほどの伍長と違って、あまり良心の呵責がなかったらしく、
大いにやったという、なにか
随分興奮して書いている。
この兵隊は
まさに現場で、最後に止めを刺したという、
そういうことを
語っているのだ。
これが
虐殺の現場中の現場にいて、現場で事を行った人間の日記だ。
以上の日記は、同じ13師団で、同じ事件について記したものだが、
記した人物の
立場が違う。
将校と下士官と兵隊の3段階で、命令する者、現場を監督する者、
そして
実際に
手を下す者だ。
どの段階でも
こういう日記が残っている
ということは、
まったく
否定の余地がない
ということだ。
詳細に見ると
少しずつ
数が違っていたりすることはあるが、
数千人を一つの単位として、機関銃で殺害しているということは分かる。
したがって、どう解釈しても、虐殺がなかったとは
およそ言えない。
こんなに
みんなが揃って「幻」を見ていることは
あり得ないことだ。
しかも実際に
手を下した人物が
証言しているのだ。
これは メッセージ 26027 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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負け犬fukagawatohei へ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/16 23:03 投稿番号: [26034 / 41162]
進歩を巻いてトッとと失せろ。
これは メッセージ 26031 (fukagawatohei さん)への返信です.
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南京で日本兵は何も見ていない
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/16 23:01 投稿番号: [26033 / 41162]
元資料を示せ、馬鹿和田罪作りの捏造屋が。
これは メッセージ 26027 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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みっともない負け犬fukagawatoheiへ
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/09/16 22:51 投稿番号: [26032 / 41162]
>自分のミスはちゃんと認める
ちゃんと言えば、
自分の無知と無能と卑怯と腰抜けと負け惜しみと無礼とノータリンとボケナスと
アンポンタンと逃げ回りと最低脳、その他を認めます、だろ、あん
(怒
そんなことは当たり前だ、ポンカズの負け犬
(怒
ほれっ、
>とっくに、やってるだろ〜が
投稿No.25758
投稿者:fukagawatohei
その、とっくにやった投稿を示せ、ボケナス
(怒
これは メッセージ 26030 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 負け犬koudousuruへ
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/09/16 22:50 投稿番号: [26031 / 41162]
>オマイな、今後一切日本軍の資料をコピペするなよ
(笑>
オイラは古本屋と違って、日本軍が作った資料など信用してないんだよ。
従って、日本軍が作成した資料をコピペした事実はゼロ。
オマイは今後一切英文の資料をコピペするなよ。
理由1.オマイは負け犬だから
理由2.オマイはBA〜KAだから
以上、ノ〜タリンの負け犬に命令する!
分かったか、負け犬koudousuru.
(負け犬がdefeated dogとは笑わせるよな〜。)
これは メッセージ 26029 (koudousuru009 さん)への返信です.
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Re: 泣け泣け、負け犬koudousuru (
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/09/16 22:35 投稿番号: [26030 / 41162]
>どこに、>説明を生徒にしてもらいたいんです<
と書いてあるんだい
(笑>
これは、オイラの誤記だな。
正しくは、(記事のリサーチを生徒にしてもらいたいんです。)
まあ〜、オイラはオマイと違って自分のミスはちゃんと認める。
人の揚げ足取りより、自分の解釈をちゃんとしろよ。
これは メッセージ 26022 (koudousuru009 さん)への返信です.
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負け犬fukagawatoheiへ
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/09/16 22:35 投稿番号: [26029 / 41162]
オマイな、今後一切日本軍の資料をコピペするなよ
(笑
理由1、オマイが負け犬だから
(笑
理由2、オマイが頭が悪いから
(笑
以上、ノータリンの負け犬に命令する!
分かったか、負け犬fukagawatohei (大笑
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26029.html
みっともないfukagawatoheiへ
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/09/16 22:31 投稿番号: [26028 / 41162]
これ以上、のらくら、逃げ回ったらみっともないぜ〜
(怒
なにをゴチャゴチャ言うとるんだい
(怒
簡単なことだろ、あん
(怒
>とっくに、やってるだろ〜が
投稿No.25758
投稿者:fukagawatohei
その、とっくにやった投稿を示せ、ボケナス
(怒
手間をかけさせるな、アンポンタン
(怒
投稿No.25579〜25758 の間に、あるのか?
ないのか?
どうだ?
あん?
オマイの投稿、オマイ自身の投稿のことだぞ、あん!
これは メッセージ 26025 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26028.html
南京で日本兵は何を見たのか (5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/16 22:25 投稿番号: [26027 / 41162]
第13師団歩兵第65聯隊第4中隊の宮本省吾少尉も、
同聯隊第8中隊の遠藤高明少尉も、いずれも
指揮官であったから、
自ら
直接手を下した、という人々ではない、と考えられる。
では、実際に
現場で捕虜殺害に携わった兵卒の日記を
見てみよう。
同じ第13師団で、この同じ事件を日記に残していた者が
他にもいる。
現場の下士官として兵隊を指揮する立場であった
山砲兵第19聯隊
第8中隊の伍長であった
近藤栄四郎という人物の陣中日記だ。
出典は、『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』325〜326頁所収
第13師団山砲兵第19聯隊第8中隊伍長・近藤栄四郎出征日記からの引用。
2月16日、「午前中給需伝票等を整理する」
「一ヶ月振りの整理の為、相当手間取る」
「午后南京城見学の許しが出たので、勇躍して行馬で行く」
「そして食料品店で洋酒各種を徴発して帰る」。
徴発というのは、代金を払って持ってきたというものではないようだ。
買ったのならば、購入して帰る
と書くだろう。
たとえ
「徴発」であっても、本当は
代金を払わなければならない。
しかし
当時の日本軍の感覚では、勝手に持ってくることが習慣だった。
「丁度見本展の様だ。お陰で随分酩酊した」
と記している。
おそらく
随分たくさんの酒を
調達してきたのだろう。
「夕方、二万の捕虜が火災を警戒に行った中隊の兵の交代に行く」。
すこしばかり
文章が混乱しているようだが、
「二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く」
「そして全部処分を終る。生き残りを銃剣にて刺殺する」
とあるので、
この人物は
実際に行って、生き残りの捕虜を
銃剣で刺殺したのだ。
「月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、断末魔の苦しみの
声は
全く惨しさこの上なし。戦場ならざれば見るを得ざるところなり」
「九時半頃帰る。一生忘るる事の出来ざる光景であった」
と言うのだから、戦場慣れしている
下士官でさえも、
あまりの痛ましさに、さすがに心を痛めていたことが
理解できる。
同じ光景に遭遇しても、このように
心を痛めている者もいたわけだ。
この人物は
実際に
「生き残りを銃剣にて刺殺す」とあるので、
そういう行為が行われていた
まさに
その現場に居た
ということだ。
彼と同様に、南京で“一生忘るる事の出来ざる光景”を目の当たりにし
胸に刻んだ日本兵は
少なくなかっただろう
と思う。
それは、とても「聖戦」などと呼べるものではない、残虐な戦争の実態を
示すものではあるが、絶対に
本国に伝えるわけにはいかない光景だった。
家族にさえも語ることを許されなかった真実は、永久に隠滅されたのだ。
これは メッセージ 26017 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26027.html
泣け泣け、負け犬fukagawatohei
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/16 22:24 投稿番号: [26026 / 41162]
一人で夜泣きしている様だな、暗奔丹。
これは メッセージ 26025 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26026.html
Re: 泣け泣け、負け犬koudousuru (
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/09/16 22:21 投稿番号: [26025 / 41162]
>オマイは頭が悪いなあ
(笑
英語が、デケンなあ
(笑>
はい、男ならくどくど言わずに、自分の解釈をきちんと日本語で
説明しなきゃだめだよ。
まあ〜、バカショク大学出には無理かな〜、これ訳すの:
↓
Pros of Hiroshima?
I am a teacher doing a class project on Hiroshima. I want the students to research articles about the pros and cons of bombing hiroshima. After researching on the internet and in books, I can only find a lot of negativity towards bombing Hiroshima (and rightfully so, as it was horrific).
Does anyone know a credible, comprehensive article that states that the United States was right and just to bomb Hiroshima?
Best Answer - Chosen by Asker
I think right and just are moral questions needed to be answered by the indivual taken in the context of the times.
This link has good information on the practical decision to drop the bomb including facts leading to that decision.
どこの部分が(アメリカの良心)なのか詳しく説明しようね、
自分で言い出したことは、自分で解決しなくちゃね。
これ以上、のらくら、逃げ回ったらみっともないぜ〜。
日本語に出来ないという事は、理解できてないという事。
オマイには説明責任があるんだよ。それくらい分かるよな〜、
いくら、珍種ノ〜タリンハイブリッドでも。
これは メッセージ 26022 (koudousuru009 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26025.html
Re: 南京で日本兵は何を見たのか (4)
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/09/16 22:10 投稿番号: [26024 / 41162]
で、お前は死ぬまでシナ人のプロパガンダに反省し、自虐に陥れば良いだろう〜。
真摯な日本人を巻き込むなよ〜!このボケ!
これは メッセージ 26017 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26024.html
負け犬fukagawatoheiへ
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/09/16 22:06 投稿番号: [26023 / 41162]
>日本軍の資料など、北朝鮮の捏造書類と同類だよ。まともに読むのはマヌケな人間だけ
オマイ、日本軍の資料を沢山コピペしてたんじゃないのか?
オマイ、やっぱり、頭が悪いぞ
(笑
ホンマ
(大笑
これは メッセージ 26020 (fukagawatohei さん)への返信です.
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泣け泣け、負け犬fukagawatohei (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/09/16 21:59 投稿番号: [26022 / 41162]
http://sg.answers.yahoo.com/question/index?qid=20070723103244AAh0qb0&show=7
投稿No.25579
オマイはこれを読んで(読めずに!)、
>つまり、この先生は(確かに原爆は恐ろしいけど、私は広島の爆撃に対して、多くの否定的な事しか見つける事ができないんです)、
だから、誰かアメリカが広島に原爆を落とした事が正しかったという意見を出して下さい、って言ってるんだよ。
そして、何人かの生徒がアメリカが広島に原爆を落とした正当性について
意見を書いているんだよ。
投稿No.25612
と理解した。
そして、恥ずかしげもなく書いた。
当方から間違いだと指摘されて、次には、
>Ricki先生は、(私は広島に関する授業プロジェクトをやってるんだけど、
広島の爆撃の是非に関する説明を生徒にしてもらいたいんです。
インターネットや本で調べても、広島の爆撃(それは本当に恐ろしい事だけど)について、多くの否定的な事しか見つける事ができないんです。
だから、アメリカが広島を爆撃した事が、全く正しかった、という事を
述べている説明を誰か知りませんか?)と質問してるんだろ〜が。
投稿No.25654
抱腹絶倒、なんだよ、オマイ
(笑
どこに、>説明を生徒にしてもらいたいんです<
と書いてあるんだい
(笑
オマイがそんなザマだから、
>とっくに、やってるだろ〜が
投稿No.25758
と書いた時、見てやるから、どれだか示せ、つったんだよ。
そうだろ、ボケナス
(怒
ところがやっていなかった!
やってるはずがなかった!
何故なら、オマイは文意を完全に誤解していたから
(大笑
気がついたオマイは、アワテテ、逃げ回り始めた
(笑
何行も、何回も書いて、逃げ回り、泣き喚いた
(笑
泣け、泣け!
身から出た錆、つってな
(笑
泣くのがイヤなら、”とっくにやってる”を示せ、あん
(怒
デケルだろう、これだけ言われたら
(笑
ヒントを出してんだぞ
(笑
オマイの、”とっくにやってる”は、
投稿No.25579〜25758 の間にあるはずだ、そうだろう?
ほれ、示せ、ナイテバカリイナイデ
(笑
ナクシカ、ナイダロウケド
(笑
オマイは頭が悪いなあ
(笑
英語が、デケンなあ
(笑
ボケナス!
(大笑
これは メッセージ 26016 (fukagawatohei さん)への返信です.
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勝って嬉しいニャンコちゃん
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/16 21:58 投稿番号: [26021 / 41162]
暗奔丹は残念でした。
これは メッセージ 26020 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 負けて悔しい古本屋 へ
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/09/16 21:57 投稿番号: [26020 / 41162]
>残念だな、暗奔丹。>
古本屋のてて親は五体満足にもかかわらず兵役を免除された。
カネで工作したと思われてもしかたがない被告民。
そんな被告民のせがれが講釈をたれるなよ〜。
古本屋のカミクズなどだあ〜れも興味ないでしょ〜。
だいたい日本軍の資料など、北朝鮮の捏造書類と同類だよ。
まともに読むのはマヌケな人間だけ。
カミクズをばらまいて社会を汚すのはいいかげんにしておけよ。
被告民のセガレの古本屋さんよ。
これは メッセージ 26006 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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南京で日本兵は何も見なかった
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/16 21:04 投稿番号: [26019 / 41162]
第13師団歩兵第65聯隊
第8中隊少尉であったにもかかわらず化学兵器の記述がない、馬鹿な話しだな、和田罪作り。
これは メッセージ 26017 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京で日本兵は何も見なかった
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/16 21:02 投稿番号: [26018 / 41162]
第16師団
化学兵器使用
第1回目
洪毛屋棊寨東北高原
第二回
第三回
このような日記は書かないという馬鹿さ加減の捏造日記だな、和田罪が示すのは。
これは メッセージ 26012 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26018.html
南京で日本兵は何を見たのか (4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/16 20:59 投稿番号: [26017 / 41162]
もう一人、宮本少尉と同様に現場指揮官だった将校の日記を挙げておく。
以下に引用するのは、第13師団歩兵第65聯隊
第8中隊少尉であった
遠藤高明という人物の陣中日記であり、出典は
前述と同じく
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店、1996年)
219〜220頁所収のものだ。
この日記にも、前述した宮本少尉の記述と同じ事件が
記録されている。
宮本少尉とは中隊が違うものの、同じ現場には居たことが判る。
12月16日、宮本少尉の日記でも火事があったことが記されていた日だ。
「定刻起床、午前九時三十分より一時間砲台見学に赴く」。
すでに
戦闘は終わっていることが分かる。
「午後零時三十分、捕虜収容所火災の為出動を命ぜられ、同三時帰還す」
「同所において、朝日記者横田氏に逢い、一般情勢を聴く」とある。
まさに
現場には
新聞記者もいたのだ。
「捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を
江岸に引出し、I(=第一大隊)において射殺す」。
この日記を見ると、軍の命令によって
捕虜の3分の1を射殺した
という事実を
記している。
火事が起こり、収容が困難になったということが出てきたが、このあとに
「一日二合宛給養するに百俵を要し、兵自身徴発により給養し居る今日、
到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたりものの如し」
とある。
要するに、兵隊自身も自ら食べ物を徴発している状態だから、
ましてや
捕虜に与える食料などはない。
だから、「適当に処分すべし」という命令が出た、ということだ。
そして
12月17日、「幕府山頂警備の為、午前七時兵九名を差し出す」。
幕府山というのは
日本側が適当に付けて呼んでいた名前だと思われる。
命令されて、警備のために
この中隊からも兵を出したということだ。
「南京入城式参加の為、十三Dを代表して、Rより兵を堵列せしめらる」
十三Dとは
第13師団のことで、Rとは
第65聯隊のことだ。
堵列というのは、銃剣を持って
ずらっと並ぶことを
意味している。
「午前八時より小隊より兵十名と共に出発、和平門より入城」
「中央軍官学校前、国民政府道路上にて軍司令官松井閣下の閲兵を受く」
この遠藤少尉も
晴れやかな入城式に参加したわけだが、
「帰舎午後五時三十分、宿舎より式場間で三里あり、疲労す」。
宿舎に帰るのに時間がかかって疲れた
と言っているのだ。
続いて
「夜、捕虜残余一万余処刑の為、兵五名差出す」
とある。
第8中隊からも
捕虜1万人を処刑するために
兵を出したのだ。
「本日、南京にて東日出張所を発見」
東日というのは、当時の東京日日新聞、現在の毎日新聞のことだ。
さっきは朝日新聞の記者が出てきたが、ここでは東日新聞の出張所を発見。
「竹節氏の消息をきくに、北支より在りて皇軍慰問中なりと。風出て寒し」
ここでも新聞関係の出張所があったということが証言されており、
同日に捕虜1万余を殺すために兵を差し出したということが書かれている。
これは メッセージ 26014 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26017.html
Re: ほれほれ、負け犬koudousuru
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/09/16 20:58 投稿番号: [26016 / 41162]
>No.2××××の×四つの数字を書けばいいんだよ
(笑>
ノ〜タリンのオマイはたった四つの数字が見つけられない。
全く英語を理解できないテ〜ノ〜だと自分で認めているのと
同じだ。
ろくに英語も分からず、英文のコピペなどするから、このザマだ。
マヌケでオッチョコチョイのkoudousuru,
オマイはアメリカ人が原爆を落として後悔しているなどと、勝手に
解釈して、オノレの低脳ぶりを日本中に公開しているな。
本当に面白いぜ、ノ〜タリン珍種ハイブリッドのオマイは。
これは メッセージ 26013 (koudousuru009 さん)への返信です.
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南京で日本兵は何も見なかった
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/09/16 20:56 投稿番号: [26015 / 41162]
第13師団歩兵第65聯隊第4中隊
第13師団■■■化学兵器使用
第一回
宝金山東南側台地。
第二回
第三回
此の方が話題としては面白いんだけどね、知らない聯隊も居たんだな、診断が使ったのに。
都合の良いことだけは日記に残し、都合の悪いことは日記に書かないという、捏造屋のやることだな、和田罪作りチョン。
これは メッセージ 26014 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26015.html
南京で日本兵は何を見たのか (3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/16 20:12 投稿番号: [26014 / 41162]
先に引用した中島日記は、師団長であり
中将だった人物の記述だ。
現場に直接行って
自ら手をくだして
殺していたわけではないだろう。
現場で見聞したわけではないじゃないか、という難癖もあるかもしれない
ので、もう一つ
別の日記を紹介しておきたい。
第13師団山田支隊に所属した
現場指揮官の日記も残っている。
次に引用するのは、第13師団歩兵第65聯隊第4中隊の少尉であった
宮本省吾という人物の日記だ。
出典は、『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち─第十三師団
山田支隊兵士の陣中日記─』(大月書店、1996年)134頁所収。
これは
南京陥落後の
1937年12月16日の記述だ。
「警戒の厳重は益々加はり。」
「それでも午前十時に第二中隊と衛兵を交代し、一安心す」
中隊が捕虜が脱走しないよう見張っていたのだが、衛兵を交代して
ちょっと一安心だ
ということだが、「しかしそれも束の間で」、
「午食事中に俄に火災起り、非常なる騒ぎとなり、三分の一程延焼す」
捕虜を収容していた場所で火事が起き、大騒ぎになったらしい。
で、この捕虜を
いったい、どうするのか。
このままだと
手間がかかり、食事も与えなければいけない。それで、
「午后三時、大隊は最後の取るべき手段を決し、捕虜約三千を揚子江岸に
引率し、これを射殺す。戦場ならでは出来ず、又見れぬ光景である」
と記している。
捕虜を監視しているのが大変だから、殺してしまおうということになり、
揚子江岸に引率していって
射殺した、ということだ。
次は
12月17日、翌日のものだ。
この日は、南京での「入城式」という行事が
行われている。
「本日は一部は南京入城式に参加」、これは
映像でも残っている。
一部分は
南京入城に参加したのだが、「大部は捕虜兵の処分に任ず」。
つまり
大部分の兵隊には
捕虜の処分を命じたということだ。
「小官は八時半出発、南京に行軍。午后晴れの南京入城式に参加」
「荘厳なる史的光景を目のあたり見る事が出来た」。
この人物は
将校であるため、入城式に参加できたのだ。
しかし、午後には
帰ってきて、
「夕方ようやく帰り、直ちに捕虜兵の処分に加はり、出発す」
ということで、南京入城式が行われているその当日、
一方では、揚子江岸で
捕虜を大量に処分していたことが判る。
「二万以上の事とて、ついに大失態に会い、友軍にも
多数死傷者を
出してしまった。中隊死者一、傷者二に達す」
と記している。
これは
どういうことかと言うと、多くの捕虜を機関銃で撃ったが、
日本軍側が
ぐるっと囲んで撃ったものだから、向こう側にいる日本兵に
当たってしまった。
“大失態”とは、そのことを言っているのだ。
取り囲んで味方を撃ってしまい、それによって死んだ者もいた。
「中隊死者一、傷者二に達す」というのだから、確かに大失態だ。
翌12月18日、「昨日来の出来事にて、暁方ようやく寝に就く」とある。
射殺で時間がかかって、明け方までかかり、それでようやく寝に就いた。
「起床する間もなく昼食をとる様である。午后、敵死体の片付けをなす」
「暗くなるも終らず、明日又なす事にして引き上ぐ。風寒し」。
前日一日かけて射殺をし、死体の片付け(揚子江に流すこと)をした。
しかし
一日やっても終わらなくて、また明日やることにした、
と言うのだから、死体は
膨大な数だった
ということを示している。
「二万人以上の事」と、この宮本少尉は聞いていた
というのだ。
12月19日になると、「昨日に引続き、早朝より死体の処分に従事す」
「午后四時迄かかる」と
書いている。
この日も
揚子江に遺体を流す作業をやっていた
と言うのだ。
これらを見ると、17日の南京入城の前日から組織的に捕虜殺害が行われ、
19日までの4日間、この13師団は
一生懸命に
捕虜の遺体を「処理」
つまり
揚子江に流す作業を続けていた
ということが判る。
南京虐殺の正確な犠牲者数が
諸説あって判らない
というのは、
まさに、ここに原因があると言えるだろう。
無秩序に殺した遺体を、どんどん
大河に流してしまった。
こんな状況が
ずっと人目に晒されるのは
まずいので、
大急ぎで
遺体を流すということをやった
ために、
また、誰も
正確な記録を付けているわけでもないので、
そこで亡くなった人の数が
どれくらいかが
正確に判らないのだ。
この日記は、確かに
現場の指揮官の記録であり
重要な史料だ。
これは メッセージ 26012 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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ほれほれ、負け犬fukagawatohei (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/09/16 19:33 投稿番号: [26013 / 41162]
いつまで、とぼけてるんだ、ノ〜タリン
(笑
この一行はオマイにやるが、
オマイはこの一行ほども書かなくていい
(笑
No.2××××の×四つの数字を書けばいいんだよ
(笑
ソウスレバ、泣カナクテモ、スムンダヨ
(大笑
ソーダロウ、アン?
ソージャナイノカ、アン?
アホウ
(笑
何行も、何行も泣き喚く!
それがそのままオマイがウソをついた証拠だよ
(大笑
ほれっ、負け犬fukagawatohei、「これを見ろ」つって、
出してみい、あん!
どうしてデケンのだ、あん!
(怒
自分で書いた投稿(のはず)だろう、こらっ
(怒
ええ加減にせいっ
(怒
ボケナス
(笑
これは メッセージ 26011 (fukagawatohei さん)への返信です.
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南京で日本兵は何を見たのか (2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/16 19:20 投稿番号: [26012 / 41162]
現場で、そこに居た者が
何を見たのか、ということが重要だ。
当時、南京大虐殺の現場を
当然のことながら
多くの日本人が見ていた。
その多くは
日本兵であるが、中には
従軍記者もいたはずだ。
しかし
当時の記者が、それを
記録に残せるはずがなかった。
戦争と言論の統制というのは
常に
セットになっており、
そこで見たことを
新聞記者は
そのまま書けないようになっていた。
特に
当時の日本軍の言論統制は
徹底していたのだ。
仮に
記事にしたところで
採用されないわけだから、
最初から記事にすることさえなかった
というのが実態だった。
当時の日本の新聞には、南京での虐殺の報告は
載せられていない。
しかし、載せられていないから、日本人が
何も見なかったのか
と言えば
決して
そうではない。
南京という都市は、揚子江に面しており、日本軍は
これを南方、東方、
さらに揚子江の北側からも侵攻し、まさに包囲する形で布陣していった。
南京の東の方から侵攻していったのは、16師団だった。
その師団長である
中島今朝吾の日記が
残されている。
以下、出典は
「南京攻略戦『中島師団長日記』」
(『歴史と人物 増刊 秘史・太平洋戦争』1984年)261頁から引用する。
日記は、1937年12月13日のものだ。中島は
師団長であるから、当然、
師団司令部で指揮を執っているわけで、この13日は南京陥落の日であり、
南京のすぐ外側に
司令部があったと思われる。
「一、本日正午、高山剣士来着す」
「時あたかも捕虜七名あり」
「直ちに試し斬りを為さしむ」。
まず
司令部に連れて来た捕虜
7名を試し斬りさせたと言う。
その「剣士」の腕前を確かめるだけのために
捕虜を斬らせたのだ。
「到るところに捕虜を見、到底その始末に堪えざる程なり」。
投降した中国兵が大勢すぎて
始末に負えない、ということだ。
「大体、捕虜はせぬ方針なれば」
「片端より之を片付くることとなしたれども、中々実行は敏速には出来ず」
国際法上、戦時において捕虜を確保した方が
それを保護する義務がある。
しかし、捕虜にはしない方針、と言うのだから
義務など一切ないわけだ。
捕虜にせず、片っ端から片付けることにした、ということだ。
「一、佐々木部隊」──これは
16師団に属している大隊だ。
「佐々木部隊だけにて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の
一中隊長が処理せしもの約一三〇〇、その仙鶴門付近に集結したるもの
約七、八千人あり。尚続々投降し来る」
一個大隊は
約800人だが、
その人数で
1万5千人の捕虜を
「処理した」と言っている。
また
一中隊は200人ぐらいだと思われるが、それで1300人ほどを
「処理した」、と言っているのだ。
さらに、どんどん捕虜が増えてきて、
「この七、八千人これを片付くるには、相当大なる壕を要し」
壕というのは、つまり
穴のことだが、
「中々見当らず。一案としては百、二百に分割したる後、適当の箇所に
誘(いざな)いて処理する予定なり」。
16師団は
内陸の方面から攻めていたため、辺りには「河」がない。
そうすると「処理する」というのは、穴に埋めてしまう
ということだ。
7〜8千人の人間を埋める穴はないから、分割して埋めるというわけだ。
こういう遺体は、のちに掘り出されたものが発見されている。
ここでは
計画的に、最初から捕虜にしないで殺害して埋めてしまおう
ということを、師団長自身が言っているのだから、まさに捕虜虐殺は
偶発的ではなく、日本軍の方針であった
ということが理解できる。
これは メッセージ 25997 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/26012.html
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