★「竹島」は日本固有の領土です

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「隠州」で帰結させるはまちがい

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 22:47 投稿番号: [8520 / 9207]
やっぱり変ですねえ、イメージがわくように隠州を例として出したのですから、その例として出した隠州で西北の限りを隠州で帰結させるのはまちがってますよ、
その帰結は「例として出した隠州」ではなく「言わんとしている本体」で帰結するべきで、それではその本体は何かとなりますね、立ってる場所   つまり   磯竹島となりますね、

Re: 大変な違和感を感じるのですよte 

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/06/30 21:50 投稿番号: [8519 / 9207]
ninnikumanx さん

「見高麗」から後だけ取り出して見るから違和感を覚えるのであって、文章全体を見れば別に問題はありません。

「此州」が指しているのは、冒頭で「隠州在北海中」として紹介され、その後の文章でも常に主題となっている「隠州」のことです。

ninnikumanx さんの解釈文を真似して書けば、

「例えとして言えば、雲州から隠州を見るがごとく、高麗を見ることができる   そういう事だから   日本の北西の地は、初めからずっと話題にしている此の隠州が限界となる」

ということです。

大変な違和感を感じるのですよteさん 

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 18:57 投稿番号: [8518 / 9207]
ヤフー投稿で   途中でメッツセージが出ていってしまうのですよ   システムが・・

大変な違和感を感じるのですよte 

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 18:50 投稿番号: [8517 / 9207]
(C1) この二島(竹島と松島)は無人の地である
(C2) 雲州から隠州を望むように高麗を見ることができる
(C3) そういうことなので、日本の北西の地は、此の隠州が限界となるー引用ー

(C2)雲州から隠州を望むように高麗を見ることができる= たとえとして言えば、雲州から隠州を見るがごとく、高麗を見ることができる
ここで   イメージがわくように隠州を例にだしていますね、そこで、
(C3) そういうことなので、日本の北西の地は、此の隠州が限界となる)=そういう事だから   日本の北西の地は此の例に出した隠州が限界となる、   つなげてみると

「例えとして言えば、雲州から隠州を見るがごとく、高麗を見ることができる   そういう事だから   日本の北西の地は例に出した此の隠州が限界となる」   こういう文書に成るが、なんだか変ですねえ   わしは文学的能力が低いので   いいのか悪いのか判断できないが   大変な違和感を感じるのですよ、



Re: ○○に何か入れてみるとハッキリしそう

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/06/30 15:27 投稿番号: [8516 / 9207]
ninnikumanx さん

>>>
上記から、「無人の島から高麗を見ることができる、そういうことだから○○が限界となる」   さらに短縮すると、高麗を見ることができるから○○が限界となる、    ○○に何か入れてみるとハッキリしそうだ、
<<<

○○は、原文で「此州」と表記されていることもお忘れなく。

Re: 無人の地である、高麗を見る事出来る

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/06/30 15:26 投稿番号: [8515 / 9207]
ninnikumanx さん

(#8507)>>>
郡代も日本人が住んでいなくても、磯竹島を永年開発してる事、承知してるから疑いなく日本領だと信じていただろう、
<<<

(#8508)
>>>
無人の地である、高麗を見る事出来る   だからこそ   「磯竹島」が北西の境となる、わしは   かように   確信しております
<<<

ninnikumanx さんが、そのような信仰をお持ちだということは了解しました。

軍国の華 イージス艦1号7600㌧韓国 

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 14:39 投稿番号: [8514 / 9207]
「世宗大王艦」7600㌧級
2008年に実戦配備される   さらに2隻を建造する計画で2010年   2012年の配備を目指す   総建造費は4000億円   最大速力は30ノット(時速55㌔)   120基ミサイル搭載

韓国最大の潜水艦「鄭地艦」軍国へ、韓国

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 14:23 投稿番号: [8513 / 9207]
http://www.chosunonline.com/article/20070614000033

韓国最大の潜水艦「鄭地艦」進水式

最新鋭潜水艦進水 軍国に走りだした韓国

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 14:08 投稿番号: [8512 / 9207]
http://www.chosunonline.com/article/20070614000010

1800トン級の最新鋭潜水艦、08年実戦配置へ鄭地艦には、ハープーン対艦ミサイルや魚雷(16発)などが搭載されている。また軍の消息筋は、この先、射程距離500キロ以上の国産艦対地クルーズ(巡航)ミサイルも開発完了とともに搭載する予定だと語った。

特に、大気独立推進システム(AIPS)を採用したことで、水中に潜ったまま2、3週間にわたって作戦を遂行できるようになり、現在の韓国海軍の主力潜水艦である209級(1200トン級)に比べ実に6倍以上の戦闘能力を備えた、と評価されている。

次世代型戦闘装甲車K‐21 軍国へ・・・

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 13:52 投稿番号: [8511 / 9207]
http://www.chosunonline.com/article/20070630000015

  敵軍の戦車を破壊するだけでなく、ヘリコプターも撃墜可能な、世界最高レベルの次世代型歩兵用戦闘装甲車「K‐21」が韓国独自の技術で開発された。
国防科学研究所(ADD)や斗山インフラコアなど、韓国を代表する防衛産業が1999年末から計910億ウォン(約121億2349万円)を投じて開発に当たり、2005年初めに試作車3台を製造したのに続き、近いうちに量産体制に入ることが決まった。

最新鋭ミサイル高速艇 軍国へ走る韓国

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 13:37 投稿番号: [8510 / 9207]
http://www.chosunonline.com/article/20070629000035

最新鋭ミサイル高速艇「尹永夏艦」、28日進水
今後「尹永夏級」と呼ばれることになる新型ミサイル高速艦は、既存の130トン級チャムスリ高速艇に比べ、重量が440トン級とはるかに大きい。射程距離150キロ以上の国産艦対艦ミサイル「海星」4発を搭載している

○○に何か入れてみるとハッキリしそうだ

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 01:56 投稿番号: [8509 / 9207]
(C1) この二島(竹島と松島)は無人の地である
(C2) 雲州から隠岐を望むように高麗を見ることができる
(C3) そういうことなので、日本の北西の地は、隠州が限界となるー引用ー

上記から、「無人の島から高麗を見ることができる、そういうことだから○○が限界となる」   さらに短縮すると、高麗を見ることができるから○○が限界となる、    ○○に何か入れてみるとハッキリしそうだ、

無人の地である、高麗を見る事出来る

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 01:21 投稿番号: [8508 / 9207]
(C1) この二島(竹島と松島)は無人の地である
(C2) 雲州から隠岐を望むように高麗を見ることができる
(C3) そういうことなので、日本の北西の地は、隠州が限界となるー引用ー

@@@   無人の地である、高麗を見る事出来る   だからこそ   「磯竹島」が北西の境となる、わしは   かように   確信しております、さらにその無人の島は日本人が永年、毎年、定期的に渡海して開発しておる、

島を永年永続的に利用  

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 00:57 投稿番号: [8507 / 9207]
C. 隠州が日本の北西国境であることの説明

(C1) この二島(竹島と松島)は無人の地である
(C2) 雲州から隠岐を望むように高麗を見ることができる
(C3) そういうことなので、日本の北西の地は、隠州が限界となる

C3 の「そういうことなので(然らば則ち)」が何を理由にどうだと言っているのかが、国代記の解釈では常に問題になります。私は、C1 と C2 を理由に、竹島と松島は日本ではなく隠州が日本の北西国境だと言っていると解釈します。

つまり、まず C1 で竹島と松島が無人島であることを述べます。無人島ということは日本人が住んでいない訳ですから、日本とは言い難いということになります。次に C2 で、朝鮮が見える程度には近いと述べます。これまた日本とは言い難い理由になります。そしてそれを受けて、C3 で隠州が日本の北西国境であると結論し、国代記地理部を締めくくっているという訳です。

なお、無人島であれば朝鮮人も住んでいませんから、C1 は竹島と松島が朝鮮ともみなせないと言っていることになります。また、C2 では、巨大な朝鮮半島が島のように小さく見えると述べており、単純に「朝鮮半島に近いから朝鮮領」と言える距離でもありません。ーte氏から引用ー

@@   C1 と C2 を理由に、竹島と松島は日本ではなく隠州が日本の北西国境だと言っていると解釈します。と   あなたは書いておる、島には日本人が住んでいないから日本とは言いがたい、朝鮮が見える程度だから日本とは言いがたい   そして隠州が西北国境だと結論づけている、   だけど   わしは   日本人が住んでいなくても、島を永年永続的に利用しているかぎりは日本領だと言っておるのです、その例として伊豆島など挙げたのですよ、郡代も日本人が住んでいなくても、磯竹島を永年開発してる事、承知してるから疑いなく日本領だと信じていただろう、

Re: 無人島、人が住まわなくても領地となる

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/06/29 23:07 投稿番号: [8506 / 9207]
ninnikumanx さん

>>>
日本近海には伊豆諸島始めとして、日本人の住まない島はそれこそ沢山ありました   でも   それらは幕府や諸藩の領地でした   人が住まわなくても無人島でも、その島を利用しておれば、利用しておる国、幕府、藩の領地となるのですね、だから磯竹島、松島に住まわなくても、その島を利用してさえしていたら利用していた国の領地になるのですね、
<<<

今は、隠州視聴合紀の解釈を論じているのですから、上の文章は次の意味だと考えましたが、よろしいでしょうか。

(te22200書き換え)>>>
日本近海には伊豆諸島始めとして、日本人の住まない島はそれこそ沢山ありました   でも   それらは幕府や諸藩の領地でした   人が住まわなくても無人島でも、その島を利用しておれば、利用しておる国、幕府、藩の領地となるのですね、隠州視聴合紀の作者はそれらの事情をよく知っていたから、磯竹島、松島に住まわなくても、その島を利用さえしていたら利用している国の領地になると考える筈ですね、
<<<

この理解でよろしければ、次回、反論いたします。

Re: 郡代はそんな危険はおかしませんよ

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/06/29 23:04 投稿番号: [8505 / 9207]
ninnikumanx さん

>>>
当然郡代には磯竹島が幕府直轄領の認識は強くあったでしょう、
<<<

そうでしょうか?

当時は鳥取藩の商人が幕府のお墨付きによって竹島への渡海事業を独占的に行なっていた訳ですが、それが必ずしも「竹島が幕府直轄領」という認識につながるとは思いません。

例えば、竹島渡海免許と呼ばれるものは、以下のような文章ですが、ここから「竹島が幕府直轄領」という意味は汲み取れません。

> 従伯耆国米子竹島江先年船相渡之由に候
> 然者如其今度致渡海之段米子町人村川市兵衛
> 大屋(大谷)甚吉申上付而達上聞候之処
> 不可有異儀之旨被仰出候間被得其意渡海之儀
> 可被仰付候   恐々謹言
(wikipedia「竹島一件」の項より)

また、後の竹島一件において、幕府の老中阿部豊後守正武が鳥取藩に対し「因州・伯州江付候竹島は、いつ頃両国江付属候哉」と尋ねていますから、少なくともその時点の幕府の側に竹島が幕府の直轄領だという認識が無かったことは間違いありません。

隠州視聴合紀の作者が竹島を幕府直轄領と認識していたとする根拠について何かご存知ならば、詳しく教えてください。


あと、重箱の隅つつきになりますが、

>>>
幕府は鳥取藩が幕府に対し謀反ありと思い、鳥取藩御取り潰しにしたでしょう
<<<

「鳥取藩」というのは「出雲藩」の書き間違いでしょうか?

Re: 半月城氏はいろいろ物知りですね

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2007/06/29 22:06 投稿番号: [8504 / 9207]
>@@   半月城氏はいろいろ物知りですね、なにかと知識の無いわしには勉強に成ります、半月城通信の材料中に何か不審点は無いか、これから検討したいと思っておるのだが、そうなると   氏にとって、わしは、めざわりでしょうかねええ、

彼はこちらに常駐しています。

>http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1&type=date&first=1

彼は、niftyのネットデモクラシーフォーラムの時代からこのペンネームで投稿しています。
職業的な活動家と行って良いでしょう。
あの時代の腐れ右翼よりはましだとおもいますが、彼らよりプロですね、
根性入ってます。  

目的は、とにかく宣伝で埋め尽くすことであり。論理的飛躍をつかれても
反撃できるときはしますが、できないときは無視して宣伝を繰り返します。

豊富な文献引用に幻惑されそうになりますが、丹念に読むと、引用と全然違う結論を出してることがよくあります。

無人島、人が住まわなくても領地となる

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/29 19:10 投稿番号: [8503 / 9207]
然からば
  =そうであるから
  =竹島と松島は無人、つまり日本人の住む土地ではなく、
   また高麗が見える程の遠い位置にあるから(竹島松島は
   日本の地と言い難く、日本の北西限は隠州である)と考えております。そしてまた、竹島松島は朝鮮の地とも言い難く、
どこの国の土地でもないということになると思っております。

@@   日本近海には伊豆諸島始めとして、日本人の住まない島はそれこそ沢山ありました   でも   それらは幕府や諸藩の領地でした   人が住まわなくても無人島でも、その島を利用しておれば、利用しておる国、幕府、藩の領地となるのですね、だから磯竹島、松島に住まわなくても、その島を利用してさえしていたら利用していた国の領地になるのですね、

郡代はそんな危険はおかしませんよ

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/29 18:28 投稿番号: [8502 / 9207]
  然からば
  =そうであるから
  =竹島と松島は無人、つまり日本人の住む土地ではなく、
   また高麗が見える程の遠い位置にあるから(竹島松島は
   日本の地と言い難く、日本の北西限は隠州である)

と考えております。そしてまた、竹島松島は朝鮮の地とも言い難く、
どこの国の土地でもないということになると思っております。

@@@   郡代の隠州視聴合紀1667年は磯竹島開発1618〜1696年間の真っ最中に当たり、幕府による認可と鳥取藩の渡海船渡航管理により80年間、国家により実行支配した事になります、当然郡代には磯竹島が幕府直轄領の認識は強くあったでしょう、それを前提にするならば、幕府領地磯竹島を外して西北地を隠岐にするはずは決してありません、もしも磯竹島を外して隠岐を西北限界にしたならば、幕府は鳥取藩が幕府に対し謀反ありと思い、鳥取藩御取り潰しにしたでしょう、郡代はそんな危険はおかしませんよ、だからこそ隠岐の西北地とはしないで、日本の西北地とわざわざそのように記したのです、幕府も磯竹島を朝鮮との境にしたと、隠州視聴合紀をそのように理解したのでしょう、だからこそ隠州視聴合紀や鳥取藩を罰しなかったのでしょうね、

Re: teさんへ 隠州視聴合紀

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/06/29 16:20 投稿番号: [8501 / 9207]
ninnikumanx さん

>>>
ここで、   然からば=そうであるから=高麗を見る事できるから    でいいでしょうね
<<<

前回示した参照先の記事を読んでいただくと分かるのですが、私は、

  然からば
  =そうであるから
  =竹島と松島は無人、つまり日本人の住む土地ではなく、
   また高麗が見える程の遠い位置にあるから(竹島松島は
   日本の地と言い難く、日本の北西限は隠州である)

と考えております。そしてまた、竹島松島は朝鮮の地とも言い難く、
どこの国の土地でもないということになると思っております。


>>>
それに郡代、洲を州に取り違えた可能性もあります
<<<

池内敏氏の「前近代竹島の歴史学的研究序説」によると、隠州視聴合紀には「以此州為限矣」の個所を除き、「州」という文字が65回出てきますが、それらは全て「国」の意味で使われており、「洲」や「島」の意味で使われることはないとのことです。

池内氏の論文に比べるとレベルは下がりますが、私も独自に同じことを調べて同様の結論を出しております。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&action=m&mid=9648

「洲」の字については、私の記憶では隠州視聴合紀全体の中に3回程度に現れ、全て川の中州、あるいはそれにちなんだ地名に使われていたと思います。
少なくとも私の読んだ隠州視聴合紀のテキストでは、その全文を通じて、「洲」と「州」はきちんと使い分けられていました。

従って、「以此州為限矣」の「州」が「洲」の取り違えだという説については、何か裏付けとなる史料が新たに示されない限り、私は同意できません。


>>>
「日本の乾地」ですが、郡代、高麗意識してますから、これは高麗との境でしょう
<<<


私は、「北西方面における日本と日本でない場所の境」が「日本の乾地の限り」だと思います。

そして、隠州視聴合紀においては「日本の地でなければ朝鮮だ」という論理になるほど、朝鮮の存在を意識しているようには思いません。

実際、「隠州視聴合紀」において朝鮮に言及しているのは、この「見高麗」と、焼火山縁起の異域で神の霊験が現れる個所の二個所程度ではないですか?(記憶で書いているので、ひょっとするとあと一つ二つあるかもしれませんが、いずれにせよそんなものでしょう)

隠州が日本の北西限、松島竹島はどこの国にも属さない無人島 (ただし、日本が経済活動を行なっている…EEZのようなものを思い浮かべれば良いと思います)と考えた方が色々なことが納得いくのは、前回示した参照記事をご覧いただければ分かると思います。

teさんへ 隠州視聴合紀

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/29 14:13 投稿番号: [8500 / 9207]
⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。ー引用ー

(雲州より隠州を見るごとく、この島から高麗を見る事が出来る、そうであるから、言い換えれば   日本の乾地、此の州を入れて限度とする)、と私訳しました。
ここで、   然からば=そうであるから=高麗を見る事できるから    でいいでしょうね   つまり高麗を見る事出来るか出来ないかが勝負どころですね、で   隠州から高麗見えますかね   それに郡代、洲を州に取り違えた可能性もあります、「日本の乾地」ですが、郡代、高麗意識してますから、これは高麗との境でしょう、そうなると隠岐を限りとするならば、松島との間に国境線引く事になりますね、つまり隠岐と無人島間に国境線が・・・

隠州視聴合紀

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/06/29 12:18 投稿番号: [8499 / 9207]
「隠州視聴合紀」については、島根県竹島問題研究会の舩杉委員が新聞のコラムで述べられているように

> (1)一六六七年の『隠州視聴合記』にある竹島、松島の記載の解釈には
> 諸説あるが、少なくとも朝鮮領であるとは記されていない。
(http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=406702035)

と考えるのが妥当なところであり、「竹島までを日本とみなしている」と決め付けるのは無理があるでしょう。

ninnikumanxさんの一連の文章の内容に一々突っ込む気はありませんが、私の主張は以下の記事及びそこから参照している過去の記事にまとめてありますので、反論があれば書いてください。

Yahoo掲示板
トップ > 地域 > 世界の地方 > 環太平洋 > 大韓民国 > 竹島
No.10265〜10269

最初の記事はこれ↓になります。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10265

「竹島領有 日韓が密約」読売(H19.3.20)

投稿者: zyouva0 投稿日時: 2007/06/29 11:31 投稿番号: [8498 / 9207]
今更だけど韓国思想って理解できない。
約束は破るためにあるとか思ってる?

http://www.youtube.com/watch?v=Ogmw5fj5GeM

磯竹島太古から近辺海域で日本人が鮑なdo

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/28 12:55 投稿番号: [8497 / 9207]
http://www.k2.dion.ne.jp/~tokiwa/takeshima.html


【磯竹島(礒竹嶋)】韓名鬱陵島。
日本固有の領土であるにも関わらず、韓国に不法占拠されている土地。

【地址】隠岐國隠岐郡磯竹島(現 島根県隠岐郡五箇村松島)。

【歴史】神代須佐男命の御子五十猛命の天下りし島なり。あるいはこの洲自体が五十猛命の依代であるという。太古からこの近辺海域で日本人が鮑などの漁をしていた。

愼𨉷廈教授の獨島百問百答

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/28 12:31 投稿番号: [8496 / 9207]
Q23.(『隠州視聴合記』)
   そうなら、日本側で日本の古文献で「獨島」が最初に現れたのはいつから
であり、その内容はどうなっているか?

A.日本政府が 1960年 韓国政府に送った外交文書によれば、1667年に編纂さ
れた『隠州視聴合記』という報告書が日本で初出の古文書である。
   日本政府外務省の説明によれば、この本は出雲の官吏(藩士)齋藤豊仙が
藩主(大名、封建領主)の命を受け 1667年(日本の寛文7年)秋に隠岐島
(隠州)を巡視しながら受けた報告を記録し、報告書として作成し奉じたもの
である。
   この本において初めて獨島を「松島」、鬱陵島を「竹島」と呼称し言及し
たという。その記録内容は下記のとおりである。
  「隠州(隠岐島)は北海のなかにある。ゆえに隠岐島という。・・・戍亥間
(西北方向)に二日一夜行くと松島がある。また一日の距離に竹島がある。
“俗に磯竹島というが、竹や魚、アシカが多い。神書にいういわゆる五十猛
(いたける)か”   二島(松島と竹島)は無人島だが、高麗を見るにちょうど
雲州(出雲国)から隠岐島をみるごとくである。しかるに日本の西北(乾)の
境界はこの州(隠州:隠岐島)をその限り(限界)とする」
   しかし、うえの記録を詳細に検討してみれば、この報告書は航海距離の日
数をとおして「獨島」を「松島」、「鬱陵島」を「竹島」と呼称し、「獨島」
を日本で初めて記録しながら「獨島」と「鬱陵島」がみな朝鮮領であり、日本
領でないことを明白に記録している。

コメント:原文で「然則日本之乾地 以此州為限矣」とある「此州」を韓国で
は「隠州」と解釈しましたが、日本政府は「州」を「シマ」と読んで、松島・
竹島を日本の限界としました。この日本政府の解釈が無理であることは『大日
本史』からうかがえます。その詳細は下記に記したとおりです。したがって韓
国政府の解釈が妥当です。
<大日本史1>
<大日本史2>
<『隠州視聴合記』の読み方>

@@ 神書にいういわゆる五十猛(いたける)か?

半月城氏はいろいろ物知りですね

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/28 11:32 投稿番号: [8495 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.651

もう一度『隠州視聴合紀』を見てみましょう。同書の書き方は、
隠州から南へ行くと雲州、東南へ行くと伯州、西南へ行くと石州、北や東は住
むべき土地がない、北西へ行くと松島、竹島があるという書き方になっていま
す。すなわち、隠州の東西南北は隠州でないので、松島、竹島も隠州ではない
という認識です。
   話は飛びますが、両島が隠州に属さないということでは日本、韓国政府と
もに見解が一致しているようです。それだからこそ、日本の北西の限りである
「此州」を隠州と読むのか(韓国側)、この島と読むのか(日本側)という論
争が生まれ両国で未解決になっています。松島、竹島が隠州に含まれるのなら、
このような論争はありえません。

   したがって松島、竹島が「これ(隠岐国)に属する」という認識は『大日
本史』に書かれているように、隠岐古記や隠岐紀行から生まれたと見るべきで
す。『大日本史』はそれらの史料から「松島、竹島を我が版図と為す」「これ
(隠州)に属する」という認識をもったと思われます。
   他方「我が版図」になったいきさつに関しては「智者を待つが知れない」
と『大日本史』は記しました。同書は、幕府のだした竹島(鬱陵島)渡海免許
を知らなかったようです。さらには竹島を放棄した幕府の命令も知らなかった
ようです。地方人が書いた史書なのでやむを得ません。

   結論をいえば『隠州視聴合紀』からは、隠州に属さない松島、竹島が「我
が版図」であるという認識は生まれなかったといえます。したがって『隠州視
聴合記』の解釈に関するかぎり韓国政府の主張に分がありそうです。
   さりながら、同書における松島、竹島の領有意識がどうあれ、徳川幕府が
「竹島一件」で竹島(鬱陵島)を放棄した事実が重要なのであり、それ以前の
『隠州視聴合紀』の解釈はさして重要ではないと私は考えています。竹島放棄
により「松島、竹島は我が版図」という構図が崩壊したことが重要なのです。ー引用ー

@@   半月城氏はいろいろ物知りですね、なにかと知識の無いわしには勉強に成ります、半月城通信の材料中に何か不審点は無いか、これから検討したいと思っておるのだが、そうなると   氏にとって、わしは、めざわりでしょうかねええ、

隠州視聴合紀の新解釈

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/27 11:59 投稿番号: [8494 / 9207]
『隠州視聴合紀』(一六六七年)
⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

雲州より隠州を望むがごとしと記しました、ここで郡代はわかりやすく隠州をたとえの例としてひっぱりだしておりますね、そして   例として出した物を此の隠州を以て限りと為すでは変ですね、あくまでもサンプルとして出した「隠州」ですから、再び、此の「隠州」ではなっとく出来ませんねえ、

日本の乾(北西)の地の解釈として、ここでは日本の北西とは記しておりません、日本の北西の地と記されております、2島は島なのに記されたのは「地」なんですね   地には領地の意味もあるのです、例えば朝鮮の北西の地と書かれれば朝鮮領と認識されますね、郡代は隠岐からの距離方向としての隠岐の西北の地としてはいません   特別に日本の西北の地と書きました、
つまり「日本の西北の領地」と書いたのですね、

高麗を見ること雲州より隠州を望むがごとし

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/26 06:14 投稿番号: [8493 / 9207]
⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。


⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩そうであるならば、言いかえれば 、日本の乾(北西)の地、此の隠岐国を使って限りと為す。


⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩そうであるならば、言いかえれば 、日本の乾(北西)の地、此の2島を使って限りと為す。


A、B   比較して、つまり隠州から高麗を見る事出来れば、「此の隠州を以て限りと為す」が成立します、見れなければアウトですね、

日本の西北の領地(島)此の州を以て限りと

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/25 19:37 投稿番号: [8492 / 9207]
郡代齋藤豊仙は、幕府直轄地   竹島松島をさしおいて、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為すと記しましたが、此の州を隠岐と認識するならば、郡代は隠岐と松島の間に国境線を引いたのですね、しかし郡代は国境線確定の為に隠岐にきたのではありません、又その権限も権利もないのです、しからば   なんで郡代は此の州を以て限りと為すと記したのでしょうか、郡代には朝鮮が見える磯竹島を日本の西北限とみたからでしょう、話は変わるが、「地」には領土、領地の意味もあるのです、だから日本の乾(北西)の地は、日本の乾(北西)の領地ともなります、つまり日本の西北の領地(島、磯竹島)、此の州を以て限りと為す。

齋藤豊仙は幕府の立場から見て

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/24 17:09 投稿番号: [8491 / 9207]
出雲藩の藩命により隠岐島の調査を命じられた隠岐代官齋藤豊仙は、⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為すと記しました、幕臣でも無い出雲藩の一藩士が日本の国境を決める事など出来ませんね、しかし代官齋藤豊仙は磯竹島への渡海船をチェックする責任者でした、当然   磯竹島   松島が幕府直轄地である事も承知しております、そして   磯竹島からは朝鮮国がかすかに見えると記しております、代官齋藤豊仙は幕府の立場から見て、日本の乾(北西)の地(島)は磯竹島であると「日本」を前面に出してますね、決して隠岐の乾(北西)の地(島)とは言っておりません、
それで朝鮮と日本のくにざかいは此の洲つまり磯竹島であると述べたのでしょう。

齋藤豊仙は「日本の磯竹島」と記した

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/24 13:13 投稿番号: [8490 / 9207]
⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

「日本の乾(北西)の地」とは「日本の磯竹島」とも置き換えられますね、
つまり   ここで齋藤豊仙は   いみじくも   「日本の磯竹島」と言っております   だから齋藤豊仙は此の磯竹島を以て国境とすると記したのですね、

齋藤豊仙は宝島と隠岐島間に国境線を・・

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/23 19:16 投稿番号: [8489 / 9207]
⑤ 子(北)より卯(東)に至りては、往くべき地は無し
⑥ 戌亥(北西)の間、行2日1夜行けば、松島(現在の竹島)がある。
⑦ また一日ほどの程で竹島(現在の鬱陵島)がある。
⑧ これは俗に言う磯竹島のことである。
竹や魚・海驢(あしか)が多い。按ずるに、神書の所謂五十猛歟。
(按ずる=考えをめぐらす。調査する)

⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

齋藤豊仙は、北海の中にある隠岐島が、隠岐島から東西南北、それぞれの方向にある日本の領地まで、どれだけの位置にあるかを記述しているー引用ー

@@    北、東には行くべき地(島)も無い大海原、北西に行けば行くべき地(島)がありその島は磯竹島、松島と呼ぶ、2島は無人島でさかな、竹が沢山獲れる、ここで磯竹島、松島と日本名がついていますね、無人島に固有名詞がつけばそれは日本が発見した事に成り、無主地先占が成立します、その無人島宝島と隠岐島の中間に国境線を引くバカはいませんよ、だから此の洲とは磯竹島と解釈するのは極々自然でしょうね、それに2島は1618年以来、幕府の直轄地ですよ

鳥取藩管理まかせで判別不明瞭となり

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/23 00:48 投稿番号: [8488 / 9207]
コメント:幕府は、竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)が日本領でないことは下記のようなプロセスで確認しました。
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.6981
   老中・阿部豊後守は鳥取藩にたいし一七か条からなる質問「御尋の御書
付」を問い合わせた。そのなかで注目される質問は「因州 伯州え付候竹嶋は
いつの此より両国え附属候哉」「竹嶋の外両国え附属の嶋有之候哉」の二点で
ある。幕府は、竹島が鳥取藩付属であると思いこんでいたようである。
幕府の質問に対して鳥取藩は「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御
座候」「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」と明言し、竹島、松島は自
藩領ではないと回答した。
この公文書ゆえに明治時代、内務省や太政官が松島(竹島=独島)を日本の版図外と決定しました。ー引用ー

@@   1618年竹島への幕府渡海免許は、其の時点では幕府の管轄の認識でした、   それから77年、月日が経つ1695年、世代も代わって、幕府は鳥取藩に管理をまかせていたせいもあって、鳥取藩領地なのか幕府領地なのか判別不明瞭になりました、その確認の為、幕府は鳥取藩に「おたづね書」を出したのです、鳥取藩は渡海免許をだしておる幕府領地の認識でしたので、自藩のものにあらずと返書を出しました、よって   ここであらためて幕府領地だと幕府も再確認出来たのです、

Re: 「芝峰類説1614年」に磯竹島の名が

投稿者: lasvegas1954 投稿日時: 2007/06/22 22:24 投稿番号: [8487 / 9207]
出ましたね、半月城通信。

ものすごくよく調べてるし、頭もよさそうだけど、なぜか朝鮮に不利な事実についてはとても優しいんですよ、この人。

「芝峰類説1614年」に磯竹島の名が

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/22 22:19 投稿番号: [8486 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/hm101.html
半月城通信101

政界元老である南九萬は国王に上訴をあげ、歴史書籍や「芝峰類説」をみ
れば、鬱陵島は新羅時代から朝鮮の領土であり、鬱陵島を日本では「竹島」
「磯竹島」というが、祖先が残してくれたわが領土に他国の人間を容認してはならず、前回、対馬島主に送った模糊とした回答文書は回収し、新しい答書を作成して送るべきだと懇々と建議した。
   国王の粛宗は強い批判の世論に当惑し、南九萬の建議を採択し、南九萬を領議政(総理格)に任命し、前回の回答文書は取り消して回収し、新しい回答文書を作成して対馬島へ送るよう命令した。ー引用ー

@@@   朝鮮は「芝峰類説」書籍を重要視してますねえ   その中にに磯竹島を近頃倭人が占拠しておると書かれておるのですね   1614年の書籍ですよ、ここで問題になるのは、倭人による占拠を朝鮮国は、1614年頃許しております、それと「磯竹島」の固有名詞が出てきておりますね、

芝峰類説1614

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/21 19:56 投稿番号: [8485 / 9207]
芝峰類説記事を以て一島二名の証とされるが、同書には近ごろ倭人磯竹島を占拠するの語がある。
他人の占拠を知って之を許し、他人の往漁するを知って之を許すというのは、則ち八十年来、貴国自ら彼島を棄てて他人の有たらしめたものである。

竹島一件 幕府・対馬と朝鮮のやりとり

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/21 17:11 投稿番号: [8484 / 9207]
http://toron.pepper.jp/jp/take/ahn/ikken.html
欝陵島をめぐっての幕府・対馬と朝鮮のやりとり「竹島一件」
この書契では、鬱陵島を空島としている事は認めたが、時時交差を遣わして往来捜検しており、本島の地理的物産等は、輿地勝覧に乗せて、全て明らかであると主張している。
多田与左衛門の反駁 1695年6月10日、東莱府使に書を致し1694年(元禄七年・粛宗20年)の礼曹書契の事実に相違している点4箇条を列挙して朝鮮政府の不信を詰問した。
第一条、朝鮮側は鬱陵島には定期的に官吏を派遣していると言うが、鳥取や出雲の漁民達は、ここ81年来、貴国の官吏と遭遇した事はないが、何故か? 朝鮮からの返答
1695年6月12日に朝鮮政府から回答があった

第一点の説明に対して、「公差を遣わして往来捜検せしむるの事は、我が国の輿地勝覧に....々官人を島中に遣わすの事を記し、且つ....貴州の総兵衛と称号する人、訳官朴再興に謂ひて曰く、輿地勝覧を以て之を覧れば、鬱陵島は果たして貴国の地なりと」と述べ、さらに
「近間、公差の常に往来せず、漁氓の遠入を禁ぜしは蓋し海路の険多きが為なり」と説明している。

多田与左衛門のさらなる反駁
200年前の輿地勝覧を以て正否を論ずるのは誤りだと指摘して、
彼の島の本邦に属するのは80年来の事であり、我が国辺民が年年竹島に往漁するも未だ曾て貴国の公差と彼島に於て相逢わず、芝峰類説記事を以て一島二名の証とされるが、同書には近ごろ倭人磯竹島を占拠するの語がある。
他人の占拠を知って之を許し、他人の往漁するを知って之を許すというのは、則ち八十年来、貴国自ら彼島を棄てて他人の有たらしめたものである。
往時は、かくの如き有様であるのに、今我民の彼島に往漁するのは犯越侵渉となすのは思わざるの甚だしきものなり。
と論ずるとともに、初度の答書は誤りであったとの朝鮮側の弁明について、
この第二次の回答書契を巡って、交渉は事実上の決裂状態となった。

朝鮮側は、すこぶる動揺して
「壬辰の変(文禄の役)、日ならずして将におこらん」
として再度の日本の出兵の再発を憂慮したと伝えている。
小論派の強硬策、交渉決裂という最悪の事態を招いたわけである

ばかばかしいページ見つけました。

投稿者: yama_odyssey 投稿日時: 2007/06/21 13:03 投稿番号: [8483 / 9207]
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=080000&biid=2002081440178
  社説だって。厚顔無恥もはなはだしい。国際裁判から逃げているのはどちらか知らないらしいね。日本ももう一度裁判の場に出ろと韓国に言ってみたらいいのに。どうせ又逃げるだろうけどね。
  早くしないと実効支配という名の元の占領のに負けてしまうかも??

申景濬『疆界考』『東国文献備考』と松島

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/20 13:48 投稿番号: [8482 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/hm107.html#No.785
半月城通信

申景濬は『輿地
志』の解釈として于山島は日本の松島であり、于山国に属するとして『疆界考』1756年や『東国文献備考』1770年を記述しました。ー引用ー

@@@   申景濬は1770年の時点で   つまり1696年竹島一件から74年も経過しておりながら、『輿地志』にも言われている様に松島は于山島で朝鮮領であると主張しておりますね   この事は竹島一件の時に、松島を朝鮮領にしてはおらなかったと解釈できます   竹島一件では松島は朝鮮にとって問題外だったようです   そして朝鮮政府は、申景濬が日本による松島は朝鮮の于山だと叫んでおるのに無視しております   この時   朝鮮政府は日本に対し、松島に関してはなんら抗議しておりません   これは松島を日本領と認識していたのですね、

幕府は、松島放棄宣言していませんね

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/18 18:07 投稿番号: [8481 / 9207]
http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=6664     民団
 
外務省は「竹島一件」を韓日間の漁業交渉としているが、実は、これは竹島(欝陵島)をめぐる朝鮮王朝と日本との領有権交渉であった。領有権論争に敗れた江戸幕府は、日本人の竹島への渡航を禁止したのである。その際、幕府はたしかに松島(独島)への渡航を禁じなかった。といっても、幕府は同島を日本領と考えていたわけではない。それどころか、当時、江戸幕府は松島の存在自体をほとんど知らなかったのである。
実際「竹島一件」の時、幕府は実情把握のため鳥取藩に「竹島の他に両国へ付属する島はあるか」との質問書を出したほどであった。文中の両国とは鳥取藩が支配する因幡国・伯耆国を指す。幕府は異例の渡海申請があった竹島を知ってはいても、松島をほとんど知らなかったのである。ー引用ー

@@@   幕府は約80年ほど欝陵島を単独実行支配しました、松島は70年ほどだろうか「竹島一件」では竹島を渡海禁止はしたが、朝鮮に返還したのでは無い、それはこの島を朝鮮から奪ったものでないからです、朝鮮が空島政策で島の管理を放棄していたからですね、数百年間無人島だったのですよ、そして竹島一件では朝鮮はなぜか「松島」には無関心でしたねえ話題にすら出してません、   で   幕府もそれで松島名を出す必要もなかったのです、幕府側の竹島渡海禁止だけで話はついたのです、ここでは幕府は松島放棄宣言していません、だから松島は以前として、前の状態つまり日韓交渉前の日本領にもどっただけです、しかし民団が指摘するように藩主はいないが、これは幕府の物になりますねえ、鳥取藩もそうみていたからですよ   幕府は松島を70年間実行支配してきたのですからねええ   当然でしょう。
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