http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.651
もう一度『隠州視聴合紀』を見てみましょう。同書の書き方は、
隠州から南へ行くと雲州、東南へ行くと伯州、西南へ行くと石州、北や東は住
むべき土地がない、北西へ行くと松島、竹島があるという書き方になっていま
す。すなわち、隠州の東西南北は隠州でないので、松島、竹島も隠州ではない
という認識です。
話は飛びますが、両島が隠州に属さないということでは日本、韓国政府と
もに見解が一致しているようです。それだからこそ、日本の北西の限りである
「此州」を隠州と読むのか(韓国側)、この島と読むのか(日本側)という論
争が生まれ両国で未解決になっています。松島、竹島が隠州に含まれるのなら、
このような論争はありえません。
したがって松島、竹島が「これ(隠岐国)に属する」という認識は『大日
本史』に書かれているように、隠岐古記や隠岐紀行から生まれたと見るべきで
す。『大日本史』はそれらの史料から「松島、竹島を我が版図と為す」「これ
(隠州)に属する」という認識をもったと思われます。
他方「我が版図」になったいきさつに関しては「智者を待つが知れない」
と『大日本史』は記しました。同書は、幕府のだした竹島(鬱陵島)渡海免許
を知らなかったようです。さらには竹島を放棄した幕府の命令も知らなかった
ようです。地方人が書いた史書なのでやむを得ません。
結論をいえば『隠州視聴合紀』からは、隠州に属さない松島、竹島が「我
が版図」であるという認識は生まれなかったといえます。したがって『隠州視
聴合記』の解釈に関するかぎり韓国政府の主張に分がありそうです。
さりながら、同書における松島、竹島の領有意識がどうあれ、徳川幕府が
「竹島一件」で竹島(鬱陵島)を放棄した事実が重要なのであり、それ以前の
『隠州視聴合紀』の解釈はさして重要ではないと私は考えています。竹島放棄
により「松島、竹島は我が版図」という構図が崩壊したことが重要なのです。ー引用ー
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半月城氏はいろいろ物知りですね、なにかと知識の無いわしには勉強に成ります、半月城通信の材料中に何か不審点は無いか、これから検討したいと思っておるのだが、そうなると
氏にとって、わしは、めざわりでしょうかねええ、