愼𨉷廈教授の獨島百問百答
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/28 12:31 投稿番号: [8496 / 9207]
Q23.(『隠州視聴合記』)
そうなら、日本側で日本の古文献で「獨島」が最初に現れたのはいつから
であり、その内容はどうなっているか?
A.日本政府が 1960年 韓国政府に送った外交文書によれば、1667年に編纂さ
れた『隠州視聴合記』という報告書が日本で初出の古文書である。
日本政府外務省の説明によれば、この本は出雲の官吏(藩士)齋藤豊仙が
藩主(大名、封建領主)の命を受け 1667年(日本の寛文7年)秋に隠岐島
(隠州)を巡視しながら受けた報告を記録し、報告書として作成し奉じたもの
である。
この本において初めて獨島を「松島」、鬱陵島を「竹島」と呼称し言及し
たという。その記録内容は下記のとおりである。
「隠州(隠岐島)は北海のなかにある。ゆえに隠岐島という。・・・戍亥間
(西北方向)に二日一夜行くと松島がある。また一日の距離に竹島がある。
“俗に磯竹島というが、竹や魚、アシカが多い。神書にいういわゆる五十猛
(いたける)か”
二島(松島と竹島)は無人島だが、高麗を見るにちょうど
雲州(出雲国)から隠岐島をみるごとくである。しかるに日本の西北(乾)の
境界はこの州(隠州:隠岐島)をその限り(限界)とする」
しかし、うえの記録を詳細に検討してみれば、この報告書は航海距離の日
数をとおして「獨島」を「松島」、「鬱陵島」を「竹島」と呼称し、「獨島」
を日本で初めて記録しながら「獨島」と「鬱陵島」がみな朝鮮領であり、日本
領でないことを明白に記録している。
コメント:原文で「然則日本之乾地 以此州為限矣」とある「此州」を韓国で
は「隠州」と解釈しましたが、日本政府は「州」を「シマ」と読んで、松島・
竹島を日本の限界としました。この日本政府の解釈が無理であることは『大日
本史』からうかがえます。その詳細は下記に記したとおりです。したがって韓
国政府の解釈が妥当です。
<大日本史1>
<大日本史2>
<『隠州視聴合記』の読み方>
@@ 神書にいういわゆる五十猛(いたける)か?
これは メッセージ 8495 (ninnikumanx さん)への返信です.
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