Re: 郡代はそんな危険はおかしませんよ
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/06/29 23:04 投稿番号: [8505 / 9207]
ninnikumanx さん
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当然郡代には磯竹島が幕府直轄領の認識は強くあったでしょう、
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そうでしょうか?
当時は鳥取藩の商人が幕府のお墨付きによって竹島への渡海事業を独占的に行なっていた訳ですが、それが必ずしも「竹島が幕府直轄領」という認識につながるとは思いません。
例えば、竹島渡海免許と呼ばれるものは、以下のような文章ですが、ここから「竹島が幕府直轄領」という意味は汲み取れません。
> 従伯耆国米子竹島江先年船相渡之由に候
> 然者如其今度致渡海之段米子町人村川市兵衛
> 大屋(大谷)甚吉申上付而達上聞候之処
> 不可有異儀之旨被仰出候間被得其意渡海之儀
> 可被仰付候
恐々謹言
(wikipedia「竹島一件」の項より)
また、後の竹島一件において、幕府の老中阿部豊後守正武が鳥取藩に対し「因州・伯州江付候竹島は、いつ頃両国江付属候哉」と尋ねていますから、少なくともその時点の幕府の側に竹島が幕府の直轄領だという認識が無かったことは間違いありません。
隠州視聴合紀の作者が竹島を幕府直轄領と認識していたとする根拠について何かご存知ならば、詳しく教えてください。
あと、重箱の隅つつきになりますが、
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幕府は鳥取藩が幕府に対し謀反ありと思い、鳥取藩御取り潰しにしたでしょう
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「鳥取藩」というのは「出雲藩」の書き間違いでしょうか?
これは メッセージ 8502 (ninnikumanx さん)への返信です.
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