★「竹島」は日本固有の領土です

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なぜ竹島?

投稿者: wwwwsasagyogozuga 投稿日時: 2005/08/03 11:35 投稿番号: [5561 / 9207]
韓国では竹島のことを独島と呼んでいますがその意味を独り島と言う意味だそうです。でも日本はなぜ竹島と呼ぶのか?
竹さんが発見したから?竹が生えていたから?誰か知っている人がいれば教えて下さい。

朝鮮人のホラ吹きは、民族性ですかね?

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/08/03 09:48 投稿番号: [5560 / 9207]
変わらないですねー。↓

http://hiroko111.accela.jp/kimuchi.html



『マンガ嫌韓流』 絶賛売切れ、入荷待ち

投稿者: greentea2003h15 投稿日時: 2005/08/03 08:00 投稿番号: [5559 / 9207]
  話題の問題作『マンガ嫌韓流』、アマゾン、楽天で売切れ。.


  ↓表紙、目次、ストーリーをご覧になれます。

マンガ嫌韓流   好評発売中
http://www.shinyusha.co.jp/~kenkanryu/


アマゾン・・・品切れで発送は入荷待ち。ユーズド商品が出品されています。レビューを書きましょう。
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【楽天ブックス】【予約】 マンガ 嫌韓流:山野車輪・・・売り切れ、書評あり
http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=179 2660&PAGE_NO=1

ヤフーオークション・・・入荷を待てない、という方はこちらでも入手可
http://search.auctions.yahoo.co.jp/jp/


マンガ「嫌韓流」でプロ市民活動中
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a5dea5sa5ac7y4znaehafgda2a1&sid=1835396&mid=106

酔夢ing Voice   - 西村幸祐 -: 「マンガ嫌韓流」を読む。
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/5291096.html

マンガ「嫌韓流」発売   〜この漫画の持つ意義〜
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/29055814.html

FAR EAST-極東- ・・・作者のHP
http://propellant.fc2web.com/


韓国の新聞・中央日報(日本語版)のサイトで記事に。
コメント5000件を超える。

韓国けなす漫画、日本アマゾンで前売りトップに
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65713&servcode=200§code=200



◆日韓関係 必読の入門リンク
http://www.geocities.jp/yatagarassu/moudamattehairarenai1.htm
http://www12.tok2.com/home/doronpa/ ビデオ、活字付き
http://posting.hp.infoseek.co.jp

ウソツキもウリナラ起源かぁ

投稿者: karry9t 投稿日時: 2005/08/03 05:20 投稿番号: [5558 / 9207]
マスコミ(特に朝日系)がいちいち韓国名は独島〜ドクト〜と紹介するところが腹立ちません?在日の人に気を使っているのか知らないけど・・・。

「日本海」については、お話にもなりませんね。日本列島が無かったら、そこはただの太平洋であり「東海」なんかじゃないし。

西村先生早く竹島に言ってきてくれないかなあ〜。

安龍福の言葉が「歴史的証拠」に成った

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/08/02 17:21 投稿番号: [5557 / 9207]
引用:
実は元禄6(1693)年4月に連れ去られた韓人の一人、安龍福が絡んでいる。安龍福は朝鮮に戻されてから、禁じられていた鬱陵島渡海の罪を逃れようと、対馬藩主に鬱陵島と于山島を朝鮮領として認めさせたという、でっち上げの証言をする。
その中で安龍福は、鬱陵島で漁をしていた「倭人ども」が松
島から来たというので、「松島は于山島だ。これも我が朝鮮の 地だ」と言い、さらに松島、すなわち于山島に出向いて「倭人たち」を追い出したという証言をしている。実際には安龍福は日本に連行されただけで、于山島にも松島(現在の竹島)にも 行っていない事が日本側の記録で明らかになっている。

このほら吹き漁師の言葉が朝鮮の史書に残され、竹島が于山 島で古来からの朝鮮の領土だったという「歴史的証拠」とされたのである。いまや鬱陵島では「安龍福将軍」として記念碑が 建てられ、記念館では「将軍」が日本人を追い払う姿がジオラマで展示されている、という。

おきの:
安龍福は、鬱陵島で漁をしていた「倭人ども」が松
島から来たというので、「松島は于山島だ。これも我が朝鮮の 地だ」と言い,,,
つまり安は『松島』という言葉を倭人からこの時初めて聞き,その島を確認もしないでその場で即座にリアルタイムにその松島は朝鮮の于山島だといっている,島を確認してから云えば説得力もあるが,実にいいかげんである   だから安は適当にでまかせで,かまかけて云ったのでしょう,

無人島発見1643,松島への渡航許可1656

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/08/01 16:21 投稿番号: [5556 / 9207]
引用:
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.690

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/5occupation.html

松島への渡航許可   in 1656

于山島が竹島ではないことは先に説明しました。それは即ち、韓国が近年におけるまで竹島を知らなかった事を意味する。つまり、韓国は竹島に対して実効支配をしていないのである。最初に竹島を実効支配したのは日本である。いつ竹島を発見したかは定かではないが、幕府は松島(現・竹島)への渡航許可を1656年に出しているので、少なくともそれ以前に竹島(旧・松島)は日本人の経営支配下に入っていたことを意味する。
おきの:
1643年無人島発見,その後松島と命名
1656年 松島への渡航許可
1656年、柳馨遠「輿地志完成
1656年以前から松島の名は朝鮮政府で認識されていたと半月城氏は述べているが,日本で松島の名がついたのは1643ねん過ぎである,そんなに早く他国が知る訳無いだろうが,柳馨遠は松島なんか知らなかったはずなのだ,だから輿地志に「于山はすなわち倭がいうところの松島である」なんて書ける訳ないだろう,

半島の海の彼方にある日本は下の下か

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/08/01 14:51 投稿番号: [5555 / 9207]
http://www.gyouseinews.com/storehouse/feb2002/001.html

もともと朝鮮半島には、北(北京に近い地域)のほうが文化的、歴史的であり上質といった差別 意識が存在している。韓国の南岸は程度が低く、済州島はさらに低俗であり、その海の彼方にある日本など下の下だという差別 感情が長年にわたって存在した。それが明治維新以降逆転し、戦前には日本の統治下に置かれ、戦後の経済成長期には完全に日本に圧倒されていた韓国の民にしてみれば、最近のさまざまな情勢はまさに歓迎すべきものなのだろう。
おきの:
確かに半島は地震も台風も無い地域です,
その矢面に立たされているのが日本だ,地震台風火山,その自然環境はてきびしい,そうゆう面から見れば日本は下の下なんだろう,反面海に囲まれ強国から干渉されずにすんだためユニークな文化が生じた,
天変地異の日本がいいか強国の干渉受ける半島がいいかの選択なら,わしは日本をえらぶよ,それが下の下でもな,

何が何でも竹島に居座る韓国の本音

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/08/01 02:08 投稿番号: [5554 / 9207]
http://www.gyouseinews.com/international/apr2005/001.html

韓国はなぜ、これほど強引に「竹島韓国領の既成事実化」を目論んでいるのだろうか。

  その理由を探るために、日本海の海底に眼を向けてみよう。

●「メタンハイドレードを日本に渡すな!」
何が何でも竹島に居座る韓国の本音
  日本海の海底には、約百年分といわれる夢の天然ガスがある。海深く、メタンガスのシャーベットが眠っているのだ。

「メタンハイドレード」をご存じだろうか。「燃える氷」と表現されるこの物質、メタンと水分子からなるガス水和物の一種である……簡単に言えば、メタンガスの氷だ。

  日本近海に存在するメタンハイドレード層のうち、将来資源開発が可能とみられるメタンの総量は7兆4千億立方メートルとも言われている。これは国内の天然ガス消費量の約100年〜140年分にも及ぶ。その価値、推定60兆円である。

  大陸棚から水深1千メートル以下の海底へとつながる海底斜面内の、地下6百〜8百メートルに集中するメタンガス層の上部境目に、このメタンハイドレードが多量に存在する。

  学術的な説明を省いて簡単に話を進める。メタンハイドレードが初めて発見されたのは1960年代、シベリアの凍土層であった。1970年代に至ると、海底において大量に存在する可能性が予測された。日本はまず奥尻島周辺で調査したところ、見事にメタンハイドレードを確認。さらに秋田県男鹿半島沖でもその存在を確認した。

  だがそれ以後、日本海側は調査されていない。男鹿半島沖をさらに南下して調査するのをやめ、代わりに太平洋側(静岡県御前崎沖)で海上試錐掘を実施するようになったのだ。

  なぜわが国は、日本海側を南下しての調査を行わなかったのか……。試験採掘にあたって韓国と揉めるのを忌避したからである。

「竹島の排他的経済水域内では、石油などの海底資源は特に見つかっていない」という主張がある。だが正確には「ほとんど調査していない」のだ。ただでさえ漁業権問題で揉める竹島周辺である。日本側が自由に海底資源の実地調査などできるはずがないではないか。

  そのため現在、日本近海のメタンハイドレードは「太平洋側にある」のが常識になっている。だが日本海を見れば、むしろこちらの方が有望であることがわかる。日本海の最深部は北東部にあり、水深は約3,700m。極めて深い海溝は日本の海域だけに存在し、朝鮮半島〜中国側に行くほどに浅い海底が広がる。竹島の位置も含め、日本海はメタンハイドレードが存在する絶好の条件を備えているのだ。

  では採掘・抽出および実用化に向けての技術的な問題はどうか。韓国はメタンハイドレードを実用化する技術はまったくない。ただでさえ採掘・精製にエネルギーを使いすぎるきらいのある海洋天然ガスである。1立方メートルのメタンハイドレードを分解すると0.8立方メートルの水と、172立方メートルのメタンガスが得られはする。だがこれを実際に安全に抽出し、実用化するのは決して容易ではない。一歩間違えれば海底に眠る大量の(最大で7兆4千億立方メートル規模の)固体メタンガスが、一気に気化する可能性すらないわけではない。日本海プレートの均衡が崩れ、大きな地震を呼び起こす可能性もある。そして未曾有の大津波等の大惨事が発生し、地球温暖化は致命的に進行する。メタンガスは二酸化炭素よりはるかに多くの熱をため込むのだ。

  こうした話が荒唐無稽と思う方は「福岡県西方沖地震」を思い出していただきたい。つい先頃まで福岡は「岩盤が非常に固いので、絶対に地震は起きない」と言われていたではないか。その福岡を大地震が襲った……「本来なら起きないはずの」福岡県西方沖地震を発生させるプレートを刺激したのは、実は中国が東シナ海で行っている海底油田採掘ではないか、と言われているのだ。

  メタンハイドレード実用化への道は困難が横たわっている。その技術の最先端にあるのが、茨城県つくば市にある独立行政法人・産業技術総合研究所(産総研)である。

  実用化技術では日本に大きくリードされた韓国。日本に頼らなければ韓国にとってメタンハイドレードは絵に描いた餅である。このまま「独島」(竹島の韓国側呼称)までも日本に取られたら、韓国には何のアドバンテージもなくなる。「南北統一」後は北朝鮮側のエネルギーまでも負担しなければならなくなるというのに、100年分を優に超える天然ガス資源を目の前に、日本に対し何一つ主張することができなくなる。

  従って国際法上どれほど非常識であろうと、隣国の国民感情を逆撫でしようと、韓国は竹島に居座る……何が何でも実効支配するしかないのだ。

竹島が崩壊の危機,施設が一緒に崩落する

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/31 21:32 投稿番号: [5553 / 9207]
引用:
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1120232113/

【日韓】竹島が崩壊の危機。独島警備隊施設が一緒に崩落する危険性も指摘 [07/02] 1 :犇@犇φ ★ :2005/07/02(土) 00:35:13 ID:??? ?

「独島の東島の亀裂は知られているよりも多い。東島の中でも地盤が特に弱い東南側に、
独島警備隊の作戦施設である対空砲火と警戒所など各種施設物が集中的に設置されて
いる。独島は自分の体力と体格に比べて過度な『難開発』を経験して一層疲労している。
崩壊の可能性も島のあちこちで発見される。」

韓国地質資源研究院と韓国地盤工学会の専門家7人で構成された「独島調査チーム」が
先月30日に独島周辺を肉眼観察した結果だ。記者とともに独島入島のため鬱陵島に入り
風浪が収まるのを待って三日間になるこの日、残念ながら調査チームを乗せた船は独島
の接岸に失敗した。やむをえず調査チームは荒れた海の高波に揺られながら船から独島
の1次肉眼観測をすることで満足せねばならなかった。

調査チームは、独島が自分の体力よりもずっと重い荷物を乗せているとの暫定結論を下し
た。崩壊の危険がある地域もあちこちで発見されて、精密診断が必要な実情だった。

一番問題になる所は、東島の東側と南側だ。日本を狙って島の東側と南側の頂上付近に
独島警備隊警戒所と幕舎、警備隊作戦施設である対空砲火、ヘリポート、独島燈台など
が集中的に配置されている。こうした施設物のすぐ下で、東島の亀裂が進行している。

金覆轍韓国地質資源研究員の金ボクチョル博士は、「460万年前の火山の爆発で独島が
形成され始め、何回かマグマが噴出して冷える過程を繰り返したため、亀裂があちこちに
ある可能性はあるが、亀裂自体は自然な現象だ」と説明した。

しかし金博士は、「特に独島の亀裂が多い部分に施設物が集中されているために亀裂を
加速させている可能性があり、ひどければ亀裂部分の崩壊と一緒に施設物の崩壊に繋が
る可能性もある」と見通しを述べた。

東島の一部斜面は風化作用によって初めから山崩れのように崩れ落ちる可能性も提起さ
れた。韓国地質資源研究院の蔡ビョンゴン博士は、「独島燈台が設置された所の斜面下
で斜線形態の亀裂が観測されており、地質構成要素に差があるから雨風で燈台を支えて
いる部分が徐々に崩れ落ちる可能性もある」と説明した。

また蔡博士は、「東南側から東島を正面に見て左に傾いた断層上端部の場合、逆三角形
部分の地質が特に柔らかくなるから、早く風化が進行している」と付け加えた。

調査チームのうち5人は1日に鬱陵島を経由して本土に帰ったが、2人が残って独島入島を
やり直す。調査チームは1年間30回以上独島を訪れて表はもちろん隅々まで精密診断し、
独島の今後の開発と一般人観光継続許容の可否などに関する報告書を海洋水産省など
に提出する。

▽ソース:ソウル新聞(韓国語)<独島の亀裂、もっとある>



533 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´   )さん :2005/07/20(水) 01:51:25 ID:fWJzgCFZ
考えてみれば、彼らの建築技術は未熟だから、
ろくに土台の地質も調査せず、手抜き工事をして安く建てたのだろうからな。
結局、某商業ビルとかと同じく崩壊してしまうでしょうねぇ。

せっかく2島あるんだったら仲良く二つに分けるって発想できないのかねぇ?
ワガママな行動するのはいいけど、結局尻ぬぐいするのはいつも外国…。
所詮、祖国統一もできない半人前の国家だけに、今度からこう呼びましょう!

「半日」とね。反日に固まるあまり実は憧日になってるけど結局半分しか真似できないから。

おきの:
はよう海底地震 こんかのう
震度6で竹島壊滅じゃ

サイパンや沖縄の玉砕死は国内問題だ。

投稿者: bady17jp 投稿日時: 2005/07/31 21:21 投稿番号: [5552 / 9207]
小泉はお国の為に辞職しろ。

ガス田は国境線だ。小泉は大陸棚説を認めるのか?
『竹島も不法占拠ではありません。』なに総理の記録に残してる。もうお前は乱心してる。

だいたい遺族会は8月15日に参拝するという公約だけで、小泉を総裁にした。その小泉は日本社会は完全に構造欠陥にしたのだ。   景気も、テクニックでは上がれませんでした。   いまや小泉は大借金大王です。

郵政新事業なんて成功するかよ。新事事業案みたのか?    書き直せ、その新事業案をよ。竹中はファミリーマートとDHLで修行して来い。佐川でもアルバイトして来い。

この5年で日本は構造欠陥になり、国力衰退はもう戻らない。

フリーターは一生、経済難フリーターで子供も産めない。そんな若者が300万人もいるのか?

痛みに耐えてみんな死ね、この遺族会の認知症め。

しかし靖国は国連に恨みたらたら。
<日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、無惨にも生命をたたれた1068人の方々…靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしています

http://www.yasukuni.or.jp/
Moreover, there were those who gave up their lives after the end of the Great East Asian War, taking upon themselves the responsibility for the war. There were also 1,068 "Martyrs of Showa" who were cruelly and unjustly tried as war criminals by a sham-like tribunal of the Allied forces (United States, England, the Netherlands, China and others). These martyrs are also the Kami of Yasukuni Jinja

自衛隊は、竹島上陸せよ!

投稿者: konkouono 投稿日時: 2005/07/31 19:32 投稿番号: [5551 / 9207]
竹島が、日本の領土だった場合、なにか、僕たちにメリットあるの?

漁師以外の人に関係あるのかな。
韓国の人に、魚とって輸出してもらったほうが、安くつかない。

日本政府は、韓国の盟友、金正日のした
拉致を、長く放置しているんですよね。
戦争してでも、国民を守るのが、国家でしょ、
利権だけ、独裁国家と組んで守るんじゃ、
政府としての、価値ないじゃん。

竹島も、国連常任理事国問題も、
単に、税金泥棒国家の口実ですよ。

本気で、竹島問題を考えるなら、
即、自衛隊の竹島上陸ですよ。

于山はすなわち倭がいうところの松島である

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/31 17:33 投稿番号: [5550 / 9207]
引用:
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.690


4.1656年、柳馨遠「輿地志」

  ここでは(4)の
「輿地志」を取りあげます。これは私的な史料なので、本来なら取りあげる価
値はありません。領有論争には公的な史料のみが重要です。
   しかしながら「輿地志」は官撰史料『東国文献備考』(1770)にその一部が
引用されたので決して無視できない史料です。「輿地志」自体は現在伝わりま
せんが、于山島に関する「輿地志」の記述は「東国文献備考」に下記のように
引用されました。

  「成宗二年、別に三峯島について告げる者がいた。そこで政府は朴元宗を見
に行かせた。しかし、風濤が荒かったため到達できずに帰ったが同行の一船だ
けが鬱陵島に泊まり、大竹や大きいアワビを取った。島には居民はいないとい
う。<輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がい
うところの松島である>」

  <   >内は小さな字体で書かれた部分ですが、これにより1656年以前からす
でに下記の認識が朝鮮政府で主流だったことがわかります。
  于山国=鬱陵島 + 于山島、朝鮮領
  于山島=倭がいう松島

おきの:
1643年無人島発見,松島と命名
1656年、柳馨遠「輿地志完成
1656年以前から松島の名は朝鮮政府で認識されていたと半月城氏は述べているが,日本で松島の名がついたのは1643ねん過ぎである,そんなに早く他国が知る訳無いだろうが,柳馨遠は松島なんか知らなかったはずなのだ,だから輿地志に「于山はすなわち倭がいうところの松島である」なんて書ける訳ないだろう,

「独島は日本の領土」毎年 口上書を発送

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/31 14:44 投稿番号: [5549 / 9207]
引用:
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1111619795

名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/24(木) 19:44:08 ID:fwGUryoJ
・海上保安庁が年一回、竹島近海を“侵犯”
・竹島領有の口上書を韓国に発送。
それにより、韓国の竹島「占有」期間は今だ0年である。

「「独島は日本の領土」毎年   口上書を発送」
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/21/20050321000051.html
ハンナラ党の鄭文憲(チョン・ムンホン)議員は21日、日本政府が毎年3月には独島(トクド)
に対する領有権を主張する口上書(Verbal Note)を韓国政府宛てに送っていると明らかにした。
鄭議員によると、この口上書は「在大韓民国・日本国大使館は大韓民国外交部に対し、
竹島(独島の日本式名称)が歴史的にも、法的にも日本固有の領土ということを明らかにする。
大韓民国は竹島に対する不法な領有を中断することを要請する」という二つの文章からなる。
韓国政府はこれを文書台帳に記録・保管している。また、これに反論する韓国側の
外交文書を毎年発送している。

竹島(独島)という領土問題の対立点および判断する道筋と、「実行支配」
http://toron.pepper.jp/jp/take/law/michi.html
なお、実効的支配を認めるには「平和的、継続的」であるかどうかである。
日本政府が領有権の抗議をしているので、現在の韓国による竹島占有は実効的支配の証拠とはならない。

国際社会は、既成事実による紛争解決を断固拒否している
http://toron.pepper.jp/jp/take/law/housaku.html
このような原則の確認・証拠の検討を通じ、国際法的に竹島が明瞭に日本の固有の領土であり、たとえ今後韓国
が現在のような支配を継続したとしても、それは「紛争の存在が明らかになった時点で当事国が自己の立場を
有利にするために行った行為」であり、決して領有権は韓国に移らないと言えます。

「時効取得」は、国際的に領土を取得する場合にあり得る1つの方法に過ぎず、国際法学者の多くに受け入れら
れたものでないうえ、いわゆる「時効取得」の原則に基づいて判決の下りた国際判例もない。ましてや「時効」
自体に、「連続的に、妨害を受けることなく」国家権力を行使するという基本的原則がある。
http://www.pekinshuho.com/04-15/15-diaoyudao.htm

申景濬はサギ師,東国文献備考1770年改ざん

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/31 13:33 投稿番号: [5548 / 9207]
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/kaizan.html

安龍福の名前が出てきた最初が1693年となっている。
1696年に安龍福は再来している。そのときの記録が編年史『肅宗実録』に載り、安龍福の証言は1770年に官撰の『東国文献備考』に「于山島は倭の所謂松島(今日の竹島)なり」と載せられた。

時代が過ぎて明治維新後、『東国文献備考』は改訂され『増補文献備考』が編まれ、その註に「于山島は倭の所謂松島(今日の竹島)なり」と書かれている。

これは安龍福の証言から七、八十年後に書かれたもので、于山島を竹島とする文献は安龍福の証言以前にはない。

『東国文献備考』を根拠に、『東国輿地勝覧』と『世宗実録地理誌』の中に于山島という島の名前を見つけ、これを獨島だと主張している。

『東国輿地勝覧』には「歴々見える」というのは半島から鬱陵島がみえるのが本筋であり、鬱陵島から「歴々見える」というのは竹島ではない。
申景濬は、古地図や文献に于山島や鬱陵島が描かれていることを理由にして、「輿地志」の字句を改めて、于山島と鬱陵島を別々の島=二島と按じている。

「さらに申景濬は、安龍福の供述である「于山は則ち倭の所謂松島なり」と言う語句を、まるで「輿地志」の説であるかのように挿入して、于山島を松島(=現在の竹島(独島))と臆断して、それを于山国に入れている!!」

韓国政府が竹島の領有権を主張する根拠とした『東国文献備考』の文註は、こうして改竄されたものであったのだ。

『承政院日記』の英祖四十六年(1770年)閏五月二日条には、
『東国文献備考』の上箋文を書いた金致仁は、その編纂過程をについて、
「(申)景濬草創して、(洪)啓禧   潤色す」と述べている。

「輿地考」は申景濬の『彊界考』を底本としているが、その編纂の過程では洪啓禧という人物の手が加わり、文章に潤色がなされたと言っているのである。

韓国のイカサマ国民運動は崩壊へ

投稿者: uyokujanaimon 投稿日時: 2005/07/31 02:47 投稿番号: [5547 / 9207]
外務省の調査に拍手!!

韓国には「科学的であること」という概念もなければ、「事実・史実に忠実であれ」という信条もモットーもない。剣道・柔道韓国起源説などカワイイもので、やはり歴史に残る最大のウソは「東海」と「独島」をめぐる愚かな主張であろう。これらはまさに、韓国人の国民虚言運動であり国家的奇行愚行だ。

世界中どこを見渡しても、韓国ほど愚かなことを国家ぐるみでやっている国はどこにもない。

外務省は、さらに竹島についても、韓国の主張のイカサマ性、不法占拠の不当性、日本の領土としての正当性を、もっと強力に世界にむかって訴えていくべきだ。


■   ■   ■

「米議会図書館所蔵の地図に関する調査」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/usa/honbun.html

(一部分だけ、引用)

(2)結論

  調査結果は、以下のとおりである。

(イ)1300年から1900年の間に発行された地図・地図帳のうち、日本海海域を示しているものは総計1730枚あった。それらのうちの同海域に何らかの呼称を記載している地図は1435枚あり、これらの地図の77.4%に当たる1110枚の地図が「日本海」という表記を用いていた。

(ロ)これら1435枚の地図・地図帳のうち、日本海海域を「朝鮮海」と記載したものは188枚(13.1%)、「中国海」が22枚(全体の1.5%)、「東洋海」が20枚(全体の1.4%)であり、「東海」と記載された地図はわずか2枚(0.1%)にすぎなかった。

(ハ)呼称が並記された地図のうち、日本海と朝鮮海が並記された地図は14枚(0.9%)、「日本海・東洋海」は7枚(0.5%)、「東海・朝鮮海」は4枚(0.3%)、「日本海・中国海」は1枚(0.07%)であった。また、上記いずれの呼称にも当てはまらない地図は8枚(0.6%)であった。

(ニ)地図・地図帳の発行年代に着目してみると、18世紀までに発行された世界各国の地図は、日本海海域の名称として「日本海」、「東洋海」、「朝鮮海」等、様々な名称を用いていた。しかし、発行時期が19世紀になると、この時期に発行された地図・地図帳全体の82.4%にあたる1059枚が「日本海」との呼称を用いていた。特に、19世紀の中でも、日本が鎖国下であった時代(便宜的に1860年を境とした)に作成された地図563枚のうち、74%に当たる417枚において日本海という表記を用いていた。このことから、「日本海」という名称は、我が国が鎖国下にあって国際的影響力を行使できなかった19世紀から、ヨーロッパにおいて定着してきたものである」とする我が国の主張の妥当性が改めて確認された。

ウソツキは朝鮮人の始まり」はホントだった

投稿者: rubyfurash2 投稿日時: 2005/07/30 21:10 投稿番号: [5546 / 9207]
「日本海」19世紀には定着=呼称問題で韓国に反論ー外務省。

※「日本海」の呼称は植民地時代に定着した。もともと「東海」が正しい。こうした韓国の主張に反論する為、外務省は30日までに、米議会図書館所蔵の14−19世紀の地図を対象に行った調査結果をまとめた。
日本が鎖国していた19世紀には、欧米地図の8割超が「日本海」としていたことが分った。韓国の主張を否定する内容だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050730-00000013-jij-pol

そもそも、チョウセンは、シナの属国で、世界からすれば、“屁みたいな国”だった。

「海岸線の長い大国、日本」の名称になるのは当然の成り行き。

「ウソも100辺言えばホントになる」のチョウセン人の考えは、ダメダメ。笑い。

名も無き無人島だった松島, 1643年迄は

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/30 20:14 投稿番号: [5545 / 9207]
1643年大谷九右衛門,松島発見

松島(今の竹島)は米子−鬱陵島の航路上にあるが、ケシ粒のように連なっている岩で、その上、潮流の関係もあって同島が発見されたのは、初航海から二十五 年目の一六四三年二代目九右衛門勝実によってである。

おきの:
1643年無人島発見,松島と命名す,つまりですな,松島はう山島だとか,トクトだとか,ゴタク並べるのは1643年以降
の事です,だから韓国は1643
年以前のう山島を韓国が主張するう山島だと証明しなければならないのです,即ちつまり1643年以前は松島の名は無かったので松島の名を出さずに証明しなければならないのです,出来るかな韓国は,出来ないだろうなア

韓国は嫌われ者

投稿者: akuninnnohomare 投稿日時: 2005/07/29 17:35 投稿番号: [5544 / 9207]
>竹島は日本の領土です

当たり前〜

だから韓国はつまはじきに会うんだよ.

あげ

投稿者: greentea2003h15 投稿日時: 2005/07/27 06:56 投稿番号: [5543 / 9207]
ておきます。

あげ

投稿者: kanguriguriguri 投稿日時: 2005/07/23 23:20 投稿番号: [5542 / 9207]
あげ

小泉総理の竹島は不法占拠ではなかった。

投稿者: daihonnei1945 投稿日時: 2005/07/20 01:41 投稿番号: [5541 / 9207]
発言により、クーデターが勃発。首謀者は、今更書き換えられない教科書会社?.

あげ

投稿者: kanguriguriguri 投稿日時: 2005/07/20 01:35 投稿番号: [5540 / 9207]
あげ

無能な害務省

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/07/16 20:04 投稿番号: [5539 / 9207]
こんな馬鹿な外務省では、竹島が帰ってくるわけがない。↓
外務省は、害になる「害務省」だ。



竹島:外務省HPの位置   国土地理院地図と11キロズレ

竹島の地図   外務省のホームページに掲載されている竹島(島根県)の位置が国土地理院の地図と10キロ以上食い違っている。衛星写真などで位置を把握している国土地理院に対し、外務省は「過去の資料に基づいて決めた。地図と違っていることは知らなかった」と説明する。専門家からは「政府が『日本固有の領土』としている以上、国の機関同士で示す位置が違うのはまずいのでは」との声が上がっている。【篠原成行】

  竹島は1954年7月から、韓国が警備隊員を常駐させているため、現地での測量ができない。国土地理院は63年、海上保安庁が海上からの測量で作成した海図と、人工衛星から撮影した写真などから、竹島の位置をおよそ北緯37度14分30秒〜37度15分17秒、東経131度51分51秒〜131度52分31秒と定めた。2万5000分の1と5万分の1の地図に掲載。韓国の国立海洋調査院が定めた位置とほぼ一致している。

  だが、外務省はホームページで竹島の位置を北緯37度9分、東経131度55分と明記。国土地理院と比べ、南東方向に約11キロずれている。同省北東アジア課は「外務省職員だった故川上健三氏が著した『竹島の歴史地理学的研究』(66年発行)などの資料に従った。国土地理院の地図と食い違っていることは認識していなかった」と言う。

  地図製作会社「昭文社」(東京都千代田区)によると、この食い違いは業界ではよく知られており、「ほとんどの会社が国土地理院が正しいと判断し、それを採用している」と話す。

  小此木政夫・慶応大教授(韓国政治論)は「竹島を日本の国土と言っている限り、その根拠について疑問を抱かせるような状況は好ましくない。将来にわたる問題なので、韓国側に指摘される前に正しく訂正すべきだ」と指摘する。

  国土地理院は「位置が違うことはうわさで聞いていた。あやふやでいい問題ではないので、外務省に問い合わせたい」。外務省の担当者も「非常にナーバスな話なので、国土地理院に確認して必要であれば位置の記載を変えたい」と話している。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050716k0000e040067000c.html

安龍福(8)竹島の写真集

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 22:44 投稿番号: [5538 / 9207]
http://toron.pepper.jp/jp/take/photo-d.html

韓国側から見た「歴史上の鬱陵島」の項を読むと、この島は、古くは海賊が占領したり、流刑地に使用したりしたが、波浪高く着岸がむつかしいので、韓国は、李朝の初期から明治初年迄四百五十年の間空島政策をとり放置していた。

この空島にむかって、日本人は海路はるかに押し渡り、文禄の役后は百年間も出漁をつづけていたことが日本史に出ている。
大谷家では、元和四年から元禄九年迄七十八年の間、江戸幕府の許可を得て、堂々と竹島へ渡海し、良材を伐り出し、海鹿(アシカ)を捕獲し、鮑(アワビ)や其の他の漁採作業に従事した。

  其の間、渡海の中継地として松島へも立ち寄り、竹島同様に海鹿や鮑捕りをつづけたのである。

安龍福(7)1643年大谷九右衛門,松島発見

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 21:17 投稿番号: [5537 / 9207]
http://ww1.enjoy.ne.jp/~yonagosehara/asahi-sinnbunn.htm

松島(今の竹島)は米子−鬱陵島の航路上にあるが、ケシ粒のように連なっている岩で、その上、潮流の関係もあって同島が発見されたのは、初航海から二十五 年目の一六四三年二代目九右衛門勝実によってである。さいとまっぷ

つづらから出た古文書

(大谷家古文書)    其の二
昭和二十七年三月五日の事であった。
  大阪朝日新聞社社会部記者の寺尾宗冬氏(前年竹島へ渡海視察された方)が神戸須磨の拙宅に来られて、大谷古文書に目を通し、二時間程いろいろの質問をして帰られたが、早速、三月七日の朝刊神戸版に、「竹島に日本領の確証」という大見出しで写真入の記事が出たので驚いた。
これは、田中姉が知友の大朝(大阪と思う)新聞記者を通じ、寺尾記者に、竹島由緒の古文書が大谷の家にある事を話したからだった。

  次頁の写真(あまり明瞭に映らないので、本文を青字で別記)は其の時の新聞掲載のものである。

  これがまた古文書との取り組みの励みとなった。(新聞記事はここをクリック)

朝日新聞   昭和二十七年三月七日   金曜日
竹島に日本領の確証(詳しくは新聞をクリック)
  昭和二十九年十二月十七日、突然、外務省神戸出先機関の移民斡旋所長の入江氏が来訪され、竹島問題に関して、大谷古文書の調査をしに外務省の係官が来るので協力してほしいとの要請があった。

  年が明けて三十年一月十二日に、外務省事務官川上健三氏と入江氏が来られ、早速古文書をひろげて調べにはいられた。

  川上事務官は翌日も来られて、参考資料にする為しばらく借用したいと申し出られ、四十三通を持ち帰られた。

  略意を書いた附箋がついていたので調べ易かったと乃書状を頂いたりして、この古文書は八ヶ月後に丁重な礼状と共に送り返され、韓国側が当局の動きに神経を尖らせているので、このたびの調査のことは他言しない様にとのご注意があった。

  以来十年余りがたち昭和四十一年九月に、外務省情報局より川上健三先生の新著「竹島の歴史地理学的研究」が送られてきた。

  あらゆる角度から竹島が研究し尽くされていて、貴重な文献であった。

  「歴史的背景」の中の「文献に現われた松島竹島」および「竹島松島渡海免許」の項に、「池田家文書」と共に、「大谷古文書」が数十頁に亘って引用されていて、先年お貸しした古文書が歴史的資料としてお役に立っている事に少なからぬ満足を覚え乍ら熟読した。

  とくに、問題の竹島(当時の松島)への初渡海の年が、大谷古文書中の阿部四郎五郎と亀山庄左衛門の書状により理解できた経緯が委しく述べてあり、つづらから出た古文書が今日の国際問題の舞台に踊り出た事がいかにも不思議で愉快であった。

  韓国側から見た「歴史上の鬱陵島」の項を読むと、この島は、古くは海賊が占領したり、流刑地に使用したりしたが、波浪高く着岸がむつかしいので、韓国は、李朝の初期から明治初年迄四百五十年の間空島政策をとり放置していた。

この空島にむかって、日本人は海路はるかに押し渡り、文禄の役后は百年間も出漁をつづけていたことが日本史に出ている。
大谷家では、元和四年から元禄九年迄七十八年の間、江戸幕府の許可を得て、堂々と竹島へ渡海し、良材を伐り出し、海鹿(アシカ)を捕獲し、鮑(アワビ)や其の他の漁採作業に従事した。

  其の間、渡海の中継地として松島へも立ち寄り、竹島同様に海鹿や鮑捕りをつづけたのである。
明治に入り、松島と竹島の地名が入れ替わるという複雑な段階を経て、松島には明治三十八年一月付けの日本政府布告で、島根県隠地(隠岐)郡五箇村竹島という地名がつけられ、日本領土である事がはっきりした。
そして、大東亜戦争迄は、隠岐島民が漁業に出かけたり海鹿を捕獲したり、又、他県の業者が島の燐鉱石採取事業を計画したりしている。

安龍福(6)大谷,竹島渡海願い1617年

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 19:51 投稿番号: [5536 / 9207]
引用:
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/uzantou.html
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/kaizan.html

申景濬が柳馨遠の『輿地志』から引用したのは、「一説に于山、鬱陵本一島」だけであり、「而るに」以下は、申景濬の私見であることが解る。安龍福が拉致されたのは1693年(元禄六年)、
柳馨遠の『輿地志』は安龍福の証言よりも40年ほど早い1656年に成立
米子の大谷甚吉は、鳥取藩に竹島(鬱陵島)への渡海を願い出たのは1617年(元和三年)。
現時点では、朝鮮の史料で「松島」という島名が出てくるのは、安龍福に関する『粛宗実録』からである。
よって、現況では、柳馨遠の『輿地志』前後に、「松島」と言う呼称が朝鮮に知られていたと言う事を示す史料はない。
であるから、2行目の而るに、、、以後の文は申景濬自身の考えを書き添えだったとなる。

また、オリジナルの柳馨遠の『輿地志』では、
「一説に于山、鬱陵本一島」と、于山島と鬱陵島は同じ島の別の呼び方(同島異名)がある。としているだけで、松島(=現在の竹島(独島))には、全く言及していないことも解ってくる。

申景濬は、古地図や文献に于山島や鬱陵島が描かれていることを理由にして、「輿地志」の字句を改めて、于山島と鬱陵島を別々の島=二島と按じている。
さらに申景濬は、安龍福の供述である「于山は則ち倭の所謂松島なり」と言う語句を、まるで「輿地志」の説であるかのように挿入して、于山島を松島(=現在の竹島(独島))と臆断して、それを于山国に入れている!!

韓国政府が竹島の領有権を主張する根拠とした『東国文献備考』の文註は、こうして改竄されたものであったのだ。

沖の:
安龍福拉致は1693年
柳馨遠の『輿地志』は1656年に成立
『東国文献備考』[與地考」1770年
1656年前後に松島の記述が韓国の文献にあるかどうかが一つの日韓の分水嶺だな,

安龍福(5)李『星湖塞説』の安は英雄

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 18:37 投稿番号: [5535 / 9207]
ここでは、『東国文献備考』が典拠した文書の追跡と、
于山島=竹島(独島)という改竄された記事が挿入される過程を追ってみる。

『東国文献備考』は申景濬の『旅菴全書』の「彊界考」に典拠して書かれた。
その「彊界考」は、柳馨遠の『輿地志』と『春官志』の「鬱陵島争界」に典拠しながらも改竄して書かれた。
さらに『春官志』は『星湖塞説』を参考にして書かれた。

問題は、申景濬の「彊界考」は、柳馨遠の『輿地志』から正しく引用したかどうか?、、、である。
そこを以下で検証して行きたい。


李『星湖塞説』の「鬱陵島」

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李は、『星湖塞説』で鬱陵島について触れている。
そこには、安龍福の事蹟が記載されている。

李は、粛宗七年(1681年)に生まれ、英祖三十九年(1763年)に没している。

そのため、安龍福や鬱陵島の領有権問題についての知識は、後世、文献等を通じて得た物で、直接体験したものではない。

したがって、安龍福の評価は鬱陵島問題の解決者という英雄として捉えていた。
その前提に立って『星湖塞説』で「鬱陵島」をまとめることになり、英雄視された安龍福の証言を歴史事実として無批判に採用してしまったのである。

この安龍福像は、民間の『和国志』所収の「安龍福伝」、尹行恁の『海東外史』、李奎景の『五洲衍文長箋散稿』、張士淵の『逸士遺事』等にも影響を与え、安龍福像の出発点と言える。

李は、『星湖塞説』の「鬱陵島」で、
「愚按ずるに、安龍福、是英雄の儔匹(ちゅうひつ・同類)に直(あ)たる」
「累世(代々)の争いを息めて(やめて)一州の土を復す」
と、鬱陵島問題を解決したのは安龍福であったとして、その功労者の安龍福に対して、朝廷が「前に刑し、後に配し」としたのは遺憾であった、としている。

この安龍福を強く顕彰しようとする考えは、息子の李孟休に引き継がれていく



李孟休の『春官志』(1745年に成立)に所収の「鬱陵島争界」

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李の息子・李孟休が著した「鬱陵島争界」は、日本と朝鮮で争われた鬱陵島の領有権問題を概観するために、文献が整理謄写されたものである。
『春官志』の成立は、李孟休の自序では、英祖二十一年(1745年)八月に成立したことになっている。

李の「鬱陵島」と李孟休の「鬱陵島争界」にある安龍福の略伝を比較してみると、文章や構成はほぼ同一である。
李の「鬱陵島」からの引用だろう。

李孟休の「鬱陵島争界」においても、
「倭、今に至るまで、復た鬱陵を指して日本の地と為さず。皆龍福の功なり」
として、安龍福の功績を李と同様に強調していることからも解る。


そして、李孟休も鬱陵島に対しての認識は、以下の通りであった。
「この島、その竹を産するを以ての故に竹島と謂い。
三峰ありてか三峯島と謂う。
于山、羽陵、蔚陵、磯竹島に至りては皆音号の転訛して然るなり」

李孟休にとっては、于山島はあくまでも鬱陵島の別名であった。

安龍福(4)申景濬は何に依拠して

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 15:57 投稿番号: [5534 / 9207]
引用:
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/uzantou.html
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/kaizan.html
申景濬は、古地図や文献に于山島や鬱陵島が描かれていることを理由にして、「輿地志」の字句を改めて、于山島と鬱陵島を別々の島=二島と按じている。
さらに申景濬は、安龍福の供述である「于山は則ち倭の所謂松島なり」と言う語句を、まるで「輿地志」の説であるかのように挿入して、于山島を松島(=現在の竹島(独島))と臆断して、それを于山国に入れている!!

韓国政府が竹島の領有権を主張する根拠とした『東国文献備考』の文註は、こうして改竄されたものであったのだ。


『承政院日記』の英祖四十六年(1770年)閏五月二日条には、
『東国文献備考』の上箋文を書いた金致仁は、その編纂過程をについて、
「(申)景濬草創して、(洪)啓禧   潤色す」と述べている。

「輿地考」は申景濬の『彊界考』を底本としているが、その編纂の過程では洪啓禧という人物の手が加わり、文章に潤色がなされたと言っているのである。

つまり、柳馨遠の『輿地考』の「一説に于山鬱陵本一島」という文章は、
まず、申景濬の『彊界考』の按記で、于山島と鬱陵島が別々の島であることを主張するための材料として引用された。
さらに、「輿地考」の分註で、洪啓禧の手が加わって、「輿地志に云う、鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり」という形に改竄されていたのである。

結局、于山島が松島(=現在の竹島(独島))だったということも、于山島が鬱陵島の属島であったと言う事も、柳馨遠の「輿地志」に書かれていたのではなく、申景濬から始まっていたのである。

では、申景濬は何に依拠して、「于山島は松島である」と臆断したのか?
申景濬は按記の中で「諸図志を考えるに」としているように、当時存在していた文献を勘案しているが、それらは安龍福の「松島即ち于山島」という証言を無批判に取り入れていたわけである。

安龍福(3)于山島とあればそれは全部竹島

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 15:09 投稿番号: [5533 / 9207]
嶋?p:
http://park19.wakwak.com/~yoshimo/moto.278.html

ただ、安龍福が于山島は松島だと言っただけのことです。それが文献に残っているから、于山島とあれば全部それにつなげていくんです。だから、韓国側は地図に于山島とあれば、それは全部竹島だという言い方をしてきたわけです。日本に連れて行かれる途中のすこぶる大きな島は、鬱陵島の近くにあると錯覚したと思われます。そして、位置関係からしてもそのすこぶる大きな島はたぶん隠岐島のことだと思います(隠岐島の面積は鬱陵島の四・七倍の広さです)。それを自分たちの島、于山島だと思い込んでいたわけです。そして、本国に送還されて、朝鮮側で調べられても、自分の言うことを誰も信用してくれない。そこで証明しようとして再び渡ってきたのが一六九六年です。

安龍福(2)1656年、柳馨遠「輿地志」

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 14:35 投稿番号: [5532 / 9207]
引用:
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.690


4.1656年、柳馨遠「輿地志」

  (1)ー(3)についてはすでに記したので詳細は省き、ここでは(4)の
「輿地志」を取りあげます。これは私的な史料なので、本来なら取りあげる価
値はありません。領有論争には公的な史料のみが重要です。
   しかしながら「輿地志」は官撰史料『東国文献備考』(1770)にその一部が
引用されたので決して無視できない史料です。「輿地志」自体は現在伝わりま
せんが、于山島に関する「輿地志」の記述は「東国文献備考」に下記のように
引用されました(注4)。

  「成宗二年、別に三峯島について告げる者がいた。そこで政府は朴元宗を見
に行かせた。しかし、風濤が荒かったため到達できずに帰ったが同行の一船だ
けが鬱陵島に泊まり、大竹や大きいアワビを取った。島には居民はいないとい
う。<輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がい
うところの松島である>」

  <   >内は小さな字体で書かれた部分ですが、これにより1656年以前からす
でに下記の認識が朝鮮政府で主流だったことがわかります。
  于山国=鬱陵島 + 于山島、朝鮮領
  于山島=倭がいう松島

安龍福(1)安は二回も日本へ渡り

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 14:14 投稿番号: [5531 / 9207]
引用:
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.690

竹島=独島と安龍福
2003/ 3/ 2
Yahoo! 掲示板「竹島」#1335

   半月城です。
   前回予告したように安龍福の渡日について書くことにします。元禄時代、
安は二回も日本へ渡りました。最初は鳥取藩の商人、大谷・村川両家による連
行、二度目は安みずから鬱陵島と于山島は朝鮮領であると訴えるため渡日しま
した。

   安の渡日に関する朝鮮の同時代史料としては、正史の『粛宗実録』があり
ます。これはその性格上、事件の逐次的な記録です。一方、それらを要約した
官撰史料に「東国文献備考」(1770、逸失)とその増補版である『増補文献備
考』(1908)がありますが、こちらは要約されているだけに読みやすいのが特徴
です。
   これらの史料に安の供述が引用されましたが、それは基本的に「手柄話」
の性格を有することはいうまでもありません。史料はもちろんそれらを全面的
に信頼しているわけではありません。『粛宗実録』では、かれを「漂風愚民」
と記しました。
   さらに、安の二度目の官吏を装った勝手な渡日は、斬首刑に相当する罪と
されました。しかし、その一方でかれの抗議行動が対馬の鬱陵島横取りを防い
だとして、安の功績も同時に認定しました。そのため、かれは斬首刑をまぬが
れ、流刑ですまされました。

   他方、かれの抗議行動を今日の視点でみると、安はすでに「輿地志」が記
した「鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島であ
る」という認識を日本にも定着させたという点で注目されます。これは今日の
竹島=独島問題に重要な一石を投じたので特筆にあたいします。
<江戸時代の「竹島一件」>

沖の:
「輿地志」が記した「鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である」と記されているが「輿地志」は今日,すでに紛失して無いのです,その後「輿地考」が編纂されて,其の中で初めて松島が出てくるのです,だから
「輿地志」の中には松島の記述は無かったのです,後日松島を「輿地考」に勝手に書き加えたのです,

李奎遠(3)『高宗実録』と鬱陵島検察

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 13:17 投稿番号: [5530 / 9207]
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.690

検察使の李奎遠は王に召されましたことが『高宗実
録』や『承政院日記』に記されました。承政院とは王命や王への提言を取り扱
う官庁ですが、その公的な記録が『承政院日記』であり、現在 1623‐1894年
分の3047冊という膨大な史料が残されました。朝鮮は『実録』といい『承政院
日記』といい、記録を重視した国でした。
   さて、李奎遠は鬱陵島へ出発する前に王と面談しましたが、そのときのよ
うすが『高宗実録』と『承政院日記』に記されました。後者はその対話を高宗
19年(1882)4月7日条にこう記録しました。

李奎遠(2)鬱陵島検察日記

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 13:01 投稿番号: [5529 / 9207]
引用:
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm101.html#No.739
1868年、日本で徳川幕府政権が崩壊し、明治維新政府が樹立され「征韓論」
と対外膨張が積極的に鼓吹されるや、徳川幕府時代末までは国境を越えて鬱陵
島・獨島に渡れなかった日本人の中には、今度は国境を越え鬱陵島にこっそり
入り、木材を伐り漁をする輩が次第に増えていった。

   1881年、この事実を鬱陵島の巡視・捜討にやって来た朝鮮の捜討官たちが
摘発し、江原道の観察使をつうじて中央政府に報告した。
   朝鮮王朝が開港したのちに設置された新行政機構である統理機務衙門はこ
の問題に対し、(1)日本政府に抗議文書を送り、日本人の鬱陵島不法侵入に
対する禁止令の実施を要求し、(2)鬱陵島防衛と守護のために副護軍の李奎
遠を鬱陵島検察使に任命し、詳細な現地調査を実施したのちにその報告を検討
し、鬱陵島「空島政策」廃止の是非と「再開拓」の是非を決定することにし、
この対策を国王に建議した。国王も統理機務衙門の建議を允許し、李奎遠を
1881年5月23日「鬱陵島検察使」に任命した。

于山島=独島???韓国人は皆狂人か?

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/07/15 12:41 投稿番号: [5528 / 9207]
http://mouse99.hp.infoseek.co.jp/hachidou01.htm

この「于山島」が、独島(竹島)のことであり、
古代からの朝鮮領土だと主張しています。
朝鮮人のあたまの仕組みは、私の理解を超えます。


大爆笑!竹島は韓国の領土なんですか?
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=1293105&work=search&st=writer&sw=masairyu&cp=2



李奎遠(1)鬱陵島検察日記

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 11:55 投稿番号: [5527 / 9207]
引用:
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm101.html#No.739
   一行は船で鬱陵島を一周したとき、東海岸でふたつの島を確認し、報告書
の草稿本である『啓本草』にこう記しました(注1)。
  「もうひとつの浦があり、名前は船板邱尾である。その南辺の海の中にふた
つの小さな島があるが、形は臥せった牛のようで、左右に回ってお互いに抱い
ているような姿である。
ひとつは竹島で、ひとつは島項というが、ただ竹藪があるのみである。日が暮
れたので陸地にあがった」

   李奎遠は鬱陵島を調査して地図「鬱陵島外圖」を作成しましたが、それを
みると「島項」は現在の観音島(別名、ガッセ島)、「竹島」は現在の竹島
(韓国名、別名は竹嶼)にあたります。

禹用鼎報告書と勅令41号(1900年10月)

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/14 22:25 投稿番号: [5526 / 9207]
引用:
http://www.han.org/a/half-moon/hm102.html#No.742

大韓帝国政府は内部官吏の禹用鼎を責任者にし、韓国側の釜山監理
署主査・金〓秀と封辧の金聲遠、日本側は釜山駐在の日本領事館副領事である
赤塚正助と警部一名、第三国人は釜山駐在税務司の英国人 ラポルテ(E.Raporte,
羅保得)らで調査団を構成し、1900年5月25日、鬱陵島に出発した。禹用鼎一行は1900年5月31日に鬱陵島へ到着し、6月1日から5日間鬱陵
島の実態を調査した後、帰京して調査報告書を提出した,大韓帝国政府はこの調査報告書を元に勅令41号を公布した,

沖の:
禹用鼎一行は鬱陵島を主として調査したが,松島(う山島)は調査からはずしている,当然報告書に松島はのることはなかったのです,だから大韓帝国政府は勅令41号に松島を書く事は出来なかった,つまり石島は松島の事ではなく,他の島と云う事に成る,その島は観音島で,それ以外は考えられないのだ ,

検証2 2005年3月20日 福岡県西方沖地震

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/14 13:09 投稿番号: [5525 / 9207]
http://unit.aist.go.jp/actfault/fukuoka/
http://unit.aist.go.jp/actfault/fukuoka/map.html

沖の:ユーラシアプレートと福岡県西方沖地震地点を平行して北へ引くと竹島の上にくる,竹島は要注意,

検証 2005年3月20日 福岡県西方沖地震

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/14 12:42 投稿番号: [5524 / 9207]
http://unit.aist.go.jp/actfault/fukuoka/
http://unit.aist.go.jp/actfault/fukuoka/map.html

2005年3月20日 福岡県西方沖地震,今回の地震により警固断層全体に1bar程度(大気圧)以上の応力が加わったことが予想されます(図1)
沖の:
ユーラシアプレート,フイリッピン海プレートの境界からかなり離れたところで今回おきているが,日本海は今後要注意地域かな,

日本海における大地震,そろそろ

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/14 10:15 投稿番号: [5523 / 9207]
引用:
http://www.okinawa-jma.go.jp/ishigaki/school/200502/1983japansea.html

昭和58年日本海中部地震
〜   日本海における大地震   〜
  1983年5月26日午前11時59分ごろ、北緯40゜ 21′、東経139゜ 04′においてマグニチュード(M)7.7の地震が発生しました(震源は気象庁震源による)。この地震により秋田県と青森県において最大震度5が観測されました。この地震により秋田県八竜町で6.6mの津波の高さが観測されるなど、(韓国・旧ソ連も含む)日本海沿岸の各地で津波が観測されました。この10年後には平成5年北海道南西沖地震が発生しましたが、その際、この地震の経験を活かして助かった方もあるという話があります。詳細については、インターネット等でも資料収集できるかと思います。

沖の:
新潟,福岡地震は日本海側で起きている,平成5年北海道南西沖地震と福岡地震の交わる三角地点は竹島である,このところ地震は日本海側で活発化してる,そろそろ永い眠りからさめてもいいころだ竹島は,

韓国の竹島領有の条件

投稿者: bogl2002 投稿日時: 2005/07/14 00:32 投稿番号: [5522 / 9207]
竹島に学校や住宅街を作って幸せに暮らして下さい(笑)。
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