安龍福(6)大谷,竹島渡海願い1617年
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 19:51 投稿番号: [5536 / 9207]
引用:
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/uzantou.htmlhttp://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/kaizan.html申景濬が柳馨遠の『輿地志』から引用したのは、「一説に于山、鬱陵本一島」だけであり、「而るに」以下は、申景濬の私見であることが解る。安龍福が拉致されたのは1693年(元禄六年)、
柳馨遠の『輿地志』は安龍福の証言よりも40年ほど早い1656年に成立
米子の大谷甚吉は、鳥取藩に竹島(鬱陵島)への渡海を願い出たのは1617年(元和三年)。
現時点では、朝鮮の史料で「松島」という島名が出てくるのは、安龍福に関する『粛宗実録』からである。
よって、現況では、柳馨遠の『輿地志』前後に、「松島」と言う呼称が朝鮮に知られていたと言う事を示す史料はない。
であるから、2行目の而るに、、、以後の文は申景濬自身の考えを書き添えだったとなる。
また、オリジナルの柳馨遠の『輿地志』では、
「一説に于山、鬱陵本一島」と、于山島と鬱陵島は同じ島の別の呼び方(同島異名)がある。としているだけで、松島(=現在の竹島(独島))には、全く言及していないことも解ってくる。
申景濬は、古地図や文献に于山島や鬱陵島が描かれていることを理由にして、「輿地志」の字句を改めて、于山島と鬱陵島を別々の島=二島と按じている。
さらに申景濬は、安龍福の供述である「于山は則ち倭の所謂松島なり」と言う語句を、まるで「輿地志」の説であるかのように挿入して、于山島を松島(=現在の竹島(独島))と臆断して、それを于山国に入れている!!
韓国政府が竹島の領有権を主張する根拠とした『東国文献備考』の文註は、こうして改竄されたものであったのだ。
沖の:
安龍福拉致は1693年
柳馨遠の『輿地志』は1656年に成立
『東国文献備考』[與地考」1770年
1656年前後に松島の記述が韓国の文献にあるかどうかが一つの日韓の分水嶺だな,
これは メッセージ 5535 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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