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安龍福(5)李『星湖塞説』の安は英雄

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 18:37 投稿番号: [5535 / 9207]
ここでは、『東国文献備考』が典拠した文書の追跡と、
于山島=竹島(独島)という改竄された記事が挿入される過程を追ってみる。

『東国文献備考』は申景濬の『旅菴全書』の「彊界考」に典拠して書かれた。
その「彊界考」は、柳馨遠の『輿地志』と『春官志』の「鬱陵島争界」に典拠しながらも改竄して書かれた。
さらに『春官志』は『星湖塞説』を参考にして書かれた。

問題は、申景濬の「彊界考」は、柳馨遠の『輿地志』から正しく引用したかどうか?、、、である。
そこを以下で検証して行きたい。


李『星湖塞説』の「鬱陵島」

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李は、『星湖塞説』で鬱陵島について触れている。
そこには、安龍福の事蹟が記載されている。

李は、粛宗七年(1681年)に生まれ、英祖三十九年(1763年)に没している。

そのため、安龍福や鬱陵島の領有権問題についての知識は、後世、文献等を通じて得た物で、直接体験したものではない。

したがって、安龍福の評価は鬱陵島問題の解決者という英雄として捉えていた。
その前提に立って『星湖塞説』で「鬱陵島」をまとめることになり、英雄視された安龍福の証言を歴史事実として無批判に採用してしまったのである。

この安龍福像は、民間の『和国志』所収の「安龍福伝」、尹行恁の『海東外史』、李奎景の『五洲衍文長箋散稿』、張士淵の『逸士遺事』等にも影響を与え、安龍福像の出発点と言える。

李は、『星湖塞説』の「鬱陵島」で、
「愚按ずるに、安龍福、是英雄の儔匹(ちゅうひつ・同類)に直(あ)たる」
「累世(代々)の争いを息めて(やめて)一州の土を復す」
と、鬱陵島問題を解決したのは安龍福であったとして、その功労者の安龍福に対して、朝廷が「前に刑し、後に配し」としたのは遺憾であった、としている。

この安龍福を強く顕彰しようとする考えは、息子の李孟休に引き継がれていく



李孟休の『春官志』(1745年に成立)に所収の「鬱陵島争界」

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李の息子・李孟休が著した「鬱陵島争界」は、日本と朝鮮で争われた鬱陵島の領有権問題を概観するために、文献が整理謄写されたものである。
『春官志』の成立は、李孟休の自序では、英祖二十一年(1745年)八月に成立したことになっている。

李の「鬱陵島」と李孟休の「鬱陵島争界」にある安龍福の略伝を比較してみると、文章や構成はほぼ同一である。
李の「鬱陵島」からの引用だろう。

李孟休の「鬱陵島争界」においても、
「倭、今に至るまで、復た鬱陵を指して日本の地と為さず。皆龍福の功なり」
として、安龍福の功績を李と同様に強調していることからも解る。


そして、李孟休も鬱陵島に対しての認識は、以下の通りであった。
「この島、その竹を産するを以ての故に竹島と謂い。
三峰ありてか三峯島と謂う。
于山、羽陵、蔚陵、磯竹島に至りては皆音号の転訛して然るなり」

李孟休にとっては、于山島はあくまでも鬱陵島の別名であった。
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