安龍福(2)1656年、柳馨遠「輿地志」
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 14:35 投稿番号: [5532 / 9207]
引用:
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.6904.1656年、柳馨遠「輿地志」
(1)ー(3)についてはすでに記したので詳細は省き、ここでは(4)の
「輿地志」を取りあげます。これは私的な史料なので、本来なら取りあげる価
値はありません。領有論争には公的な史料のみが重要です。
しかしながら「輿地志」は官撰史料『東国文献備考』(1770)にその一部が
引用されたので決して無視できない史料です。「輿地志」自体は現在伝わりま
せんが、于山島に関する「輿地志」の記述は「東国文献備考」に下記のように
引用されました(注4)。
「成宗二年、別に三峯島について告げる者がいた。そこで政府は朴元宗を見
に行かせた。しかし、風濤が荒かったため到達できずに帰ったが同行の一船だ
けが鬱陵島に泊まり、大竹や大きいアワビを取った。島には居民はいないとい
う。<輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がい
うところの松島である>」
<
>内は小さな字体で書かれた部分ですが、これにより1656年以前からす
でに下記の認識が朝鮮政府で主流だったことがわかります。
于山国=鬱陵島 + 于山島、朝鮮領
于山島=倭がいう松島
これは メッセージ 5531 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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