安龍福(1)安は二回も日本へ渡り
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/07/15 14:14 投稿番号: [5531 / 9207]
引用:
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.690竹島=独島と安龍福
2003/ 3/ 2
Yahoo! 掲示板「竹島」#1335
半月城です。
前回予告したように安龍福の渡日について書くことにします。元禄時代、
安は二回も日本へ渡りました。最初は鳥取藩の商人、大谷・村川両家による連
行、二度目は安みずから鬱陵島と于山島は朝鮮領であると訴えるため渡日しま
した。
安の渡日に関する朝鮮の同時代史料としては、正史の『粛宗実録』があり
ます。これはその性格上、事件の逐次的な記録です。一方、それらを要約した
官撰史料に「東国文献備考」(1770、逸失)とその増補版である『増補文献備
考』(1908)がありますが、こちらは要約されているだけに読みやすいのが特徴
です。
これらの史料に安の供述が引用されましたが、それは基本的に「手柄話」
の性格を有することはいうまでもありません。史料はもちろんそれらを全面的
に信頼しているわけではありません。『粛宗実録』では、かれを「漂風愚民」
と記しました。
さらに、安の二度目の官吏を装った勝手な渡日は、斬首刑に相当する罪と
されました。しかし、その一方でかれの抗議行動が対馬の鬱陵島横取りを防い
だとして、安の功績も同時に認定しました。そのため、かれは斬首刑をまぬが
れ、流刑ですまされました。
他方、かれの抗議行動を今日の視点でみると、安はすでに「輿地志」が記
した「鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島であ
る」という認識を日本にも定着させたという点で注目されます。これは今日の
竹島=独島問題に重要な一石を投じたので特筆にあたいします。
<江戸時代の「竹島一件」>
沖の:
「輿地志」が記した「鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である」と記されているが「輿地志」は今日,すでに紛失して無いのです,その後「輿地考」が編纂されて,其の中で初めて松島が出てくるのです,だから
「輿地志」の中には松島の記述は無かったのです,後日松島を「輿地考」に勝手に書き加えたのです,
これは メッセージ 5530 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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