李朝朝鮮

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檀君はいずこへ?

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/16 01:08 投稿番号: [720 / 1329]
李朝時代における檀君の地位の変遷をまとめてみました
私の立てたスレも使っているので、スレッド引用について問題はないでしょう。

参照スレ
■檀君の謎を追え!・補
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1837060&st=writer_id&sw=yonaki

李朝中期には、『筆苑雑記』を書いた徐居正によって、支那の聖王である堯の即位は明の太祖朱元璋の即位の3785年前であり、同様に、檀君の即位は太祖李成桂の朝鮮建国の3785年前である、という説が成立しました。上国である明に対応させたわけですね。
李朝の建国は西暦1392年(明洪武帝25年)、そこから3785年を遡れば紀元前2393年、これが檀君の即位年になるはずですが、徐居正は、堯即位年の干支を一回り、つまり一運(60年)間違ったため、3725年を引いて紀元前2333年を檀君即位年としてしまいました。これが以後定着するわけですね。

とはいうものの、檀君の設定自体はいまだ不安定であり、檀君の系統は4代で滅びた(しかも高句麗に滅ぼされた)なんて話もありました。

関連スレ
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1830777&st=writer_id&sw=yonaki

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&nid=1831658&st=writer_id&sw=xiaoke

18世紀に入って、朝鮮こそ「中華」であるという小中華主義が定着すると、檀君説話のような神話臭が紛々たるオハナシは、仁賢の国にはふさわしくないだろ、という疑義が起こってきます。

参照スレ
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1832076&st=writer_id&sw=yonaki

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&nid=1833061&st=writer_id&sw=xiaoke

そういうわけで『東国通鑑』では、檀君を正統から外して「こういう話もあるよ」的な付属扱いの記述に降格し、『東史綱目』では更に「此の説を按ずるに誕妄にして弁ずるに足らず。通鑑之を略するも是なり」と切り捨てられてしまいます。そこを訳するとこんな感じです。

檀君と熊さん虎さんの話やねんけど、あほらしぃて語る価値無し。東国通鑑が省いたのも当然やんなぁ。
檀君っつーんは、東国の君主やけど、神聖な徳があるさかい君主にされたんやな。古代の神聖が生まれるときは、他人と違ったところがあるんや。それにしても、この話は道理に合わへんのとちゃうんけぇ。
だいたいやね、三国遺事っつーのは、高句麗の坊主が編纂したもんやし、古記とかいうのも誰が編纂したかわからへん。新羅の民話が元ネタで高句麗で成立したんを坊主が編纂したものやろ。せやから、いい加減なデタラメやと。
出てくる地名人名の多くは仏経が元ネタやん。桓因帝釈なんて法華経やし。他にも阿蘭仏迦葉原、多婆羅国、阿踰[こざと偏に施のつくり]国の類いは、みんな坊主の話に出てくるしぃ。
新羅・高句麗では仏教が尊崇されとったせいやわな。史書を書くやつも書くネタ無いさかいに、史書に入れてしもたけど、仁賢の国やっつーのに、こんな怪しげな話が入っているのは、もう悔しくて悔しくてかんしゃくおこるの。q(`Д´)p

たしかに古代の聖人君主には、不思議なカリスマや話がつきものではありますが、檀君の場合、なんぼなんでもちょっとやりすぎだろ、って感じの嘆きです。
で、朝鮮の始祖は中華文明の体現者である箕子とされているわけです。

そうそう、『東史綱目』では、こんな風にも書かれています。

参照スレ
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1832564&st=writer_id&sw=yonaki

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&n

Re: 宣祖は有能な君主

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/15 00:10 投稿番号: [719 / 1329]
>う〜ん、どうなんだろ。秀吉の希望はじて朝鮮に服属を命じて明攻めを先導してもらうことだったので、朝鮮半島の敵を食い止めないと、明国内自体が危険になるから、成功も何も・・・と思うんです。
属国を助けたというより、国境に敵が入ってくる前に、なんとか食い止めたが明の行動だと。

ええ、おっしゃるとおりなんですよ。本来は。
そこの主客・原因結果を転倒させた解釈なんですよねぇ。

だいたい、宣祖は国外脱出するつもりで、光海君に国内での抗戦司令部を任せる「分朝」を企図したわけですし(結果的に義州に留まって明には入らなかったのですが)。

>エンコリ、面白いですね。相変わらず、歴史のハリボテ作りに韓国は励んでるようで。
でも、いずれ中の風船は割れ、ハリボテもパサパサに風化するのかしら?
それとも更に塗装し、ニスを塗ってピカピカになるのでしょうか(怖)
韓国の歴史創作は目が話せませんね(笑)

おかげで、こっちに来る回数が減っているような気が。(苦笑)
風船が割れても気づかない、あるいは耳目を覆ってスルーするんじゃないかと。

Re: 宣祖は有能な君主

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2007/03/15 00:07 投稿番号: [718 / 1329]
>国難の危機に面して明の援軍の導入に成功し、国を守り抜く外交的能力を発揮した。

結果として。
1.糧食現地調達が基本の明軍に、穀倉を根こそぎ食い散らかされ、食糧難に。
2.「再造之恩」のお陰で、明清革命期に、道を誤る羽目に。

>「リーダーの命令に忠実に従った」元均(ウォン・ギュン)の功績も大きかったと指摘している。

結果、硬直した戦略指導に固執して、あぼ〜ん・・・

Re: 宣祖は有能な君主

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/14 23:32 投稿番号: [717 / 1329]
光海君の父であり、チャングムに出てくる中宗の孫ですね。

>国難の危機に面して明の援軍の導入に成功し、国を守り抜く外交的能力を発揮した。

う〜ん、どうなんだろ。秀吉の希望はじて朝鮮に服属を命じて明攻めを先導してもらうことだったので、
朝鮮半島の敵を食い止めないと、明国内自体が危険になるから、成功も何も・・・と思うんです。
属国を助けたというより、国境に敵が入ってくる前に、なんとか食い止めたが明の行動だと。


エンコリ、面白いですね。相変わらず、歴史のハリボテ作りに韓国は励んでるようで。
でも、いずれ中の風船は割れ、ハリボテもパサパサに風化するのかしら?
それとも更に塗装し、ニスを塗ってピカピカになるのでしょうか(怖)
韓国の歴史創作は目が話せませんね(笑)

宣祖は有能な君主

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/14 19:46 投稿番号: [716 / 1329]
>宣祖は、中国の歴史書『大明会典』に間違って記載されていた朝鮮の歴史を200年ぶりに修正し、国難の危機に面して明の援軍の導入に成功し、国を守り抜く外交的能力を発揮した。

どんな「間違った記載」があったんだろう、と確認しようと思ったら、ちょうどよいスレがあったので、丸投げします。(苦笑)
全文を貼ろうとすると、投稿禁止に引っ掛かる漢字があるので、URLだけ紹介。

・・・・・・

宣祖は無能なリーダーじゃない!?李翰雨の本について
投稿者: elseorand

http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1837362

・・・・・・・

で、元記事はこちら。

・・・・・・・

「秀吉軍退けた宣祖は無能な君主ではなかった」

【新刊】李翰雨(イ・ハンウ)著『宣祖、朝鮮の乱世を乗り越える』(ヘネム)

  今まで誰がこの王の「リーダーシップ」に関心を持ったことがあっただろうか。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の7年にわたる戦役に巻き込まれた悲運の王・朝鮮第14代王宣祖(在位1552-1608年)は、これまで危機管理能力に深刻な問題があった君主であり、臣下らを抑えつける権力欲の化身のように認識されてきた。

  ところが、『太宗』『世祖』『成宗』の朝鮮君主列伝シリーズを相次いで著した著者は、4番目の君主として宣祖に注目した。『朝鮮王朝実録』の原文を基礎資料とし、改めて歴史評価のまな板に乗せられた宣祖は、意外にも「朝鮮最悪の危機を乗り切った卓越した君主」だった。

  宣祖は、中国の歴史書『大明会典』に間違って記載されていた朝鮮の歴史を200年ぶりに修正し、国難の危機に面して明の援軍の導入に成功し、国を守り抜く外交的能力を発揮した。さらに、宣祖の学術的業績は余り知られていないが、四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)を訓民正音(ハングル)に翻訳するプロジェクトを戦略的に進め、ハングルの地位を高める功績を挙げた。

  また、人材管理の能力も注目に値する。李滉(イ・ファン)、奇大升(キ・デスン)、李珥(イ・イ)、丁哲(チョン・チョル)、柳成龍(ユ・ソンリョン)、李徳馨(イ・ドクヒョン)、李恒福(イ・ハンボク)、李舜臣(イ・スンシン)、許浚(ホ・ジュン)…。これらの歴史に名を残した人物は、偶然同時期に出現したのではなく、能力ある儒者を重用した王のリーダーシップがあったからこそ、これだけ多くの人材が輩出されたと著者は評価している。

  なお、倭乱の克服にあたっては、「自分のやり方にこだわった」李舜臣のみならず、「リーダーの命令に忠実に従った」元均(ウォン・ギュン)の功績も大きかったと指摘している。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/11/20070311000000.html

Re: 朝鮮は自主の国だったか?

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/13 22:56 投稿番号: [715 / 1329]
>ここらへんについても東亜さんがお詳しいようなので、引き続きご協力お願い致します。

過分なお言葉、痛み入ります。
私も勉強中なのですよ。アジア歴史資料センターを見たり、エンコリに入ったりと。
間違いもあるかと思いますが、自分のできる範囲で資料紹介などをしてゆきたいと思います。

『大君の都』

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/13 22:47 投稿番号: [714 / 1329]
イギリス駐日公使・オールコック卿著   1863年にニューヨークとロンドンで出版した日本滞在記。

日本に侵略する気満々です^^;
朝鮮人から見ても、イギリス人から見ても、日本の都市は賞賛されてますね。
あの時代の日本の都市を直で見れたらと思わずにはいられません。


「将軍の都は心を奪われるほど美しい。冬でさえも。都は広大な谷の間に、危険を避けて身をかがめるように横たわっている。並を打つような兵陵は湾へとゆるやかに傾斜している。その湾の奥深くに、太平洋が磯に砕け散る激しい波を注ぎ込むことはできない。というのは、湾の入口のおよそに20マイル前方に、火山岩が自然の防波堤を積み上げ、入口の両側は緑の丘になっているからである。また湾全体は自然の浅瀬で、船底が20フィートの水深を必要とする戦艦では、砲撃に不可欠な二十海里の近さまで都に接近するのは困難だと思われる。世界の都の中で江戸のように海側から攻撃するのが難しい都市は少ない。
・・・・・・ヨーロッパには、江戸のように沢山の素晴らしい特質を備えている都はない。また町のたたずまいと周囲の風景のこのような美しさを誇れる都もない。そして江戸ほど征服し占領するのが難しい都も他には見当たらない。ペルシャ王クセルクセスの軍隊のような強力な大軍を編成すれば別だが。将軍の居城のある町の中心部の官庁街は、重要な区域であるが、ここはあまりにも広大な地域であるから、仮に占領はできても、その後、安全に確保し続けることはできないだろう。ヨーロッパの指揮官は、誰も江戸のような町を攻撃して占領するだけの自信が無いだろう。敵対心を持った住民のもとでは、町は軍事的に持ちこたえられないだろう。たとえ一つか二つ橋頭堡を築くことができて、そこから町を容易に破壊することができたとしても」

Re: 朝鮮は自主の国だったか?

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/13 21:16 投稿番号: [713 / 1329]
同じ東アジアの地域の李朝朝鮮・日本の江戸時代の末期は共に欧米の列強に狙われている状態でした。
なので、李朝の開国の状態と平行して、
しばらく自分の国の日本がそれをかいくぐろうとした詳細を扱えたらなと思っています。

ここらへんについても東亜さんがお詳しいようなので、引き続きご協力お願い致します。

Re: 朝鮮は自主の国だったか?

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/11 21:42 投稿番号: [712 / 1329]
>黄文雄本だとなんかニュアンスがいますね。
清が属国としていても、その当の朝鮮国と周囲がそれぞれの思惑で勝手に行動したがってるようで。

ええ。
朝鮮が自主国というのは、清や列強にとって、あくまでも便宜上の方便なんです。
朝鮮が冊封体制からの脱却を図って、自主的に列強に接近するようになるのは、もうちょっと後の時代、日清戦争後ですね。

黄文雄の本は、歴史へのきっかけとしては読みやすいんですが、けっこう間違い・思い込みも多いのですよ。ま、きっかけ・入り口としての使用に留めたほうが無難かと。
あれをソースにして論を構築するのは危ういことだと思います。

私も、先に上げた資料スレを読んで、その辺の事情を勉強したくちです。で、その勉強した結果を消化するために、あのようなマンガスレに再構成したと。

Re: 朝鮮は自主の国だったか?

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/11 21:25 投稿番号: [711 / 1329]
>つまり、朝鮮は宗主国である清の指導指令によって「自主国」の姿をとって条約締結を行なっただけの話だったのです。

なるほど。

黄文雄本だとなんかニュアンスがいますね。
清が属国としていても、その当の朝鮮国と周囲がそれぞれの思惑で勝手に行動したがってるようで。

Re: 朝鮮は自主の国だったか?

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/11 20:38 投稿番号: [710 / 1329]
>朝鮮が開国すると、日米英露の国々は朝鮮を中国の属国とは認めたがらなくなり、直接朝鮮と密約や条約などを結び、外交関係を持つ国が出てきたため、清国は朝鮮管理を更に強化し、列強に対しては朝鮮は清国の絶対不可欠で永久不分割譲の領土とアピールしていました。

いくら密約とはいっても、朝鮮が真に属国であるなら締結できないものです。
で、朝鮮&清がとった手法が、
「とりあえず、通商条約締結の一件については、朝鮮を自主国と扱う。しかし、それ以外の宗属関係については、他国にツッコミを入れさせない」
というものでした。
清としては、朝鮮と日本が条約を結んだことで、日本の朝鮮に対する影響力が増大することを嫌って、他国とも通商条約を結ばせようとしたわけです。

ここで、こういう史料があります。
1882年、アメリカは朝鮮と修好通商条約を締結します。朝鮮の正使申[木憲]は、条約締結について清都北京へ赴き、李鴻章の指示を仰ぎました。そしてその帰路の戦中でのお話です。

清使馬建忠★全権大官申[木憲]★清船問答(證1冊)(★はハングル)
高宗    19年3月27日
西紀1882年5月14日
往清船問答   壬午三月二十七日
(以下抜粋)
馬曰、前美使在津、与爵相商議、謂貴国久為中国属邦、不若在津与中国定一美好約条、而爵相、答以貴国雖為属邦、内治外交均得自主、美使終不釈然於心、謂難与貴国平行相待、比美使至此、亦屡屡以此為言、彼謂法莫若由貴国王給一照会、与彼国国主、内称貴国雖為中国属邦、而立約一事、自主云云、則何如、美使之意、欲将傳相所議第一款之言、在約外声名(明?)、若列入約内、則有碍両国平行之礼、
(中略)
亦曽定明貴国事大素恭、今日各国通商、時局大変、宜允貴国立約必須平行、方不受他人欺挟。我曰、敝邦服事中朝、垂三百年、偏荷庇覆之恩、此次又蒙爵相穀慈、審度時局、代為画■、期欲立定地歩、不受別人欺挟、万万感服、況両大人親駛兵輸遠臨、為敝邦主持、尤切感悚無已。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1836212&st=writer_id&sw=xiaoke

ようは、アメリカと清の都合により、朝鮮を自主国家扱いにしたというだけのことなんですね。
その結果、朝鮮とアメリカは通商条約を締結します。

■『属国文書』の背景説明
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=3&nid=1790281&st=writer_id&sw=yonaki

この史料のなかほどには、
「大朝鮮国為中国属其一切分内応行各節均与美国毫無干渉派員議主条約外相応・・・」
とあります。要約すれば、朝鮮は清の属国であり、アメリカは通商条約の件以外では宗属関係には干渉無しよ、と釘をさしていますね。

つまり、朝鮮は宗主国である清の指導指令によって「自主国」の姿をとって条約締結を行なっただけの話だったのです。

なお、ドイツとの通商条約締結時にも、朝鮮はドイツに対して、
「清の担当官吏の派遣を請い、その同席・指導のもとで締結しましょう」
と言っております。

■ならば、この道を征こう。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1829038&st=writer_id&sw=yonaki

(テキスト起こしはこのスレ内)
http://soutokufu.s145.xrea.com/index.php?%A5%AF%A5%BD%A5%B9%A5%EC%C3%D6%A4%AD%BE%EC%2Fyonaki%B0%C5%B9%F5%C5%C1

朝鮮は自主の国だったか?

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/11 19:59 投稿番号: [709 / 1329]
>これは朝鮮が、清のいわゆる属国ではなく、自主国家であり、列強もそれを承認していたことを示すことになるんでしょうかねぇ・・・・・・

当時、日本は国益を考えて、朝鮮を「自主の国」と主張していましたが、清国の圧倒的存在感から宗主国と認めざるを得ませんでした。
1885年、井上外務卿が清国に提出した「朝鮮弁方八条」では仕方なく清国妥協して、「朝鮮の政務を清国と日本で共同統治する」と第一条で提案しています。
しかし、日本は朝鮮半島が自主独立の近代国家へ変わることに期待していました。

日本は1875年(明治8年)の江華島事件で朝鮮に軍事的圧力をかけ、翌76年に日朝修好条規を結び、朝鮮が開国すると、
日米英露の国々は朝鮮を中国の属国とは認めたがらなくなり、直接朝鮮と密約や条約などを結び、外交関係を持つ国が出てきたため、清国は朝鮮管理を更に強化し、列強に対しては朝鮮は清国の絶対不可欠で永久不分割譲の領土とアピールしていました。
日本だけでなく、中国にとっても、朝鮮は外敵を防ぐために必要だったからです。

清朝が朝鮮独立を認めたのは1895年、日本が日清戦争に勝利し、下関条約でのことです。(朝鮮の南北ではこのことは教えられていない?)

参考資料:『韓国は日本人がつくった』黄文雄   P45〜

Re: 通商条約の恐ろしさ

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/11 18:33 投稿番号: [708 / 1329]
>変な人は消えたみたいですね。

お騒がせしました。

>その数年後、日本は朝鮮に無理やり修好条約を結び、いわゆる列強の「国際慣習」に従って、通商条約をはじめ、さまざまなことを取り決めました。

万国公法に拠れば、通商条約などを締結できるのは、主権国家にのみ許された権利でした。
で、1882年に、朝鮮はアメリカやイギリス、ドイツなどの各国と通商条約を結んでいますね。
これは朝鮮が、清のいわゆる属国ではなく、自主国家であり、列強もそれを承認していたことを示すことになるんでしょうかねぇ・・・・・・




と、疑問を投げかけてみるテスト。

Re: 通商条約の恐ろしさ

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/11 13:00 投稿番号: [707 / 1329]
1871年から72年にかけて、明治になった最初の海外使節団が不平等な条約を改正するために
日本が通商条約を交わしている11ヵ国全てを歴訪しました。
50人からなる使節団で、副使は30歳の伊藤博文でした。
結局外交上の何の成果もなく帰国することになるのですが、

その数年後、日本は朝鮮に無理やり修好条約を結び、いわゆる列強の「国際慣習」に従って、通商条約をはじめ、さまざまなことを取り決めました。

日本は西洋的な方法を学び、
開国してわずか20年で鎖国政策をとっていた朝鮮を
自分がされたことと同じ策略で開国させました
そして初代朝鮮総督になったのがあの伊藤博文だったのです。

だから、本当に歴史を知ってる朝鮮人なら、
「アメリカの黒船は日本に余計なことを教えてくれた」と言わなければいけません。

Re: 通商条約の恐ろしさ

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/11 12:24 投稿番号: [706 / 1329]
>>1800年代末に日本は米国の軍艦に降参した。

変な人は消えたみたいですね。
黒船が来て、仕方なく、日本が通商条約を結び、それがどう李朝朝鮮とつながって行くか何も知らないからこんなことが言えるのでしょう。

この通商条約がいかなるものか味わった日本の経験により、朝鮮は亡国の道をたどることになるのがわからないようです。
いずれ、朝鮮もわけもわからず通商条約を日本と結ぶことになるのですから。

インドや中国、日本の西洋に悩まされてる状態から何も学びませんでした。

日本は慎重に通商条約に挑んだのですが、外国と交渉して条約を取り決めると慣れた事をやったことのない幕府は完全に欧米の手中に落ちてしまいます。

治外法権や外国人がある決まった額のお金を日本の通貨に交換する権利
(白人がどの硬貨で受け取りたいか一方的に決めることが出来る不平等なもの)と、
悪事をした外国人を日本人が裁くことができず、その国の領事にまかせなければいけない領事裁判権は日本に混乱をもらたしました。

日本の金と銀の交換比率は1:5だったのに、西洋世界では1:15でした。つまり、同じ銀の量で通常の3倍の金貨が得られることになり、アメリカのゴールドラッシュで集まったならずものの白人が突然何百人も日本に沢山やってくる事態になってしまいました。
多数の白人が犯罪をしても幕府は罰することもできず、治安が悪くなりました。
天皇の勅許を要請しても断られた通商条約で混乱を招いた幕府は弱っていたところに、条約締結6年後、日本が絹と綿の繊維産業で輸出超過を計上すると、
欧米列強は一致団結して欧米から輸入される全ての商品に対する関税の上限を5%とするよう無理やり要求し、それを受け入れた日本は壊滅的な赤字決算となります。

その後、幕府の将軍は政権を返上し、明治の新政府になりましたが、
新政府は辛抱強く、欧米諸国と「5%付帯条項」の破棄について45年間交渉を重ねることとなります。

Re: to 東亜同務

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/10 00:13 投稿番号: [705 / 1329]
>ね、ガイキチでしょ?   やっこさん。

そうですねぇ。ざんねんだなぁ。(棒読み)














じつは、アレの前回の登場時に、程度は知っていたりします。
ピラミッドの話なんかも事前に知っていた上で、泳がせて楽しもうとしたウリは悪人ですか?(苦笑)

to 東亜同務

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/03/10 00:10 投稿番号: [704 / 1329]
ね、ガイキチでしょ?   やっこさん。

この手の笑いは凶悪るで飽きたなぁ。

Re: この長安の墓はbc5000以上の前だ

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/10 00:06 投稿番号: [703 / 1329]
>この高句麗式のビラミッド墓について。。
中国は放送とか新聞とかが絶対に秘密に管理なっているのだ。

秘密になっているなら、BC5000以上前のものだと、どうやってわかったんだい?

>廣開土天帝陛下の碑石は日本でもとても有名するので
説明する必要は無い。。以上

君はきちんと説明できないということだな。客観性の有る証拠を出して、自説を証明することを放棄して逃げるわけだ。はい、終了。

じゃ、約束どおり嘲笑してやるぜ。ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

この長安の墓はbc5000以上の前だ

投稿者: kundaikun 投稿日時: 2007/03/10 00:01 投稿番号: [702 / 1329]
この高句麗式のビラミッド墓について。。
中国は放送とか新聞とかが絶対に秘密に管理なっているのだ。

このビラミッドは世界最古だから。。

廣開土天帝陛下の碑石は日本でもとても有名するので
説明する必要は無い。。以上

それで

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/09 23:50 投稿番号: [701 / 1329]
この墳墓の年代はどうなっているんだい?(苦笑)

中国に高句麗式の墳墓があったからといって、中国が高句麗であったという証拠になるわけではないぞ。
高句麗及び中国側の文献に、君の主張を裏づける記述はあるのかな?
それらが一致して初めて主張できるわけだがね。

あと、広開土王碑はどうした?

れ: ちなみに百済日本の首都は中国の南京

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/03/09 23:44 投稿番号: [700 / 1329]
>そういう事実は僕ばかりが知ってるのだ。。クスクス

こいつ、正真正銘のキチガイだ…。

ちなみに百済日本の首都は中国の南京

投稿者: kundaikun 投稿日時: 2007/03/09 23:42 投稿番号: [699 / 1329]
そういう事実は僕ばかりが知ってるのだ。。クスクス

Re: http://tong.nate.com/bagagi68/310116

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/09 23:38 投稿番号: [698 / 1329]
>このサイトから
左方から上から下へ3番目。。
そして9番にある。

「ウリナラの歴史」ってところだな。
さっそく確認してみる。

↓下のサイトが高句麗のビラミットだ

投稿者: kundaikun 投稿日時: 2007/03/09 23:36 投稿番号: [697 / 1329]
中国の長安は高句麗の首都だった

http://tong.nate.com/bagagi68/31011653

投稿者: kundaikun 投稿日時: 2007/03/09 23:33 投稿番号: [696 / 1329]
ここに長安pyramidがある。
これは高句麗のビラミッドに同じだ。
だから中国は高句麗の土地だったという証拠だ。
このサイトから
左方から上から下へ3番目。。
そして9番にある。

東亜同務

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/03/09 23:32 投稿番号: [695 / 1329]
>論破というのは早すぎます。

スタートラインに着けないモノ相手ですから、「論破」は早急かもしれませんが、
似たようなものです。

マンゴウ同務

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/09 23:30 投稿番号: [694 / 1329]
論破というのは早すぎます。(苦笑)

まず、彼が論拠となるべき証拠を提示し、それを検討する段階に達して、初めて「議論」のスタートラインにつくことになりますので。
その結果がどうなるかはわかりませんし。

とりあえず、時間待ちです。

れRe: 満州が高句麗の土地〜

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/03/09 23:20 投稿番号: [693 / 1329]
>満州が高句麗の土地だったのは世界が認定してる。
ちょ〜せんだけが「世界」なのかい?
お前は「完璧」に精神病者だなぁ。
東亜同務に論破されてるし。

Re: 満州には多い高句麗の墓たちがある

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/09 23:17 投稿番号: [692 / 1329]
>その高句麗の墓たちと廣開土太王の碑石が証拠だ。

高句麗の墓?ああ、ピラミッド状のヤツか。

>写真の証拠はあるが、このサイトは写真は駄目だので、仕方ない。

その写真のあるサイトのURLを紹介してごらん。

で、広開土王碑のどこが証拠になるんだ?原文を持ってきて解説してみなさい。

満州には多い高句麗の墓たちがある

投稿者: kundaikun 投稿日時: 2007/03/09 23:07 投稿番号: [691 / 1329]
その高句麗の墓たちと廣開土太王の碑石が証拠だ。

そして満州には高句麗の多いpyramid墓があるし。。
中国の長安にもおおい朝鮮のpyramid墓がある。

だから中国の土地も高句麗の土地だったという証拠だ。
写真の証拠はあるが、このサイトは写真は駄目だので、仕方ない。

Re: 満州が高句麗の土地だったのは世界認定

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/09 22:59 投稿番号: [690 / 1329]
>満州が高句麗の土地だったのは世界が認定してる。

証拠となるものを出せ。

証拠もなしに言っているようじゃ、おもいっきり嘲笑してやるぜ。

れRe: 日本のの植民地根性、主犯は米国

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/03/09 22:37 投稿番号: [688 / 1329]
>満州はオランケの土地じゃなくて韓国の高句麗の土地だった。

ほ〜〜ら出た、妄想。
古い地図見たことあるの?   ないんだよなぁ、君は。
ちょ〜せんの妄想地図を見たことは確認できた。

通商条約の恐ろしさ

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/09 22:30 投稿番号: [687 / 1329]
>1800年代末に日本は米国の軍艦に降参した。

黒船が来て、
通商条約をしかたなく結んだってことでしょ。

通商条約の件で負けたのはインド・中国。

それをオランダからの親書で詳細な情報を得て観ていた日本は
慎重に通商条約を結んだ。

西洋人は伝統的に貿易で損することは絶対許さない。

どんなことをしても、益を得ようとする。

西洋のインド征服は、インドの沿岸諸都市に西洋人がアラブに代わって、インドから何か買わせていただきたいと言って、通商条約を結んだことから始まった。インド内部の抗争を自分達の利益のために利用し、300年経って、西洋人はインドを完全に自分の植民地とした。

中国もね、二千年以上から、アヘンが痛みを和らげる薬剤で、嗜癖の危険性があることを知っていた。そんな訳で、18世紀の末まで、中国の悪用する風習は無かった。
茶貿易での格差を埋めるために、中国市場向けに英国は儒教と道教の奉納画を輸出した。それがだめだと、ポルノの画集の輸出に切り換えた。それも中国から規制され、とうとう、インドで栽培したアヘンを売るようになった。
清廉潔白な中国の役人は数日のうちに西洋人のアヘン倉庫を焼き、アヘン戦争となった。3年続いて、中国は降伏し、多額の賠償金を払い、香港を割譲した。

それを観ていた日本は通商条約を結ぶのはどうしようもないことだけど、
なんとか被害を最小限にしようと試みたのが開国だったのです。

Re: 日本のの植民地根性、主犯は米国

投稿者: kundaikun 投稿日時: 2007/03/09 22:29 投稿番号: [686 / 1329]
満州はオランケの土地じゃなくて韓国の高句麗の土地だった。
日本が芿に満州を売りこんだのだ。

もし高句麗の子孫だった加藤キヨマサが知ったら、
とても悲しかったはずだ。

れ: 日本のの植民地根性、主犯は米国

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/03/09 21:17 投稿番号: [685 / 1329]
>韓国はただ満州ばかり中国に奪われただけだ。

北朝鮮の一部をオランケから奪ったことを自慢しないの?

日本のの植民地根性、主犯は米国

投稿者: kundaikun 投稿日時: 2007/03/09 17:56 投稿番号: [684 / 1329]
1800年代末に日本は米国の軍艦に降参した。
そういうくせに李氏朝鮮について口を並べるのか。。
日本は沖縄は米国に、サハリンはロシアに奪われたくせに。。
韓国はただ満州ばかり中国に奪われただけだ。

美の壷

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/08 22:20 投稿番号: [683 / 1329]
谷啓さんがナビゲーターをつとめる美術番組

http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20060526.html

>李朝家具は、柳宗悦や 白洲正子など日本を 代表する目利きたちを魅了し、今も骨董好きの垂涎(すいぜん)の的です。

>文人であったヤンバンたちの理想、 「清雅(せいが)」そして 「簡潔」という言葉にあります。

まずは「清雅」。ヤンバンは、国の官僚として、常に清らかであり、また貴族として雅であることを求められました。

>文化を支えたのは、 「ヤンバン」と呼ばれる高級官僚たちです。李朝家具の成り立ちにも、このヤンバンが 深く関わっています。


>次に「簡潔」。簡素にして、潔いという意味です。ヤンバンたちは、儒教の教えに従い華美であることを 戒めました。

Re: れ: 韓国伝統の遊戯

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/03/06 20:52 投稿番号: [682 / 1329]
>水原近くにある「民俗村」で、シーソーもブランコも見ました。

ありましたっけ?(行ったのが高校の時だったから忘れてる?)

でも、土産物店にブランコこぎの女性の絵の財布とかありましたね。
皇なつき「李朝・暗行記」の婚約者ミョンウル(明月)がクネ(ブランコ)の漕ぎ比べをする姿にときめくという場面の美しいイラストを思い出しました。

れ: 韓国伝統の遊戯

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/03/04 00:36 投稿番号: [681 / 1329]
>女性たちはシーソーのような物で飛び上がったり、ブランコに乗ったりして〜

水原近くにある「民俗村」で、シーソーもブランコも見ました。
シーソーでの「曲芸」には、感動させられました。マジ、凄かった。
でも、これは特殊でつね。

韓国伝統の遊戯

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/03/03 18:45 投稿番号: [680 / 1329]
李氏朝鮮時代、女性は家から出ることが許されなかった。
そこで女性たちはシーソーのような物で飛び上がったり、ブランコに乗ったりして塀の外の世界を見ようとしていた。

と聞いたことがある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伝統遊戯に興じる人たち

旧暦1月15日(小正月)を迎え京畿道坡州市の臨津閣で民俗祝祭が開かれ訪れた人たちが伝統遊戯などに興じた=3日、坡州(聯合)

http://file.yonhapnews.net/foreign/newsJP/PhotoAlbum/2007/20070303145237.jpg

(´・ω・`) 全く文化を感じられない・・・

↓これもひどい・・・
韓国伝統の餅つき(聯合ニュース)06/10/06
http://file.yonhapnews.net/foreign/newsJP/PhotoAlbum/2006/20061006154433.jpg
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