Re: お金の話②
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 05:05 投稿番号: [7 / 1329]
投稿者 : toapanlang 2006/ 3/11 1:06
>その後、1633年に「常平通宝」が発行されました。
土地売買の契約書を見ると、17世紀中ごろまでは、支払手段としては、米か綿布しかみられませんが、それ以降、つまり常平通宝の出現以降は銅銭が多くなっているようです。
また、16世紀末から17世紀初頭の両班である呉希文がソウルに近い平康にすんでいたころの日記に銀銭に関する記述があり、『太閤唐入り』のさい、援軍にきた明の兵士が持ち込んだ銀銭が通用していたのではないかと考えられています。
>公定レートは、1884年、イザベラ・ハートが「朝鮮紀行」を書き記した際の旅行を行った時で、
1ドル=1円(旧円)=0.1ポンド(2シリング)が、3200銭。
つまり1ドル=64圜=320両(1902年以降は、=32圜=320両)
「通貨に関する問題は、当時朝鮮国内を旅行する者を例外なく悩ませ、旅程を大きく左右した。日本の円や銭はソウルと条約港でしか通用しない。銀行や両替商は旅行先のどこにも一軒としてなく、しかも受け取ってもらえる貨幣は、当時公称3200枚で1ドルに相当する穴あき銭以外になかった。この貨幣は数百枚単位でなわに通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、なければないでまたそれも厄介なのである。100円分の穴あき銭を運ぶには6人の男か朝鮮馬一頭がいる。たった10ポンドなのにである!」(『朝鮮紀行』イザベラ・バード
第5章「旅支度/朝鮮の舟」)
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