日韓歴史論争

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

れ:明も余計なことしてくれたね

投稿者: jaway 投稿日時: 2004/02/27 14:51 投稿番号: [971 / 6952]
明は日本と直接的に国境を接したくなかったんでしょう。
で朝鮮をバッファーとして保持したんでは?

>当時の世界一の日本の鉄砲隊が

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/02/27 14:39 投稿番号: [970 / 6952]
>10万丁はあっただろうな。

20万丁とも言われています。
当時世界中の鉄砲保有数の、約65〜70%が日本に存在したと。(イエズス会宣教師の報告から、バチカンかどこかが算出した?)

驚くべきは、部隊の火力装備率。
織田家の場合、平均35〜40%
織田家家中の佐々成政の軍勢では、火力装備率80%ですから。
同時代の欧州最強軍である、スペイン本国軍でさえ、10%前後の火力装備率ですから。

サルホの戦い(纏め)

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/02/27 13:46 投稿番号: [969 / 6952]
trek氏の内容を纏めれば...

1.後金は戦略的原則(勝手知ったる場所で戦う、相手に心理戦を仕掛け誘導する)
戦術原則(兵力集中と、各個撃破)を忠実に守っていた。
明軍は戦略原則(兵站線確保、敵状確認)、戦術原則(兵力集中)を怠った。
朝鮮軍は戦略原則がそもそも、考慮されていなかった。(戦術原則は、交戦していないので、判断しづらい)

2.
>>後金軍の総兵力は10500程度だったようです
>この数字はこの時戦場に現れたのが1万程度だったというに過ぎない。

これは、もう少しいたのではなかろうか?(疑問提示)
総兵力8万は、通常動員か、戦時動員か、最大動員か、による。
通常動員の場合なら、各地に守備軍を配置しても、本体主力として2〜3万はいたと考える方が妥当。(動員力にまだ余裕があるため)
後金の軍制は知識としてないが、モンゴルを例に取れば、騎馬遊牧民系の軍は戦闘部隊と支援部隊の線引きが曖昧。
戦闘部隊は実質2万ほどか?

戦時動員8万なら、この「約1万」は理解できる。
最大動員8万なら、この場合兵力は精々7,8千も出せば目一杯か。

>実は朝鮮軍は飢えていた。兵糧は自前で、

これは軍事行動上から見れば、言い訳にもならない。
軍に充分な兵站を供給し続ける事は、まず大前提だから。
これが最初からできないのなら、その軍は侵攻作戦自体行ってはいけない。(その能力が無い)

3.
>>サルホ山は鴨緑江から直線距離にして僅かに150キロ程しか離れていません。徹夜すれば3、4日で朝鮮国内に引き返せたのでは?
>甘い考えだ。直線距離で150キロでもそこは敵地だ。出発地へ引き返すとすれば、西の撫順に向かうしかないが、すでに退路は絶たれていた。

サルホ山〜国境まで直線150kmとして、「徹夜で3,4日」の行軍で国境まで戻るのは不可能。
通常(中世〜現代)「歩兵」の行軍距離は、疲労を考慮すれば1日20〜25km程が適距離。(秀吉の「大返し」は中世以降の軍事行軍における、唯一の「奇跡」)
道も一直線・平坦ではなく、想定で20〜30%程の延長を考慮すれば200km前後か?
純粋にこれだけの距離を行軍するにしても、通常なら10日前後を有する。
また、この時の状況(特に、兵站路破綻による飢え)を考慮すれば、最短路を行軍したとしても、国境まではその1.5〜2倍の日数は掛かったと推定される。(疲労度も考慮して)
この局面での「投降」は是非も無し、ではなかろうか。

4.朝鮮側の対応
これには疑問が残る。
既に後金勢力の伸長を把握しているなら、何故外交努力を怠ったのか。(歴代朝鮮王朝の、中華従属・儒教思想は考慮していない表現です)
わざわざ「今回の出兵は本意ではないと書いた朝鮮国王の書簡までもたせていた。」
のならば、何故使者を後金に送り、同様の外交文書を渡さなかったのか?
戦場での離反・造反は戦国の常。日本の戦国時代でも日常茶飯事に生起した。
何故、どの努力を怠ったのか?
親書を持たせていても、それを見せない限り意味が無い。
もし、討ち取られ、戦場に打ち捨てられてその親書が後金に渡らなかったらどうするつもりだったのか?
辻褄が合わない。

5.
>>どうして朝鮮軍は明軍の後ろについていて、積極的に前に出ようとしなかったの?
>これには訳がある。実は劉挺はヌルハチのスパイ工作に引っかかり、杜松軍がすでに後金の都に到着したと思い込み、功をあせって、飢えた朝鮮軍を置いて、どんどん前進してしまったのだ。そして伏兵に遭って全滅した。

明軍に置いていかれた、のは、形としてそうであろうが、原因はやはり朝鮮軍兵站線破綻による飢えと疲労、それによる士気の低下ではなかろうか。

明も余計なことしてくれたね

投稿者: enpire_united2 投稿日時: 2004/02/27 12:45 投稿番号: [968 / 6952]
明が介入しなかったら朝鮮は今も日本の一部。
朝鮮人なんていう嫌われて馬鹿にされる民族はなくなってみんな日本人として幸せに暮らせたのに。
もっとも朝鮮人が足引っ張って今みたいな日本になってないかも知れないけど。

ミンジョクの血ですなぁ

投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2004/02/27 11:34 投稿番号: [967 / 6952]
>形だけは明のために出兵することにした。しかし、都元帥には万一の時は後金に降伏するよういい含め、今回の出兵は本意ではないと書いた朝鮮国王の書簡までもたせていた。


二股膏薬、三股膏薬の朝鮮人、、、、
強きに従い、弱きを叩く、、、
半万年の宗主国には逆らえず、、、、
今回の6カ国協議で敵前裏切り、、、、

ミンジョクの血ですなぁ

横からですが>内幕

投稿者: nanairokamen03 投稿日時: 2004/02/27 11:23 投稿番号: [966 / 6952]
>甘い考えだ。直線距離で150キロでもそこは敵地だ。出発地へ引き返すとすれば、西の撫順に向かうしかないが、すでに退路は絶たれていた。

同じ頃、関ヶ原で西軍総崩れの中、島津義弘は前方の敵中に向かって「退却」を敢行して鹿児島まで帰っています。この時、朝鮮から連れ帰られた少年でのちに士分に取り立てられていた侍が追撃してくる井伊直政を鉄砲で打っています。


>朝鮮の兵站部隊は慣れない土地のためか前線部隊に追いつけず、食料が届いていなかったのだ。明軍は少し位なら貸してくれたが、自分たちも飢えるので全部は貸してくれなかった。

小生この戦闘の経過は知っていましたが、不学のためこの部分は知りませんでした。

「お宅さんがちゃんとメシ喰わしてくれへんよってハラ減ってもう動けへん。義理でつきおうてきたけどここらへんで後金に降参しまっさ。悪う思わんとってか」ってなもんですか。

>しかし、都元帥には万一の時は後金に降伏するよういい含め、今回の出兵は本意ではないと書いた朝鮮国王の書簡までもたせていた。

歴史にifは無いって言いますが、もし明軍が勝っていたら当然のことのように自分達の功績を明の朝廷に申し立てることになっていたんでしょうなあ。ついでに満洲の一部を頂戴とか。

内幕

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/27 03:37 投稿番号: [965 / 6952]
自分でも少しは調べたようだから、この戦いの内幕を教えてあげよう。

>後金優勢と判断していたのなら最初から後金の配下に入っている筈です。明が勝つと判断したので明の配下に入ったのでしょう。

実は朝鮮が出兵を決定する前に明だけでなく、後金からも朝鮮に明のために出兵しないよう莫大な贈り物をしてきた。朝鮮国王の光海君は慎重派だったが、壬申倭乱時の明の恩義に報いるべきだという議論に勝てず、形だけは明のために出兵することにした。しかし、都元帥には万一の時は後金に降伏するよういい含め、今回の出兵は本意ではないと書いた朝鮮国王の書簡までもたせていた。

>後金軍の総兵力は10500程度だったようです

後金軍の総兵力は8万人いたが当然各地に分散していた。この数字はこの時戦場に現れたのが1万程度だったというに過ぎない。一方、明の総兵力は10万といっても、中国各地からの寄せ集めで弱兵も多かった。

>それに対して朝鮮軍は13000。どうして戦わずして敗北したの?

実は朝鮮軍は飢えていた。兵糧は自前で、劉挺の明軍には兵糧は届いていたが、朝鮮の兵站部隊は慣れない土地のためか前線部隊に追いつけず、食料が届いていなかったのだ。明軍は少し位なら貸してくれたが、自分たちも飢えるので全部は貸してくれなかった。朝鮮軍は飢えに苦しみながら戦場に向かっていたのだ。

>サルホ山は鴨緑江から直線距離にして僅かに150キロ程しか離れていません。徹夜すれば3、4日で朝鮮国内に引き返せたのでは?

甘い考えだ。直線距離で150キロでもそこは敵地だ。出発地へ引き返すとすれば、西の撫順に向かうしかないが、すでに退路は絶たれていた。

>どうして朝鮮軍は明軍の後ろについていて、積極的に前に出ようとしなかったの?

これには訳がある。実は劉挺はヌルハチのスパイ工作に引っかかり、杜松軍がすでに後金の都に到着したと思い込み、功をあせって、飢えた朝鮮軍を置いて、どんどん前進してしまったのだ。そして伏兵に遭って全滅した。歴史の現実はそんなことだ。朝鮮軍の監軍(目付け)はいたが、劉挺と一緒に前に出てしまい、負けてから戻ってきた。朝鮮軍が降伏すると聞いて、するなとも言えず、崖から身を投げて自殺してしまった。明軍の目付け役から見ても朝鮮軍の投降は已むを得ないものだった。

兵力

投稿者: bigboy_satan0 投稿日時: 2004/02/27 01:25 投稿番号: [964 / 6952]
>>どおして光海君って人は最初から明が敗北すると判ってたんだろうか?
>後金建国後、隣国の朝鮮はしばしば使節をヌルハチのもとに送り、女真が強いのは知っていた。その一方、明の腐敗堕落ぶりもよく承知していたから、後金の勝利を予想しないまでも、どっちが勝つかわからんと思っても不思議ではない。

後金優勢と判断していたのなら最初から後金の配下に入っている筈です。明が勝つと判断したので明の配下に入ったのでしょう。


>>どうして朝鮮本国に逃げ帰らずに全軍降伏しなきゃならなかったの?
>敵地奥深く入り込んでから逃げても、後金騎兵の餌食になるだけ。
>10万の明軍がすでに壊滅している以上、1万の朝鮮軍が戦っても勝ち目はない。すでに後金軍は朝鮮軍に対する攻撃に入っていた。こんな時に敗残兵狩りなどしない。

サルホ山は鴨緑江から直線距離にして僅かに150キロ程しか離れていません(朝鮮軍はサルフ山より更に本国よりにいる)。徹夜すれば3、4日で朝鮮国内に引き返せたのでは?国内にまで侵入してきたとしても、大山岳地帯なので隠れる場所はいくらでもあったでしょう。
朝鮮戦争時でも仁川上陸作戦後、多くの北朝鮮軍兵士が韓国東部の山岳地帯を北上して北朝鮮まで撤退に成功しました。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/1103/main13.html
http://www.h4.dion.ne.jp/~kosak/chinese.htm
↑によると後金軍の総兵力は10500程度だったようです、それに対して朝鮮軍は13000(明、朝鮮合計で10万)。どうして戦わずして敗北したの?


>>どっちが勝つか判らない状況だったのなら、なおさら朝鮮軍の活躍しだいで戦況を左右することが可能だったでしょう。重要なキャスティングボードを握っておきながら戦わずして降伏。しかもそのことが何故か美化されている。
>サルホの戦いのことなど読んだこともないくせに口先ひとつでよくこれだけデタラメを書けるものだ。
明は10万の兵力を四路に分け、後金の都を包囲しようとした。ヌルハチの後金軍はこれを各個撃破していった。まず総兵・杜松の率いる西路軍がサルホ山で破れ、杜松らが戦死、ついで総兵・馬林の率いる北路軍が壊滅、翌日後金軍は劉挺の率いる東路軍を襲撃、劉挺を戦死させて撃破した。朝鮮軍はその後ろについていたのだからどうしようもなかった。キャスティングボードなど握っていなかったんだよ。なお李如松の率いる南路軍は他軍が壊滅したのを知って撤退した。こちらは逃げるだけの余裕はあった。

どうして朝鮮軍は明軍の後ろについていて、積極的に前に出ようとしなかったの?
それじゃ戦う前から負け犬でしょ(実際に負け犬)。


>>戦わずして敗北ってところは日韓併合時と全く同じだね。要は自ら主体的に外交を行えず、明の属国のままでいようか後金の属国になろうかと思案しているだけ。「先見の明」だと美化していますが、単に弱小国家の屈辱外交なだけ。
>仁祖のように力もないのに強がりをいって、結局城下の盟を迫られるほうがよっぽど屈辱的。

日本に併合されたことも、朝鮮としては先見の明のあった誇るべき外交的成果だった訳だ!


>後金軍に鉄砲なんかなかった。明軍にも鉄砲があったが、弓矢が鉄砲に勝った例だ。鉄砲はあっても戦術的な用法ができなかったんだろうな

秀吉の朝鮮出兵とほぼ同時に明に対して苗族が反乱を起し、蒙古が攻撃を仕掛けています。結果的に秀吉の朝鮮出兵によって弱体化したのは豊臣家と明帝国、李氏朝鮮、蒙古、苗族。漁夫の利を得たのが後金と徳川家。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=ffckdcbfma4oi4baqa4aba4imha4bfa4na4a ba1a9&sid=1835396&mid=7623
一説によると徳川は日本と仲の良くない明と朝鮮の仲を裂く為に、その間にあった後金に鉄砲を援助したとか…

最近、大阪府警本部の建替え工事現場で、大阪冬の陣に備えて造られたとみられる銃撃用の塹壕跡(同時期では欧州でしか見られない)が発見されました。また、島原の乱の絵図にも塹壕らしき施設が描かれているそうです。鉄砲の普及が進んでいた日本では、既に近代戦の一歩手前の段階にまで達していたようです。

ま、そう苛つかないで下さいな

投稿者: kuubo_zuikaku 投稿日時: 2004/02/27 01:24 投稿番号: [963 / 6952]
>どうも捏造だというところに話しを持って行きたいようですね。
違いますよ。
>何のために出典まではっきりさせたいのでしょうか。
「東方礼儀之国」という言葉の出所を知りたかったのです。元々どういう意味であったのか。その意味から遊離してしまっているかどうか、確認したかっただけです。

貴公もと仰っているように、現在の日本人が日常使っている語彙とは別であるはずなのに、実際に韓国人がこの言葉を使う場合は日本人が考える「礼儀正しさ」を指しているように使いますよね、違いますか?(日本人は100%この意味で使いますね)。

で、私の感覚として古い中華が他国を素直に褒め称えるなんてあるのかと疑問が湧いたのです。だから語句に拘りました。

レスして頂いた事を鵜呑みにすれば、
>中国人が「東方礼儀之国」を儒教的秩序が整備された国という意味で使っているのは自明

であるから

>日本人の感覚で「現代の礼儀正しいという語彙と同じ」と考えるのはとんでもない見当違い

という事で良いのなら私にとっては納得できる結論です。
「東方礼儀之国」とは「日本的礼儀」を指す言葉ではないのですから、私が違和感を感じるのも宜なるかなという事で。

捏造という言葉を使ったのは「文献に出ていない」という事と、過去の捏造数の多さを考えれば、当然気を付けなければならないと思ったからです。

>無駄な議論のために出典探しまでさせられるのはごめん蒙りたい。
そんな事をさせる積りはありません。ただ、知ってるかなぁと思ったので、知りませんかと聞いただけです。

豊臣秀吉の朝鮮征伐のあと

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/02/26 21:47 投稿番号: [962 / 6952]
日本の鉄砲隊はさらに進化したらしいぞ。
日進月歩だ。

徳川の鎖国でその後、世界の兵器競争から取り残されたのは事実だがな。

ま、明治になると、下瀬火薬でロシア軍を圧倒したが。黄海海戦で旅順港に逃げ帰った旅順艦隊の惨状に下瀬火薬の威力におびえたらしいな、ロシア側は。この下瀬というひとは最初は、印刷局でインクの研究などしてたらしいな。東外大のそばの坂を下瀬坂というのは去年教えてもらったが。

その日本鉄砲隊が行っても

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/26 21:38 投稿番号: [961 / 6952]
朝鮮ひとつ取れなかった。
文禄の役では朝鮮の不意を突いて平壌まで攻め上ったが、明軍が出現すると驚いてソウルまで逃げ、さらにソウル龍山の兵糧置き場が放火されると食料がなくなり、自発的に釜山周辺まで退去、結局明に騙されて講和を結んだ。
慶長の役では明・朝鮮軍が待ち構えていたため、釜山周辺の橋頭堡を確保しただけで、ソウルは落とせなかった。もたもたするうちに秀吉が死んで、お開きになった。
鉄砲だけで「いちころ」というわけには行かない。
日本軍は明軍を完全撃破できなかったが、弓矢だけの後金軍が明軍を撃滅した。

>10万の明軍がすでに壊滅している以上、

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/02/26 21:30 投稿番号: [960 / 6952]
1万の朝鮮軍が戦っても勝ち目はない。


そりゃ、朝鮮軍だからだろう。

ラモウの日本軍守備隊は、わずか1280名で、20万の中国軍となんと3ヶ月以上戦った。(この間の蒋介石の《逆感状》の話は有名だな)。

おまけに、この背後には、30万の中国軍予備隊がいた。

当時の世界一の日本の鉄砲隊が

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/02/26 21:16 投稿番号: [959 / 6952]
行けば、ヌルハチだろうが、明だろうが、いちころだな。

10万丁はあっただろうな。

1618年からのヨーロッパの30年戦争での鉄砲の有効射程距離がわずか、50メートル。その頃日本の鉄砲の有効射程距離は100メートルを優にこえてたらしい。(射程距離は500メートル)。

本家に学んで、本家を超える日本らしい。

当時の鉄砲の弾は、鉄か鉛だが、特に鉛の場合は、ダムダム弾とおなじで、首に当たれば、首が吹っ飛ぶほどだったらしい。

>後金軍

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/26 19:17 投稿番号: [958 / 6952]
>どっちが勝つか判らない状況だったのなら、なおさら朝鮮軍の活躍しだいで戦況を左右することが可能だったでしょう。重要なキャスティングボードを握っておきながら戦わずして降伏。しかもそのことが何故か美化されている。

サルホの戦いのことなど読んだこともないくせに口先ひとつでよくこれだけデタラメを書けるものだ。
明は10万の兵力を四路に分け、後金の都を包囲しようとした。ヌルハチの後金軍はこれを各個撃破していった。まず総兵・杜松の率いる西路軍がサルホ山で破れ、杜松らが戦死、ついで総兵・馬林の率いる北路軍が壊滅、翌日後金軍は劉挺の率いる東路軍を襲撃、劉挺を戦死させて撃破した。朝鮮軍はその後ろについていたのだからどうしようもなかった。キャスティングボードなど握っていなかったんだよ。なお李如松の率いる南路軍は他軍が壊滅したのを知って撤退した。こちらは逃げるだけの余裕はあった。

>万単位の兵力がありながらどうして戦わないの?朝鮮軍ってそんなに弱いんだ!!後金軍は明の敗残兵への追撃を優先する可能性もあるでしょう。

10万の明軍がすでに壊滅している以上、1万の朝鮮軍が戦っても勝ち目はない。すでに後金軍は朝鮮軍に対する攻撃に入っていた。こんな時に敗残兵狩りなどしない。

>単に弱小国家の屈辱外交なだけ。

仁祖のように力もないのに強がりをいって、結局城下の盟を迫られるほうがよっぽど屈辱的。

>風が強く火縄が発火しないのならば、後金軍の鉄砲も使用できなかったんじゃないの?後金軍も条件は同じです。

だから何も知らないんだ。後金軍に鉄砲なんかなかった。明軍にも鉄砲があったが、弓矢が鉄砲に勝った例だ。鉄砲はあっても戦術的な用法ができなかったんだろうな。

>中国の史料は偏見にみちており、客観的に見る必要がある。

無知と偏見で恥の上塗りばかりしてるのは一体誰なんだ。

>>>>>厄病神の部隊

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/02/26 18:10 投稿番号: [957 / 6952]
>サルホの戦いの

あらら、そうですか。
赤城氏とかが、朝鮮戦争当時の話題を出されていたので、それに対してresしただけなんですがね。

>ダイレト・キャッシュと援助を込みにした数字だそうだ。
アメリカはこれで総額10億ドル韓国に払った
>朴正熙はサイゴン陥落まで付き合った。
フィリピンより頼り甲斐があったのは確か。

ほう。それは知りませなんだ。
ま、10億ドルであれば、当時の韓国ではかなり大金でしょうし。
そりゃ、出しますわな。
途中で引き上げりゃ、全額貰えなかったでしょうし。

>だから海外出兵の話になると日本は頼り甲斐がないわけ。自衛隊は日本が侵略された時だけ本格出動しますというんじゃ頼れない。

本末転倒ですが...(苦笑
自衛隊の本質は「国土防衛軍」ですしね。
ま、先の大戦のアレルギーが歪な形で国内に残っているのは確かですよ。

>とにかく勇ましいばかりが能ではない。軍事には計算も必要だ。

うん。だから日本と自衛隊はちゃんと「計算」してるでしょ?

>>>>厄病神の部隊

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/26 17:19 投稿番号: [956 / 6952]
>ん?朝鮮戦争当時の話をしていたんですが...??
何故「現代」??
もしかして、勘違いされている??

サルホの戦いの話が朝鮮戦争の話しに飛んだからだよ。
1950年の朝鮮戦争は現代史。

>これはあくまで、見返り経済援助額を派遣部隊数で割った数字なのでは?

ダイレト・キャッシュと援助を込みにした数字だそうだ。
アメリカはこれで総額10億ドル韓国に払った。
フィリピンのマルコスにも同じような話を持ちかけたが、マルコスは数千人を出して掴み金だけ取ったら、すぐに軍隊を引き上げさせた。朴正熙はサイゴン陥落まで付き合った。
フィリピンより頼り甲斐があったのは確か。

>イスラム原理主義組織から目の敵にされますよ。

アルカイダは韓国でテロ起こすより、日本でやるほうが宣伝効果は高いと思っているはずだが、人道援助だけですと言われたんではね。どっちを選ぶんだろ?

>今回は国内問題が要因で、ほぼ「丸腰」で行かざるを得なかったですが。

だから海外出兵の話になると日本は頼り甲斐がないわけ。自衛隊は日本が侵略された時だけ本格出動しますというんじゃ頼れない。とにかく勇ましいばかりが能ではない。軍事には計算も必要だ。

>>>厄病神の部隊

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/02/26 16:48 投稿番号: [955 / 6952]
>歴史的な話を単純に現代にまで直結させるのはどんなもんだろう。

ん?朝鮮戦争当時の話をしていたんですが...??
何故「現代」??
もしかして、勘違いされている??

>1師団あたり450万ドルの現金まで払って韓国軍のベトナム派兵を求め、総計30万人の韓国兵がベトナムに参戦したし

これはあくまで、見返り経済援助額を派遣部隊数で割った数字なのでは?
「おい、1師団300万ドルでどうだ?」
「いや、600万ドル」
「高い。350」
「550」
「400でどうだ?」
「500は欲しい」
「450だ。それ以上だと、余所に持って行くぞ」
「よし。450でいいでしょ」
「いくつ出す?」
「20個(1師団=1万5千として)」
「じゃ、9000万だな。口座に振り込んでおく」
「半金は前払いでお願い」
「現金なやつだ。ま、いいだろ」
「入金確認できたら、送り出すよ」

見たいな事、やったんですか??

>爆弾テロの荒れ狂うキルクークに治安維持部隊として出兵すると言っているんだから、安全なサマワに人道援助だけで行く日本の自衛隊よりは頼り甲斐があるのでは。

最近はキルクークだけが危険とは言えませんがね。
それに日本は「人道援助」に行くんですから。最初から。
韓国軍は「対テロ作戦」に「参戦」しに行くんですか?
それこそキルクークに多いクルド人組織(一時期ほどじゃないですが、世界的なネットワークを持つ過激な分派もありますよ)やら、イスラム原理主義組織から目の敵にされますよ。

自衛隊自体は、米軍からは信頼されているのですがね。
今回は国内問題が要因で、ほぼ「丸腰」で行かざるを得なかったですが。

>>厄病神の部隊

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/26 16:13 投稿番号: [954 / 6952]
>まぁ、そんな部隊だったからこそ、米軍も頭数には数えず、「国連軍」(多国籍軍)の方向に走ったのでは?(爆

歴史的な話を単純に現代にまで直結させるのはどんなもんだろう。

ベトナム戦争では米兵の被害を少しでも抑えるためにアメリカは1師団あたり450万ドルの現金まで払って韓国軍のベトナム派兵を求め、総計30万人の韓国兵がベトナムに参戦したし、イラクでもアメリカは韓国に韓国軍1万人の派遣を求めたが、今回は金は出さないので、嫌がられ、3600人に値切られている。それでも爆弾テロの荒れ狂うキルクークに治安維持部隊として出兵すると言っているんだから、安全なサマワに人道援助だけで行く日本の自衛隊よりは頼り甲斐があるのでは。

> レス遅れ失礼致しました

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/26 14:18 投稿番号: [953 / 6952]
>中華王朝の他国批評は南蛮東夷北狄西戎が基本です。そこから考えれば朝貢してきた国を「礼儀がある」と評した(とすれば)のは、現代の礼儀正しいという語彙と同じであるとは考えにくい。捏造癖もありますし。

どうも捏造だというところに話しを持って行きたいようですね。儒教的な「礼儀」を日本人の感覚で「現代の礼儀正しいという語彙と同じ」と考えるのはとんでもない見当違いです。日本は儒教的秩序を人間関係の根幹として制度化するところまで徹底して儒教を導入した国ではありませんからね。

「東方礼儀之国」という語句にこだわっているようですが、論語や漢書といった堂々たる中国古典に東夷、朝鮮は礼儀があるという意味のことを述べているわけだし、現実に韓国は歴史上、儒教的秩序を徹底して導入し、それは現代の習俗にまで影響を与えているのは前にも言ったとおりです。習俗だけでなく、刑法の姦通罪、民法の同姓(本貫)不婚など法律規定にまで残っているのです。

>大陸王朝がどういう意図で言ったのかが、推論も出来ませんね。

だから、中国人が「東方礼儀之国」を儒教的秩序が整備された国という意味で使っているのは自明なのです。

>やはり文献がはっきりしないと駄目ですね。

何のために出典まではっきりさせたいのでしょうか。無駄な議論のために出典探しまでさせられるのはごめん蒙りたい。

レス遅れ失礼致しました

投稿者: harukourouno2003 投稿日時: 2004/02/26 12:57 投稿番号: [952 / 6952]
色々お答え頂きありがとう御座いました。お礼レス遅れまして申し訳ないです。

貴公のレスから色々ググッてみました。

で、簡単にまとめると
・「東夷列伝」という書物は存在した形跡がない。つまりそこに「書かれている」という事実は無い。
・しかし韓国人は「存在し書かれている」事を事実と信じているので、礼儀之国と自称している。
・貴公は、どこに書かれているか知らないが、ある「はず」だと主張している。

やはり書かれている文献が何時の時代かが判らなければ、大陸王朝がどういう意図で言ったのかが、推論も出来ませんね。

中華王朝の他国批評は南蛮東夷北狄西戎が基本です。そこから考えれば朝貢してきた国を「礼儀がある」と評した(とすれば)のは、現代の礼儀正しいという語彙と同じであるとは考えにくい。捏造癖もありますし。
あと、王朝も漢民族以外の王朝でも中華思想というのはあったんですかね。
そこら辺りも考慮するとなると、やはり文献がはっきりしないと駄目ですね。

韓国板が当てにならないので、探るのに苦労しそうです。

また来ます。

>厄病神の部隊

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/02/26 11:16 投稿番号: [951 / 6952]
まぁ、そんな部隊だったからこそ、米軍も頭数には数えず、「国連軍」(多国籍軍)の方向に走ったのでは?(爆

英軍やら、トルコ軍も参戦していましたな...

龍兵団玉砕のときの

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/02/26 11:09 投稿番号: [950 / 6952]
話は感動的ですねー。

龍兵団に全滅が迫っているという報がラングーンにとどくと、傷病兵がぞくぞくと病院を脱走。歩けない足で杖を突いて戦場まで辿り着いたものもいたとか。

厄病神の部隊

投稿者: nanairokamen03 投稿日時: 2004/02/26 10:47 投稿番号: [949 / 6952]
宗主国様だと朝鮮人部隊の後ろに督戦軍を配置するんですが。

百倍の敵に囲まれたラモウの日本の

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/02/26 10:38 投稿番号: [948 / 6952]
龍兵団の玉砕とくらべると、なんともまあ。

味方にすると厄病神=朝鮮軍

投稿者: nanairokamen03 投稿日時: 2004/02/26 10:32 投稿番号: [947 / 6952]
>万単位の兵力がありながらどうして戦わないの?朝鮮軍ってそんなに弱いんだ!!

同じ事は朝鮮動乱の際に米陸軍、海兵隊が味わっています。韓国軍を先に進ませれば中国人民義勇軍の攻撃目標にされて先を争って味方陣地に逃げ込み味方の敗走を誘っています。後ろから進ませれば何時の間にかいなくなって共産軍がそこに侵出して米軍を袋のねずみにしています。ところが米軍の攻撃によって共産軍が退却すると俄然勇猛果敢な軍隊に変身。

後金軍

投稿者: bigboy_satan0 投稿日時: 2004/02/26 00:54 投稿番号: [946 / 6952]
>>どおして光海君って人は最初から明が敗北すると判ってたんだろうか?
>後金建国後、隣国の朝鮮はしばしば使節をヌルハチのもとに送り、女真が強いのは知っていた。その一方、明の腐敗堕落ぶりもよく承知していたから、後金の勝利を予想しないまでも、どっちが勝つかわからんと思っても不思議ではない。

どっちが勝つか判らない状況だったのなら、なおさら朝鮮軍の活躍しだいで戦況を左右することが可能だったでしょう。
重要なキャスティングボードを握っておきながら戦わずして降伏。しかもそのことが何故か美化されている。


>>どうして朝鮮本国に逃げ帰らずに全軍降伏しなきゃならなかったの?
>敵地奥深く入り込んでから逃げても、後金騎兵の餌食になるだけ。

万単位の兵力がありながらどうして戦わないの?朝鮮軍ってそんなに弱いんだ!!
後金軍は明の敗残兵への追撃を優先する可能性もあるでしょう。


>降伏するのを潔よいとはどこの国でもいわない。力もないのに強がりをいっても仁祖のように屈辱を舐めるだけ。光海君の二股外交の方が先見の明があったわけだ。少なくとも光海君の時代に女真は朝鮮に攻めてこなかった。

戦わずして敗北ってところは日韓併合時と全く同じだね。
要は自ら主体的に外交を行えず、明の属国のままでいようか後金の属国になろうかと思案しているだけ。「先見の明」だと美化していますが、単に弱小国家の屈辱外交なだけ。


>>火縄が発火せず降伏したなんて変だね。歪曲の臭いがします(著者の)。
>朝鮮実録にも中国の史料にも書いてあることを疑う必要はない。「臭い」だけが根拠か。

そもそも朝鮮軍の1割でも鉄砲隊がいたんでしょうか?他にも弓や槍、騎兵等もいただろうにどうして戦わなかったの?
風が強く火縄が発火しないのならば、後金軍の鉄砲も使用できなかったんじゃないの?後金軍も条件は同じです。
朝鮮軍が戦わずして降伏した本当の原因はいったいなんなのでしょう?

中国の史料は偏見にみちており、客観的に見る必要がある。

トレックさん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/25 18:47 投稿番号: [945 / 6952]
なるほど、胡散臭いですね。私はネットで出てたものをそのままに受け取るところでした。危ない、危ない…。これは信用に足りませんね。インターネット情報というのはそれなりにやはり裏づけが必要だと痛感します。知識がないと、うっかり何でも信じてしまいます。

>私がいっているのは、この書物がなくても、後世に「東方儀礼の国」と書いた中国文献はあるということです。

それはそうかと思います。ありがとうございました。

東夷列伝

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/25 17:28 投稿番号: [944 / 6952]
ハングル・サイトでを検索すると、中国の戦国末期、孔子7代の子孫で魏国宰相・孔斌が書いた「東夷列伝」に東方儀礼之国がみえるとあり、全文をハングル訳してあります。

http://yejul.com/korea/korea.html

中を見ると檀君朝鮮が出てきてエッと驚いてしまいました。中国史でこのような書物名を見たこともなく、出所をみると渤海国・大野勃著「檀奇古史」所載とあり、胡散臭い感じです。朝鮮で作られた偽書ではないでしょうか。

私がいっているのは、この書物がなくても、後世に「東方儀礼の国」と書いた中国文献はあるということです。

東方礼儀の国

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/25 12:13 投稿番号: [943 / 6952]
論語、漢書地理志に東夷、朝鮮は礼儀があると書いてあります。
(東方礼儀之国という言葉がそのまま出ているわけではありませんが。)

さらに統一新羅以降、高麗、朝鮮も儒教の礼儀を採用しており、一般の習俗をみても、ごく最近まで、老人や年長者の前ではタバコを吸ってはいけない、メガネをかけてはいけないなど、日本人には想像できないような「礼儀」がありました。(今は相手が了解すればいいそうですが。)

これらのことを考えてみると、「東方礼儀之国」と書いた中国の文献は必ずあるはずです。この一語のために文献を探しているほどヒマではありませんが。中国のサイトを検索しても「東方礼儀之国」でいくらも出てきます。

横レス

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/25 11:11 投稿番号: [942 / 6952]
横レス、失礼します。「東夷列伝」でしょうね。この資料をどう考えるか、記載された内容をどう捉えるかの問題についてはトレックさんの話を私もぜひうかがいたいです。トレックさん、よろしくお願いします。

>平家

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/25 10:04 投稿番号: [941 / 6952]
>どおして光海君って人は最初から明が敗北すると判ってたんだろうか?

後金建国後、隣国の朝鮮はしばしば使節をヌルハチのもとに送り、女真が強いのは知っていた。その一方、明の腐敗堕落ぶりもよく承知していたから、後金の勝利を予想しないまでも、どっちが勝つかわからんと思っても不思議ではない。
ちなみに申忠一など朝鮮使節が残した記録は清朝勃興史を研究するうえで重要史料となっている。

>どうして朝鮮本国に逃げ帰らずに全軍降伏しなきゃならなかったの?

敵地奥深く入り込んでから逃げても、後金騎兵の餌食になるだけ。

>著者は朝鮮軍が潔よかったと強調したかったのだろうか?

降伏するのを潔よいとはどこの国でもいわない。力もないのに強がりをいっても仁祖のように屈辱を舐めるだけ。光海君の二股外交の方が先見の明があったわけだ。少なくとも光海君の時代に女真は朝鮮に攻めてこなかった。

>火縄が発火せず降伏したなんて変だね。歪曲の臭いがします(著者の)。

朝鮮実録にも中国の史料にも書いてあることを疑う必要はない。「臭い」だけが根拠か。朝鮮史一冊読んだこともないんじゃないのか。

>平家もそうですが朝鮮軍も水鳥の羽音を敵襲と勘違いして敗走したと何かの本で読んだ記憶があるのですが・・・

曖昧な話だ。いつどこでそんなことがあったのか、はっきりしてもらいたい。

横レスすいません

投稿者: kuubo_zuikaku 投稿日時: 2004/02/25 02:20 投稿番号: [940 / 6952]
トレックさんを見込んでお知恵を拝借したいのですが。
「東方礼儀之國」ってどこの文献に載っているんですか。
初心者ですいません。
これは第三者の評価であって、自己評価じゃないんですよね。

すいません。
どうググッても文献に行き当たらないもので。

平家

投稿者: bigboy_satan0 投稿日時: 2004/02/25 01:53 投稿番号: [939 / 6952]
>姜弘立の朝鮮軍は全軍降伏した。

どうして朝鮮本国に逃げ帰らずに全軍降伏しなきゃならなかったの?
著者は朝鮮軍が潔よかったと強調したかったのだろうか?


>光海君は都元帥・姜弘立に1万の兵を授け、満州に派遣するが、適当な時期に降伏しろと言い含めた。

どおして光海君って人は最初から明が敗北すると判ってたんだろうか?


>前を進んでいた劉挺軍が壊滅し、総兵・劉挺が戦死、後金軍が迫ってくると、日本軍から習った自慢の鉄砲隊で打ち払おうとしたが、風が強くて火縄が発火せず、降伏したものである。

果たして朝鮮軍の何%が鉄砲隊だったのか?
火縄が発火せず降伏したなんて変だね。歪曲の臭いがします(著者の)。


>>朝鮮軍は水鳥の羽音を敵襲と勘違いして敗走しただけじゃなかったっけ?
>それは平家じゃないか。

平家もそうですが朝鮮軍も水鳥の羽音を敵襲と勘違いして敗走したと何かの本で読んだ記憶があるのですが・・・

>三田渡以後

投稿者: saltinium 投稿日時: 2004/02/24 15:49 投稿番号: [938 / 6952]
>国際情勢や民心の動向を十分読むことができず、富国強兵を図らなければならない時期にあまりにも王位に執着して、国家と人民を危機に陥れた。

朝鮮王朝末期の大院君、ミンピ、高宗、その他大臣ズに対する評価も、この一文で適用可能な気が。

>>>東夷が殷を建国

投稿者: kohshien21 投稿日時: 2004/02/24 15:24 投稿番号: [937 / 6952]
私は商を生来の部族と勝手に思っていましたが、前身が東夷の一族であること納得しました。

東夷は貴兄の言われる如く、遼東半島から現在の浙江省に至るまで中国沿海部に幅広く居住。従って、夏の東に住むゆえ東夷と呼称された。又、その一部が商丘に移り住み華夏化したことは理解できます。

>この東夷民族を韓民族と同一視し、韓民族が漢字文明を創造したのだと極論する韓国の学派は   grand   korea   school   と呼ばれています。もちろん、ここではそんなことを言っているのではありません。

貴兄の姿勢は正しいと思います。

大韓国学派とは、とんでも歴史屋さんの集まりですか。

東夷=朝鮮族は論理飛躍と知人の中国人は言う。但し、
「朝鮮族の先祖は東夷部落の一族と言う説もあります」と言う。

してみると、朝鮮族には高句麗の夫余族と遼東半島当たりの東夷の一部族の血も流れている可能性がありますね。

民族成立のロマンか。

>サルホ

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/23 04:48 投稿番号: [936 / 6952]
>朝鮮軍は水鳥の羽音を敵襲と勘違いして敗走しただけじゃなかったっけ?

それは平家じゃないか。

姜弘立の朝鮮軍は全軍降伏した。
前を進んでいた劉挺軍が壊滅し、総兵・劉挺が戦死、後金軍が迫ってくると、日本軍から習った自慢の鉄砲隊で打ち払おうとしたが、風が強くて火縄が発火せず、降伏したものである。

サルホ

投稿者: bigboy_satan0 投稿日時: 2004/02/23 02:00 投稿番号: [935 / 6952]
>光海君は都元帥・姜弘立に1万の兵を授け、満州に派遣するが、適当な時期に降伏しろと言い含めた。1618年、明は10万の兵力を動員して後金(建州女真)の都・ヘテアラ(現・遼寧省新賓県)をを攻撃したが、サルホの戦いでヌルハチの指揮する6万の後金軍に大敗した。劉挺軍の後尾に付いていた姜弘立の朝鮮軍は後金軍の攻撃を受けると、直ちに投降した。


朝鮮軍は水鳥の羽音を敵襲と勘違いして敗走しただけじゃなかったっけ?

というより

投稿者: nidarlist 投稿日時: 2004/02/23 01:29 投稿番号: [934 / 6952]
>ただ、中国を征服した満州民族は被支配者の漢民族によって同化され、現在満州語を話す者もほとんどなくなり、民族としての実態を喪失してしまったが、朝鮮の韓民族は日本の植民地支配や南北分裂といった歴史の激動を経験しながらも、民族としても存立は揺らぎもしていない。この辺りに韓民族のしたたかさを見る思いがする。

民族意識は日本から学んだんじゃないんだろか?
李氏朝鮮の頃は独自の民族というより、むしろ中華の後継者であると・・

三田渡以後

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/20 16:51 投稿番号: [932 / 6952]
十数年にわたって親明政策を取り続けた仁祖はよく処刑もされず、廃位もされなかったものだと思う。ホンタイジの戦略は朝鮮を完全に屈服させて、対明戦争に専念することだけであり、朝鮮併合は全く考えていなかった。しかし、仁祖は三田渡における九叩三拝のパーフォーマンスだけで許されたのではなかった。朝鮮は毎年、莫大な貢納を清に義務付けられただけでなく、これまで仁祖と結託していた親明派高官が清に連行され、さらに仁祖の王世子と王子が人質として清都・瀋陽に送られ、8年に渡って抑留された。瀋陽で広い世界を見て、帰国した王世子は仁祖と考えが合わなくなり、仁祖の怒りを買って毒殺された。

ホンタイジは明征服を目前にして1943年に病没し、その子のフーリンが清帝に即位、ドルコンが摂政となった。翌年李自成の農民反乱軍が北京を占領して明王朝が滅亡すると、山海関守将・呉三桂が李自成討伐のため清軍を関内に導入したので、清はやすやすと北京の主となった。

仁祖は明の滅亡と清の入関を見た後、1649年に55歳で死去し、その次男が朝鮮王を継承した(孝宗)。1637年1月30日三田渡における降伏によって確定した大清属国としての朝鮮の地位は1895年日清戦争によって清が朝鮮から追い出されるまで2世紀半余りにわたって続いた。現在の韓国の歴史家は仁祖について

>国際情勢や民心の動向を十分読むことができず、富国強兵を図らなければならない時期にあまりにも王位に執着して、国家と人民を危機に陥れた。

と断じている。

ただ、中国を征服した満州民族は被支配者の漢民族によって同化され、現在満州語を話す者もほとんどなくなり、民族としての実態を喪失してしまったが、朝鮮の韓民族は日本の植民地支配や南北分裂といった歴史の激動を経験しながらも、民族としても存立は揺らぎもしていない。この辺りに韓民族のしたたかさを見る思いがする。

三田渡への道

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/19 16:01 投稿番号: [931 / 6952]
明王朝が反明の旗を掲げた建州女真討伐のため、朝鮮に出兵を要請してきた時、光海君は断りきれなかった。国境を接する建州女真は日の出の勢いで、これと対立するのは朝鮮にとってリスクが大きい。しかし、明はかって援朝軍を送り、日本軍を追い落としてくれた恩がある。光海君は都元帥・姜弘立に1万の兵を授け、満州に派遣するが、適当な時期に降伏しろと言い含めた。1618年、明は10万の兵力を動員して後金(建州女真)の都・ヘテアラ(現・遼寧省新賓県)をを攻撃したが、サルホの戦いでヌルハチの指揮する6万の後金軍に大敗した。劉挺軍の後尾に付いていた姜弘立の朝鮮軍は後金軍の攻撃を受けると、直ちに投降した。サルホの敗戦で明は守勢に立ち、ヌルハチの後金軍は遼東平原に進出、遼陽と瀋陽を陥落させ、都を移す。朝鮮の光海君はこのような情勢のなかで、後金の攻撃を避けるため、明と後金どっちつかずの外交政策を続けた。ソウルでは事大を掲げる親明派が台頭し、光海君の対外政策を生ぬるいとして、1623年光海君を廃位するクデターを敢行した。これによって親明派の仁祖が即位したため、朝鮮史上「仁祖反正」と呼ばれる。これが仁祖反正を描いた韓国映画・清風明月のMVである。

http://player.bugsmusic.co.kr/mvplayer/view.asp?code=ants&video=310720066,&server=218.153.5.202&type=&music_idx=kor0O215843

政権を握った仁祖は明将・毛文龍の朝鮮国内駐留を認め、毛文龍の明軍は背後から後金を脅かした。この間、後金では一代の英雄・ヌルハチが遼西の広寧城攻撃の際受けた傷が元で死去し、その子ホンタイジが汗(ハン)に即位、さらに国号を清と改め、皇帝の位に就いていた。ホンタイジはたびたび朝鮮に明軍の撤兵を求めてきたが、親明派の仁祖がこれを拒絶、清と朝鮮の関係は緊張した。ホンタイジは1627年、阿敏を将とする3万の清軍を朝鮮に派遣した。これが丁卯胡乱である。毛文龍は皮島に逃げ込んだ。阿敏は姜弘立を道案内として朝鮮に侵入、平壌を陥落させ、黄海道まで攻め込んできた。仁祖の朝鮮宮廷は江華島に避難、さらにソウル陥落を恐れて清を兄と仰ぐ条件で清軍と講和した。しかし、清軍が撤退すると、相変わらず親明政策を続け、毛文龍没後も明軍の皮島駐留を認めていた。これに業を煮やしたホンタイジは清と朝鮮の関係を兄弟の関係から君臣の関係に変更するよう求めてきた。仁祖がこれを拒絶すると、ホンタイジは1636年自ら朝鮮討伐の軍を起こす。これが丙子胡乱である。ホンタイジの親征軍はソウルを占領、仁祖は南漢山城に立て籠もる。しかし江華島に逃れた王妃、王子らが清軍に捕まると、もはやこれまでと観念し、漢江南岸の三田渡でホンタイジに投降したものである。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)