三田渡の屈辱
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/18 15:51 投稿番号: [924 / 6952]
> 韓国土下座の始まり、三田渡碑
半島の王が外国の皇帝に九叩三拝を行ったのは朝鮮の仁祖が最初ではありません。そもそも、九叩三拝の礼とは中国皇帝に対する臣下の礼で、中国皇帝の前ではすべての臣下や外国使臣がこの礼を行ったのです。唐に行った日本の遣唐使や清朝に朝貢したポルトガルやオランダの使臣も行っています。外国の王が中国宮廷に来れば王もこの礼を行ったのです。
唐に滅ぼされた百済の義慈王は唐将の宴会に呼び出されて、酒を注いで回らされた上、長安に連行され、長安則天門楼に唐高宗が出御して受降式が行われています。ここで義慈王が高宗に九叩三拝の礼を行って許された。
高句麗最後の宝蔵王も降伏後、長安に連行され、唐高宗が出御して受降式が行われ、宝蔵王は許されたとあるので、高句麗王も九叩三拝を行ったのです。その他、モンゴル元朝の支配下にあった高麗王も元都に赴けば、元朝皇帝に対して九叩三拝を行ったと思います。
三田渡の屈辱は単に仁祖が九叩三拝の礼を取ったというだけではなく、その相手がこれまで朝鮮がオランケと呼んで蔑んでいた女真人の君主であったこと、この時太宗ホンタイジは国号を後金から清に改めたばかりだったが、山海関内には中華帝国である明王朝が依然として存在しており、清はたんなる満州国家で中華帝国ではなかったことだと言えます。
これは メッセージ 917 (pyonjyon7944 さん)への返信です.
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