日韓歴史論争

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内幕

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/27 03:37 投稿番号: [965 / 6952]
自分でも少しは調べたようだから、この戦いの内幕を教えてあげよう。

>後金優勢と判断していたのなら最初から後金の配下に入っている筈です。明が勝つと判断したので明の配下に入ったのでしょう。

実は朝鮮が出兵を決定する前に明だけでなく、後金からも朝鮮に明のために出兵しないよう莫大な贈り物をしてきた。朝鮮国王の光海君は慎重派だったが、壬申倭乱時の明の恩義に報いるべきだという議論に勝てず、形だけは明のために出兵することにした。しかし、都元帥には万一の時は後金に降伏するよういい含め、今回の出兵は本意ではないと書いた朝鮮国王の書簡までもたせていた。

>後金軍の総兵力は10500程度だったようです

後金軍の総兵力は8万人いたが当然各地に分散していた。この数字はこの時戦場に現れたのが1万程度だったというに過ぎない。一方、明の総兵力は10万といっても、中国各地からの寄せ集めで弱兵も多かった。

>それに対して朝鮮軍は13000。どうして戦わずして敗北したの?

実は朝鮮軍は飢えていた。兵糧は自前で、劉挺の明軍には兵糧は届いていたが、朝鮮の兵站部隊は慣れない土地のためか前線部隊に追いつけず、食料が届いていなかったのだ。明軍は少し位なら貸してくれたが、自分たちも飢えるので全部は貸してくれなかった。朝鮮軍は飢えに苦しみながら戦場に向かっていたのだ。

>サルホ山は鴨緑江から直線距離にして僅かに150キロ程しか離れていません。徹夜すれば3、4日で朝鮮国内に引き返せたのでは?

甘い考えだ。直線距離で150キロでもそこは敵地だ。出発地へ引き返すとすれば、西の撫順に向かうしかないが、すでに退路は絶たれていた。

>どうして朝鮮軍は明軍の後ろについていて、積極的に前に出ようとしなかったの?

これには訳がある。実は劉挺はヌルハチのスパイ工作に引っかかり、杜松軍がすでに後金の都に到着したと思い込み、功をあせって、飢えた朝鮮軍を置いて、どんどん前進してしまったのだ。そして伏兵に遭って全滅した。歴史の現実はそんなことだ。朝鮮軍の監軍(目付け)はいたが、劉挺と一緒に前に出てしまい、負けてから戻ってきた。朝鮮軍が降伏すると聞いて、するなとも言えず、崖から身を投げて自殺してしまった。明軍の目付け役から見ても朝鮮軍の投降は已むを得ないものだった。
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