竹島
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発つ鳥跡を濁さず
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/10 14:27 投稿番号: [3642 / 18519]
と日本では言うんだが、そんな観念のない韓国人が竹島から出ることを余儀なくされるときは、後始末が大変だろうな。 今から日本政府としては韓国政府に竹島を韓国式に破壊・汚染しないように言っておくべきだね。 (笑)
これは メッセージ 3641 (Gaenara さん)への返信です.
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竹島を有人島にしたところで
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/10 13:59 投稿番号: [3641 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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韓国中探して出てくる確実な証拠
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/10 12:14 投稿番号: [3640 / 18519]
韓国が「獨島」領有権を主張できる確実な証拠は韓国中を探しても出てこないですが、第三者が見て韓国に領有権がないことを証明する確実な証拠は、1899年の「大韓全図」と1946年の「朝鮮常識問答」以外にも今後出てくると思いますね。
これは メッセージ 3639 (seonsaeng さん)への返信です.
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1906年 → 1881年
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/10 10:55 投稿番号: [3639 / 18519]
韓国の「歴史の再編」の一環として「獨島」名の使用開始年が裏付ける証拠も無しに1906年から1881年に変更されていることも、韓国中を探しても出てこない確実な証拠の欠落が、曲解・歪曲・捏造へと韓国を今なお走らせているということですね。
これは メッセージ 3637 (seonsaeng さん)への返信です.
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1643年
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/10 10:15 投稿番号: [3637 / 18519]
>歴史資料で勝手に物語を作り、それを完全な事実としてしまうこと…。
韓国の主張の最大の弱点は、実際に竹島(韓国名、獨島)に上陸した記録が存在しないことですね。
米子の回船問屋、大谷九右衛門勝実が1643年に竹島を発見したといった確実な資料が韓国には皆無なのです。
ですから、在り合わせの資料をこじ付けながら曲解しての議論の防戦を強いられているわけです。
これは メッセージ 3631 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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はい
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 22:26 投稿番号: [3636 / 18519]
>まあ、そう言う理屈は勝手に考えて頂いて結構ですが、愚生は関知しません。
はい。
>独立門が東島の東端なのが余りにもケンチャナヨですな。
北はどの方向ですか。ま、ケンチャナヨ。
これは メッセージ 3635 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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そっち方面ですか
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/09 21:39 投稿番号: [3635 / 18519]
>つまり、金自周は金漢京に案内を受けた咸鏡道の役人に過ぎないのであり、金漢京は天気がよければ咸鏡道から三峰島が見えると言っているような人。慶尚道から鬱陵島方向に航路をとった朴宗元と金自周の探査はまったく別に考えるべきです。
慶尚道ではなく江原道ですが、細かいことはいいでしょう。
まあ、そう言う理屈は勝手に考えて頂いて結構ですが、愚生は関知しません。
>東島の独立門の場合、他の小島・中島はどういう見取り図になるのでしょうか。
中島は現在の西島かなとも考えてみたりです。
島の東北から見たり、南東から見たりしなくても東から順に小島中島小島と並びそうな気もしますが、独立門が東島の東端なのが余りにもケンチャナヨですな。
これは メッセージ 3633 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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まぁ
投稿者: kikikirin20022002 投稿日時: 2004/02/09 21:33 投稿番号: [3634 / 18519]
>韓国人の「獨島」への思いは、嘘を並べることによって植え込まれた意識から来ているのです。
嘘つきのキチガイどもですから・・・
つか、朝鮮人ですから・・・
これは メッセージ 3619 (seonsaeng さん)への返信です.
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そうです
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 21:25 投稿番号: [3633 / 18519]
>成宗実録の記述に誤りがなければ、鬱陵島に達して大竹などを持ち帰った筈の朴宗元は三峯島に到達していないと書かれており
そうですよ。
>「往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不至而還」この朴宗元が「不至」だった島こそが金自周の報告した三峯島だからです。
朴宗元が「不至」だった島はたしかに三峰島です。鬱陵島とは別の島を探したのです。しかし、金自周が金漢京に案内してもらって行ったつもりであった三峰島は現在の目から見れば鬱陵島に過ぎませんでした。
つまり、金自周は金漢京に案内を受けた咸鏡道の役人に過ぎないのであり、金漢京は天気がよければ咸鏡道から三峰島が見えると言っているような人。慶尚道から鬱陵島方向に航路をとった朴宗元と金自周の探査はまったく別に考えるべきです。
金自周が行った島を鬱陵島と考えることに何ら矛盾はありません。
>さて「西距島七八里許」の解読についてですが、これを島を西に見てと解読できる可能性を考えていました。結論としては、現在では「有り得る」のではないかと考えています。
「有り得る」どころか、私はあたりまえだと思っていますよ。ググればいくらでも同じ用例が見つかるからです。(ほとんどが現代中国語ですが、古典もあります)むしろ「島から西に」という形での用例はどうなのでしょうか。
とにかく「有り得る」だけでもご理解いただきありがとうございます。半月城さんだったら、「どの研究者もそういう解釈はしていません」と怒りだすところです。
>今では愚生は、東島の独立門辺りを「三石列立」と解読しても良いかなあなどと考えても見たりです。
東島の独立門の場合、他の小島・中島はどういう見取り図になるのでしょうか。
これは メッセージ 3632 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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ああそうですか
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/09 21:02 投稿番号: [3632 / 18519]
>>一島説では成宗7年の記述に矛盾が生じる問題に目をつぶっての、
>全く矛盾はありませんが?まぁ、金自周の報告にある「巖石列立」をどう考えるかだけが、たった一つの疑問です。
#3534で指摘したとおり、成宗7年の記述は明らかに鬱陵島の可能性を排除して読まねばなりません。
成宗実録の記述に誤りがなければ、鬱陵島に達して大竹などを持ち帰った筈の朴宗元は三峯島に到達していないと書かれており「往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不至而還」この朴宗元が「不至」だった島こそが金自周の報告した三峯島だからです。
まあ、どんなに三峯島を鬱陵島にこじつけようとしても端から無理ってもんです。
さて「西距島七八里許」の解読についてですが、これを島を西に見てと解読できる可能性を考えていました。
結論としては、現在では「有り得る」のではないかと考えています。
今では愚生は、東島の独立門辺りを「三石列立」と解読しても良いかなあなどと考えても見たりです。
ゆるりとね。
これは メッセージ 3625 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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あ
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 20:57 投稿番号: [3631 / 18519]
>資料で勝手に物語を作らないで欲しいものです。
これはシンヨンハ教授のことを言っているのであって、seonsaengさんのことではありません。韓国人の悪い癖ではないでしょうか。歴史資料で勝手に物語を作り、それを完全な事実としてしまうこと…。
これは メッセージ 3629 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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>世宗実録の2つの島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/02/09 20:39 投稿番号: [3630 / 18519]
>世宗実録の2つの島と言うのは鬱稜島と竹島(獨島)を云うのではなく鬱稜島本島と周囲の島を云ったのか又は竹島(獨島)を2つの島と云ったのかいずれに間違いない
私的には、東西・南北二息(2.5km?)で周回八息(10km?)で男女11戸、60人が定住していた武陵島以外の島。つまり、白加勿が丁稚あげた流山国島のなれの果てだと思ふ。竹島やchukdoとも方角が真逆で、鬱陵島と形状が類似し若干小さめで、現実にはありえない島が地図に表記されるのも、白加勿の嘘がベースだからでしょ。
架空の島が、安龍福以降の探査で鬱陵島の知識が増えるにつれ、chukdoの名称へと変化したと。
これは メッセージ 3627 (seonsaeng さん)への返信です.
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いえ
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 20:27 投稿番号: [3629 / 18519]
これはソウル大学シンヨンハ教授の文章を半月城さんが翻訳したものです。資料で勝手に物語を作らないで欲しいものです。
これは メッセージ 3628 (seonsaeng さん)への返信です.
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こじつけと言うより
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 20:14 投稿番号: [3628 / 18519]
>>しかし、李奎遠は古代の于山国の基盤が鬱陵島・竹嶼島・于山島(獨島)の三島で構成されていたと確信し認識を強固にして戻った。
これは捏造に当たりますね。こういう在日がいることに、他の在日の方はどう思われているのか知りたいところです。
これは メッセージ 3626 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3628.html
世宗実録の2つの島
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 20:06 投稿番号: [3627 / 18519]
>世宗実録の2つの島と言うのは鬱稜島と竹島(獨島)を云うのではなく鬱稜島本島と周囲の島を云ったのか又は竹島(獨島)を2つの島と云ったのかいずれに間違いない
世宗実録は実際に現地を探索して書かれた物ではない為に証拠にはなりません。
伝説の于山島を鬱稜島の別名同島と認識できるだけの知識が当時の朝鮮になかったことを証明するだけの資料ですね。
これは メッセージ 3622 (daimanjisan さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3627.html
ここです
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 20:03 投稿番号: [3626 / 18519]
ちなみに先にリンクした問答でこじつけと言うのは、ここです。
>李奎遠一行は、この過程で鬱陵島のすぐ近くにある岩島の竹嶼島(または通称、竹島)を探しだし観察したが、鬱陵島から 49カイリも離れた于山島(獨島)は鬱陵島滞在者から存在するという話だけを聞き、現地調査は風浪を恐れ実行しなかった。
>しかし、李奎遠は古代の于山国の基盤が鬱陵島・竹嶼島・于山島(獨島)の三島で構成されていたと確信し認識を強固にして戻った。
これは メッセージ 3137 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3626.html
>さてと
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 19:54 投稿番号: [3625 / 18519]
これは メッセージ 3623 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3625.html
韓国のこじつけ作業
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 19:45 投稿番号: [3624 / 18519]
これは メッセージ 3623 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3624.html
さてと
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/09 18:40 投稿番号: [3623 / 18519]
一島説では成宗7年の記述に矛盾が生じる問題に目をつぶっての、三峯島=鬱陵島説のこじつけ作業は進んでおりますでしょうか。
東北から西を見たり、浚渫説や色んな考えが出てきているようで、興味深く拝見しております。
さて、島の姿が昔のままであるとは限らない意味では、良い収穫をさせて貰いました。
獨島は一時米軍の爆撃演習地になったことがありますので、なるほど島の形が変わることは充分に有り得そうな話です。
これは メッセージ 3559 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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やはり そうであったか!
投稿者: daimanjisan 投稿日時: 2004/02/09 15:00 投稿番号: [3622 / 18519]
朴宗元・咸鏡北道観察使・成宗実録巻72
等はおかしく
金漢京・金自周・永安道観察使
等は正直だったか
いずれにしても古文書・歴史書の解釈する者におかしなの(AHO)が居ると更におかしくなる
半島東海岸チュクピョンから最短で150km。江原道太白山脈からは鬱稜島は見える。これが三峯島に見えた訳だ。
最短で220km離れた竹島(獨島)は小さい岩礁である為
物理的に見えない。
鬱稜島から90km離れた竹島(獨島)は海面のモヤで物理的に見えない。
世宗実録の2つの島と言うのは鬱稜島と竹島(獨島)を云うのではなく鬱稜島本島と周囲の島を云ったのか又は竹島(獨島)を2つの島と云ったのかいずれに間違いない
当時の朝鮮の造船技術と航海術や外洋探索心は非常に貧弱で乏しく山から見えた島に行こうとしてもなかなかたどり着けなかった。
1970年頃
外航船員の時
江原道束草大浦に行ったが(岸壁が整備してないから
沖に錨泊)荷役人夫の質や町の雰囲気は日本より50年遅れていると皆云ってた。
その時
日本は世界一の造船王国と海運王国で有った訳だが。
よってましてや何百年も前に現在の竹島に往く能力もないし往く必要も無かった訳だ
我が国はご存知のように400年前から後朱印船・千石船・松前船など大型帆船が日本海を往来していたし小型船でも伝馬船やカンコ船は今でも使用されて居るぐらい優れています。
よって我が国の方が先に現在の鬱稜島を竹島、現在の竹島を松島として往来していたのです。その後韓国も日本によって発達すると近くの鬱稜島を領土化し現在の竹島までも日本が大人しくしていると思っているのか領内に入れようとしているのです。
AmIAHOは独断と偏見で日本と朝鮮の歴史書を自分の都合のいいように解釈・捏造していたのです。
アムアイアホよ
オヌシモ
ヤルヨノ〜ォ
これは メッセージ 3618 (Gaenara さん)への返信です.
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tokdo.co.kr
投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/02/09 12:40 投稿番号: [3621 / 18519]
これは メッセージ 3620 (seonsaeng さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3621.html
植え込まれた意識
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 11:59 投稿番号: [3620 / 18519]
これは メッセージ 3619 (seonsaeng さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3620.html
韓国人の「獨島」への思い
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 10:24 投稿番号: [3619 / 18519]
>19世紀末頃から狙った植民地化の最初が独島を日本領土化することだったという意識から来ていると思います。
そういう意識があるのは理解しています。しかし、それは植え込まれた意識と言えます。
竹島(韓国名、獨島)が韓国領であった証拠はありません。 あるのは、嘘を並べて捏造したものばかりです。
韓国人の「獨島」への思いは、嘘を並べることによって植え込まれた意識から来ているのです。
これは メッセージ 3590 (mattouya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3619.html
>>三仙岩
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/08 21:49 投稿番号: [3618 / 18519]
>その二岩石の左横に立っている小岩石が「鬱稜島外図」にある「四石列立」の一つと思われますね。
なるほど。 その小岩石である可能性は高いね。
これは メッセージ 3612 (seonsaeng さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3618.html
これは
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/08 17:41 投稿番号: [3617 / 18519]
シンヨンハ教授の文のままの表現ではないでしょうか。半月城さんの個人的な作為でもないかと思います。
ちなみに私としては半月城さんの「独島問答」は、韓国側の考えがどういうものであるのかを整理して理解するのに大変便利であると考えています。この翻訳に反対・批判する人が多いですが、内容について批判するにせよ同意するにせよ一応は半月城さんの翻訳作業には敬意を払ってよいと考えます。文章を訳すのも時間がかかる作業ですから。
ただし、半月城通信などを見る限り、考え方の偏りや研究者の言及の都合のいい部分だけの引用など、あまり同意できない部分がかなりあります。それはそれでまた論じればよいことかと。しかし、いかんせん半月城さんとは議論がかみ合いそうにもない気もしますね。もとよりあまりここにはいらっしゃいませんし。
とにかく「独島問答」は韓国側がいかに粗い研究をしているか、それを何でそのままに韓国人の皆が100%受け入れられるのかの問題を考えるいい材料であるように思われます。韓国人は、どうしてこんなにも粗い記事に疑問をもたないのでしょうか。
そもそも私が1ヵ月半前に竹島に関心を持ったのも、この記事に「怪しい」臭いがしたからでした。ですから、ある意味で、この記事の怪しさのおかげで私は竹島問題に入門できたわけで…。
これは メッセージ 3616 (tydkemvo さん)への返信です.
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必然性のないところに
投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2004/02/08 17:10 投稿番号: [3616 / 18519]
>「鬱陵島・獨島は朝鮮(大韓帝国)の領土」と「獨島」を別に入れないで済むところにわざわざ入れないと領有権を主張できないところが、韓国にとっては痛いところですね。
必然性のない所にわざわざ「独島」の文字を入れて、あたかも独島と関連のあることであるかのように見せなきゃ気が済まないのは半月城さんの文章の特徴でもあります。
これは メッセージ 3614 (seonsaeng さん)への返信です.
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>>獨島問答 Q53-55
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/08 16:06 投稿番号: [3615 / 18519]
これは メッセージ 3614 (seonsaeng さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3615.html
>獨島問答 Q53-55
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/08 15:58 投稿番号: [3614 / 18519]
>こうして鬱陵島・獨島は朝鮮(大韓帝国)の領土ではあるが、鬱陵島の材木は 1896年から25年間、帝政ロシアが「伐採権」を持つようになったのである。
「鬱陵島・獨島は朝鮮(大韓帝国)の領土」と「獨島」を別に入れないで済むところにわざわざ入れないと領有権を主張できないところが、韓国にとっては痛いところですね。
これは メッセージ 3613 (hangetsujoh さん)への返信です.
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獨島問答 Q53-55
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/08 13:46 投稿番号: [3613 / 18519]
獨島問答 Q53
日本人たちは鬱陵島から撤収した後、ふたたび入る意図はなかったのか?
Q54(ロシア)
鬱陵島の木材を日本が切望していたのは経済的な価値が大きかったためだろうが、朝鮮政府はなぜ木材を伐採して外国に輸出する政策を樹立しなかったのか?
ANS.
清・日戦争後の陽暦 1895年10月8日、日本は景福宮を夜襲して閔妃(明成皇后)を弑虐
するという蛮行を犯した。これに対し、国王の高宗は日本の毒牙から抜けだすため 1896年2月11日、ロシア公使館に移る、いわゆる「俄館播遷」をおこなった。
国王の高宗がロシア公使館内で新政府を樹立して政事を行うようになるとロシア側は影響力を行使して、新政府は親ロシア守旧派政府で組織され、国王の高宗はロシアをはじめとする西欧列強から利権侵奪の要求を受けた。
このとき、ロシアは高宗に圧力を加え 1896年9月「豆満江・鴨緑江流域対岸の山林と鬱陵島の森林伐採権」をロシアの会社(代表 J.I.Briner)に「利権」として25年間譲渡するようにした。
こうして鬱陵島・獨島は朝鮮(大韓帝国)の領土ではあるが、鬱陵島の材木は 1896年から25年間、帝政ロシアが「伐採権」を持つようになったのである。したがって1896年9月以降は朝鮮政府は鬱陵島の木を伐って外国に輸出できないようになった。
Q55(日本の再侵入)
大韓政府がロシアに鬱陵島の森林伐採権を渡したのに、日本人が侵入して鬱陵島の森林を不法伐採し、三国のあいだに国際紛争は発生しなかったのか?
ANS.発生しないはずがない。駐韓ロシア公使が何度も抗議文を送ってきた。とくに1899年、ロシア側は大韓政府に日本人が不法に鬱陵島に入って森林を伐採し運んでいるので、これを禁止してほしいと強硬に抗議してきた。
大韓政府はロシア側の抗議はもちろん、何より開港場ではない韓国領に日本人が不法侵入し、勝手に森林を伐採していることに驚いて、これを止めさせ同時に鬱陵島の移住民にたいする行政管理のため 1899年5月、蠔季周を鬱陵島の島監に再任し派遣した。
大韓政府はロシア側と日本側の疑心を解くために、蠔季周とともに、釜山港の税務司に勤務している外国人税務使を同行させ、日本人の鬱陵島侵入の実態を観察し報告するようにした。
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 3516 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3613.html
>三仙岩
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/08 11:46 投稿番号: [3612 / 18519]
これは メッセージ 3610 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3612.html
岸にも
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/08 11:36 投稿番号: [3611 / 18519]
あ、海岸に小さく突き出た小岩が一つ有るのですが、これを指すのですか。でしたら三仙岩と別ですね。失礼しました。ただ海上にはないし、ほかの三つの岩に比べてかなり小さいのでちょっと判断が難しいところですね。でも、確かに、ありうるかもしれませんね。
これは メッセージ 3609 (seonsaeng さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3611.html
三仙岩
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/08 11:30 投稿番号: [3610 / 18519]
既出ですが、これは三仙岩が重なって見えているものでしょう。
これは メッセージ 3609 (seonsaeng さん)への返信です.
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>三峰島=鬱陵島
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/08 09:18 投稿番号: [3609 / 18519]
これは メッセージ 3547 (Gaenara さん)への返信です.
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>>歴史の再編
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 21:36 投稿番号: [3608 / 18519]
当時の鬱(稜)島郡守、沈興澤が「本郡所屬 獨島」と書いた件に言及しますと、その後に続く沈興澤の「在於本部外洋百餘里」と書くところが変ですね。
1903年に鬱(稜)島第二代郡守として赴任してきた沈興澤が、3年も同島に滞在しながら「獨島」の位置を鬱稜島から「外洋百余里」としているところです。 正確な「獨島」の位置の認識があれば「外洋二百余里」と書くはずなのですが、沈興澤は正確な「獨島」の位置を知らなかったのでしょう。
これも韓国にとっては不利な文献になりますね。
これは メッセージ 3605 (seonsaeng さん)への返信です.
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アメリカの立場
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 20:59 投稿番号: [3607 / 18519]
これは メッセージ 3584 (nobuo_shoudoshima さん)への返信です.
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>歴史の再編 II
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 18:59 投稿番号: [3606 / 18519]
>1881年といえば、「清明之日 登高遠眺 則千里可窺 以更無一拳石一撮土」と書いた李奎遠らの鬱稜島倹察(1882年)の一年前の出来事になる。
1881年から「獨島」と呼ばれていたことを証明する文献は見つかっていませんが、日本には豊富に存在する竹島(韓国名、獨島)往来の記録が韓国には一つもないことが、韓国も弱点だということを分かっていて悪く言えばでっちあげる必要に迫られたのでしょうね。
韓国にとっては、呼び名はどうであれ実際に「獨島」に上陸した記録がないことが領有を主張する上での弱みと言えます。
これは メッセージ 3594 (Gaenara さん)への返信です.
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>歴史の再編
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 14:36 投稿番号: [3605 / 18519]
>「獨島」の名前使用に関して、これまでの1906年からが「1881年」からに捏造されているね。
「獨島」という名前が初めて韓国の文献に登場するのが1906年、日本の調査団が鬱稜島を訪れた翌日に、当時の鬱(稜)島郡守、沈興澤が「本郡所屬 獨島」と書いた報告書の作成日からですが、韓国としては、この日を「獨島」名を使い出した日とする事は、自分で嘘を認めていることになる訳です。
鬱稜島・半島沿岸住民が以前から「獨島」と呼んでいた島を沈興澤が採用して書いたと弁明するほうが都合がいいからですね。
常識から考えると、一官吏の沈興澤が「石島」と大韓帝国官報に明記されている島をうっかり「本郡所屬 獨島」と書く訳はなく、「本郡所屬(と思える別島 )獨島」の意味で書いたものと思われます。
これは メッセージ 3587 (Gaenara さん)への返信です.
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>三峰島=鬱陵島 III
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 14:01 投稿番号: [3604 / 18519]
これは メッセージ 3597 (Gaenara さん)への返信です.
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>観音島の隣のもう一つの島
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 12:59 投稿番号: [3603 / 18519]
これは メッセージ 3573 (Gaenara さん)への返信です.
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「太宗実録」 堂々完成!
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/02/06 22:32 投稿番号: [3601 / 18519]
これは メッセージ 3566 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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