そうです
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 21:25 投稿番号: [3633 / 18519]
>成宗実録の記述に誤りがなければ、鬱陵島に達して大竹などを持ち帰った筈の朴宗元は三峯島に到達していないと書かれており
そうですよ。
>「往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不至而還」この朴宗元が「不至」だった島こそが金自周の報告した三峯島だからです。
朴宗元が「不至」だった島はたしかに三峰島です。鬱陵島とは別の島を探したのです。しかし、金自周が金漢京に案内してもらって行ったつもりであった三峰島は現在の目から見れば鬱陵島に過ぎませんでした。
つまり、金自周は金漢京に案内を受けた咸鏡道の役人に過ぎないのであり、金漢京は天気がよければ咸鏡道から三峰島が見えると言っているような人。慶尚道から鬱陵島方向に航路をとった朴宗元と金自周の探査はまったく別に考えるべきです。
金自周が行った島を鬱陵島と考えることに何ら矛盾はありません。
>さて「西距島七八里許」の解読についてですが、これを島を西に見てと解読できる可能性を考えていました。結論としては、現在では「有り得る」のではないかと考えています。
「有り得る」どころか、私はあたりまえだと思っていますよ。ググればいくらでも同じ用例が見つかるからです。(ほとんどが現代中国語ですが、古典もあります)むしろ「島から西に」という形での用例はどうなのでしょうか。
とにかく「有り得る」だけでもご理解いただきありがとうございます。半月城さんだったら、「どの研究者もそういう解釈はしていません」と怒りだすところです。
>今では愚生は、東島の独立門辺りを「三石列立」と解読しても良いかなあなどと考えても見たりです。
東島の独立門の場合、他の小島・中島はどういう見取り図になるのでしょうか。
これは メッセージ 3632 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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