ああそうですか
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/09 21:02 投稿番号: [3632 / 18519]
>>一島説では成宗7年の記述に矛盾が生じる問題に目をつぶっての、
>全く矛盾はありませんが?まぁ、金自周の報告にある「巖石列立」をどう考えるかだけが、たった一つの疑問です。
#3534で指摘したとおり、成宗7年の記述は明らかに鬱陵島の可能性を排除して読まねばなりません。
成宗実録の記述に誤りがなければ、鬱陵島に達して大竹などを持ち帰った筈の朴宗元は三峯島に到達していないと書かれており「往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不至而還」この朴宗元が「不至」だった島こそが金自周の報告した三峯島だからです。
まあ、どんなに三峯島を鬱陵島にこじつけようとしても端から無理ってもんです。
さて「西距島七八里許」の解読についてですが、これを島を西に見てと解読できる可能性を考えていました。
結論としては、現在では「有り得る」のではないかと考えています。
今では愚生は、東島の独立門辺りを「三石列立」と解読しても良いかなあなどと考えても見たりです。
ゆるりとね。
これは メッセージ 3625 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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