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船窓夜話ー第十三弾ー瀬戸内海ーVII

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/13 10:42 投稿番号: [2872 / 3669]
船窓夜話―第13話―瀬戸内海 VII 2002/11/ 1 17:35
メッセージ: 3617 / 6026

投稿者: ilkuji
週2回なら月に8回往来する内海。船長に苛められながらも少しづつ海路を
憶えはじめた。慣れた航海士は島の灯台の光だけ見てここから何度へ針路変更
するとわかるそうだ。でも未だ自信のないところはやはり海図をみた後、舵手に
操舵号令を下ろす。帰りに四国をクリアしながら「Starboard!」と叫ぶと
舵手が「 Starboard!」と復唱し、舵柄を右へ10度回す。そしたらゆっくり
船首が右へ回る。山口県の宇部の灯台が船首にかかる前、「Midship!」と
号令するとまた「Midship!」と復唱し、 舵柄を正中央にすると、大体船首の
正面にその灯台が来る。そしたら「Steady!」と下ろす。「針路を固定
しろ」との意味だ。そうすると、舵手は「281度 Sir!」と現在の針路を
報告してその針路に固定する。

このSirとは日本語の「です」に相当する舵手の船長および航海士への報告語尾だ。
船長は傍で私の運航ぶりをみてすこしでも間違えたらすぐ起こり「なにそれ?」
と反問する。「未だに海図を頭に入れてないのか」とか叱る。完全に内海航路を
憶えて海図を見ずに運航しろとのことだ。「他の人は部屋に内海地図を貼り
付けて憶えるのに」とかいうから実際、部屋の机の正面壁に内海航路を描いて
関門海峡から神戸までのコースを何枚か繋げて張り付けたのだ。

そしたら今度は「そんなもの張ってやってると誇ってるのか」と今度はひねる。
それこそ「どっちの拍子を取るべきか」である。面白いのは英語にもそれに
相当する言葉があるのだ。「Which music should I dance to ?」 かな。英語
レッスンになってしまったが。たまに速度の遅い船を追越すときとか、衝突予防
規則により向う側が避けるべきなのに針路変更しないから危ないときは警告の
ため汽笛を鳴らす。

何回使ったけど、機関室の部員が怒って「なんで汽笛を使うんですか?」と
抗議する。使うためにあるじゃんか、なんで怒るのかと思ったら、汽笛を使うと
機関部員が毎回、空気をポンプして入れないといけないから面倒くさいとの
ことだ。経験の長い人なら適当に避けていくのに私の当直のときに限って使い
すぎるとの意味だろう。

夜の当直中、高松を左にして走ってるとき、速度の遅く小さな砂運搬船が
本船の進行方向に入っては譲らなくマイ・ぺイスで走る。汽笛を鳴らしたら
また文句いうはずだし、仕方なく、ブリッジの上のライトをつけて警告した
ところ、約5メートル先方から左へ避けた。同じ当直時間の機関士が機関室を
離れて船尾でのんびりしてたとき、そのことを目撃して、エンジンを使うかと
思って機関室へ走りまくったという。だけどいくら待っても私から速度変更の
通知がないからやっと安心したそうだ。(つづき)

船窓夜話ー第十三弾ー瀬戸内海ーVI

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/13 10:41 投稿番号: [2871 / 3669]
船窓夜話―第13話―瀬戸内海 VI 2002/10/30 16:39
メッセージ: 3597 / 6026

投稿者: ilkuji
対日船がよく来るのでそれなりのロマンスもあるのか、舵手がいうには他の船に働いたとき、元町で酒をいっぱい飲んで道を迷って、つい顔なじみの在日の中年ばばの経営する酒場に寄った。二階に上がる階段があるので何があるのか好奇心で上がってみたらば、奥の方から船長の声が聞こえてきて「ちょっと待って」という。慌てた表情で船長が下着姿で女と出て来たとの話だ。そういえば船長も人間だから性欲がないわけないが、船内では大統領みたいな存在もやっぱりやるのはやるんだなあと思った。

遠洋船にのったとき、シンガポール外港で錨泊して入港手続を待っていたら売春婦たちがボートでやってきて、誰にも聞くのだ、Hしないかって。いわば「手前サービス」なのだ。船員がまだ上陸もする前、売る方から先に売りにくるのだ。精液がいっぱい溜まってる船員たちとあちこちの部屋に入ってとりあえず入れさせるのだ。女一人が溜まった船員5―6名くらいを短時間に相手にしたらかなりの売れる商売である。

充分、花を売った女が船員たちの休憩室にリラックスして座ってたら当直が終ったばかりの船員がきて先ず、女の花に指をいれたところ、子宮にいっぱい溜まってたいろんな船員の精液が限り無しで川のように流れて来て手が濡れてしまったとか。我らがシンガポールに入港したときもやはり花売りボートが来たけど、今度はいろんな女の中で一人は乗ったら船長だけを探す。

服装、顔とか雰囲気が他の女とは違って、ある程度余裕のある中産層の主婦みたいな感じだ。船長だけ探すぶりが多分、船長専用の「手前花」だと推測した。1航士の部屋に来て聞くんで「船長は一番上層の部屋にいる」と教えたところ、後でその船長が怒って1航士に「女を上げさせるな」と叱ったらしい。あの女、「手前でも格が違う」と言い張りたかったのかなあ。(つづき)

Re: 植民地朝鮮の日本人 釜山開港(3)

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/13 04:42 投稿番号: [2870 / 3669]
高利貸しと仲買

「開港期釜山港を中心に見た日本人の商業活動」によれば、居留民の財産蓄積にとって最も重要なのは、高利貸しと仲買である。

高利貸しは、統計上出てこないが、居留民の半分以上がこれに従事していた。
利子は、高いものだと10日で1割だった。

そして其の目的は利子を取ること自体よりも、金を返せなかった人から
土地を取り上げることにあった。

高利貸しについての指摘は重要である。
なぜならこの指摘は、朝鮮開港時だけでなく日本の敗戦時までの一貫した特色であったからである。

1934年から1945年まで全羅南道の普通学校で教鞭をとっていた中野実は、「成功」
した人の「表向きの職業は農業、商業、工業いずれであれ、裏は高利貸し」で
没落した農民の土地を兼併して地主となった者が多い、と指摘している。

職業別人口で最も多かった仲買は、朝鮮人に品物を売ることを強要したり
約束よりも安い値段で買い入れたりと、粗暴な取引が多かった。

そのため、1880年11月には、領事館から「仲買営業人取締規則」と言う名で
そうした行為を禁ずる法律がだされている。

植民地朝鮮の日本人   高崎   宗司著   P8


「東洋拓殖会社」

併合前の1908年「拓地植民」のための植民会社を作るべきだととの声で
設立された「東洋拓殖会社」
資本金1000万(1株50円)韓国政府出資300万(土地で出資)
歴代総裁日本人、副総裁ははじめだけ朝鮮人がいたほか全部日本人であった。
理事も一人だけ朝鮮人あとは全部日本人、監事に朝鮮人が5人いただけで
あった。
日本政府が会社設立後8年間は毎年30万の補給金をだし、社債2000万をかぎり
元利保証をしている。

朝鮮総督府の元財務局長もこう述懐している。

東拓は「一般の銀行のようには預金しない金融機関なんです。
そこで金を貸す時には抵当をとりましょう。

土地以外にはないのです。
明治末から大正初めは、抵当物件というのは土地以外にはない。
財産というものがない。

土地を抵当にとる。

朝鮮人は金を返すということはない。

それで抵当流れで皆東拓に入る。

これが一つの恨みのもとになる。

随分土地を、金を貸して取り上げてしまった」

こんなことをやって金をもうけるのが、会社の本当の目的だった。

船窓夜話ー第十四弾ー朝鮮海峡ー

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/06/12 16:49 投稿番号: [2869 / 3669]
2005年3月某日。ウリは、釜関フェリーに乗ったニダ。無論、ウリの船室は特別室で、二等のチョッパーリや貧乏な
同胞を小ばかにして見ていたいたニダ。「フンッ、ウリみたいに女衒をやって稼げ!」と。
ふと夜風に当たりたくなり、デッキへ出たニダ。すると懐かしい釜山サトリが聞こえてきたニダ。声をかけたくなり、
近寄っていくと、同胞はウリの顔を見るやいなや、逞しいその男は、ウリを海に投げ込んだニダ。同胞なのに…。
船のクルーたちも、ウリが海に放り込まれたのを見ていたのに、何の反応も見せない。悲しかったニダ。

しばらくすると、サメがウリに近づいてきたニダ。ウリを見つけると微笑んだ(ように見えた)ニダ。
そして、ウリをかじったニダ。「うう、海でサメのお食事になって死ぬのはいやだ!」と思ったニダマン、
ウリをかじったサメは、急に苦しみだし、やがて死んだニダ。たぶん、ウリが腐ってたからだろう。
根性ばかりでなく、身体も腐っててよかったニダ。
                                       BY犬屑

船窓夜話ー第十三弾ー瀬戸内海ーV

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 16:40 投稿番号: [2868 / 3669]
船窓夜話―第13話―瀬戸内海 V 2002/10/29 18:44
メッセージ: 3590 / 6026

投稿者: ilkuji
All Standbyのベールが鳴り、船長の指示により先ず外港に錨を降ろした。
ポートアイランドと名づけた遊園地が海岸に設置され,ホロコーストなどいろんな
施設がみえる。7年前の神戸地震で潰れなく、未だ健在かな。しばらくして
パイロットが乗船し、接岸のため、埠頭に接近した。コンテイナー専用埠頭
なのでコンテイナーがいっぱい並んでいて船籍を待っている。接岸後、税関員
および入国手続官吏が乗船して上陸査証を発給してくれた。

日本は初めてなので上陸したいとの気持ちはあったが、私は乗ったばかりの
3航士。上司が上陸する気配がないのにあえて上陸をするのは不可能だった。
すぐ本船のコンテイナーを降ろし、また船籍をするため陸上の起重機が動く。
1航士は陸上の作業番長と船内事務所で貨物関係書類を交換しながら忙しく
みえる。

一般船員たちは上陸するらしくタックシを呼ぶ。埠頭から市内までかなり
遠いので割勘して行くには4人組みをつくる。結局、船長に叱られながら
せっかく来たのに4時間くらい停泊したまま出港するときは痛かった。3回目に
来たときにやっと同僚たちと市内にいってみた。神戸のタックシは全部
シートをビニールでカバーしたのが印象的だった。東京のよりもっと清潔な
印象を与える。

神戸の元町に降りた。ここが神戸の中心部だという。皆、ウィスキーとか酒の
サンプルをたくさん買う。それに味噌とかこま油にファイト・ホースという
ウィスキーを買う。そんなものを買う理由が後でわかった。釜山に着いたら
それを家でつかうと言って実は売るのだ。
それである程度の利益を取るのだ。
当時は韓国では外国のタバコさえも売ってない時代だったので外国産がなんでも
内国人には人気があったらしい。

私はモノレールの下にある自動販売機でうどんを買って食べただけだ。食べた後、
外に出たら若い女が「そんなものを食べるのか」との表情で通り過ぎる。
元町は大きくはないけど奇麗で静かな町だった。5年前、久しぶりに神戸に
いったところ、元町は以前とは全然変ってしまって私が酒のサンプル瓶を
買った店は消えていた。

男ばかりの船から降りて町へゆくと、可愛い女の子たちが化粧品の臭いを
流しながら通り過ぎたときには正直、倭女のXXXを味わってみたかった。多分、
初めて来た外国で異性に感じる好奇心ないし繁殖本能だろうか。(つづき)

船窓夜話ー第十三弾ー瀬戸内海ーIV

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 16:38 投稿番号: [2867 / 3669]
船窓夜話―第13話―瀬戸内海 IV 2002/10/27 10:41
メッセージ: 3575 / 6026

投稿者: ilkuji
再び8時に始まる午前当直時間。鏡のように静かな水面上を走ると小さな島が
あちこち散在していた。どこかで松木の松葉の香りが風に乗って来る。海上公園
と呼ばれてもおかしくないほど綺麗な海だ。船を下りてオーストラリアに来
ようと手続きをしていたとき、偶然に商戦学校の同期生に出会ったところ、
釜山ー大阪間の旅客船に乗るように決まったと喜んでた。

内海を鑑賞しながら釜山まで、もしくは大阪に行く乗客のため、新設した航路だ
そうだ。商船と旅客船は又、雰囲気や業務が異なってくる。旅客船には航海士が
制服を着て働くのが普通だが、機関室勤務の機関士が当直の終わった後、制服を
着て客室や船内巡視をするなんてそんな規定は無い。きっと女子乗客を誘うため
だろうな。たまに船酔いをする女性乗客を助けて乗客個室に入れた後、仲よく
なり、セックスを楽しむケースも珍しくないという。

遠洋船に乗ったとき、通信長がいうには自分とHをしたときは歓声を上げてた
女乗客が目的地に着いたら埠頭に迎えにきた夫をみて、泣きながら「アナタ!」と叫んだとか。女特有の心理か。

商船には乗客がいないのでそんな楽しみさえない。東経135度直下の明石市が
見え始めた。天文台のドーム式屋根が朝日で光っていた。そろそろ神戸入港を準備する時間だ。(つづき)

船窓夜話ー第十三弾ー瀬戸内海ーIII

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 16:36 投稿番号: [2866 / 3669]
船窓夜話―第13話―瀬戸内海 III 2002/10/26 18:08
メッセージ: 3573 / 6026

投稿者: ilkuji
内海航路の中で複雑性の絶頂はやはり来島海峡かな。当時はまだ四国と本州を
繋げる橋が建てられなかったのでフェリが唯一の交通手段だったので頻繁に
本船の進行方向を横断するけど、本船が近づいても全然避けない。国際衝突予
防規則違反だと思った。それは海上運行規則により横断ないし斜面横断のときは、
他船の左舷ないし左舷の航海灯(赤色)を見る船が義務船になり針路を変更し
なければならないとのことだ。しかしフェリは避けないというのが後でわかった。

来島に近づくと船長が上がって来る。干満潮を表示する大型電光板が遠くから
みえる。来島が航行が難しいのは干満潮の変化によって往来する船の位置が
反対に変る。すなわち中央線の左側を来る船が、右側を行く船が走って分離
通航するのに、今度はお互いが中央線を超えて反対側に入って走るようになる。
このときは分離航行ができなく、海峡は極めて混雑な状態になる。速度を落として
緊張して運航する。船長はこういうときに極度のヒステリをみせて小さなことで
すぐ怒り叫んだりする。景色のいい航路を緊張の中、当直に臨する。

2航士と夜間当直を交代するとき甲板上に固定した冷凍コンテイナーの温度を
点検して記録するようにいわれた。温度計はコンテイナーの前面の中間高さに
付いてるので固定した鉄棒を手で取って上がらないとみえない。夜12時なので
暗くて一手に懐中電灯を取って上がっていって温度をチェックする瞬間、
ウィンーという音が発する。無意識的に電気に感電するかと思い、取っていた
鉄棒から手を放すと甲板の上に落ちてしまった。そしてすぐとなりのレールに
ぶつかった。レールの外はそのまま海なのだ。

航海中なので体の中心を維持するのができなくて起った出来事だった。くらっと
する瞬間だった。後で聞いたら肉や食品は冷凍コンテイナーに入れて運ぶけど
航海中にも船内電気をつなげて一定な温度を維持させるけど、一般冷蔵庫みたいに
温度が上がったら自動的にファンが稼動、ファンの音を出したのだ。

内海は文字通り中の海なので風が強く吹いても比較的に波が少なく静かだ。
いくらそうだって内海航海中、木板両端にロープを結んで 船舷の外にぶら下げ、
船員二人がその上に座って船体の鉄板にペンキを塗っているのをみた。1航士は
双眼鏡でそれをみながら嘆息した。
そんな危ないとこをさせるなんてあの船の1航士が悪いと。そしたら1舵手は
「上司に点数を取るためじゃないでしょうか」と笑う。恥ずかしいことにその
船は韓国籍だった。安全意識がまだ足りないなと実感した。(つづき)

船窓夜話ー第十三弾ー瀬戸内海ーII

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 16:35 投稿番号: [2865 / 3669]
船窓夜話―第13話―瀬戸内海II 2002/10/24 20:44
メッセージ: 3570 / 6026

投稿者: ilkuji
船長は痩せた感じでとても神経質的な人だった。複雑な航路なのに航海経歴って
学校のとき、実習船に乗っただけの私が一人で航海当直ができるわけがない。
船長はこの航路のベテランだったが、私の当直に見視しかできないので船長が
実質的に当直を担当する形である。それに狭水路を通過するときは必ず船長が
直接指揮して運航する。当然、休む暇が少ない。

しかし 狭水路通過し船長はパイロット手当をもらうので給料がわるくないはずだ。
通常、総トン数5千トン以上の船が内海を通過するときは必ずパイロット
(導船士)が乗船、運航するようになっている。が、定期運航船は船長が運航
できる。

釜山の象徴、五六島をまがって針路112度に固定して航進した。夜間航海には
前方がよくみえるように電灯を消すので真っ黒のブリッジだが対馬付近のイカ
漁船の集魚灯は遠くても明るすぎてすぐ近くにあるようにみえる。イカは明るい
光が好きなので 集魚灯をつけたら互選の周りには集まったイカの群れで水面の
下が白くみえる。

関門海峡に入ったらもう翌日も朝だ。船長は前方をみて連続的に操舵命令を
下ろす。ブリッジの中で船の両側をみていると、まるで車で走ってるような
気がするほど狭い海峡だ。1度の誤差も許さない正確な操舵が必要なところだ。

関門橋の下を過ぎてしばらくすると海はいきなり広くなる。いわば周防灘である。
漁船があちこち集まり、もしくは単独的に作業をしている。小さな島は無数に
散在していて、又、本州と四国を繋げるフェリ船は頻繁に本船の針路を横断する。
灯台の閃光周期と閃光の長さを海図で確認してちょっちゅう針路を変更しなけれ
ばならない。あまりにも複雑な航路で混んでるので陸上道路の中央線のように
海図に中央線が描いてあり、実際海上にその中央線にブイが浮かんでいてまた
閃光を発している。

海図をみて灯台を確認し、針路変更するにはもう遅い。変針点にいきなり
フェリが入ってきたり漁船が停泊しているのだ。先ずはぶつからないように
避けないといけない。やはり無数な島と灯台、それにどこの島やブイを過ぎると
何度に回すかをおぼえていなければならない。初回の航海にそれができる
はずがないが、船長はめちゃくちゃ叱る。当直が終わり自分の部屋に戻ると
そのまま倒れるほど緊張の連続だった。(つづき)

船窓夜話ー第十三弾ー瀬戸内海ーI

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 16:33 投稿番号: [2864 / 3669]
船窓夜話(第13話)- 瀬戸内海 I

投稿者: ilkuji
学校を卒業して4ヶ月くらい小学生たちの家庭教師生活をした。学校のとき、
あまり勉強ができなく、いや、毎日、軍隊式生活に呆れて楽しみは土曜日の
外出だけ。 (学校では上陸という)そして日曜日の夕方に帰校するので丸
一日だけの自由なんだ。それも一週間の生活中、過失点が30点以上なら
外出禁止になり、それさえ唯一の楽しみがなくなる。それで、とにかく
過失点を取らないため努める毎日だった。過失点は服装不良、掃除状態不良、
敬礼怠慢および講義室での勉学態度不良などで教官、先輩、教授により
与えられれる。

従って土曜日に外出したら一週間のストレスを発散するため、快楽を追求するのに
努める週末になる。元気旺盛な若い男同士で監禁された生活をしていたら
精液はいっぱい溜まって外出でとりあえず女を探し、排出するのが唯一な
目標となる。団体生活に適応できない体質なのか、週末に学校に残って
勉強するなんて、とてもじゃないけど無理だった。そのわけで卒業成績順で
優良船舶会社に就職するのにいい会社が当たるわけがない。

就職もできずに家でのんびりするのも家族、特に父親からの虐待は度が
過ぎるほどだった。本来、仲の悪い関係だったので毎日、喧嘩ばかりの地獄の
生活の連続だった。お陰で今、父はなくなったが、そのときの傷で今も
許せないと思うほどだ。母は無銭取食は許さないというし、仕方なく考えたのが
家庭教師だった。

チラシを配り、隣に住んでる小学生児童を4―5名集め、私の家で個人教師を
始めた。子供たちが学校から帰ってきて家に集まると4―6年生の過程を
教えてた。たまには休日に児童たちを連れて子供大公園などに遠足もした。
子供たちへの人気作戦というか、とにかく退屈だと感じないようにしなければ
ならないと思った。

弟子の中には慶心という名前の可愛く、愛しい女の子がいた。当時小学校
4年生なので私とは10才の差だったな。たまに「慶心よ、10年だけ待って
くれ」と冗談のようにいうと「そのときになると先生は年寄りになってしまう
でしょう」と答えるのだ。7月に入ると親戚から電話がかかってきて、船に
乗るようにいわれた。その親戚はある船舶会社で長年、船長および海務部長を
していた。退職はしたものの、コネはあるので、前、就職を頼んでおいたのが
今回自分の勤めてた会社に依頼して、たまたま席が空いたので私を呼んだのだ。

浪人みたいな失業者生活に光のようなニュースで喜んで乗船準備に入るべき
だったはずなのに、なぜか全然楽しくない。児童たちとの情が深まったせいか、
それともあの女の子と別れたくなかったろうか。父はその私の躊躇するぶりを
みて又怒った。仕方なく、最後の授業が終わり別れを告げた。あの子には
「俺を忘れるな」と一言残したままに。

荷物を持って中央洞のあの船舶会社事務所を訪ねた。親戚は先に来ていて
海務部長に紹介した。そのまま追い出されるように、第3埠頭に停泊している
本船に乗った。釜山―神戸間を走るフィーダー船だ。フィーダー船とは遠洋
大型コンテイナー船が落としたコンテイナーを載せて両港を往来しながら
積揚荷する大体2―3千トンの小型コンテイナー船である。成績の悪い卒業者に
とっては文句いう場合ではない。

釜山に入港したら普通1―2泊する船なので家庭のある船員は家にもしょっちゅう
訪ねられるとのメリットはある。が、私には大型船に乗れなくて恥ずかしさ
さえ感じた。甲種2等航海士の免許を所持したので当然、遠洋大型船に乗るのが
正常なのに、乙種免許所持者が乗る船だと気が済まなかったのか。でもそんな
不満を吐露するほどの贅沢は私には似合わない。前任者との引き続きが終わり、
その夜、釜山港を出港した、3等航海士として。「釜山港へ帰れ」を内心
歌いながら。(続き)

船窓夜話ー第十二弾ーカボチャお婆さん

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:58 投稿番号: [2863 / 3669]
船窓夜話(第12話)- カボチャお婆さん 2002/10/12 19:48
メッセージ: 3525 / 6026

投稿者: ilkuji
地球に日付変更線が何個あるかと講師が聞いたところ、学生たちが両側に
分けられて、一方では1個だといい、他方は2個だと頭が爆発するほど
論争したとの実話がある。それも海技士国家試験を向けて講義をしていた
ある熟で現職船長、航海士たちが集まった所で起こったことである。正解が
わかる方は書いてほしい。

船舶が東西方向へ航海するときは同じ経線を過ぎる地域の地方時刻に合わせ
なければならないので頻繁に船内時刻を早めるか遅らせるべきである。
初級航海士のとき、自分の当直時間に時間を調節するのに,茫々大海でも
時刻をちゃんと調整して目的港に入港したとき、時刻差で困らないように
しないといけない。一日8時間当直を午前、午後で分けて4時間づつ働くが、
主に夜間当直のちき、時刻を調節し、船内放送を通じて全船員に知らせる。

マイクをつけて平凡に時刻変更を知らせるのはドライなので少しユーモア
感覚を発揮して一言した。「親愛なる船員の皆様!退屈な航海にご苦労様です。
皆様の血と汗で稼いだ一銭、二銭が故国で皆様を待ってるご家族に貴重な
財産になるとのことを銘記して、今日も安楽な休憩になれるよう、今から
一時間を上げたいと思います。現在時刻午後9時を8時へ変更して頂きますので、
何卒楽しい夜になるようにお願いします」

翌日一等航海士が、当直交代しに上がって来た筆者をみて不満そうに叱る。
「船長、一等航海士を何だと思ってて悪戯するのか?いい加減にしろ!」
自分なりに生活の余裕を持とうと努力したけど分かってくれないので前面だけ
見つめて黙っていたら、すると通信長が来て「大丈夫よ。船長さんが面白いと
おっしゃるから続けて」という。そしたら今度は一等航海士が不満そうな
表情で行ってします。甲板長と会ったら「昨夜はカボチャお婆さんが
来たかと船員たちが驚きました」と伝える。

カボチャお婆さんは1960―70年代に韓国船員たちによく知られてた
アメリカのお婆さんだ。筆者が憶えている限り、アメリカのピルラデルピアに
住んでるお婆さんだけど、アメリカを訪問する韓国船員たちに親切にして
くれるし、クリスチャン信仰で船員たちを息子のように慰めてくれるから
韓国船員たちの代母のような存在だった。船員たちがあのお婆さんの家に
招待されて行ったら、いつも美味しいカボチャのパイを作ってくれるので
カボチャお婆さんと呼ばれたそうだ。

韓国の海技士協会が発酵する雑誌に毎月、お婆さんが船員たちに送るメッセージを
載せてたので世界どこに行ってもその寄港地でその雑誌をもらうとお婆さんの
手紙が読めた。いつかは 海技士協会の招請で韓国を訪ねたこともあるという。
筆者が海を離れてもはや20年以上。カボチャお婆さんの消息はもう聴けたい
けど、人種の壁を超えたお婆さんの無条件的な愛がつい懐かしくなる。
聴いた話では、カボチャお婆さんはもう故人になったそうだ。会ったことも
ないお婆さんの死去に目蓋が熱くなってくるのは何故だろうか。

船窓夜話ー第十一弾ー命懸けの航海

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:56 投稿番号: [2862 / 3669]
船窓夜話(第11話)- 命懸けの航海 2002/10/ 7 13:52
メッセージ: 3485 / 6026

投稿者: ilkuji
イランとイラクの戦争の時、ペルシャ湾は戦争の砲火により殺伐な光景だった。
イラクの唯一の港であるバスラ港は、イランの攻撃により港の施設が破壊され、
船を接岸できる状況ではなかった。これに恨みを持ったイラクは、イラン港に
入港する外国の船まで無差別に攻撃し始めた。それにより外国の海運労働
組合では、ペルシャ湾行きを中止するようになった。いわば先進国と
呼ばれている国々では、他の国の船に貨物を積み込んだり、ペルシャ湾入り口に
あるアブダビの町に貨物を降ろして帰ることとなった。日本の船は国旗を
船の両側に大きく書いて中立国であることを知らせ、アブダビで荷物を降ろし
そのまま帰った。

問題は国力の弱い第3世界の国の船だった。他の船がペルシャ湾入り口に
降ろしておいた荷物を命懸けてペルシャ湾まで運ばなければならなかった。
設立したばかりのある船舶会社では、資本金が不足していたため、貨物を
運ばないわけにはいかなかった。ペルシャ湾行きを命令されたあの船の船長は、
航海士7年目で船長になった人で、商船学校の同級生の中でも昇進が早い方
だった。彼は船員を集合させ、ペルシャ湾航海計画を立てた。

当番の航海士と舵手を除いたすべての船員が、船橋(運転室)の両側に砂袋を
大人の背の高さ位まで積んだ。まるで軍隊の塹壕のようだった。全船員が
塹壕の中で救命服を着て待機した。そして機関室の船員たちも当番を除いた
全ての者が、機関室の入り口の所で待機していた。

Slow ahead 速力(航海用語で低速力で前に進むことを意味)のエンジンの
音だけが、不気味な沈黙を破り鳴り響いていた。緊張の中での航海が終わり、
イラン港に着いた時には、船員たちは死の影から救われたと心から安心した。
皆何も食べず、眠れなかったのでそのまま寝室に倒れ込んだようにして眠った。

難関は未だ待っていたのだ。出港をしてからの話だ。非常待機命令に従い、
入港のときと同じく待機しはじめてから一時間後、現地の時刻で昼の12時を
少し超えた頃、突然ブーンという音と共に、運転室のすぐ直下にある4番倉に
ミサイルが飛んできて甲板を貫通し、貨物倉の下にあった燃料タンクを的中、
爆発した。ものすごい大きな爆発音と共に火の手が上がった。同時に運転室の
床が割れ、炎と油が上がってきた。そのとき運転室にいた船長と当番だった
2等航海士はその炎に巻き込まれてしまった。驚いた船員達は慌ててバケツに
水を汲んできて掛けたが、もう遅かった。彼らは全身に火傷を負い、意識を
失っていた。しばらくして船長の意識が戻った時、彼は“俺はもう駄目だ・・・。
後を頼む。”という遺言を残して息を引き取った。

2等航海士はもう既に死亡していた。彼は当時、24歳で、一ヶ月前に結婚
していた。筆者とは同窓生で、商船学校時代にはナンパするのが好きで、よく
一緒に釜山の南浦洞で女を誘って遊んだりした思い出がある。あの世により
早くいってしまうことを知っていたのだろうか、彼は外出のときは狂ったように
多くの女をむさぼっていたのだ。

後から聴いた話ではあの船は戦争海域を定期航行する船で、前からイラク軍の
ブラックリストに乗っていたそうだ。そのミサイル攻撃で船員30人のうち、
半分ちかくが死亡するという大惨事だった。船はエンジンが完全に壊れて
いたが、幸いに沈みはせずに海を漂っていた。みんなぼっとした精神状態で
救出されるのを待っている間は、まるで夢をみているかのようだった。

本社のある釜山事務所では事務用具を全部しまって13人の死者を奉るための
大型喪屋が設けられた。香を焚き、死んだ人たちの写真を見ているとき、
この世とあの世でお互いを見ていると思ったら不思議な気分になった。
亡き人たちの冥福を心より祈る。

船窓夜話ー第十弾ーあの船長

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:55 投稿番号: [2861 / 3669]
船窓夜話(第10話)― あの船長 2002/10/ 2 18:03
メッセージ: 3430 / 6026

投稿者: ilkuji
海洋手記を船窓夜話に変えてみたニダ。

海軍士官学校および海軍中領(中座)出身のあの船長は一言ではったり
船長の標本だった。海軍艦艇に乗り艦砲射ったりしてたが、追い出されて
貨物を運ぶ商船に乗っては艦艇経歴も経歴だと貨物のカ字も知らないくせに
あまりにも部下たちをいじめてた。それに自分はたくさん給料をもらってるのに
下級船員たちの作業手当さえ手を出し、遂に給食手当まで着服するのだ。
そのくせに口癖のように自分は国内の会社とは関係なく、香港船主が直接
派遣したと自慢するビンシンセキだった。

筆者もその船舶の航海士勤務のとき、半年経った時点で運悪くその者が
後任船長で赴任してきた。天性的に前に出るのが好きじゃないないので
自分のやることだけ黙ってやりながら下船する日だけを待ってたが、
仕事も知らない者が一々干渉して無視するような喋り方に不埒に思っていた。
しかしこの者は静々といたら馬鹿取扱いする癖があるようで俺に
「無能だと会社に報告する」などつまらないことを口にしはじめた。

乗船契約末期に静かに降りてボーナスをもらおうと思ってた俺は範を示そうと
おもって、大洋航海の途中、sextant(六分儀、船舶位置測定・計算のために、
太陽、星の高度測定機)で空の星、五匹を取って海図上に正確な位置を出した。
あの船長が、やっとはじめて「Very Good」といいながら肩を叩くのだ。

その後からは筆者の当直に上がってきて「1、2等航海士より3等航海士の
君が当直に立つときが一番安心できる」といいながら航海士たちの仲を
離間するのだ。1等航海士は歯ぎしりをしながら悔しがった。

日本に入港し、一緒に乗船した同僚たちは一年期間を満たして後任者が
きてみんな下りるのに筆者は新任3等航海士が未だ決まらなくて、もう一航次
しなければならないと聴いて非常に落胆した。やっと一ヶ月も経って後任者が
きたのであの船を下りた日、空を飛ぶような気持ちだった。二度と
ゴミみたいな奴を相手にしなくていいなんていかに気分がよかったか知らない。
引き続きさせるとき、後任者に一言いった。「船長が苛めたら打ち返せ」と。

数年の年月が流れ、筆者は航海士を辞めてオーストラリアに来た。そして
タスマニアに住みながらそこの港に停泊した船が韓国籍ときいて行ってみたら、
その船長が乗船した当時、3等機関士としていっしょに乗ってた人に
出会ってうれしく話をした。 既に1等機関士になっていた彼があの船長の
船の後日談を伝えてくれた。

筆者が下りた後、しばらくして1等航海士が交代して来たが、木浦商船学校
出身で正義派として不義に耐えられない性格で、船長の不正に耐えられなく、
ある日、全船員が集まってる所であの船長の不正行為を暴露し、非難しては
その船長を柔道で投げてしまったそうだ。全船員の前で対面が徹底に潰された
あのビンシン船長。想像するだけでもさっぱりする気持ちだった。

そしてその1等航海士の主導の下、その船は当時、停泊中のある外国港で
船内ストライキで不動の状態だった。貨物の積揚作業が終った貨物船が
埠頭で滞船したら一日滞船料が冗談じゃない。一週間を続けたら、あの船長が
船員たちに土下座して謝りながら出港しようと哀願したそうだ。あの悪いくせを
最適な相手に出会って恥をさらして直したかな。

船窓夜話ー第九弾ー毛酒

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:53 投稿番号: [2860 / 3669]
海洋手記(第9話)ー毛酒 2002/ 9/25 14:01
メッセージ: 3399 / 6026

投稿者: ilkuji
インドの北西端、パキスタンとの国境周りにあるカンドラという小さな
港に寄港することになった。大きな船は本船以外には見当たらないほど
ちいさな田舎だった。(田舎サル弟の里より小さいかな)日本から出港して
東南アジアを通過するうち、持ってきた酒は既に飲み干し、みな酒を
飲みたがっていた。しかしどうしょう。せっかく寄港したところなのに
酒は販売禁止だった。宗教の律法のためらしい。

上陸したら、外国人に興味があるらしく、埠頭の出口で子供達がぞろぞろ
後ろを付きまとう。一人当たり子供10名づつの勘定だ。「ウォンドラー・
ウォンドラー」と子供達は言い続ける。1ドルだけちょうだいとの意味だ。
ある子はタバコを要求する。8才位にしかみえない子にタバコをあげたら、
ポーズを取って吸いはじめる。道路は舗装されてないのでほこりが舞い、
飼い主のいない牛たちが群らがって歩き回る。主人がいないので餌を
取るのにも苦労しているようで、牛たちは皮と骨だけしかないほど痩せている。

市場に行ったら、みな、袋に何かを広げ、売っている。ある商人は竹のかごに
コプラを入れ、コプラが頭を出し、外を眺めている。私が通り過ぎたら
この商人、あのコプラが入ったかごをぬっと突き出す。インド語でなんとか
かんとか喋るけど一言もわからない。私はコプラの頭を見てびっくりして
走って逃げた。そうすると、それをかかげたまま付いて来るのだ。
驚いて肝を潰し、走って逃げた。

酒を売ってる所はなく、困っていた。それで後ろを付いて来る子供達に
聞いたら、「売っている所を知っている、一緒に行こう」と誘う。
ある家に入ると、「ちょっと待て」と言って、少年達は出ていった。
10分ほど経って紙袋に何か筒のようなものを入れて帰ってきた。
開けてみるとウィスキー瓶に入った私製ウィスキーだった。これでも充分だと
思い、お金を払って船に持って帰った。そして同僚航海士たちと実習生も
呼んでパーティを開いた。

味は普通のウィスキーとあまり変わらない。酒のつまみでマグロ刺身を
食べた。ウィスキーが空になりかけ、瓶の底が見えてきたとき、何か糸みたいな
異物がみえた。グラスに移してみると、人間の体毛のようだった。それも多分、
あそこの毛みたいな感じだ。そこで男のか、女のかでしばらくの間、
激論が続いた。結局、形が女のらしいという結論に達した。1等航海士が
その酒を「毛酒」と名づけた。家で作るとき、不注意で入ったのか、それとも
わざと入れて発酵させたのか。未だに分からない。

(著者注;本海洋手記の全編は著者の体験による手記であり、著者権は全て
本著者にあるので著者の許可なしで本文の無断複写、全部もしくは部分引用
などを厳禁しますのでこの点、ご注意ください)

船窓夜話ー第八弾ー一等航海士の恋

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:51 投稿番号: [2859 / 3669]
海洋手記(第8話) 2002/ 9/17 18:34
メッセージ: 3363 / 6026

投稿者: ilkuji
(一等航海士の恋)

一等航海士。寡黙だが自分の任務には徹頭徹尾で上官の命令には絶対服従し、
船内紀綱を担当する位置にある模範的な士官である。入港後、航海に
疲れた体を運んで酒場を訪ねた。そこには毎日変化のない暮しと
お客さんたちからの酒乱に揉まれていた奇麗なホステスが一人いた。
そして彼らはお互いに惚れて愛をするようになった。停泊中、毎日二人は
会ってデイトをしながら将来を約束した。

作業を終えた船舶はやがて出港を目前にした。再会を約束して別れを告げる
彼に彼女は自分を連れていってくれるように訴えた。しかし旅客を
乗せられない商船、特に女子乗船を禁止する船員法を違えることは
できなかった。(当時の韓国船員法は商船の女子乗船を禁じていた)
何より規律担当の自分がその規律を違えるのはできなかったのだ。しかし
女は泣きながら哀願した。悩んでいた彼は仕方なく女を密かに乗せて出港した。
そして自分の寝室に隠した。

数日後、目的地に到達した船は再び錨を降ろすようになった。いったん
停泊をしたらその港の税官員が上がってきて痛感手続とサーチをする。
寝室に女をおいたままでは発覚されるので、彼は入港前に錨を格納する
ホースパイプの中に女をぶら下げておいた。船首両側のアンカー(錨)の中、
右側のアンカーだけを船長が習慣的に使うことを知っている一等航海士は
左側アンカーのホースパイプの中に女を隠したのだ。アンカーの
シャフト(軸)が入るとほぼ空き間のない垂直のパイプの中で女は
シャクル(錨の鉄線)を取って待っていた。

All Standby のベルが鳴ったら船長がブリッジに立って入港を総指揮し、
三等航海士は船長の指示をマイクで船首と船尾に連絡し、一等航海士は
船首に出てアンカーを降ろすため、甲板員たちを指揮し、同時に
二等航海士は船尾で接岸のため甲板員たちを指揮する。

その日はどうしたか船長が直接マイクを取って一等航海士に言った。
「おい、初士!(一等航海士)今日は天気が晴れて凄く気分がいいね。
いつも starboard anchor (右側の錨)だけ使ったね?今日は port anchor
(左錨)を降ろしてみようか?よし、そうしよう!」といって
「Standby port anchor!」と命じた。

瞬間、一等航海士は自分の耳を疑ったが命令を違えるのはできない。
「Standby port anchor!」と復唱し甲板長に左側の錨の投下準備を指示した。
まもなく「Let go anchor!」と命令が下りた。一等航海士は
「Let go anchor!」と復唱して、同時にウィンドラス(錨投揚機)に
かかっていたアンカーのシャクルがパイプを通じて滑り降りた。同時に
血霧が飛散しながらアンカーは投下された。女との恋が血霧で散華する
瞬間だった。

Re: 船窓夜話ー第三弾ーヨダン川を眺めなが

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/12 14:32 投稿番号: [2858 / 3669]
おひおひ鶏頭のチョン君へ

こんな駄文を朝鮮書籍に貼り付けるな。しかも当時お前の差別表現に非難轟々であったことを忘れたのか。

Re: あのさ〜

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/12 14:28 投稿番号: [2857 / 3669]
>歴史歪曲には他の追従を不許する倭族がいうことではないね。賄賂を払い、昔から自国の未開野蛮史を
隠し、ないし美化し、誇大妄想による想像の翼を伸ばし、漫画みたいな嘘の歴史を書いてきた糞部族。
これが倭族の素顔だ。

はあ、お前は何度論破されても根拠なしの言い分(朝鮮式には妄言)を繰り返すな。光復節が1945年8月15日としたことから過去の歴史の辻褄あわせで捏造・歪曲した歴史を作成しそれを事実の如く思い込んだのがお前ら。劣等民族たる所以だな。

屑朝鮮と言われる理由は過去も現在もワイロを罪悪視しない朝鮮人の宿痾、お前達がやってるからと先進国がやっていると思うのがちょーせん人の浅ましさ。自爆するなよ、事実から逃げまくる精神薄弱のチョン。爆笑ニダ

船窓夜話ー第七弾ーアルジェリにて

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:15 投稿番号: [2856 / 3669]
海洋手記(第7話) 2002/ 9/14 15:36
メッセージ: 3352 / 6025

投稿者: ilkuji
(アルジェリのアルジアにて)

北アフリカの地中海沿岸のアルジェリの首都、アルジア。港湾施設が
落後して埠頭に接岸するまで一ヶ月ちかく外港で錨を降ろして待機していた。
いつまでも待つのが退屈なので釣りをしたりフラー(セブンブリッジ)を
しながら日を暮らす船員たち。魚があまり釣れなくエンジンを使い、
場所を移ったりしてみたが、結局、救命ボートを降ろした。一機で6名程度
乗り、ボートのエンジンを使い少し離れた常呂に行って釣りをした。
次の日は違う人たちがまた乗ってつったりした。筆者が出た日には、
直接ボートの蛇を取り、機関士がエンジン始動をかけた。魚がありそうな
ところを探し、錨を降ろして餌のついた針を投げた。

すこし経ったら機関員が大便がしたいという。その一人のため本船に
帰るのももったいないから紙を開いてその上にさせたところ、
狭いボートの中に匂いが震動する。みんなタオルではなを防ぐしかなかった。
その状態で釣糸を垂れてしたら魚がかかる。それを大便をしながら
上げるポーズが可笑しい。誰かの小説の中で排泄話が出る。即ち、
山の中でする山糞、野でする野糞、それから川の辺でする川糞の三糞が
排泄の中でも一番気持ちがいいという。ボート上での排泄は 海糞というべきか。
とにかくあの人が排泄の新たな章を開けた。

付言すれば、快便は健康の根元であり大便の色で健康か病気かを判断する
ことがある。ある詩人の日記は毎日排便の時刻とその状態の描写に内容を
大幅割愛していた。それでその日記を大便日記と呼ぶとのことだ。
一番健康な糞は金色を出し、素分がほとんどなく、蛇が荷を頂くように
丸く巻いた糞じゃないかな。人間が断食をすれば排泄が中止され
4―5日過ぎて出る糞がいわゆる宿便であり真っ黒だ。体の中に長い間
積んでたゴミが集まって出るからかな。従って、たまには断食をして
宿便を除去するのも体にいいだろう。

釣った魚を材料にして汁を煮て、焼いて、刺身を切って食卓は魚料理一色。
ついに埠頭に接岸したが上陸することはない。当時はアルジェリが適性国
だったので全員上陸禁止だった。出ていってもみることもない村だが。
長年フランスが支配したせいでフランス語が公用語だが一般人は固有言語を
使うらしい。不本意ながら筆者だけ出る用事ができた。

当時上級航海士が筆者のことを不満そうにみていたらしく、なんでも
いいかかる。誰かに聞いたところ、彼は漁船出身だけど劣等感のせいか
無実な一般船員を苛めたりして筆者とも仲が悪かったけど、ある夜、筆者が
寝室に座っているのに出てくるようにいわれて甲板上に出たら、いきなり
拳が顔に飛んでくる。筆者より10才年上なのでなるべき耐えようとしたが
到底堪らなかった。相手になりその者の顔を打った。

しかし彼は毎日運動をして体力がよい状態であり、結局こっちが一方的に
殴られた。常に決戦を準備して体力鍛練をよくやったらしい。実家がある田舎だ
というけど職位が上だと揺るぎ出る姿がみっともない。田舎ものはしょうが
ないか。航海士同士なので毎日、対面しなければならないのでその間、
精神的に疲れてた。むしろよくなったかもしれない。これからいいたいことを
いいながら競り合えるから。

結局、上部に知られて船内懲戒委員会が開かれ、船長の判決により筆者は
上陸禁止3日、彼は10日に処された。肋骨に異常がありそうでレントゲンを
撮りに代理店を呼び、病院に行った。医者に簡単な診断を受けて薬だけ
もらった。帰路でみたら失業者の群れがあちこち道上に座っていた。
貧乏の国がある日、油田が発見され国家的には豊かだが一般書民の生活はなお、
貧窮である。政府が金を独食するのか。

上陸はできないのに作業人夫たちが本船に上がってきて自国を自慢しながら
「アルジェ・グット」と自賛で夢中だ。みんな船に監禁され排泄(違う意味の)
もできなく戦戦兢兢としているのに何がグットか。ある船員が頭にきて
韓国語で「ニギミ・シビ・グットだ」と応手した。女たちに穴がなかったら
船員たちがそんなにさみしくはないはずだと考えてみた。いろいろ
エピソードを残し、本船は出港の信号旗を上げた。

船窓夜話ー第六弾ースナック・バー巡礼

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:11 投稿番号: [2855 / 3669]
海洋手記(第6話) 2002/ 9/14 12:08
メッセージ: 3349 / 6025

投稿者: lkuji
(スナック・バー巡礼)

日本にはスナック・バーが多い。カラオケより規模は小さいけど
カウンターを間に入れてママやホステスと話しながら酒も飲み
カラオケもできる。初級航海士のとき、よく愛用したりした。

同僚士官といっしょに上陸をして偶然に寄ったスナック・バー。
その友は何らかの理由で飲めなくて私だけ酒を飲んで、その友は
ジュースだけ飲むからママや姉ちゃんがなんで酒を飲まないかと聞く。
直説的にいうのも恥ずかしいのでただ「星バナナ」が痛くて「駄目だ」と
答えたところ、「それが何か」としつこく質問する。

仕方なく「星」って「空の星」のことで、バナナはそのままバナナと
言ったら、はじめて「あ、シンボルですね」という。やっと分かったように
女二人で腹を取って笑った後、私のシンボルはいくら大きいかと
「見せて」といわれた。パンツを着替えて来たらと後悔したけどもう遅い。
そのままでは見せられない状況だった。

スナック・バーは店により内部構造も違うし雰囲気、来るお客さんの
階層もばらばらなのでその夜はその町のスナック・バーを全部渉猟する
ことにした。しかし、その友は酒も飲めないのにあちこちの店に
同行するのが辛そうで二度めの店を出たらば先に帰るという。
これからひとりで行くしかない。

入ってみて雰囲気が別によくないし、女のいない店にはビール一杯二杯
飲んで退場するのを繰り返し6回目の店で当時には今のような
CDカラオケが出版する前なのでカウンターに座り歌詞本を読みながら
マイクを取り、テイプの音楽伴奏に合わせ唄を歌うが、その店には
私の好きな歌手、八代亜紀の唄がなかった。そしたらママがどこかに
電話したら10分ほど経ってギターをかけた青年二人が入って来て
私の前でヅエットで八代亜紀の「故郷へ」という唄を歌ってくれた。
いわば生音楽だった。唄代を払った後、7次回に出かけた。

朝1時頃、あるスナック・バーに入ったら女性だけ7、8名がスタンドに
座り飲んでいた。ある程度酔った状態でキツネの顔をしている女の側に
腰を下ろし話しをしていたが、そのままカウンターに伏せて寝てしまった。
夢うつつに起きたら皆帰ってしまってママと隣りに座ってた先の女が歌ってた。
彼女の肩に腕をかけたら振り切るので再びかけたら、目の前に火がぴかりとした。
見事に打たれたのだ。

そしたらママが閉めるから出るように言った。座ったまま酒を注文したら
女二人が私の腕を一つづつ取って外へ押し出す。外に追い出され路上に座った。
夜明け5時くらいなったらしい。精神を収拾していたらタクシが来るので
拾って船へ帰って来た。多分ひとりで徹夜して酒場を巡礼したのもそのときが
最初で最後だったろう。

船窓夜話ー第五弾ーある下品な酒場

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:09 投稿番号: [2854 / 3669]
海洋手記(第5話) 2002/ 9/13 16:56
メッセージ: 3339 / 6025

投稿者: ilkuji
(ある下品な酒場)

日本のある小港に入港したときの出来事である。今は地名も忘れたが、
市内に出たら90%はソープランド(当時はトルコ湯)か酒場しかない、
いわゆる第3産業だけある所。

同僚たちといっしょにある酒場の前を歩き過ぎたら入口の看板が視線を引く。
読んだら入場料さえ払えば1時間の酒が無料、それも飲み放題と書いてあった。
それに女もいるそうだ。安いと思い、みんなで入った。女たちが一人づつ
傍に座る。酒飲みながら女も触らなきゃならないのでそれこそ
「忙しい」だった。女たちは20代でノ・パンテイにワンピスだけ着ていた。
女のアソコを一手で攻略しながら他の手ではグラスを取るとのことだった。
「ゆっくり、ゆっくり」と女たちはあやしながら愛嬌をふりまく。

突然ある女が自分の傍に座っている男の椅子の上に立ってデイスコ音楽に
合わせ踊る。そうしたらあの男は女のワンピスの中に頭を入れて女の
アソコを耽美するみたい。ところでほぼ1時間経ったら女たちが一斉に
「お願いします」と頭を下げる。「何を?」と聞くとテーブルの上に
置いたつまみのお金を要求する。子供の手みたいな小さな籠の中のビスケット
何個かの代金だそうだ。いくらかと聞いたら入場料の5倍だ。
「やられたなあ」と思ったが、もう遅い。それぞれつまみ代を払って出た。
多分つまみ代じゃなくさわり代だろう。

翌日、「今度こそよく選んで入ろう」と思い市内を迷っていたら、入口に
「運動会開催」という看板がついている酒場があった。好奇心が発動、
入ってみたら地下の酒場に天井には万国旗があちこち吊られているし、
相当暗い。「栗拾い」というゲームをするそうだ。聴いてみたらホステスたちの
中、誰かのアソコの中に栗を入れていて、歩き方を見てお客さんが
「おい!あなた」とあの女を呼んでアソコから栗を引き出したら、あの日の
酒代は無料とのことだ。栗を入れた当番はマスターだけ知っていて、
それも毎日変わるそうだ。20名以上の女たちの中、一・二人くらいなので
確率はあまり高くなさそう。

我らが呼んだ女たちはみんな無駄だった。呼んで調べたが栗が出ないと
女が「ごめんね、昨日があたしだったのに」と喋って行ってしまう。
隣のテーブルのある男が当たったようで歓声があげられた。栗が出た女と
酒を死ぬほど飲んで、その日のフィナレー(?)はその栗を剥き、
二人で仲良く(?)分けて食べることで終わった。

我らが出ようとしたら、「サービスだ」とウェイターが女を一人呼んだ。
女はお客さんの膝の上に向き合い座ってその姿勢でセックスを演出しようと
誘う。女は腰を回しながら嬌声をあげつづき、しばらくして自分のペンテイを
脱いであの男に渡す。自分の体液のつたあれが「お土産」だそうだ。
へそが抜けるほど笑った。

船窓夜話ー第四弾ーああ、二等航海士よ

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:07 投稿番号: [2853 / 3669]
海洋手記(第4弾) 2002/ 9/13 8:38
メッセージ: 3330 / 6014

投稿者: ilkuji
(ああ、二等航海士よ)

貨物を満載してカナダのバンクーバーを出港した本船は1月の手酷い海風を
船首から受けながら台湾を向かって大圏航海中だった。 大圏航海中とは
地球の等級を考慮、、海図を平面に開いたとき、軽度や緯度の目盛りを
過ぎるたび少しづつ変針して最短距離で航海する技術である。

ある日、通信長が心配そうな顔でブリッジへ上がって来て船長を訪ねた。
無線で受けた気象図には台風が発生、本船の進行方向へ移動中だとのこと
だった。船長は即刻、大圏航海から離れ、アリューサン列島への接近を命した。
いざというときは島へ避けようとの計画だった。

北米航路で航海者達に悪名の高い冬の北太平洋。波がだんだん荒くなり
もう山になった。傾斜両方30度づつ船がローリングとピッチングをしはしめた。
当時3等航海士だった筆者の部屋にも椅子の上に置いてたラジカセが床に
まっさかさまに落ち込み、食卓のスープが迸て手で取って飲んだ。なにより
苦しいのはひどい揺れで眠れないことだった。つい前も北太平洋を航海して
いた原木船が何台も沈没したとの話が思い出した。

船酔いをめったにしない筆者も食事ができないほど中が吐き気をもよおした。
波はもうキャンバスを掛けた甲板の上に上がってきて沈み、ブリッジだけ
水上に浮かんだ形がつづけた。1等航海士が上がってきたので食事交代を
終えて部屋に戻ってきたとき、大きな轟音をきき、飛び出してみたら2等航海士が外側廊下に倒れていた。

船内巡視をしていた2等航海士が外側の廊下へ出たとき、たまたま押し迫った波で
2等航海士が外側廊下の壁にぶつかり、廊下に倒れたのだ。脳震盪だと思った。
医薬品担当の3等航海士としてはどんな処置を下ろすべきか分からなくて慌てた。
いったん部屋に移してベッドに横たえた後、船長を呼んだ。

2等航海士はまだ意識はいきていたが動けない状態だった。船内の医薬品で
解決できることじゃなかった。簡単な処置を取った後、手足が動くかを
確認したが、足指の先が少し動くだけだった。患者を安心させるため、
“すぐヘリコップターが来るからすこしだけ待って下さい”と言った。
しかし陸地と既に数千マイル離れた茫々大海でしかも荒天航海中の船に
ヘリコップターが来るわけない。ただし一日でも早く台風を避けて列島の島に
でも入るしかない状況だった。

患者の手足が固くなっていって按摩しながら“少し待って”というしか何も
できなかった。突然、彼が “ヘリコップター来るの?”と聞いた。
“はい、今来ます”と答えたら、すぐ息を引き取った。悲しいことだ。
若い年にまだ未婚だった彼が海の男になろうとあんなに難しい教育課程と
3等航海士を経て自分の夢を開こうと出たのに・・・

いったん棺を作って死体を入れた後、腐敗を防ぐため、冷凍室に保管する
ようにした。そして毎日当直が終わったら降りてきて死体の冷凍状態を確認した。
通信長が鳴咽しながら無電を打った。もう二日間、波にぶつかりながら
アリューサン列島中、‘カナ’という島の湾に入って錨を降ろした。

着いてから三日間水だけ飲んでいたのに気が付いた。その後、日本に入港、
死体を下船させてから次の目的地の台湾を向かって出港した。商船学校のとき、
“我らの故郷は太平洋で、我らの墓になる太平洋だ”という歌を歌ったが
2等航海士はその歌の通り太平洋で目を閉じたのだ。冥福を祈りながら
彼の分まで生きてあげようと念を押してみた。

船窓夜話ー第三弾ーヨダン川を眺めながら

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 14:05 投稿番号: [2852 / 3669]
海洋手記(第3弾) 2002/ 9/12 8:37
メッセージ: 3318 / 6014

投稿者: ilkuji
拙作、海洋手記をご愛読してくださり誠にありがとうございます。とりあえず続けてみます。


(ヨダン川を眺めながら)

バイブルに出る、モセが分けたとの紅海に入る所から方向を変えて川を溯ってアカバに入った。

紅海を分けたとのモセの話をしながら、実は当時海が浅かったし分けられたのは干満潮の現状により神様の力を借りなくても起きれたことだと誰かが説明すると、聴いていた一人が拍手を打ちながら“ハレルヤ!”と叫んだって。不思議だと思って他の人たちがそろ理由を聞いたところ、“そんなに浅い海にエジプト軍隊が没殺されたというのは神様の起した奇跡じゃないか?”と反問したとのある狂信徒のことが思い出した。

アカバは映画“アラビアのローレンス”に出るそのアカバとして名声に比べみすぼらしくみえた。かわの床があまりにも深く底質が岩なので錨を降ろせないそうだ。接岸する前、入国手続を待ちながらエンジンを止めたまま待機した。肉眼では分からなかったが、潮流が強くてすぐ陸地に近づく。エンジンを急に使いながら本来の位置に戻って来た。

埠頭に船を付けた後、気が付いたらヨルダン川が目の前にある。サウジアラビアとヨルダンを分けるヨルダン川。“ヨルダン川を渡って会おう”という唄があるが、その川を渡ったらあそこか・・・

上陸をした。車でずっと走って市内に入るのに潰れた戦車や装甲車があちこちちらばっている。6日戦争のとき、イスラエル軍に爆撃されたものだそうだ。その戦争が終わって十数年が過ぎたのに何故未だにそのまま放置したんだろう。

市場で中近東の特産品というぺルシア絨緞を3枚買った。床に開くより壁にかけるのがもっと似合いそうなカーペット。アラブの女たちはカーペット織りを生業の唯一な手段で幼い頃から家で徹底に習う。先祖代々に伝えてくるノウハウは他の追従を不許する。

一ヶ月ぶりの上陸だったのでみんな女に飢えて困ってた。買い物を終えてから一杯飲んだ後、代理店のものがいい所があるというので皆、車に乗って山の中をずっと走った。どころで先ほど飲んだビールのせいで尿を耐えられなかった。仕方なく車を止めて用便できる所を探したがはてしない平原には何もない。廉恥不具して路上放尿するのに人気があり頭を上げたら、顔をチャドルで巻いて目だけ出した女が10メートル前方で顔を背ける。アレをみたかどうか考える場合じゃなかった。

目的地に到達したら山の中にかなり奇麗な建物が一軒だけ立っていた。部屋も奇麗だった。外国人専用だそうだ。いっしょに行った甲板員が小体格なのに女がをちゃくちゃ貪した。溜まってた液体が未練なしで一機に噴射される痛みを味わった後に車に乗ったらこいつがいうには全ての体位を総動員してみたと誇る。余裕のある奴だった。ヨダン川を渡って房中術まで駆使するなんて。

Re: あのさ〜

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/12 13:20 投稿番号: [2851 / 3669]
>歴史歪曲には他の追従を不許する倭族がいうことではないね。
>誇大妄想による想像の翼を伸ばし、漫画みたいな嘘の歴史を書いてきた糞部族。

これ、全部朝鮮人のことなんだけど??(嘲笑)

>文化宗主国の韓国を罵倒することがお返しだと信じてるらしいのだ。

何百回も論破されたネタをいつまで使うのかね?(嘲笑)
まあ、韓国の文化宗主国は中国であるわけだが(嘲笑)

>最近は悲願の国連安保理の常任理事国への進出を目標にいくら拒否されてもしつこく挑戦しつつあるらしく、
>今度は太平洋の小さな島国らを訪ね、お金を餌に国連で支持してくれと誘い工作をやっているらしい。
>卑劣な島猿の汚い根性は永遠に消せないのか?

そう言えば、韓国は日本にお願いにきてたね。
『お願いです、ウリナラの人間を国連事務総長にしてくれるよう応援してください』って。
どこまで恥知らずな民族なんだろうね(嘲笑)

Re: あのさ〜

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 13:13 投稿番号: [2850 / 3669]
>自分らの嘘の歴史、感情論で日本を非難する事は誹謗・中傷そのもの。

歴史歪曲には他の追従を不許する倭族がいうことではないね。賄賂を払い、昔から自国の未開野蛮史を
隠し、ないし美化し、誇大妄想による想像の翼を伸ばし、漫画みたいな嘘の歴史を書いてきた糞部族。
これが倭族の素顔だ。

>事実を突きつけられ反論されると、誹謗・中傷というのがちょーせん人。

その言葉もお前ら倭族にそっくり戻す。大体この未開糞民族倭って自分がやったことは棚の上において
呆れることに恩国で文化宗主国の韓国を罵倒することがお返しだと信じてるらしいのだ。未開さ野蛮さは
一千年経っても洗えなさそうだ。
最近は悲願の国連安保理の常任理事国への進出を目標にいくら拒否されてもしつこく挑戦しつつあるらしく、
今度は太平洋の小さな島国らを訪ね、お金を餌に国連で支持してくれと誘い工作をやっているらしい。
卑劣な島猿の汚い根性は永遠に消せないのか?

れ: あのさ〜

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/06/12 13:11 投稿番号: [2849 / 3669]
>恥を知るんだな。ボケ

「恥」を知っていたら超賎奴ではありません。知っていれば韓国(朝鮮)人れしゅ。
もっとも、「厚顔無恥」だけが超賎奴の特徴ではありましぇんが。をっと、超賎奴は、「厚顔無恥」ではなく、
面の皮が「超合金製」でちた。

Re: あのさ〜

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/12 12:56 投稿番号: [2848 / 3669]
>掲示板は他国を蔑視して誹謗中傷する場所ではありません。

自分らの嘘の歴史、感情論で日本を非難する事は誹謗・中傷そのもの。

事実を突きつけられ反論されると、誹謗・中傷というのがちょーせん人。

恥を知るんだな。ボケ

船窓夜話ー第二弾ー懐かしいシンガポール

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:42 投稿番号: [2847 / 3669]
投稿者: ilkuji
マーボーおっさん、お久しぶりです。
海洋手記お好きでしたら、こちらも勇気を出して続けて連載してみます。よろしく。


(懐かしいシンガポール)

台湾の基隆で雑貨をいっぱい載せて南支那海を滑るように走った。農産物を附帯に入れた貨物を船内起重機で載せるとき、附帯が張り裂けて甲板上に落ちることがたまにある。落ちた生姜を拾って誰かが韓国焼酎に入れ生姜酒を漬けた。大人の拳何倍ぐらいの大きさでまだ土が付いてる奴を洗って皮を抜いてそのまま焼酎に漬けて一ヶ月ぐらい経ったら引き出して飲むのだ。しかし一ヶ月もどうやって待つの。

一週間後シンガポールに入港し次第、ふたを開けた。酒好きの一等航海士が夕食の終わった後、自分の事務所に甲板部全員を招集した。久しぶりに甲板部の酒席を設けたのだ。厨房長冷凍されたマグロを何皿いっぱい切って来て皆、順番でまだ熟成されてない生姜酒を飲みながら食卓を箸で叩きながら歌を歌った。1、2、3等航海士、見習航海士、甲板長、甲板長補、1、2、3舵手、1、2、3、4甲板員に見習甲板員まあで、総員14名が夕暮れから集まり、飲み始めた。

時間がだんだん流れ体力の弱い老人たちからそろそろ消え始めた。朝、気付いたら残った人は2等航海士と3等航海士の私だけだった。日が水平線に立つのを眺めながらきっちり喜悦を感じた。多分そのように長時間酒を飲んだのはそれが最初で最後だったろう。

いろんな雑貨を降ろすには何日間かかった。甲板長補がある日、突然歯痛を訴えた。私が医薬品担当の航海士だったんで通訳を兼ねていっしょに上陸した。市内の病院に行ったら20代ほどの女医者が出て歯を抜いた。そして終わったんで帰るようにいわれた。廊下に出て船に連れて行ってくれる代理店の人を待っていたら甲板長補は再び歯痛を訴え始めた。慌ててその診療室へ戻って看護婦に聞いたら医者は昼食時間なので出ていったので1時間待つようにいわれただけ。

甲板長補は椅子に座って待ってたが痛いと下にべたんと座ってから、もうころころ転がった。そしたら痛みが消えると、また座り直すのを繰り返した。どうしょうもない状況だった。気が付いたらその看護婦が18、9才くらいの中国系らしけど可愛かった。それで女に久しぶりに言いかけたくていろんな話をして、つい愛を告白した。彼女の顔が真っ赤になった。そして住所を交換した。後であの医者が来て、また治療を受けて船に戻ってきた。

ダイアモンド形の島国、シンガポールは最初、西洋から来た船員たちが発見したとき、獅子が暮らすのをみたとその島の象徴として獅子像を海辺に建てといた。その海辺に整然と並んでいるサテー料理屋。焼き鳥の一種でサテーというマレー系の独特なソースを塗って焼くとその匂いが食欲を懇切に刺激する。現代式ビルと伝統の料理屋が調和して異色的な雰囲気を出すその海辺。

出港後、2週間でスエズ運河に到達、その看護婦に手紙を送ったが受けたがどうか、もしくは本船が不定期船なので返書をこちらがもらえなかったかは分からず、一年後、他の船でシンガポールに行ったとき、その病院のあるビルを探したが歯科病室自体が消えてしまった。マドロスの虚しい恋だったのか?

船窓夜話ー第一弾ー海賊に出会う−2

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:39 投稿番号: [2846 / 3669]
大きな船が徐々に船首を左側へ回すと一旦危急状況は免れたよう。ところが今度はその船が方向を回し本船1時方向から再び入ってくるのだ。私は「Port!」と命じた。左へ15度との意味だ。しかしその船はもう本船の船首を左にして過ぎる状況だった。私が「Midship!」と叫んだら「Midship!」と舵手が復唱しながら 舵柄を正中央へ戻したら既に本船の前に来ている。再び「Hard Starboard!」と命じた。右へ25―30度とのことだ。

本船が大きく円を描きながら右へ回転するともう本船の左側に付こうとしている。そしてサーチライトをつけて本船に発光信号を送る。無線電話で呼んだら「Water police. Stop engine」と停船を要求する。海上警察だけど調査することがあるそうだ。一旦エンジン・テレグラプ(変速機)をstop 位置に回したら本船の後ろからロープを上げようとしている。

船長が急いで上がってきて「不思議だね」と呟いた。軍服ぶりの人たちが警備艇サイズのボートに乗り、縄ばしごを上げようと熊手のついたロープを投げていあ。 船長の表情が一瞬変ったら「海賊だ!」といって「Full ahead!」と叫んだ。また全速前進をはじめた。2等航海士が船尾へ降りていって欄干にかかている彼らのロープを非常斧で切った。ボートが船尾にあったので本船プロペラの揺れに後ろへ押さえられ激しく揺れた。そしたら騒々しく機関銃の発射音が聞こえた。海賊たちが乗船に失敗すると、むやみに乱射していたのだ。

機関室から 騒々しく電話がかかってきて「どうしたのか?バンカーC油なのに何故停船し、また全速か」と大騒ぎだ。船舶では入出港時やエンジン変速を頻繁しするときはバンカーA油を使い一旦大洋航海がはじまるとバンカーC油をつかうので燃料を変えるときは前もって機関室に連絡し用意をさせるのが普通だが、それをする暇がなかったのだ。

アカバに到着して埠頭に降りたら船尾の鉄板があちこち表に打たれたように入っている誰かがそこに立っていたら即死したはずだった。くらっとした瞬間だった。

船窓夜話ー第一弾ー海賊に出会う−1

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:37 投稿番号: [2845 / 3669]
海洋手記第一弾 2002/ 9/ 6 17:08
メッセージ: 3305 / 6014

投稿者: ilkuji
本トピの活性化のために、又、常に尊敬している旅人木おっさんと
マーボーおっさんに感謝の表現として私の航海士体験談を定期的に
載せるようにします。よろしく。



海賊に出会う

日本の水島を出港した本船は一途中近東のアカバを目的地にして南支那海を切り走った。出港する前、本社の無電連絡を受けた船長は1、2、3等航海士をサロンレストランに呼んだ。船長は本社の電文をみせながら「南支那海航海途中、ベトナム難民船を発見するか難民船から救助を要請されても無視して全速航進せよ」との命令を下ろした。航海士として命令に従うしかないが人道主義より利益だけを追求する商業主義を冷たく感じた。勿論難民たちを救助するえば予定航路を外れて隣の港に入港すべきであるし、彼らの入国手続などで時間が遅滞され予定とおり運航ができず、従って金銭的に会社が多くの損害をうけるのは事実である。

水平線と海だけみえる退屈な航海がまた始まった。たまに本船と走り試合をするようんい並んで走りながらジャンプをするイルカたちと翼のようにヒレをばたつかせて飛ぶ飛魚だけが唯一な友だ。心配してた難民船とは遭遇しなかった。そしてシンガポルを過ぎながら片思いで終ったあの看護婦を思い出した。

狭いマラカ海峡。東西洋の関門というこの海峡は陸上道路の中央線みたいに海図上に出ている線の両側にわけて往来する船が航行する。世界で航海者に一番難コースで有名な日本の瀬戸内海のように航路が乱れている。漁船や大小貨物船および旅客船が横断し灯台はあちこちでライトをきらめく。レーダーをつけて一を確認しながらスマトラ島の西側先をレーダーのスクリン上で確認するのにかいぞと模様が違う。慌てて仔細にみると海峡のほうに海を埋立したようにふくらんでいるのに海図はのっぺりしている。海図の制作年度をみたら1935年。海図制作以降、海を埋め立てたのだ。

夕方10而頃、海図室から出て真っ黒のブリッジで目絞りを調節しながら舵手と話をしていた。彼らは何より女話が好きだ。それで負けたくないので学校のとき、女を食った経験をもっと誇張して話したり、一片、女を一日一人づつ食ったという彼らの話を聴いてやらなきゃならない。

突然、11時方向から横断する船舶を肉眼で探知した。航海灯をみたら小型船だけど速度は速い。レーダー上では2マイル前方である。そのまま置いたら危険そうなので舵柄を取っている舵手に命令した。「Port easy!」左へ10度くらい針路を変えろとの意味だ。「Port easy!」と舵手が復唱し、 舵柄を回した。

「船窓夜話」と「シドニーブルース」の目次

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:34 投稿番号: [2844 / 3669]
★   船窓夜話(海洋手記)
第1話   海賊に出会う
第2話   懐かしいシンガポール
第3話   ヨダン川を眺めながら
第4話   ああ、二等航海士よ
第5話   ある下品な酒場
第6話   スナック・バー巡礼
第7話   アルジェリのアルジアにて
第8話   一等航海士の恋
第9話   毛酒  
第10話   あの船長
第11話   命懸けの航海
第12話   カボチャお婆さん
第13話   瀬戸内海   Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅴ,Ⅵ,Ⅶ,Ⅷ,Ⅸ,Ⅹ
第14話   スエズ運河
第15話   ダイアナ妃、その他
第16話   南浦洞スヤ
第17話   カサブランカ
第18話   熱砂のサワヂ
第19話   サロンボイ
第20話   タンパにて
第21話   バスラ
第22話   サイクロン
第23話   3機士と1機士
第24話   バットと酒と男とサウジ
第25話   ドンキホテ   Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ
第26話   藪医者  
第27話   中央洞にて   Ⅰ,Ⅱ
第28話   助平女   Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ
第29話   ニュージーランドのカモメ
第30話   帰国   Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ
後書き


★   シドニーブルース
第1話   悲恋   Ⅰ,Ⅱ
第2話   新婦強盗
第3話   a blue night
第4話   新婦拉致
第5話   セックス教習   Ⅰ,Ⅱ
第6話   海原の序曲   Ⅰ,Ⅱ
第7話   豪州と戦争   Ⅰ,Ⅱ
第8話   社内セックス   Ⅰ,Ⅱ
第9話   あるナイトクラブ
第10話   阪神淡路大震災とビザ
第11話   車泥棒
第12話   貝売り娘  
第13話   カワラ脱走   Ⅰ,Ⅱ
第14話   釣り馬鹿と病身
第15話   幼い性
第16話   セクハラ    Ⅰ,Ⅱ
第17話   事業と交接
第18話   この女の行き方   Ⅰ,Ⅱ
第19話   営業マンの哀歓
第20話   タクシー運転
第21話   銃器規制    Ⅰ,Ⅱ

その後は目下、このトピで連載中にだ。

「船窓夜話」および「シドニーブルース」

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:28 投稿番号: [2843 / 3669]
実は数年前、自分のPCがウイルスにかかって自分のワードに所蔵していたエッセイを含んで
全てのファイルが開けなくなり、結局全部消えてしまったのだ。だが、相姦トピにも
載ってるし、犬鍋さんがわざわざ「コリア関連書籍」に移してくれたので安心して再びワードに
移しておかなかったのだが、最近相姦トピが消えてしまい、そのトピから「書籍」トピへ移したのも
自動的に消えたのに最近気づいたのだ。
絶望的な気持ちで迷ってたのがつい思い出したのが友人のオリンさんのHPにも所蔵されて
もらってるとのことだった。彼女のHPじゃなかったとしたら永遠に失ったはずだね。彼女に心底から
感謝の心を伝えたい。
そういうわけで、また本日はオーストラリアのエリザベス女王様のお誕生日を向かえ、ダブルの記念碑的な
出来事の連続の日なので拙作のリバイブル連載を決めたわけである。綴りミスや表現の怪しさはあると
知っているものの、校正は出版のとき(?)、親友の犬鍋さんに任せるつもりなので先ずは荒いけど
原石のまま、流したいと思うにだ。よろしくお願い申し上げます。

投稿内容についての疑義

投稿者: gades_pluton_1930 投稿日時: 2006/06/11 19:10 投稿番号: [2842 / 3669]
> whiterose20051さん

ひとことだけレスします。

No.2831とNo.2837の投稿で、
高崎宗司氏著の本を引用という形で、あなたは文章を書いていますが、
これらの内容は、はっきり申しまして、
年代(西暦)の記述がことごとくおかしい、と私は思います。

この年代記述では、朴正熙が政権を握っていた時代の話になってしまいます。
1箇所書き間違えた程度(ケアレスミス)ならばともかく、
どうして全ての箇所で間違えているのか。

これでは、投稿内容(引用内容?)に対しての、
信用性を頭から疑わざるを得ません。
本の文章を転記するにしても、正確におこなっていただきたいものです。

Re: あのさ〜

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/10 18:13 投稿番号: [2841 / 3669]
>悪党が悪等行為を正当化して自己満足する場ではありません。

なんだよ〜。自分の事言ってるじゃん。(笑)

>お前ら個人攻撃して退散さすのが目的だから

いつも反撃食らって、遁走するのはどっち?(爆)

>朝鮮人をひどい目に合わせておいて、無能・無知だの劣等民族など
>悪口雑言を許せないだけです。

↑だから、嫌われるって気づかないの?
それは、もう論破されてるだろ?
君が書いて、皆が反論したら逃げちゃうじゃないか。
早く宿題やれよ。
宿題を片付けなかったら、いつまでも君の投稿は自己満足のオ○ニー扱い。
今日もまた、人が見てる所でやるのか?オ○ニー・・・

気持ち悪いな〜。(オエ〜〜〜〜)

↓はい、じゃあ俺もコピペするよ〜。

本田総一郎氏曰く「海外工場で一番悪かったのは韓国」
「アジア共栄権の時代」   邱永漢   渡部昇一著

(邱氏が、直接総一郎氏から聞いたお話です)

邱「海外で一番うまく言っている工場はどこですか?」

本「台湾」「台湾に行くと皆が私に『こうやって自分達が仕事をやれるのは、
  本田さんのお陰です』と言って、物凄く丁寧に扱ってくれるのです、ですから、
  胸に一物持っていても言い出せない」

邱「ちなみに、一番具合の悪かったところはどこですか?」

本「韓国」「向こうへ言ってオートバイを作る事を教えた、それで、一通りできるように
  なったら、『株を全部買いますから帰ってくれ』と言われた、『どうしましょうか?』と
  下のものに言われたので『そんな事言われるとこでやる事はねえよ』と言って
  金を返してもらった」

Re: あのさ〜

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/10 12:55 投稿番号: [2840 / 3669]
>掲示板は他国を蔑視して誹謗中傷する場所ではありません。

一部の馬鹿を除けば、そんなやつはいないよ。
あんたの不都合な点を突かれているから、そう感じているだけなんじゃない?

>私の投稿を読んで一人でもまともに考える人が増えることを祈って投稿している。

あんたは本の内容をせっせと書き写しているだけ。
そんなおばかさんの投稿に感化される阿呆はおりません。

>朝鮮人をひどい目に合わせておいて、

何回も言ってるけど、
併合された方が悪いんだよ。日本を恨むのは筋違いな話だ。
国を滅ぼしたご先祖様のふがいなさを嘆きなさい。

Re: あのさ〜

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 12:36 投稿番号: [2839 / 3669]
>掲示板はオナニーのために使うもんじゃないよ

掲示板は他国を蔑視して誹謗中傷する場所ではありません。

悪党が悪等行為を正当化して自己満足する場ではありません。

お前ら個人攻撃して退散さすのが目的だから
まともな議論などできません。

私の投稿を読んで一人でもまともに考える人が増えることを祈って投稿している。

朝鮮人をひどい目に合わせておいて、無能・無知だの劣等民族など
悪口雑言を許せないだけです。

あのさ〜

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/10 12:19 投稿番号: [2838 / 3669]
他の人と対話する気がないんだったら、
ブログなりホームページなり作ってそこで好きなだけ叫んでいろよ。
掲示板はオナニーのために使うもんじゃないよ。
掲示板は意見交換したり議論するとこ。
コピぺしまくって一人で悦に入るところじゃありません。

植民地朝鮮の日本人 釜山開港(2)

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 12:09 投稿番号: [2837 / 3669]
1976年9月、日本政府は、長崎・五島・対馬・釜山の航路開設
には助成金年5000円の下付を通知し、渡航や貿易を奨励した。

こうして、商船が一ヶ月に一回、長崎と釜山の間を往復する
ようになった。

そして、10月になると、これまで朝鮮と特殊な関係にあった対馬
の人に限られていた朝鮮への渡航規則を撤廃し、日本人は誰でも
自由に朝鮮を渡り、貿易も出来るようにした。

1977年1月になると、「釜山港日本人居留地祖借条約」を締結し、
江戸時代に設置されていた倭館の敷地11万坪をそのまま日本の
専管居留地にした。

そして、管理官を派遣し管理丁を置いた
(それぞれ領事・領事館と改称されたのは1980年のことである。)

1977年2月には、居留地に近代的な官立済生病院を開設した。

日本の発展ぶりを誇示するものであった。

ところで、日本はなぜ、釜山に目をつけたのだろうか。
釜山は、日本に最も近かっただけなく、江戸時代以来、対馬との間で
貿易を行っていて、倭館も設置されていたからである。

1971年ころには200人程度の居留民もいたし、1972年には、後に
「朝日新聞」釜山通信員と活躍する半井泉太郎も、医者として
倭館に勤務していたから父のもとで給仕として働いていている。

対馬藩が朝鮮外交役を罷免された後だったので、そこに居住する
者は減少していたが、それでも50人〜60人はいた。

その中には、1973年10月に外務省が設置した草梁館語学所で学ぶ
旧対馬藩士族が10人もいたという。

ところで、釜山を開港した年(1976年)の釜山居留民の人口統計は
見つかっていない。

しかし、当時は釜山以外には日本人はいなかったから、善生英助が
調査した全朝鮮居留民の数を釜山のそれとして考えれば、54人で
あった。

そのうちの二人は女性と記録されている。

難波専太郎によると、海軍大軍医・矢野義徴の妻と女中が最初で、
大倉組の富田重五郎の「女中」(妻の誤まり)がそれにつぐという

富田が妻子をつれて釜山についたのは1976年11月のことであった。

11月には、外務省書記生・中野許太郎も妻を帯同してきたというから
、年末の女性はの数は、二人以上になっていたはずである。

1977年3月、朝鮮側は、家族連れの渡航は条約違反であると抗議したが
、日本側は突っぱねた。

1977年には345人と激増した。
そうした中で、早くも同年5月には、13人の児童を対象に、共立学校という
名の小学校程度の学校が設置された。

朝鮮における日本人学校の初めである。
1980年末には2066人に達した。

植民地朝鮮の日本人   高崎   宗司著   P4〜5

Re: 朝鮮軍司令部 1904‐1945

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 11:21 投稿番号: [2836 / 3669]
>朝鮮兵は、入営が昭和19年の秋以降にずれ込んだために、本土と朝鮮防衛の部隊に入り、南方の戦地で死んだ者は日本兵に比して多くはなかった。

南方へ軍属としての派遣が多い
困難な基地設営の労働者として派遣されたから当然日本兵より兵隊の戦死は少ない

朝鮮兵は戦場の前線にだされることはなく捕虜管理や補給部隊の一員として
だされたから当然日本兵より少ないです。
朝鮮兵が信用できなかったから後方の任務が多かったのです。

>一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭を叩いてはいけない。怨みを持って復讐することが気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の 朝鮮兵を入れて行動せよ」

このような通達がどこまで守られたのでしょうか

朝鮮軍司令部 1904‐1945

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/10 03:19 投稿番号: [2835 / 3669]
朝鮮軍司令部 1904‐1945
古野 直也 (著)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336031940/250-1793395-7506647?v=glance&n =465392

朝鮮人気質を考える重要な参考書

対人関係の考え方、恥の概念などが、礼節の國「日本」とまるで違う韓国・朝鮮。太平洋戦争時も、多々問題になったようだ。
少し引用すると、

「朝鮮兵は、入営が昭和19年の秋以降にずれ込んだために、本土と朝鮮防衛の部隊に入り、南方の戦地で死んだ者は日本兵に比して多くはなかった。既に船舶が底をついて、海外には送り難かったのだ。初めて管理する朝鮮兵の扱いについて陸軍は通達を出し、細部まで注意事項の厳守を求めている。特に目を引く項目は次の如くである。

一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭を叩いてはいけない。怨みを持って復讐することが気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の 朝鮮兵を入れて行動せよ」

今も昔も変わらない朝鮮の民族性を考えるのに重要な一冊。

↓楽しいか?

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/10 02:57 投稿番号: [2834 / 3669]
悪いけど、オ○ニーは人が見るところでしないでくれる?

一人でやってよ、気持ち悪いから。(オエ)

韓国併合への道 呉 善花

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 02:49 投稿番号: [2833 / 3669]
この不平等条約について
著者はこのように言っている。

「朝鮮政府がこれらへのこだわりをまったくみせなかったことからすれば
、何のことか分らず、これが不平等条約だとすら認識していなかったのでは
ないか」と

背景には日本が軍艦を派遣し10日以内に締結を要求
また交渉まとまらない場合は日本が出兵する準備を用意していたこと

【李氏朝鮮の態度】欧米列強の開国要求に対して激しく抵抗した朝鮮が,
日本とは抵抗もなく不平等とされる条約を結んだのは,
当時李氏朝鮮内で攘夷派の大院君からこれに反対する閔氏派に政権が移ったことが関係している。

閔氏政権は日本の軍事行動を恐れ,条約内容を吟味するよりも一時逃れとして要求通りに調印し,実施に際し無視すればよいと考えていた。

http://www.tabiken.com/history/doc/N/N382R100.HTM
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