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ところでオマイら、いつ日韓併合

投稿者: kdm0709 投稿日時: 2004/10/12 20:03 投稿番号: [2252 / 3669]
してくれるんだ?
お願いだから早くやってくれよ。
もちろん朝鮮の公用語は日本語に。
先ずマトモな朝鮮の歴史教科書を作って、
朝鮮のアホどもの目を覚まさしてくれよ。
とにかく我々の腐った根性を叩き直してくれよ。
たのむぜ、おい。

>れ:日本人に建国勲章追叙

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/12 18:55 投稿番号: [2251 / 3669]
遅くても正しい方向へ
向かってるとみていいでしょう。
過去、軍部独裁時代には
考えられないほど
民主主義が咲いてる
証拠だと信じたいにだ。

れ:日本人に建国勲章追叙

投稿者: jaway 投稿日時: 2004/10/12 18:33 投稿番号: [2250 / 3669]
>韓国は公平な国にだ。

遅すぎ。

それにこの追叙は日本の司法制度が、あの時代にも
よく機能していたことの証明みたいなものですね。

韓国政府、日本人に建国勲章追叙

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/12 18:04 投稿番号: [2249 / 3669]
韓国は公平な国にだ。

http://www.hani.co.kr/section-005000000/2004/10/005000000200410121153613.html

日本の日韓併合記念碑に(VI)

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/12 15:24 投稿番号: [2248 / 3669]
>朝鮮人としては、一進会の「李容九」、「宋秉蔲」、政府要人
としては、首相の「李完用」、実際に使者を勤めた「李人稙」、、、

侵略側が自己合理化のために、使う手法が現地人を包摂して「相互合意」を
偽装することですね。その偽装は一言を聞けばばれますね。「もし現地人が
同意しなかったらば合邦しなかっただろうか?」答えはNOですね。
既に武力で占拠したところを現地人が反対すると諦めて帰るわけがない
でしょう?

崔基鎬著:日韓併合(まえがき&目次)

投稿者: tairo_jokun 投稿日時: 2004/10/11 19:29 投稿番号: [2246 / 3669]
崔基鎬著:日韓併合(韓民族を救った「日帝36年」の真実):祥伝社刊、\1600.-

まえがき
 
  私はこれまで、「韓国堕落の2000年史」(祥伝社)において、古朝鮮の成立から19世紀末の閔妃暗殺までを論じ、続く「日韓併合の真実」(ビジネス社)においては、それ以降1910年の併合に至るまでの経緯を検討してきた。そして今回、俗に「日帝三十六年」といわれる日本統治時代に目を向けようとしたのが本書である。
  私の結論を一言で述べれば、現在の韓国の教科書が教えている事と、日本統治の実態とは、余りにも懸け離れているという事だ。つまり韓国側の歴史観は、歪曲が甚だしい。独りよがりで被害者意識に凝り固まり、事実を捉えようとはしていない。
  ご存知の通り、韓国で植民地時代の日本統治について肯定的に捉えようとするのは、相当の覚悟が要る。極端な話、身の危険も覚悟しなければならない。だが私は、この本でどうしても言わねばならない。
  作家・李光洙は、「民族改造論」において、民族最大の欠点は「ウソつきで人を騙すこと」だと述べているが、歴史の歪曲、身勝手な解釈は、正に韓民族の宿痾であり、これが元で幾度実態を見誤り、国を滅ぼして来たか知れない。感情に流される事なく歴史に何があったかを正しく見つめ、そこから教訓をすくい取るという事が、この国には余りにも欠けている。
  簡潔にいえば、李朝に500年に亘って支配されてきた併合前の朝鮮半島の実態を、私達は、余りにも知らなさ過ぎる。最も分かり易い例でいえば、21世紀のこの時代にあって、大多数の国民が飢餓に苦しむ専制独裁国家を思い起こすとよい。北朝鮮は李氏朝鮮の正にクローンである。戦後、日本時代の遺産を全て壊し、元の姿に戻ったに過ぎない。あの国が自主的に近代化を成し遂げられると考える人が、はたして居るだろうか。仮に今、日本が北朝鮮を併合して統治するとなれば、金一族を除く北朝鮮国民は、随喜の涙を流すに違いない。
  その北朝鮮に同情を示し、呼応して「反日・反米」を叫んでいるのが韓国であり、近年その傾向は強まる一方だ。何が本当で何がウソか、誰が味方で誰が敵か、ウソで固めた歴史観では、正当な判断力が養われる訳が無い。
  これは歴史で何度も繰り返された亡国のパターンであり、私は早くから「この侭では韓国は潰れる」と唱えてきたが、その危機がいよいよ近づいた事を感じずにはおられない。如何にして真実を究明するか、本書を著わす理由はここにある。
 
   2004年8月吉日                                崔基鎬
 
目次
 
序章   李完用と伊藤博文                (p.11-34)
 
一章   なぜ、歴史の真実に目を向けないのか       (p.35-54)
 
二章   併合時代の歴史的真実              (p.55-105)
 
三章   李朝時代へ退行する北朝鮮・韓国         (p.105-136)
 
四章   併合で生き返った朝鮮経済            (p.137-166)
 
五章   「日韓併合」とは何だったのか          (p.167-200)
 
終章   韓国に新たな国難が迫り来る           (p.201-213)
 
 

>内田良平が建立

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/10/11 00:14 投稿番号: [2245 / 3669]
ちゅうことは、「有史以来の懸案を解決した」ちゅうのは、別な意味の可能性が強う御座いますな。

とりあえず、リンク貼り付けアリガトさんで御座います。

その内に行って、確認してみようと思います。

>>>>>日本の日韓併合記念碑に

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/10/11 00:13 投稿番号: [2244 / 3669]
>面白い論理

確かに6世紀の時点では、大和朝廷はまだ関東や東北の方を平定していなかったと思います。米の生産高は、当時の状況では、農業技術云々よりも土地の肥沃土と温暖多湿な気候条件に依存すると考えられますから、古来より「豊葦原の瑞穂の国」と呼ばれて、渡来人が続々とやって来た日本の方が、韓国と較べて緯度も低い(朝鮮半島は緯度的にはほぼ東北地方と同じ)単位面積当たりの収穫高も高いと、漠然と思っておりましたが、まぁ、実際の当時の収穫量のデータが無い限りは確かな事は云えませんね。

代わりに、何か現代まで残っている別の物で、当時の国力を比較すると云うのはどうでしょうか?都の規模などはどうですか?日本の平安京や平城京は、唐の長安の面積のほぼ4分の1ですが、百済や新羅の都の大きさはどのくらいか判りますか?
あと墳墓の大きさとか(倭の仁徳天皇稜は486mで、面積は約11ヘクタール)。。建立した仏像の大きさとか(奈良の大仏は、銅と錫の合金による鋳造で高さ約16m)
別に上記以外の物でも、三国時代に建造された、大規模な構築物の大きさが判れば、ある程度は国力の比較の参考にはなるでしょう。

倭寇については、確かに米のあまり採れない本土以外の島嶼部の島民が主体であったちゅうことは云えるでしょうが、それを根拠に日本本土全体の米の生産高が低かったとは云えないと思います。

>>日本書記

確かに、大和朝廷が最初に編纂した歴史書だから、ウリナラ・マンセーな部分もあろうし、古い年代や人物の比定に不正確な部分がかなりあると思います。しかし、昔の記録文献ちゅうものは、中国の歴史書にしても、朝鮮の「三国史記」にしても程度の差はともかく、大なり小なりそういう部分はあります。
日本書記の資料価値云々ちゅうのは、戦後にアメリカが皇国史観を否定する為に、言い出したのが最初やと思いますが、今日の日本の歴史学者の、「これらの本を根拠にして歴史を論じるのは正しい方法ではない」ちゅう態度は、あっしに云わせれば職務怠慢で御座います。。それらの本の個々の記述内容の検証を行うのが、本来の歴史学の仕事でんがな、、



>秀吉は間違いなく誇大妄想症患者だった

あい、、その件については、あっしも異存は御座いません。
古今の英雄と云えども、人間はあんまし嘆き悲しむと、判断を狂わして、何をしでかすか判らんちゅうことで御座いましょう。

>「誰が助けてくれと頼んだのか」ですね。

それについては、今、御国の方で「親日究明なんとか法」でさかんに調査中なので??

つーか、、kojo2050_99さんの貼り付けてくれたリンクの中にもいくつか載っておるようで御座いますが、、、あっしの知っているのは、朝鮮人としては、一進会の「李容九」、「宋秉蔲」、政府要人としては、首相の「李完用」、実際に使者を勤めた「李人稙」、、、また、日本人側としては、最初に大東合邦論を唱えた「樽井藤吉」、大アジア主義者の「内田良平」なぞなぞで御座います。あと、欧米側では、アメリカ大統領の「ルーズベルト」やイギリス外相の「ランズダウン」などが、日韓合邦の支持を表明しちょるようで御座います。

当時は、合邦によって、不安定な朝鮮半島情勢を一気に解決し、東アジアのを安定化を実現出来るちゅうことで、わぁ〜と盛り上がったようで御座いますが、今になって思えば、随分とアホな事をしたもんやと思います。

>>>>>日本の日韓併合記念碑に

投稿者: tairo_jokun 投稿日時: 2004/10/10 21:53 投稿番号: [2243 / 3669]
http://japanese.joins.com/transboard/jp_bbs/content.html?tname=history&num=42712&page=3&startpage=1&oDest=num&sc=desc

http://japanese.joins.com/transboard/jp_bbs/content.html?tname=history&num=41476&page=3&startpage=1&oDest=num&sc=desc

正しくは「日韓合邦記念塔」

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2004/10/10 19:19 投稿番号: [2242 / 3669]
昭和九年に内田良平が建立

内田良平と李容九は関係が深いようです
http://seisantou-k.hp.infoseek.co.jp/

本来建っていた場所は原宿駅を降りた正面
本来はかなり高い礎石があり、その上に高さ塔(1.5mほど)が乗っていた

昭和五十五年頃までは残っていたそうですが

区画整理で取り壊しが決まって、礎石は茨城県?の方に引き取られ
塔は大東塾が引き取り現在の位置にある

現在は大東神社の東の隅に、忘れられたようにあります
なお大東神社は圏央道の青梅インターチェンジより車で3分の場所
地元の氏神とかではなく大東塾関係の神社のようです

プロフに写真があります(数日のみ掲載)

事実関係のみ   kojo

>>>>日本の日韓併合記念碑に

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/10 16:08 投稿番号: [2241 / 3669]
>それは、今度機会があったら見にいってみましょう。

もっと正確にはその神社の中、明治神宮の前に立たれているそうです。

>倭の国力の方が半島三国よりも上回っていたのではないかと思っています。
理由は、単純に猿島の方が半島よりも広いからで御座います。土地が
広ければ、採れる米の量が多い。

面白い論理ですが、すこし教科書的な論理でもあるかと思います。
当時の倭を現代の列島全部だと仮定した上での話となりますね。
しかし当時、倭はまだ統一してない状態に、土着民が相当広く分布して
部落を形成し原始生活をしていて到来人との葛藤関係にあったと思われる
ので実際、倭とか大和は今の県程度の面積だったと地図でみたことが
あります。そしたら当然、占有して耕作できた土地もそれほどだと
みたほうが合理的ですね。それに倭は当時、農業技術に遅れていて半島から
まだ教えてもらう立場だったとみたら米生産状態はまだ足りなかったと
みろのが正しいと思います。
この米不足状態は相当期間持続して倭寇を量産し、それが隣国の村を
侵入、食糧を略奪する形態で表出されますね。倭寇出没の記録は三国時代、
高麗時代は勿論、朝鮮時代まで続けられます。ただ朝鮮時代の中半期からは
民間倭寇が発展して軍服を着た国家倭寇へ変模しますね。内戦のために軍糧が
足りないわけだと聴きましたが。

>日本書記

最近、日本の本の中で「歴史名場面100選」を読んでますが、書紀に
ついては天皇と天皇の間に150年の差があったり、特に神功王后は
三人の説話を組合、創造された人物であり、新羅侵攻も当然、架空した話だと
書いてありますね。結論的には日本人も書紀の史記としての価値は軽く
みているようです。なお乞食、いや古事記も同じく史書の価値はあまり
ないとなってます。なのでこれらの本を根拠にして歴史を論じるのは
正しい方法ではないとなりますね。

>秀吉が、「唐入り」を思い立ったの
は、

「明を征伐するので朝鮮は道を貸せ」ですか?明への征服ができると実際
思っていたら秀吉は間違いなく誇大妄想症患者だったでしょうが、それは
名分で、実は朝鮮を食いたかったでしょう。井中の蛙の妄想だったでしょう。
あと、李提督の善戦で進撃できなくなると倭は明と秘密会談を通じて朝鮮を
分割してそれぞれ食おうしたのも知ってます。いわば秀吉は朝鮮の土地が
ほしかったと思います。全国を統一したところ、服属した部下に渡す土地が
足りなくなって朝鮮を侵略し、その土地を分けてやろうとの。この説は
かなり根拠があると聴きました。

>あっしらの少し前のご先祖さんの努力で、文明開化を半島にもたらし
近代化の恩恵を与えちょるのに

同じ説に同じ答えですが、「誰が助けてくれと頼んだのか」ですね。
我々はそんなこと頼んだことない。ただし倭の大陸侵略の基地として
使うため、自分の便利により侵略しただけだが、倭はまた「併合を韓国側が
頼んだ!」と叫ぶので話は真面目に進まないことですね。その後は子供の
喧嘩になるのもこのトピの展開方と決まってるし。w

少しレスしてみました。宜しく。

古代朝鮮半島と日本の関係

投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2004/10/10 09:56 投稿番号: [2240 / 3669]
http://japanese.joins.com/transboard/jp_bbs/content.html?tname=history&num=41950&page=51&startpage=51&oDest=num&sc=desc

>>>日本の日韓併合記念碑に

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/10/10 07:14 投稿番号: [2239 / 3669]
>東京の青梅市(おおうめ)の大同もしくは大東神社にあります。

それは、今度機会があったら見にいってみましょう。

>まず任那説ですが、

イル氏の話は、2〜3世紀頃の事と、5〜6世紀頃の事がごっちゃになっているように、あっしには思われますが、、、

確かに、大和朝廷成立以前の2〜3世紀頃(日本の時代区分では弥生時代)では、朝鮮かからの渡来人が技術や文化と共にやって来て、土着の縄文系弥生人と相攻伐しちょるようですから、ある程度イル氏の云うような状況だったことは云えると思います。

ただ、6世紀の段階ではどうなのでしょう。。3〜4百年も経てば、例えば、18世紀の大英帝国よりも今日のアメリカの方が国力が充実しているように、文化的先進度と国力は別問題だと思います。あっしは、その頃には、倭の国力の方が半島三国よりも上回っていたのではないかと思っています。理由は、単純に猿島の方が半島よりも広いからで御座います。土地が広ければ、採れる米の量が多い。米が多ければ、その分だけ人口が多いから、今日のようなハイテク兵器の無い当時では、軍事的には有利ちゅう事で御座います。

もっとも、「任那日本府」(そもそも6世紀に日本府と云うちょったか疑問ですが)が19世紀のような植民地経営をしちょったような言い方は、あっしも少々合点がいきません。
(そもそも、日本書記の記述でも、任那王はちゃんと別に居る事になっちょったかと思います)

ここにあるように、任那を弁韓諸国の緩やかな連合王権とし倭に朝貢していたとする見方ちゅうのが、自然ではないかとあっしは思います。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=ffckdcbfma4oi4baqa4aba4imha4bfa4na4a ba1a9&sid=1835396&mid=10596

近代のように、正確な地図が出来て国境線がきちんと定められている時代ではありませぬから、例えば江戸時代の琉球王国のように、両勢力の狭間の小国家は、半独立半従属ちゅうのが、東アジア的な柵封体制の中では自然な姿ではないかと、、、

ところで、リンクの中にある『宋書』や『梁書』での「任那、加羅」の併記とはどういうことなので御座いましょう??ひょっとして「日本海、東海」の併記運動みたいな事をこの頃からやっていたので御座いましょうか??(笑

>あと、秀吉の朝鮮侵略ですが、それこそ倭の一方的な侵略根性の発露ですね。

あれは確かに、一方的な侵略ですね。もっとも、秀吉の目的は、「唐入り」で御座いますから、侵略の目的は明で、朝鮮は先鋒にとして明に攻め込めちゅう事じゃなかったっけ?

秀吉が、「唐入り」を思い立ったのは、年をとってから初めて生まれた第1子が幼くして死んでしもうて、悲しみを紛らわす為に、おっぱじめたドンパチで、動員された日本の大名も、攻め込まれた朝鮮も泣きっ面に蜂で御座います。
だから、秀吉が死んだら、誰もやる気が無くて、皆さっさと引き上げて帰ってきましたね。


>それを併合条約があるから侵略じゃない

まぁ、当時の日本に、領土的野心が全く無かったとは思いませんよ。それに、併合請願運動が、朝鮮人の総意だったとも思いません。
だけど、せっかく云って来たのに、断るちゅうのも変な話でんがな、、


>韓国人の意識ですね。「未開野蛮状態の島をいろいろ助けて教化して来たのに倭はその恩を侵略で返した。これは人間のやることではないし赦せない」と

それは、あっし等の意識の全くの裏返しですね。「あっしらの少し前のご先祖さんの努力で、文明開化を半島にもたらし近代化の恩恵を与えちょるのに、加羅はその恩を国旗燃やして反日で返した。これは人間のやることではないし赦せない」ちゅう感じで御座いましょうか。(笑

まぁ、この辺は古代の渡来人の到来にしても、日帝統治にしても、功罪の2面性が夫々ありますから、韓国の立場としての評価は韓国人が、日本の立場としての評価は日本人が行うべきですね。
その上で、双方の立場を尊重するちゅうのが、成熟した国際人としての心得ちゅうもんではないでしょうか?

>わるいですね。Uさんなので本音を書いてしまいしまた。

いえいえ、せっかくの掲示板で御座いますから、本音を書かないともったいのう御座います。

なにやら、最近には珍しく、少々長くなってしまいました。

レスはイル氏の好きなようにして下さいまし、、、もうすこし続けるか、このまま止めるかどうぞご随意に。

>韓国人による韓国歴史教科書批判

投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/10/10 00:37 投稿番号: [2238 / 3669]
なつかしい翻訳、ありがとう。

3年以上前の投稿ですね。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=149

こうやって使い回していただいて、ありがたいことです。

最近はもうひとつの「韓国人による韓国歴史教科書批判」が新聞を賑わしてます。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/05/20041005000096.html

未開状態?

投稿者: jaway 投稿日時: 2004/10/09 20:47 投稿番号: [2237 / 3669]
>当時国家の体系も持ってない未開状態の倭が
>先進国の三国を侵入してその一部を占拠、「任那日本府」を建てた
>なんて冗談もあまりですね。

相対的に野蛮で未開だったゲルマン民族は、
当時の先進的超大国ローマを圧倒してドイツなどを作ったよ。
未開かどうかは問題じゃなく、軍事力の多寡だけが問題。

>「カヤは日本のルーツ」

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/10/09 20:40 投稿番号: [2236 / 3669]
>歴代の天皇家の遺訓は失地回復、すなわち
カヤを回復し半島に戻ることだ」と
書いてあります。

そうか!
これで正当化されるんだな。
我が家の祖先も、天孫降臨に従って「降臨」したから、失地回復をせねばな。(笑)

で、これはどう?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2b g4bf7de&sid=1835396&mid=13542

『魏志韓伝』↓

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2b g4bf7de&sid=1835396&mid=13619

腰抜けilkuji_99が

投稿者: ihouzin555 投稿日時: 2004/10/09 20:03 投稿番号: [2235 / 3669]
捏造歴史の講習ですか(爆笑

「カヤは日本のルーツ」

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/09 10:52 投稿番号: [2232 / 3669]
「カヤが新羅に食われたので仕方なく
カヤの王は植民地の倭に留まった。
それが倭の天皇になり、そのわけで
歴代の天皇家の遺訓は失地回復、すなわち
カヤを回復し半島に戻ることだ」と
書いてあります。

訂正です

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/09 10:44 投稿番号: [2231 / 3669]
新政府ーーー>親政府にだ

>>日本の日韓併合記念碑に

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/09 10:43 投稿番号: [2230 / 3669]
>その記念碑はどこにあるので御座いますか?

東京の青梅市(おおうめ)の大同もしくは大東神社にあります。
日韓合邦記念碑と名づけてあり、併合当時、日本の新政府、右翼団体が立てた
そうです。

>多分、有史以来とは、任那の頃と秀吉の頃に、2度ばかり攻めて行ったから、そう書いてあるのでしょう。

まず任那説ですが、これは日本の歴史歪曲の始発であり、はっきりしないと
いけませんね。当時国家の体系も持ってない未開状態の倭が先進国の三国を
侵入してその一部を占拠、「任那日本府」を建てたなんて冗談もあまりですね。
問題はこういう漫画みたいな仮説を事実のように倭の学校で未だに教えてる
ことです。逆に一部良心的な日本の学者はカヤという国(百済と新羅の間に
あった国)の王が未開状態の倭を殖民地経営したとみています。フランスの
ノルマン公国がイギリスを征服、運営したように。この事実は日本歴史作家が
「カヤは日本のルーツ」という本を出版してますが詳しいことが書いて
あるので是非一読をお勧めします。
あと、秀吉の朝鮮侵略ですが、それこそ倭の一方的な侵略根性の発露ですね。
いわは日韓併合も侵略だとみずから証明しているのがあの記念碑文でしょう。
それを併合条約があるから侵略じゃないというのはみんなを馬鹿にすること
じゃありませんか?

>中華体制での序列が日本よりも高かったと云う意識が存在した為に、
住民の意識レベルにおいて日本に同化することは、結局は出来なかった。

ある程度は正確な指摘だと思いますが、根本的に日本人が知らないのは
韓国人の意識ですね。「未開野蛮状態の島をいろいろ助けて教化して来たのに
倭はその恩を侵略で返した。これは人間のやることではないし赦せない」と
いうことですね。恩師を殺す弟子ないし恩人を殺す破廉恥犯くらいでしょうか。
わるいですね。Uさんなので本音を
書いてしまいしまた。

>日本の日韓併合記念碑に

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/10/08 00:49 投稿番号: [2229 / 3669]
>「有史以来の懸案を解決した」と書いてありますが、

それは、よう知りませんでした。その記念碑はどこにあるので御座いますか?

多分、有史以来とは、任那の頃と秀吉の頃に、2度ばかり攻めて行ったから、そう書いてあるのでしょう。
まぁ、当時の日本の一般の庶民の感覚では、朝鮮を併呑して日本の国土が広くなった事を、単純に喜んじょるのがほとんどだと思います。

>「相互合意した上で併合した」と叫んだわりには、可笑しい文章だと思いませんか?

常識で考えれば、朝鮮側が心から併合を望んでいたとは思えませんね。

こういう問題は、例えば、今年、日本でさかんにワーワーやっていた近鉄とオリックスの併合問題でも、選手もファンも併合反対の大合唱で御座います。多分、球団経営者側も本音では、そうで御座いましょう。。

しかし、そうせんとやって行けんから、しかたなくそうやっているのであって、銀行のUFJ・東京三菱併合も、平成の自治体大合併もみな同様で御座います。

朝鮮人にとって不幸だったのは、日本の民間有志等との間では完全な対等合併の話だったはずが、実際に政府レベルでの実行段階になってくると、色々な思惑がからんで、なにやら中途半端な立場に置かれてしもうた事で御座いますね。

結局、あっしが思うに、、

1. 当時の日本人には、朝鮮を併呑し国土を広げたと云う意識はあったが、明治以降に相次いで併呑した、北海道、琉球、台湾、樺太なぞがそうであるように、侵略と云う意識は多分あまり無かった。
2. 従って、朝鮮も北海道、台湾、樺太、琉球と同様に、自国の一部として、せっせせっせと開拓した。
3. ただ朝鮮については、他の地域と違って、中華体制での序列が日本よりも高かったと云う意識が存在した為に、住民の意識レベルにおいて日本に同化することは、結局は出来なかった。

要するに荷が重すぎたちゅうことかと思います。

日本の日韓併合記念碑に

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/07 08:55 投稿番号: [2228 / 3669]
「有史以来の懸案を解決した」と
書いてありますが、
「相互合意した上で
併合した」と叫んだわりには
可笑しい文章だと思いませんか?
有史以来とは即ち、昔から
やりたかったとの意味で
日本側の一方的な願望が
表出されたとみえますが。

収支決算

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/10/07 04:19 投稿番号: [2227 / 3669]
を善悪で論ずるちゅうのは、ちょいと違和感が御座いますね。

損得なら納得できますが、、一ついえることは、「日韓併合の収支決算はあっしら日本民族にとって大いなる損であった」ちゅうことで御座います。

>崔基鎬著:日韓併合の真実

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2004/10/06 22:19 投稿番号: [2226 / 3669]
これは以前に読んだことがあり感想を投稿しました

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=1804

お一方レスを付けてくださってます

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=1814

読書の秋なので久々に訪問したkojo^^

>崔基鎬著:日韓併合の真実

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/06 17:14 投稿番号: [2225 / 3669]
>日韓併合の収支決算は韓民族にとって、大いなる善であった。

殉国先烈が地下で哭する記事だね。倭の正潮会がまたやったのか?

このトピさえ戦場化したいならやれやれ!

崔基鎬著:日韓併合の真実(目次)

投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2004/10/06 16:32 投稿番号: [2224 / 3669]
崔基鎬著:韓国史家の証言「日韓併合の真実」(ビジネス社刊、\1600.-)

目次
 
第1章   鎖国から開国へ(挑む日本、逃げる朝鮮)
    ○開国を準備した徳川300年、亡国に走った李朝五百年
    ○よみがえった李氏朝鮮の亡霊:北朝鮮
    ○夜郎自大にアメリカ艦隊を撃退した大院君
    ○来寇をよそに宮殿建設に国富を濫費
    ○疲弊する人民、怨嗟の声満ちて
    ○現代韓国人にも引きずる為政者の腐敗・堕落
    ○国王急死の混乱に乗じ、大院君、政権の中枢へ
    ○朝鮮では「忠臣蔵」の思想は育たなかった
    ○買官に巨費投じ、その数倍を人民から収奪する
 
第2章   大院君VS閔妃(朝鮮内紛に虎視眈々の欧米列強と日本)
    ○宗主国・中国に隷属し、日本の国書を拒絶
    ○閔妃登場、大院君との確執始まる
    ○日本の軍事圧力下、江華島条約が結ばれる
    ○儒教原理主義が500年に亘って朝鮮を窒息させた
    ○文明開化した日本に目を瞠る朝鮮外交団
    ○壬午軍乱が勃発、李鴻章に保護を求めた閔妃
    ○人口の半分が貴族階級(両班)の国とは!?
    ○韓国では今も働かない者が尊敬される
    ○朝鮮の高杉晋作になれなかった金玉均
 
第3章   溶解しはじめた李氏朝鮮(クーデター、民衆蜂起、そして清日戦争)
    ○李朝を亡国に導いた宗主国に阿る事大主義
    ○日本公使館を舞台に、クーデター謀議重ねられる
    ○ずさんなクーデター計画、裏づけの無い楽観論
    ○典型的な日和見者・高宗、清日の勝利側になびく
    ○金玉均暗殺から四ヶ月、清日戦争はじまる!
    ○朝鮮全土を捲き込んだ民衆蜂起・東学党の乱
    ○唯一、朝鮮近代化の可能性を示唆した甲午更張だったが・・・
    ○大改革は呼号するも「抵抗勢力」は自らの体質の中に
    ○外へ向かう「忠」の日本、内へ向かう「孝」の朝鮮
 
第4章   露日戦争と李朝終焉(ついに実現した日韓併合)
    ○拉致問題で鮮明になった韓日の為政者の違い
    ○朝鮮の近代化に歩を進めた日韓併合
    ○ロシア公使館に逃げ込み、執務する高宗
    ○自己保身に猫の目外交を繰り返す
    ○朝鮮半島をめぐる露日の熾烈な覇権闘争
    ○高宗の親政強化に利用された「大韓帝国」樹立
    ○先鋭化する守旧派・高宗と、開化派・日本の対立
    ○アジアがはじめて西洋を破る
    ○日韓併合成り、李朝終焉す
 
終   章   日韓併合が朝鮮民族を救った(歴史を再検証する時代を迎えて)
    ○今日の韓国の繁栄は日韓併合によって齎(もたら)された!
    ○人材育成を重視し、全産業を近代化
    ○不偏不党に歴史を見つめ直す
 

崔基鎬著:日韓併合の真実

投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2004/10/06 16:28 投稿番号: [2223 / 3669]
崔基鎬著:韓国史家の証言「日韓併合の真実」(ビジネス社刊、\1600.-)

まえがき
 
  李氏朝鮮はその創建から終焉まで、518年に及ぶという長寿王朝であった。日本の歴史でみれば、室町時代から明治時代まで続いた、東アジアでは稀有の王朝といえよう。
  前王朝の高麗を倒して、李氏朝鮮の始祖となったのは、李成桂であった。
  この新王朝が成立するや、李成桂は深刻なボタンのかけ違えを、いくつか犯した。その結果は「李氏朝鮮症候群」と言える様な、癒し難い宿痾に襲われる事になる。ついに李朝末期に至って、あたかも癌が体の隅々に転移する様な状態に陥った。腐朽した老木は、倒れる外無かったのである。
  その症候群の第一は、仏教を禁じる事によって棄てて、儒教の中でも最も原理主義的と言われる朱子学を、国教として採用した事である。今日、韓国を訪れた外国人は、仏教の寺院が山奥に眠っている様に存在するのを見るだろう。僧侶達は、様々な迫害を受けて、市内に存在する事が出来なかったからである。
  更に悪い事に、「事大主義」を掲げ、中国の属国に成り下がった事だった。自らを「小中華」と称し、中国に大いに事えようと言う考え方である。
  その二は、両班制度と科挙の存在である。両班は高麗時代から存在した。東班(文官)と西班(武官)より成り、官僚層を形成した。科挙を受けて官僚となったが、次第に特権化、世襲化して行く。常民と言われる農民や、商人、手工業者にも、科挙の門戸が形の上だけは開かれてはいたが、実際には閉ざされているのと同じだった。
  この結果として、階層の流動化が全く乏しく、社会が停滞して、活力が失われた。更に李朝半ば過ぎになると、官職の売買が公然と行なわれる様になり、賄賂が横行した。貪官汚吏が蔓延り、国家は朽ち果てて行った。
  国王と支配階級であった両班は、絶え間ない権力闘争に血道を上げる傍ら、農民を中心とした常民を徹底的に搾取し、国の財政が疲弊するのに、些かも顧慮する事無く、浪費と贅沢三昧に耽った。
  その三は、上は国王から、下は地方官に至るまで、血縁、地縁による閉鎖的なグループを形成した事である。わけても、李朝末期に見られる大院君と閔妃の対立は、その典型的なものであろう。両派は親露派、親清派に分かれて、血で血を洗う抗争を続けた。時には、大院君や、閔妃は、親日派にもなった。末期症状を更に悪化させたのは、国王の高宗が愚昧で酒色に溺れ、国政を一向に顧みなかった事である。
  その上、欧米列強の圧力に対しても、何等の打つ手が無かった。逸早く近代化の必要性を感じて動き始めた開化派(金玉均、朴泳孝等)は、守旧派に抹殺されて、近代産業国家への芽は摘まれてしまうのである。
  李氏朝鮮は「出口無し」の状態に陥っていた。既に国の形を失っていた。
  李氏朝鮮は中国の属国であった為に、武を軽んじたから、独立国として体裁を欠いていた。そこで国王や、両班はそれぞれ、清、露、日の強大な隣国に取り入る事しか考えなかった。自主の邦としての気概を持つ事が、全く無かった。
  日清、日露の両戦争に勝利を収めた日本が大韓帝国を支配下に収めたのは、歴史の必然であった。
  わが国の人々の多くは、日本統治が犯罪行為であった如く力説するが、それは事実を知らぬ妄説に過ぎないと、私は信ずる。あの時代を理性的に振り返って見れば、いかに日本統治が我国にとってプラスになったか、日本が真摯に朝鮮半島の近代化に努力したかを、読み取る事が出来るだろう。
  韓国には「七奪」という表現がある。日本統治のマイナスの面を手短に言うものだが、私は本書の中でその一々に就いて、反論を述べておいた。
  日韓併合の収支決算は韓民族にとって、大いなる善であった。他力本願ながら、日韓併合が韓国民を救済し、韓国に今日の繁栄を齎した。もし、韓民族が中国の属国であり続けたとしたら、或はロシアの支配下に置かれたとしたら、今日の韓国の繁栄は有り得なかった。今こそ、歴史を再検討すべき時が訪れたのだ。
  北朝鮮は、李氏朝鮮の完全なクローンである。本書が北朝鮮に就いて、理解を深める助けになる事を願っている。
  本書の出版を機に、その機会がやって来る事を、私は切に望んでいる。
 
  2003年6月   ソウルにて                      著者
 

Re: 韓国本サイト

投稿者: dearmemoriesinmyheart 投稿日時: 2004/10/06 10:16 投稿番号: [2222 / 3669]
送料は5000円以下ならば何冊でも500円です。そして本の価格がアマゾン・ジャパンよりはるかに安いです。

相姦トピが人気ある理由

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/05 17:43 投稿番号: [2221 / 3669]
まぁ、タブーなので
かえて好奇心が発動するのでは
ないでしょうか?
人間は止められたら
もっとやりたくなるのも
本能じゃないかしら。

>: 韓国本サイト

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/10/05 16:30 投稿番号: [2220 / 3669]
実際にやってみると、支払いは銀行振り込みのみ。これでは気軽に買えない。クレジットカード支払いを導入すべし。また送料1冊500円は高い。(アマゾン・ジャパンは2千円以上なら送料無料。)それに在庫がまだ少ない。充実改善を祈る。

イル氏もお元気そうでなによりです。

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/10/04 23:22 投稿番号: [2219 / 3669]
>それがはんまなら安心ですね。

事実を誤認すること、相反する事実の一方のみを強調する事は、本来別問題ですよ。

まぁ、この辺は、互いにどうしても身内びいきになってしまうのはどうしようもないし、それが本来の姿だと思います。


相姦トピはまた誰かが、上げてるみたいで御座いますね。。なんだかんだと云って、結構人気があるようで、、

Uさん、お久しぶりにだ

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/04 10:22 投稿番号: [2217 / 3669]
お元気そうで何よりです。

>日本では、そう教わってますよ。

それがはんまなら安心ですね。
あまりにもいろいろ歪曲問題で
両国が葛藤しているんで。
まあ最近はチャンさえ高句麗が
中国地方政府云々で
国際社会で笑いものになってるほどで。

さて拙作「シドニー」50回まで
執筆するにはこういうことで
時間とられるのが惜しいですね。
道は遥かに遠いし、馬は泣き、
日は暮れて・・・(涙)

オイオイ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/10/04 02:00 投稿番号: [2216 / 3669]
>そしたら広開土王の
戦勝碑に書いてあったが
あとで消された
「王が倭を撃退した」との
記述が合ってるとの
ことですね。

消されていないぞ。ちゃんと、「歩騎五万で倭を撃退した」と書かれているぞ。

この本は画期的だね。

>今の倭ではそれを逆に
「倭が三国を撃退した」と
無理押ししたのも
根拠をなくすことに
なりますね。

そんなこと、教えていないが。
『三国史記』でも、ほぼ同時期に倭軍が10日間新羅の都を包囲し、糧食が尽きて退却するところを新羅が「追撃し、勝利した」と書かれているな。
この記述も、広開土王碑文と一致する。

『三国史記』を読みなさい。

つうか、『広開土王碑文』をもう一度、読みなさい。↓

・・・・・・・・・・・・

高句麗広開土王碑(抄)


--------------------------------------------------------------------------------
永樂五年歳在乙未(対稗麗戦−略)

--------------------------------------------------------------------------------
  百殘・新羅舊是屬民、由来朝貢。
  而倭、以辛卯年[391]來、渡毎破百殘、更□新羅、以爲臣民。
  以六年丙申[396]、王躬率大軍、討伐殘國。軍□□但攻取壹八城・臼模盧城・若模城・幹弖利城・□□城・閣弥城・牟盧城・弥沙城・古舍蔦城・阿旦城・古利城・□利城・雜珍城・奥利城・勾牟城・古須耶羅城・漠□□□□城・分而耶城・羅城・[王掾−手]城・於利城・□□□豆奴城・沸□□利城・弥鄒城・也利城・大山韓城・掃加城・敦拔城・□□城□婁賣城・散那城・那旦城・細城・牟婁城・呼婁城・蘇灰城・燕婁城・析支利城・巌門坐城・林城・□城・□□□□□利城・就鄒城・□拔城・古牟婁城・[門<壬]奴城・貫奴城・彡穰城・普□城・宗古盧城・仇天城・□□□城、□其國城。
  賊不服義、敢出百戰。
  王威嚇怒、渡阿利水、遣刺迫城、横□[イ副−リ]穴、就便圍城。
  而殘主困逼、獻出男女生口一千人・細布千[一/巾/一]。跪王自誓、從今以後、永爲奴客。
  太王、恩赦先迷之愆、録其後順之誠。於是、得五十八城・村七百、將殘主弟并大臣十人、旋師還都。

--------------------------------------------------------------------------------
  八年戊戌[398](対粛慎戦−略)

--------------------------------------------------------------------------------
  九年己亥[399]、百殘違誓、与倭和通。
  王巡下平穰。
  而新羅遣使、白王云『倭人滿其國境、潰破城池、以奴客爲民。帰王請命』。
  太王恩慈稱其忠誠、□遣使、還告以□計。

--------------------------------------------------------------------------------
  十年庚子[400]、教遣歩騎五萬、住救新羅、從男居城、至新羅城。
  倭滿其中。
  官軍方至、倭賊退。自倭背急追、至任那加羅從伐城。城即帰服。
  安羅人戎兵□新□城・鹽城。倭寇委潰。城内十九、盡拒随倭。安羅人戎兵捕□□□□其村殊□□□□□信□□旦□倭□稚□□□□□□□□興□□□□□□□□□□辞□□□□□□□□□□□殘倭潰、亦以随□安羅人戎兵。
  昔新羅寐錦、未有身來論事□□□□廣開土境好太王□□□□寐錦□家僕勾□千□□朝貢。

--------------------------------------------------------------------------------
  十四年甲辰[404]、而倭不軌、侵入帶方界、和□殘□至石城□連船□□□
  王躬率□□從平穰□□□鋒相遇、王幢要截盪刺。倭寇潰敗。斬殺無數。

--------------------------------------------------------------------------------

http://www.d8.dion.ne.jp/~kouji-kd/shiryo/kotaiohi.html

どうでもええけど、、

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/10/03 18:41 投稿番号: [2215 / 3669]
>「王が倭を撃退した」との記述が合ってるとのことですね。

日本では、そう教わってますよ。

>今の倭ではそれを逆に「倭が三国を撃退した」

朝鮮では、そう教えているのですか?




国営ホテルの話は、久々に面白う御座いました。。

面白い内容の本ですね

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/02 10:29 投稿番号: [2214 / 3669]
そしたら広開土王の
戦勝碑に書いてあったが
あとで消された
「王が倭を撃退した」との
記述が合ってるとの
ことですね。
今の倭ではそれを逆に
「倭が三国を撃退した」と
無理押ししたのも
根拠をなくすことに
なりますね。
実は去った2−3年間
この件で犬鍋氏と
論争して来たトピです。w

新羅が日本本土攻撃しなかった理由 !

投稿者: acura95_87 投稿日時: 2004/10/02 08:43 投稿番号: [2213 / 3669]
「戦争の発見〜韓国古代史の再構成のために」
李ヒジン著/336ページ/1万2000ウォン/東アジア
--------------------------------------------

李成茂国史編纂委員長の息子で古代戦争史で博士号を取った著者の李ヒジン氏(41)は、戦争というゲームの論理で、韓国の古代三国時代の歴史を再構成する。

これは三国時代の歴史について、従来の政治史中心の歴史解釈とはまた違う緊張感を与えてくれる。

「朱蒙や李成桂のような国家の始祖らが弓の名手だったというのは重要な意味をもっている。朝鮮半島の戦争史を見ると、大活躍をした将軍は弓の名手でもあった。アーチェリーなど弓でやるものなら、韓国人が五輪を始め、多くの大会を席巻しているのも偶然ではない」

著者はこのような知識をもとに、新羅が日本(倭)から数百年間攻撃を受けながらも、日本の本土攻撃に出なかった理由や広開土王が新羅と協力し、倭軍を撃退しながら5万という大軍を動員したことに対し、軍事的解釈も加えている。

新羅が日本本土に反撃をしなかった理由は、当時日本は古代国家が成立する前だったので、征服するほどの国家的実体がなかったうえ、征服するとしても、高句麗と百済の牽制のため、これを維持することが難しかったためだという説明だ。

広開土王が5万の大軍を動員したことも、倭を狙ったのではなく、百済ー伽耶ー倭連盟を一挙に崩壊させるための戦略だった。新羅に対しても海上での戦術しか展開できなかった倭は、百済の近肖古王の主導の下、伽耶連盟と倭を結ぶ任那同盟に加入しながら、伽耶という陸上拠点を獲得、これを土台に新羅を攻撃することが可能になったという分析だ。戸惑った新羅は高句麗に助けを求めて、広開土王はこの機会を利用し、北部戦線から大兵力を動員して速戦速決で倭軍を撃退し、一挙に任那連盟を無力化させた。

東亜日報電子版より 2004 10 2
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2004100279348

ありがとう

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/10/01 08:48 投稿番号: [2212 / 3669]
>「旅の恥じはかき捨て」だよ。

訂正、サンキュウございます。w

訂正個所が

投稿者: hakke_nnnn 投稿日時: 2004/09/30 20:44 投稿番号: [2211 / 3669]
>「旅立つと体面を捨てろ」とのことわざのお陰だろうか。

「旅の恥じはかき捨て」だよ。

旅で対面を捨てろという命令形のことわざは無いよ。

まるで旅で「行儀悪く振舞うべき」だとでも奨めているかのようだ。

シドニーー23−国営ホテルーII

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/09/30 20:32 投稿番号: [2210 / 3669]
その後、20歳の男の子がもう一人入った事件があった。この子は当時、大学在学中、休学届けを出し、家で休んでいた。精神神経系に問題があったわけか暫く休みたいというので親も別に疑わなく許可したそうだ。彼は偶然に不法滞在者たちを監禁した収容所にいったのに、そこで拘束された人たちの悲惨な生活にショックを受けてあちこち嘆願書を出し始めた。手紙とファックスなどの手段を総動員して豪州総理、連邦総督、各州首相、各州総督、国連事務総長、アメリカの大統領、英国女王、女王の旦那のフィリップ公、その息子のチャールズ皇太子など世界の政界、経済、社会指導者たちへ長文の手紙をファックスで数千通を送り、収監者たちの悲惨な実相を知らせ彼らを救ってくれるように要請した。

しかし誰からも返信はほとんど来なく、そしたらまた送ったりする忍苦の年月は流れても問題は不解決のままだったところ、英国のチャールズがシドニーを公式訪問する消息を接したこの男の子、悲壮の覚悟で朝ご飯を食べて歓迎式場のあるダーリングハーバーへ向かった。運命の日が来たのだ。州首相の歓迎辞が終わり、チャールズ皇太子が答辞をするため、席から起きて壇上に立った瞬間、運命の銃声が鳴った。この子、後ろの一般人席にいたが中央の廊下に出て前へ突進しながら隠してした拳銃を取り出し、チャールズに一発を飛ばしたのだ。2発目を撃とうとしたとき、壇上の皇太子の傍に座っていた州首相がsliding tackleをかけながら彼を掴んで回りarmlock姿勢を固めた。州首相は本来ラグビ選手だったので運動神経が鋭敏だった。

あとでわかたのだが、彼が使った銃は競技用の出発信号銃だった。それなら暗殺する意図もなく、なんでそんな無謀なことをしただろうか。返信してくれない皇太子を断罪する意味でそういう行動をとったそうだ。同時に収容所の状況を社会的イッシュ化するためとの答えだった。国家元首暗殺未遂などいろんな容疑で起訴されたが女王は国家元首であるが皇太子が含まれるかどうかの論争からはじめ、実銃じゃないのに暗殺未遂になるかどうかなど、当時のメディアのニュースの焦点となった。

数ヶ月の裁判を通じて大部分の大きな罪名は却下され、比較的軽い罪名で起訴され国営ホテルに当分間泊まったが、彼が通っていた教会が教化を保証することにして社会奉仕を言い渡され釈放された。彼をしつこくつき従いながら取材したある新聞記者により明らかになって土曜特集で報道された記事によると、彼は失恋され、その衝撃で学業を中断してはその傷を忘れるため、細かいことに病的に没頭する一種の偏執症にかかっていたそうだ。つまりある女の子に捨てられてはチャールズを撃ったというちょっと笑わせる話なのだ。ロングベイで踊るブルースはどんな感じだろうか。

シドニーー23−国営ホテルーI

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/09/30 20:31 投稿番号: [2209 / 3669]
シドニーの国営ホテルはロングベイという地域でシドニーの東南部にある。不本意ながら二、三回いったことがある。罪人ではないが。男が波乱万丈な人生を暮らしには一度は行ってみるべきな所とは言っているものの、わざといってみたいところではない。ある日、通訳会社の連絡を受けて囚人を通訳しにいくことにした。麻薬運びの容疑で収監された韓国人を面会するため、弁護人が要請したのだ。鉄門を何箇所、錠をねじ開けてくれる刑務官をついて弁護士と入っていたら暫くして40代中半の男が反対側の門から入ってきた。麻薬を韓国から荷物の中に入れて入ろうとしたら入国台で検挙されたそうだ。

どの国もそうだろうが密輸麻薬取締りに神経を使う豪州警察にて申告が入ったのだ。韓国に刑事二名を急派したあと、容疑者が金浦空港で飛行機に乗るとき既にその者の両側に座席を予約し、シドニーまで同行したのだ。勿論容疑者はそのことを遥かに気づかなく着たが空港に降りるとき、刑事が両側から腕を一つづつ取って警察署へ直行したそうだ。弁護士がいうには最長45年まで言い渡される重罪だそうだ。お金がないので弁護士費用も未だ払ってない状態らしい。捕まったとき、資金支援ができる組織じゃないと死ぬまで国営ホテルで過ごすことがあるのでハコビたちは気をつけないといけないはずだ。

今度は同じく麻薬密輸の容疑で日本人若者3名が空港の検索台で逮捕され、このホテルに運ばれた。彼らの抗弁によるとアジアの空港で見知らぬ人に頼まれて小包を荷物に入れたものの、それが麻薬とは知らなかったそうだ。いわば自分たちも気づかずにハコビで使われたとのことだ。とはいえ、そういう弁明が通じるには豪州の司法体系が厳しすぎた。結局、一行の男の子二人、女の子一人は共に10年懲役を言い渡され、同じ国営ホテルに収監された。女の子は絶望感で自殺を企図したが未遂に終わった。一機に大金を手に入れシドニーで豊かに休暇を過ごしたくていざと持ってきたのか、それとも彼らの主張しているように全く無実かは天だけが知っているはずだ。たまたま歓楽街でウォッカーに酔っ払って、裸で大路を活歩する日本人の男女若者たちがいるけど日本ではできないことをここでできるとはやはり「旅立つと体面を捨てろ」とのことわざのお陰だろうか。

そのホテルに韓国人罪囚がもう一人いるという。痴情による殺人罪で長期収監されているものだが当時わずか20代だった。純情を捧げて愛していたのに女に他の男ができた。女は行くというし男はいっちゃいけないともめたところ、ある日韓国レストランで最後の晩餐を終えた二人が食事代を払いにカウンターにいっしょに立ったとき、男が新聞紙に包んでいた包丁を取り出し女の背中を数回刺してその場で即死させた事件が韓人社会で話題になったが、その時その事件の主人公だった。目撃者の言葉によると男は当時、無表情で女の背中を豆腐をさすように平気に刺してたそうだ。二人で愛するときはいいけど、別れるときにはてんから遠く逃げるか、そうでないと死を覚悟しろとの教訓を残した事件だった。
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