小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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右翼がこの世から消えれば平和になる

投稿者: a_boy_named_goo_2003 投稿日時: 2003/09/14 17:24 投稿番号: [86681 / 232612]
アメリカや朝鮮や日本に要る右翼たち全てを撲滅できれば平和になるのにね。
異常な愛国者たちは異国に向かって敵意丸出しだ。

日本はどうして併合を求められたか7

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 17:24 投稿番号: [86680 / 232612]
1895年2月日本海軍は北洋艦隊を敗走させ、日清戦争は日本の勝利によって終わり、4月伊藤博文と李鴻章が出席して下関条約が結ばれた。その内容は、日本が遼東半島・台湾を獲得するとともに、第一条で清国が朝鮮を自主独立の国と認めると明記された。これによって清国への朝貢は廃され、千数百年に及んで朝鮮を従属国の位置に貶め、自主独立を阻んできた元凶の中華秩序は崩壊した。これは朝鮮の歴史で特筆大書すべき出来事であった。しかし、日本が朝鮮半島と遼東半島において優位を占めることは、南下政策を進めるロシアの容認できることではなかった。ロシアは、フランス、ドイツと組んで、日本が遼東半島を清国から奪ったことが、東洋の平和を乱すことになるといって、遼東半島を清国へ返還するように要求した。日本の10倍の国家予算と軍事力を持つロシアに、日本は対抗できる力を持っていなかったので三国干渉に屈した(5月)。閔妃をはじめとする守旧派は、日本がロシアを中心とする三ヵ国の要求に屈したのを見て、日本を侮るようになり、ロシアへ接近しその勢力を国内に自ら引き入れていった結果、開化派が退けられ日本の影響力が大きく後退した。これにより開明的な甲午改革は、中途で挫折してしまった。日本が自己犠牲まで払って清国と戦い、朝鮮を独立させたにもかかわらず、ロシアに事大しようとする政治姿勢に、日本人の対朝鮮不信感は著しく増大した。

ロシアの朝鮮進出に危機感を持った日本の三浦梧楼公使は、朝鮮のロシア接近の元凶は、宮廷を牛耳っている閔妃にあるとして、大院君と共謀して1895年10月、日本軍の守備隊と朝鮮軍の訓練隊、武装した日本人壮士を宮中に侵入させて、閔妃を殺害した(乙未事変)。日本はこの事件について列強諸国の非難を浴びたために、三浦以下関係者40数名を日本へ送還して裁判を行なわねばならなかった。広島で行なわれた裁判では証拠不十分で免訴となり、朝鮮で行なわれた裁判では、李周會ら朝鮮人3人が死刑となってこの件は決着した。

日本はどうして併合を求められたか6

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 17:20 投稿番号: [86679 / 232612]
朝鮮の貿易は急速に拡大し日本向け輸出の大半は穀物であった。朝鮮内では米価騰貴が深刻化し、飯米購買者である都市民衆の生活を圧迫していた。このような状況下で、米騒動による民衆反乱を恐れた朝鮮政府は、穀物の外国搬出を禁止する「防穀令」を発したが、日本商人が前貸しによる穀物買い付けを行っていたため損害を受け、日朝の紛争に発展したが、朝鮮政府が賠償金を支払って解決した(1893年)。日朝間で人的交流が進むなかで摩擦も深刻になってきた。朝鮮人は華夷思想で日本人を侮蔑し、日本人の中には朝鮮人の性行をあざけって横柄な態度をとる者が現れ、人心を離反させるということもあった。閔氏政権の政治路線は守旧派であり、支配体制を大きく変更することなく変革しようとはかった。近代産業の導入は官営事業において試みたが成功は収められなかった。これらの官営事業費用や外交費、軍隊の維持費、賠償金や借款の償還金が急増したことは、宮廷の浪費と共に国家財政不足を深刻化させた。財源確保の安易な方策として悪化を鋳造したため、物価はたちまちのうちに暴騰した。閔氏政権は財政破綻を繕うため外国に対し借款を重ねる一方、租税収奪を強化したため民衆の不満が高まった。また両班官僚の腐敗が甚だしくなり、売官・売職は常態化し賄賂が横行した。地方官がその地位を利用して買官に要した費用を埋め合わせたり、財産蓄積をはかることは一般的となり、民衆に対しては種々の名目による課税が加重されることになった。こうした収奪の強化は国家・両班官僚と民衆との反目を加速させた。そのため全国の多くの郡県において地方官の誅求と悪政に反抗する民乱が起きるようになった。

1894年2月、東学党の乱(甲午農民戦争)が起こった。東学農民軍は酷税の廃止、地方官や両班による不正の処罰、身分制度の打破、横暴な特権商人追放を要求として掲げた。東学軍は閔氏政権に対する蜂起であったが、「斥倭洋倡義」(日本・西洋勢力の駆逐)も唱えた。農民軍は政府軍を破って、全羅道の中心である全州を占領した。政府は3000人あまりの官兵しか動員できず、武力で農民軍を鎮圧することができなかった。そのため国王高宗と閔氏政府は、清国に鎮圧を要請した。清国はこの要請を朝鮮において勢力を拡大する好機としてとらえ、清国軍が大挙して朝鮮に入った。日本も天津条約に基づき日本人居留民保護のため朝鮮へ派兵した。ところが農民軍が朝鮮政府の説得を受け入れて全州を撤退したため、朝鮮政府は両国軍に撤兵を要請した。しかし日本政府は、閔氏政権が抜本的な内政改革を行なわなければ内乱が再発してしまうと主張し(⇒資料3)、そのためにも改革を行なわなければ撤収しないと、あくまで内政改革を要求した。しかし閔氏政権と宗主国の清国政府が応じないため、同年7月日本兵が京福宮を占拠して閔氏政権を退けるとともに、大院君を担ぎだし政権をとらせた(甲午政変)。ついで日本海軍が朝鮮豊島沖で清国の軍艦と交戦し日清戦争が勃発した。明治天皇の宣戦の詔勅には、「日本が朝鮮に秕政の釐革(ひせいのりかく=悪政の改革)、治安の保持、自主独立を求めたのに対し、清国はこれを妨害し、自らの非望を遂げようとした」とある。一方清国の宣戦布告は「朝鮮は我が大清の藩属たること二百余年…   」と述べ、依然朝鮮が清の属国であることを主張した。日本軍は遼東半島を占領するなど優勢に戦いを進めた。その頃新政府によって日本が強力に指導した大改革が実施された(甲午改革)。それは広範囲に及ぶもので、両班や白丁(被差別民)などの身分制度の廃止、人身売買の禁止と奴婢(奴隷)法の廃止、宮廷にはびこっていた宦官(かんがん)の廃止、科挙の廃止と近代的官制の採用、物納から金納へと代わる税制の近代化、悪貨が良貨を駆逐して混乱を極めていた貨幣制度の改革と財政改革、巫女(シャーマン)が行なっていた呪詛による病気治療の禁止と近代医療衛生制度の導入など、中世的世界から決別する革命的な改革で、開国以後も朝鮮人自らの手では行なえなかったことばかりだった。しかし日本の軍事力を背景にした大胆な改革は、閔妃一派など守旧派から大きな反発を受けることになった。

日本はどうして併合を求められたか4

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 17:04 投稿番号: [86678 / 232612]
朝鮮駐在の袁世凱は李鴻章の戦略に基づいて清の宗主権強化に努めた。袁は諸外国の公使と地位が異なり、国王代理といえる監国として朝鮮の実権を握っていた。1886年6月国王が再び朝露秘密協定を結ぼうと謀った。ロシアが朝鮮に軍事教官を派遣するのと引きかえに、ロシア海軍に北朝鮮東部に位置する永興湾の使用を許すというものだった。袁は国王の廃位をも辞さずとの強硬な圧力を加えて、この企てを破棄させた。朝鮮国王の即位・廃位の権限は清朝朝廷にあったのだ。8月清国は拉致していた大院君を帰国させた。国王と閔氏政権がロシアへの接近をはかるかたわら、清国から離れようとしたために、大院君をつかって親露勢力を牽制させるためだった。このように清国は日清戦争に至るまで朝鮮の内政外交に強力な干渉を加えたのである。1891年ロシアはシベリア鉄道の建設に着手したが、完成すればモスクワから極東まで鉄道網でつながり、ロシアの勢力が一挙に南下を目指すことは火を見るより明らかであり、日本はロシアに対する警戒をいっそう深めた。朝鮮のなかでは、各派がさまざまな思惑から、清国、ロシア、日本をはじめとする外国勢力と結んで、勢力争いを繰り広げた。

朝鮮の貿易は急速に拡大し日本向け輸出の大半は穀物であった。朝鮮内では米価騰貴が深刻化し、飯米購買者である都市民衆の生活を圧迫していた。このような状況下で、米騒動による民衆反乱を恐れた朝鮮政府は、穀物の外国搬出を禁止する「防穀令」を発したが、日本商人が前貸しによる穀物買い付けを行っていたため損害を受け、日朝の紛争に発展したが、朝鮮政府が賠償金を支払って解決した(1893年)。日朝間で人的交流が進むなかで摩擦も深刻になってきた。朝鮮人は華夷思想で日本人を侮蔑し、日本人の中には朝鮮人の性行をあざけって横柄な態度をとる者が現れ、人心を離反させるということもあった。閔氏政権の政治路線は守旧派であり、支配体制を大きく変更することなく変革しようとはかった。近代産業の導入は官営事業において試みたが成功は収められなかった。これらの官営事業費用や外交費、軍隊の維持費、賠償金や借款の償還金が急増したことは、宮廷の浪費と共に国家財政不足を深刻化させた。財源確保の安易な方策として悪化を鋳造したため、物価はたちまちのうちに暴騰した。閔氏政権は財政破綻を繕うため外国に対し借款を重ねる一方、租税収奪を強化したため民衆の不満が高まった。また両班官僚の腐敗が甚だしくなり、売官・売職は常態化し賄賂が横行した。地方官がその地位を利用して買官に要した費用を埋め合わせたり、財産蓄積をはかることは一般的となり、民衆に対しては種々の名目による課税が加重されることになった。こうした収奪の強化は国家・両班官僚と民衆との反目を加速させた。そのため全国の多くの郡県において地方官の誅求と悪政に反抗する民乱が起きるようになった。

日本はどうして併合を求められたか3

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 17:03 投稿番号: [86677 / 232612]
閔氏政権は、開化政策を進めるのにあたって日本式を採用していたが、日本が清国に対して有効に対抗できないでいるのを見ると、日本はたのむに足らずとみなして、清国に依存するようになった。閔氏一派は清国に依存したから、事大党と呼ぱれるようになった。清国は顧問を送り込んで、朝鮮との朝貢体制と華夷秩序の強化に努め、西洋列強の進出から自らの威信と権益を守ろうとした。しかしそれは、朝鮮を清国から独立させて富国強兵の国とし、西洋列強の極東進出を阻止させる、という日本の政策とは合いいれないものであった。朝鮮内部からも清が事大党を操縦して軍事も政治も左右する状態に反発して自主独立を主張し、近代化のモデルとして日本に学び、日本の協力を得ようとする開化党が行動をおこした。それにはまず清国との封建的従属関係を断つことであり、そのためには朝鮮国内の事大党を排除することが必要であった。1884年12月、福沢諭吉の後押しを受けた開化党の金玉均らがクーデターを起こし王宮を占領した。閔妃を中心とする事大党政権を打倒して、開化党を中心とする新政府を組織した(甲申政変)。しかし閔氏政権の生き残りが清国軍に鎮圧を要請した結果、袁世凱の指揮する清軍に破れクーデターは三日天下に終わって失敗した。この時多数の日本人が殺され、掠奪暴行の惨劇がひき起こされた。開化党リーダ―の金玉均は日本へ亡命した。開化独立推進勢力が清国と朝鮮守旧派によって無残に踏みにじられたことに福沢は失望し、時事新報紙上に「脱亜論」を公表し「我は心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と隣国に決別宣言をした。福沢の従来の構想は「アジアの隣邦を誘掖(手を取って指導する)して近代文明国家たらしめ、共に独立を全うして西力東漸(西洋の侵略)を防がねばならぬ」というものであった。日本は近代化で先んじていたが、まだ西洋勢力に単独で対抗するだけの国力がなかったのである。

翌1885年1月、日朝間で甲申政変での日本側の被害の賠償などを取り決めた漢城条約を結んだ。次いで4月、日清間でも甲申政変後の朝鮮問題に関する取り決め(天津条約)を結んだ。伊藤博文と李鴻章が会談し、朝鮮からの両国軍の撤退と、重大事変などが発生した場合に、朝鮮に出兵する際の相互事前通告などを取り決めた。同年1月、朝露秘密協定事件が起こった。閔氏政権が、中国の宗主権強化政策が目にあまるようになったのに反発して、ロシア勢力を朝鮮に引き入れてバランスをとろうと秘かに折衝していたものであったが、清が途中で知るところになり、交渉が打ち切られた(6月)。密約問題は朝鮮を英露の国際対立の中に巻き込んだ。4月イギリスが、南下政策を見せ始めたロシアに対抗するため、東洋艦隊を用いて日本の対馬に近い巨文島を占領し(〜1887年2月)、ロシア極東艦隊の航路を牽制するため、守備隊を常駐させて砲台を設置した。6月にはベトナムがフランスの保護領となり、加速度的な西洋列強の進出は日本に深刻な衝撃を与えた。

日本はどうして併合を求められたか2

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 17:00 投稿番号: [86676 / 232612]
日本政府はその後の国交樹立交渉も不調に終わったため方針を転換した。アメリカの黒船が浦賀に来航して日本に開国を強要したのにならって、1875年軍艦雲揚号を江華島沖に送った。江華島の守備兵が発砲したため交戦し、江華島を占領した(江華島事件)。日本はこの機をとらえて、朝鮮に開国を強要した。衛正斥邪派の崔益鉉は、華夷思想に基づいた強硬な開国反対論を国王に上疏したが、翌1876年両国間に日朝修好条規(江華島条約)が締結されて朝鮮は鎖国を終了し開国した。この条約の第一条は、朝鮮を「自主ノ邦」と規定して、独立国として扱っているが、これはそれまでの中国を中心とした国際秩序を破るものであった。日本が朝鮮を独立国として扱ったのは、朝鮮を植民地化の危機にある中国の影響下から切り離して、親日政権をつくることを狙ったからであったが、この時点では、支配下に置くことは考えていなかった。19世紀末期は帝国主義の全盛期で、日本は朝鮮半島がその帝国主義勢力の前進基地となることを恐れた。朝鮮半島は日本にとって、大陸から日本列島の脇腹に突きつけられた短刀であったから、何よりも朝鮮半島の無害化をはかり、親日政権をつくる必要があった。そこで日本は、朝鮮が他国の支配下に入ることがないように、朝鮮の近代化を助けて、しっかりとした独立国として育てようと図った。閔氏政権に対し通商を拡大して近代的軍備を導入し、西洋の学問・技術を学んで殖産興業をはかる富国強兵の道を歩むことを勧め、視察団と留学生を受け入れた。まだ軍事力の脆弱な日本が独立を守るためにも隣国朝鮮が安定して独立していることが、どうしても必要であった。

開港後、日朝貿易は急速に拡大した。日本からは主に綿製品が輸出され、朝鮮からは主に米が輸出された。米の大量輸出は商人や地主・農民には利益をもたらしたが、国内における米の供給不足を引き起こして米価騰貴が深刻化した。飯米購買者である都市民衆の生活が圧迫されて日本に対する不満が高まり、衛正斥邪派からも開化政策に対して反発が広がった。閔氏政権は日本の協力のもと近代的軍隊である別技軍を新設し、日本人教官を招請して、教練を始めていたが、1882年7月、ソウルで旧式軍隊が反乱を起こした(壬午軍乱)。反乱に火をつけた直接の理由は、政府高官が旧式軍隊に給与として支払われていた米の一部を横取りしたのに対して、兵士の怒りが爆発したものだった。それに旧軍隊は、別技軍が装備と待遇の面で優遇されていたのに対しても憤っていた。旧式軍隊の軍卒は、官庁や閔氏一族の屋敷を襲撃するとともに、開化反対を叫ぶ漢城(ソウル)の民衆も日本公使館を襲撃するなどして多数の日本人を殺害した。また閔妃を攻撃の的にする一団も王宮に乱入して高官を殺害した。このときに閔妃は、変装して王宮から脱出した。壬午軍乱は、大院君が裏で煽動していたものだった。閔氏政権が倒れ、大院君が再び政権を握った。

日本は居留民保護のため軍艦4隻と兵士を朝鮮に派遣した。政権を奪われた閔氏一派は清国に反乱鎮圧を要請した。清国もただちに宗主国の責任として、軍艦6隻と3000人の兵を派遣した。壬午軍乱は、清国軍によって鎮圧された。大院君は閔妃の告発によって清国軍に捕らえられ、天津へ連行された。国王高宗が、実父の大院君が強制連行されるのを認めたことからも分るように、清の朝鮮に対する宗主権と冊封秩序は、いささかも揺らいではいなかったのだ。大院君一派はことごとく投獄され、閔氏政権が復活し、清国の庇護のもとにおかれた。清国は軍隊をそのままソウルに駐留させ、政府に顧問を送り込んで、韓国の内政に細部にわたって干渉した。8月日本は朝鮮との間に済物浦条約を結び、日本人被害者への見舞金支給と賠償支払い日本公使館への警備兵駐屯を取り決めた。同じ頃アメリカ、ロシア、ヨーロッパ諸国が、次々と朝鮮と修好通商条約を締結して進出をはかるようになった。朝鮮の宗主国清は、列強諸国や日本が朝鮮に積極的に進出をはかっていることに対して、警戒心を強めるようになった。

日本はどうして併合を求められたか1

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 16:58 投稿番号: [86675 / 232612]
日本から見た韓国併合に至る歴史

19世紀の世界は弱肉強食の帝国主義時代で、国家がその時代の競争に負ければ、亡国か植民地に転落していったのは、近現代史の厳然たる史実である。(⇒資料1)19世紀中葉には東アジア諸国にも、強力な軍事力を背景にした欧米列強諸国が進出を始めており、大国の清でさえアヘン戦争(1840年)以後、分割や植民地化の危機にさらされていた。日本はこの危機に直面して、いかに独立を保つかが国家目標となり、明治維新(1868年)を成し遂げて、富国強兵の近代国家造りに邁進していた。しかし李氏朝鮮は世界の大勢を見誤り、鎖国を守り清の属国であり続ければ国家の存続を保てると考えていた。そのため国王高宗の摂政として政権を担当した大院君は、衛正斥邪(儒教を守り攘夷を行う)を唱えてキリスト教を邪教として弾圧し、8000人の信徒を虐殺(1865年〜)して西洋列強を刺激したうえ、来航してきた外国船に攻撃を仕掛ては緊張状態を高めていた(1866年〜)。しかしそれは本格的な戦争に進展すると、敗北して植民地に転落しかねない危険なものだった。また大院君の鎖国政策に伴って、両班支配層内部に朱子学の名分論を固守する攘夷主義者が台頭し衛正斥邪派が形成された。

1868年日本は明治新政府樹立を告げる使節を朝鮮に送るが、国書の文面に天皇の皇という中国皇帝と同格の称号が使われているのは許されない、という理由で(⇒資料2)国書の受け取りを拒絶された(書契問題)。朝鮮は中国の属国という立場に忠実に従っていたのだ。その後も国交と通商を求める交渉を続けたが、頑なに国を開こうとしない朝鮮に、日本は大きな危機感をもった。早急に開国して近代化と富国強兵を推し進めなくては、遠からず欧米列強の支配下におかれることになってしまうからである。そうなれば日本は脇腹に刃物を付きつけられたようなもので、隣国の日本は窮地に立たされることになるというのが、当時の共通認識であった。そうした緊迫した世界認識の中で、武力をもってでも強引に朝鮮を開国させるべき、という考えがおきた。1873年西郷隆盛らが征韓論を主張するが、この時は大久保利通らの内治優先論者によって退けられた。大院君は対外的危機に対処するため王権の強化をはかったが、両班の特権に一部規制を加えたことから両班層の強い反発を受けることになった。また、多額の費用がかかる景福宮再建の財源を捻出するため、多額の増税を行ったため経済が疲弊し、大院君の施政に対する民衆の不満が高まってきた。王妃閔氏一族はこの機会をとらえて大院君を政権から追放した。この政変によって大院君直系の官僚は政権から追われ、代わって閔氏一族の勢道政治が始まった(1873年)。閔氏政権の下では大院君以来の宮殿の造営が続けられており、高宗国王と閔妃の浪費もあいまって財政は悪化の一途をたどり、数年のうちに兵士の俸給の支給にも困窮する事態に陥った。また官職や科挙の及第を売買するなどして権力の腐敗が進んだ。

北大韓帝国

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 16:52 投稿番号: [86674 / 232612]
がいいのではないか

併合までの歴史

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 16:51 投稿番号: [86673 / 232612]
西洋列強の接近から韓国併合までの歴史
1840 英清間にアヘン戦争がおこる
1853 ペリー提督率いる米艦隊が開国を要求して日本に来航
1866 米商船、仏艦船が朝鮮に来航するも撃退される
1868 明治維新、新政府樹立を告げる国書を朝鮮に送るが受け取りを拒否される
1873 西郷隆盛らの征韓論おこる
1875 江華島事件がおこり日朝交戦となる
1876 日朝修好条規が締結され朝鮮が開国する
1882 守旧派の壬午軍乱おこる
1884 開化派による甲申政変おこる
1885 漢城条約・天津条約締結、イギリスが巨文島占領、朝露秘密協定が発覚する
1894 東学党の乱(甲午農民戦争)から日清戦争へ
1895 下関条約で朝鮮独立承認・遼東半島を獲得するも三国干渉をうけ返還、閔妃暗殺事件おきる
1896 高宗国王が宮殿を捨てロシア公使館に移り住む(露館播遷)
1897 国号を大韓帝国と改める
1900 清国で義和団事件(北清事変)がおきロシアが満州に出兵
1904 日露戦争がおきる、日韓議定書・第一次日韓協約締結
1905 日露講和(ポーツマス)条約・第二次日韓協約(日韓保護条約)締結、統監府設置される
1907 ハーグ密使事件の責任をとり高宗皇帝退位、第三次日韓協約締結
1909 伊藤博文が暗殺される
1910 韓国併合

北朝鮮国号改正の勧め

投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2003/09/14 16:14 投稿番号: [86672 / 232612]
【>金氏朝鮮の証明】 #85027

朝鮮民主主義人民共和国という国号はこの国の姿を正しく表現していない。

その実態は民主主義でも共和国でもなく、世襲の暴君が恐怖政治で支配する国家である。

金正日はさっさと皇帝に即位すればいい。

立憲君主共産制というワケワカな政体にして

国号も「大朝鮮共産人民帝国」とでもすればよい。

そのほうがよほどわかりやすい。

北朝鮮の誠意なければ、強硬措置も

投稿者: kocohadokowatasihadare 投稿日時: 2003/09/14 16:12 投稿番号: [86671 / 232612]
北朝鮮の誠意なければ、強硬措置も=6カ国協議にこだわらず−拉致で米国務次官補

  【ワシントン12日時事】北朝鮮の拉致被害者家族の支援団体「救う会」の島田洋一副会長(福井県立大教授)は12日の記者会見で、ケリー米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が家族らと面会した際、「今は6カ国協議を続けているが、北朝鮮に誠意がないと分かれば、当然、他の枠組みに移行することになる」と語ったことを明らかにした。これは、何らかの強硬措置を打ち出す姿勢を示すものとみられる。   (時事通信)
[9月13日13時3分更新]

「子供らは元気」と幹部

投稿者: kocohadokowatasihadare 投稿日時: 2003/09/14 16:11 投稿番号: [86670 / 232612]
「子供らは元気」と幹部   訪朝の作詞家に

  訪朝していた富山市の作詞家亀田昇さん(69)が12日、富山県庁で記者会見し、北朝鮮に残る福井県小浜市の地村保志さん(48)ら拉致被害者の子供たちについて「北朝鮮当局幹部は元気だと話していた」と述べた。
  作詞活動を通じて北朝鮮と交流のある亀田さんは、朝鮮対外文化連絡協会の招きで、建国55周年に合わせ、4日から11日まで平壌に滞在した。
  10日に同協会幹部と面談し、地村さんらの子供たちに贈る文具セットを託した際に安否を尋ねると、「大変元気だ」と返事があったという。(共同通信)
[9月12日19時46分更新]

短く、あっという間」 日朝1年で地村

投稿者: kocohadokowatasihadare 投稿日時: 2003/09/14 16:08 投稿番号: [86669 / 232612]
「短く、あっという間」   日朝1年で地村さん家族


  日朝首脳会談1周年を前に記者会見する地村保さん(右)と浜本雄幸さん=12日午後、福井県小浜市役所
 
  北朝鮮による拉致被害者、地村保志さん(48)と富貴恵さん(48)夫妻らの帰国のきっかけとなった日朝首脳会談の1周年を前に、保志さんの父・保さん(76)と富貴恵さんの兄・浜本雄幸さん(74)が12日、福井県小浜市役所で記者会見。2人は「各方面から支援や励ましを受け、短く、あっという間だった」と、この1年を振り返った。
  浜本さんは、昨年9月17日に金正日総書記が拉致を認めて謝罪したことは「思わぬ大事件だった」とし、「あれで世論が大きく変わり、関心が薄かった拉致問題を国民が真摯(しんし)に受け止めてくれた」と激動の日々を振り返った。
  2人は「(夫妻の)3人の子供を早く帰国させてほしい」とあらためて要望。そのためには外務省は経済制裁を含む「もっと強い態度で交渉すべきだ」と強調した。(共同通信)
[9月12日19時55分更新]

金氏北朝鮮:本質を突いてる

投稿者: nakamurasiniti10 投稿日時: 2003/09/14 16:01 投稿番号: [86668 / 232612]
  朝鮮人民共和国などという看板に偽りのある国名より「金氏北朝鮮」が適切ですね。
  封建制度の復活だった。主体思想そのものが、封建制度の正当化理論だったのかも。嘘と捏造が彼らの文化でしょう。
その実例を北朝鮮のTVは実証している。

全*闘のHPみたいに感じる

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 15:54 投稿番号: [86667 / 232612]
  彼らの目的は日本のアイデンデティーの喪失による国力の低下と、今はなき国際共産主義の日本のインターナショナル化なんでしょうなあ。

  シャミンと福島とが好きそうな感じ。夫婦別姓とか。。シャミン党も、日本のアイデンデティーの弱体と喪失が目的なん。。左翼の目的が良く分かってきた。

  拉致問題等で。。。歴史の真実を知れば知るほど陰謀の意味が理解できる。

>先祖帰りした金正日政権

投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2003/09/14 15:53 投稿番号: [86666 / 232612]
>折角、朝鮮総督府が李氏朝鮮の悪弊を除去したのに、同じ制度を復活させたようだ。


んだ。んだ。
おらもそう思う。

金一族が王制復活させちょるし、

高麗ホテルのビリヤード場じゃおめ、平日昼間からええ歳の若い衆が仕事もせんで酒かっくらって遊んじょる。

【朝鮮に持ち出された日本国民の血税!】 #86661
>両班に代表される朝鮮の伝統文化は、勤労を蔑視し、無為徒食で怠惰な生活をもって聖人君子の道と考え、それを民族性にまでするに至った。

両班も復活しちょる。

んだすて、おらは「金氏朝鮮」ちゅうとるだ。

西の広島東の・・・

投稿者: borninjapan55 投稿日時: 2003/09/14 15:45 投稿番号: [86665 / 232612]
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5517/kunitachi/sch01.htm#b03

左の人達(暇つぶしに)

投稿者: borninjapan55 投稿日時: 2003/09/14 15:43 投稿番号: [86664 / 232612]
http://tokyo.cool.ne.jp/kunitachi/hit-net.html

先祖帰りした金正日政権

投稿者: nakamurasiniti10 投稿日時: 2003/09/14 15:21 投稿番号: [86663 / 232612]
  折角、朝鮮総督府が李氏朝鮮の悪弊を除去したのに、同じ制度を復活させたようだ。

朝鮮総督府が李朝末期の体制と弊風、少なくとも土地制度、租税制度の改正、財政の破綻、官僚腐敗などの病巣を手術し、ことに階級的身分制度――身分差別の撤廃(北朝鮮では52階層制度で復活)、公私奴婢の廃止(喜び組みで復活)、解放、女性再婚の自由保障、笞刑(むちうち刑)(公開処刑で復活)の廃止、一族まで罪を被る罪人縁坐法の廃止(1人でも政治犯がでれば、家族全員収容所送りで復活)など、法治社会の確立と個人の独立、人格の尊重(北朝鮮には人権保障がなく密告が奨励などで復活)などなどは、どの一つを取り上げても、朝鮮総督府の開発独裁が必要であった。

工作員?啓蒙活動に機会を感謝!

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 15:05 投稿番号: [86662 / 232612]
  お前らが、捏造・妄言を繰り出せば、こちらには、啓蒙のいいチャンスだ。
  ほざけ!喚け!お前らには、絶対に負けない!嘘をたれがなすなら、反撃してやる。日本を覚醒するための戦いをするのみだ!!!日本人を馬鹿にしやがって!!
  早く!馬鹿な指導者を挿げ替えることだな!ホントに滅ぶぞ!北朝鮮!!賢明な指導者に早く代えることだ。

朝鮮に持ち出された日本国民の血税!

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 14:58 投稿番号: [86661 / 232612]
「立ち直れない韓国」   黄文雄   1998年   光文社
朝鮮総督府は今日、「日帝三十六年」支配の象徴であり、いわゆる「日帝」の「七奪(国王、主権、土地、資源、国語、人命、姓名を奪ったこと)」の先頭に立ったと批判され、また、朝鮮近現代史研究といえば韓国、朝鮮人がその「日帝」といかに英雄的な戦いをしてきたか、という叙述ばかりとなっている。さらに、朝鮮総督府は、評価すべきものは一つもなく、「搾取」「迫害」「抑圧」「弾圧」「虐殺」だけを行なったという批判もある。朝鮮近現代史学者は、たとえば法治国家を目指した司法制度も、朝鮮半島土地調査も、治山・治水事業も、鉄道・道路建設も、朝鮮米増産計画も、ハングル教育政策も直視していないのだ。

朝鮮総督府が全精魂を注ぎ、その目標としてきたものは、「朝鮮半島の近代化」であった。朝鮮総督府の土地調査事業も、産米増殖計画も、農山漁村振興運動も、北朝鮮開拓などもすべて近代化推進のシンボルであった。朝鮮総督府が李朝末期の体制と弊風、少なくとも土地制度、租税制度の改正、財政の破綻、官僚腐敗などの病巣を手術し、ことに階級的身分制度――身分差別の撤廃、公私奴婢の廃止、解放、女性再婚の自由保障、笞刑(むちうち刑)の廃止、一族まで罪を被る罪人縁坐法の廃止など、法治社会の確立と個人の独立、人格の尊重、などなどは、どの一つを取り上げても、朝鮮総督府の開発独裁が必要であった。

両班に代表される朝鮮の伝統文化は、勤労を蔑視し、無為徒食で怠惰な生活をもって聖人君子の道と考え、それを民族性にまでするに至った。この伝統文化を根絶しなければ、朝鮮半島の近代化は不可能に近かった。だから、朝鮮総督府は、「弊風」と見なされる伝統文化を否定して、新しい体制に立て直すことこそが、新しい時代に生き抜くためになくてはならぬ方法だとした。

日本人は、李朝社会に「近代化」を教えたのだ。「近代化」という言葉が適切でないなら、「西洋の衝撃」といってもよいであろう。明治維新以後の日本の「近代化」は、日本列島から朝鮮半島を経由して、大陸まで到達したのだ。ありし日の日本人にとっては、それはむしろ天命であり、いわゆるその時代の使命感であった。「善意の悪政」や「悪意の善政」などといわれようと、その「同化主義」とは、文明開化時代の一つの理想であり、それを天命として国家、民族の興起とともに、近隣にも無理やりに押し売りしようとした。しかし、私はそれをおせっかいだとは見ない。仮りにそれが相手の意思を尊重していなかった「強制」であったにしても、私は非難しない。そういう時代だったのであり、場合によってはそれが必要だったからである。

朝鮮近代史を語る場合には、普遍的な論理ではなく、一つ一つ個別な史実から論議していかなければならない。少なくとも日本列島と朝鮮半島の問題に関しては、時間のスパンをもっと引き延ばして、李朝朝鮮時代から分断後の朝鮮半島の歴史に至るまでの間で「日帝三十六年」を振り返らなければならない。



朝鮮の歴史を知れば知るほど朝鮮人自身での近代文明化と独立は絶望的であったことが分る。当時の朝鮮人の中でそれを自覚していた者たちが民族の将来を日本に託して日韓併合を望み、日本もそれに応えて朝鮮の近代化に尽力したことを韓国人は知るべきである。




日朝交渉において植民地時代の謝罪と賠償を行うことが当然であるかのごとくマスコミが報じているが、戦後の早い時期、まだ朝鮮の併合前後の状況をよく理解していた人たちが存命であった時代は、韓国・朝鮮人の主張する謝罪と賠償など妄言以外の何物でもなかったのである

朝鮮から搾取された日本国民!

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 14:51 投稿番号: [86660 / 232612]
  財政的にみれば、搾取されたのは本国たる日本国民であった。

朝鮮総督府財政を支える財源については、朝鮮国内の税金などの取入だけでは足らず、その一部は公債によって支えられていた。その公債の98%は、日本の金融市場からのものであった。朝鮮の公債は、予算上の歳入不足を補填するいわゆる赤字公債ではなく、原則として事業公債に限定され、殖産興業に投資する公債であり、産業資金ともいえる。この公債によって土地、資源の開発、殖産興業が進展した。朝鮮半島は、海外からの借金によって国民経済を支えるという経済構造が、終戦後、半世紀以上たって、OECDに加盟した今日に至っても、ほとんど変わってない。明治44年には、借金、公債が国家予算に占める割合は22%であった。昭和5年には、公債の割合が6%まで低下したものの、昭和20には18.4%となった。
(中略)日本政府からの財政補充金には、たとえぱ製鉄奨励金、増炭奨励金などもあり、朝鮮半島はおんぶにだっこを続けていた。各種補充金は、昭和19年までに一般経費の補充金として4億3000万円程度に達していた。それは朝鮮半島が貧しく、自力で開発ができず、外債に頼らざるをえなかったからであるが、今日に至っても、その構造はまったく変わりがないのではないだろうか。
鴨緑江、豆満江の架橋13ヵ所の予算は、じつは満州国から出たのであった。
今日までの「日帝36年」に対する批判は、ほとんど朝鮮総督府が民度・民力の向上に懸命な努力を続けてきた歴史的事実に触れることなく、ひたすら日本人と朝鮮人との物質的な強弱の格差、支配者と被支配者の関係のみを取り上げることを目的としている。それはきわめて歪んでおり、歴史歪曲ともいえる。朝鮮半島は、統監府時代から「保護国」として日本に保護されながら、総督府時代に入りいっそう過保護にされつづけたのであって、財政面のみならず、政治、経済、文化のあらゆる面にわたってそうであった。「日帝36年」とは、植民地搾取という見方とは逆に、日本国民からの"支援"で支えられてきたのだ。併合以来、年に千数百万円から二千万円の一般経費補充金が、朝鮮総督府特別会計に補填されつづけ、財政運営を支えてきた。それは総督府の財政関係担当者が日夜奔走し、機会のあるたびに帝国議会や大蔵省に働きかけた賜物である。その補充金は、ほとんどが朝鮮半島の産業と国土開発、民生安定と福祉向上に注ぎ込まれており、今日のODA援助以上のものである。

ようこそ工作員か総連関係者殿!5

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 14:49 投稿番号: [86659 / 232612]
「日本と韓国」   八木信雄   昭和53年   日韓文化出版社
(灰色文字は管理人注)
(著者の八木信雄氏は朝鮮総督府の官吏で終戦時には全羅南道の知事であった。)
総督政治に対する外国人の評価


(上記の鎌田沢一郎著「朝鮮新話」から宇垣総督と会見したマッコイ少将の談話をを引用している)マッコイ少将の言葉の中に「貴国の植民政策が妥当であって」という個所があったようだが、外国人にしてみれば、韓国の統治は植民地主義で相当ひどいことが行われていると思っていたのに、実際に目分の眼で見てみたら、全く予想外の立派な統治が行われていたということで、そんないい評価になったんじゃないかな。

その点、僕も同感だね。僕が全羅南道知事として終戦を迎えた際、この道(どう)に進駐してきた米軍首席軍政官のリール・W・リーズ少佐(イリノイ州在住の応召弁護士)が、僕に向ってこんな感想を漏らしたことがあるんだよ。
「自分は沖縄方面から来たのだが、こちらに来るまでは、日本の統治下における韓国の現状は実に悲惨なものだと聞かされていた。ところが、実際の姿は聞いていたのとは違って、道路交通網は普及し、しかも鉄道は自分の国と同じく広軌である。水利灌漑施設の行き届いていること、学校校舎の立派なことなど、全く驚きに耐えない」というふうにね。これは、今まで総督政冶に関与していた敗戦日本国人の知事に向かって、韓国の解放を齎(もたら)した戦勝米軍軍政官が漏らした言葉だから、本人の目に映じ心に思ったことを極めて率直に吐露したものと断言して差支えないと思うんだ。


日本は朝鮮近代化のために多額の税金を投入し、その収支は赤字であった。
「教科書が教えない歴史(4)」   藤岡信勝   平成9年   扶桑社
大正時代に、石橋湛山というジャーナリストが調べたところ、日本国民1人当たりの国家予算の支出は10円45銭であり、植民地1人当たりの国家予算の支出は9円46銭でした。両者の間にはほとんど差がありません。両者の経済格差を考えると、日本は植民地に大変な国家予算をつぎ込んだことになります。それに対し、植民地から得られる収益は支出をはるかに下回りました。つまり、日本は台湾や朝鮮から経済的利益を得ていたとはいえないのです。むしろ、日本人は植民地を本国並の水準に引き上げようと懸命に努力をしました。これは、ヨーロッパ諸国が植民地から大量の富を収奪したのと大違いです。


「歪められた朝鮮総督府」   黄文雄   1998年   光文社
朝鮮の財政を支えつづけていた日本の補充金と公債
朝鮮総督府時代の朝鮮半島経営については、今日よくいわれているような「日帝36年」の植民地収奪というよりも、日本人の税金を注ぎ込むことによって、朝鮮半島の財政をずっと支えてきたというのが歴史的事実である。朝鮮総督府は、朝鮮人を圧迫したり、搾取したり、収奪したりというよりも、税金を注ぎ込み、近代国家として育てようと奮い立っていたのである。

ようこそ工作員か総連関係者殿!4

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 14:46 投稿番号: [86658 / 232612]
歳入の基礎となるべき税金は、日本人に重く、朝鮮人に軽かつた。昭和十二年度において内地における国民一人あたりの課税額平均六円三十五銭八厘であつたとき、朝鮮人のそれは、只の八十八銭五厘であつた。又先進国が植民地における唯一の大衆課税であつた人頭税と塩税はとらず、朝鮮人は本土の日本人よりも一俵一円五銭安い塩を嘗めることが出来てゐた。だから併合以来つねに朝鮮総督府の予算は赤字つづきで、大体毎年平均一千三百万円位づつの補給金を出さなければ均衡予算とはならなかつたのだ。時に三千万円以上の補給金を出したことも珍しくなかつた。随つて国家予算に於て十数億、民間投資に於いて五十億を本国から持出してゐた。かくて朝鮮の経済社会は、容易に資本主義の初期にすら達し得ず、未だ搾取の対象にさえなつていなかった。それは資本主義の前提である封建社会をもたなかつたからである。

かかる段階に於いて終戦を迎へたのであつたが、国家財政の面と民間投資と民衆課税の実際から判断し、日本の植民政策は搾取にあらずして、未だ培養過程にあつたと言ふことは出来るとともに、その教育政策の如きも財政上最高の比率は出してもせいぜい一面一校の完成位で、朝鮮人の最も希望する教育方針が漸進主義となつて了つたが、それにしてもソ連や中国、印度、仏印(現ベトナム地域)、ビルマ、タイ、蘭印(現インドネシア地域)等東欧や東南アジア諸国に比ぶれば、朝鮮の普通教育は、その就学率に於いても又文盲退治に於ても遥かに進歩してゐたといふことは出来るのである。教育は漸進主義であつたが、一般の文化水準は急速に上昇した。何分五千年の歴史を誇り、アジアの先進国を以て任ずる朝鮮民族である。与ふるに平和と生活の安定を以てすれば、文化を向上させる能力は充分にもつ素質はある。その本来の素質を発揮させることが出来て三十五年間にその文化水準は非常に高まり、国際人としても次第にひけをとらぬ状態となりつつあつたのだ。

さらに昔日の満州と同じく匪賊横行の朝鮮が、白頭山麓の山の中でも、人跡未踏の小島に行つてもつねに枕を高うして眠ることが出来、戸締りの必要も、夜警の必要もなかつた時代が顕現し、李朝時代の惨酷な刑政に比し、一応人権の自由が尊ばれ、ほつと安心して真面目に働ける時代が続いたことを回顧するとき、愚かな総督もあり、失政百出の不満も勿論あるが、大局より見て、日本の統治と朝鮮民衆の生活の関連性は、決して搾取弾圧の連続ではなく、培養と融和のゆとりある史的段階をもち共存共栄の実を挙げて、マッコイ将軍の語るがごとく、東洋の驚異が顕現してゐたことは、間違ひのない事実だ。今次の動乱(朝鮮戦争)によつて、地上の建設物、文化施設等の多くのものが壊滅したとは言へ、残る有形無形の潜在力は、大きい復興の基底となつて、その力を発揮すべく、尚今後虚心坦懐な協力によつて、生ずる生産の復興と、貿易の振興は、必ずや日韓経済繁栄の素を作り、三十五年間の共苦労は、決して無駄でなかつたことを、両国民が自然に覚る日が遠からず来るであらう

ようこそ工作員か総連関係者殿!3

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 14:43 投稿番号: [86657 / 232612]
マッコイ将軍の言葉の中の、まづ治安が確立し、見渡す山河が青くなつたのは寺内(総督)の武断政治と植林政策の為であり、水田耕作が拡大されて、もとの海中にまで稲が稔るに至つたのは、斉藤(総督)・下岡の産米増殖企劃(きかく=企画)であり、そのころ急に工業地の煙突から活発な煙を吐くに至つた事実は宇垣(総督)産業開発政策の為であつた。併合当時僅か八百四十万石の生産に過ぎなかつた米が、やがて二千五百万石を算するに至り、毎年平均八百万石を日本内地へ移出し、その代金で朝鮮の人々は安価で豊富な衣料、金物、雑貨その他の生活物資を整えることが出来た。又新工場が次々と設立されて行つたから、世界一の自然増加をもつ人口をも吸収することが出来て行つたのである。

人口の自然増加の比率は、そのころ日本が世界一であつたが、その本土よりも朝鮮の方がやや高率であり、併合時一千三百万の人口が、終戦当時三千万近くに殖えてゐた。だから、日本にとつて人口問題の解決は、朝鮮は全然その対象にはならなかつたのである。何故かならば日本人が朝鮮に住んでゐる数と、朝鮮人が日本に入国してゐた数とは、つねに匹敵し、時に朝鮮人の方が優勢であつたからである。人口の急激な増加は、未開国に平和と産業を与へ、衛生施設が上昇したときに起る現象であることは、今更言ふまでもあるまい。その培養経済政策による生産の上昇は平均して二百倍に達し、鉱工品の如きは物によつて五百倍、五千倍に達し、全くの無から有を生む尨大(ぼうだい)な生産品も現はれて来た。

ただ学校の数はいつの時代にも足りなかつた。由来朝鮮人は古い文化をもつことを誇りとする民族だけに、教育についてはつねに熱心であつた。平和と安定がつづいたために勃然として教育熱が起こつて来たが、予算の関係と、高等遊民の問題とがからまつて、下は小学校から上大学に至るまで、その拡張が朝鮮人の希望する様に出来なかつたことは気の毒であつた。教育の為なら金はいくらでも出すといふ民風であつたから、私立学校を許せばまだまだいくらでも学校の拡張は出来たであらうが、私学が民族主義と共産主義の温床となることを恐れて、之を極度に制限した。従つて根本的には培養と融和、一視同仁でありながら、文化政治の基本となるべき学校問題で差別をつけ大学の入学比率を設けたり、小学校の校舎や教師が足らず折角の向学熱を押へる様な結果になつて了(おわ)つたのだ。但(ただ)歴代総督の教育方針は、まづ義務教育を一日も早く完成し、徹底的に文盲退治をやり、その上高等教育を完全平等の域に進めるつもりで、差別をしたり制限を設ける意図は全然なかつたが、辛うじて補給金で賄つて来た予算の関係で漸進主義で行くより外に途がなかつたのだ。

>土下座すべきだと思います

投稿者: kagome78a 投稿日時: 2003/09/14 14:42 投稿番号: [86656 / 232612]
>日本は過去朝鮮を侵略したわけで、一方的に北を責める事はできません。

まさしくこれが   根本にかかわることだと思います。
(と   書くと   植民地とかを認めてると早合点する輩がいるかな?)

現代コリア研究所所長で救う会の会長である 佐藤勝巳氏は
「過去の植民地支配」への「過剰なまでの贖罪意識」が   田中均の行動原理だといってました、
人々の拉致事件に対する態度の分かれ目は、究極の処   この点になるような気がします。
人権とか権利」を云っていながら   この「贖罪意識が強いと、日本の権利要求は弱くなる傾向にあります。

現在の拉致問題と過去の日韓併合とは   リンクさせるべきではありませんが、
最終的には   日韓併合をどうとらえるかで
結論が全く違ってくる、

拉致問題を   正しい解決に導くためには   この日韓併合は   一方的な植民地支配などではない。
と理解することが不可欠だと思う、

ようこそ工作員か総連関係者殿!2

投稿者: inakamonodemisawa 投稿日時: 2003/09/14 14:41 投稿番号: [86655 / 232612]
「朝鮮新話」   鎌田沢一郎   昭和25年   創元社
(灰色文字は管理人注)
(著者の鎌田澤(沢)一郎は、戦前の朝鮮に16年間滞在し、京城郊外に民族経済文化研究所を設立した朝鮮研究家で、6ヶ年にわたる宇垣総督の政策顧問を勤めて、農村振興運動の推進に大いに貢献し、朝鮮の民生向上に大きく貢献した人物で、戦後その経験を買われて、セマウル運動(新しい村運動、実質的には宇垣政策を発展させたもの)の指導のために何度も韓国に招かれている。)

カイロ会談やヤルタ秘密協定に於て、台湾や朝鮮は日本の領土から離れては行つたが…(中略)永年の施政の歩み方が、スペイン、ポルトガル、オランダ等にその端を発する西欧式植民政策のごとき、搾取弾圧にあらずして培養と融和にあつたことをこの機会に於て事実を基礎とし、数字の上に於て、科学的に認めるべきであると思ふのだ。(中略)生蕃(国家に服属しようとしない台湾原住民)とマラリア蚊の棲む南海の小島台湾に、蕃民の宥和宣撫に成功して、治安を確立し、電源を開発して生産を起し、二期作の進歩的米作技術によつて、莫大な米を増産するに至り、尨大(ぼうだい)な砂糖産業を起して、一億に近い人口の砂糖自給を完成し、樟脳、薬品その他の輸出物資の科学的造成に成功、現住島民の生活水準を著しく高め、往年の瘴癘(しょうれい=熱病や皮膚病)悪疾の小島変じて宝島となり、遂には蒋介石並びにその尨大なる国民軍を養ひ得、中国共産党垂涎の的になつてゐる台湾は、トルーマンの「後進国の未開発地を開拓して生産を起し、当該住民の生活水準を上げて人類の福祉を増進すること」を半世紀の昔からすでに日本が実践して来てゐることの実証になるのだ。台湾所属の決定がもし住民の自由意思による投票となるならば、恐らくはその八割五分が日本へ投票するであらうと心ある台湾人が言つてゐることは決して故なしとしないのである。

朝鮮は歴史的立場が根本から異なる為に、決して台湾に於ける本島人(台湾人)の如き感情をもつことは出来ないであらう。しかし事態を公平に認める良心をもつ人々は、併合前のあの混乱と貧窶(ひんる=貧苦のためにやつれること)な状態とに比して日華事変勃発前までの平和と繁栄とが、如何に朝鮮民族の生活を高度に上げたかを認めるに吝(やぶさ)かでないであらう。昭和七年国際連盟のリットン調査団一行が、京城を訪れて宇垣総督と会見したが、そのとき一行中のアメリカ代表マッコイ少将は、初対面の宇垣総督の手を握るやいなや、左の感想を洩らして挨拶に代へたのである。

「自分は昨夜来東洋における一つの驚異を発見した。それは、今回の長い旅行における大きい収穫であつた。同時に、自分の今日までの研究不足をしみじみと愧(は)ぢている。何であるかといへば、朝鮮に対する全般的な認識の相違である。吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。然るに列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう」とその言を著者はその席で聞いてゐたのである。団長のリットンは英国人であるから苦い顔をして、ぢつと見てゐたが、由来率直なアメリカ人気質として、そんなことにはお構ひなく正直に述べて笑つてゐた。マッコイ将軍はその後陸軍をやめ、極最近までアメリカにおける極東委員会の委員長をしてゐたのは、そのころの満州や朝鮮の調査経歴の為であらうと思はれる。

ようこそ工作員か総連関係者殿!

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 14:39 投稿番号: [86654 / 232612]
  侵略はしてないでしょう。捏造しないでください。


アメリカ人による日本の朝鮮統治の評価
「日本・アメリカ人にとっての鏡」   ヘレン・ミアズ   1948年   (「醜い韓国人」   朴泰赫   1993年   光文社より)
「1894年7月29日に、韓国におけるわが代表であったシル氏は、次のように書いている。『日本は韓国に対して非常に親切に行動したいと思っているように見える。日本は断乎、中国の統治権の軸を解き放って、弱小な隣国を援け、その独立国としての立場を強化することのみを希望しているように見える。即ち日本は、韓国国民に平和と繁栄と開化をもたらすような諸改革の実行を支援しようとしている。この動機は知識層の韓国官吏の多くを喜ばせているし、また、アメリカでも不賛成なことはなかろうと私は思う』   (中略)」

「今日、日本による朝鮮『隷属化』を非難するのにあたって、われわれは朝鮮において日本政府は、例外的なぐらいにひどい植民地統治をやったという。しかし、病院、学校、朝鮮人の政治への参与(地方行政の場合)、通信、産業の発達、資源の開発など、通常『進歩的』発達の標準として認容されている基準から判断すれば、日本の記録は、通常の植民地母国の標準、いや、はるかにそれに、立ち勝っていた。今日、日本の朝鮮統治を非難する者はその根拠を、日本の主要な目的が朝鮮大衆の福祉よりも、日本自身の国家の安全の確保と経済的財政的福祉にあった、ということに置くのだ。しかし、そのような状態は、すべての西ヨーロッパ植民地母国によって、当然なことと容認されているのである」

「朝鮮において悪かったことは、日本の統治ではない。植民地制度そのものであった。1894年当時、アメリカ人のシル氏が日本の改革計画に賛同して、『国民に平和と繁栄と啓発をもたらすもの』と評価したとき、おそらく氏はこの人道主義的な言葉をまじめに書いたことだろう。日本人は、朝鮮国民の『指導』の責任が日本にあるとする理由を説明するのにあたって、朝鮮のように長年の虐政でひどく痛めつけられた国民には、『独立』などは不可能であるといった。おそらく日本人はそのとき、今日、われわれが同様なことを口にしているのと同程度に、真剣なことだったろう」


「歪められた朝鮮総督府」   黄文雄   1998年   光文社
李朝時代は旱魃、水害が繰り返し発生し、飢饉が日常化していた。統監府以前の朝鮮社会は、司法行政の綱紀が乱れ、教育、衛生はほとんど顧みられず、河川、林野が荒廃し、道路、橋梁もなく、港湾も船も車もほとんどなかった時代であった。それから20年後の昭和初期に朝鮮を訪れたアメリカの碩学(せきがく)ブルンナー博士は、朝鮮農村の実状を視察して、地方の古老にも接して今昔を比較し、天と地ほどの差が見られることに驚嘆した。朝鮮総督府は人さらい、草賊(盗賊)暗躍、飢民あふれる李朝末期の社会に、産業をおこし、治安を回復し、近代社会をつくったのであった。

>土下座すべきだと思います

投稿者: sa_bo_ten_02 投稿日時: 2003/09/14 13:07 投稿番号: [86653 / 232612]
ぶわぁーか

このトピ8万件、
遡って読んでから、出直してこい。

土下座がしたければ、あんた独りで土下座してろ。

我々の税金をそんな事に使われては堪らん。
レスするのもアホらしいわ!怒

> 土下座すべきだと思います

投稿者: akasakatameikesanou 投稿日時: 2003/09/14 12:45 投稿番号: [86652 / 232612]
馬鹿一匹=toi_et_moi_isさん

捨てハンで逃げそうな勢い

土下座すべきだと思います

投稿者: toi_et_moi_is 投稿日時: 2003/09/14 12:42 投稿番号: [86651 / 232612]
それで拉致被害者が帰ってくればよろしいと思います。

日本は過去朝鮮を侵略したわけで、一方的に北を責める事はできません。

お金を払い謝罪すべきです。現状のままでは問題を打開できないでしょう。

これこそが侵略を行った民族のツケだと思います。

皮肉な・・・・・

投稿者: ringo_pie03 投稿日時: 2003/09/14 12:22 投稿番号: [86649 / 232612]
NHKの「のど自慢」放映中です。
会場は大阪・高槻市の現代劇場。

知ってる人は知っている、つい先ごろ「拉致はテロだ!大阪決起集会」が開催された会場なのだ。
あのとき、客席の半分以上は埋まっていたのだが、それでも空席が気にかかった。
有本恵子さんのご両親、横田めぐみさんのご両親が来場され、西村真吾議員も登壇し・・・・・

それなのに、空席があったあの会場に「のど自慢」では満席。
高槻の皆さん、まだ赤軍派の巣窟と名指しされても、拉致事件よりのど自慢が大切ですか?
拉致事件はあなた自身の生活の基盤を根底から揺るがしかねない、国家主権を侵された重大事件なのです。ご理解ください。

>日本人土下座プロジェクト始動

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 12:01 投稿番号: [86648 / 232612]
  戦争準備の軍資金をわたせということだろう。その金で、重油やミサイルの燃料を買って、さらに、日本を脅す。。最悪の場合には、日本を攻撃して、日本人をころす。。吉田某は、これを許せといってるのと同じだ!!売国奴!まさしくそうだ!
  骨の髄まで、売国精神と北朝鮮の工作活動をするだろう。
  50万人の署名だが、総連やシャミンを使えば、可能だろうなあ。売国奴は悔い改めずか?。。。なんてこった。

川口反論と総連声明の類似

投稿者: borninjapan55 投稿日時: 2003/09/14 11:59 投稿番号: [86647 / 232612]
■2003/09/12 (金) 二発目。川口反論と総連声明の類似にコケる(涙)。

ついいましがたフジテレビ系の再現ドラマ『完全再現!北朝鮮拉致。25年目の真実。消えた大スクープの謎!』を見終わったところだ。内容については皆さんご覧になったろうから遠慮するが、改めて思うのは日本政府の対応である。ドラマでは主役の報道人ほか被害者ご自身やご家族そしてマスコミ関係者が登場するのだが、政治家や政府関係者はほとんど登場しない。このドラマがご家族や報道人に焦点を当てているからではない。政治家や外務官僚が登場しないのは、すなわちかれらが何もしてこなかったからである。

過日の石原都知事の『爆弾』発言をご記憶の方も多いだろう。今日、産経HPで発言の詳細がその前後部分を含めて明らかになった(→http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_63_1.htm
この石原演説の中で『外務省の田中均審議官は爆弾を仕掛けられて当然だ』という部分だけが脚光を浴びて一人歩きし、そのことで石原演説が全面的に否定された感があるが、しかし『爆弾』発言は石原演説の主旨では決してない。全文に目を通してみれば、石原都知事のいわんとすることに首肯するひとはむしろ多いだろう。なぜなら、石原演説が徹底的に批判するのは外務省の無為無策だからである。

『北朝鮮の拉致。拉致と言ったって誘拐、殺人だ。あれがテロじゃなくて何なんだ。外務省の役人は北朝鮮がやったことをテロとは言わない。外務大臣も黙っている。あの田中均という審議官は何もしない。起こって当たり前のような今までの責任の不履行が外務省にある。だれのための外務省か分からないことをずっとやってきた。だから国民が怒って、その怒りが詰まって詰まって高まってああいう形(註:爆弾騒ぎ)になった』と。石原都知事は喝破したのである。ご家族も国民も怒っているのだと。爆弾は田中均個人に仕掛けられたのではないと。外務省に向かってこそ仕掛けられたのだと。先日ご家族はとうとう日本の外務省を見限って米国の支援を求めに渡米なさったばかりだ。それに続く石原都知事のこのことばにこそ川口外相は震撼せねばならぬ。

http://www2.diary.ne.jp/user/154269/

そしていま当の川口外相の反論を聞け。『民主主義に対する挑戦であり到底容認することができない』・・。ばかもん。朝鮮総連じゃないよ、これが日本国外務大臣の反論だよ。このひとはぜんぜんわかっていない。『闘うべき敵は外務省』。かつてのご家族のことばがこれほど重く感じられたことはない。

カネカネカネカネカネ

投稿者: borninjapan55 投稿日時: 2003/09/14 11:55 投稿番号: [86646 / 232612]
■2003/09/12 (金) 秋やのう『カネカネカネカネカネ』蛆虫の鳴き声盛ん。

9月17日を前に北朝鮮&朝鮮総連の『国交正常化推進キャンペーン』またの名を『日本よカネ寄こせキャンペーン』が活発化してきた。吉田康彦などさっさとHPを書き換えている。見事である(嘲)。むろん吉田以外にも『あっち系』総動員。しばらくは『カネ出せカネ出せカネ出せ』と声高に啼くだろう。秋の風情の虫の声ならぬ『あっち系』蛆虫の乞食鳴きは耳障りな限りだが、有象無象の蛆虫を炙り出す好機でもある。しばらくは目が離せない。

そう思っていたら、早速蛆虫一匹。『日朝友好資料センター』なる怪組織である。『日朝友好資料センター日朝国交正常化の早期実現求め日本政府に要望』と題する朝鮮新報記事
http://www.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0912-00001.htm
この日朝友好資料センター代表は宮川淳氏。そう、北朝鮮グッズ販売や北朝鮮ツアーで有名な『レインボー通商』店主である。グッズの仕入れのほかツアー企画とは、北朝鮮や総連と相応のコネが必要なのは常識である。怪しいと思っていたらその正体はプチブルあっち系かよ。

同センターは国交正常化を求める要望書を小泉首相に送付したというが、その内容がまさしく『あっち系』面目躍如の追従ぶり。思わずコケた。記事によれば、要望書は在日朝鮮人への暴行事件を憂慮して『(日本)政府が(中略)不法不当な迫害行為を強く取り締まり、在日朝鮮人の民族的権利を暖かく守り正しく保障するよう指摘』(『指摘』だとよ。爆笑)したうえで、次の二点を要求したという。(1)一日も早く日朝国交正常化交渉を再開し、速やかに日朝国交正常化を実現しきちんと過去を清算すること。(2)拉致問題は日朝首脳会談とその後の両国政府間接触と交渉の経緯の上に立ち、誠意をもって早急な解決に努力すること。

一見すればまともなことを要求しているように見えるかもしれない。だがよく読んでみよ。国交正常化については、『過去の清算=カネを出せ』と明確にその目標を明らかにしつつ、そのいっぽうで拉致問題については『交渉によって解決に努力』と『努力』自体を目標にしているのだ。努力の『結果』は不問らしい(蔑)。ばかもん。そんな都合のいい要求を呑めるか。

レインボー通商といいレインボーブリッヂといい、怪しげな組織が入り乱れてゆさぶりをかけてくる。われわれに求められるのは真贋を見抜く冷静な眼である。声の大きさに惑わされてはいけない。


http://www2.diary.ne.jp/user/154269/

これも重要情報だと思う

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 11:53 投稿番号: [86645 / 232612]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143583&tid=bpkldabaafc0afbava4hjbfoba4h0ba4a4n3 njdda6na1ia2aa&sid=1143583&mid=1167

北朝鮮の時間延ばし対話路線にだまされるな
2003/ 9/14 11:03
メッセージ: 1167 / 1170

投稿者: realvoiceman (25歳/男性)
北朝鮮の平壌には地下要塞が建設されていることはよく知られているが、中朝関係筋によると、金正日総書記は今年初めに、地下道路網の整備のほか、地下要塞を一段と深く掘り進めるように指示を出したという。
さらに、かつての日本軍占領下当時、故金日成主席らがゲリラ活動の根拠地としていた,白頭山などの山岳地帯にある軍事基地や地下基地なども整備し直すようにとの緊急命令が出されている。
北朝鮮への対応は、軍事力行使の次元に一刻も早く進める必要がある。

日本人土下座プロジェクト始動

投稿者: borninjapan55 投稿日時: 2003/09/14 11:52 投稿番号: [86644 / 232612]
■2003/09/11 (木) 日本人土下座プロジェクト始動。朝日も早速協賛。

金正日に土下座せよという輩がいる。

昨日の日記で田英夫を取り上げたが、『あっち系』重鎮として忘れるわけにはいかないのが吉田康彦である。9月更新の『見解表明』で、吉田は拉致問題解決のために北朝鮮の面子を立てカネを出せと主張(→http://www3.ocn.ne.jp/~yy-dprk/
カネと引き替えに拉致問題を解決することこそ『相手の面子をつぶさず双方が納得する方式(だ)』という。吉田はこれを『ウィン=ウィン交渉術』だと自賛してさえいる。国家ぐるみの犯罪を行ない人質を取る北朝鮮に『人質を返してください』と膝を屈して『面子』を立てるのが吉田流『ウィン=ウィン』らしい(怒)。

いっぽう朝鮮総連は『朝・日平壌宣言を支持し東北アジアの平和と安定を求める50万人署名運動』なるキャンペーンを開始。今日の朝鮮新報記事で明らかになったところでは(→http://www.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0910-00002.htm
平壌宣言一周年を記念する『朝・日青年友情プロジェクト』の一環だという。記事よると、50万人署名運動は朝鮮人10万人日本人40万人を目標にすでに活動が開始され、11月末には首相と外務大臣あてに署名を提出して国交正常化を求める声を伝えるという。要はカネを献上させてくださいと40万人の日本人を土下座させようというプロジェクトである。

こいつらキチガイどもは、日本が巨額のカネを差し出し金正日に膝を屈して懇願することをご家族が望んでいるとでも思っているのだろうか。訪米中のご家族・横田拓也さんの言葉を聞くがいい。『国家のために人生と命を犠牲にした人に米国は報いている。国は国民を守り国民は国を信じて尽くし生活している。何とか日本に目を覚ましてほしい。それを言うためにここまで来たのです』と(→http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_17_1.htm
わたしは深く感動した。なんというまっすぐで清々しいことばであろう。ご家族を外道に囚われながらの、しかしこの気高く屹立する志に、わたしはただ深く頭を垂れるのである。

そうなのだ。拉致されたご親族を人質に取られながらも、そしてその一日も早い帰国を心から望みながらも、それでもご家族はわたしたちに目を覚ませといっているのだ。日本よ国家たれと。北朝鮮と正対せよと。外道に膝を屈するなと。日本が国家として正々堂々と拉致被害者を取り戻さない限り、ご家族のこの誇り高くも凛とした志に報いる道

http://www2.diary.ne.jp/user/154269/

これは重要情報ではないか

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 11:50 投稿番号: [86643 / 232612]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143583&tid=bpkldabaafc0afbava4hjbfoba4h0ba4a4n3 njdda6na1ia2aa&sid=1143583&mid=1166

金正日を震撼させた中国・胡錦濤親書の中身
2003/ 9/14 10:54
メッセージ: 1166 / 1170

投稿者: seironda
「貴国が核開発を続ける過程で、アメリカによる攻撃を受けたとしても、わが国(中国)は貴国を援助することはできない」
さらに、親書は北朝鮮の核兵器開発にも触れている。
「貴国が核兵器などの大量破壊兵器を開発することによって、日本が過敏に反応して、核兵器を開発することも考えられる。日本が本気になれば、核兵器などはすぐに開発してしまう能力がある。これは、貴国のみならず、わが国(中国)にとっても、安全保障上の大きな脅威となりうるのである」
としたうえで、
「即刻、大量破壊兵器の開発を中止されたい」と強く申し入れている。
北京の中国外務省関係者が明らかにしたところによると、中国外務省高官の戴(だい)時間が金正日にあった際、かなり執拗に核開発を中止するように要請したという。
さらに、国連の安全保障理事会で、北朝鮮の非難決議が採択されることになっても、中国は拒否権を発動しないことを付け加えたのだった。
そして語気強く詰め寄った。「これは、貴国が生き残れるかどうかの分かれ目の決断だ。貴国が国際社会に参加しないのであれば、わが国は今後一切貴国には援助しないことを覚悟してもらいたい」
金正日も力なくうなずかざるをえなかったという。

また、金正日が6カ国協議に参加した背景には恐怖心があった。
金正日に、大きな恐怖を与えたのは、イラクのサダム・フセイン政権へのすさまじい攻撃であり、最近の出来事で言えば、逃亡中だったサダム・フセインの長男と次男のウダイとクサイの2人が米軍の攻撃を受けて殺されてしまったことだった。
2人が爆撃を受け、急襲され、死亡した写真を見た金正日は自身の将来の姿をそこに見たのかもしれないし、そのように想像したのは確実だろう。
中国の戴次官が乗り込んできたのは、金正日がそのように怯(おび)えている時期だった。

サンプロ・田原が本音

投稿者: kagome78a 投稿日時: 2003/09/14 11:14 投稿番号: [86642 / 232612]
サンプロで

「田原聡一郎」が   石原発言をめぐって
都庁に、賛成・反対の意見が拮抗していることについて、マスコミも閣僚も   表面的には   批判しているが   本音は   違っている。
こういう雰囲気が国民にあることは   どう思うか。
と質問。
つまり、石原都知事の意見に賛成する国内の今の雰囲気が   気に入らない。

例の   韓国も中国も   日本と国交正常化時は   独裁国家だった。と持論を展開。

なせ、北朝鮮だけが、特別に経済制裁などを   されなければならないのか。
と   云いたいらしい。

田原のレトリック。

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/14 11:08 投稿番号: [86641 / 232612]
  ソ連・中国・韓国が、北朝鮮と同じ独裁国家と言い放った!!!
  毛沢東の中国。朴大統領の韓国。1956年のソ連が同じ独裁国家?
  今のキタチョウと同じというのは。。。集団指導体制の程度が違う!!田原はなんという捏造をするんだ!!自国民の2割も餓死させたり獄死させたりする北朝鮮のような国家があるか!!

  北朝鮮は人類の恥の悪魔国家だ。人類の最低のモラルすらない人類の犯罪者の金正日と同じだと!!田原捏造!許しマジ。
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