小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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日本はどうして併合を求められたか4

投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 17:04 投稿番号: [86678 / 232612]
朝鮮駐在の袁世凱は李鴻章の戦略に基づいて清の宗主権強化に努めた。袁は諸外国の公使と地位が異なり、国王代理といえる監国として朝鮮の実権を握っていた。1886年6月国王が再び朝露秘密協定を結ぼうと謀った。ロシアが朝鮮に軍事教官を派遣するのと引きかえに、ロシア海軍に北朝鮮東部に位置する永興湾の使用を許すというものだった。袁は国王の廃位をも辞さずとの強硬な圧力を加えて、この企てを破棄させた。朝鮮国王の即位・廃位の権限は清朝朝廷にあったのだ。8月清国は拉致していた大院君を帰国させた。国王と閔氏政権がロシアへの接近をはかるかたわら、清国から離れようとしたために、大院君をつかって親露勢力を牽制させるためだった。このように清国は日清戦争に至るまで朝鮮の内政外交に強力な干渉を加えたのである。1891年ロシアはシベリア鉄道の建設に着手したが、完成すればモスクワから極東まで鉄道網でつながり、ロシアの勢力が一挙に南下を目指すことは火を見るより明らかであり、日本はロシアに対する警戒をいっそう深めた。朝鮮のなかでは、各派がさまざまな思惑から、清国、ロシア、日本をはじめとする外国勢力と結んで、勢力争いを繰り広げた。

朝鮮の貿易は急速に拡大し日本向け輸出の大半は穀物であった。朝鮮内では米価騰貴が深刻化し、飯米購買者である都市民衆の生活を圧迫していた。このような状況下で、米騒動による民衆反乱を恐れた朝鮮政府は、穀物の外国搬出を禁止する「防穀令」を発したが、日本商人が前貸しによる穀物買い付けを行っていたため損害を受け、日朝の紛争に発展したが、朝鮮政府が賠償金を支払って解決した(1893年)。日朝間で人的交流が進むなかで摩擦も深刻になってきた。朝鮮人は華夷思想で日本人を侮蔑し、日本人の中には朝鮮人の性行をあざけって横柄な態度をとる者が現れ、人心を離反させるということもあった。閔氏政権の政治路線は守旧派であり、支配体制を大きく変更することなく変革しようとはかった。近代産業の導入は官営事業において試みたが成功は収められなかった。これらの官営事業費用や外交費、軍隊の維持費、賠償金や借款の償還金が急増したことは、宮廷の浪費と共に国家財政不足を深刻化させた。財源確保の安易な方策として悪化を鋳造したため、物価はたちまちのうちに暴騰した。閔氏政権は財政破綻を繕うため外国に対し借款を重ねる一方、租税収奪を強化したため民衆の不満が高まった。また両班官僚の腐敗が甚だしくなり、売官・売職は常態化し賄賂が横行した。地方官がその地位を利用して買官に要した費用を埋め合わせたり、財産蓄積をはかることは一般的となり、民衆に対しては種々の名目による課税が加重されることになった。こうした収奪の強化は国家・両班官僚と民衆との反目を加速させた。そのため全国の多くの郡県において地方官の誅求と悪政に反抗する民乱が起きるようになった。
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