朝鮮に持ち出された日本国民の血税!
投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/14 14:58 投稿番号: [86661 / 232612]
「立ち直れない韓国」
黄文雄
1998年
光文社
朝鮮総督府は今日、「日帝三十六年」支配の象徴であり、いわゆる「日帝」の「七奪(国王、主権、土地、資源、国語、人命、姓名を奪ったこと)」の先頭に立ったと批判され、また、朝鮮近現代史研究といえば韓国、朝鮮人がその「日帝」といかに英雄的な戦いをしてきたか、という叙述ばかりとなっている。さらに、朝鮮総督府は、評価すべきものは一つもなく、「搾取」「迫害」「抑圧」「弾圧」「虐殺」だけを行なったという批判もある。朝鮮近現代史学者は、たとえば法治国家を目指した司法制度も、朝鮮半島土地調査も、治山・治水事業も、鉄道・道路建設も、朝鮮米増産計画も、ハングル教育政策も直視していないのだ。
朝鮮総督府が全精魂を注ぎ、その目標としてきたものは、「朝鮮半島の近代化」であった。朝鮮総督府の土地調査事業も、産米増殖計画も、農山漁村振興運動も、北朝鮮開拓などもすべて近代化推進のシンボルであった。朝鮮総督府が李朝末期の体制と弊風、少なくとも土地制度、租税制度の改正、財政の破綻、官僚腐敗などの病巣を手術し、ことに階級的身分制度――身分差別の撤廃、公私奴婢の廃止、解放、女性再婚の自由保障、笞刑(むちうち刑)の廃止、一族まで罪を被る罪人縁坐法の廃止など、法治社会の確立と個人の独立、人格の尊重、などなどは、どの一つを取り上げても、朝鮮総督府の開発独裁が必要であった。
両班に代表される朝鮮の伝統文化は、勤労を蔑視し、無為徒食で怠惰な生活をもって聖人君子の道と考え、それを民族性にまでするに至った。この伝統文化を根絶しなければ、朝鮮半島の近代化は不可能に近かった。だから、朝鮮総督府は、「弊風」と見なされる伝統文化を否定して、新しい体制に立て直すことこそが、新しい時代に生き抜くためになくてはならぬ方法だとした。
日本人は、李朝社会に「近代化」を教えたのだ。「近代化」という言葉が適切でないなら、「西洋の衝撃」といってもよいであろう。明治維新以後の日本の「近代化」は、日本列島から朝鮮半島を経由して、大陸まで到達したのだ。ありし日の日本人にとっては、それはむしろ天命であり、いわゆるその時代の使命感であった。「善意の悪政」や「悪意の善政」などといわれようと、その「同化主義」とは、文明開化時代の一つの理想であり、それを天命として国家、民族の興起とともに、近隣にも無理やりに押し売りしようとした。しかし、私はそれをおせっかいだとは見ない。仮りにそれが相手の意思を尊重していなかった「強制」であったにしても、私は非難しない。そういう時代だったのであり、場合によってはそれが必要だったからである。
朝鮮近代史を語る場合には、普遍的な論理ではなく、一つ一つ個別な史実から論議していかなければならない。少なくとも日本列島と朝鮮半島の問題に関しては、時間のスパンをもっと引き延ばして、李朝朝鮮時代から分断後の朝鮮半島の歴史に至るまでの間で「日帝三十六年」を振り返らなければならない。
朝鮮の歴史を知れば知るほど朝鮮人自身での近代文明化と独立は絶望的であったことが分る。当時の朝鮮人の中でそれを自覚していた者たちが民族の将来を日本に託して日韓併合を望み、日本もそれに応えて朝鮮の近代化に尽力したことを韓国人は知るべきである。
日朝交渉において植民地時代の謝罪と賠償を行うことが当然であるかのごとくマスコミが報じているが、戦後の早い時期、まだ朝鮮の併合前後の状況をよく理解していた人たちが存命であった時代は、韓国・朝鮮人の主張する謝罪と賠償など妄言以外の何物でもなかったのである
朝鮮総督府は今日、「日帝三十六年」支配の象徴であり、いわゆる「日帝」の「七奪(国王、主権、土地、資源、国語、人命、姓名を奪ったこと)」の先頭に立ったと批判され、また、朝鮮近現代史研究といえば韓国、朝鮮人がその「日帝」といかに英雄的な戦いをしてきたか、という叙述ばかりとなっている。さらに、朝鮮総督府は、評価すべきものは一つもなく、「搾取」「迫害」「抑圧」「弾圧」「虐殺」だけを行なったという批判もある。朝鮮近現代史学者は、たとえば法治国家を目指した司法制度も、朝鮮半島土地調査も、治山・治水事業も、鉄道・道路建設も、朝鮮米増産計画も、ハングル教育政策も直視していないのだ。
朝鮮総督府が全精魂を注ぎ、その目標としてきたものは、「朝鮮半島の近代化」であった。朝鮮総督府の土地調査事業も、産米増殖計画も、農山漁村振興運動も、北朝鮮開拓などもすべて近代化推進のシンボルであった。朝鮮総督府が李朝末期の体制と弊風、少なくとも土地制度、租税制度の改正、財政の破綻、官僚腐敗などの病巣を手術し、ことに階級的身分制度――身分差別の撤廃、公私奴婢の廃止、解放、女性再婚の自由保障、笞刑(むちうち刑)の廃止、一族まで罪を被る罪人縁坐法の廃止など、法治社会の確立と個人の独立、人格の尊重、などなどは、どの一つを取り上げても、朝鮮総督府の開発独裁が必要であった。
両班に代表される朝鮮の伝統文化は、勤労を蔑視し、無為徒食で怠惰な生活をもって聖人君子の道と考え、それを民族性にまでするに至った。この伝統文化を根絶しなければ、朝鮮半島の近代化は不可能に近かった。だから、朝鮮総督府は、「弊風」と見なされる伝統文化を否定して、新しい体制に立て直すことこそが、新しい時代に生き抜くためになくてはならぬ方法だとした。
日本人は、李朝社会に「近代化」を教えたのだ。「近代化」という言葉が適切でないなら、「西洋の衝撃」といってもよいであろう。明治維新以後の日本の「近代化」は、日本列島から朝鮮半島を経由して、大陸まで到達したのだ。ありし日の日本人にとっては、それはむしろ天命であり、いわゆるその時代の使命感であった。「善意の悪政」や「悪意の善政」などといわれようと、その「同化主義」とは、文明開化時代の一つの理想であり、それを天命として国家、民族の興起とともに、近隣にも無理やりに押し売りしようとした。しかし、私はそれをおせっかいだとは見ない。仮りにそれが相手の意思を尊重していなかった「強制」であったにしても、私は非難しない。そういう時代だったのであり、場合によってはそれが必要だったからである。
朝鮮近代史を語る場合には、普遍的な論理ではなく、一つ一つ個別な史実から論議していかなければならない。少なくとも日本列島と朝鮮半島の問題に関しては、時間のスパンをもっと引き延ばして、李朝朝鮮時代から分断後の朝鮮半島の歴史に至るまでの間で「日帝三十六年」を振り返らなければならない。
朝鮮の歴史を知れば知るほど朝鮮人自身での近代文明化と独立は絶望的であったことが分る。当時の朝鮮人の中でそれを自覚していた者たちが民族の将来を日本に託して日韓併合を望み、日本もそれに応えて朝鮮の近代化に尽力したことを韓国人は知るべきである。
日朝交渉において植民地時代の謝罪と賠償を行うことが当然であるかのごとくマスコミが報じているが、戦後の早い時期、まだ朝鮮の併合前後の状況をよく理解していた人たちが存命であった時代は、韓国・朝鮮人の主張する謝罪と賠償など妄言以外の何物でもなかったのである
これは メッセージ 86651 (toi_et_moi_is さん)への返信です.