美しい国日本
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Re: 醜い国鬼の国ジャップ乙
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/11/12 10:23 投稿番号: [203 / 402]
>ぜんぜん美しくないし(笑)
10日ほど前になろうか、スーパーマーケットの花屋でピンクのバラを買った。350円が1本の値段かと勘違いして、‘花姿の割りにずいぶん高いな‘と思ったら4本一束の値段だった。それらは花弁が反り返るほどに開きながらも今もなお芳香を失わず心を和ませてくれる。オレはこの花を美しいと思いいとおしく感じる。
主観というものは致しかたのないもので、酔っ払いの吐いたゲロや犬のウンチを芳しいと感じる人もいよう。だからオレは君を否定するものではない。
これは メッセージ 198 (likunfaithaugust さん)への返信です.
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うそつき負け犬fukagawatohei (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/11/11 11:42 投稿番号: [202 / 402]
なにやっとんじゃい、はよやらんかい、ボケナス
(怒
>とっくに、やってるだろ〜が
南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
投稿No.25758
投稿者:fukagawatohei
中味をはよ示せ、負け犬
(笑
投稿No.25579〜25758 の間のひとつだろ、ん?
負け犬
(笑
あるか、あん?
ないか、あん?
(笑
こしぬけ!
(大笑
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被爆者に あやまれ、負け犬fukagawatohei!
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/11/11 11:40 投稿番号: [201 / 402]
被爆者二世だと嘘をついて、原爆の悲劇をさんざんネタにした。
本当の被爆者達を何度も何度も傷つけた。
オマイは人非人だ、あやまれ、土下座しておあやまれ!
①>軍隊に入ってからすぐに広島にある「結核患者を専門に治療していた」
陸軍病院に「入院させられた」という事実から、おいらが親父の
結核は持病だったと表現しただけなんですけどね〜。
オマイのおとっちゃんは、どんな病院に入院したんだい?
②>おいらの親父が入院したのは爆心地から1〜1.5kmくらいのところに
あった広島陸軍病院だよ。
結核患者が必ずしも、結核専門の病院に入れられるとは限らないんだよ。
オマイのおとっちゃんは、どんな病院に入院したんだい?
こんなデタラメを何年間も書きやがって
(怒
負け犬fukagawatohei、あやまれ!
被爆者達に、土下座して、あやまれ!
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Re: オーストラリアという国 - 横
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/11/11 10:15 投稿番号: [200 / 402]
>これ、知らないかい〜?>
これご存知ではないですか?
↓
(日経11/7/2008)
「欧州の戦場での連合軍捕虜の死亡率は4%だったのに、太平洋の
戦場では27%だった」
これは メッセージ 196 (konoyo_anoyo さん)への返信です.
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Re: 醜い国鬼の国ジャップ乙
投稿者: neskafelife 投稿日時: 2008/11/10 14:38 投稿番号: [199 / 402]
おまえの母国は?ぷw
これは メッセージ 198 (likunfaithaugust さん)への返信です.
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醜い国鬼の国ジャップ乙
投稿者: likunfaithaugust 投稿日時: 2008/11/06 17:31 投稿番号: [198 / 402]
ぜんぜん美しくないし(笑)
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オーストラリアという国 4 捕虜について
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/11/06 17:17 投稿番号: [197 / 402]
さて戦時国際法に反した投降兵処刑だとオーストラリア人は今も批判するが、処刑した捕虜のほかに、日本軍は半島先端のジョホール・バルに到着するまで8,000人近くの連合軍捕虜を抱えさせられている。彼らはシンガポール陥落後生きて収容所に送られる。
日本軍は遠征軍である。余分な人手などない。しかも前項に書いたとおり橋梁を施設しながらの急進軍である。8,000人の捕虜は大いに足手まといになっただろう。(ここだけの話だが、捕虜が中国兵だったら皆殺しにしたかもしれない。物事は相対的なものだから。)
翻って連合国軍が捕獲した日本兵の捕虜はどう扱われたのか。退却戦とはいえ、連合軍は日本の戦車大隊を全滅させ、近衛隊に大損害を与える善戦を繰り返している。若干の捕虜が出ないはずがない。その日本兵捕虜は連合軍退却の足手まといになったのか。
オーストラリア人が書き、2005年に日本で上梓された「将軍はなぜ殺されたか」という本がある。(イアン・ウォード
原書房)
その中にこういう記述がある。
<否定できない事実は、マレー作戦の中で最も激しかった四日間と半日の戦闘のあと、オーストラリア軍は一人も捕虜をとらなかったということだ。白兵戦により日本軍は二千人の死者を出し、ほとんどは近衛師団だった。もう一つの否定できない事実は、戦闘の状況からして、オーストラリア部隊は日本の負傷した兵士をその場で殺したことだ。さらに、命令ではないにしても、捕虜をとらず負傷兵をそのままにしないというのは、少なくとも一般的な了解事だった。>p218−9
これはいったいどういうことだろう。連合軍はたった一人の日本兵捕虜も取らず、負傷して戦意を失った日本兵にトドメの銃弾を数発撃ちこんで退却したということか!
方や敵軍(日本軍)は8,000人の連合軍捕虜を連れている。
‘お前らはわれわれ連合軍の捕虜の面倒を見ろ、それで追撃戦の足手まといになるはずだ。それに比べて俺たちは日本兵を捕虜にしない。迅速に撤退するのに邪魔だからな。俺たち先進国民は合理的なんだ。‘と弁を立てるのか。
これはビサンチンの皇帝がやった、99%の全盲の降伏兵を敵方に送り返したのと同じ意味を持つ狡知きわまる戦術ではないか。
しかもそこには日露戦争と第1次世界大戦時捕虜になったロシア兵、ドイツ兵が日本にどう扱われたかということが、連合軍兵士の、ある意味保険のような
知識になっていたことは疑いを入れないだろう。進んで捕虜になった兵士もいたはずだ。
方や連合軍は「(日本兵)捕虜は捕らず」と、1人残らず止めを刺して退却した。戦術上「合理的」であると。
こう分析すると、彼らが日本軍の「処刑」を責めるのは欺瞞、あるいは傲慢に過ぎるといえるのではないか。そしてその言葉に動揺する日本の善男善女という図式はほとんど喜劇であろう。
一枚ページをめくればさまざまな醜い事実がある。1人でも多くの日本人が2ページ目3ページ目のリアルに目を通してもらいたいと願ってはいるが。
とまれ、戦争とは殺し合いである。生物の生物たる究極の目的は子孫の継続であり、全有機物はすべてこの大法則に則っている。
戦場の敵というのはその大法則、子孫継続ための必須条件、「命」を絶とうと襲い掛かってくる許されざる生物、そしてとてつもない恐怖なのである。
大砲で四肢は無残に引きちぎれ、機銃で頭を粉砕されて一瞬のうちに物言わぬ物体と化す戦友、さらに敵は銃剣をきらめかせ、この身を生きたまま切り裂こうと襲い掛かってくる。その敵に慈悲の心を持って接っせよというのは本能に反しているのである。
南京城攻略の折、それまで殺し合っていた中国隊がぞろぞろと白旗を揚げて出て来たとき「隊長の制止もものかわ、兵士たちはやってしまえ、とばかりに、こぞって支那兵に切りかかった」という記述が残されている。
これも陸戦協定に立派に違反している。捕虜の虐殺だ。この批判は甘んじて受けよう。しかし、こうした事象は戦場において起こりえること、タバコに火をつければ煙が出るのと同じように避けがたいものなのである。しかしながら問題となるのはその数と方法であるが、それならば大いに他国と比較検証すればいい。結果、ソ連やドイツや中国より、日本軍の捕虜の扱いがひどかったことが立証されれば非難も甘んじて受けようものを。
これは メッセージ 193 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: オーストラリアという国 カウラ収容所
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/11/01 21:36 投稿番号: [196 / 402]
これは メッセージ 194 (todorigafuti さん)への返信です.
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Re: オーストラリアという国 カウラ収容所
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/11/01 18:38 投稿番号: [195 / 402]
オーストラリアは日本兵捕虜を人道的に扱ったと言いたいの?
>日本兵が約800名ほど収容されていた、傷病者は手厚く看病され
回復に向かい
多くの捕虜達は
野球をやったり
音楽を聴いたりしながら
終戦まで
この地で生き延びることを望んでいた
そうでつかね。
会田雄次氏の名書「アーロン収容所」(中公文庫)にこうあるが。
<その中でも豪州兵は目立って程度が悪かった。その兵舎で膝をついて雑巾がけしていると、いきなり私の額でタバコの火を消されたことがあった。くそっと思ってにらみつけると平気な顔で新聞を読んでいる。激しい憎悪がその横顔に浮かんでいる。ドスンと目の前に腰をおろし、その拍子のようにして靴先でいやというほどあごを蹴り上げられたこともある。私をひざまずかせ、足かけ台の代わりにして足をのせ、一時間も辛抱させられたこともあった。
ある日K班長が、青ざめ、顔をひきつらせて豪州兵の兵舎作業から帰ってきた。聞くとかれは、豪州兵の便所で小便をしていると、入ってきた兵士にどなられ、ひざまずかせて口をあけさせられ、顔に小便をかけられたという。日本兵は便器でしかないという表示である。そのすこし前に配達された妻からの便りを手にしていなかったら、このおとなしい兵隊は、死刑覚悟でその豪州兵を殺していたかもしれないほどの形相であった。>P79−71
もう少しオーストラリアについて書いてみよう。次回をお楽しみに。
これは メッセージ 194 (todorigafuti さん)への返信です.
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Re: オーストラリアという国 カウラ収容所
投稿者: todorigafuti 投稿日時: 2008/11/01 08:47 投稿番号: [194 / 402]
オーストラリアのカウラ収容所。
先の大戦で捕虜となった日本兵
ドイツ兵
イタリア兵が収容されていた捕虜収容所
終戦間際にシンガポール
マニラ
インドネシア
ベトナム周辺で捕虜となった最下層の日本兵が約800名ほど収容されていた、傷病者は手厚く看病され
回復に向かい
多くの捕虜達は
野球をやったり
音楽を聴いたりしながら
終戦まで
この地で生き延びることを望んでいた
しかし
全員が本名を名乗ることはなかった。そこへ新たに4〜5百名の日本兵捕虜が収容され、その中に階級を偽った日本兵が多数混在していた。彼らは日本軍人は敵の弾に当たって死ぬのが本懐と日本兵捕虜を集め
脱獄を計画し
投票でその計画実行を遂行する。
重病者には
逃げれないと思う者は自決せよ
と35名の重病者は自ら頸を括った。
その夜
一斉に脱獄計画が実行され、ほとんどの日本兵は撃ち殺された。オーストラリア兵も4〜5名死亡してる。
スイス外務省を通じて日本国政府にカウラ収容所日本兵捕虜の問い合わせをオーストラリア政府はしたが
日本外務省は日本兵捕虜は存在しない
捕虜になる前に死ぬのが日本兵だと告げた。
この収容所で犠牲となった日本兵の墓を戦後20年間守り続けたのはオーストラリア在郷軍人会の退役軍人たちだった
日本政府は戦後20年経って初めて
日本兵捕虜を認めた。
過日
NHKで
放映された
カウラ収容所
日本兵捕虜の証言
今年の夏には
日本軍と阿片
って番組も放映されましたな。
東条英機
板垣征四郎らによる
中国農民100万人強制労働によるケシ栽培
阿片の製造
そして日本国政府による阿片の専売
中国民衆に販売
その販売益を元に侵略戦争を遂行していたという
歴史的事実を
放映してましたよ。
これは メッセージ 191 (konoyo_anoyo さん)への返信です.
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オーストラリアという国 3 捕虜について
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/10/30 08:22 投稿番号: [193 / 402]
捕虜という境遇は人間が集団闘争を始めた頃より存在したと思われる。エネルギー源を人力に頼った長い期間、戦争捕虜は、程度の差はともあれ奴隷身分に落とされるか殺害されただろう。
エジプト、ルクソールの遺跡のある会堂の壁に、エジプト兵に捕獲されたリビア兵が列をなして舌を切り取られ、その舌の小山が幾つも描かれたレリーフがあった。紀元前のことだ。
ローマ帝国の捕虜は公衆の前でトラの餌にされた。
中世、中米のマヤ族は生きている捕虜の心臓を取り出していた。
さらに考えさせられる捕虜の扱いは中世以前、ビサンチン帝国時代にあった。ある皇帝は長年の敵国と合戦を行い大勝して数万という捕虜を得る。帝国はその捕虜の両眼を潰し盲目にした。ただし100人目は片目だけ残した。99人の全盲と1人の隻眼捕虜の製造、これを捕虜全員に繰り返した。そして全盲にされた99%の者たちを片目だけで済んだ1%の同胞に手を引かせて国に帰した。
・・・なんという狡知!
万を数える全盲の味方兵を受け入れざるを得ないその敵国はどのようなケアを敗残兵に施したのか、施さねばならなかったのか。その負担は・・・、恐れ入ったという他ない。
そして近代の戦争では、スターリングラードの戦いで9万人のドイツ兵がソ連軍に捕虜になったが、帰還できたのはわずか5,000名だ。
これは相対的な数字といえる。ドイツ軍における英軍捕虜の生還率96%に比べソ連兵は44%なのだ。半分以上は死んでいる。しかしスラブ人の野蛮はジャーマンをあっさり越える。スターリングラードのドイツ兵捕虜については生還率6%に満たない。
しかも、その死までの報復はむごいものだったと想像される。
ちなみにロシア・ソ連に「捕虜」とされたシベリア不正抑留の日本兵生還率は90%。
日本軍に捕虜になったオースト兵の生還率は66%。米軍58%に比べて低いとはいえないがオースト人はここも責める。
では、西部戦線で民主国家、米英仏に捕虜になったドイツ兵はどう扱われたか、彼らはソ連人に捕虜になるよりはと、選択して連合軍に捕虜になったものが多数いたが・・・。
消えた百万人
ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
93年初版
ジェームス・バクー
著
申橋昭
訳
光人社
「西部戦線で捕虜になった約900万人のうち、1年もしないうちに約100万人が連合軍(主にアメリカ軍)の過酷な取り扱いにより餓死や伝染病で記録上から消えた」
「野ざらしで雨を遮るテントもない『捕虜収容所』。食料はほとんど支給されない。赤痢で1日に数百人が死んでトラックで運び出される。時たま連合軍兵士がジープで乗り込んで、機関銃を連射しながら、適当に捕虜達を銃殺していく」
数字の断定は難しいだろうが、この話は以前よりあった。話は脇道になるが、不審なのは、それまで米英VS独の捕虜はそのケアにお互いに気を使っていたに、ドイツ系移民のアイゼンハワー連合軍最高司令官は意図的に独軍捕虜への物資の補給を閉じ、劣悪な環境下でドイツ兵を垂れ死ぬに任せたとされる点だ。事の詳細本質は分からない。しかし、少なくとも、連合軍の絶対的権力者のアイゼンハワーが独軍捕虜に気を使うことが出来たはずだ。ドイツ系移民という一族の歴史は、彼にとってそれほど意味をなさなかったのか、それともユダヤ系の希望だったのか。
さて、マレー作戦における日本軍の戦略目的は、半島戦端に浮かぶ連合軍合同司令部シンガポール島の攻略だ。入念に要塞化され、英国東洋艦隊の本拠地のある半島先端地域へ海からの直接上陸は至難だ。ために日本軍は1,100キロ離れたタイ国境付近に奇襲上陸する。いくつか設けられた堅固な要塞を突破し日本軍はシンガポールを目指し急ぎに急ぐ。行路は半島両岸の一本道。要塞を突破された連合軍は戦いつつ2百数十ある橋梁を壊しながら退却する。仮橋を設けてゴリ押しに進軍する。仮橋といっても戦車を通さなければならないので、それなりの時間がかかる。(ウィキに連合軍が橋を破壊している写真が掲載されているが、鉄骨で通路はコンクリート敷きだ。)
遅れれば連合軍による半島北側の防衛体制が強化され、それは蘭領インドネシアの資源獲得作戦が挫折することを意味する。日本軍にとって必須の戦略物質ばかりだ。
しかも戦車第1連隊がオーストラリア第8軍に壊滅させられるという一幕もあった。近衛連隊の大敗北の前だ。敵も勇敢だった。激戦だったのである。兵士や指揮官の気も立っている。連合軍捕虜二百数十人の処刑はそうした状況下で行われた。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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オーストラリアという国 2
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/10/23 10:25 投稿番号: [192 / 402]
彼らの「栄えある」白豪主義は、第2次対戦中同盟米軍の黒人兵の上陸を拒否すると言う珍事も起こした。
そんな彼らがどう先住民を扱ったか・・
護送されてきた彼らは軽犯罪者といっても、無教養で粗暴で犯罪予備軍としての資質を充分持っていた。そういわれても仕方がないほど彼ら流刑植民者は、人類史上類例のない悪行をこの地で成した。
この不毛の大陸に人類の生息できる地域は少ない。入植者は本拠地を森と水のある、現在のシドニー、メルボルンに拠った。当然そこにはアボリジニの各集団が先住していた。摩擦は必然だ。摩擦といっても銃とブーメランである。一方的な殺戮といっていいだろう。
また現地総督府は組織的な現住人種絶滅政策を遂行した。1830年、オーストラリア総督府は2000人の兵士と巨大な費用を投じてタスマニア原住民を狩った。タスマニア原住民はオーストラリア本土人と元々同人種だが、1万年ほど前の海面上昇により本土から隔離され、しかし豊かな森の恵みで生き残り、文化的進化から取り残された人類学的に稀有な集団だった。
そんな彼らを総督府の兵は追廻し、追い詰め、首を狩り、1万人いたと思われる原住民は300人ほどになった。残りは随時「捕獲」され絶滅収容所に隔離された。1847年の統計で生存純血種は47人、1876年ついに純血種は絶滅した。
しかも、入植者はその後も飽くことなく先住民を追い掛け回し殺すだけの狩猟の対象にしたのだ。文字通りのハンティングであった。
彼らの残した日記に、「今日はホリディ、ハントに行き4人をしとめた」と書かれ、「樽には生首が詰められ、そんな樽が幾つもあった」などとの聞き書きが残っている。これは20世紀に入ってからの話である。
そんな豪軍と日本軍とは第二次大戦で邂逅する。マレー半島、シンガポール攻略にオーストラリア兵はかなり勇敢に戦った。しかし戦闘の末降伏した連合軍は13万人にのぼり、そのうち豪兵は1割強の15000人を数えた。
捕虜をめぐって日豪は、ボルネオ島における「死の行進」や豪本土カウラ収容所での集団脱走に語られるように、陰惨で救いがない戦史外伝を刻す。
そう、戦後今に至るまで批判の対象となっている大きな要因の一つは日本軍による連合国捕虜の扱いである。
アメリカは「バターン死の行進」を、英国人は泰緬鉄道建設言い、オランダ人はインドネシアの獄につながれた4年弱の「屈辱」と白馬事件を言う。さらにアジアの裏切り者中国は南京大虐殺を言い立て「大屠殺記念館」を建てまくっている。ついでというか、おまけというか、便乗韓国は逮捕された「抗日烈士」を拷問、虐殺したと言い出すしまつ。
これが世代を超えて60年間言い募られ続け、「日本軍は類稀なる残虐戦争犯罪を遂行した」とされた。ついには「ナチスのユダヤ人虐殺と同列の「事実」となりつつある。
嘆息するしかないが、やるべきことをしなかった日本の政治家、煽ったマスコミ、左翼人は万死に価し、われわれ一般人の無関心と怠惰は、後世に対する大罪であろう。
オーストラリア人も日本軍の捕虜の扱いについて非難する。
大戦を通じて日本軍の捕虜になったオーストラリア人は22000人、うち生還できたのは15000人ほど、約3分の1が死亡したとされる。別に数字に疑問はないが、多少掘り下げる必要がある。
彼らが特に言うのは、日本の近衛連隊がマレー半島制圧時、パリットスロンの戦闘で捕虜になった連合軍捕虜2百数十人の殺害だ。うち百十人ほどが豪兵だという。これは近衛師団長じきじきの命令で成されたものである。もちろん戦時国際法違反である。連隊長が百も承知で国際法を破ったのは、この激戦で近衛歩兵大隊がほぼ殲滅されて頭に来たからだろう。長たるものの資質というしかないが、それでもこれらの戦闘の「生存捕虜」は7,800人に上ったのだ。
無駄な戦闘を続けるより降伏されたほうが勝者の犠牲も少なくて住むという利点はあるが、あくまでも時と場合によりけりである。
ちょっと横道にそれる嫌いはあるが、次は捕虜について考えてみたい。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: オーストラリアという国
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/10/17 22:27 投稿番号: [191 / 402]
オーストラリアの原住民、アポリジーニを狩猟の対象にしたイギリス人。
この事は歴史に残して欲しいものですね〜。
イエスキリストの名に於いて、欧米人は都合の良い解釈をしながら未開の地を侵略して行った。
これは、声を大にして日本国は行動して欲しいと思う今日この頃。
これは メッセージ 190 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: オーストラリアという国
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/10/17 12:03 投稿番号: [190 / 402]
ちょっと訂正。最後の行が落ちてた。
人類はアフリカにおいて発祥したとされ、やがて地球全般に無制限に広がり、さまざまな条件の下居住地を決めていった。もちろん先住者が安住できるという保証はない。次から次へとやってくる放浪者をあるいは撃退、あるいは駆逐され、延々とその歴史は繰り返された。現在はその途中経過に過ぎないのだろう。
いま人類は南極を除く他の5大陸に居住している。日本中心の世界地図を広げてみると、その北辺を覆うようにユーラシア大陸がかぶさり、アフリカ、アメリカの大陸塊が左右の端から舞台カーテンのように垂れ下がって、南太平洋・インド洋を上から挟みこんでいる。この4大陸はほとんど地続きで一体と言っていい。
そしてその大洋の中央にオーストラリア大陸が鎮座する。大陸というにはいささか小さく、また先の四大陸とは地理的に大きく隔絶、している。
東西のアメリカ、アフリカ大陸には大洋で隔てられ、南方は南極大陸、北方は有色人種でイスラム教を信奉する「敵性人種」が数億という人口を成して、豪人の頭を押えている。ちなみに豪州の人口は2000万だ。
オーストラリアと名付けられたこの陸塊は、コーカソイドが居住しているという意味においてなお一層孤独なのである。
この大陸はテーブルを水に浮かべたように平ったい。山が少なく、当然川も少ない。川から養分が流れ込まないので魚も少ない。
おまけに内陸の大半は砂漠である。
「恐るべき空白、死のオーストラリア縦断
(アラン・ムーアヘッド
木下秀夫訳、早川書房)」
今も売っているかどうか、上記の本は大陸縦断を試み遭難した探検隊員の残した日誌を基に書かれている。
歩けども、そして歩けども平坦で灼熱の大地が延々と続き、目標とする山や大岩などは見当たらない。(なぜか日誌ではエアーズロックのことが書かれていなかった)
越える山も渡る川もなく、潅木や石の平原が広がるだけの無味乾燥、灼熱の大荒野である。どうにも映画「アラビアのロレンス」のアカバ砂漠横断のような、過酷ながらも砂丘が織り成す造詣の美や情緒もないようだ。現在のオーストラリア観光も、広大な内陸部の見所は、これもダサイ造形のエアーズ・ロック1ヶ所のみというさみしさ。
豪人の出自は言うまでもない、その多くはブリテン島からの流刑者を先祖にもつ。ただし、この囚人たちは「正規」の犯罪者ばかりというわけではなく、イギリス本土での産業革命にあぶれた寒村の農民が職を求めて都会にあふれ、パン一切れ盗んだほどの罪で、またはまったくの無実でも容赦なく流刑地に送り込まれたものだ。日本の江戸時代における無宿人狩りを想像すればいいだろう。
日本の無宿者は佐渡金山なんかで過酷な労働に従事させられたが、大英帝国のオーストラリアに対する関心は開拓植民であった。関心といっても、当時の大英帝国はアフリカ、アジア、南北アメリカなど各所に膨大な植民地を抱え、各所でフランスやスペインなどと戦争状態にあった。
したがって香辛料も獲れない遠隔地のオーストラリアに対する関心は、ひどく薄いものだった。ま、勝手に自活しろ、といったところか。
いっぽう、オーストラリアは建国以来、英米がからむ戦争には実に積極的に参加している。
第一次大戦では当時の豪の人口は500万人にしか過ぎないのに、ニュージーランドと義勇軍(アンザック)を組んで40万人が参加した。
その時起きたガリポリの悲劇はW・チャーチルへの怨念となり、今も豪人の心奥によどむ。
ちなみにアンザック兵をオーストラリアからエジプトに運ぶ輸送船の護衛を、日英同盟の下、日本海軍が受け持った。
続く第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争と、オーストラリアは西側の一員としてかいがいしく参戦し、西洋文化圏として認められるべく今も血を流し続けている。その図はまるで甘えたい継子・冷たい継母のようで哀れを誘う。イギリス本土はもちろん、アメリカ、カナダ、南アフリカ、ニュージーランドなど、大英帝国の白人新国家のうちで、意識的差別の最下位に置かれているのがオーストラリアで、彼らもそれを理解している。
そんな彼らが19世紀末から「白豪主義」なるものを国是とする。
与えられた差別が強ければ、その反作用としてそれ以上の差別の対象を見つけなければ精神の安定が保てない動物なのだろうか、人間とは。
彼らの「栄えある」白豪主義は、第2次対戦中同盟米軍の黒人兵の上陸を拒否すると言う珍事を起こす。
これは メッセージ 189 (hendazo04 さん)への返信です.
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オーストラリアという国
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/10/16 11:58 投稿番号: [189 / 402]
人類はアフリカにおいて発祥したとされ、やがて地球全般に無制限に広がり、さまざまな条件の下居住地を決めていった。もちろん先住者が安住できるという保証はない。次から次へとやってくる放浪者をあるいは撃退、あるいは駆逐され、延々とその歴史は繰り返された。現在はその途中経過に過ぎないのだろう。
いま人類は南極を除く他の5大陸に居住している。日本中心の世界地図を広げてみると、その北辺を覆うようにユーラシア大陸がかぶさり、アフリカ、アメリカの大陸塊が左右の端から舞台カーテンのように垂れ下がって、南太平洋・インド洋を上から挟みこんでいる。この4大陸はほとんど地続きで一体と言っていい。
そしてその大洋の中央にオーストラリア大陸が鎮座する。大陸というにはいささか小さく、また先の四大陸とは地理的に大きく隔絶、している。
東西のアメリカ、アフリカ大陸には大洋で隔てられ、南方は南極大陸、北方は有色人種でイスラム教を信奉する「敵性人種」が数億という人口を成して、豪人の頭を押えている。ちなみに豪州の人口は2000万だ。
オーストラリアと名付けられたこの陸塊は、コーカソイドが居住しているという意味においてなお一層孤独なのである。
この大陸はテーブルを水に浮かべたように平ったい。山が少なく、当然川も少ない。川から養分が流れ込まないので魚も少ない。
おまけに内陸の大半は砂漠である。
「恐るべき空白、死のオーストラリア縦断
(アラン・ムーアヘッド
木下秀夫訳、早川書房)」
今も売っているかどうか、上記の本は大陸縦断を試み遭難した探検隊員の残した日誌を基に書かれている。
歩けども、そして歩けども平坦で灼熱の大地が延々と続き、目標とする山や大岩などは見当たらない。(なぜか日誌ではエアーズロックのことが書かれていなかった)
越える山も渡る川もなく、潅木や石の平原が広がるだけの無味乾燥、灼熱の大荒野である。どうにも映画「アラビアのロレンス」のアカバ砂漠横断のような、過酷ながらも砂丘が織り成す造詣の美や情緒もないようだ。現在のオーストラリア観光も、広大な内陸部の見所は、これもダサイ造形のエアーズ・ロック1ヶ所のみというさみしさ。
豪人の出自は言うまでもない、その多くはブリテン島からの流刑者を先祖にもつ。18世紀の末、英国はアメリカの独立によって従来の囚人流刑地を喪失し、その代わりをなお遠地である豪州に決めた。ただし、この囚人たちは「正規」の犯罪者ばかりというわけではなく、イギリス本土での産業革命にあぶれた寒村の農民が職を求めて都会にあふれ、パン一切れ盗んだほどの罪で、またはまったくの無実でも容赦なく流刑地に送り込まれたものだ。日本の江戸時代における無宿人狩りを想像すればいいだろう。
日本の無宿者は佐渡金山なんかで過酷な労働に従事させられたが、大英帝国のオーストラリアに対する関心は開拓植民であった。関心といっても、当時の大英帝国はアフリカ、アジア、南北アメリカなど各所に膨大な植民地を抱え、各所でフランスやスペインなどと戦争状態にあった。
したがって香辛料も獲れない遠隔地のオーストラリアに対する関心は、ひどく薄いものだった。ま、勝手に自活しろ、といったところか。
いっぽう、オーストラリアは建国以来、英米がからむ戦争には実に積極的に参加している。
第一次大戦では当時の豪の人口は500万人にしか過ぎないのに、ニュージーランドと義勇軍(アンザック)を組んで40万人が参加した。
その時起きたガリポリの悲劇はW・チャーチルへの怨念となり、今も豪人の心奥によどむ。
ちなみにアンザック兵をオーストラリアからエジプトに運ぶ輸送船の護衛を、日英同盟の下、日本海軍が受け持った。
続く第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争と、オーストラリアは西側の一員としてかいがいしく参戦し、西洋文化圏として認められるべく今も血を流し続けている。その図はまるで甘えたい継子・冷たい継母のようで哀れを誘う。イギリス本土はもちろん、アメリカ、カナダ、南アフリカ、ニュージーランドなど、大英帝国の白人新国家のうちで、意識的差別の最下位に置かれているのがオーストラリアで、彼らもそれを理解している。
そんな彼らが19世紀末から「白豪主義」なるものを国是とする。
与えられた差別が強ければ、その反作用としてそれ以上の差別の対象を見つけなければ精神の安定が保てない動物なのだろうか、人間とは。
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※
投稿者: agtmajpdwjgadw 投稿日時: 2008/10/12 04:27 投稿番号: [188 / 402]
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Re: もう少しオランダという国
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/10/04 18:50 投稿番号: [187 / 402]
オランダと言う国だけでなく、西欧の国々も本当に正義が有ったかと言えば、全く無いと思いますね〜。
彼等は、東南アジアを植民地化しその地に住む人々を正に動物扱い。
日本は西欧に対しても、毅然として対応致しましょう。
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age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/28 20:26 投稿番号: [186 / 402]
秋は食い物が美味くて太る。
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変見自在より
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/27 02:13 投稿番号: [185 / 402]
江戸芸人の予言
オランダは変わらなかった
江戸時代末に欧米を巡業して歩いた高野廣八の曲芸師一座の話を以前、この欄で紹介した。
屈託などどこかに置き忘れたような廣八は興行が終わると、「女郎買いに参り候」。米国ではホワイトハウスに招かれ、時のA・ジョンソン大統領と握手もするが、その晩にはもう娼館に駆け込んでその様子がどうの、大統領接見の三倍ぐらいの分量を日記に書きつづっている。
欧州に渡っても同じだったが、ただ一国、例外があった。オランダである。理由は書いていないけれど、この国の印象を彼はこう書く。「家作わるく、人わるし。国も同じく悪しく…」
ハーグではこの道中でただ一度の喧嘩もし、刀を抜いてオランダ人相手に大立ち回りを演じてもいる。飾り窓をのぞく気分にもならないほど、腹に据えかねる何かがあったことは十分うかがえる。
オランダ人の有色人種に対するにもおなじだ。スマトラのたばこ農場の様子を記録した「レムレフ報告書」には現地人を米国の黒人奴隷と同じように取り扱い、「鞭打ち、平手打ちは当たり前だった」と記録する。
ある農場では「粗相をした二人の女性を裸にして、オランダ人農場主がベルトで鞭打ち、さらに裂けた傷口や局部に唐辛子粉をすり込んで木の杭に縛り付けて見せしめにした」。
刑務所で過酷な労役を課せられる囚人が、「オランダ人の農場より食べ物がいいから」と出所を拒んだ例も伝えている。有色人種は家畜よりひどい存在だった。
オランダ出身のフランクリン・ルーズベルトもそういう意識が強かった、とニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国あてに書き送っている。
大統領がこのとき打ち明けたのは「劣等アジア人種」を牛や豚のように品種改良しようという計画で、「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる、というのがルーズベルト大統領の考えだった」
アメリカはいわゆるハル・ノートを出し、米国にある日本資産を凍結する。オランダもそっくりならって蘭領東インドの日本人資産を凍結、約六千人の在留邦人を追い出した。
その結果が五カ月後の太平洋戦争になる。そして戦争が終わった後、オランダ人は抑留中に「平手打ち」と「粗食」を食わせた旧日本軍兵士の裁判を行い、連合国の中では最多の二百二十四人を処刑した。なぜ、その程度の罪で極刑を宣告したのかというと、平手打ちも粗食もともにオランダ人が現地の人々に与えたもので、それを日本人から与えられた屈辱の報復といわれる。
またオランダ政府も戦時賠償金を日本政府に要求、日蘭議定書で多額の金銭賠償を取った。
インドネシア側はこの条件をのんでやっと独立が認められた。
それから五十年たって、オランダ政府は日本軍が戦時中、オランダ人の資産を奪った疑いがあるとして調査を行った。今月十七日に発表された結果はシロだった。でも戦前、日本人資産を凍結の名で取り上げたことは調査の対象から外していた。
抑留者グループたちもまだ屈辱感が晴れないのか、その賠償を求める裁判を起こしている。
また、二十五日付のオランダ紙は五月に訪問を予定される天皇陛下に「謝罪を挨拶に入れるよう政府特使を派遣した」と伝える。
「人わるし、国同じく悪し」と廣八は書いた。昔の人はモノを見る目があった。
高山正之
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もう少しオランダという国
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/27 01:43 投稿番号: [184 / 402]
ちなみにオランダがインドネシアから撤退する条件とした60億ドルは、共和国独立承認後にスカルノ政権がこの要求をきっぱり御破算とした。独立してしまえばこっちのもの、このくらいの『不誠実=二枚舌』は国際政治の潤滑油でさえあろう。
言うまでもないがスカルノやハッタは政治犯としてオランダ人に牢につながれていたものを日本軍が進駐後直ちに開放した独立の闘士だ。
オランダの日本に対する『賠償』は、国土が焦土と化した日本にその能力がないとみられ、また第1次欧州大戦後のドイツに対する苛酷な取立てがヒトラーを生み出したとの反省から、連合国側は金額での賠償を大方放棄する。オランダも従わざるを得ないが、これが彼らに我慢が出来ない。別個に『日蘭議定書』という2国間協定を締結し、日本は『見舞金』名目で1000万ドル(現在の価値で1400億円ほど)を支払い「決着」する。
その第三条には、「オランダ王国政府は、同政府又はオランダ国民が第二次世界大戦の間に、日本国政府の機関が{オランダ国民}に与えた苦痛について、いかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことを確認する」と明記されている。
であるのに1990年、オランダで対日道義的債務基金(JES)なる組織が結成され、{個人補償}は別だと、日本政府に対して法的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を求める運動がはじまった。これに対し森政権は正論を持って反論せず、「国民的な償いの気持ちをあらわすために」として2億5500万円を支払った。習い性となった日本政府の手管である。政党も長年安泰が続けば他の組織と同様官僚主義的になる。
しかし、吝嗇な国民性をむしろ誇る文化を持つオランダは、事をこれで収めるつもりはないのである。
2007年、第2次大戦中の従軍慰安婦問題でオランダ下院本会議は9日までに、
日本政府の対応を非難し、元慰安婦の女性らへの謝罪、賠償などを求める決議案を全会一致で採択した。
決議は、日本政府に
(1)従軍慰安婦問題の全責任を認め、謝罪すること
(2)元慰安婦女性に損害賠償を行うこと−などを求めた。
このようにしつこく、しつこく西洋乞食のごとく償いを要求するオランダは、350年間も虐げ搾取したインドネシアに対してはどう振舞ったか。
1995年、オランダ女王がインドネシアを訪問した際、謝罪をするどころか「植民地支配は互恵的であった」とのスピーチをなして、インドネシア人民を大いに憤慨させたのである。
これを忘れないインドネシアのマスコミは2005年の独立記念日にオランダ外相を迎えるにあたって、次のような意見を載せた。
「日本政府は、1958年に賠償と援助で8億ドルを出してくれた。ハッタ副大統領は“日本軍はインドネシア独立の恩人だから、賠償という名称は不適当だ。独立達成を記念する祝賀金として戴く”と言っていた。日本政府が3年半の占領の分として8億ドル払ってくれたのだから、オランダは350年分の賠償として800億ドル支払うべきだ。それに独立戦争の死者は80万人だから、一人当たりの補償金を1万ドルとすれば80億ドル、10万ドルとすれば800億ドルになる。つまり、オランダは最低1600億ドルぐらいは支払うべきである。その前に、まず女王に謝罪してもらいたい。」
しかしインドネシアを公式訪問したオランダ外相のステートメントは、終戦=1945年以後の再侵略行為に対しては遺憾の意を表明したが、それ以前の350年間については、『未開人に西洋文化の恩恵を施した』という女王以下オランダ国民の総意から一歩も踏み出すものではなかった。
余談だが、彼らオランダ人の国民性は数ある西洋諸国の中でも際立って日本人のそれと相違がある。
オランダ人の有機的な人間関係を拒否した合理性は実に楽しくない。ダッチアカウントというのは自分の食べたものだけ払うという行為で、日本人の割り勘とは違う。気軽におごってやると、『下心』を探られることになる。
加えて、ダッチワイフという世界語もある。「飾り窓の女」というフレーズからわれらが抱く情景は、所詮詩人の旅情が紡いだ幻想としか思えない。彼女たちとのひと時はあくまでも合理的で無機的で、しかしながら最終目的は達成するという、いわゆるダッチワイフなのだろう。
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Re: オランダという国 3
投稿者: jumo0008 投稿日時: 2008/09/24 13:38 投稿番号: [183 / 402]
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あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/24 10:16 投稿番号: [182 / 402]
急に寒くなった。
錦秋が宗谷から南下、徐々に列島を染め敷いていく。
日本の紅葉は金襴緞子、オレは大雪山、層雲峡、定山渓(以上北海道)、奥入瀬ー十和田湖、鳴子峡(以上東北)、奥多摩、日光、高尾山、長瀞峡、養老渓谷(関東)、寸又峡(東海)、安芸の宮島、霧島(九州)など、紅葉を追っかけた。
日本人に生まれた快、ここにもあり。
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オランダという国 3
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/20 13:39 投稿番号: [181 / 402]
実際にインドネシアで日本軍に抑留されたオランダ人である筆者はこうも書く。
「日本軍抑留所を体験したオランダ人がいまだに耐えがたいとするものは何かというと、自分たちより“劣等の人種”に恥をかかされたということなのだ。他の白色人種にやっつけられたのならまだしも、“非西洋の侵略者”に征服されるとは、これこそ耐えられないことなのである。植民地体制というものは、われわれは“非西洋の”民族より優れているという考え方にあぐらをかいて、優れた者が劣る者を支配するのは当然の権利としている。
ところが自分たちは畏敬の念をもって見られ、劣等のアジア民族に君臨する無敵の支配者だとうぬぼれていた東インドのオランダ軍は、思いがけずもアジア民族にあっけなく粉砕される─8日間持ちこたえただけで、羽根のように吹き飛ばされるという不面目な壊滅ぶりだった。そして突然、自分たちは優等人種だという大いなる自負も偽りと欺瞞でしかなかったというオランダ人の本性がさらけだされる。いまや立場の変わった日本人は、機会あるごとにそれをオランダ人に思い知らせることに余念がなかった。これが現地にいたオランダ人にとって耐え難いことだったのだ。」
しかし、戦機如何ともしがたく、日本は敗戦を受け入れる。
「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」昭和天皇の終戦の詔勅の一節である。
日本軍が降伏した1945年8月15日の二日後の17日、スカルノとハッタは
すかさず独立宣言を行う。18日には、インドネシア共和国憲法を採択し、それぞれ大統領、副大統領に就任した。
しかしイギリスとオランダは植民地の復活を狙い、連合軍が再進駐するまで日本軍に治安の維持を命じる。民族主義者の集会、民族旗の形容を阻止するため武器を持ってインドネシア人に対応せよと命じる。所詮日本人の「心」を知らない奴らなのだ。
インドネシア側は独立戦争に備えるために日本軍が保有している武器が絶対必要であった。今まで日本軍に協力してきたインドネシア人幹部達は、必死に日本軍に支援を訴えた。
応えて、中部ジャワ地区の馬淵逸雄少将は廃兵器処理の許可を得るやそれを拡大解釈しトラック何台分もの武器をチレボン河原に放棄した。待機していたインドネシア側がこれをごっそり手に入れたのは言うまでもない。
こうした日本軍の「作為」でインドネシア側に、小銃3万5千挺、戦車、装甲車、自動車など200台、中小口径砲など多数と、ジャワの日本陸軍の装備の半分以上が手渡された。
意気揚々と「凱旋」してきた英蘭軍はインドネシア共和国軍と地元住民の激しい抵抗に会い面食らう。
日本人に軍訓練を叩き込まれたインドネシア共和国軍はオランダごときにとって手に余る相手になっていた。
最終的に英蘭軍が投入した兵力12万あまり。特にオランダは「奪還」に執着する。ゲリラ戦を含む過酷な戦いは4年半続いた。
「大東亜開放」を旗幟に戦ってきた日本兵のうちでは、あるいは現地に残り、あるいはいったん日本に帰国した後わざわざ舞い戻り、インドネシア共和国軍に合流し、指揮を執り先頭に立って英蘭軍と戦う。その数1000−2000人、内400人ほどが戦死したとされる。
英蘭軍は都市への無差別爆撃も敢行し、80万の戦死者の大半はインドネシア人といわれる。他に1000万人が負傷した。
さすがに見かねた米国がマーシャルプランの打ち切りを持ち出し、オランダはインドネシア植民地を手放すことに渋々同意する。
しかし彼らはいじましいとも言える狡知を発揮する。
インドネシアの独立を許すにあたっては、まずその代償として、インドネシアはオランダに対して60億ドルを支払うこと、オランダ人がインドネシアに所有してきた農場などの土地財産は保全すること、スマトラ油田を開発するのにかかった費用は弁済することなどを条件とした。
大陸という過酷な生存条件の中で生き抜いてきた彼らの面の皮は日本人の想像を絶するほど厚い。硬皮に硬皮が重なってもはや鉄仮面状態になっているのだ。
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age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/19 06:50 投稿番号: [180 / 402]
この大雨で香川、高知の水不足が解消すればいいが。
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オランダという国 2
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/14 17:28 投稿番号: [179 / 402]
それどころか日本進駐軍は現地民に教育を施した。300近い言語をインドネシア語に統一し、州の長官、副長官などに現地人を登用し、州や市の参議会を作って、行政や議会運営を習得させる。さらにインドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成した。これらの人々が後の独立戦争の主役となっていく。
一方捕虜になった13万人のオランダ人は、彼らがインドネシア人のために作った抑留所に入れられるという惨めな境遇に陥る。考えても見てくれ、350年も神の如く君臨し悪魔のように振舞った白鬼たちが今やインドネシア人の監視、号令の下囚人として4年間の抑留所生活を送ったのだ。まさにこのとき正義は為された。
ここまで書いてきてつくづく思うのは、かれら(この場合は大陸人)は自分たちが起こした、平和時の基準では目を覆うような蛮行をすべて敗戦国である日本にかぶせようとしているということだ。われわれの祖父、曾祖父が身の毛も育つような振る舞いを「侵略」したアジア各国で行ったというのだ。中には、日本軍人が中国女闘士の太ももを削って餃子を作って食べたと、われわれには想像もつかないことを堂々とプレートに書いて、中国の抗日記念館に、その女闘士のマネキンと共に展示されている。
日本人なら一笑に付すだろうが外国人が見たらどうだろう。日本政府は是正を求めない。これでいいのだろうか。
やつらは本当に性質が悪い。やつらは真相をわかっていても日本に対して{敗戦国だから認めろ}と迫る。西洋各国の「従軍慰安婦」非難決議が典型だ。たしかに在インドネシアオランダ女性25人が強制的に慰安婦をさせられた。これはある一人の日本将校の愚行だが、陸軍省から抑留所視察に来た小田島大佐にオランダ人捕虜が訴え、即座に当該慰安所4箇所が閉鎖されている。世にいう白馬事件だ。
責任将校は処罰されることはなかったことは不満だが、少なくとも日本軍組織の意思ではなかった。それに関係者は戦後それぞれ死刑を含む重罪に服している。この事件は犯罪者の処罰で終了しているはずである。
ちなみにオランダ人が現地人とどういう風に接していたかは当のオランダ人が書いた「西欧の植民地喪失と日本―オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所」で若干窺うことが出来る。(もちろん生易しいと思うが)それでもオランダ人が現地人を人間と動物の間に位置させていたことが知れる。言葉を恐れずに言えば、25人が慰安糞にされたと騒ぐのは、強盗が侵入しようとした家の屋根で足を滑らせて落っこちて、賠償しろと喚くような感さえある。一節を紹介しよう。
「このため、「われわれオランダ人は、過去四十年間もの長きにわたって日本人に対する不満を延々と述べつづけてきているが、こういった自分たちの悪弊が日本人の振る舞いとはちがっているとでも思っているのだろうか。泰緬およびパカンバル鉄道施設工事の犠牲者数はどうのこうのとか、虐待は云々とか、隅から隅まで調べ上げて、犠牲者名簿や追悼の書を出版したが、自分たちが手を下して殺害したり、虐待して死に追いやったりしたインドネシア人には心を砕くこともなく、彼らの名前は、永遠に誰の知るところでもない。私がひじょうに怒りを覚えるのは、ウィレム・ブランツのように、自分たちの暗黒の過去を知りすぎるほどよく知っていながら、日本軍抑留所(ブランツも私も入っていた抑留所では、オランダ人のしたような戦慄すべき行為はおよそ見られなかった)でひどいあつかいをうけたと激しく怒りたっては、あっぱれな嘘を長年にわたって言いつづけてきた者がいるということである。」
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: ハリケーンはガンで撃退?
投稿者: dainihonteikokubansai 投稿日時: 2008/09/11 15:34 投稿番号: [178 / 402]
バカだね、中国は国民に武器を持たせたら内乱につながるから銃器規制は厳しいのですよ。
昨年は800件の暴動が発生しています。
中には農民による武力蜂起に近しい事件まで多発しています。
これに銃器があったらどうなるか楽しみですね。
中国人もmotaも頭おかしい。
それより将軍様がお倒れになりましたがお見舞いに行かないのですか?
日本産のメロンをお見舞いの品に持っていったら年金をくれるかも知れませんよ。
トウモロコシの芯が買える程度の金額かもしれませんが
これは メッセージ 177 (ooppuutt さん)への返信です.
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Re: ハリケーンはガンで撃退?
投稿者: ooppuutt 投稿日時: 2008/09/09 18:56 投稿番号: [177 / 402]
「なんたってアメリカ」ならではの現象ではある。>>>
バカだね、そんなことを肯定しているとは。
これが中国だとたちまち非難の嵐。
マスコミも日本国民も頭おかしい。
これは メッセージ 172 (hendazo04 さん)への返信です.
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オランダという国
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/09 10:05 投稿番号: [176 / 402]
西欧の片隅にオランダという国がある。キリスト教ご禁制の江戸時代、バテレンの普及をしないことに条件に長崎出島に限って日本との貿易を許された。彼らは日本産出の銅を買い付け大いに儲けた。
いっぽう日本でも現在、コップ、ランドセル、オルゴールなどが日本語として定着しているように、蘭国は当時の最先進国であり、蘭学―洋学による科学・医学の発展は日本の開明に大いに貢献した。また、不世出の大画家ファン・ゴッホが日本の浮世絵から多大な影響を受けたことは有名だ。このように、ヨーロッパ諸国の中では格別に日本と縁のある国といえる。しかし、幕末の日本が、欧米諸国に押し付けられた不平等条約にちゃっかり便乗して一員に加わっている抜け目のない人たちでもある。
現在のオランダ王国は水車にチューリップ、張り巡らされた運河と、飾り窓に妖しげな影を映す女たち、加えてマリファナ吸引喫茶の乱立や麻薬用注射針の政府による無料配布などなど、牧歌と背徳が表裏に存在する魅力的でトンでる国である。
住民のほとんどがジャーマン系、ドイツ民衆に最も近い民族といえる。そこにユダヤ系のマーチャントや宝石商などが居つき、オランダ=低地地方は繁栄する。国としての歴史は浅く独立は17世紀半ばだった。それに先立ってかの国は東インド(インドネシア)に進出、ポルトガルと英国をはじき出し植民地帝国の基礎を築いた。
その香辛料貿易と奴隷労働でオランダ海上帝国と称されるほど繁栄する。
ボルネオ、スマトラ、ジャワ島を擁する東インド地方は豊富な資源に恵まれ、現在2億人を養える大国である。
大東亜戦争当時には同地域は石油を産出し、オランダ王国の前途は洋々たるものであった。
日本が西洋植民地帝国に対して宣戦布告を為したときオランダはすでにヒトラードイツに占領され女王は英国に亡命していた。ABCD包囲網の一翼を担って日本を戦争に引きずり込んだこの小王国は、逃げ込んだイギリスから直ちに我が国に向けて宣戦布告を通告する。
オランダの宣戦布告があろうとなかろうと戦争継続にはインドネシアの石油、ゴムを手に入れるのが必須条件だったので、日本帝国は躊躇わず同地に軍を進めた。
神の鉄槌は日本軍のパラシュート部隊に姿を変えて天から降りてきた。ここに天人共に許されぬオランダ小王国の350年に渡るインドネシア支配は事実上の終止符を打ち、2度と彼らが同地を搾取することはなくなった。
日本軍の進攻は現地民の熱狂的な歓呼を以って迎えられた。
戦闘はわずか8日間、オランダ植民地軍はたいした死傷者も出さず4万人と民間人9万人が両手を挙げて降伏する。
その間日本軍は現地住民の圧倒的な歓迎、サポートを受ける。ある村では日本軍が行進するであろう大路の両側の並木に爆薬をくくりつけ、ころあいを見て点火するように支持していたが、それはそのまま日本軍に報告された。
ある将校は「われわれは住民の歓呼の声に迎えられている。この人がたの期待に日本は応えなければならないという思いがふつふつとわいてくる。決して支那の二の舞に陥ってはならない」と感動を隠しきれずに綴っている。
インドネシアがオランダの植民地となったのは1605年、それ以
来3世紀半にわたって人口比わずか0,5%のオランダ人が同地域の全生
産額の65%を独占するという収奪が続いていた。強制的作物転換のためにインドネシアはたびたび飢饉を演出し多くの餓死者を出した。これは研究書のすべてに記載されている事実である。日本軍がベトナムで米を収奪し飢饉を起こしたなどと言う、為にする話とは違う。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: 美しい国日本
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/08 10:52 投稿番号: [175 / 402]
夏風邪か。
咳が止まらん、胸が痛い。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: 美しい国日本
投稿者: mmmb8642 投稿日時: 2008/09/08 07:21 投稿番号: [174 / 402]
あげ
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: 美しい国日本
投稿者: eggusandot 投稿日時: 2008/09/01 15:25 投稿番号: [173 / 402]
チョンとチンの居ない国。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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ハリケーンはガンで撃退?
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/09/01 15:14 投稿番号: [172 / 402]
ニューオリンズでは銃器類が通常の4倍売れているという。ハリケーングスタブに備えたものだ。
もちろんハリケーンに向かってぶっ放すわけじゃない。便乗略奪に応対するもの。
「なんたってアメリカ」ならではの現象ではある。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/29 09:50 投稿番号: [171 / 402]
また底にいった。
はやい!
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: 美しい国日本
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/25 22:01 投稿番号: [170 / 402]
わー、底を舐めるとこだった。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/19 13:23 投稿番号: [169 / 402]
夏も終わりか。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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フランスの反日 3
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/16 12:05 投稿番号: [168 / 402]
ヨーロッパ文明の源と自ら位置づけるフランス、日本人にとっても「花の都パリ」は、土臭い女柔道家ですら結婚式を挙げ、それがまったく似合わないともいえない、いわば、おのぼりさんの大聖地でもある。
日本の小金持ちがルイ・ヴィトンに殺到しボジョレー・ヌーヴォーを争って先飲みする姿は、知る人ぞ知る、フランス人に徹底的に小ばかにされている。
いつだったか、添え物野菜みたいな名前の仏首相が日本人を‘日本人は蟻、何度殺しても出てくる黄色い蟻‘などと公式の場で何度も辱め、日本外務省からの謝罪要求も‘日本にそんな価値はない‘と一蹴した。
どうにも日本とフランスは反りが合わないみたいだ。
逆に日本人から見てもフランスの不思議はいっぱいある。まず彼の国の象徴ともいえるエッフェル塔、あの鉄骨丸出し組み立ての直線がどうしてシャンゼリゼ通りに似合うとされているのだろう。どうして芸術の都の象徴なのだろう。いっそゴジラにぶっ壊させればそれなりの価値もあると思うのだが。
最後に訪れたルーブル美術館のフロントにホコっと置かれたガラスのピラミッド、温室栽培の植物直売コーナーでも設けたかと思ったらエントランスだった。
16世紀以降、近代までのフランス建築ならびに装飾の粋を集めた(ウィキ)歴史的建造物の正面に、なぜ無味乾燥なガラスのピラミッドなんかを置かなくてはならないのだろう。どうも彼らの感性はわからない。凡人には分からないのが芸術と定義したいのだろうか。
ベルサイユの庭園はどうだろう。豊かな水と緑に彩られていても、あくまでも平面的で幾何学模様的なデザインは、いわば自然を取り入れながらも自然を解体しているような不躾さを感じさせる。
自然の縮図を造形の基本とし、自然との共棲を楽しむ日本の庭園文化とはコンセプトから違うようだ。
世界の3大料理は仏、中国、トルコだというが、いったい誰が決めたんだろう。活魚の生き作りが残酷だと博愛の国の人は言ったが、今は争って食べている。おかげで魚類の高騰で日本人は迷惑している。
しかし日本人はナメクジやカエルは食べない。おそらく飢餓状態でもなければ我々の食卓には上がらないだろうから、ナメクジやカエルが供給不足になる心配はフランス人にない。
彼らが、日本の敗戦後も意地汚くベトナム再支配を狙ったのは、ベトナムの湿地帯や水田で無尽に採れる太ったナメクジやカエルが忘れ難かったのだろうか。
とまれ、日本軍が引き上げたベトナムで、フランスは奴隷植民地王国再生に向けて堂々と軍を送り込む。
しかし、時は無常である。日露戦争後、日本に兄事して植民地支配を逃れたいと欲する被植民地の有志たちは続々来日し、その中には中国建国の父とされる孫文、自由インド仮政府を設立したチャンドラ・ボース、ビルマ建国の父アウンサンなどがいた。そしてベトナムはグエン王朝のグォンデ侯が石炭船で密航し助けを請いに来た。
彼は武器の供給を日本政府に懇願したが、日仏は戦争状態にないので、これは無理な相談だった。しかし、アジア植民各地における欧米人の悪辣振りに忸怩たる思いの強い日本は、民間人を通じても彼らを大いにサポートした。
実際、在ベトナムの日本軍は終戦間近ではあったがフランス植民地政府を解体し、親日国家「ベトナム帝国」を誕生させる。
そうした民族意識に芽生え、さらに社会主義という麻薬を注入されたベトナム人は強かった。フランスを迎え撃った第一次インドシナ戦争はなんと8年間も続く。フランスは1954年、ディエンビエンフー砦の戦史に残る大敗北を受け和平協定を成立させるも、南部に「ベトナム国」を残した。
さらにドミノ理論を説き、傀儡「ベトナム国」をアメリカに肩代わりさせることに成功する。そしてアメリカが泥沼のベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)へはまり込むことになる。
1962年、アルジェリアの独立を以ってフランスは中東、アフリカ、アジア、新大陸にいたる広大な植民地のほとんどを手放すことになった。
その後もフランスはヨーロッパの大国であり続けているが、もはや世界の大国とはいえない。口うるさい中流国家というところに定位置を定められてしまった。
床屋談義だが、英米に屈折した感情を持つフランスは、それでもアメリカにベトナムを肩代わりさせ、自慢のミサイルエクゾセがフォークランド紛争で英艦を数隻沈め、フランス国内では英語を無視するという裏技で、なんとか溜飲を下げているようだ。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/13 22:59 投稿番号: [167 / 402]
なんか今日で夏が終わりだとか。
日中トピではトカちゃんが押されているみたいだけど、大丈夫だべか。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/10 19:33 投稿番号: [166 / 402]
トカちゃんと知識交換しているほうが楽しいもんな。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/09 11:43 投稿番号: [165 / 402]
オリンピックってこんなに盛り上がらないものなの?
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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Re: 変見自在
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/08/03 23:42 投稿番号: [164 / 402]
後、高山右近てのがいましたなぁ〜。
検索すれば解るんでしょうけどね〜。
一神教の盲目さに、八百万の神々を敬い称える日本人。この精神の方が数段優れている物と思うのですが、早く世界に日本精神が伝播して貰いたいものです。
別に、驕り高ぶる事では無いのですがねえ〜。
これは メッセージ 163 (konoyo_anoyo さん)への返信です.
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