フランスの反日 3
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/16 12:05 投稿番号: [168 / 402]
ヨーロッパ文明の源と自ら位置づけるフランス、日本人にとっても「花の都パリ」は、土臭い女柔道家ですら結婚式を挙げ、それがまったく似合わないともいえない、いわば、おのぼりさんの大聖地でもある。
日本の小金持ちがルイ・ヴィトンに殺到しボジョレー・ヌーヴォーを争って先飲みする姿は、知る人ぞ知る、フランス人に徹底的に小ばかにされている。
いつだったか、添え物野菜みたいな名前の仏首相が日本人を‘日本人は蟻、何度殺しても出てくる黄色い蟻‘などと公式の場で何度も辱め、日本外務省からの謝罪要求も‘日本にそんな価値はない‘と一蹴した。 どうにも日本とフランスは反りが合わないみたいだ。
逆に日本人から見てもフランスの不思議はいっぱいある。まず彼の国の象徴ともいえるエッフェル塔、あの鉄骨丸出し組み立ての直線がどうしてシャンゼリゼ通りに似合うとされているのだろう。どうして芸術の都の象徴なのだろう。いっそゴジラにぶっ壊させればそれなりの価値もあると思うのだが。
最後に訪れたルーブル美術館のフロントにホコっと置かれたガラスのピラミッド、温室栽培の植物直売コーナーでも設けたかと思ったらエントランスだった。
16世紀以降、近代までのフランス建築ならびに装飾の粋を集めた(ウィキ)歴史的建造物の正面に、なぜ無味乾燥なガラスのピラミッドなんかを置かなくてはならないのだろう。どうも彼らの感性はわからない。凡人には分からないのが芸術と定義したいのだろうか。
ベルサイユの庭園はどうだろう。豊かな水と緑に彩られていても、あくまでも平面的で幾何学模様的なデザインは、いわば自然を取り入れながらも自然を解体しているような不躾さを感じさせる。
自然の縮図を造形の基本とし、自然との共棲を楽しむ日本の庭園文化とはコンセプトから違うようだ。
世界の3大料理は仏、中国、トルコだというが、いったい誰が決めたんだろう。活魚の生き作りが残酷だと博愛の国の人は言ったが、今は争って食べている。おかげで魚類の高騰で日本人は迷惑している。
しかし日本人はナメクジやカエルは食べない。おそらく飢餓状態でもなければ我々の食卓には上がらないだろうから、ナメクジやカエルが供給不足になる心配はフランス人にない。
彼らが、日本の敗戦後も意地汚くベトナム再支配を狙ったのは、ベトナムの湿地帯や水田で無尽に採れる太ったナメクジやカエルが忘れ難かったのだろうか。
とまれ、日本軍が引き上げたベトナムで、フランスは奴隷植民地王国再生に向けて堂々と軍を送り込む。
しかし、時は無常である。日露戦争後、日本に兄事して植民地支配を逃れたいと欲する被植民地の有志たちは続々来日し、その中には中国建国の父とされる孫文、自由インド仮政府を設立したチャンドラ・ボース、ビルマ建国の父アウンサンなどがいた。そしてベトナムはグエン王朝のグォンデ侯が石炭船で密航し助けを請いに来た。
彼は武器の供給を日本政府に懇願したが、日仏は戦争状態にないので、これは無理な相談だった。しかし、アジア植民各地における欧米人の悪辣振りに忸怩たる思いの強い日本は、民間人を通じても彼らを大いにサポートした。
実際、在ベトナムの日本軍は終戦間近ではあったがフランス植民地政府を解体し、親日国家「ベトナム帝国」を誕生させる。
そうした民族意識に芽生え、さらに社会主義という麻薬を注入されたベトナム人は強かった。フランスを迎え撃った第一次インドシナ戦争はなんと8年間も続く。フランスは1954年、ディエンビエンフー砦の戦史に残る大敗北を受け和平協定を成立させるも、南部に「ベトナム国」を残した。
さらにドミノ理論を説き、傀儡「ベトナム国」をアメリカに肩代わりさせることに成功する。そしてアメリカが泥沼のベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)へはまり込むことになる。
1962年、アルジェリアの独立を以ってフランスは中東、アフリカ、アジア、新大陸にいたる広大な植民地のほとんどを手放すことになった。
その後もフランスはヨーロッパの大国であり続けているが、もはや世界の大国とはいえない。口うるさい中流国家というところに定位置を定められてしまった。
床屋談義だが、英米に屈折した感情を持つフランスは、それでもアメリカにベトナムを肩代わりさせ、自慢のミサイルエクゾセがフォークランド紛争で英艦を数隻沈め、フランス国内では英語を無視するという裏技で、なんとか溜飲を下げているようだ。
日本の小金持ちがルイ・ヴィトンに殺到しボジョレー・ヌーヴォーを争って先飲みする姿は、知る人ぞ知る、フランス人に徹底的に小ばかにされている。
いつだったか、添え物野菜みたいな名前の仏首相が日本人を‘日本人は蟻、何度殺しても出てくる黄色い蟻‘などと公式の場で何度も辱め、日本外務省からの謝罪要求も‘日本にそんな価値はない‘と一蹴した。 どうにも日本とフランスは反りが合わないみたいだ。
逆に日本人から見てもフランスの不思議はいっぱいある。まず彼の国の象徴ともいえるエッフェル塔、あの鉄骨丸出し組み立ての直線がどうしてシャンゼリゼ通りに似合うとされているのだろう。どうして芸術の都の象徴なのだろう。いっそゴジラにぶっ壊させればそれなりの価値もあると思うのだが。
最後に訪れたルーブル美術館のフロントにホコっと置かれたガラスのピラミッド、温室栽培の植物直売コーナーでも設けたかと思ったらエントランスだった。
16世紀以降、近代までのフランス建築ならびに装飾の粋を集めた(ウィキ)歴史的建造物の正面に、なぜ無味乾燥なガラスのピラミッドなんかを置かなくてはならないのだろう。どうも彼らの感性はわからない。凡人には分からないのが芸術と定義したいのだろうか。
ベルサイユの庭園はどうだろう。豊かな水と緑に彩られていても、あくまでも平面的で幾何学模様的なデザインは、いわば自然を取り入れながらも自然を解体しているような不躾さを感じさせる。
自然の縮図を造形の基本とし、自然との共棲を楽しむ日本の庭園文化とはコンセプトから違うようだ。
世界の3大料理は仏、中国、トルコだというが、いったい誰が決めたんだろう。活魚の生き作りが残酷だと博愛の国の人は言ったが、今は争って食べている。おかげで魚類の高騰で日本人は迷惑している。
しかし日本人はナメクジやカエルは食べない。おそらく飢餓状態でもなければ我々の食卓には上がらないだろうから、ナメクジやカエルが供給不足になる心配はフランス人にない。
彼らが、日本の敗戦後も意地汚くベトナム再支配を狙ったのは、ベトナムの湿地帯や水田で無尽に採れる太ったナメクジやカエルが忘れ難かったのだろうか。
とまれ、日本軍が引き上げたベトナムで、フランスは奴隷植民地王国再生に向けて堂々と軍を送り込む。
しかし、時は無常である。日露戦争後、日本に兄事して植民地支配を逃れたいと欲する被植民地の有志たちは続々来日し、その中には中国建国の父とされる孫文、自由インド仮政府を設立したチャンドラ・ボース、ビルマ建国の父アウンサンなどがいた。そしてベトナムはグエン王朝のグォンデ侯が石炭船で密航し助けを請いに来た。
彼は武器の供給を日本政府に懇願したが、日仏は戦争状態にないので、これは無理な相談だった。しかし、アジア植民各地における欧米人の悪辣振りに忸怩たる思いの強い日本は、民間人を通じても彼らを大いにサポートした。
実際、在ベトナムの日本軍は終戦間近ではあったがフランス植民地政府を解体し、親日国家「ベトナム帝国」を誕生させる。
そうした民族意識に芽生え、さらに社会主義という麻薬を注入されたベトナム人は強かった。フランスを迎え撃った第一次インドシナ戦争はなんと8年間も続く。フランスは1954年、ディエンビエンフー砦の戦史に残る大敗北を受け和平協定を成立させるも、南部に「ベトナム国」を残した。
さらにドミノ理論を説き、傀儡「ベトナム国」をアメリカに肩代わりさせることに成功する。そしてアメリカが泥沼のベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)へはまり込むことになる。
1962年、アルジェリアの独立を以ってフランスは中東、アフリカ、アジア、新大陸にいたる広大な植民地のほとんどを手放すことになった。
その後もフランスはヨーロッパの大国であり続けているが、もはや世界の大国とはいえない。口うるさい中流国家というところに定位置を定められてしまった。
床屋談義だが、英米に屈折した感情を持つフランスは、それでもアメリカにベトナムを肩代わりさせ、自慢のミサイルエクゾセがフォークランド紛争で英艦を数隻沈め、フランス国内では英語を無視するという裏技で、なんとか溜飲を下げているようだ。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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