美しい国日本

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フランスの反日 2

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/08/02 09:27 投稿番号: [160 / 402]
イギリス人作家ジョーゼフ・コンラッドの代表作に[闇の奥]というのがある。彼が33歳のとき、フランスの象牙採集汽船に乗り、アフリカ西海岸のコンゴ河口を奥地に向かい溯航することになった。1890年のことである。ベルギーのレオポルド2世がコンゴに組織的に食指を伸ばしてからわずか8年。まだレオポルドの[進出]はコンゴ河沿いに限られ、両岸の部族民たちに象牙採集を課していた。そこで見聞したアフリカはコンラッドにとって[闇]であり、溯航はその「奥」に這い入ることであった。はからずも彼は白人支配下のコンゴで何が行われているのか自身の眼で見ることになった。現地民の手首をこんもりと積んだ小舟を何艘も見かけたかもしれないし、少なくとも手首のない現地民を多数目撃したはずだ(英国の啓蒙家が撮った写真が現存)。この比類なき野蛮にコンラッドは大きなショックを受け[闇の奥]を書き上げる。

ただしポーランド系英国人のコンラッドはやはり白人である。この狂気の根源をアフリカという暗黒大陸に求めている。文明化された白人は圧倒的なアフリカの闇(悪とも言い換えれる)に包まれたとき徐々に正気を失い、やがてその狂気は人間の根源である[野蛮]に立ち戻ると考えた。
「闇の奥」の主人公は象牙採集のため奥地に航行し、そこで部族民を従えて一種の王国を築き上げ暴力的に一体を支配したクルツだ。
ご存知だろうがF・C・コッポラは[闇の奥]の舞台をベトナムに置き換え「地獄の黙示録」を撮った。マーロン・ブランド演ずる狂気の王者カーツ大佐は[闇の奥]のクルツ(英語読みでカーツ)であり、実在のモデル、クラインである。
この映画のエッセンスが最終シーンでカーツ大佐の口から語られる。
‘俺たちは村々を回り現地の子供たちにポリオの予防注射を施した。しかし後で戻ってきたベトミンはその子供たちの腕を全部切り落とした。俺は泣いた。‘というようなことをカーツに言わせる。ベトナムの野蛮が俺を狂気に陥れた、と言わせたのだ。このシーンにベトナム政府からクレームがついた。ベトナム人はそんなことはしない、と。

ずいぶん前だけどTVでインド訪問から帰ってきたばかりの評論家西部邁氏語っていたが、往時、インド進出の英国人が競争力のない自国の繊維をインドに売りつけるため、現地の織姫たちの手首を切り落としてまわり、その集められた手首を供養した塚があちらこちらにあった、と英国人の無惨に驚嘆していた。

こういった蛮性は被征服者に施す普遍的な行為なのだろうか。たしかにアステカの捕虜の処置はスペイン人の度肝を抜いたし、小さな部族間の争いでも首を狩り、食人をする風習がみられる。
話をもっとややこしくするつもりなら、トラが人間を頭から食っても非難するのはお門違いだろう。同様に、文明が起こる前の人間は獣そのものだったはずだ。50万年前の北京原人は人を狩り食物としていた。生物普遍の獣性が、その居住する地域の条件に沿ってあるいは濃く残ったり、あるいは少なく残ったりしていると言えるのではないか。
問題は、数少ない後者のカテゴリーに入る日本人を、いまや野蛮とみなされる残虐行為の体現者・そして潜在的保持者として位置づけている戦勝国文化人の欺瞞であろう。

とまれ、昨日買った週刊新潮の「変見自在」で、白人種の有色人種に対する根拠のない優位感を皮肉っていた。次に掲載する。

フランスの反日 1

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/31 09:08 投稿番号: [159 / 402]
日本が戦った植民地帝国のうち、欧州(あるいは白人)の盟主を今に至っても気取っているのがフランスだ。たしかに地中海と大西洋に面する平坦で広い国土を持ち、それにふさわしい権威と国力、そして文化もあった。

その誇り高きフランスが目覚めぬ劣等感に悩まされ続けている相手は東西の田舎者ドイツとイギリスだ。
フランスはこの2国とずいぶん戦ったが、そのほとんどの結果は惨敗だった。
ドイツとは近代になって普仏戦争、1−2次の世界大戦と、3回戦っている。いずれも国力を傾けた大戦争だった。
しかしそのうち普仏戦争と2次大戦の2回はあっという間に都パリを占領されている。しかも良いところまったくなし、鎧袖一触、蹴散らされてしまった。後一回は西部戦線の塹壕で食い止めることが出来たが、それでも戦争の結果は悲惨だった。フランスだけで137万人が死亡し、戦費の借財は天文学的数字に膨らんでいた。
しかし、負けたドイツはもっとしんどい、ならば太らせてから《復興してから》払わせようという知恵はドイツ憎しの妄執に固まった彼の国にはなかった。
フランス人の取立ては悪質サラ金も真っ青だ。
普仏戦争で奪還されたアルザス・ロレーヌを再度手中にし、1320億マルクという天文学的賠償金の52%をフランスが取ることになった。その他にフランス復興資金として2年の期限で200億マルクの即時支払いを求めた。もはやマルクは国際通貨ではない。お利口なフランスは現物賠償を求め、その対象は重工業施設から、鶏、馬などの家禽に及び、さらには電柱を切り倒して持っていくという悪辣さだった。この剥ぎとった『病人の布団』の評価をドイツは450億マルクと主張したが、仏は200億には満たないと突っぱね、延滞を理由にドイツルール地方を軍事占領するという挙に出る。ルール地方はドイツ産業の中心だ。‘布団じゃ足りない、心臓を差し出せ、といっているようなものだ。まさにシャイロック顔負け。

さすがにこれは英米の批判を浴び撤退することになるが、この強欲がヒトラーの台頭を促し、花の都パリで2度目の降伏文書に署名させられるというこの上ない屈辱となって返ってくる。

付け加えれば、ドイツ占領下の仏ビシー政権はユダヤ人狩りに嬉々として参加し、7万人とも言われるユダヤ系市民を絶滅収容所に送り込んだ。自由と平等と博愛の国、フランスでの出来事である。

であるから、フランス人のドイツを憎み恐れること大蛇の前のガマの如し、背後で不意にドイツ語が聞こえたりすると飛び上がるほど驚く。フランス人は、ドイツは再々度の決戦を狙って爪を研いでいるに違いないと信じている。そしてそれはまったくの的外れとはいえないところが戦争慣れした欧州の宿痾なのである。

さて、フランス降伏の後の40年9月、日本軍は援蒋ルート切断を狙いベトナム北部に進駐する。同盟国ドイツの傀儡ビシー政権下の同意を得ての進出であった。
当時のインドシナの情勢といえば、フランスインドシナ総督軍は、ドイツの強権下にあるビシー政権を容認する一派と英国に逃げ込んだドゴール亡命政権を支持する者に割れ、そこにヒトラー派遣のドイツ人集団が加わり、さらにフランス人の手先となり経済を牛耳る華僑、過酷な植民地支配に武力抵抗の意思を見せるベトナム人、そして大東亜開放を究極の目的として終戦まで進駐したが、しかし同盟国ドイツのビシー政権下にあってその目的のための行動をとることのできない日本軍、ここに微妙な力と思想の関係が混沌としてベトナムに存在することになった。
この時点のベトナムのムードは名作『カサブランカ』の状況下に近いものだがあるのかと想像してみる。

フランス人の植民地支配の方式は他のヨーロッパ諸国と変わらないが、それでもオランダとの混血児ベルギーが敷いたコンゴ支配は酸鼻を極めた。
昨年の映画だったか、デカブリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』で、現地黒人の市民兵が敵対部族を襲い、将来の武力抵抗を防ぐ目的で子供たちの腕を切り落とすシーンがある。観る者は、アフリカ黒人とはなんて野蛮な民族なのだろうと印象されるだろう。しかし、この許されざる蛮行の嚆矢はベルギーがコンゴで行ったのだ。

ちょっと訂正

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/31 08:51 投稿番号: [158 / 402]
>この時点のベトナムのムードは名作『モロッコ』の状況下に近いものだがあるのかと想像してみる。

この「モロッコ」は「カサブランカ」の間違い。
同じハンフリー・ボガード主演でエッセンスも同じようだけど、『モロッコ』の舞台はレバノンで時代は1925年の設定。

『カサブランカ』は1941年の設定で舞台はモロッコ。
ごめん。

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/30 21:16 投稿番号: [157 / 402]
日本が戦った植民地帝国のうち、欧州(あるいは白人)の盟主を今に至っても気取っているのがフランスだ。たしかに地中海と大西洋に面する平坦で広い国土を持ち、それにふさわしい権威と国力、そして文化もあった。

その誇り高きフランスが目覚めぬ劣等感に悩まされ続けている相手は東西の田舎者ドイツとイギリスだ。
フランスはこの2国とずいぶん戦ったが、そのほとんどの結果は惨敗だった。
ドイツとは近代になって普仏戦争、1−2次の世界大戦と、3回戦っている。いずれも国力を傾けた大戦争だった。
しかしそのうち普仏戦争と2次大戦の2回はあっという間に都パリを占領されている。しかも良いところまったくなし、鎧袖一触、蹴散らされてしまった。後一回は西部戦線の塹壕で食い止めることが出来たが、それでも戦争の結果は悲惨だった。フランスだけで137万人が死亡し、戦費の借財は天文学的数字に膨らんでいた。
しかし、負けたドイツはもっとしんどい、ならば太らせてから《復興してから》払わせようという知恵はドイツ憎しの妄執に固まった彼の国にはなかった。
フランス人の取立ては悪質サラ金も真っ青だ。
普仏戦争で奪還されたアルザス・ロレーヌを再度手中にし、1320億マルクという天文学的賠償金の52%をフランスが取ることになった。その他にフランス復興資金として2年の期限で200億マルクの即時支払いを求めた。もはやマルクは国際通貨ではない。お利口なフランスは現物賠償を求め、その対象は重工業施設から、鶏、馬などの家禽に及び、さらには電柱を切り倒して持っていくという悪辣さだった。この剥ぎとった『病人の布団』の評価をドイツは450億マルクと主張したが、仏は200億には満たないと突っぱね、延滞を理由にドイツルール地方を軍事占領するという挙に出る。ルール地方はドイツ産業の中心だ。‘布団じゃ足りない、心臓を差し出せ、といっているようなものだ。まさにシャイロック顔負け。

さすがにこれは英米の批判を浴び撤退することになるが、この強欲がヒトラーの台頭を促し、花の都パリで2度目の降伏文書に署名させられるというこの上ない屈辱となって返ってくる。

付け加えれば、ドイツ占領下の仏ビシー政権はユダヤ人狩りに嬉々として参加し、7万人とも言われるユダヤ系市民を絶滅収容所に送り込んだ。自由と平等と博愛の国、フランスでの出来事である。

であるから、フランス人のドイツを憎み恐れること大蛇の前のガマの如し、背後で不意にドイツ語が聞こえたりすると飛び上がるほど驚く。フランス人は、ドイツは再々度の決戦を狙って爪を研いでいるに違いないと信じている。そしてそれはまったくの的外れとはいえないところが戦争慣れした欧州の宿痾なのである。

さて、フランス降伏の後の40年9月、日本軍は援蒋ルート切断を狙いベトナム北部に進駐する。同盟国ドイツの傀儡ビシー政権下の同意を得ての進出であった。
当時のインドシナの情勢といえば、フランスインドシナ総督軍は、ドイツの強権下にあるビシー政権を容認する一派と英国に逃げ込んだドゴール亡命政権を支持する者に割れ、そこにヒトラー派遣のドイツ人集団が加わり、さらにフランス人の手先となり経済を牛耳る華僑、過酷な植民地支配に武力抵抗の意思を見せるベトナム人、そして大東亜開放を究極の目的として終戦まで進駐したが、しかし同盟国ドイツのビシー政権下にあってその目的のための行動をとることのできない日本軍、ここに微妙な力と思想の関係が混沌としてベトナムに存在することになった。
この時点のベトナムのムードは名作『モロッコ』の状況下に近いものだがあるのかと想像してみる。

フランス人の植民地支配の方式は他のヨーロッパ諸国と変わらないが、それでもオランダとの混血児ベルギーが敷いたコンゴ支配は酸鼻を極めた。
昨年の映画だったか、デカブリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』で、現地黒人の市民兵が敵対部族を襲い、将来の武力抵抗を防ぐ目的で子供たちの腕を切り落とすシーンがある。観る者は、アフリカ黒人とはなんて野蛮な民族なのだろうと印象されるだろう。しかし、この天人ともに許されざる蛮行の嚆矢はベルギーがコンゴで行ったのだ。
手首を切り落とすという吐き気を催す行為は、実は英国も植民地インドで行っている。インド進出当時、現地の安価な織物に対抗すべく織り機を壊して廻っただけではすまず、織り子の手首を集団的に切り落とすという暴挙に出た。評論家の西部邁氏がインド訪問の折、その手首塚が乱立しているサマを見て‘絶句‘したと語っていた。

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/29 10:05 投稿番号: [156 / 402]
梅雨みたいな日が続いている。   北京オリンピックの現地状況はどうなんだろう。

30数カ国が日本でキャンプを張るというが、台湾とか韓国も相当受け入れているのかな。

Re: バカで汚い国民 日本人

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/07/23 21:28 投稿番号: [155 / 402]
はぁ〜?何で〜?

貴方何人でっか〜?

何でそう思うのか述べて頂戴〜!

ね、貴方の立つスタンスを先ず述べて論じてくれませんか〜?

Re: バカで汚い国民 日本人

投稿者: oyamaoyamaperiod 投稿日時: 2008/07/23 16:20 投稿番号: [154 / 402]
馬鹿で汚物の塊、朝鮮人。世界の嫌われもの、トラブルメーカー朝鮮人。

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/23 15:31 投稿番号: [153 / 402]
やばい、やばい。消されるとこだった。

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/18 09:06 投稿番号: [152 / 402]
忙しい。

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/14 17:28 投稿番号: [151 / 402]
あげた。

Re: 英国の反日??

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/07/10 08:37 投稿番号: [150 / 402]
todorigafuti、

お前は狂犬病か    (笑

闇雲に、誰にでも彼にでも、

理由も筋もなく、

噛み付く。

自分の劣等感を埋め合わせるために    (笑

毎朝々々    (大笑

Re: 英国の反日??

投稿者: todorigafuti 投稿日時: 2008/07/09 20:22 投稿番号: [149 / 402]
単なる   妄想の域をでない   情け無い文章だな。

英国の反日

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/09 19:20 投稿番号: [148 / 402]
ルーズベルトのアメリカは、『バターン死の行進』を『真珠湾だまし討ち』に次ぐスローガンに仕立て上げることを決めた。CMイズムの国である。プロパガンダは簡単に成功しアメリカ人の戦意はさらに掻き立てられる。
一方、連合国各国も‘私も苛められた‘と、終戦までに色々考え出した。英国は泰緬鉄道の建設を「死の鉄路」Death Railway と名づけた。なかなかの命名センスだが、あげく、その、勘違いといえる被害者意識は、天皇陛下訪英の際に元捕虜たちが汚いケツを剥いてパレードを歓迎するということになる。さすが英国紳士、やることが下品だ。

イギリスは現在でも日本に遺恨を持っている。そりゃそうだ、戦争前英国は6大州総てに植民地を有していた。が、戦後日本軍の敢闘に触発された世界的な民族主義の高まりで、そのほとんど総てを失った。それはアメリカの口車に乗って有効に機能していた日英同盟を、『白人同盟』に切り替えたのが原因とも言える。おまけに戦後、旧態依然の政治経済機構は重篤な英国病を招き、それはタナボタよろしく北海油田という限りある資源を手に入れ、ユダヤ金融界が調合したビックバンいう麻薬を注入されるまで続く。

面白い事実がある。戦後アメリカはドイツや日本に対してマーシャルプランを施したが、英国がアメリカに負った莫大な戦時借款は過酷に取り立てた。為に、イギリス国内復興のための資金は枯渇し英国は非常な苦汁を舐めることになる。
アメリカの意図はなんだったか、それは被差別感である。
アメリカからすれば英国と独立戦争を戦い、にもかかわらず両大戦ともイギリス国家存亡の危機を救ってやったという意識が強烈にある。
しかし、英国の本家意識はなにがあろうと消えるものではなく、これもきわめて強烈だ。もともとアメリカ合衆国は英国の植民地である。しかも、植民者の多くはケルト系人種だ。英国人からすればアメリカ人は支配する者たちであり、異人種であり、反逆者だ。

あくまでも参考↓
http://www.gulf.or.jp/~houki/essay/zatubunn/ing3.html

アメリカは、英国人の慇懃無礼に我慢ならなかったのだ。

英国は戦勝国でありながら病克服のため、日本と同様アメリカの側女として生きていく道を選ぶことになる。サッチャーのビッグバンだ。いまやシティはロンドン子のものではない。アメリカの金融界と、それと同根の欧州金融界に乗っ取られてしまった。彼らはイギリスの鼻面をつかんだに等しい。アフガン、イラク戦争時の英国の行動にもその影響を見て間違いではないだろう。
現在英国がユーロ加盟にかたくなに反対しているのは最後の抵抗なのか。

一方、北海油田の掘削技術の進展で、英国は一時的には原油輸出国の仲間になったが、ピークアウトは過ぎた。今は国内分の消費もままならないほど油量は細っている。ボタ餅は何個も落ちてこないのである。
もう一つの『英国病』克服?の源泉はユダヤ錬金術だった。カネをいじくり回し手のひらで膨らませ、一時の虚構とも言える繁栄を見たが、麻薬は切れる。今回はサブプライムで切れた。切れるとまた欲しがる。彼らはさらに麻薬を与え続けようとバイオ燃料や食料に触手を伸ばしてきた。

キリストが怒り狂った、無から有を得るユダヤ免罪符商法が果たして普遍的に通用するのだろうか。
最近日本庶民から預かっている年金や郵貯をファンドで積極的に運用しようなどという議論が政府から出ているが、きわめて危険である。ロスチャイルド家勃興の故事にあるように、ユダヤ人脈は、国際情報は元より、国際情勢そのものも動かす力を持っている。
日本人の汗の結晶は、飢えたトラの前に繋がれた松坂牛と化すことに間違いなくなる。剣呑なり。日本は地道に物造りに励むべし。

さて、米国の準属国と化してしまった英国は、それがまた誘引となってイスラム原理主義者のテロに怯える毎日を送っている。しかもこの原理主義者たちは自国民なのである。因果応報、帝国主義時代の付けを払っているのだ。

英国ファンの多い日本としては、ロールスロイス=ジェットエンジンに見られるような、英国本来の技術力を生かすことによって麻薬から抜け出して欲しいと切に願うが、社会的ヒエラルキーを出自に求める鼻持ちならない懐古主義をなんとかしない限り、その達成はきわめて困難だろう。

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/06 18:51 投稿番号: [147 / 402]
サミットで福田はなにを約束するのやら。
街中に警察官があちこちに。

バターン死の行進

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/03 09:12 投稿番号: [146 / 402]
「ハワイ移民の100年史」(故   牛島秀彦著)から、日本人のハワイ(アメリカ)移民の、あまり知られていない歴史を紹介しているつもりだが、最終章、日系米人の大東亜戦争参加の段になって滞ってしまった。ま、誰に頼まれたわけじゃないのでもう少し開戦時の模様をなぞってみたい。

日本得意の速効戦がアジア・太平洋で輝かしい戦火を辿っているが、フィリッピン攻略戦になって、時宜がピッタリというのか、週刊新潮の名物コラムである高山正之氏の『変見自在』今週号でも関連する意見を書いている。以下に載せる。

「『前略』   何でこんなことを思い出したかというと朝日新聞に『レスター・テニーさん来日』とあったからだ。
彼の名は2年前の文藝春秋誌で知った。
笹幸恵女史が『バターン死の行進』を歩いてみた、という話を同紙に書いた。それに凄い形相で文句をつけてきたのだ。バターンとは先の大戦の劈頭、日本軍と米軍が戦ったところだ。
ところが敵の大将マッカーサーはさっさと逃げ出し、残った7万将兵も殆ど消耗なしで手を上げた。

食えないで戦争を始めた日本だ。そんな大人数を運ぶトラックなんて持ち合わせがあるでなし。
で、彼らを歩かせた。一泊二日で八十キロの行程だ。
大の米兵がそうしんどがる距離ではないと思う。
笹女子も『風邪気味でも歩けた』と書いている。
そうしたらレスター・テニー氏がこの記事に噛みついてきたのだ。『あの死の行進をおちょくり、冒涜するとは何事か』と。
彼はその怒りを、サイモン・ウィゼンタール・センターを通して文藝春秋に伝えてきた。
同紙は怯えて、彼の言い分をそっくり載せている。

バターンでは休息もなかった、休めば日本兵が銃把で殴りつけた、彼らは疲労で倒れた捕虜を容赦なく殺した、という風に書く。
日本軍はそんな振る舞いはしないし、だいたい八十キロを徹夜で歩いたわけではない。一泊している。
そんなゆるい死の行進があるだろうか。
そう呼べるのは、例えばチェロキー・インディアン一万五千人をジョージアからオクラホマまで二千キロを歩かせたケースくらいではなかろうか。
冬をまたぐ半年の過酷な旅で死者は八千人を数えた。
飢えと寒さの中でチェロキーはあの『Amazing Grace』を歌って励ましあったと伝えられる。
米国ではこれを『Trail Tears』(涙の旅路)と呼ぶが、むしろこっちを『死の行進』と名づけた方がいいのではないか。
しかし朝日のテニー氏訪日の記事ではそうした呼称変更をいうではなし、ひたすら『バターン死の行進』を真実と評価して、その傷は深く痛ましいと決めてかかっているように見える。

朝日はボツにしたが、テニー氏と前後して元捕虜だった英仕官マミュエル・フォール卿も来日した。
卿はスラバヤ沖海戦で日本海軍に沈められた英巡洋艦の乗員で、鮫の海を漂流中、駆逐艦『雷』に救助される。
卿は米潜水艦に攻撃される危険も顧みないで救助する日本人の姿に感動すら覚えたという。
この辺は惠隆之介『敵兵を救助せよ』に詳しい。
卿はテニー氏と同じに捕虜収容所に入り労役も体験したはずだが、戦後二人はまったく違う道を歩む。
一方は新聞を通じて脚色のない日本人を懐かしい思い出として語る。
もう一方は罵倒を繰り返す。日本人にはそれが気の毒に見える。」(了)

普段、小気味良く妄説をぶった切る高山氏の筆法であるが、今回はなぜか控えめだ。
チェロキーが、雪が降りしきり風が吹きすさぶ山肌に寄り添い、毎日夜が明けると眠ったときのまんま硬くなり二度と口を開くことがなくなった何十人もの仲間や子供たち。凍土に埋葬も出来ずほとんどは雪中に、せめて春までは覆い隠せと置き去りにし、また幾人もの母親が飢えとともに凍え死んだ干からびた幼子を、幾日も抱いたまま歩んだという。
そのときの励ましの歌がイギリス人の作詞になるとは・・。(Amazing Grace)

とまれ、彼らの行進を「涙の旅路」とはよく言ったもんだ。そんな叙情を想起させる『旅』では断じてない。チェロキーとアメリカは戦争していたわけじゃない。戦争どころかいったいチェロキーは入植者に何をしたと言うのだ。

大陸人はとんでもない嘘つきだ。インディアンは凶暴で頭の皮を剥ぐ?おいおい、頭の皮を剥ぐのはケルト人の一風習だろう。ゲルマンもやるだろう。インディアンは彼らにやられたからやり返したという話でしかない。
こうやって自分たちのやったことを人のせいにする、人間的に中、下流の民族としか思えないのが大陸人だ。
もし、アメリカが自由の看板を掲げ続けるつもりなら、『バターン死の行進』を捏造するより、『涙の旅路』を『白骨の旅路』と改名する謙虚さが必要だろう。

Re: 美しい国日本

投稿者: oroti98 投稿日時: 2008/06/30 11:24 投稿番号: [145 / 402]
  佛蘭西の詩人   クローデルは言いました
日本人は高貴な民族である   と    高貴な民族の住む国   即美しい国日本

ageage

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/23 22:34 投稿番号: [144 / 402]
1日でこんなに下がっちゃった。

Re: フィリピン攻略 3

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/22 15:31 投稿番号: [143 / 402]
『噴水』   高山正之
中世、欧州では魔女狩りがはやった。
魔女と指さされた人は教会で凄まじい拷問を受けた。最初が親指責めで、量の親指を金属製の万力で締め上げる。
それで魔女だと認めたらすぐ火炙りにされるから、みんな親指が砕けるまで我慢する。
次が水責め。9㍑の水を飲ませる。抵抗するものには大型の洗濯挟みで鼻をつまみ、苦しくて開けた口に金属製の筒を突っ込む。スペインではこの筒をポステソ(欠伸)と呼んだ。
そして筒に水を流し込む。時には糞尿を流し込むこともあった。
それで白状しないともう9㍑飲ませる。
それでも白状しないと膨れ上がった腹を殴ってすべてを吐き出させ、また9㍑を注ぎ込む。

ドイツでは30年戦争時代に捕虜にこれをやって情報を吐かせた。この拷問法をこの国では『スウェーデンの水』と呼んだ。
フランスはギロチンとともに20世紀までこの拷問をやっていた。最後はアルジェリア独立戦争で、ドゴールは独立を叫ぶアルジェリア人にたっぷり水を飲ませ、それからギロチンで首を刎ねた。

米国は「Water cure」と呼んだ。
最初にその犠牲になったのは米国の植民地支配に抵抗するフィリピンの独立派の人びとだった。
米軍は捕らえた民兵やその家族をこの拷問にかけて彼らのリーダー、アギナルド将軍の行方を吐かせようとした。
この拷問についてルーズベルト大統領は友人への手紙に『ごく軽い拷問だ』と書き送っているが、上院公聴会での証言はそんな生易しいものではなかった。
証言によれば捕らえた兵士は床に大の字に縛り付けられ、竹筒を口に嵌められ5ガロンの水を飲まされた。
白状しなければ膨れた腹に尋問官が飛び降り『口から6フィートも水を噴き上げて死んだ』。
ときには海水を使った。
おかげで死亡率は高く、記録では『160人がこの拷問を受け134人が死んだ』。
米国では1910年、体に傷が残る拷問は憲法違反とされて以降、この水責めが有効な尋問方法として盛んに使われだしたという。最近ではグアンタナモ基地でのアルカイダの尋問で使われている。
ただし少し態様は変わっていて、アルカイダを仰向けに寝かせて顔を固定してタオルをかけて水を注ぐ。
魔女狩りの時代からさまざまな道具やバリエーションを考え出しては好んで使われた水責め拷問。それはもはや白人キリスト教徒の血となり肉になっているようにも見える。

そんな水責め拷問をさきの大戦中『日本軍がやった』と先日の朝日新聞コラムが書いていた。
記事には泰緬鉄道の現場で憲兵隊が英軍兵士に『大量の水を飲ませて』尋問する場に立ち会った日本人通訳が登場する。
一読本当かと思う。
しかし疑問もある。人の行動は民族の血に従う。魔女狩りも知らない、ましてキリスト教徒でもない日本人がなぜ惨忍な白人の拷問方法を知っていたのか。その答えがない。
米軍がフィリピンでやった例では8割が死んでいる。しかし『拷問』がBC級軍事法廷に持ち出されることはなかった。
泰緬鉄道で使役された捕虜の収容所長を務めた中村大佐以下の訴因が列挙されているが、白人を働かせたこととか、汚い寝床に寝かせたこととかが並ぶだけで、拷問への嫌疑はない。
この辻褄をどう合わせるのか。(後略)」

『日本軍の悪行』を鵜の目鷹の目で探している朝日新聞の秀才たちが事の真贋を見逃すはずがない。
彼らは日本軍がそんなことをやらなかったことを知っているのだ。そして逆に欧米人がやったことも知っているのだ。それでも朝日新聞人は白人のおぞましい習癖を日本人の仕業として公布する。
『人権擁護法案』や『外国人参政権』問題にも積極的に賛意を示している朝日新聞、憂慮すべき団体ではないか。

Re: フィリピン攻略 2

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/22 15:28 投稿番号: [142 / 402]
人を殺す目的で開発された化学兵器の嚆矢は火薬を使用した大筒だろう。
13世紀に欧州大陸で使用されたとの記録があるが、有効に使用されたのはオスマン軍のビサンチン攻城戦だった。
俗説では、目端の利くハンガリー人が製造技術をビサンチン帝国側に売り込んだが、開発に金がかかりすぎるので帝国は採用を断念した。しかしその企画を宿敵のオスマントルコが買い取り研究実験を重ねる。
使用に耐えられるようになった大筒は効果抜群で、その飛石はビサンチンの壁を崩し異教徒は場内になだれ込んだ。こうしてキリスト教千年王国は終止符を打たれた。

しかしその後大筒は白人帝国で発展を見せる。当初飛ばしていたのは筒に合わせて削った石に過ぎなかったが、それが銅になったり鉄になったりして現在の炸裂弾になった。
日本では相馬大作が大木をくり抜いて砲身を作り津軽藩主にぶっ放したとされる。
いっぽう小型化を求め、携帯できる火縄銃からライフルと改良を重ねる。そして究極の携帯火筒ピストルに行き着く。

欧州ではワルサー、ルガー、ベレッタなど世界に誇る名銃が数多く誕生した。
ヨーロッパの鬼子アメリカも名銃を作った。原始的過ぎて故障のしようがないスミス&ウィッソンや、米軍が採用していたので日本ではピストルの代名詞にもなったコルトなどがある。
さて、米西戦争終結後、アメリカの裏切りに激怒した比人は猛烈な抵抗を開始する。細身の彼らの肉体は恐ろしく頑健だ。それでコルト45を開発した。

「当時のアメリカ軍では.38口径の回転式拳銃を多く使用していた。ところが、1898年の米西戦争の際、フィリピンで起きた先住民モロ族との衝突で、興奮状態の先住民に対して.38口径弾が十分な殺傷力を持たないことが判明した。アメリカ軍はこの戦訓から、拳銃弾でも一発で相手を行動不能にできる「マン・ストッピング・パワーの高い弾丸」として、より大型の.45口径弾を用いるようになった。そして従来のリボルバーに代わる軍用自動拳銃向け弾丸についても、リボルバー用.45口径弾を短縮・リムレス化した設計の.45ACP弾が開発されることになる。(ウィキ)

ならばコルト45などとしゃれた名前をつけずとも『フィリピノキラー』、日本語で言えば「比人殺し」とでも命名すれば歴史的な意味も与えられたであろうに。

言うまでもないが、このときの米軍トップは、日本軍のバターン攻撃でオーストラリアに脱出した米軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの実父、アーサー・マッカーサーである。

さて、実は先ほど週刊新潮最新版でおなじみ高山正之氏の『変見自在』読んだ。偶然に米軍の比島での悪辣振りが書いてある。次項に全文転写する。

あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/21 07:26 投稿番号: [141 / 402]
あげ

拉致

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/18 19:23 投稿番号: [140 / 402]
米国からどんな話があるのか、まあ、核がらみだろうが。

福田か・・、オラァあの男人間的に嫌いだ。親がいなきゃ、ああ楽な選挙はできないだろう。分かっているのかいないのか、あの特権意識は鼻につきすぎる。

拉致

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/16 05:17 投稿番号: [139 / 402]
拉致に変な動きが出てきた。   注視が必要。

アメリカの本当?の意図はなんだ?

バカで汚い国民 日本人

投稿者: catsanddog_dinner_call 投稿日時: 2008/06/13 01:16 投稿番号: [138 / 402]
いったいどれだけ民度を貶めれば気が済むのか
いまこそ恥を知れ

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/11 16:24 投稿番号: [137 / 402]
3日に1回の義務です。

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/08 01:39 投稿番号: [136 / 402]
継続は力2.

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/05 06:28 投稿番号: [135 / 402]
継続は技!

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/06/02 03:15 投稿番号: [134 / 402]
あげ。

アジアの心 2

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/30 04:48 投稿番号: [133 / 402]
四川大地震にかまけてミャンマーのサイクロン被害が霞んでいる。
しかし死者数、被災者数などはミャンマーの方が甚大だ。現地を視察した軍の幹部が被災者に対して放つ言葉は傲岸且つ他人事で、日本のTVキャスター連が口を極めて非難しているが、まてまて、前後の脈絡をカットして自分たちの意図する映像を作り出すのは色のついたジャーナリストの常套手段だ。最低どこから配信されたかをチェックが必要だ。特に相手が戦争プロパガンダに長けた大陸人の場合は。

先週の週刊新潮、変幻自在にその辺の事情が書かれている。

「ミャンマーは北朝鮮みたいに拉致したり覚せい剤を売ったりしたことはない。
中国みたいに隣国チベットを侵略したこともない。ひっそりとアンダマンの海の奥で暮らしてきた。そんな国を英国や米国はもう20年も苛め続けている。
経済封鎖もやった。米国のマサチューセッツ州はミャンマーと関係した企業との取引を禁止にもした。どう見たって村八分だ。
そこまでやるのはただ『軍事政権だから』と説明する。軍事政権は世界にごまんとある。しかしパキスタンを軍事政権だからと苛めたりはしていない。
そんな国をサイクロンが襲い死者が10万人出た。
米国が救援の手を差し伸べたら『軍事政権が拒絶した』とヘラルド・トリビューン紙が書いていた。
やっぱりあの国は変だとまた非難がわく。ミャンマーもしょうがないから援助を受け始めた。「46年前から国際社会を拒んできた壁にやっとひび割れが入った」と同紙はその動きを評した。しかしそこまで頑なになった理由は書いていない。
『46年前』とはネ・ウィンが鎖国したときを指す。そのころの首都ラングーンの様子を英史家ファーニバルは『イスラム系インド人が人口の半分を占め、華僑が一割ほど、以下英国人やキリスト教化したモンなどが続き、ビルマ人は3分の一だった』と記録している。

かってビルマは一民族一宗教の国だった。それがこんな他民族他宗教国家になったのは、支配した英国がインド人や華僑をどしどし入れた結果だ。
世知に長けたインド人や華僑はたちまち経済や金融の実権を握る。
そうすればビルマ人を対決し殺しあう。つまり英国支配に楯突く暇がなくなって植民地経営はうまくいくという計算からだ。
実際、1930年代にはイスラム教徒と仏教徒がぶつかって3000人の死者が出る暴動も起きている。
ネ・ウィンはそれを踏まえて国を閉ざした。貿易が止まれば華僑の儲けはなくなる。かくて華僑の多くは国を出て行った。
ネ・ウィンは次に銀行貯金を制限し一定額以上は没収した。高利貸しのインド人はびっくりして箪笥貯金に切り替えた。
彼はそこでデノミをやり、新札を出して旧札は無効とした。
インド人が両替に来ると上限を設けてそれ以上を没収した。ともに貧しく生きよう、というわけだ。
デノミは毎年のように行われ、絵柄が尽きると紙幣の額を買えた。90チャット札や45チャット札など冗談みたいな札も出た。そしてインド人も出て行った。

彼は旧英植民地が喜んで入る英連邦の加盟を拒み、さらに英国が残した文化も処分していった。
まず英国式の左側通行をやめた。英語で行われていた大学の授業を止め、外語大の英語も廃止した。
国民も英国嫌いだから英国色の脱色はスムースに行われた。ちなみにその穴は『日本』で埋められた。
街角の国父アウンサンの騎乗姿の像は昭和天皇のそれを模したものだ。
夕方、テレビ放送が始まるときは『海行かば』など日本の軍歌がメドレーで流される。
テレビドラマでは日本軍兵士が勇敢で優しい善玉として出てくる。
今この国には中国人がやたら進出してきているが、この日本兵の姿は変わっていない。(注   このままではやがて変わる)
ビルマ人自ら貧しくなる、という苦痛の多い、しかし誰も傷つけない方法で植民地の後遺症を取り除いた。

しかし英国の残滓はまだあった。国父アウンサンの娘スーチーだ。
彼女はビルマ人が英国の垢を懸命に落としているさなか、その阿漕な植民地支配をやった英大使の世話になって英国に渡り、彼の仲人で英国人と結婚した。
そして初の国政選挙を機に、英植民地時代に利益を受けた少数民族や華僑をバックに祖国に戻ってきた。
狙いはアンチ英国の動きを封ずるためといわれる。
軍事政権はやむを得ず悪人スーチー封じのため再登場した。
それで英国は米国と語らってミャンマーの村八分を始めたわけだ。
こんな連中を相手に半世紀もやってくれば、この国が(西欧諸国に)不信感を持たない方がおかしいだろう。
―――

アジアの心

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/26 13:24 投稿番号: [132 / 402]
今週の週刊新潮の変幻自在、高山氏の論説は切れがいい。

「アジアを植民地支配する欧米列強は『日支が手を握るとき、我々の権益は多大な影響を受ける』(F・ルーズベルト)という認識で一致していた。
だから米国は日本を事あるごとに非難中傷し、その一方で支邦にパール・バックを送り込み、清華大学を建てて支邦人の間に反日感情を醸成していった。
ハリウッドでは善玉の支邦人探偵チャーリー・チャンを登場させ、世論を支邦好きに変えていった。
最後は蒋介石の頬を札束で叩いて日本を裏切らせたのだが、この徹底した情報操作の結果、盧溝橋事件の前の時点で『日本を好意的に見る米市民はたった2%』、対して『支邦人に好感を持つと答えたのが76%を占めた』とネイサン・グレーザーが「日本とアメリカ』に書いている。
おかげで日本は軍事力の大半を支邦大陸に足止めさせられ、海軍とわずかな勢力だけで欧米各国と戦わざるを得なかった。

ルーズベルトには支邦への特別な思いがあった。彼の母方は支邦のアヘン貿易で巨万の富を得たデラノ家だからだ。
その贖罪意識もあって蒋に仏領のベトナムをやるとカイロ会談で言い出す。
蒋はこれを断った。日本を裏切って白人側に靡いただけでも気が咎めるのに、白人国家と並んでアジアの植民地支配者になるのはさすがに気が引けたからだ。
ルーズベルトはそれならとベトナムをフランスに返すことにした。
しかしそのベトナムでは別の動きが起きていた。日本軍が仏印政府を明号作戦で潰し、ベトナムに事実上の独立を齎していた。
サイゴンには民兵、「モトハイ」が誕生した。モトはベトナム語で1、ハイは2を意味する。日本軍の『イッチニッ』という号令にちなんだものだ。
そして日本降伏後の9月2日、サイゴンで宗主国フランスを実力で排除する動きが始まった。
騒ぎはカチナ通りで起きた。独立を叫ぶモトハイのデモ行進を見ていたトリコワール神父が教会前で射殺された。それを合図に市内の各所でフランス人が襲われ、4人が殺された。

混乱の中、英軍が到着する。彼らは独立を謳うベトナム紙をすべて廃刊にして言論統制を敷いた。
次に武装解除した日本軍捕虜に再び銃を持たせてモトハイの殲滅を命じた。
明白な国際法違反だが、白人は神様だ。
しかし実効はなかったとマウントバッテン卿の報告にある。モトハイを包囲しても『日本軍が彼らに忠告し、包囲網を絞ったときには誰もいなかった』。
仏人居留地への夜襲を防ぐために日本人を歩哨に立たせた。モトハイが攻めてくれば銃撃戦になる。モトハイが撃たれようと日本兵が撃ち殺されようと構わない、その音で白人たちは襲撃に備えられるからだ。
その読みも外れた。モトハイは日本兵が空を見上げている間に脇を抜けて居留地を襲った。タンディイン居留地では一晩に数百人が殺されている。
英軍が駆けつけたとき日本兵は『無関心にただ立っていた』『日本兵とベトナム人の間で心が通じ合っているように見えた』(同)。

この対戦中、ルーズベルトはチベットに特使を送った。特使は欧米と支邦が組んで悪い日本と戦っている。
ついてはチベットの領内に援蒋ルートを通したい。協力すれば悪いようにはしないとのことだった。
チベット人は支邦人を良く知っている。欧米が隣のビルマやインドでなにをしているかも知っていた。
だから断った。

この対応でチベットは戦後、国連が出来たとき加盟を誘われなかった。支邦が侵略しても欧米は知らぬ顔をした。

日本はアジアの誇示だと支邦の李鵬が言った。日本など間もなく消えてなくなると。
でもアジアの国々はアジアにいながら不実で心も通わない別の国の消滅を心から願っている。」
――
以上だけど、チベットの悲劇に日本は無関係ではないようだ。

age 2

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/25 16:36 投稿番号: [131 / 402]
またあげた。

age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/24 15:19 投稿番号: [130 / 402]
やばかった。   底から数センチ。

あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/19 07:25 投稿番号: [129 / 402]
いそがしい。

四川大地震 なんだこりゃ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/16 09:28 投稿番号: [128 / 402]
中国が日本からの救援隊を「受け入れる」事を決めた。

‘これは異例のことです‘   ‘何故日本だけなのか‘(報道ステーション)

そして飛行機から降りてくる日本の援助隊。先頭の背広姿の男は外務省役人か、タラップ下で待っていた中国人担当者と握手。ペッコペコ頭を下げて握手しているのが日本人。前を見たまま握手しているのが中国人。なにか違うだろ!

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/11 20:09 投稿番号: [127 / 402]
age

フィリピン攻略

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/07 20:10 投稿番号: [126 / 402]
日本が12月8日(日本時間)を以って戦火の口火を切ったのは真珠湾、マレー、香港、そしてフィリッピンであった。
ただしフィリッピンの場合はすでに真珠湾の結果が米軍に届いていたので、この戦いは奇襲ではなかった。
しかし、ここでも神風が吹いた。
「そのころ台湾は濃霧に覆われていた。第11航空艦隊の攻撃機群は濃霧に遮られ、出撃は9時過ぎになってしまう。だがこれは結果から見れば天佑ともいえる幸運であった。昼過ぎ、アメリカ軍機は給油のため次々と基地へ降り立ったが、日本軍機がフィリピン上空へ飛来したのはこのタイミングであった。戦闘機34機、陸攻53機がクラーク飛行場を、戦闘機51機、陸攻53機がイバ飛行場を襲い、B-17は地上に翼を並べたまま撃破された。この日、アメリカ軍はB-17 18機、P-40 53機、P-35 3機、その他25ないし30機を喪失し、多数が損傷を受けた。日本軍の損害は陸攻1機に過ぎなかった。アメリカ極東航空軍は開戦初日で兵力の過半を失った。
10日には日本軍航空部隊はマニラ湾内のキャビテ軍港および在泊艦隊を空襲して大きな損害を与えた。これらの航空撃滅戦の結果、制空権・制海権は日本軍のものとなった。」(ウィキ)

明けて42年1月2日、マニラは陥落する。
ダグラス・マッカーサー司令官率いる米軍は、マニラ湾を挟んでマニラ市街と東海岸が向かい合うバターン半島と、その突端に浮かぶ小島コレヒドールに退き、数線に渡り巧妙に配置された砲塁に‘日本軍ござんなれ‘と布陣する。

今のフィリピンは7千余島の群島国家だが、16世紀始めにマゼランが[発見]したときは、島々に小勢力が割拠する部落社会であった。驚異的な冒険心を持って世界1周を成し遂げたマゼランは、世界史、世界地図にマゼラン海峡と言う不滅の名を記したが、現地民からすれば不埒な無法者(すでにマゼラン隊は食料を奪うために部落を襲い現地民を虐殺している)は、上陸40日後に退治される。
しかし時を経ずして、世紀の半ばにはスペインによって、ミンダナオ島などのイスラム教徒の数島を除き、大半の島々はスペイン帝国の植民地となる。
このころより倭寇を含む日本人が活発に渡航し始め、戦国時代にはいくつかの港に日本人町もできた。
しかし徳川幕府の鎖国令によって本国との往来は途絶え、日本人の血は現地に溶け込んだ。華僑が、血筋のアイデンティティを保ちながら現地化したのとは対照的だ。
フィリピン人はマレー系人種で、東アジア系のわれわれとは形体的にもかなり異なる。
ただし彼らの南方文化は日本の弥生文化の基層を成しているとされる。文化の運び手、黒潮はフィリッピン群島の東を起点として日本列島にたどり着きその両岸を舐めるように洗う。
フィリピンと日本は黒潮新幹線でつながっているといえるが、そのラインは往路だけである。古代文化は交換ではなく一方的に日本が受益者だろう。

スペインのフィリピン植民地支配は300有余年に及んだが19世紀末の米西戦争の結果、支配者はアメリカに代わる。
米西戦争のときアメリカは独立を餌にフィリピン人の独立活動家を戦争に協力させたが、そんなのは約束を大陸人が守るはずもない。
一度は[独立宣言]をさせたフィリピンを破廉恥にもスペインから2000万ドルで買い受ける。怒ったフィリピン人はゲリラとなり猛烈な抵抗を開始する。
次の2年でアメリカは60万人のフィリピン人を殺した。その有様は諸所に記録されている。
「米軍部隊は無情で容赦なかった。男女を問わず、囚人・捕虜はもちろん、明らかな反乱分子であれ容疑者であれ、一〇歳以上なら片端から殺しつくした」
「手をあげておとなしく降伏してきた捕虜たちは、暴徒であることを示す一片の証拠もないまま、一時間後には橋の上の立たされ、次々と銃殺されて川面を流されていった。弾丸で蜂の巣にされた死体を、川下にいるであろう連中への見せしめにするためだ」
「サマル島の第九歩兵師団・司令官ジェイコブ・スミス准将はゲリラ戦に壊滅させられたC中隊の報復として、「捕虜はいらん。全部殺し、焼き尽くせ。殺せば殺すほど、焼けば焼くほど、私は満足だ」
  海兵隊旅団長L・ウォーラー少佐が、「何歳が限度ですか」 と訊ねると、「一〇歳だ、と答えた。
ウォーラーは全住民に海岸への移動を命じた。二日後、内陸にあるすべての村の組織的破壊と皆殺しが開始された。家はもちろん、市場に出すための食糧や麻など一切焼き尽くされ、家畜のすべては殺され、舟の類も手当たり次第沈められた。米軍の軍服なり装備なりの一片でも見つかった村は、それがC中隊の遺品とみなされ、女子供を含む全住民が皆殺しにされた。」

アゲます

投稿者: easy8to8remember 投稿日時: 2008/05/06 14:12 投稿番号: [125 / 402]

  まともに真面目に議論したら、面白そうな議題ですねぇ。
  参加者増えたころに見に来ます

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/06 02:00 投稿番号: [124 / 402]
あげときます。

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/02 15:32 投稿番号: [123 / 402]
age やべー、最底辺一歩前!

シンガポール攻略

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/29 09:28 投稿番号: [122 / 402]
日本軍の快進撃はミッドウェイまでの6ヶ月間続いた。残りの3年間は悲惨な戦況に置かれた。
快進撃が短すぎるというなかれ、この間の胸のすく日本軍の勝利と、戦況が不利に転じた後も、随所で見せた頑強な抵抗が、500年も続いた白人の植民地主義に終止符を打つことになるのだ。
どうも、ハワイの話から離れてしまったが、もう少し時系列を追って[快進撃]を確認してみたい。

ちょうど100年前の1841年、英国はアヘン戦争を仕掛け、結果、九龍半島と香港島に極東における唯一の英海軍基地を設ける。
阿片戦役から100年目というアニーバーサリィに、悪の帝国の象徴とも言うべき英国香港行政区に対して、漢民族と同じ黄色い顔をした日本人が、今まさに英軍の白旗を要求していた。

英軍は10年前の1931年の満州事変以来、今日を期して九龍半島中央部に防御線を敷いた。ランダムに起伏する高地を緻密に連繋させた、考え抜かれた防衛線であった。英軍はそこに「ジン・ドランカーズ・ライン」と、彼ららしいユーモラスな命名を施した。
ウィキからこの攻防を転載する。
「9日夜、土井連隊長は第3大隊に夜襲の決行を命じた。20時30分、若林東一中尉の率いる第10中隊は255高地のイギリス軍陣地に突入し、3時間の戦闘の末これを奪取した。土井連隊長の独断専行を知った佐野師団長以下師団司令部は激しく動揺し後退を命じたものの、土井連隊長は司令部からの電話を切ってしまった。若林中隊はさらに前進し、10日1時には341高地まで占領した。
酒井軍司令官は急報を聞き激怒したが、この際、この機に乗じて所定の準備期間を待つことなく攻撃を開始しようと決断した。第1砲兵隊は準備未了の状態であったが10日午後から砲撃を開始しイギリス軍の主要な砲兵陣地を制圧、右翼の歩兵第230連隊も11日未明から攻撃前進を始め、同日昼までにジン・ドリンカーズ・ライン西側の主防衛線である366高地と256高地を占領した。11日12時、イギリス軍は香港島への撤退を発令した。」

日本軍の降伏勧告を一蹴した英軍は、香港島とヴィクトリア湾に浮かべた艦船から九龍の日本軍に砲撃を加えた。極東の、5千年続く支那の地において[ヴィクトリア湾]とは面妖な。
日本軍は上陸作戦を開始する。

孤立状態の英軍とすれば、頼みの綱は中国軍であった。
「イギリス軍は、在香港重慶軍事使節団長である陳策提督の「中国軍6万が国境に集結して日本軍を背後から攻撃せんとしている」との言葉を信じていた。」(ウィキ)
うそつきの達人英国もシナ人のうそにはかなわない。やつらは全身を使ってうそをつく。
日本軍はすでに38年、広東を攻略し、香港周辺の制空権・制海権は完全に日本軍のものとなっていた。さらに40年6月、深&#22323;を攻略しイギリスと中国との国境を完全に封鎖した。
それなのにどうして6万の国民党軍が香港の国境に集結し、日本軍の背後を襲うのだ!   信じた英軍もどうかと思うが信じさせたシナ人に驚嘆する。
ために、英軍の士気は落ちず、日本軍の降伏勧告を受け入れずに無用な死闘を演じ、双方ともに多大な犠牲を出した。

「香港島内における戦いで、日本軍は戦死683名、戦傷1,413名を出した。イギリス軍の遺棄死体は1,555、捕虜は戦闘間1,452名、戦闘後9,495名。
香港攻略戦のイギリス軍捕虜は11,000名。イギリス人が5,000名、インド人が4,000名、カナダ人が2,000名であった。捕虜の証言によれば、イギリス軍は半年間は持ちこたえる構えで食糧弾薬等を準備。だが香港はわずか18日間で日本軍によって攻略された。」(ウィキ)

かたやシンガポール攻撃が始まる。
英軍がジョホールバルとシンガポール島を結ぶ一本の人口堤道を破壊して閉じこもった姿は、堀の橋を落として篭城する敵を攻める、日本の攻城戦を思わせる。ために日本軍の攻撃は1週間おくれる事となる。
しかし日本の準備砲撃は熾烈を極め、対する英軍の砲は艦隊の船腹を貫くよう海に向けて設置してあったものを急遽陸地向けに設置し直したものだが、徹甲弾なので地上散会の日本軍には効果が薄く、おまけに爆撃機もなかったので、日本軍は激戦を味わいながらも着々と地歩を進めた。
激烈な戦闘は1週間続いたがついに、

「連合軍の食料と何種類かの弾薬はすでに底をつき始めていた。パーシヴァルは、指揮下部隊の司令官たちと協議したあと日本軍と連絡し、午後5時15分を少しすぎたころフォード自動車工場において、正式に山下司令官に降伏した。(この時山下がパーシヴァルに「イエスかノーか」と迫ったが、降伏の意思の有無を訊く為であって恫喝の類ではなかったとされている。)戦後、山下が戦犯として処刑される際、米軍はパーシヴァルをわざわざ呼び寄せ、山下の処刑を見物させた。」(ウィキ)

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/27 17:54 投稿番号: [121 / 402]
あげ
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