アジアの心 2
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/05/30 04:48 投稿番号: [133 / 402]
四川大地震にかまけてミャンマーのサイクロン被害が霞んでいる。
しかし死者数、被災者数などはミャンマーの方が甚大だ。現地を視察した軍の幹部が被災者に対して放つ言葉は傲岸且つ他人事で、日本のTVキャスター連が口を極めて非難しているが、まてまて、前後の脈絡をカットして自分たちの意図する映像を作り出すのは色のついたジャーナリストの常套手段だ。最低どこから配信されたかをチェックが必要だ。特に相手が戦争プロパガンダに長けた大陸人の場合は。
先週の週刊新潮、変幻自在にその辺の事情が書かれている。
「ミャンマーは北朝鮮みたいに拉致したり覚せい剤を売ったりしたことはない。
中国みたいに隣国チベットを侵略したこともない。ひっそりとアンダマンの海の奥で暮らしてきた。そんな国を英国や米国はもう20年も苛め続けている。
経済封鎖もやった。米国のマサチューセッツ州はミャンマーと関係した企業との取引を禁止にもした。どう見たって村八分だ。
そこまでやるのはただ『軍事政権だから』と説明する。軍事政権は世界にごまんとある。しかしパキスタンを軍事政権だからと苛めたりはしていない。
そんな国をサイクロンが襲い死者が10万人出た。
米国が救援の手を差し伸べたら『軍事政権が拒絶した』とヘラルド・トリビューン紙が書いていた。
やっぱりあの国は変だとまた非難がわく。ミャンマーもしょうがないから援助を受け始めた。「46年前から国際社会を拒んできた壁にやっとひび割れが入った」と同紙はその動きを評した。しかしそこまで頑なになった理由は書いていない。
『46年前』とはネ・ウィンが鎖国したときを指す。そのころの首都ラングーンの様子を英史家ファーニバルは『イスラム系インド人が人口の半分を占め、華僑が一割ほど、以下英国人やキリスト教化したモンなどが続き、ビルマ人は3分の一だった』と記録している。
かってビルマは一民族一宗教の国だった。それがこんな他民族他宗教国家になったのは、支配した英国がインド人や華僑をどしどし入れた結果だ。
世知に長けたインド人や華僑はたちまち経済や金融の実権を握る。
そうすればビルマ人を対決し殺しあう。つまり英国支配に楯突く暇がなくなって植民地経営はうまくいくという計算からだ。
実際、1930年代にはイスラム教徒と仏教徒がぶつかって3000人の死者が出る暴動も起きている。
ネ・ウィンはそれを踏まえて国を閉ざした。貿易が止まれば華僑の儲けはなくなる。かくて華僑の多くは国を出て行った。
ネ・ウィンは次に銀行貯金を制限し一定額以上は没収した。高利貸しのインド人はびっくりして箪笥貯金に切り替えた。
彼はそこでデノミをやり、新札を出して旧札は無効とした。
インド人が両替に来ると上限を設けてそれ以上を没収した。ともに貧しく生きよう、というわけだ。
デノミは毎年のように行われ、絵柄が尽きると紙幣の額を買えた。90チャット札や45チャット札など冗談みたいな札も出た。そしてインド人も出て行った。
彼は旧英植民地が喜んで入る英連邦の加盟を拒み、さらに英国が残した文化も処分していった。
まず英国式の左側通行をやめた。英語で行われていた大学の授業を止め、外語大の英語も廃止した。
国民も英国嫌いだから英国色の脱色はスムースに行われた。ちなみにその穴は『日本』で埋められた。
街角の国父アウンサンの騎乗姿の像は昭和天皇のそれを模したものだ。
夕方、テレビ放送が始まるときは『海行かば』など日本の軍歌がメドレーで流される。
テレビドラマでは日本軍兵士が勇敢で優しい善玉として出てくる。
今この国には中国人がやたら進出してきているが、この日本兵の姿は変わっていない。(注 このままではやがて変わる)
ビルマ人自ら貧しくなる、という苦痛の多い、しかし誰も傷つけない方法で植民地の後遺症を取り除いた。
しかし英国の残滓はまだあった。国父アウンサンの娘スーチーだ。
彼女はビルマ人が英国の垢を懸命に落としているさなか、その阿漕な植民地支配をやった英大使の世話になって英国に渡り、彼の仲人で英国人と結婚した。
そして初の国政選挙を機に、英植民地時代に利益を受けた少数民族や華僑をバックに祖国に戻ってきた。
狙いはアンチ英国の動きを封ずるためといわれる。
軍事政権はやむを得ず悪人スーチー封じのため再登場した。
それで英国は米国と語らってミャンマーの村八分を始めたわけだ。
こんな連中を相手に半世紀もやってくれば、この国が(西欧諸国に)不信感を持たない方がおかしいだろう。
―――
しかし死者数、被災者数などはミャンマーの方が甚大だ。現地を視察した軍の幹部が被災者に対して放つ言葉は傲岸且つ他人事で、日本のTVキャスター連が口を極めて非難しているが、まてまて、前後の脈絡をカットして自分たちの意図する映像を作り出すのは色のついたジャーナリストの常套手段だ。最低どこから配信されたかをチェックが必要だ。特に相手が戦争プロパガンダに長けた大陸人の場合は。
先週の週刊新潮、変幻自在にその辺の事情が書かれている。
「ミャンマーは北朝鮮みたいに拉致したり覚せい剤を売ったりしたことはない。
中国みたいに隣国チベットを侵略したこともない。ひっそりとアンダマンの海の奥で暮らしてきた。そんな国を英国や米国はもう20年も苛め続けている。
経済封鎖もやった。米国のマサチューセッツ州はミャンマーと関係した企業との取引を禁止にもした。どう見たって村八分だ。
そこまでやるのはただ『軍事政権だから』と説明する。軍事政権は世界にごまんとある。しかしパキスタンを軍事政権だからと苛めたりはしていない。
そんな国をサイクロンが襲い死者が10万人出た。
米国が救援の手を差し伸べたら『軍事政権が拒絶した』とヘラルド・トリビューン紙が書いていた。
やっぱりあの国は変だとまた非難がわく。ミャンマーもしょうがないから援助を受け始めた。「46年前から国際社会を拒んできた壁にやっとひび割れが入った」と同紙はその動きを評した。しかしそこまで頑なになった理由は書いていない。
『46年前』とはネ・ウィンが鎖国したときを指す。そのころの首都ラングーンの様子を英史家ファーニバルは『イスラム系インド人が人口の半分を占め、華僑が一割ほど、以下英国人やキリスト教化したモンなどが続き、ビルマ人は3分の一だった』と記録している。
かってビルマは一民族一宗教の国だった。それがこんな他民族他宗教国家になったのは、支配した英国がインド人や華僑をどしどし入れた結果だ。
世知に長けたインド人や華僑はたちまち経済や金融の実権を握る。
そうすればビルマ人を対決し殺しあう。つまり英国支配に楯突く暇がなくなって植民地経営はうまくいくという計算からだ。
実際、1930年代にはイスラム教徒と仏教徒がぶつかって3000人の死者が出る暴動も起きている。
ネ・ウィンはそれを踏まえて国を閉ざした。貿易が止まれば華僑の儲けはなくなる。かくて華僑の多くは国を出て行った。
ネ・ウィンは次に銀行貯金を制限し一定額以上は没収した。高利貸しのインド人はびっくりして箪笥貯金に切り替えた。
彼はそこでデノミをやり、新札を出して旧札は無効とした。
インド人が両替に来ると上限を設けてそれ以上を没収した。ともに貧しく生きよう、というわけだ。
デノミは毎年のように行われ、絵柄が尽きると紙幣の額を買えた。90チャット札や45チャット札など冗談みたいな札も出た。そしてインド人も出て行った。
彼は旧英植民地が喜んで入る英連邦の加盟を拒み、さらに英国が残した文化も処分していった。
まず英国式の左側通行をやめた。英語で行われていた大学の授業を止め、外語大の英語も廃止した。
国民も英国嫌いだから英国色の脱色はスムースに行われた。ちなみにその穴は『日本』で埋められた。
街角の国父アウンサンの騎乗姿の像は昭和天皇のそれを模したものだ。
夕方、テレビ放送が始まるときは『海行かば』など日本の軍歌がメドレーで流される。
テレビドラマでは日本軍兵士が勇敢で優しい善玉として出てくる。
今この国には中国人がやたら進出してきているが、この日本兵の姿は変わっていない。(注 このままではやがて変わる)
ビルマ人自ら貧しくなる、という苦痛の多い、しかし誰も傷つけない方法で植民地の後遺症を取り除いた。
しかし英国の残滓はまだあった。国父アウンサンの娘スーチーだ。
彼女はビルマ人が英国の垢を懸命に落としているさなか、その阿漕な植民地支配をやった英大使の世話になって英国に渡り、彼の仲人で英国人と結婚した。
そして初の国政選挙を機に、英植民地時代に利益を受けた少数民族や華僑をバックに祖国に戻ってきた。
狙いはアンチ英国の動きを封ずるためといわれる。
軍事政権はやむを得ず悪人スーチー封じのため再登場した。
それで英国は米国と語らってミャンマーの村八分を始めたわけだ。
こんな連中を相手に半世紀もやってくれば、この国が(西欧諸国に)不信感を持たない方がおかしいだろう。
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これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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