Re: 美しい国日本
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/07/30 21:16 投稿番号: [157 / 402]
日本が戦った植民地帝国のうち、欧州(あるいは白人)の盟主を今に至っても気取っているのがフランスだ。たしかに地中海と大西洋に面する平坦で広い国土を持ち、それにふさわしい権威と国力、そして文化もあった。
その誇り高きフランスが目覚めぬ劣等感に悩まされ続けている相手は東西の田舎者ドイツとイギリスだ。
フランスはこの2国とずいぶん戦ったが、そのほとんどの結果は惨敗だった。
ドイツとは近代になって普仏戦争、1−2次の世界大戦と、3回戦っている。いずれも国力を傾けた大戦争だった。
しかしそのうち普仏戦争と2次大戦の2回はあっという間に都パリを占領されている。しかも良いところまったくなし、鎧袖一触、蹴散らされてしまった。後一回は西部戦線の塹壕で食い止めることが出来たが、それでも戦争の結果は悲惨だった。フランスだけで137万人が死亡し、戦費の借財は天文学的数字に膨らんでいた。
しかし、負けたドイツはもっとしんどい、ならば太らせてから《復興してから》払わせようという知恵はドイツ憎しの妄執に固まった彼の国にはなかった。
フランス人の取立ては悪質サラ金も真っ青だ。
普仏戦争で奪還されたアルザス・ロレーヌを再度手中にし、1320億マルクという天文学的賠償金の52%をフランスが取ることになった。その他にフランス復興資金として2年の期限で200億マルクの即時支払いを求めた。もはやマルクは国際通貨ではない。お利口なフランスは現物賠償を求め、その対象は重工業施設から、鶏、馬などの家禽に及び、さらには電柱を切り倒して持っていくという悪辣さだった。この剥ぎとった『病人の布団』の評価をドイツは450億マルクと主張したが、仏は200億には満たないと突っぱね、延滞を理由にドイツルール地方を軍事占領するという挙に出る。ルール地方はドイツ産業の中心だ。‘布団じゃ足りない、心臓を差し出せ、といっているようなものだ。まさにシャイロック顔負け。
さすがにこれは英米の批判を浴び撤退することになるが、この強欲がヒトラーの台頭を促し、花の都パリで2度目の降伏文書に署名させられるというこの上ない屈辱となって返ってくる。
付け加えれば、ドイツ占領下の仏ビシー政権はユダヤ人狩りに嬉々として参加し、7万人とも言われるユダヤ系市民を絶滅収容所に送り込んだ。自由と平等と博愛の国、フランスでの出来事である。
であるから、フランス人のドイツを憎み恐れること大蛇の前のガマの如し、背後で不意にドイツ語が聞こえたりすると飛び上がるほど驚く。フランス人は、ドイツは再々度の決戦を狙って爪を研いでいるに違いないと信じている。そしてそれはまったくの的外れとはいえないところが戦争慣れした欧州の宿痾なのである。
さて、フランス降伏の後の40年9月、日本軍は援蒋ルート切断を狙いベトナム北部に進駐する。同盟国ドイツの傀儡ビシー政権下の同意を得ての進出であった。
当時のインドシナの情勢といえば、フランスインドシナ総督軍は、ドイツの強権下にあるビシー政権を容認する一派と英国に逃げ込んだドゴール亡命政権を支持する者に割れ、そこにヒトラー派遣のドイツ人集団が加わり、さらにフランス人の手先となり経済を牛耳る華僑、過酷な植民地支配に武力抵抗の意思を見せるベトナム人、そして大東亜開放を究極の目的として終戦まで進駐したが、しかし同盟国ドイツのビシー政権下にあってその目的のための行動をとることのできない日本軍、ここに微妙な力と思想の関係が混沌としてベトナムに存在することになった。
この時点のベトナムのムードは名作『モロッコ』の状況下に近いものだがあるのかと想像してみる。
フランス人の植民地支配の方式は他のヨーロッパ諸国と変わらないが、それでもオランダとの混血児ベルギーが敷いたコンゴ支配は酸鼻を極めた。
昨年の映画だったか、デカブリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』で、現地黒人の市民兵が敵対部族を襲い、将来の武力抵抗を防ぐ目的で子供たちの腕を切り落とすシーンがある。観る者は、アフリカ黒人とはなんて野蛮な民族なのだろうと印象されるだろう。しかし、この天人ともに許されざる蛮行の嚆矢はベルギーがコンゴで行ったのだ。
手首を切り落とすという吐き気を催す行為は、実は英国も植民地インドで行っている。インド進出当時、現地の安価な織物に対抗すべく織り機を壊して廻っただけではすまず、織り子の手首を集団的に切り落とすという暴挙に出た。評論家の西部邁氏がインド訪問の折、その手首塚が乱立しているサマを見て‘絶句‘したと語っていた。
その誇り高きフランスが目覚めぬ劣等感に悩まされ続けている相手は東西の田舎者ドイツとイギリスだ。
フランスはこの2国とずいぶん戦ったが、そのほとんどの結果は惨敗だった。
ドイツとは近代になって普仏戦争、1−2次の世界大戦と、3回戦っている。いずれも国力を傾けた大戦争だった。
しかしそのうち普仏戦争と2次大戦の2回はあっという間に都パリを占領されている。しかも良いところまったくなし、鎧袖一触、蹴散らされてしまった。後一回は西部戦線の塹壕で食い止めることが出来たが、それでも戦争の結果は悲惨だった。フランスだけで137万人が死亡し、戦費の借財は天文学的数字に膨らんでいた。
しかし、負けたドイツはもっとしんどい、ならば太らせてから《復興してから》払わせようという知恵はドイツ憎しの妄執に固まった彼の国にはなかった。
フランス人の取立ては悪質サラ金も真っ青だ。
普仏戦争で奪還されたアルザス・ロレーヌを再度手中にし、1320億マルクという天文学的賠償金の52%をフランスが取ることになった。その他にフランス復興資金として2年の期限で200億マルクの即時支払いを求めた。もはやマルクは国際通貨ではない。お利口なフランスは現物賠償を求め、その対象は重工業施設から、鶏、馬などの家禽に及び、さらには電柱を切り倒して持っていくという悪辣さだった。この剥ぎとった『病人の布団』の評価をドイツは450億マルクと主張したが、仏は200億には満たないと突っぱね、延滞を理由にドイツルール地方を軍事占領するという挙に出る。ルール地方はドイツ産業の中心だ。‘布団じゃ足りない、心臓を差し出せ、といっているようなものだ。まさにシャイロック顔負け。
さすがにこれは英米の批判を浴び撤退することになるが、この強欲がヒトラーの台頭を促し、花の都パリで2度目の降伏文書に署名させられるというこの上ない屈辱となって返ってくる。
付け加えれば、ドイツ占領下の仏ビシー政権はユダヤ人狩りに嬉々として参加し、7万人とも言われるユダヤ系市民を絶滅収容所に送り込んだ。自由と平等と博愛の国、フランスでの出来事である。
であるから、フランス人のドイツを憎み恐れること大蛇の前のガマの如し、背後で不意にドイツ語が聞こえたりすると飛び上がるほど驚く。フランス人は、ドイツは再々度の決戦を狙って爪を研いでいるに違いないと信じている。そしてそれはまったくの的外れとはいえないところが戦争慣れした欧州の宿痾なのである。
さて、フランス降伏の後の40年9月、日本軍は援蒋ルート切断を狙いベトナム北部に進駐する。同盟国ドイツの傀儡ビシー政権下の同意を得ての進出であった。
当時のインドシナの情勢といえば、フランスインドシナ総督軍は、ドイツの強権下にあるビシー政権を容認する一派と英国に逃げ込んだドゴール亡命政権を支持する者に割れ、そこにヒトラー派遣のドイツ人集団が加わり、さらにフランス人の手先となり経済を牛耳る華僑、過酷な植民地支配に武力抵抗の意思を見せるベトナム人、そして大東亜開放を究極の目的として終戦まで進駐したが、しかし同盟国ドイツのビシー政権下にあってその目的のための行動をとることのできない日本軍、ここに微妙な力と思想の関係が混沌としてベトナムに存在することになった。
この時点のベトナムのムードは名作『モロッコ』の状況下に近いものだがあるのかと想像してみる。
フランス人の植民地支配の方式は他のヨーロッパ諸国と変わらないが、それでもオランダとの混血児ベルギーが敷いたコンゴ支配は酸鼻を極めた。
昨年の映画だったか、デカブリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』で、現地黒人の市民兵が敵対部族を襲い、将来の武力抵抗を防ぐ目的で子供たちの腕を切り落とすシーンがある。観る者は、アフリカ黒人とはなんて野蛮な民族なのだろうと印象されるだろう。しかし、この天人ともに許されざる蛮行の嚆矢はベルギーがコンゴで行ったのだ。
手首を切り落とすという吐き気を催す行為は、実は英国も植民地インドで行っている。インド進出当時、現地の安価な織物に対抗すべく織り機を壊して廻っただけではすまず、織り子の手首を集団的に切り落とすという暴挙に出た。評論家の西部邁氏がインド訪問の折、その手首塚が乱立しているサマを見て‘絶句‘したと語っていた。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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