南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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南京事件に至るまで〜11(近衛文麿)

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/11 06:19 投稿番号: [5864 / 29399]
南京事件に至るまで〜11 近衛文麿

日中戦争は「支那膺懲」(成敗する)の為の戦争であると言う意識が軍隊、国民に浸透していたという一面がある。

近衛文麿首相は「支那膺懲」を掲げ、国民の戦意高揚を煽り、挙国一致の国民精神総動員を呼びかけて行った。

近衛首相は45才の若さで組閣し、長身の容姿、清新味が期待され、国民的人気も高く大いに期待されたのであるが、

実態は「近衛首相、広田外相など、当時は軍部に”オベッカ”を使っていた政府であります。何事も「軍はどういう風に思っているか?」というて心配する非常に勇気のない政府でありました。
とにかく、軍に問うては事を決するというやり方で、政治的に全責任を負い、戦うも戦わざるも国家大局の着眼からやっていこうというものはなかったことをつくづく思います。」
(参謀本部戦争指導課河辺虎四郎少将回想応答録)

石井猪太郎(外務省東亜局長)は「日本は今度こそ、真に非常になって来たのに、こんな男を首相に仰ぐなんて、よくよく巡り合わせが悪いと言うべきだ。

これに従う閣僚なるものは何れも弱卒、禍なるかな、日本」と日記に記す。

陸軍中央と政府、天皇も不拡大方針で戦局の早期解決を模索していた段階で、近衛首相は何度かの政府声明に置いて、対外的(中国)・国内的状況を戦争拡大に導いていく役割を果たした。

最初が、中国側の武力抗日に対して反省を促す重大決意をもって華北に派兵する1.「重大決意声明」(7月11日)

次が支那軍の「暴戻」(荒々しく道理にもとる)を膺懲し、もって南京政府の反省を促す為、断固たる措置をとる。2.「南京政府断固膺懲声明」(8月15日)

そして、断固として積極的に、かつ全面的に支那軍に対して一大打撃を与えるために挙国一致の国民精神総動員を呼びかけた国会における3.「施政方針演説」(9月5日)などがそれである。

「近衛は戦いそのものは好まぬ所だが、とにかく国防国家を作るにも、産業拡充をやるにも、今のままでは政府も国民も容易にはついて来ん、戦いでも始まって−現実に戦いでもあれば国民も仕方なくついてくる、
それがためにこの戦いをやったら良いじゃないか」という軍部拡大派の思惑に乗って、国民を戦時体制に総動員していく国家指導者の役割を演じたのである(河辺虎四郎少将回想応答録)

石井猪太郎は「近衛首相の議会原稿を見るに、軍部に強いられた案であるに相違ない。
「支那膺懲」とある。排日抗日をヤメさせるには最期までブッたたかねばならぬ、とある。

近衛は日本をどこへ持って行こうというのか。呆れ果てた非常時首相だ。彼はダメダ。」(8月31日   記)

南京事件に至るまで〜12武藤章に続く

知らないということは怖いことです

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/11 01:34 投稿番号: [5863 / 29399]
>宣戦布告をし、相手国に自国の真意を伝える事は、日本政府よりははるかに真摯的な行為だと思いますね


これを見てください。真摯のかけらもありません。

「アメリカに国益をもたらした「〜を忘れるな」シリーズ」
http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h13/jiji_010925_140.htm

何回覆すだと?

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/08/11 01:10 投稿番号: [5862 / 29399]
寝言は、寝てから言え!そもそも虐殺の決定的な証拠もねえのに覆すもクソもねえわな?アホ言ってんじゃねえぞ?もともと虐殺自体が無かったか捏造と言われてるのに、覆す?笑わせんな!ボケ!

教えて頂けませんか?

投稿者: snack_kebab_bar 投稿日時: 2004/08/11 00:19 投稿番号: [5861 / 29399]
「あった」派の方々に、お訊ねします。

南京大虐殺を知る上で、お勧めの出版物は何ですか?

すみません、殆ど知識がないので、事実を知りたいのです。

魯迅です

投稿者: lu_xun_aq 投稿日時: 2004/08/10 21:09 投稿番号: [5860 / 29399]
藤野先生へ

阿Q的人民政府に煽られてる
日本人がまだまだいるんですね。

未だに古代漢の偉人や英雄の
子孫がいると勘違いしているんですね。

もう居ないんだよ、元、清の異民族王朝
に征服され、さらに中共で完全根絶やし
なのに。
残っているのは阿Qばっかり。

>国際条約破り?

投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/10 20:47 投稿番号: [5859 / 29399]
>>もし、「日ソ中立条約」がなければソ連はドイツに破れていたと思いますよ

>そんなことは   ど〜でも良いことです。



どうでもよければ、口をはさまないことが懸命でしょう。

国際条約破り?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/10 18:50 投稿番号: [5858 / 29399]
貴方の論点は本質を離れていると思うね・

単なる詭弁か?

言葉の遊びだね。

>もし、「日ソ中立条約」がなければソ連はドイツに破れていたと思いますよ

そんなことは   ど〜でも良いことです。
それこそソ連の勝手でしょう・

日本側もソ連と顔を付き合わせて南進など出来なかったでしょうね?

>「宣戦布告などしなかったのですからね」は違いますね
>「宣戦布告が遅れた」ということでしょう。


遅れた?
届いていないものを遅れたですます感覚が、恐ろしいものではありませんでしょうかね?
結果が全てですよ。
甘っちょろい感覚では、、、?

最期通牒の12ページめを訳するまで、大使館員は何をしていたか、ご存じないのでしょう?

貴方の感覚ではソ連の出方も、
日ソ中立条約を、ソ連側のヤメタという一言の感覚で、よろしいのではないでしょうか。?

銀行も当座に支払に足る預金がなければ、倒産手続きをしますよ。
遅れたから、などと理屈を付けても通用しないのが、大人の世界です。

好きな人がいても、告白なり相手に気持ちを伝えなければ、なにもしないのと同じです。

ご都合主義的   解釈ばかりのようにお見受け致します。

もう少し前向きな討論を期待したい所ですね。

横から失礼!

アイリス・チャン?

投稿者: yonsama_korea 投稿日時: 2004/08/10 13:40 投稿番号: [5856 / 29399]
奴についてのトピ、メディア倫理カテの『中国系米国人ジャーナリストからの非難』にあります

馬鹿が〜まだ言ってるの!

投稿者: yume365niti 投稿日時: 2004/08/10 13:36 投稿番号: [5855 / 29399]
南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
        
         ↑

馬鹿が〜まだ言ってるの!こんな事信じている馬鹿がまだいるの〜   信じられなーい。

北京五輪までの日本政府の課題

投稿者: giro_tama 投稿日時: 2004/08/10 13:21 投稿番号: [5854 / 29399]
現在中国政府は北京五輪に向けて抗日関係の記念館を数億元の予算をかけて拡張工事を行っています。
日本政府はすぐにでも中国政府に対し捏造された抗日記念館の全ての閉鎖を要求しないとアイリス・チャンの本以上に歪曲された歴史が世界中に広がることになります。

>>旧日本軍兵士の証言

投稿者: lebenkorper 投稿日時: 2004/08/10 13:03 投稿番号: [5852 / 29399]
>中国軍(中国軍という統一された軍隊があったわけではないけど)の自国民に対する残虐行為はすごいものでしたが、日本人のメンタリテイからそういうのはさすがにないでしょう。

まるで根拠が無く思い込みだけでものを言っていることがよく分かる書き込みですね。

>でも、南京大虐殺における実名の虐殺証言は、今のところ総て嘘があばかれています。

そんな事実はありません。
大虐殺否定派は数十年にわたり繰り返し「定説を覆す決定的証拠を発見」などと言っていますが、何回覆せば気が済むのですかねえ。


証言等の資料一覧
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/sub1.html

南京事件資料集
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/

そこまで開き直ったらお仕舞い

投稿者: filthymacnasty2 投稿日時: 2004/08/10 12:11 投稿番号: [5851 / 29399]
>日本政府の行動に国際条約破り、国際法規破りは数知れずあるわけでして、それを棚に上げて、相手が約束を反故にしたからと言って、非難するのはいかがなものでしょうかね?と思うのですよ。

それをいうなら、「連合国」側にも「国際条約破り、国際法規破りは数知れずあるわけでして」、ですから「それを棚に上げて、相手が約束を反故にしたからと言って、非難するのはいかがなものでしょうかね」ともなるわけだが・・・

ソ連の「日ソ中立条約」破り、アメリカの戦争犯罪「原爆」「東京無差別空襲」、オーストラリアも「ニューギニア戦線」での日本軍捕虜を大勢非合法的に殺害している(「ハーグ条約」違反)、その他実例はいくらでもあるが以下省略
中国の場合は、「便衣兵」戦法を多用するなど、そもそも「ハーグ条約」を遵守する気なんか初めからなかった
さらにいえば、最初に細菌兵器「アンソラックス」を開発し満州で使用したのはソ連だし、中国も化学兵器「イペリット糜爛性毒ガス」を1938年夏に数度にわたり山西省で使用している(「同盟ニュース」報道)

ソ連と日本の比較

投稿者: picsaintloup 投稿日時: 2004/08/10 11:32 投稿番号: [5850 / 29399]
>宣戦布告をし、相手国に自国の真意を伝える事は、日本政府よりははるかに真摯的な行為だと思いますね。

それまでにアメリカと三年半以上戦い、沖縄を占領され、広島に原爆が落とされ、日本の敗戦は必至という時期に、火事場泥棒的な野心を露わにして「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、174万の大軍で満州に攻め込んだソ連が、「紳士的」?だとは、初めて聞くご意見ですね。ソ連はその後、日本が「ポツダム宣言」を受諾して敗戦を認めてからも、約一ヶ月間に及び攻撃を続け、満州はおろか南カラフト、千島列島まで占領し、挙句の果てに日本人約57万名(この人数には異説もありますが)を「シベリヤ抑留」し、長期間重労働させ、その結果6万人弱が死亡しましたが、これも「紳士的」な行為ですか?

あなたはソ連の「満州侵攻」を、日本の「真珠湾攻撃」と比較しているようですが、状況からいっても大違いですよ。
日本の「真珠湾攻撃」は、良くも悪くも、国力に劣る側が勝る側に対し、起死回生を狙って仕掛けた奇襲攻撃です。「真珠湾攻撃」に至る過程としては、1941年7月末から8月にかけて、日本に対する「ABCD包囲網」が敷かれ、石油はじめ重要資源の輸入が全てストップされたということがあるわけで、そのままの状況が続けば、いずれ近い将来に日本が崩壊してしまうのは明らかでした。そこで「ABCD包囲網」のリーダー的存在であるアメリカとの「日米交渉」が始まったわけですが、これも最終的には不調に終わり、同年11月26日には、到底日本が呑むことが出来ない内容の最後通牒ともいえる「ハルノート」を突きつけられたのです。事ここに至っては開戦しかないと決断した日本は、日米の国力差から長期戦には耐えられないことが分かっていましたので、奇襲により緒戦に勝利を収め、早めに講和に持っていく以外にないと考え、12月8日に「真珠湾攻撃」に打って出たわけです。「宣戦布告」が数時間遅れたといわれますが、これは態と遅らせたわけではなく、当初の予定では攻撃直前にはアメリカ側に「宣戦布告」文が届く手筈になっていたのに、様々な要因が重なり、不本意な結果になったということに過ぎません。(「日本大使館」員に落ち度があったためとも、アメリカ側が態と受け取らなかったためともいわれています)

蛇足になりますが、「東京裁判」では、検事側は“鬼の首でも取った”かのように、「宣戦布告」なしでの「真珠湾攻撃」を強調し、「そちらから真珠湾攻撃を仕掛けてきたのだから、広島、長崎に原爆が落とされた責任は日本側にある」と、まるで原爆による「戦争犯罪」行為の非戦闘員大量虐殺は、「真珠湾攻撃」によって免罪されるといわんばかりの論陣を張りましたが、これは因果関係上全く無関係とは申しませんが、本来は分けて考えるべきことだろうと思います。

友好平和が生み出すデマゴギー

投稿者: keijisalt9722 投稿日時: 2004/08/10 11:11 投稿番号: [5848 / 29399]
日本刀で100人斬り殺せるほどの戦闘力をもち、銃剣と単発銃のみで40万人殺すなど原爆以上の
破壊力を持つ携行兵器を誇り、各植民地で無駄に現地人を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて、
揚子江の川幅を2m以下にしたりするほどの高い土木技術を持ち、沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が
出せるほど命令系統がしっかりしていて、 日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を一日に一人あたり何十人
も暴行するほど体力と食料があって、韓国で文化施設はもちろん 一般家庭にある辞書から料理本に至るまで
処分してまわるほど暇で、中国で家々に火を放ちまくり無駄に虐殺した民間人の死体を一カ所に集めて
たっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり、韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て
接収することなく破壊し尽くした上新たに日本の駄目な建築物に建て替えるほど資源と資金が有り余っていて、
11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、終戦後になぜか強制連行を行いまくるほどの軍備と余裕が
あり、圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力になぜか圧勝するほど運がよく、朝鮮人を殺しまくりながら人口を
2倍にするという魔術を持ち、敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすようコントロールするほど
政治力と外交能力に長けた日本が敗戦したことは歴史上最大のミステリー

国際条約破り

投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/10 08:04 投稿番号: [5846 / 29399]
>しかし、中立条約の期限など、おかしな話ではありませんか?

>いついつまでは停戦しますといいながら。、停戦協定の破棄など、そんじょそこいらに転がっていますよ。


もし、「日ソ中立条約」がなければソ連はドイツに破れていたと思いますよ。


>何しろ日本政府は宣戦布告などしなかったのですからね。

日本政府の中枢部は宣戦布告を電信していたのですが、電信を受けた米国での
日本大使側で米国側への宣戦布告の通達が遅れてしまった、という事実は確かにそうですね。

「宣戦布告などしなかったのですからね」は違いますね。

「宣戦布告が遅れた」ということでしょう。





>日本政府の行動に国際条約破り、国際法規破りは数知れずあるわけでして、・・・・・・


>常に闇討ちでしょう?

「常に」といっておられますが、
日本側の「闇討ち」の例や「国際条約破り」の幾つかを挙げてください。

具体的な例がないと議論になりません。

>re:ソ連の条約破り=破棄=反古=解消

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/10 06:35 投稿番号: [5845 / 29399]
>○有効期限は5年とする(1941年4月〜1946年3月末日まで)


すみませんでしたね!
期限までは覚えていませんでした。

期限内に反古にしたわけですから、条約破りとなるのでしょう。

が、しかし、中立条約の期限など、おかしな話ではありませんか?

いついつまでは停戦しますといいながら。、停戦協定の破棄など、そんじょそこいらに転がっていますよ。

開き直るつもりはありませんが、日本政府の行動に国際条約破り、国際法規破りは数知れずあるわけでして、それを棚に上げて、相手が約束を反故にしたからと言って、非難するのはいかがなものでしょうかね

と思うのですよ。



宣戦布告をし、相手国に自国の真意を伝える事は、日本政府よりははるかに真摯的な行為だと思いますね。

何しろ日本政府は宣戦布告などしなかったのですからね。常に闇討ちでしょう?

本題とかなりかけ離れてきましたので、この件につきましては、又、後日ということにしましょうね。

>re:ソ連の条約破り=破棄=反古=解消

投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/09 23:32 投稿番号: [5844 / 29399]
>>「依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛け」ってね。

>これはね、新聞記事をそのまま抜粋しただけなのですよ。

>私もこの記述は、おかしいと思います。

>宣戦布告を発した段階ですでに、日ソ中立条約は破棄され、反古となったと見るべきでしょう。

「反古となった」、それこそが条約破りというのではないでしょうか?



>何年まで守りますとかの期限を切ってあったのであれば、
>約束違反で信義を破ったとか裏切ったとかになるでしょうが、・・・・・・

???

日ソ中立条約の期限はご存じないのですか?

1941年4月13日、松岡洋右外相がモスクワで結んだ日ソ中立条約。


『日ソ中立条約』の概略

○両国間の平和友好関係の維持

○相互の領土不可侵

○締結国の一方が第三国から軍事攻撃を受けたとき他方は中立を守る

○有効期限は5年とする(1941年4月〜1946年3月末日まで)


お判りでしょうか?

有効期限は「5年」なんですよ。



>貴方の思惑どおりにはなりませんね。

貴方は、条約の期限も知らないで記述されていたことに驚いています!!

いるんだね〜

投稿者: border04425 投稿日時: 2004/08/09 23:13 投稿番号: [5843 / 29399]
南京大虐殺があったことの納得させれるだけの説明を…。

可愛そうに

投稿者: giro_tama 投稿日時: 2004/08/09 22:30 投稿番号: [5841 / 29399]
文章もまともに読めないのね・・・

re:ソ連の条約破り=破棄=反古=解消

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/09 22:07 投稿番号: [5840 / 29399]
>「依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛け」ってね。

これはね、新聞記事をそのまま抜粋しただけなのですよ。

私もこの記述は、おかしいと思います。

宣戦布告を発した段階ですでに、日ソ中立条約は破棄され、反古となったと見るべきでしょう。

破ったというよりも、解消でしょう。停止条件、あるいは成就条件あるいは
何年まで守りますとかの期限を切ってあったのであれば、約束違反で信義を破ったとか裏切ったとかになるでしょうが、両国の都合の良い思惑のあげくに結んだ条約です、理想を求めて両国が歩みやったとか言う代物ではないことはご存知でしょう。
ですから、一方的に破棄する事も可能でしょう。
と思いますよ。

貴方の思惑どおりにはなりませんね。

おまえの存在は

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/08/09 19:37 投稿番号: [5839 / 29399]
世界の非常識だな?それとも歩く非常識って言ってやろうか?

>> 解決を望まない一団 ・・

投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/09 19:14 投稿番号: [5838 / 29399]
  >貴方は日中戦争における一連の数々の日本軍(関東軍)の謀略とされる事件についてはどのように   お考えなのでしょうか?

  との問ですが、言われている本質が生憎掴めません。

  もし、盧溝橋事件、北支事変、上海事変のことを対象とされているのでしたら、私は中国共産党軍による謀略という考えをもっています。

  もし、日本軍の謀略であるとするならそれなりの説明を頂きたいと思います。

  また
>7月25日   郎坊
  日本側に大きな責任があると思います。

  は盧溝橋事件から近衛内閣の判断で兵力増強を決めたことは、
  武力衝突の危険性は高まると予想されるかもしれませんが、
  逆に通常ならば兵力増強による中国側からの挑発抑止の潜在力になると考えられ正等な軍事行動の範疇と思います。
  尚、これら盧溝橋事件、北支事変、上海事変の軍事行動を「日本軍の侵略行為」と言われるのでしたらその理由もお聞かせください。

お前本気?

投稿者: sayoku_ha_shineyo 投稿日時: 2004/08/09 18:53 投稿番号: [5837 / 29399]
きみは常識が真実だと思ってる馬鹿だね。
まあどっかの三流高校にでも行ってるんだろう。

Re虐殺は無かった!

投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/08/09 18:35 投稿番号: [5836 / 29399]
あったのさ(笑
世界の常識だぞ
馬鹿

これが事実

投稿者: pesiticider 投稿日時: 2004/08/09 12:01 投稿番号: [5834 / 29399]
>>「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
>当然、中国側としてみれば、侵略者を排除することは自衛権の行使でしょうね。

そうではなくて、「国共内戦」で「国民党軍」に追われて敗走を繰り返し、ついに勢力が2万人前後にまで減少していた「共産党軍」が、起死回生を狙って「盧溝橋事件」を演出し、それが当たって「日中戦争」にまで発展したということです。

>蒋介石も、張学良も、毛沢東、周恩来も、中国統一の為には抗日は避けては通れない関門でしたよ。

1937年の時点では、「国共内戦」で壊滅寸前の状態だった「共産党」の幹部である毛沢東や周恩来は、「中国統一の為には抗日は避けては通れない関門」などと、暢気なことをいっている余裕などなかったですよ。むしろ、「この窮地を脱するためには、国民党と日本軍を戦わせる以外にない」と切羽詰っていたのではないでしょうか。
蒋介石にしても、日本に軍事留学していた人ですから、「今、日本とまともに戦っても勝ち目はない」と知っており、1930年代始めには日本化運動ともいえる「新生活推進運動」を推進していたくらいで、むしろ親日家だったのです。それが急速に、親米派となり反日色を強めていった背景には、妻の宋美齢及びその兄で在米「華僑」のボス的存在だった宋子文を介して、ある時期に英米との間に何らかの密約が成立したからではないでしょうか。
あまり親子仲はよくなかったとはいえ、父親の張作霖を「関東軍」に爆殺された張学良が、個人的な恨みから、「国民党」と「共産党」が一致して「抗日戦線」を結成すべきと訴えたことは理解できます。

>「侵略」があれば「防衛」する勢力があるのは当たり前です。

「侵略」されても「防衛」する勢力も力もなかったのが、清末から民国初期の中国だったわけです。特に民国初期には、国が四分五裂して、お互いに内戦を繰り返し、まさに戦国時代のような状況で、中国の統一政府といえるようなものも明確には存在していませんでした。中国大陸が曲がりなりにも統一されたのは、1949年になってからです。

>日本国民の総意の下に中国侵略することが、軍人にとって難しいことでしたでしょうか?

「日本国民の総意の下に中国侵略」といわれますが、1937年7月7に「盧溝橋事件」が発生した当初は、「現地解決」を望んでいた現地司令官はもちろん、当時の「近衛内閣」も「不拡大方針」を打ち出していたことは御存知のことと思います。それが「通州事件」などを切っ掛けに、軍部の一部が主張していた「対支一撃論」が台頭してきて、ついに8月14日の「閣議」で「対中軍事行動」が認められることとなったのです。ついでに申し上げますと、中国との本格戦争を覚悟しての「大本営」設置は、それよりさらに三ヶ月後の11月20日であり、このことからも日本政府が当初から「日中戦争」を意図していたわけではないことは明らかです。

>>「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
  即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
>張学良が蒋介石とともに帰ったのは、彼の威信を傷つけたことの名誉を回復させるためと、蒋介石への忠誠を表す為ではなかったでしょうか?   又、張学良軍の分裂を避ける為でもあったと思いますね。一つにまとめる事が最大の目標であったと思います。中国統一には蒋介石は欠かせない人物であったようです、張学良、周恩来もその点で理解は一致していたのではないでしょうか。ですから、蒋介石が先頭に立つべき人物でしたのでしょう。たしか、その様に張学良は発言していたと思いますよ。さすがのインテリでした。

蒋介石が秘書の陳布雷に書かせた「西安半月記」によれば、蒋介石を拉致した張学良が、蒋介石に「国共合作して抗日戦を戦い、日本を中国大陸から駆逐すべき」と進言した時、蒋介石は「それは現時点では不可能、日本の実力を全く知らぬ者の考え」と一蹴し、張学良の用意した「八項目」への調印を断固拒否したとのこと。
ただ蒋介石は、この席に同席した周恩来を評価し、「共産党」に対する考えを幾分改めたとのこと。

一方、蒋介石に同行し南京に入った張学良は、そこで逮捕され、「軍法会議」にかけられ有罪の判決を受け、その後は重慶、蘇仙嶺、鳳凰山、麒麟洞、さらには台北(新竹、陽明山、北投)などで何十年間も軟禁状態に置かれて、やっと許され人前に出られるようになったのは、蒋介石の死後十五年が経過した1990年のことです。また張学良と共に、「西安事件」を起こした楊虎城(「第十七軍」長)は、重慶で「坑刑」に処されています。
このことからも、蒋介石が「西安事件」を起こした張学良らを決して許していなかったことが分かります。

re:ソ連の条約破り=破棄

投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/09 07:46 投稿番号: [5833 / 29399]
>>「ソ連の条約破り」はあったが佐藤大使は非難しなかった、ということでしょう。

>ソ連からの宣戦布告は中立条約の破棄を意味するものです。

「破棄を意味するもの」って?

「破棄」って条約破りのことでしょう。


貴方は以下に、このように書いているんですよ。↓

「依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛け」ってね。


「日ソ中立条約に背いて」って書いてあるんだから条約を破ったことを指しているんでしょう?

横れす>>ソ連の条約破り=破棄

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/09 07:25 投稿番号: [5832 / 29399]
>「ソ連の条約破り」はあったが佐藤大使は非難しなかった、ということでしょう。

ソ連からの宣戦布告は中立条約の破棄を意味するものです。

>日本はこのとき、非難をできる戦況ではなかったということです。

非難も何も、相手が条約の履行を破棄したのですから、どうしようもないのが現実ですよ。
せめて、守ってくれと行って欲しかったというだけでしょう。
それで好転するとは考えられない。ソ連政府の考えですから、一外務大臣ではどうしようもありません。

我々も日本国政府に騙されていた?ような、妙な気分ですな!!

横れす>>ソ連の条約破り

投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/08 23:11 投稿番号: [5830 / 29399]
>又、佐藤大使は「極東の平和維持の視点から開戦決定に遺憾の意を表した」だけで、
>依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛けるソ連の行動を非難してはいない。」
>・・・・・・・

>ソ連の侵攻は条約破りではなかったのだね!!

??
「依然有効な日ソ中立条約」ってかいてあるんだから
「ソ連の侵攻は条約破りではなかった」ってどういう意味ですか?

「ソ連の条約破り」はあったが佐藤大使は非難しなかった、ということでしょう。

日本はこのとき、非難をできる戦況ではなかったということです。

> 解決を望まない一団 ソ連の条約破り?

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/08 22:35 投稿番号: [5829 / 29399]
貴方は日中戦争における一連の数々の日本軍(関東軍)の謀略とされる事件についてはどのように   お考えなのでしょうか?

日本軍(関東軍)の不可解な一連の行動に対しても貴方自身が明確な結論をなされていない状況に置いて、敵国の行動、あるいは状況にお詳しいとは、一体全体どのようなお考えをお持ちになっているのだろうか想像しますに、多少困難を伴いますね。

>「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。

当然、中国側としてみれば、侵略者を排除することは自衛権の行使でしょうね。

蒋介石も、張学良も、毛沢東、周恩来も、中国統一の為には抗日は避けては通れない関門でしたよ。

「侵略」があれば「防衛」する勢力があるのは当たり前です。

>>現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
  はあまりに単純な回答です。

難しい問題、複雑な問題でしょうかね?

日本国民の総意の下に中国侵略することが、軍人にとって難しいことでしたでしょうか?

石原完爾ですら止めることは出来なかったのです。

>「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
  即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。

これは記事をお読みになられての書き込みでしょうか?

張学良が蒋介石とともに帰ったのは、彼の威信を傷つけたことの名誉を回復させるためと、蒋介石への忠誠を表す為ではなかったでしょうか?
又、張学良軍の分裂を避ける為でもあったと思いますね。
一つにまとめる事が最大の目標であったと思います。
中国統一には蒋介石は欠かせない人物であったようです、張学良、周恩来もその点で理解は一致していたのではないでしょうか。
ですから、蒋介石が先頭に立つべき人物でしたのでしょう。
たしか、その様に張学良は発言していたと思いますよ。
さすがのインテリでした。

>実際に国共合作があったにも拘らず国共合作の発表は上海事変の後になっていること等です。

別に発表はいつになっても、構わないのではありませんでしょうか?
何か不都合でもありますか?

本日8月8日読売新聞朝刊2面に
面白い記事が載っていましたので紹介しましょう(すでにご存知かもしれませんが、、、)

我々は太平洋戦争を聞く度にソ連との「日ソ中立条約、不可侵条約」について
終戦間際に条約を破って、ソ連は攻め込んできた、実にずるい国だ!!などと聞かされ、教えられてきたものです。

が、本日の記事では、

「駐ソ日本大使、対日開戦通告され条約破りを非難せず、受け入れていた」

「宣戦布告」をソ連からされ、それを了解していた、と言うのですよ。

こんな情報を今まで、日本政府は隠していたのでしょうね?

国益を損ねる行為でしょうね。

「モスクワ1945年8月8日ビャチェスラフ・モロトフ・ソ連外相が佐藤尚武駐ソ大使に対日開戦を通告した会談のソ連側議事録が明らかとなった。

佐藤大使はなぜか   日ソ中立条約を踏みにじって開戦するソ連の背信を咎めず、モスクワ駐在中の厚遇に感謝さえしていた。」

会談は午後5時から20分間でソ連外相が読み上げる「宣戦布告」を「大使は動揺した様子でもう一度、テキストを読みなおしてもよいか?と小さな声で許しを求めた」とある。

又、佐藤大使は「極東の平和維持の視点から開戦決定に遺憾の意を表した」だけで、依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛けるソ連の行動を非難してはいない。」

さらに、
大使は「ソ連に滞在した3年4ヶ月の間、自分の為にモロトフ外相がしてくれた全てのことに対し深い感謝をあらわさねばならない」「ソ連政府は自分と日本政府に対し常に丁重だった」と礼まで述べたことまで記されている。

そして退出するときにはモロト外相に握手まで求めたとある。

佐藤氏自身の回顧録には「もはや万事窮す」形勢を盛り返す努力をあきらめたと記している、、

そうな!

ソ連の侵攻は条約破りではなかったのだね!!

驚きですね、、、外にもまだまだ、秘密が在りそうです、この国は、、、ね。

ゾルゲ事件

投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/08 20:56 投稿番号: [5828 / 29399]
  検索記入ミスをしました。

「ゾルゲ事件」
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-3.html

  こちらでお願いします。

解決を望まない一団

投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/08 20:17 投稿番号: [5827 / 29399]
  >現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
  はあまりに単純な回答です。

  「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
 
  その一方がロシア・コミュンテルンの指示を受けた中国共産党でした。
  「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
  即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
  実際に国共合作があったにも拘らず国共合作の発表は上海事変の後になっていること等です。
  西安門事件は更に研究が必要のようです。

  日中戦争の原因となった盧溝橋事件から北支事変、上海事変に至るまで中国側の挑発行為とされています。
  これらは中国共産党軍の策略と見なして良いと考えられます。

  ところが中国共産党の策略に気がついた蒋介石軍は昭和16年1月6日に皖南事件(かんなん)を起こします。
  蒋介石軍が中国共産党軍に対して戦闘を始め、中国共産党主力部隊で有った新四軍に死者一万人を越す粛清を行ったのです。
(この皖南事件は、ちょうど南京事件の裏返しの様な事件であるとも言われています)
  そのため中国共産党軍は体制建て直しの為に、蘇北地方への撤退を余儀なくされました。(国共合作の解体)

  一方日本も同様ロシア・コミュンテルンによる策略が期を一にしてあったのです。

  近衛内閣は盧溝橋事件の現地解決が進んでいるに係わらず、その解決を待たずに兵員増強を決定した不自然さがあリます。

  それを紐解くと、ドイツ人ゾルゲと朝日新聞記者・尾崎秀實に突き当たります。

  資料   1
「ゾルゲ事件」
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1
  資料   2
「朝日新聞のゾルゲ事件報道に見る朝日の狂気」
http://touarenmeilv.infoseek.livedoor.com/zoruge.htm

  昭和10年8月の第7回コミンテルン大会では、政府も知らないところで
  中国共産党と国民党が手を組み日本と戦うという方針を決定。
  中国共産党に対して、日本帝国主義打倒のための民族解放闘争をスローガンとして抗日人民戦線運動を巻き起こすことを指令。
  中国共産党は8月1日「抗日救国宣言」を発し、一切の国内闘争の即時停止、全面的抗日闘争の展開を企図。
  がすでに決定されていました。
 
  さてロシア・コミュンテルンのスパイ、ゾルゲと朝日新聞社の特派員尾崎秀実はアメリカ人左翼ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを通じて知り合ったのです。
  ゾルゲを通じコミンテルンの指示を知っていた尾崎は、監禁された蒋介石の安否が不明の段階から、「中央公論」に「蒋介石が今後の国共合作を条件に、無事釈放されるだろう」と予測する論文を発表。
  この予測が見事に的中して、尾崎は中国問題専門家としての地位を固めました。
  昭和12年の4月ごろから尾崎は「昭和研究会」に入り、「支那問題研究部会」の中心メンバーとして活躍。
 
  昭和13年4月、近衛内閣の嘱託。その立場を利用して国内世論を誘導するだけでなく、和平の動きそのものも妨害しました。
 
  しかし、昭和16年10月、日米開戦の予告をモスクワに通信したのを最後に、彼とそのグループは検挙され、彼らのほとんどが終戦をまたずに刑死・獄死しました。

  ゾルゲや尾崎秀実や日本共産党の戦前の反日活動が、反戦平和活動だったなどと言う輩がいるようですが、彼らはソ連の野望の下働きにすぎなかったのです。

  日本・中国国民党はロシアの陰謀に乗せられて日中戦争に突き進んだものと解釈できますがいかがでしょうか。
 





あと気づいたこと

投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 16:23 投稿番号: [5826 / 29399]
時間をかけれませんので、このあたりで失礼します。

あと、気づいたことですが、

正規軍の兵士が、敵国の軍服や民間人の服を意図的に着て行動している時に、捕まったら捕虜としての当然の権利を主張することはできません。もちろん捕虜にしてもかまいませんが、射殺されても文句は言えません。

(軍人が民間人の服を着て行動する戦術があり、当時はこれを便衣兵と呼んでいたのですが、これにはむろん子どもや女性や老人が含まれることはありません)

当たり前の簡単な常識なんですよ。それをどうにかして虐殺にしようと、いろんな論理をこねくりまわしている日本人たちがいますが、総てトンチンカンな議論です。

出兵問題について

投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 16:05 投稿番号: [5825 / 29399]
>西安事件、そして通州事件の日本人虐殺から上海事変という流れの中で

戦後の洗脳教育を受けた世代の方には、この辺の事情はわかりにくくなっているのですよね。

例えば、昨日のアジアカップで混乱がありましたよね。通州事件なんていうのは、例えてみると日本人サポーターたちがいきなり虐殺されて全滅したみたいなもんです。それも切り刻まれたり針金を体に通されて連行されたりしてね。そういうのは歴史的には中国特有の方法なんですけど、日本人には理解しがたいわけです。

それで、次ぎに上海が大軍に囲まれて少数の日本軍陸戦隊が防衛するんですが、上海には何万もの日本人が住んでいて、通州の二の舞になったら軍は国民に顔向けできないわけです。それで上海の居留民を救出せよと、派遣軍が編成されるわけです。

  ただ、上海を包囲する中国軍は最新式の軍備とドイツ軍顧問団の応援も受けていて、日本軍はおもいもかけない苦戦をしてしまうのです。あまりにも死傷者が多くて、日本国内では遺族たちが連隊長の家を襲って投石したりする事件も起きるわけです。

そんなこといろいろなことがあり、途中でドイツを仲介した和平交渉もありましたが、、南京を落せば、中国も反省して終るであろうということで上海救出の後に南京への進撃になるわけです。

でも一番のもとは西安事件なんです。これがあったから、本来親日的な蒋介石は日本と本格的に戦うはめになったし、中共が政権をとれたわけです。

だから中共にとっては、あの馬賊の息子は恩人なわけです。しかし、蒋介石にしてみれば彼に対して複雑な思いがあるわけなんです。

>旧日本軍兵士の証言 補足

投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 15:41 投稿番号: [5824 / 29399]
これは、もちろん旧日本軍兵士の証言についてのことです。日時や部隊がわかれば、戦友や部隊の行動などで検証できますからね。

中国人の証言は、終戦直後からしばらくは虐殺の証言はあまりなくて、南京の捕虜の日本軍や日本人居留者と中国人との関係はそんなには悪くなかったのです。

中国人の南京虐殺の証言は、主に1960年代以降に作られていますが、こちらは検証のしようがないんです。

>南京事件に至るまで〜10 (松井石根)

投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 13:41 投稿番号: [5823 / 29399]
松井将軍は中国と中国人を愛し、蒋介石とも仲が良かったのです。く日中の和平を目指して話合いを続けていたのです。

しかし、西安事件、そして通州事件の日本人虐殺から上海事変という流れの中で、派遣軍の司令官になつてしまいました。病身を押して指揮をとり、旧知の中国側の将軍たちと戦いました。戦いの途中で孤児の中国人の幼女を助け、自分の養女にしています。

そして南京を攻略しましたが、南京で軍法会議に問われた何人かの日本軍人の不祥事のことを聞いて涙を流しました。彼は理想主義者だったのです。

ソースを出してください。

投稿者: seekthetruth24 投稿日時: 2004/08/08 13:33 投稿番号: [5822 / 29399]
そういう   重要な発言をされるからには
しっかりした根拠があるんでしょうから。

東京朝日日日新聞の   戦意高揚記事   では   使い物になりませんが   ね。

>旧日本軍兵士の証言

投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 13:25 投稿番号: [5821 / 29399]
それが本当かどうかが問題。

しかし、ベトナム戦争の時の米軍のように、残虐行為はあったかもしれない。

中国軍(中国軍という統一された軍隊があったわけではないけど)の自国民に対する残虐行為はすごいものでしたが、日本人のメンタリテイからそういうのはさすがにないでしょう。しかし、戦争には残虐行為はつきまといます。

でも、南京大虐殺における実名の虐殺証言は、今のところ総て嘘があばかれています。だから最近では匿名の証言が作られています。

南京事件に至るまで〜10 (松井石根)

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/08 10:32 投稿番号: [5820 / 29399]
南京事件に至るまで〜10 (松井石根 )

「今次の上海出兵は海軍が陸軍を引きずって行ったものといっても差し支えないと思う、、私は上海に絶対出兵したくなかったが実は前に海軍と出兵する協定があった。」(石原完爾中将回想録)

第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものとされている。(日中戦争と海軍=笠原)

参謀本部、軍令部=「北支作戦に関する陸海軍協定」(37年7月11日)
「帝国居留民の保護を要する場合においては、青島、上海付近に限定して陸海軍所要兵力共同してこれにあたる」により、8月15日に第3師団と第11師団による上海派遣軍の「編祖」と上海への派兵を命じた。

松井石根大将に与えられた任務は”上海地区の日本人居留民保護という限定された小規模兵力の派遣である”

ところが、松井石根大将にはこの命令を墨守するつもりは最初からなかった様子である。
「陸軍を増派して南京攻略まで、行うべきである」と陸軍大臣官邸で行われた三長官(参謀総長、陸相、教育総監)の送別会での挨拶で述べている。

さらに、参謀本部首脳との会談でも
「国民政府存在する限り、解決出来ず、、蒋介石下野、国民政府没落せざるべからず、、結末を何処にすべきやの議論あるも、だいたい南京を目標としてこの際断乎として敢行すべし、その方法はだいたい五〜六個師団とし、宣戦布告をし、堂々とやることを可とす、、、かく短時日に南京を攻略す、、、蒋介石は南京を攻略せば下野すべし、、、」

と司令官として中国に全面戦争を布告し、五〜六師団の兵力をもって南京国民政府を敗退させる決意まで述べている(次長、総務部長、第一,第二部長、会談)

松井石根大将は南京を落とせば中国は屈服すると安易に考え、崩壊させた後、

新政権を樹立し、軍司令官として、君臨することを望んでいた。よって、

上海居留民保護など、どうでも良い問題であったのである。
日本軍の「最高司令官」として 国民政府を倒し、謀略宣伝機関を設置支、「満州国政府」と同様な新政府樹立工作を行いたいというのである。

石原完爾第一部長は「個人としては長引けば全体の形勢が危ういものと考えあり、、」と懸念を表明し、参謀次長多田駿中将は「南京攻略の着想は、、具体的に研究すれば困難ますます加わる、、」と婉曲に反対し、松井司令官の命令違反を諫めるような厳重な注意を怠った。

松井司令官は見送りに来た杉山元陸相にも「どうしても、南京まで進撃しなければならない。」と力説している(八月一九日東京駅)

後に日本政府と軍部首脳は南京国民政府との和平を早期に実現し戦局を終結させるために駐華ドイツ大使トラウトマンに仲介を依頼して、蒋介石との和平交渉を本格的に推進するが(トラウトマン和平工作)、

松井指令官は国民政府との和平交渉など念頭似なく、やがて参謀本部の統制を無視して上海派遣軍を独断で南京攻略へ向かわせる事となる。

*ブリュッセル会議における対日経済制裁の可能性と、現地軍の無統制な戦線拡大による戦争の全面化と長期化をおそれた政府と軍部首脳は10月初旬から日本側の停戦条件を作成、ドイツ外務省と駐華ドイツ大使トラウトマンに斡旋を依頼して本格的に交渉するが最終的には日本軍の南京占領に幻惑されて、近衛内閣は三八年一月一五日、和平交渉の打ち切りを決定、日中全面戦争は長期泥沼化していく。

松井石根大将
陸軍士官学校第九期の卒業、九期から陸軍大将は5人輩出している。
(松井石根、荒木貞夫、真崎甚三郎、本庄繁、阿部信行)

松井石根は陸軍士官学校を二番の成績で卒業、陸軍大学校を主席で卒業している。
にもかかわらず、同期のなかで出世が遅れ、現役を退いて予備役になるのはもっとも早かった。

突然の日中全面戦争の開始出、現役の大将の数が不足したため、招集され、現役に復帰し司令官に任命されたのである。

松井は満五九才、陸軍最長老の大将として軍功をあげる最後のチャンスが到来したのである。

松井石根の野心を知りながら、陸軍首脳が命令、任務の厳守を松井に確約させなかったのは彼が陸軍最長老であったための遠慮があったといえる。

戦争指導者層の無責任な対応が、南京事件を起こす要因の一つとなっていた。(江口圭一「上海戦と南京進撃」)


南京事件に至るまで〜11(近衛文麿)

日本人妻の真実!

投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/08 06:31 投稿番号: [5819 / 29399]
2003/10/11 15:11   メッセージ: 2183
  投稿者: jackey_pabirion

日本人妻の真実


「在日と結婚し北に行った日本人妻」はほとんどが好きこのんで在日と結婚した
のでは無いよ。朝鮮進駐軍と名乗って在日が暴れ回っていた頃に結婚してる人が
ほとんど。なぜか?   在日が日本人女性を当時多く強姦してたから。
妊娠してしまい、親との縁を切られた人も結構いた。そういう人たちを奴らが嫁
(事実上の奴隷)にしたんだよ。朝鮮人が日本人女性を嫁にする=征服、という
価値観が彼らにあったんだよ。 という書きこがあった。

自分はこの話しを信じる。なぜなら樺太に残留した日本人女性を支援する活動 を
しているという女性が、NHKのラジオで同じようなことを話ていたからだ。

樺太に残留した日本女性は、ほとんどが終戦後レイプや脅迫によって朝鮮人 の妻に
させられた女性です。脅迫というのは、自分と結婚しないと、ソ連当局に密告して
家族全員を収容所送りにしてやる、というような脅しだったら しい。終戦から
2年後ぐらい後に日本の船が日本人を迎えに行ったときは、すでに妊娠していた
ため帰るのをあきらめたという。

朝鮮人はなぜ樺太に残ったのか。当時彼らは「戦勝国民」であったので樺太から
追い出されず、それで樺太に残ったにすぎないのに、今になってあたかも日本人
が彼らを置いてけぼりにしたような主張があることだ。

そういう説を広めたのは、「サハリン棄民」とかいう本を書いた、東大の大沼という
教授だ。大沼というやつは、学生のころは過激派だったらしい。それでNHKが
この話を取り上げて、当時の夜11からの番組で連続してサハリンの 朝鮮人の
取材レポートを放送し、山根一真と道傳アナウンサが、神妙な顔つきで、サハリン
に放置された朝鮮人の方々のことを思うと胸が痛みますってなことを言てったんだ。

その結果、社会党政権のもとで、日本が300億円だったか700億円だったか
金を出して、サハリンから韓国に帰国する朝鮮人のための集合住宅を建ててやっ
たんだ。そしてそれが完成したときそのことをテレビで放送していた。だが確認
はしていないが、その建物には、戦後北朝鮮から労働力としてサハリンに送られた
朝鮮人が、ソ連崩壊後北朝鮮でなく韓国に戻り、その建物に入っているという
ような話も聞いたことある。嘘に騙されてマスコミが煽って自虐して金出して
それがまた嘘を呼ぶ典型的な例だ。

被害者づらして騙しているけど、朝鮮人ってほんとに悪いことやっている。


朝鮮半島で、鮮人が日本女性に襲いかかってきただけじゃなくて、日本国内でも
戦後、 三国人と呼ばれた鮮人は本性をあらわにし、戦勝国民を自称して日本女性への
強姦を繰り返した。警察予備隊は、朝鮮戦争出撃の米軍に代わり三国人鎮圧目的
で設立され たが、1951年、社会党委員長に就任した鈴木茂三郎が予備隊に
反対して、「青年よ、銃を取るな」と呼び掛けたとき、当時の日本社会では日本
女性の強姦の危機と受け止められたほどだったという。


「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」 新井佐和子 (草思社 )

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794207980/ii-22

だから?

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/08/07 23:37 投稿番号: [5818 / 29399]
んで、それが日本が組織的に行なったって言う証拠は?なんかあんのか?韓国の従軍慰安婦みたいに証言に嘘がある可能性もあるのにそれだけで、信じ込むのは馬鹿のすることだな?所詮、おまえは証言者がいるから正しいなどと寝惚けたことを言う輩なんだろ?仮に一部の兵士が行なったとしてもそれが即、日本への賠償問題につながらんてこともわからん馬鹿なんだろ?愚かだな。
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