南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
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Re: NYタイムズ、安倍首相を酷評
投稿者: psychologist_yoko 投稿日時: 2013/01/05 19:08 投稿番号: [29067 / 29399]
>正当の清国の国である、満州国。
昭和の妖怪と呼ばれた岸信介
「満州国は私の作品」は岸信介の有名な言葉
これは メッセージ 29063 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: NYタイムズ、安倍首相を酷評
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/05 15:20 投稿番号: [29066 / 29399]
正七位大林太久美外千四百四十名満洲国建国功労章並大典紀念章受領及佩用ノ件 右謹テ裁可ヲ仰ク 昭和十五年四月十二日 内閣総理大臣米内光政 昭和十五年四月十一日 正七位大林太久美外千四百四十名ヨリ満洲国建国功労章並大典紀念章受領及佩用ノ儀別紙名簿ノ通願出候条御允許相成可然哉此段允裁ヲ仰ク 追テ右ハ孰モ章記無之候得共陸軍大臣ノ証明書相添願出候条特ニ御允許可相成度且本件ハ昭和九年三月一日附ヲ以テ施行致度此段副申ス 建国功労章被贈与者名簿
↑此の中に入っているのかな?
これは メッセージ 29062 (ヨーコ さん)への返信です.
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Re: NYタイムズ、安倍首相を酷評
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/05 15:19 投稿番号: [29065 / 29399]
海軍少佐男爵富岡定俊外六百二十四名満洲国建国功労章並満洲帝国皇帝訪日紀念章受領及佩用ノ件 右謹テ裁可ヲ仰ク 昭和十五年一月十八日 内閣総理大臣米内光政 昭和十五年一月十七日 海軍少佐男爵富岡定俊外六百二十四名ヨリ満洲国建国功労章並満洲帝国皇帝訪日紀念章受領及佩用ノ儀別紙名簿ノ通願出候条御允許相成可然哉此段允裁ヲ仰ク 追テ右ハ孰モ章記無之候得共海軍大臣ノ証明書相添願出候条特ニ御允許相成度且富岡定俊外三百六十七名ニ対スル分ハ昭和九年三月一日附堀田正恒外二百五十六名ニ対スル分ハ昭和十年九月二十一日附ヲ以テ施行致度此段副申ス 満洲国建国功労章 被贈与者名簿
↑此の中に入っているの?
これは メッセージ 29062 (ヨーコ さん)への返信です.
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Re: NYタイムズ、安倍首相を酷評
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/05 15:18 投稿番号: [29064 / 29399]
陸軍少将服部兵次郎外四千七百九十六名満州国建国功労章受領及佩用ノ件 右謹テ裁可ヲ仰ク 昭和十二年一月二十六日 内閣総理大臣広田弘毅 昭和十二年一月二十五日 陸軍少将服部兵次郎外四千七百九十六名ヨリ満洲国建国功労章受領及佩用ノ儀
↑此の中に入っているの?
これは メッセージ 29062 (ヨーコ さん)への返信です.
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Re: NYタイムズ、安倍首相を酷評
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/05 15:00 投稿番号: [29063 / 29399]
A級戦犯は日本では英雄だよ、君はチャンコロかい?
満州国はラストエンペラーの国。
正当の清国の国である、満州国。
これは メッセージ 29062 (ヨーコ さん)への返信です.
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Re: NYタイムズ、安倍首相を酷評
投稿者: psychologist_yoko 投稿日時: 2013/01/05 12:51 投稿番号: [29062 / 29399]
>朝日は安倍降ろしを躍起になっているからね。
安倍首相の祖父は元A級戦犯の岸信介
岸は満州国を作った中心人物
これは メッセージ 29061 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: NYタイムズ、安倍首相を酷評
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/04 15:52 投稿番号: [29061 / 29399]
日本においては、朝日新聞社と提携しており、東京支局を朝日新聞東京本社ビル内に設けている。また、かつては共同で英字紙ヘラルド朝日(International Herald Tribune/The Asahi Shimbun)を発行していた。東京支局長はマーティン・ファクラー(Martin Fackler、2011年10月現在)。
↑朝日新聞の資料で書いたんだね。
朝日は安倍降ろしを躍起になっているからね。
これは メッセージ 29060 (ヨーコ さん)への返信です.
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NYタイムズ、安倍首相を酷評
投稿者: psychologist_yoko 投稿日時: 2013/01/04 15:33 投稿番号: [29060 / 29399]
米紙ニューヨーク・タイムズは3日付朝刊の社説で、「歴史を否定する新たな試み」と題し、旧日本軍による慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」に関して、有識者による再検討の必要性に言及した安倍晋三首相を「重大な過ち」と強く批判した。
社説は、12月31日付産経新聞1面などに掲載された安倍首相へのインタビュー記事を引用し、安倍首相について、「右翼の民族主義者」と決めつけ、「朝鮮などの女性を強姦、性奴隷にし、第2次世界大戦で侵略したことへの謝罪の見直しを示唆した」と非難した。
また、「戦争犯罪を否定し、謝罪のトーンを弱めるどのような試みも、韓国や中国、フィリピンなど、戦時中の日本の野蛮な行為で苦痛を受けた国々を激怒させるだろう」とした。
最後に、「安倍首相の恥ずべき衝動は北朝鮮の核開発など地域の重要な協力態勢を脅かす恐れがある。こうした修正主義は、日本にとって恥ずべき愚かなことだ」としている。
ブッシュ前政権の国家安全保障会議(NSC)でアジア上級部長を務めたマイケル・グリーン氏は、ニューヨーク・タイムズなど一部米メディアによる「安倍たたき」について、「安倍氏を危険な右翼だと憎む朝日新聞や一部毎日新聞の見立てを輸入したものだ」との見解を示している。
これは メッセージ 1 (yuu*ou*eiwa さん)への返信です.
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慰安婦さんの声が聞こえますよ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/04 04:21 投稿番号: [29059 / 29399]
日本軍の兵隊さんは親切だった
お金もタント貰った
お金も十分貯まって、故郷には家も建てた
親兄弟達にも良い暮らしがさせられた
何て従軍慰安婦は良い商売だったんだろう
朝鮮半島の売春は止められないよ
世界中で今でもやっているよ
お金頂戴
これは メッセージ 29058 (みゆき さん)への返信です.
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Re: ◆世界一厳正だった日本軍の軍紀
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2013/01/03 21:53 投稿番号: [29057 / 29399]
シナ畜生に軍紀有ったのかいなぁ〜。
欧米にの軍紀有ったのなら教えてくれませんかなぁ〜。
ま、人間の尊厳も育たんシナ畜には到底無理でしょうがなぁ〜。
これは メッセージ 29056 (ヨーコ さん)への返信です.
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Re: ◆世界一厳正だった日本軍の軍紀
投稿者: psychologist_yoko 投稿日時: 2013/01/03 18:55 投稿番号: [29056 / 29399]
これは メッセージ 28845 (madabakayatuterunokaomae さん)への返信です.
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◆デマ・捏造・嘘まみれの「慰安婦」問題
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2013/01/03 18:28 投稿番号: [29055 / 29399]
従軍慰安婦の正体は自分の意思で売春婦になったか、ブローカーなどの朝鮮人に騙されて 売られた人達です、慰安婦の斡旋は朝鮮人業者の、商売でもあったからです。
多くの元朝鮮人慰安婦達が、日本軍によって強制連行でないと証言してる。
1.中国に連行された、洪江林は「近所のおばさんに誘われて、奉天の売春宿に入った」
2.洪愛珍は「見習いを経て14歳の時に朝鮮人に騙されて、上海の売春宿に入った」
3.河君子は「1944年、17歳の時に朝鮮人の2人に慰問団と騙されて漢口の売春宿に入った」
文玉珠の証言「顔見知りの朝鮮..人に騙された」
結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。
金学順とはこんな人です。
平成3年8月11日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦
戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦の
うち、一人が」名乗り出たと報じた。
しかし、この女性、金学順は、「女子挺身隊」として連行などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
ある韓国紙はそれを次のように報じた。
>生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番に売られていった。
三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった
>「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付
当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。
続いて、4〜5千万円相当の貯金をしたという文玉珠さんの証言。
米軍がレポートした慰安婦の実態も合わせてお読み下さい。
一年後の証言、
「日本と朝鮮の憲兵、刑事に強制連行された」
「しかし、一年後に脱走して帰郷した」
「その後、食堂で働けば金になると騙されて再び慰安婦になった」
また、文玉珠は、自分の不注意で失効した郵便貯金の返還要求し裁判を起こし、その中で1943年 から1945年までの3年足らずで売春業で26,145円を貯金した、現在の貨幣価値で8千万円くらいです。陸軍大将の年収が6,600円の時代に、日本軍の性奴隷が陸軍大将より稼いでいる、どこが性奴隷 なのでしょうか。
「ナヌムの家」の元慰安婦は、生活の糧を得るために「慰安婦芸」を披露して日本を呪うです。
また、「水曜集会」に積極的に参加して、可哀想なお婆さんへの寄付を各地で求め、被害者を 自称し多額の寄付金を得て利権にしている。
「水曜集会」などで騒いでいる元慰安婦は偽者であると、軍事評論家の池萬元に指摘されている。
嘘で塗り重ねて、個人の理由で売春婦になったのに、日本の責任して日本人の心を傷つけても おかまいなしです。
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◆どんなバカにもわかる日韓併合の真実④
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2013/01/03 18:27 投稿番号: [29054 / 29399]
■1906年ロンドン・ディリーメール紙
カナダ人ジャーナリスト
フレデリック・アーサー・マッケンジー
伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには改革、公正、斡旋があった。(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。
「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれるようにすべき立場に立っていると思う」と公はそう言明したのである。
■韓国発行
「邦字新聞」より
韓国人の安寧と幸福、その生活の向上を図るため、母国日本の財政負担は三年間に三千万円に達している。日本及び日本人を益することを少しもやらないで、
韓国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。飽くまで韓国の主権を
尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人は
その下働きになっているに過ぎない。利権は韓国人のみに与えて、日本人には
荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。なおその上、韓国通の大陸浪人を
追放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた伊藤総監の心事那辺
にあるやを疑わしめるものがある。
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◆どんなバカにもわかる日韓併合の真実③
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2013/01/03 18:27 投稿番号: [29053 / 29399]
■『アメリカの鏡・日本』
ヘレン・ミアーズ著
より抜粋
○韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは
中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。
○日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れてしまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それに促されて行動したのだ。日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくものである。
○日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、
日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王
は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
○1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。トリート教授によれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた。そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手続きを踏んでいなかった。
○日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの賞賛を勝ち得るような改善が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。
■崔慶禄
(戦後、大韓民国陸軍師団長、士官学校長、参謀総長、メキシコ大使、英大使、在日韓国大使を歴任)
日本は、統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは、どうしても否定できない事実である。日韓併合後、日本人は鉄道、道路、架橋、用水路、植林、河川整備、堤防、港湾、学校施設の建設をはじめとする、大規模な公共事業を始めた。このために、それまで韓国には、食うや食わずの失業者がひしめいていたが、一般の 民衆に仕事が与えられて大いに潤った。日本は乱脈だった李氏末期の韓国社会を正した。韓国に法治社会をもたらした。日本が韓国を統治した間に、一方的な収奪を行ったというのは、大きく事実に反する。今日、日本統治時代を体験した韓国の知識人は、それが事実であることを知っていながら、客観的事実を認めることを拒んでいる。韓国は日本の力によって短期間のうちに、日本人が咀嚼した西洋の実用主義を定着させ、近代世界に入ることができたのだ。日本統治時代になって、はじめてまじめに働く 多くの者が報いられるようになった。また、韓国人の福祉が大きく増大したのだ。
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◆どんなバカにもわかる日韓併合の真実②
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2013/01/03 18:26 投稿番号: [29052 / 29399]
日本は、統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは、どうしても否定できない事実である。日韓併合後、日本人は鉄道、道路、架橋、用水路、植林、河川整備、堤防、港湾、学校施設の建設をはじめとする、大規模な公共事業を始めた。このために、それまで韓国には、食うや食わずの失業者がひしめいていたが、一般の 民衆に仕事が与えられて大いに潤った。日本は乱脈だった李氏末期の韓国社会を正した。韓国に法治社会をもたらした。日本が韓国を統治した間に、一方的な収奪を行ったというのは、大きく事実に反する。今日、日本統治時代を体験した韓国の知識人は、それが事実であることを知っていながら、客観的事実を認めることを拒んでいる。韓国は日本の力によって短期間のうちに、日本人が咀嚼した西洋の実用主義を定着させ、近代世界に入ることができたのだ。日本統治時代になって、はじめてまじめに働く 多くの者が報いられるようになった。また、韓国人の福祉が大きく増大したのだ。
■韓国発行
「邦字新聞」より
韓国人の安寧と幸福、その生活の向上を図るため、母国日本の財政負担は三年間に三千万円に達している。日本及び日本人を益することを少しもやらないで、
韓国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。飽くまで韓国の主権を
尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人は
その下働きになっているに過ぎない。利権は韓国人のみに与えて、日本人には
荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。なおその上、韓国通の大陸浪人を
追放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた伊藤総監の心事那辺
にあるやを疑わしめるものがある。
■宣教師
ラッド博士
韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。
■宣教師
ハリス博士
私の見るところをもってすれば、伊藤侯の統治は最大なる賞賛に値するべきものであり、大変満足しております。韓国国民は今やようやく、彼をもって自分達の友人であると知って、これを事実の上に現し始めました。過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。私は伊藤侯の必ず成功すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しなければならないと思います。
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◆どんなバカにもわかる日韓併合の真実①
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2013/01/03 18:26 投稿番号: [29051 / 29399]
日本の過保護で世界一幸福だった二十世紀の朝鮮民族
「韓国併合」と言われるもの本質は、日本の朝鮮植民地化ではなく、日韓の合併だった。戦後の朝鮮人はよく、日帝の植民地略奪」を強調し、日本人も朝鮮では台湾以上に過酷な統治が行われていたと考えがちだが、事実はまったくその逆である。朝鮮では台湾よりも地租が安く、産米も逆ざや制度が取られ、地下資源の経営も中央政府からの補助で支えられ歳出も中央による年平均15〜20パーセントの補填で支えられていた。資本投資も台湾より朝鮮の方が大きかった。
そのため二十世紀初頭まで糞尿だらけで世界一不潔な都市といわれていた現ソウルなど、美しい近代的な街に変貌し、半島の人口も倍増した。普通の近代国家なら、国民が国防費を賄うのが義務であり常識だが、朝鮮人からは一銭たりとも徴収しないという特別待遇だった。
二十世紀の人類史において、当時の朝鮮人ほど、過保護を受けて幸福に暮らしていた民族はない。
飢饉・疫病や戦乱・革命の被害も、自国民同士の朝鮮戦争を除いては、この国の人々の損害は実に小さい。このように韓国は、日本に依存しながら成長した国家なのである。戦後の国作りの成功、OECDの加盟の達成にしても、日米の資本と技術の移転に頼ったからこそだ。「第二の国辱」と言われる97年末以来の金融危機も、IMFの管理下に入ることで国際的地位を守っている。他力本願、ことに対日依存というのが、近代以降のこの国の体質になっている。
しかし韓国人は民族の誇りから、このことを絶対に認めたくない。だから日本時代に行われた徴兵や徴用にしても、みな自分たちの意に反した「強制連行」だったと主張したがるのである。
19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から都市ソウルまで、あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。
今のハングル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行っても生水が飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。しかし、日帝時代以前の韓国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録している。例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、水が原因でかかる早老病をはじめ様々な、「水土病」について書いている。そんな朝鮮に、慈恵医院の管制が発布されたのは1909年のことであった。本格的に近代医学医療制度が導入されたのは、朝鮮総督府時代からである。総督府が設立した大韓医院は、やがて京城帝大(現在のソウル大学)付属病院となり、朝鮮半島の近代医学、医療発展の中心的存在となった。各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋しており、疫病の浸入防止に取り組んでいた。
コレラ、天然痘、ペストなどの大流行は1918年〜20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。その後、地方の医療制度は清州、金州など順次各地で確立され、医師の養成と疫病の防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会がつくられ、李朝以来存続していた階級制度の廃止とともに、各道から市町村に至るまで医療設備が整備されていった。賎民も国民として、近代医療の恩恵を受けられるようになったのである。30年代に入ると、近代医療制度の確立と普及によって、中国大陸から来襲してくる疫病を完全に食い止められるようになっていた。飢饉による餓死と、疫病に
よる大量の死亡者を出していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を抱くほどであった。ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていたハンセン病には徹底して対処し、6000人以上収容できる小鹿島更正園は世界的に有名になった。「日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって
朝鮮半島の生命保全、韓民族の繁栄に大きく貢献したのである。
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捕虜帰還兵の取扱3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 13:31 投稿番号: [29050 / 29399]
大東亜戦争ニ於ケル捕虜帰還者ノ取扱方ニ関スル件 永久 大臣 第七四頁 兵務甲第一二四号 昭和十七年八月 昭和十七年八月七日 昭和十七年八月十 日 人事軍務法務代補任恩賞軍事軍務兵備防衛法務 俘虜 報局 達書号記メ相成度 陸軍省兵務局兵務課 関東軍司令官支那派遣軍総司令官南方軍総司令官及香港総督並第十四、第十七軍司令官ヘ達案(陸亜密)以下同シ 大東亜戦争ニ於テ捕虜ソ為リ帰還セル者ニ就テハ一率ニ捜査ヲ行ヒ有罪ト認メタル者ハ総テ之ヲ起訴スヘシ 陸亜密第二八九五号昭和十七年八月七日 次官ヨリ関東軍参謀長支那派遣軍総参謀長南方軍総参謀長及香港総督部参謀長第十四第十七軍参謀長宛通牒案
↑一貫して捕虜と成るなと言う文言はないよね、況して俘虜になるより死ねなどとは書いてないよね。
戦後の左巻きが勝手に解釈を変えたんだね、戦陣訓に関して。
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捕虜帰還兵の取扱2
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 13:22 投稿番号: [29049 / 29399]
昭和十四年九月三十日
次官より関東軍参謀長(支那派遣軍総参謀長)宛通牒案
今般陸満密第八五四号(陸支密第三五五三号)に依り今次事変に於いて俘虜と為り帰還せる者に就いては一律に捜査を行い有罪と認めたる者は総て之を起訴すべき旨達せられたるが爾後に於ける之が取扱に関しては左記に依るを可とする意見に付き通牒す
但し将校の分限進退に関する事項は別に措置せらるる儀と承知相成度申添う
左記
一.捜査の結果不起訴となり又は無罪と言い渡しを受けたる者の中所要の者に対しては厳重なる懲罰処分を行う
二.刑の執行修了者にして償勤を要する者は総て教化隊に於いて服役せしむ懲罰処分を受けたる者の中所要の者又之に準ず
三.処分修了者将来の保護に関しては本人の意向に依りては日本以外の地に於いて生活し得る如く斡旋す
↑捕虜となるな死ねなどと言うことは書いてないよね。
帰還後のことまで配慮しているよね。
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捕虜帰還兵の取扱
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 13:06 投稿番号: [29048 / 29399]
昭和19年8月1日
内閣総理大臣
小磯
ビルマ派遣軍下各師団長殿
軍法会議に依り無罪と認められたる者竝に無罪の判決ありたる者は帰国を許可せらるるべし尚その公表は左記状況に依り決定せらるるものとす
優勢なる敵に包囲され且攻撃を受けたる場合敵の戦闘行動に依り所属部隊より遮断せられたる場合線上に於いて人事不省に陥り捕虜となりたる場合等事実に依り之を決す
其の他の状況の下に降伏し有罪の判決を与えられたる者は厳重なる懲罰処分を行う
刑の執行修了者にして償勤を要するものは要すれば教化隊に於いて服役せしむることを得
処分修了者将来の保護に関しては本人の意向によりては日本以外の地に於いて生活を得るが如く斡旋す
↑俘虜を禁止するなどとは書いてないよね。
俘虜になる場合のことは書いてあるが常識的なことばかりだね。
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Re: ニャンコチャン、サンドバック状態
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 12:36 投稿番号: [29047 / 29399]
普通の日本人は、米軍が首刈りをしたことに怒っているんだよ。
日本兵の頭蓋骨をトロフィーにしたことを怒っているんだよ。
日本兵の骨で米国の議員がペーパーナイフを作ったことに怒っているんだよ。
お前は日本人か。
嘲笑
これは メッセージ 29045 (wan**tyan**mon さん)への返信です.
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Re: ニャンコチャン、サンドバック状態
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 12:33 投稿番号: [29046 / 29399]
餓死のデーターを出すのは君らの方だよ、無いデーターは出せないよ。
米軍に資料にも、日本軍兵の餓死を書いたものは無いよ。
嘲笑
これは メッセージ 29044 (wan**tyan**mon さん)への返信です.
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Re: ニャンコチャン、サンドバック状態
投稿者: wankotyandamon 投稿日時: 2013/01/02 12:11 投稿番号: [29045 / 29399]
普通の日本人は、多くの日本兵が餓死したことを悲しんでいるのに、
おみゃえは、餓死したことを隠してるニャ。
本当に日本人ニャのか?
これは メッセージ 29043 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: ニャンコチャン、サンドバック状態
投稿者: wankotyandamon 投稿日時: 2013/01/02 11:57 投稿番号: [29044 / 29399]
ごまかしてないで餓死のデータを出しニャさい!
(嘲笑)
これは メッセージ 29043 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: ニャンコチャン、サンドバック状態
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 10:44 投稿番号: [29043 / 29399]
これは メッセージ 29041 (wan**tyan**mon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/29043.html
Re: ニャンコチャン、サンドバック状態
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 10:14 投稿番号: [29042 / 29399]
餓死の話しを信じる方が脳餓死なんだよ。
嘲笑
これは メッセージ 29041 (wan**tyan**mon さん)への返信です.
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ニャンコチャン、サンドバック状態!
投稿者: wankotyandamon 投稿日時: 2013/01/02 09:14 投稿番号: [29041 / 29399]
とうとう「餓死」の話から逃げ出したようだニャン。
(嘲笑)
これは メッセージ 29040 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: 現場指揮官の証言
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 08:57 投稿番号: [29040 / 29399]
現場の指揮官が、自分が受けた命令を知らないという程不思議は無い。
上海派遣軍楊子江上流方面上陸計画案十一月一日軍司令部第一課 第一要領一、軍ハ敵ノ抵抗ヲ予期シ十一月十二日未明ヨリ白茆口以西徐六芤口ニ亘ル間二、第三、艦隊及海軍航空隊ハ軍ノ作戦ニ協力ス 第二偵察及輸送三、偵察及輸送三、偵察ハ海軍艦艇及陸軍機ヲ以テ行フ企図秘匿ノタメ上陸直前ノモノハ実施セス四、重藤支隊ハ月浦鎮成ルヘク附近ニ集結後準備訓練ヲ実施ス五、輸送船碇泊場材料並楊陸作業部隊ハ十一月八日迄ニ遂次呉淞附近ニ到着ス六、重藤支隊ハ九十日呉淞附近ニ於テ乗船十一日抗州湾方面ニ於テ陸海軍総合レ訓練ヲ実施ス其ノ実施ノ細部ニ関シテハ別ニ定ハ第十六師 団輸送船隊ハ十二日馬鞍群島ニ到着スシ上陸ヲ準備ス七、第一次輸送兵団
これは メッセージ 29039 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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現場指揮官の証言
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/02 08:53 投稿番号: [29039 / 29399]
第十六師団の
現場指揮官たちが
どのような
命令を受けていたのかを、当事者の証言を確認してみよう。
(歩兵第三十八連隊副官の述懐古)
聯隊の第一線が京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り
乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな、処置せよ」と電話で伝えらた。
(中略)
部隊としては
実に驚き、困却しましたが
命令やむを得ず、
各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告は
ありませんでした。
激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
(独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊、観測班長の証言)
第一中隊(十五センチ加農砲)の任務は
太平門に突進する
佐々木支隊に
協力することであったが、南京が
陥落した
12月13日、仙鶴門鎮付近で首都防衛決死隊の夜襲をうけ、
かつ
多数の投降捕虜を得たので、その状況を
略述します。
(中略)
その行動は
極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、
取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。
(中略)
俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確に数えており
ませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、早速
軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」と言って
きましたので拒否しましたら、「では中山門まで連れて来い」
と命令されました。
(歩兵第十六師団司令部副官の遺稿)
私は
その時、“一万の捕虜をどのように収容するか”
を
考えなければ
ならなかった。
南京城内には刑務所があるだろうから、そこに入れるとしても
食わせるものが
ない。
我々自身が
イカモノを食いつつ、
その日を
過ごしているのに
如何とも
なし難い。
しかし、人間は水さえ飲んでいれば十日や二十日は保つと
いうから、食飼のことは
何とかなるだろう。
参謀長に
指示をうけようとしたが、参謀長は
即座に
「捕虜はつくらん」
と言われたので、後方参謀に話した。
いずれの事例でも、捕虜もしくは投降兵について、軍司令部なり
師団なり
参謀なりが、明確に「殺せ」という指示を出している。
この方針については、早くも1938年、石川達三氏が
中島師団長
麾下の
第十六師団に取材して書いた小説、「生きている兵隊」に
登場している。
(石川達三著「生きている兵隊」より)
こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。
自分たちが
これから
必死な戦闘にかかるというのに
警備をしながら
捕虜を連れて歩くわけには
いかない。
最も簡単に
処置をつける方法は
殺すことである。
しかし
一旦つれて来ると
殺すのにも気骨が折れてならない。
「捕虜は捕えたらその場で殺せ」
それは特に命令というわけ
ではなかったが、大体
そういう方針が
上部から示された。
笠原伍長は
こういう場合にあって、勇敢に
それを実行した。
彼は数珠つなぎにした十三人を片ぱしから順々に斬って行った。
南京事件を必死で否定し、その実態を隠そうと血眼になる連中は、
捕虜にしないとは
「釈放する」
という意味だ、壕を掘るのは
「収容監視する」
ためだ、などと
大マジメに
主張する。
勝手な憶測を前提に、捕虜の殺害はなかったと
主張してみせるが、
それは、まったく
説得力がない。
ただ
見苦しいだけなのだ。
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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(18)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/02 08:49 投稿番号: [29038 / 29399]
中国大陸に武力侵攻した日本軍が、南京などで
捕虜にした
多数の中国軍兵士を
組織的に
大量殺害した事件の背景に
補給線確保の軽視という
日本軍の特質があった。
自軍の食料さえ
確保困難な状況のうえに、予想を超える
大量の捕虜が発生し、その給養に窮して
殺害に及んだのだ。
日本軍将兵の証言記録などが、それを
裏付けている。
日本軍の
補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において
略奪行為などが
多発する事態をも招いた。
太平洋の孤島や
南方の密林とは違って、多くの人々が住む
中国では、餓死者などはなかったと思われやすいが、敗戦前
2年間の中国戦場では
病死者は戦死者を
上回っていた。
長尾五一軍医中佐の遺著などが、その事実を
裏付けている。
中国戦線で
最後の作戦となった第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月〜6月の
3カ月間の死者数は
戦死が695人、
戦傷死322人、戦病死2184人、計3201人にのぼり、
「第二十軍の統帥発動以来終戦までの各種比率」については
「戦死、戦傷、戦病死
おおむね
4対5対9」
である。
(第二十軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表の注)
中国戦線でも、戦死・戦傷より
「戦病死」
が圧倒的だ。
負傷した後に、包帯所や
野戦病院で
死亡する者も多かった。
ことは、患者の給養がきわめて悪かったことと無関係ではない。
病死の大部分が
長期間の給養不足で、栄養失調状態にあって
病気に対する抵抗力を失っていたため、戦病死に至ったものだ。
これも
広い意味で
餓死の分類に入る。
中国戦線での
45万の戦没者の
過半数が戦病死、それも
給養不足に基づく
栄養失調や、それが原因での体力の消耗
による
広い意昧での餓死であった
ということだ。
日本軍が、補給らしい補給もなしに
現地調達する方針は、
明治以来
一貫していた。
日清戦争でも朝鮮出兵軍からの
補給困難の訴えに対し、参謀本部は次のように訓令している。
「古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧を敵に因る)の一句あり。
爾来
内外の用兵にこれを奉じて原則となすゆえんのものは
この理由に外ならず。…糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、
いわんやこれを運搬する人夫においてをや…」
(明治27年6月29日、参謀総長熾仁親王から混成旅団長
大島義昌あての訓令)
「因糧於敵」、これが
侵略軍としての行為の根本にあった。
日本軍兵士の
戦地栄養失調症を含む広い意味での餓死者は、
合計で127万6240名に達し、全体の戦没者212万の
約60%
という割合になる。
靖国神社が「英霊」として
誉め讃える戦死者のうちの半数以上が、華々しい戦いの中に
散ったのではなく、飢餓と衰弱死に
追いやられたのだ。
これは メッセージ 29037 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(17)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/02 08:48 投稿番号: [29037 / 29399]
大量餓死によって、夥しい数の「英霊」
が生み出された。
その原因の
第3は、日本軍隊の
特質にあった
と言える。
ひとつは、日露戦争後の
日本軍の
軍事思想の中心に、
精神主義への過信があった
という点にある。
もともと
日本軍は、天皇への忠誠と
死を恐れぬ勇気を
将兵に要求した。
日本軍兵士は、天皇のため戦い、死ぬ。
国民の権益を守るため国民自らが組織することを基本とする
欧米の近代軍とは異なり、前近代的な忠君報恩を基本とする
錦旗の下の「皇軍」
が、近代もなお
存在してしまった。
兵士に要求されたのが、忠義第一とする
武士道精神だった。
命を惜しまず
名を惜しめ、生き恥をさらすより
死を選べ、
という教育が、皇軍兵士に
徹底的に
施された。
武士道精神は
近代戦においては
何の役にも
立たない。
この事実は、陸軍の父・大村益次郎が
実証したはずだった
にもかかわらず、軍の規範には
「武士道」
がすえられた。
武士道を基調とする精神主義は
兵士を組織に絶対服従させ、
個人個人の自発性を
失わせるうえでも
威力を発揮した。
天皇への忠誠を柱とする
精神主義の強調は
軍人勅諭に
表され、日本軍兵士の行動を
縦横に
縛り付けていた。
日露戦争での勝利も、日本軍に
欧米の模倣から脱却して
独自の軍事思想を確立させる機会となった。
物量よりも
精神力を重視し、歩兵の銃剣による
白兵突撃戦が最後の
勝敗を決するものだという
白兵主義に
つながった。
日露戦争で、砲兵火力で勝るロシア軍に対して、日本軍は
銃剣突撃をもって
旅順、遼陽、奉天で
勝利を収めた。
この経験から、日本軍部には兵力の多寡、装備の優劣より、
精神力の差が
勝敗を分ける
という軍事思想が根付いた。
こうした精神主義は、補給の軽視を生み、敗因となった。
こうした
火力軽視、白兵主義は、火力装備の発達した
近代の軍隊に対しては、まったく
通用しなかったのだ。
日露戦争において
旅順要塞への白兵突撃を繰り返して、
屍体の山を築いた
教訓は、少しも
生かされなかった。
速射砲や機関銃の弾幕、十字砲火の中に
白兵で突入する、
そんな作戦を
繰り返し、無駄な犠牲が出ても、第一線の
実情さえ知らない参謀や高級指揮官は、突撃を命じ続けた。
ガダルカナルでの失敗も
生かされず、ソロモン諸島でも、
ニューギニアでも、フィリピンでも、ビルマでも、皇軍は
白兵主義を盲信して
米軍の火力の前に死体の山を築いた。
こうした
無能な作戦を強行した
軍上層部連中と一緒に、
十把一絡げにして、悲惨な餓死を強いられた犠牲者たちを
「護国の英霊」だ
などとして
祀りあげることは、
戦争犠牲者の冒涜であり、厚顔無恥も
はなはだしい。
これは メッセージ 29036 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/29037.html
大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(16)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/02 08:46 投稿番号: [29036 / 29399]
前述してきたように、日本軍戦没者の過半数が
餓死だった。
戦闘で
華々しく
戦い、玉のように砕け散ったのではなく、
飢えと
病気にさいなまれ、やせ衰えて
無念の涙を流し、
密林の中で
次々と倒れて
死んだのだ。
こうした
悲惨な結果をもたらした原因を
考察してみよう。
まず
第1に、補給無視の
作戦計画が
あげられる。
軍隊が行動し戦闘するためには
兵員と軍需品の輸送手段と、
弾薬、資材、食糧などの軍需品を供給する補給が欠かせない。
ところが、日本軍は
作戦を重視していたわりには、
補給確保、特に
食糧補給を
きわめて
軽視していた。
作戦目的ばかりを重視して補給を無視した無謀な作戦ばかりが
各地で実行され、結果として
多数の将兵を餓死に追いやった。
ガ島敗戦の際に、今村第八方面軍司令官が
第十七軍司令官に
対して、この敗戦は
「饑餓の自滅」
であり、その原因は
「全く
軍部中央部の
過誤による」
もので、これは
「補給と関連なしに、戦略戦術だけを研究し
教育していた
陸軍多年の弊風が累をなし」
たものだ、と語っているのは、
まさに
至言である
と思う。
第2に、兵站軽視の作戦指導にあった
と言えるだろう。
日本陸軍は、伝統的に
対露(ロシア革命後は対ソ連)戦争を
第一の目標として
編成され、訓練を続けてきた
経緯がある。
したがって、その予想戦場は
北満州やシベリアの広野だった。
軍需品や食糧の補給を担うのは
後方部隊の
輜重部隊であり、
その部隊は、戦時に特設する馬を
主な輸送力としていた。
陸軍は
農林省と共同して
全国の農家に馬の飼育を奨励し、
戦時には
この馬を徴発する計画を立てていた。
41年7月、日本軍部は
独ソ戦の推移いかんによっては
対ソ戦を始めようとし、陸軍は
大規模な動員を行なった。
これが
いわゆる
関東軍特殊演習(関特演)だった。
こうした満州への大動員を行なっておきながら、南方攻略へと
大きく国策が転換されたが、後方軽視という状況が現れた。
南方作戦を具体化にあたり、大本営の兵站に関する基本構想は
「原則として
満州の集積軍需品は抽出せず、中国大陸に対する
補給は最大限に削減して余裕を作り、必要な場合は中国方面から
さらに引き抜いて
南方用作戦資材を充足する」
だった。
(参考:防衛研究所所蔵『戦史叢書・マレー侵攻作戦』)
つまり、満州に動員して大量蓄積した軍需物資は、対ソ戦に備え
そのままとし、支那派遣軍から一部を引き抜いて間に合わせよう
という
甘い考えしか
持っていなかったのだ。
「極力内地ノ負担及船舶輸送力ノ軽減ヲ図リ、最小ノ軍需資材ヲ
最有効ニ活用シ現地ニ於テ創意自製自活シ得ルモノハ原則トシテ
之ニ據ルヲ旨トセリ」(南方軍参謀作戦資料)
という具合だ。
しかし、この方針には
欠点があった。
兵要地誌の調査不足による
現地自活主義の破綻は、
やがて明らかになり、大本営の見通しの甘さが
露呈する。
気の毒などは
第一線の
兵隊たちだった。
彼らは、情報収集力のない軍の失敗による
犠牲者だった。
これは メッセージ 29032 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/29036.html
Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2013/01/01 21:24 投稿番号: [29035 / 29399]
我罪ボイスちゃん。
欧米やシナ畜、チョンころの日本国民に対する大虐殺は知らん振りかい〜。
サヨキチは反日民族でその内唾棄されるだろうなぁ〜。俺は今でもぺ!だの。
これは メッセージ 29032 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/29035.html
Re: 馬鹿ウヨは算数もできない
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2013/01/01 21:20 投稿番号: [29034 / 29399]
>遺伝的に優れてる民族である朝鮮人なら幼稚園児でも理解できる算数ですら計算できない
↑お前、意味不明だがな〜?ま、チョンコロはチョン国に帰りな〜。
お前の大好きなチョン人に為れば良いんでねえの〜。
これは メッセージ 29033 (sho*j*uj* さん)への返信です.
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馬鹿ウヨは算数もできない
投稿者: shoojouji 投稿日時: 2013/01/01 18:11 投稿番号: [29033 / 29399]
遺伝的に優れてる民族である朝鮮人なら幼稚園児でも理解できる算数ですら計算できない
これだから日本人は世界中で見下されるんだよ
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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(15)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 17:11 投稿番号: [29032 / 29399]
太平洋の孤島や南方の密林とは違い、人口稠密で物資豊富な
中国戦線では、餓死者など
生じなかった
と思われやすい。
しかし、敗戦前2年間の
中国戦線では
戦死者数よりも
病死者数が上回っており、その死因は
栄養失調、もしくは
栄養失調と不可分の
マラリア、赤痢、脚気など
だった。
中国戦線でも、補給困難による飢餓と
栄養失調による体力
消耗で、病気が重症化して
多数の「英霊」
を発生させて
いったのだ。
ある軍医の記録を
以下に引用する。
「酷熱多湿なるうえ敵機の跳梁、道路の破壊等により補給は
予定の如く
行なわれず、敵味方の大軍により
現地物資は
消費し尽され、将兵の疲労
言語に絶するものがあった」
(長尾五一著『戦争と栄養』、西田書店1994年より抜粋)
中国戦線の「英霊」増加が
もっとも
集中したのは
最後の2年間であり、その多くが
戦死ではなく病死だった。
その状況は、45年に入って
さらに
深刻になっていた。
中国戦線で最後の作戦となった
第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月から6月の3ヶ月間の死者の内訳は次のとおりだ。
戦
死
695人(22%)
戦傷死
322人(10%)
戦病死
2,184人(68%)
合
計
3,201人(100%)
圧倒的に多い戦病死者の詳細な内訳は不明だが、その大部分が
長期間の不十分な給養で、栄養失調状態から病気への抵抗力を
失い、病死にいたったことは、軍医の記録から
判明している。
中国大陸では、45万の
戦没者が発生した。
その過半数が
戦病死、それも
給養不足による
栄養失調や、
それが原因での体力消耗による
広い意味での餓死だったのだ。
戦死者よりも
餓死した者が多い、これが
日本軍の特徴だ。
中国大陸でも
太平洋でも、その事態は
変わらない。
このような「近代軍」が
20世紀にも
存在したのだ。
しかし、その悲惨な実態は
「玉砕」や
「散華」という
大本営が作り出した
美しく勇ましい言葉で
覆い隠された。
第二次大戦における
日本軍の戦没者の総数、その中での
戦死・戦病死者などの
正確な割合は、残念ながら判らない。
日本軍の敗北に終わったこともあって、正確に数えることは
きわめて困難であり、多くの戦場が「玉砕」
つまり全滅し、
生存者の証言や記録が失われていることも
原因の一つだ。
また、降伏の直後に、戦争犯罪の追及を恐れて、組織的に
関連資料の大量焼却が実行され、陸海軍の各部隊、さらには
市町村役場の
兵事関係書類までが
焼かれてしまったのだ。
このため、戦後も日が経つにつれて
調査がすすみ
戦没者の数が
どんどん増えていく
という状況だった。
この点からみても、旧軍部の体質を窺い知ることができる。
これは メッセージ 29031 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(14)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 17:10 投稿番号: [29031 / 29399]
インパールから
敗退する道は、日本軍兵士たちによって
「靖国街道」、あるいは
「白骨街道」
と名づけられた。
悲惨な退却の様相について、前述した将兵とは別の
一人の
将校の証言を、以下に
引用してみたい。
兵隊達の姿は
既に骸骨に
等しかった。
げっそり窪んだ眼が、伸び放題の無精髭と
尖り立った
頬骨の奥に空ろに光っていた。顔色は日灼けのした上に
泥濘をまぶしつけて、それでいて、その底に澱む
不透明な蒼白さが
浮いて見えた。
手先きは
僅かに皮膚を冠ったばかりの骨が、一本一本
浮き立ち、その上を通る静脈がどす黒く不気味であった。
足先きは
靴が脱げない程
ふくらんでいた。
雨にふやけたのだ。
まるで豆腐糠のように光沢のない
白さに腫れ上がっていた。靴を穿き潰した者が大勢いた
が、そんな者の
足先きは
一層ひどかった。
被服は
いうまでもなく
泥にまみれ切って
臀や肘の
あたりがべろべろに破れていても修理など出来なかった。
それを
ひらひらさせながら
歩いていた。
もう
その頃になると、脚気で全身むくみあがった者は
いなかった。
とっくに
落伍したのだ。
したがって、
兵隊達は
一様に枯れ切った細い枯木に
ひとしかった。
(中略)
その頃、誰言うことなく、この街道を靖国街道と言った。
その儘歩き続ければ、靖国神社に通じるという意味である
(村田平次『インパール作戦―烈兵団コヒマの死闘』より)
1952年に
厚生省援護局の調査したビルマ方面の作戦兵力と
戦没者の数は、次のとおりだ。
兵
力
303,501
戦没者
185,149
帰還者
118,351
戦没者は、じつに
61%にも
達したことが分かる。
これは、陸軍の陸上部隊のみで
航空部隊は
含まれていない。
つまり、海軍と航空部隊を加えれば、犠牲者数は
もっと多い。
この戦没者の中で、餓死・病死者の割合が
どうであるかは、
正確には判明しないのだが、多くの将兵の証言や記録によると
戦死者よりも
餓死・病死者が
はるかに多かったことが判る。
補給を無視した
無謀な作戦に駆り出され、飢餓地獄のなかで
歩く体力を失い、助けてくれ、連れて行ってくれ
と泣き叫び
友軍兵士の脚に
すがりついていた
重病患者たちの
無念さ、
悲しみを
思うとき、「玉砕」などという粉飾された言葉を並べ
偽りの戦果ばかりを発表し続けた大本営、そして日本軍自体に
怒りと
情けなさを
感じざるを得ない。
同時に、その当時の軍部が
垂れ流した
戦争の大義名分や
美しく
粉飾された
武勇談などを、いまだに疑うことなく
賛美礼賛して憚らない
愚かなヤスクニ派が存在することも、
同じ日本人として
恥ずかしいことであり嘆かざるを得ない。
これでは、平和を生きる
日本国民としては
無責任であり、
無念の死を遂げた大勢の戦争犠牲者に対し本当に申し訳ない。
これは メッセージ 29030 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(13)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 17:09 投稿番号: [29030 / 29399]
惨憺たる敗北を喫し、おびただしい数の「英霊」を増産した
インパール作戦の実情について、もう少し
記述しておこう。
南方軍復員本部復員課が
1946年6月に作成した資料、
「ウ号作戦及次期態勢移行ノ作戦間ノ給與及衛生」を引用する。
歩兵第六十七聯隊
大佐滝口一郎
給與
終始後方補給皆無ニシテ主食米ハ現地物資ヲ利用
セルモ、其他特ニ塩補給極メテ困難ニシテ全般的ニ
極メテ不良ナリ
衛生
給與ノ素悪、雨期、薬物補給ノ皆無等ニ依リ、
栄養失調、マラリア、脚気多発シ、戦病死者多発
スルノ止ムナキニ至リ、衛生状態極メテ不良ナリ
これは、報告の
ごく一部であり、他の聯隊長からの報告も
同様か、あるいは
それ以上に
悲惨な状況を報告している。
いずれも
作戦中は
糧秣の補給がなかったこと、
そのために
栄養失調やマラリア、脚気、赤痢などが多発し、
多数の死者が
出ていたことを
伝えている。
大本営が、作戦の失敗を
ようやく認めて、中止を命じたのは
7月3日のことだったが、ときすでに
遅かった。
兵士の体力は衰え、健康な者など
誰一人
いなかった。
兵士の命を第一に考えるなら、いさぎよく降伏すべきなのだが、
敵の捕虜になるなら死ぬべきだ
とする
皇軍においては
それは許されず、悲惨な退却が
試みられることになった。
飢餓に苦しみながら、雨期に入ったアラカン山系の密林の中を
退却中に力尽きた
将兵の死体が
退路を埋めた。
惨状は、生き残った兵士によって、次のように描かれている。
遺棄された死体が横たわり、手榴弾で自決した負傷兵の
屍があり、その数が
だんだん増えてきた。
石ころの
難路を越え、湿地にかかると、動けぬ重症の
兵たちが三々五々屯していた。水をくれ、連れていって
くれと
泣き叫び、脚にしがみついて
放れないのだ。
髪はのび放題のび、よくもこんなにやせたものだと
思うほど、骨に皮をかけただけの、あわれな姿だ。
息はついているが、さながら
幽霊だった。
(中略)
途中、潅木の中にひそんだ盗賊にやられた兵が、
腹部を至近弾でやられ、雑嚢が散乱している姿を見た。
戦争は生きることの全貌を一変させるものだ。
生きるためには、味方さえ
殺しあうのだ。
われわれも、恥もなく
屍についた雑嚢を探したのだが
食い物はなにひとつはいっていなかった。
おぞましい
非人の仕業もあきらめ、歩いては休み、休んでは歩き、
体内に残る生命の焔をかきたて、生きようとする苦行だけは
つづけた。
(志摩辰郎「地獄街道の戦い」より引用)
日本兵は、餓死寸前の状態で、インパールからの退却を続けた。
まさに
地獄であり、どこにも
美しい「散華」は存在しない。
このような
退却の様相は、ほかの将兵によっても語られている。
これは メッセージ 29029 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(12)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 17:08 投稿番号: [29029 / 29399]
ガダルカナル、ニューギニアなど
太平洋の島々のほかにも、
補給無視で
「英霊」を
増産した作戦として
有名なのは、
1944年に
ビルマ方面軍が強行した
インパール作戦だ。
戦力枯渇が目立つ44年になって、成算のないインド領への
大挙侵攻を実行するなど、無謀というほかない
作戦だった。
じつは、第十五軍司令官の
功名心から
実行されたものだ。
チンドウィン河を渡り、インド・ビルマ国境アラカン山脈を
越え、インド領内に侵入しようという
この作戦の経路には、
密林と
山脈があり、交通機関はなく、第十五軍の3個師団
10万の大軍の
兵站線確保の見込みは
最初からなかった。
すでに制空権は
連合国軍に移り、昼間の行動は
困難であり
道路を構築するための資材も土木機械も
日本軍にはなかった。
道路があっても、制空権がないため
物資を運ぶための
自動車を
走らせることはできず、また
走らせる自動車も、
ガソリンも欠乏していたのだから、土台
無理な計画だった。
なお、このときの
第十五軍
司令官は、盧溝橋事件の際の
支那駐屯歩兵第一聯隊長で、戦争のきっかけを作った人物だ。
軍司令官は、作戦に懸念を表明する補給担当の参謀を一喝し、
像や牛、馬、水牛の収集と
調教を命令した。
これらの動物に荷物を背負わせて運び、用が済んだら殺して
食べるのだといい、この作戦を
義経の「鵯越え」
や、
ハンニバルのアルプス越えに例えて得意になっていたという。
当時、大本営の作戦課長だった真田穣一郎大佐は、報告を受け
「第十五軍ノ案ハ徹底的ト云フヨリ寧ロ無茶苦茶ナ積極案ナリ」
と回想録に書いた。
(引用:『戦史叢書・インパール作戦』)
ところが、この“無茶苦茶な”作戦が、南方軍の認可を受けて
実行に移されてしまった。日本軍には構造的欠陥があったのだ。
3月上旬、携行食糧2週間分を持って、チンドウィン河を渡り、
攻撃を開始した
第十五軍の兵隊たちの運命は、悲惨だった。
左翼の第三十三師団は、3月下旬にインパール平地に達したが
食糧はなくなり、弾薬も不足して
攻撃続行が困難となった。
軍司令官は
これに憤って、師団長の柳田中将を罷免した。
中央を進んだ第十五師団も、インパール間近まで
迫ったが、
三十三師団と同様の状況から
攻撃が頓挫した。軍司令官は
消極的だとして、第十五師団長の山内中将も
罷免した。
右翼を進んだ第三十一師団の佐藤中将は、インパール北方に
進出していたが、「米一粒も補給がない」ため、独断で退却。
この佐藤中将の判断は当然であったが、日本軍という特殊な
組織では
許される行為ではなく、抗命の容疑で罷免のうえ、
軍法会議にかけられ、精神錯乱ということで
片付けられた。
軍司令官は
3人の部下師団長を全員罷免し、強引に攻撃を
督促したが、補給の途絶えた
部隊の状況は
地獄だった。
これは メッセージ 29028 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(11)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 17:07 投稿番号: [29028 / 29399]
補給無視の無謀な作戦で
大量の餓死者を出した
例として
ガダルカナル戦と
ソロモン群島の戦闘状況を
前述したが、
これらは、「英霊」
大量増産の
ごく
一例
にすぎない。
太平洋の
全戦域にわたって、餓死・病死が
多数発生した。
これは、日本軍の
近代軍にあるまじき欠陥に要因があった
無謀な侵攻作戦の例は、ガ島やソロモン群島の他にも数多い。
たとえば、42年の
ポートモレスビー攻略戦。
道なきジャングルを
踏破して、標高4千mの
山脈を越え、
ニューギニア東南岸を攻略するという無謀きわまりない作戦で
結果、日本軍は惨敗・退却したが、敗残兵の多くは補給もなく
餓死者を
大量に発生させて
全滅に近い状態
となった。
このときの様子を、歩兵第百四十四聯隊の小岩井第二大隊長が
次のように述べている。
食糧の欠乏は、敵弾以上の徹底的損害を
我が軍に与える
ようになって来た。私の大隊の将兵もみんな飢餓で体力を
消耗しきってしまい、頬は落ち
髪は伸び放題となり、
眼球は深く
凹んで
底に異様な光が残った。
そして顎はとび出し、首は一握りほどに細り、気力なく
足を引きずってよぼよぼと歩き、着ているものは破れ、
跣足で棒のように痩せた腕に飯盒をぶら下げ、草を摘み
水を汲んで歩く姿にはどこにも二、三十才の年齢は見られず
老いさらばえた乞食といった様子だった。
栄養失調の衰弱した体に
一たび下痢が始まりマラリアが
頭を擡げると、血便をくだし、四十度前後の高熱に襲われ
キニーネ等の微温的な投薬では解熱どころか却って下痢を
悪化し、発病までは一粒の米でも貪り食った者が、今度は
戦友の心尽くしの一滴の粥すら
欲しないようになり、水
ばかり飲んで喘いでいるのだった。
(中略)
患者はたいてい一週間も発熱を続けると
脳症を起こして
うわ言をいい始め、嘘のように脆く、ちょうど晩秋の落葉
のように飽気なく死んで行った。
三十才にもなろうかという男が
無意識に
母親の名を
呼び続けて
死んで行くこともあった。
(中略)
この作戦の終ったあとで戦歿者の統計を調べると
三割が
敵の弾による戦死、残る七割は病死だった。
戦場の実態は
このような惨状だったが、大本営はこれを「玉砕」
という
美しく華々しい戦闘死であったかのように
伝えている。
無謀な作戦に駆り出され、補給もないまま
やせ細って
死んだ
多くの犠牲者の無念、苦しみ、悲しみは
すべて覆い隠された。
これは メッセージ 29021 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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