大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(17)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/02 08:48 投稿番号: [29037 / 29399]
大量餓死によって、夥しい数の「英霊」
が生み出された。
その原因の 第3は、日本軍隊の 特質にあった と言える。
ひとつは、日露戦争後の 日本軍の 軍事思想の中心に、
精神主義への過信があった という点にある。
もともと 日本軍は、天皇への忠誠と 死を恐れぬ勇気を
将兵に要求した。 日本軍兵士は、天皇のため戦い、死ぬ。
国民の権益を守るため国民自らが組織することを基本とする
欧米の近代軍とは異なり、前近代的な忠君報恩を基本とする
錦旗の下の「皇軍」 が、近代もなお 存在してしまった。
兵士に要求されたのが、忠義第一とする 武士道精神だった。
命を惜しまず 名を惜しめ、生き恥をさらすより 死を選べ、
という教育が、皇軍兵士に 徹底的に 施された。
武士道精神は 近代戦においては 何の役にも 立たない。
この事実は、陸軍の父・大村益次郎が 実証したはずだった
にもかかわらず、軍の規範には 「武士道」 がすえられた。
武士道を基調とする精神主義は 兵士を組織に絶対服従させ、
個人個人の自発性を 失わせるうえでも 威力を発揮した。
天皇への忠誠を柱とする 精神主義の強調は 軍人勅諭に
表され、日本軍兵士の行動を 縦横に 縛り付けていた。
日露戦争での勝利も、日本軍に 欧米の模倣から脱却して
独自の軍事思想を確立させる機会となった。 物量よりも
精神力を重視し、歩兵の銃剣による 白兵突撃戦が最後の
勝敗を決するものだという 白兵主義に つながった。
日露戦争で、砲兵火力で勝るロシア軍に対して、日本軍は
銃剣突撃をもって 旅順、遼陽、奉天で 勝利を収めた。
この経験から、日本軍部には兵力の多寡、装備の優劣より、
精神力の差が 勝敗を分ける という軍事思想が根付いた。
こうした精神主義は、補給の軽視を生み、敗因となった。
こうした 火力軽視、白兵主義は、火力装備の発達した
近代の軍隊に対しては、まったく 通用しなかったのだ。
日露戦争において 旅順要塞への白兵突撃を繰り返して、
屍体の山を築いた 教訓は、少しも 生かされなかった。
速射砲や機関銃の弾幕、十字砲火の中に 白兵で突入する、
そんな作戦を 繰り返し、無駄な犠牲が出ても、第一線の
実情さえ知らない参謀や高級指揮官は、突撃を命じ続けた。
ガダルカナルでの失敗も 生かされず、ソロモン諸島でも、
ニューギニアでも、フィリピンでも、ビルマでも、皇軍は
白兵主義を盲信して 米軍の火力の前に死体の山を築いた。
こうした 無能な作戦を強行した 軍上層部連中と一緒に、
十把一絡げにして、悲惨な餓死を強いられた犠牲者たちを
「護国の英霊」だ などとして 祀りあげることは、
戦争犠牲者の冒涜であり、厚顔無恥も はなはだしい。
その原因の 第3は、日本軍隊の 特質にあった と言える。
ひとつは、日露戦争後の 日本軍の 軍事思想の中心に、
精神主義への過信があった という点にある。
もともと 日本軍は、天皇への忠誠と 死を恐れぬ勇気を
将兵に要求した。 日本軍兵士は、天皇のため戦い、死ぬ。
国民の権益を守るため国民自らが組織することを基本とする
欧米の近代軍とは異なり、前近代的な忠君報恩を基本とする
錦旗の下の「皇軍」 が、近代もなお 存在してしまった。
兵士に要求されたのが、忠義第一とする 武士道精神だった。
命を惜しまず 名を惜しめ、生き恥をさらすより 死を選べ、
という教育が、皇軍兵士に 徹底的に 施された。
武士道精神は 近代戦においては 何の役にも 立たない。
この事実は、陸軍の父・大村益次郎が 実証したはずだった
にもかかわらず、軍の規範には 「武士道」 がすえられた。
武士道を基調とする精神主義は 兵士を組織に絶対服従させ、
個人個人の自発性を 失わせるうえでも 威力を発揮した。
天皇への忠誠を柱とする 精神主義の強調は 軍人勅諭に
表され、日本軍兵士の行動を 縦横に 縛り付けていた。
日露戦争での勝利も、日本軍に 欧米の模倣から脱却して
独自の軍事思想を確立させる機会となった。 物量よりも
精神力を重視し、歩兵の銃剣による 白兵突撃戦が最後の
勝敗を決するものだという 白兵主義に つながった。
日露戦争で、砲兵火力で勝るロシア軍に対して、日本軍は
銃剣突撃をもって 旅順、遼陽、奉天で 勝利を収めた。
この経験から、日本軍部には兵力の多寡、装備の優劣より、
精神力の差が 勝敗を分ける という軍事思想が根付いた。
こうした精神主義は、補給の軽視を生み、敗因となった。
こうした 火力軽視、白兵主義は、火力装備の発達した
近代の軍隊に対しては、まったく 通用しなかったのだ。
日露戦争において 旅順要塞への白兵突撃を繰り返して、
屍体の山を築いた 教訓は、少しも 生かされなかった。
速射砲や機関銃の弾幕、十字砲火の中に 白兵で突入する、
そんな作戦を 繰り返し、無駄な犠牲が出ても、第一線の
実情さえ知らない参謀や高級指揮官は、突撃を命じ続けた。
ガダルカナルでの失敗も 生かされず、ソロモン諸島でも、
ニューギニアでも、フィリピンでも、ビルマでも、皇軍は
白兵主義を盲信して 米軍の火力の前に死体の山を築いた。
こうした 無能な作戦を強行した 軍上層部連中と一緒に、
十把一絡げにして、悲惨な餓死を強いられた犠牲者たちを
「護国の英霊」だ などとして 祀りあげることは、
戦争犠牲者の冒涜であり、厚顔無恥も はなはだしい。
これは メッセージ 29036 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.