南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(12)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 17:08 投稿番号: [29029 / 29399]
ガダルカナル、ニューギニアなど   太平洋の島々のほかにも、
補給無視で   「英霊」を   増産した作戦として   有名なのは、
1944年に   ビルマ方面軍が強行した   インパール作戦だ。
戦力枯渇が目立つ44年になって、成算のないインド領への
大挙侵攻を実行するなど、無謀というほかない   作戦だった。
じつは、第十五軍司令官の   功名心から   実行されたものだ。

チンドウィン河を渡り、インド・ビルマ国境アラカン山脈を
越え、インド領内に侵入しようという   この作戦の経路には、
密林と   山脈があり、交通機関はなく、第十五軍の3個師団
10万の大軍の   兵站線確保の見込みは   最初からなかった。
すでに制空権は   連合国軍に移り、昼間の行動は   困難であり
道路を構築するための資材も土木機械も   日本軍にはなかった。

道路があっても、制空権がないため   物資を運ぶための
自動車を   走らせることはできず、また   走らせる自動車も、
ガソリンも欠乏していたのだから、土台   無理な計画だった。
なお、このときの   第十五軍   司令官は、盧溝橋事件の際の
支那駐屯歩兵第一聯隊長で、戦争のきっかけを作った人物だ。

軍司令官は、作戦に懸念を表明する補給担当の参謀を一喝し、
像や牛、馬、水牛の収集と   調教を命令した。
これらの動物に荷物を背負わせて運び、用が済んだら殺して
食べるのだといい、この作戦を   義経の「鵯越え」   や、
ハンニバルのアルプス越えに例えて得意になっていたという。

当時、大本営の作戦課長だった真田穣一郎大佐は、報告を受け
「第十五軍ノ案ハ徹底的ト云フヨリ寧ロ無茶苦茶ナ積極案ナリ」
と回想録に書いた。   (引用:『戦史叢書・インパール作戦』)
ところが、この“無茶苦茶な”作戦が、南方軍の認可を受けて
実行に移されてしまった。日本軍には構造的欠陥があったのだ。

3月上旬、携行食糧2週間分を持って、チンドウィン河を渡り、
攻撃を開始した   第十五軍の兵隊たちの運命は、悲惨だった。
左翼の第三十三師団は、3月下旬にインパール平地に達したが
食糧はなくなり、弾薬も不足して   攻撃続行が困難となった。
軍司令官は   これに憤って、師団長の柳田中将を罷免した。

中央を進んだ第十五師団も、インパール間近まで   迫ったが、
三十三師団と同様の状況から   攻撃が頓挫した。軍司令官は
消極的だとして、第十五師団長の山内中将も   罷免した。
右翼を進んだ第三十一師団の佐藤中将は、インパール北方に
進出していたが、「米一粒も補給がない」ため、独断で退却。

この佐藤中将の判断は当然であったが、日本軍という特殊な
組織では   許される行為ではなく、抗命の容疑で罷免のうえ、
軍法会議にかけられ、精神錯乱ということで   片付けられた。
軍司令官は   3人の部下師団長を全員罷免し、強引に攻撃を
督促したが、補給の途絶えた   部隊の状況は   地獄だった。
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