南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2013/01/01 16:36 投稿番号: [29027 / 29399]
>ガダルカナル守備隊総数36,204名だよね、脳死君。36,204−20,000−5,000−1,5000=−3,796名になるよ、脳死君。更に一万人程救出されているからね、−13,796名はどうなったんだい、幽霊でも居たの、脳死君。

やっぱりねぇ。バカ猫ですねぇ(*・ω・)   参考までに以下のウイキペディアの解説を読んでみてちょうだいね。

「ガダルカナル島に上陸した総兵力は31,404名、うち撤退できたものは10,652名、それ以前に負傷・後送された者740名、死者・行方不明者は約2万名強であり、このうち直接の戦闘での戦死者は約5,000名、残り約15,000名は餓死と戦病死だったと推定されている。」

『直接の戦闘での戦死者は約5,000名、残り約15,000名は餓死と戦病死』
幼稚園児なみの低脳猫のデタラメ算数とは、ぜんぜん違いますわ。『戦闘による死者』よりも『餓死や病死者』のほうが圧倒的に多かったていうのは、史実ですからね。   理解できないのは、バカ猫だけですねえ。   

なんせ猫の脳みその重さは、約32gしかありません(^0^))   ちなみに、人間の脳は1,300g以上、犬や猿でも約100gありますよ。
脳みその小さい猫は、ものすごいバカということがよくわかりますねwwww

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2013/01/01 15:52 投稿番号: [29026 / 29399]
ガダルカナル島に上陸した総兵力は31,404名、うち撤退できたものは10,652名、
それ以前に負傷・後送された者740名、死者・行方不明者は約2万名強であり、
このうち直接の戦闘での戦死者は約5,000名、残り約15,000名は餓死と戦病死
だったと推定されている。一方、米軍の損害は、戦死1,598名、戦傷4,709名であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ガダルカナル島の戦い

>36,204−20,000−5,000−1,5000=−3,796名になるよ、脳死君。

おまえのそのマイナス20,000ってのは何ぞや?(藁

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/01 13:39 投稿番号: [29025 / 29399]
君は算数ができないんだから、数字が出て来るお話しには口を出さない方が良いよ、脳死君。

方面軍司令官は何を根據にそう言ったんだい、脳死君。

ガダルカナル守備隊総数36,204名だよね、脳死君。

36,204−20,000−5,000−1,5000=−3,796名になるよ、脳死君。

更に一万人程救出されているからね、−13,796名はどうなったんだい、幽霊でも居たの、脳死君。

君は算数ができないんだからね、脳死君。

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2013/01/01 13:21 投稿番号: [29024 / 29399]
ガダルカナル島の場合、方面軍司令官は死者二万、戦死五〇〇〇、餓死一万五〇〇〇と述べている。

「戦死者の6割以上が餓死だった」
http://www.jrcl.net/framek897.html

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/01 12:06 投稿番号: [29023 / 29399]
第四水雷戦隊
昭和17年12月21日

捕虜(艦爆搭乗少佐)訊問による調査事項

一.在ガ島兵力(12月15日現在)
   海兵隊約3万航空隊大型爆撃機B17   10機乃至15機
   戦闘機エアーコブラ10機   ロッキード10機   F4F50機(海軍
   機)   艦爆SBC25機(海軍機)

二.飛行場は三個所ありて「ルンガ」河東方旧飛行場爆撃機用(戦闘機も担
   当すること在り)更に本飛行場陸軍戦闘機隊用「ルンガ」河飛行場海軍
   戦闘機隊用実用機は山林内に引き込みあり
   滑走路附近に廃機多し
   飛行場周辺高角砲40乃至50門あり

三.航空隊要員は消耗率多く殊に艦爆関係者は補充少数にしてまいにち2〜
   3回飛行し関係員は疲労しあり

四.水上艦艇に関すること承知しあらず

↑これが当時のガ島米軍の情況だね。

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/01 11:35 投稿番号: [29022 / 29399]
>戦争で戦死はあたりまえだニャン。
その戦死の内容を聞いてるニャン。
銃撃死、爆死、凍死、病死、餓死...
なにが一番ニャ?

↑日本軍の場合戦傷死は戦闘中を言いますし、其の記録もあります。

他は戦傷死、変死、病死と言う事になりますね、記録にあります。

第○○隊死傷表という記録があります。

此の死傷表に餓死、病死は有りません。

ガ島方面潜水艦による糧食輸送実施経過

11―24   カミンボタサハロング   敵飛行機魚雷艇警戒厳重なる為揚陸中止
11―25   カミンボ   24日分の11噸揚陸

11―26   カミンボ   1930完了使用大発2隻便乗者23名

11−27   カミンボ   1900完了使用大発2隻薄暮時哨戒機2を認めたる外敵を見ず

11−28   カミンボ   2015完了使用大発3隻便乗者25名

11−29   カミンボ   概ね完了d×2を認め潜行便乗者イ3大発定員3名

11−30   カミンボ   2230完了使用大発2隻小大発1隻便乗者5名ルンガ沖夜戦あり

12−3    カミンボ   魚雷艇発見2回潜行2230中止使用大発1警戒厳重なり便乗者25名

12−5    カミンボ   1830完了大発2敵を見ず便乗者25名

12−6    カミンボ   2030完了使用大発2(2往復)魚雷艇より機銃射撃を受く便乗者4名糧食15噸弾約6噸揚陸

12−8    カミンボ   1850完了大発3敵を見ず便乗者32名

12−9   大発発進後魚雷艇の攻撃を受け魚雷後部に命中沈没(1800頃)

ガ島宛糧食、弾薬輸送量   約174噸

昭和十八年一月

本月下旬より「ガ島」方面の兵力を撤収他に転進の為「ケ」号作戦実施せらるることとなり各部隊に於いて着々準備ヲ進むると共に「ソロモン」方面の航空戦を強化し二十九日三十日両日に亘り「レンネル」島付近に出現せる敵有力艦隊に対し航空攻撃を加え戦艦1隻巡洋艦2隻撃沈其の他数隻大中破の戦果を収めたり

18年2月1日
前月末来「ガ島」方面兵力の転進作戦(ケ号作戦)実施せられ上旬3回に亘る輸送作戦は予期以上の成果を以て完了八日策戦を終了セリ

↑よく読んで考えましょうね、此が実戦記録です。

オマケを次に見せましょう。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(10)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 21:50 投稿番号: [29021 / 29399]
第十七軍と同じく、タロキナ作戦失敗後の   第六師団が
現地自活に移ってからの状況の例として、「戦史叢書」は
第六歩兵団司令部木下西舟少佐の   次の回想を掲げている。

   タロキナ作戦終了後の歩兵大隊の兵力は二〇〇〜三〇〇名
   であったと思うが、マラリアと栄養失調で   悲惨な状況で
   あった。   糧食の補給は   間もなく   全く   なくなった。
   現地自活に着手し、一人一畝を   耕作して、これによって
   一日   約一キログラムの芋を   収穫することにしたが、
   収穫までは   約三カ月かかるので、この間   毎日
   ジャングルの中の   野草を捜した。

   ひどい時には   飯盒の蓋一杯の   野草が食糧で、
   これに   時に澱粉椰子の団子が   加わる程度であった。
   塩は海岸で作った。
   ようやく   芋が出来始めると、今度は畑を荒す者が出た。
   畑を荒す者は   銃殺であった。
   人肉を食べた者がある   などという話も   あった。
   (引用史料:『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈5〉』)

タロキナ作戦終了後   4万余の兵力は、方面軍の報告によれば
45年の   敗戦後には   23,053名にまで   減少しており、
「大部分このような事情に基づく戦病死者であると推定される」
と書かれている。

以前、NHK教育で   「封印――脱走者たちの終戦」   という
ドキュメント番組が   放送されたことが   ある。   その内容は、
ブーゲンビル島の第六師団のすさまじい飢餓の状況にかんする
旧日本兵たちの生々しい証言だったが、その中で   食糧を求め
離隊し、終戦後に戻った兵を   逃亡兵として、裁判にもかけず、
銃殺したというもので、終戦後60日もたってから30人もが
「処刑」   された   という証言もあった。

極限の飢餓状態の中で、食糧を求めて   隊を離れた   兵士を
「敵前逃亡」の罪名を被せて、軍法会議にかけずに殺害した
ということが事実であれば、当時の日本軍が   いかに
非人道的な強制を   行なっていたかが   示されている。

食糧は、わずかながら   自給できたとしても、栄養の偏りは
避けられず、将兵の体力は   低下していった。
さらに   補給の途絶によって、医薬品も   底をついた。
44年9月ごろには、マラリアの薬が   なくなり、全部隊の
人員の   じつに95%が   マラリア経験者だった   という。

なんらの戦果も期待できず、戦略的価値を   完全に失った島で
敵からさえも無視されまま、ただ餓死者を増やし続けた皇軍に
残された   唯一の道は、一人でも多くの生命を   救うために、
いさぎよく   敗北を認めて、ただちに   降伏を   すべきだった。

しかし、皇軍には   人権感覚や   近代軍としての   判断力が、
まったく   備わっていなかった。
その無謀な体質の背景には、「死」を   美しく   粉飾し続ける
靖国思想の侵淫が   少なからず存在していたと言えるだろう。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(9)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 21:49 投稿番号: [29020 / 29399]
1944年1月、日本軍の軍事拠点ラバウルは   完全に孤立した。
ニューギニアとニューブリテン島の間の   ダンピール海峡が
米軍に突破され、さらに   北方の諸島を   占領されたからだ。
44年3月、日本軍は   タロキナの敵陣地への反撃を試みたが、
圧倒的な米軍の火力に阻まれ、戦力をまったく喪失してしまう。

以後、ブーゲンビルの   第十七軍約3万2千、第八艦隊約2万、
計5万の陸海軍将兵は飢餓と戦いつつ敗戦を迎えることになる。
タロキナ作戦失敗後の状況は、第十七軍残務整理部が作成した
「ブーゲンビル島の作戦」   という史料に、記録されている。

    タロキナ攻略作戦は全力を傾けて行はれた。
    残余の軍需品も戦力を培養する為
    無制限に使用されたのは当然である。
    そこでこの作戦が失敗に帰したときには
    食ふべき何物も   残って居らなかった。

    そして銃を捨てると鍬をとった。
    作戦間に荒れ果てた耕地はもとより
    密林を伐開して開墾につとめた。
     (中略)
    土民の所有しているものが多くあらう筈がないのに
    之も半ば強制的に徴発するものも出て来た。
    木の芽、草の根、食べられるものはすべて食した。

    海の魚はとりたくても   敵機が絶えず哨戒するし
    爆薬は将来の作戦を考へればこんなことに供用は
    出来なかった。  
    小川の魚は   すぐとり尽された。
    蛋白質の給源は「トカゲ」であり   蛇であり鼠、
    「バッタ」の類に   及ばざるを得なかった。
     (中略)    
    以上のような給養状態であるから負傷したものの傷は
    なかなか   癒らないし   病後の恢復は   むつかしく、
    マラリアの蔓延は   之を助長した。
    かくの如くして「タロキナ」   作戦にもまさる
    兵力の損耗を来した。   率直に云ふならば死ぬ前に
    一度、たった一度だけで良いから   腹一杯食べたい
    と思ったのは   強ち死んでいった戦友だけでは
    なかった。

戦線が   すでに   北太平洋に移行したので、連合軍側は  
この無力化した日本軍を無視し、あえて強攻を加えることなく、
第十七軍は、もっぱら「飢餓」という強敵とのみ   戦いながら、
おびただしい数の   「戦死者」ならぬ「餓死者」を出しながら
惨めな敗戦を   迎えることになった。
「英霊」が   大量に増産された背景には、こうした惨状があった

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(8)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 21:47 投稿番号: [29019 / 29399]
惨めな   ガダルカナル敗退後の   ソロモン諸島方面の状況は、
その教訓を   生かせず、補給困難な離島に   兵力を送り込み、
「飢餓」大量発生の悲劇を   繰り返すばかりだった。
ガ島撤退の際、ラバウルの第八方面軍は、新来の第六師団を
北部ソロモンの   ブーゲンビル島に送り、第十七軍の収容と
同島の警備に   当たらせた。

また   従来から少数の陸軍部隊を配備していた中部ソロモン
ニュージョージア島ムンダや   サンタイサベル島のレガタに、
海軍陸戦隊を増強した。   陸軍も新たに南東支隊を編成した。
しかし、1943年当時   すでにソロモン群島方面の制空権は
米軍の手中にあり、島々への   補給輸送は   困難をきわめ、
ガ島の   二の舞になることは、必至の状況   となっていた。

米軍の   中部ソロモンへの攻撃は、ガ島撤退から   4ヶ月後、
43年6月30日に   始まった。   7月上旬には飛行場を奪い、
8月中旬には   北部の島にまで   上陸した。
各戦線では   残存部隊が   敵中に取り残され、撤退もできず、
また   降伏することも   許されず、「置き去り」   となった。

北部ソロモンの主島   ブーゲンビルには、各方面から
撤退してきた   部隊が   集まっていたが、11月1日、
米軍は   日本軍の予想をうらぎって   ブーゲンビル島
西海岸の   タロキナ岬に   上陸した。

ブーゲンビル島は   ラバウル防衛のための   要点だった。
海軍は   航空兵力の主力をあげ、タロキナへの反撃を行なった。
この   ブーゲンビル島沖航空戦について、大本営は、戦艦4隻、
航空母艦5隻、巡洋艦10隻撃沈などの   大戦果をあげた――
と   発表したが、これは   例によって、まったくの虚報だった。

第十七軍は、ジャングルを踏破して   タロキナ岬を攻撃したが、
圧倒的な火力の差で   反撃に失敗した。
米軍は、タロキナの橋頭堡と   飛行場を確保した後は、
日本軍を深追いせず、すでに   次の作戦に移っていた。
北部ソロモン群島の戦いが続いている間に、米軍は中部太平洋
方面での攻撃を進展させ、43年11月にはギルバート諸島の
マキン、タラワ両島に   上陸し、海軍守備隊は   全滅した。

44年2月には、マーシャル群島のクェゼリン、ルオット両島で
上陸した米軍に   陸海軍の守備隊が敗北、全滅した。
大本営は、これを   例によって   「玉砕」   と発表した。
同月17日、海軍の根拠地   トラック島が空襲で大損害を被った。
その後、ニューブリテン島はるか北方のアドミラルティー諸島を
占領されたので、ラバウルは完全に敵中に孤立することになった。

この段階で、ブーゲンビル島はもちろん、ラバウルの戦略的価値は
完全に失われた。   にもかかわらず、日本兵は投降できなかった。
撤退も降伏も許されない戦場で、皇軍兵士たちは   敵兵ではなく
より苛酷な   飢餓という   強敵との戦いを   続けることになった。
タロキナ作戦失敗後の   第十七軍の状況については、後述したい。
どのようにして「英霊」が大量増産されたか、実態を知ることで
ヤスクニ神社が美化する   戦争の真実を、明らかにできるだろう。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(7)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 21:46 投稿番号: [29018 / 29399]
ガ島奪回作戦は、補給をまったく無視して   部隊を送り込み、
戦死者の3倍もの餓死者を出すという   悲惨な結果を迎えた。
大量の餓死者を出すというこの戦局で、何よりも問題なのは
補給が困難なのがわかっているのに   上陸作戦の強行を命じ、
長期間   撤退させず、持久戦を命じた   大本営の責任だろう。

その伏線は、すでに   ミッドウェー作戦にあった。
連合艦隊が   ミッドウェー作戦を   計画したとき、当初
大本営海軍部は   強行に反対した。   その反対理由のひとつは、
たとえ   ミッドウェーを攻略できたとしても、占領後の防備や
補給輸送が難しい   ということだった。
(参考文献:防衛研究所『戦史叢書・ミッドウェー海戦』)

じつは、陸軍部も当初は反対で、補給が難しかろうというのが
その理由だった。   しかし、海軍主体の   作戦なので、陸軍は
わずか歩兵一大隊主体の   一木支隊を派遣することにしたのだ。
一木支隊の兵力は   歩兵第二十八聯隊長一木清直大佐指揮下の
歩兵一大隊を基幹とする   約3,000名だった。

この   一木支隊が、ガ島の   奪回作戦に   振り向けられた。
制海権が失われていたために   輸送船は使えず、一木支隊は
駆逐艦で   ガ島に送り込まれた。   このため、重火砲などは
運ぶことができず、火砲や戦車をそろえて待ちかまえていた
米軍に   敵うはずはなく、わずか   半日の戦闘で   先遣隊は
全滅し、聯隊長は   自決した。

圧倒的な兵力の差があるなかで、武士道精神と   銃剣突撃で  
米軍の弾幕に   対抗できるはずは   なかった。
一木支隊惨敗の後も   大本営は、同じように   川口支隊、
第二師団、第十七軍と、兵力の逐次投入を   繰り返した。
補給は   輸送船が使えず、「鼠輸送」や「蟻輸送」に頼った。

「鼠輸送」とは、本来戦闘用の艦艇である高速の駆逐艦を使い、
「蟻輸送」とは、小型の発動艇を使って昼間は島の陰に隠れて
夜間に   少しずつ行なう   輸送のことだ。
どちらも   兵員や小火器を運ぶのがやっとで、重火砲や戦車を
運ぶことはできず、少人数の補充兵を   送るのがやっとだから、
大軍を支える   補給品、弾薬や食糧を運ぶことは   無理だった。

そんなところに   陸軍兵力を   次々と送りこんだということは、
圧倒的に優勢な米軍の火力装備に   銃剣で勝てるという妄想を
軍上層部が   抱いていたからでは   ないだろうか。   さらには、
送り込んだ兵力への補給を無視し、持久戦を命じていたことは
精神力で飢餓を克服できると大本営は、本気で考えていたのだ。

歩兵の白兵突撃は、米軍の自動小銃と機関銃の圧倒的な弾幕に
なぎ倒され、ことごとく   全滅した。   ところが   日本軍は、
同じ失敗を、敗戦まで、他の島々でも   繰り返したのだ。
こうして、「玉砕」と称する   悲惨な全滅戦が全域で続けられ、
大量の   「英霊」が   生み出されていくことになった。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(6)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 21:45 投稿番号: [29017 / 29399]
補給もなく、飢餓と   栄養欠乏による疾病で、兵士が次々と
倒れていく   惨状にもかかわらず、大本営は   ガ島奪還作戦を
中断せず、11月16日、持久戦をせよ   と命令した。
第十七軍参謀長小沼治夫少将は、次のように   書いている。

    輸送、補給が続く状況に於ては   持久戦が成立するが、
    輸送補給が   途絶し   第一線将兵が飢え   杖をついて
    辛うじて歩行して居る「ガダルカナル」の第十七軍が
    持久任務を受けて   何時迄持久し得るやの回答は単に
    「敵の大攻勢を受ける迄持久し得」   といふに止まる。

    予が   大本営から持久任務を受領して   感じたことは
    「敵をして   大攻勢をとらしめないように   陣地特に
    アウステン山方面の陣地を   強化しつつ   進んで欺瞞、
    陽動及局部的積極行動を採り絶えず敵に危惧、圧迫感を
    抱かせる」   ことの必要であった。

つまり、補給が途絶えている状況で   持久戦を命じられたが、
見通しは立たず、結局のところ   敵に攻撃されるまで耐える
だけであり、できることとして   考えられるのは、局地的な
ゲリラ戦法等で   敵軍に   不安感、精神的圧迫感を   抱かせ、
攻撃を遅れさせるしかない――   ということだ。
さらに   小沼参謀長の手記は   以下のように続く。

   第一線陣地の守兵中歩行に堪えない傷病者は   陣地の守備に
   任じ(壕内に寝て居り敵が近づいて来ると起き上って射撃し
   又は手榴弾を投ずる)。   杖に倚って歩行し得る者は後方の
   糧秣運搬及炊事を担任し   比較的元気の者は或は挺進斥候と
   なり(出発数日前から飯の配給量を増加し元気を回復させて
   出した)敵陣深く潜入して   後方撹乱を行なわせ   或は夜間
   敵陣地又は哨所を奇襲して   偉功を樹てる等上下一致、戦友
   相励まし終始積極的(局部的なるも)に行動し敵の大攻勢を
   遅らせるに役立った。
   
このように   寝たきり状態や   杖を頼りに歩く兵士を抱えて、
ガダルカナル島の   持久戦が   戦われていたのだ。
防衛省の公判戦史が、各種資料から推計した数によると、
陸軍のガダルカナル島に上陸した人員は31,400名、
そのうち、途中病気などで   離島した者   740名、
撤収作戦で収容されたのは   約9,800名   であるから、
じつに   20,860名もの命が   失われたことになる。

このうち、純戦死が5,000名から   6,000名であり、
残りの約15,000名が   栄養失調症、マラリア、下痢、
脚気などの悪化による   餓死や病死である   とされている。
(参考:防衛研究所『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈2〉』)
つまり、純然たる戦闘死の3倍以上が   広義の餓死者なのだ。
このような悲惨な状況を自ら招いた「皇軍」には、本質的に
近代軍としては   致命的な欠陥があった   と言えるだろう。

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/12/31 21:23 投稿番号: [29016 / 29399]
戦死に於いては、全て当て嵌まるだろうが〜。

で、ワン子は何が言いてんだ〜?

餓死で戦死したのを愚弄してるんかい〜。蒋介石の黄河決壊作戦により多くのシナ人が何十万人として亡くなった。そこに援助で駆けつけた日本軍は、食料も与えたんだが〜。

お前見てると、シナ畜じゃねえのか、チョンコロか〜?

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: wankotyandamon 投稿日時: 2012/12/31 19:20 投稿番号: [29015 / 29399]
戦争で戦死はあたりまえだニャン。
その戦死の内容を聞いてるニャン。
銃撃死、爆死、凍死、病死、餓死...
なにが一番ニャ?

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 19:01 投稿番号: [29014 / 29399]
軍隊は戦死だよね、当然だよ。

外の死因があったら、その死因根拠を教えて頂戴ね。

資料は必要だよ。

因みに南洋の日本兵の頭部は70パーセント無い様だね、米国の資料に依ると。

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: wankotyandamon 投稿日時: 2012/12/31 18:03 投稿番号: [29013 / 29399]
そんなら日本兵の死因の一位はなにか、教えて頂戴な。

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 17:56 投稿番号: [29012 / 29399]
言われるだけで何の証明にはならないよ。

食糧が無く死んだ人間の特定は一つも出来ていない、あれば資料を示して頂戴ね。

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: wankotyandamon 投稿日時: 2012/12/31 16:29 投稿番号: [29011 / 29399]
>日本軍が餓死してという証拠はない。

日本兵戦死者の約6割が餓死と言われているよ。
君は違うと言うのかい?
では死因の一位はなんなの?

Re: 大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 15:20 投稿番号: [29010 / 29399]
日本軍が餓死してという証拠はない。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 15:07 投稿番号: [29009 / 29399]
降伏を許されず、死ぬまで戦うことを義務づけられた兵隊が、
戦うための体力を失い、密林の中で   次々と餓死・病死した。
そうした状況を   辛くも生き延びた将兵が   残した手記がある。
以下、小尾靖夫「人間の限界――陣中日記」   より引用する。

   12月27日(1942年)
    今朝もまた数名が昇天する。
   ゴロゴロ転がっている屍体に蝿がぶんぶんたかっている。
   どうやら俺たちは   人間の肉体の限界まで   きたらしい。
   生き残ったものは全員顔が土色で、頭の毛は産毛のように
   薄くぼやぼやになってきた。黒髪が、ウブ毛にいつ変った
   のだろう。
   体内にはもうウブ毛しか生える力が、養分がなくなったらしい。
     (中略)
   やせる型の人間は骨までやせ、肥える型の人間はブヨブヨに
   ふくらむだけ。   歯でさえも金冠や充填物が外れてしまった
   のを見ると、ボロボロに腐ってきたらしい。歯も生きている
   ことを初めて知った。

   この頃アウステン山に   不思議な生命判断が流行りだした。
   限界に近づいた肉体の   生命の日数を、総計の結果から
   次のように   わけたのである。
   この非科学的であり   非人道的である   生命判断は
   決して   外れなかった。

     立つことのできる人間は・・・寿命三十日間
     身体を起こして坐れる人間は・・・・三週間
     寝たきり起きられない人間は・・・・一週間
     寝たまま小便をするものは・・・・・三日間
     もの言わなくなったものは・・・・・二日間
     またたきしなくなったものは   ・・・・明日

これが、ガ島の第一線部隊の   食糧欠乏がもたらした   状況だ。
こんな惨状に陥っている第十七軍に対しても、なおも大本営は
11月16日付で、持久戦をせよ   という命令を   下している。
裸の人間を   毒蛇の巣に放り込んでおいて、そこで   耐えろ
と言っているに   等しい。   これでは   まるで、意図的に
「靖国の英霊」を、大量増産しようとしていたかのようだ。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 15:06 投稿番号: [29008 / 29399]
補給が   不可能ならば、近代戦では   「敗北」   を意味する。
それでも   大本営は、ガダルカナル島奪回作戦を   打ち切る
という決断を下すことができず、前線の指揮官も作戦中止を
言い出すことができず、ずるずると   無謀な戦いが継続した。

この間の   海空の大消耗戦で生じた   艦船、航空機、兵員の
莫大な損害は、取り返しのつかない   戦力喪失となり、
その後の戦況にも   大きな影響を   及ぼすこととなった。
大本営が、やっとのことで   ガ島からの撤退を決めたのは、
42年12月31日に   なってからだった。

撤収作戦そのものは、米軍に   察知されずに   成功したが、
かろうじて救出された者は、上陸した全兵力の   3分の1。
その兵隊たちも   栄養失調で体力を失い、餓死寸前だった。
この   ガ島惨敗の責任は、まったく   大本営の作戦にある。

装備も優秀で   準備万端を整えて上陸してきた   米軍に対し、
情報収集もせずに、わずか1000名で軽装備の一木支隊に
銃剣突撃で飛行場を奪回しようという、およそ戦理に反した
無茶な攻撃を実行させ、その後も   同じ失敗を   繰り返した。

一木支隊先遣隊が、米軍の火力に阻まれ、戦車に蹂躙されて
一瞬にして全滅したのに、何回も同じ戦法を繰り返したのだ。
制海・制空権を失ったために   闇夜の中の鼠輸送しかできず、
重火器も運べず、白兵突撃戦法しか採れない――
これでは、優秀な火力装備に   勝てないことは明らかなのに、
大本営は、装備も補給も軽視して   亡国的怠慢を犯したのだ。

装備が   運べないのだから、食糧も   運べない。
人間は   食糧がなければ   生きて行けない。
ましてや   戦闘に耐えうる   体力維持は   不可能だ。
大本営の作戦当局者たちは、前線に送り込んだ兵隊たちの
食糧補給を、いったい   どう考えていたのだろうか。

南太平洋方面の日本軍の   戦略基地であった   ラバウルと、
ガダルカナル島との間は   1100キロも   離れている。
制海・制空権を   奪われ、補給が困難なことは明白なのに、
3万を超す将兵が、身一つで   この島に送り込まれたのだ。
上陸した兵士たちは、背嚢に背負った   数日分の食料を
食いつくした後は、食糧の補給を   受けられなかった。

空腹に耐えかね、野生の植物を食べて   下痢をおこしたり、
有毒植物に当たる場合も   多かった。
栄養失調で   体力が衰えているため、赤痢や   マラリア、
その他の風土病への抵抗力もなくし、次々と倒れていった。
そうした記録を   掘り起こしながら、太平洋戦争の実相と
玉砕という愚挙を繰り返した日本軍の性質を考えていきたい。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 15:05 投稿番号: [29007 / 29399]
46年6月5日のミッドウェイの敗北によって、日本海軍は
主力空母4隻を失い、太平洋戦線における   制海権を失った。
それなのに、8月7日に   米軍がガダルカナルに上陸すると、
その時の前線基地ラバウルから、600カイリも前方にある
この島に、大本営は   次々と   兵力を送り込んでいったのだ。

米軍の上陸に   慌てふためいた大本営は、その奪回を決意し、
第十七軍を   その作戦に   当てることにしたが、とりあえず
急行させる   兵力としては、ミッドウェイ作戦用の   部隊で、
その中止後   グアムに待機していた一木支隊を送ることにした。

ところが   一木支隊を   急遽派遣するために、輸送船によらず
一木清直大佐以下1000名の先遣隊を駆逐艦6隻に分乗させ
急行させたのだ。   もともと   軽装備だった一木支隊先遣隊は、
駆逐艦輸送のため   重火器は持てず、食糧7日分だけを携行し、
戦車や重砲を持つ米軍から   飛行場を奪う任務を   負わされた。

一木大佐は、白兵突撃で   飛行場を奪回するつもりで、
8月1日夜   ガダルカナル島タイボ岬に上陸し、8月20日、
米軍陣地に突入したが、圧倒的な米軍の砲火によって全滅した。
一木支隊先遣隊の攻撃失敗後、第二梯団や海軍陸戦隊の輸送は、
制空権を握った   米軍機の妨害で   ことごとく   失敗した。

だが、大本営は   あくまでもガダルカナル奪回の意向を変えず、
パラオの川口支隊に続いて、ジャワから第二師団を第十七軍に
増加した。それらは   船団輸送ができず、「鼠輸送」とよばれる
夜陰に乗じての   駆逐艦による輸送に   頼らざるを得なかった。

辛うじてガ島にたどり付いた川口支隊は、9月11日と13日、
飛行場に   総攻撃を行なったが、強力な米軍の   砲爆撃を受け
携行食糧も尽きたため   失敗した。
10月24日、25日に第二師団主力による攻撃を行なったが、
これも   第一次攻撃と同じように   失敗した。

それでも   大本営は、奪回の方針を   変更しなかった。
11月中旬には   さらに第三十八師団主力をガ島に送った。
こうした兵力輸送のたびに、輸送に当たった駆逐艦も、
これを援護する   海軍の航空兵力も艦艇も   大損害を受け、
とどまることのない   消耗戦の様相を   深めていった。

ガ島における   陸上部隊の状況は、悲惨の一言だった。
増援兵力を送るのさえ困難をきわめたのだから、補給物資を
送る余裕はなく、駆逐艦が   米などを   ドラム缶やゴム袋に
入れて、海岸の近くに投棄したりして、辛うじて   わずかな
補給をしているだけ   というありさまになっていたのだ。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 15:05 投稿番号: [29006 / 29399]
餓死という言葉で   まず思い浮かぶのは、ガダルカナルでの
餓死者の大量発生であり、ガ島は「餓島」と揶揄されるほど
これは   ひじょうに有名な   事実だ。
1942年8月から43年1月にかけてのガダルカナル戦は、
太平洋戦争での米軍反攻による戦局転換のきっかけになった。

ガダルカナル戦は、この島に日本海軍が建設した航空基地を、
上陸・急襲した   米軍の海兵一個師団が占領し、
それを奪還しようとする日本軍との間で   戦われた攻防戦だ。
日本軍は、すでに制海・制空権を奪われていたにも係わらず、
飛行場奪回のために、次々と   陸軍の部隊を島に送り込んだ。

兵員・物資の輸送もままならず、かろうじて上陸した部隊も
補給が途絶している上に、利用すべき現地物資も皆無に近く、
餓死者続出の   惨状をもたらした。
半年後、装備を捨てて   生き残った人員だけを   かろうじて
撤退させることになった。   この敗退を   大本営は   国民に
「転進」   と発表したが、日本軍敗退の   第一歩となった。

ガダルカナル撤退を指揮したラバウルの第八方面軍司令官の
今村均大将は、その回顧録に   次のように   記している。

   五ヶ月以前、大本営直轄部隊として、ガダルカナル島に
   進められた   第十七軍の百武中将以下   約三万の将兵中、
   敵兵火により斃れた者は約五千、餓死した者は約一万五千、
   約一万のみが、救出されたのだ。

そして、自決して責任をとる   と申し出た百武軍司令官を
押し止めた言葉の中でも、次のように言ったと述べている。

   今度のガ島での敗戦は、戦によったのではなく、饑餓の
   自滅だったのであります。   この飢えはあなたが作った
   ものですか。   そうではありますまい。
   日本人の横綱に百日以上も食を与えず草の根だけを口に
   させ、毎日たらふく食ってる   かけだしの米人小角力に、
   土俵のそとに押しだされるようにしたのは、全くわが
   軍部中央部の過誤によったものです。
   これは、補給と関連なしに戦略戦術だけを研究し教育
   していた陸軍多年の弊風が累をなし、既に   制空権を
   失いかけている時機に、祖国からこんなに離れた、
   敵地に近い小島に、三万からの第十七軍をつぎこむ
   過失を、中央は   犯したものです。

今村大将による   この指摘は、まさにガダルカナル敗戦の原因、
餓死者大量発生の責任を   的確に衝く言葉ということができる。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 15:03 投稿番号: [29005 / 29399]
日本軍には、伝統的に「因糧於敵」   という方針があった。
武器弾薬など現地調達が難しいものは、補給に頼るしかないが
食料などは現地で調達する―   物資は、敵国から奪う   という
典型的な   侵略者の姿勢が、そこには   示されていた。

中国大陸に武力侵攻した日本軍が、南京などで   捕虜にした
多数の中国軍兵士を   組織的に大量殺害した事件の背景には、
こうした日本軍の   食料補給軽視の体質があった。
自軍の食料さえも確保困難な状況で、大量の捕虜が   発生し、
殺害に及んだ   という証言記録などが、それを裏付けている。

日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において   略奪行為などが   多発する事態をも招いた。
さらに、大戦の全般を通じて   日本軍兵士の   戦死者のうち
直接の戦闘での死亡者数よりも   餓死者の数が上回るという
近代軍としては   あるまじき惨状を   招くものとなった。

第二次世界大戦における   日本人の戦没者は   約310万人。
そのうち、軍人軍属の   死者数は   230万人とされている。
特徴的なことは、その過半数が、餓死や病死であった事実だ。
「英霊」   の多くが、華々しく   戦いに散った   のではなく、
飢餓地獄の中での   惨めな野たれ死に   だったのだ。

栄養学でいえば、飢餓には   食物を   一切摂取しないで起る
完全飢餓と、栄養不足または失調による   不完全飢餓がある。
日本軍の   戦闘状況の特徴は、補給の途絶によって、膨大な
不完全飢餓を発生させ、その結果、完全な餓死だけではなく、
栄養失調のために   病気に対する抵抗力をなくし、マラリア、
アメーバ赤痢、デング熱等よる多数の病死者を出したことだ。

戦死よりも   餓死や   病死者の方が多い――
それが一局面の特徴的な状況ではなく、戦場の全体にわたり
発生したことに、旧日本軍の   特質を   みることができる。
補給もせずに、占領地の死守を命じ、退却も   降伏も許さず、
自軍を次々と   全滅させた大本営は、それを「玉砕」と称し、
美しく粉飾した挙句、餓死者たちを「英霊」   と誉め讃えた。

近代国家間の戦争で、これほど   悲惨な結果を招いたうえに
反省も改革も怠り、自画自賛ばかりを   最後まで繰り返した
愚かな   軍隊が、はたして   他にあるだろうか。
近代戦において   補給途絶は、それだけで   敗北を意味する。
大和魂だけで勝てるはずがない。   惨めな敗戦は当然だろう。

大儀なき侵略戦争に駆り出され、無謀な作戦に投入され、
悲惨な死を   強いられた   若者たちの   無念さを思い、
大量餓死や   無謀な玉砕戦法をもたらした   日本軍の責任と
特質を明らかにして、それを   歴史に残す必要がある。

大量の餓死や「玉砕」と称する全滅は、人為的なものであり、
その責任を、死者に代わって   告発しなければならない。
それによって、二度と再び   あの悲劇を繰り返さないように
未来へ伝える「歴史の教訓」   とすることこそが、
先人たちの犠牲を   無駄にしない   唯一の道だろうと思う。

Re: 南京で孤児になった少女

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 14:01 投稿番号: [29004 / 29399]
夏淑琴サンが居た場所には、中国軍の4大隊、八十八師、八十七師、野砲、迫撃砲、機関銃隊が居たんですよ。

更にトーチカや鉄条網を廻らして居たんですよ。

一般の市民は皆無だったと記録にはあります。

南京陥落以前から、上記のような中国軍が居たんですからね。

昼夜を分かたず中国軍が警戒していたでしょう。

Re: 南京で孤児になった少女

投稿者: hassyumimawariyaku 投稿日時: 2012/12/31 13:37 投稿番号: [29003 / 29399]
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%BC&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=%E3%81%86%E3%82%8A%E3%81%AA

Re: 南京で孤児になった少女

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 13:34 投稿番号: [29002 / 29399]
夏淑琴サンあなたが被害合われた地区は中国軍に依って占領され、激戦が行われた所です。

一般市民は中国兵の為に全て追い出された地区でした。

嘘は止めましょう。

中国人は何故嘘を吐くのでしょうね。

南京で孤児になった少女

投稿者: miyuki513421 投稿日時: 2012/12/31 13:02 投稿番号: [29001 / 29399]
夏さん、申し訳ありません

おゆるしください



みなしごのバラード
http://www.youtube.com/watch?v=N13qzkWERCo

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 03:23 投稿番号: [28999 / 29399]
福神漬 茄子辛子漬 紅生姜 砂糖 携帯味噌 食 瓩 味噌 醤油 立 醤油エキス 瓩 粉醤油 食塩 携帯食塩 煎子 ウルメ削節 食酢 立 削鰹 瓩焼麩 味付海苔 食 番茶 瓩 清酒 立 ビール 本 サイダー カルピス 京城飴 兵六餅 朝鮮飴 角砂糖 氷砂糖 キャンデーキャラメル 文旦飴 必勝飴 キントン飴 羊羹 ケ 瓩 ビスケット 桜団子 吉備団子 チョコレート 懐中シルコ 茹小豆 密豆 パイ缶 瓩 ケ 人参飴 瓩 熱量食 甘納豆 栄養食 オートミル

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 02:46 投稿番号: [28998 / 29399]
昭和十七年 経済警察関係綴 昭和十七年度 経済警察関係綴 チューロ巡査駐在所 煉粉乳最高販売価格ニ関スル件 煉乳粉乳及燐寸最高販売価格指定 縫糸最高販売価格司令ノ件 麦酒。サイダー右同 醤油最高販売価格指定ノ件 牛乳協定最高販売価格ノ件 島内産製練価格指定ノ件 合成酒販売価格改正ノ件 味噌最高販売価格改正ノ件 畜獣及獣肉最高販売価格指定ノ件 飯米配給量改正ノ件 島産豆類雑穀類販売価格ノ件 島産豆類雑穀等最高販売価格指定ニ関スル件

昭和17年10月5日 昭和17年12月6日 副官ヨリ陸軍糧秣本廠長 陸軍需品本廠長へ通牒 (陸亞密) 第十七軍用野戰酒保品別紙ノ通整備追送スルコトニ定メラレタルニ付依命通牒ス 陸亞密第三八四二号 昭和17年10月6日 兵站総監部參謀長ヨリ第十七軍參謀長へ通牒 (兵総乙) 貴軍用野戰酒保品別紙ノ通整備追送セシメラル 兵総乙第一一七八号 昭和17年10月6日 昭和17年10月6日附 陸亜密第三八四二号ノ分 写済 野戰酒保品整備追送区分表 発送部隊 陸軍糧秣厂 受領部隊 沖部隊 ウキスキー 大瓶トス 味ノ素 カレー粉 一、

日本は世界で一番嫌われてる国は嘘

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 02:25 投稿番号: [28997 / 29399]
世界が好きな国ランキング 1位   ドイツ
2位   イギリス
3位   日本
4位   EU
5位   カナダ
6位   フランス


世界が嫌いな国ランキング 1位   イラン
2位   北朝鮮
3位   パキスタン
4位   イスラエル
5位   ロシア
6位   韓国


フレンドリー/クールな国①イタリア
②ブラジル
③日本
④フランス
⑤トルコ
⑥コスタリカ
⑦ネパール
⑧イギリス
⑨ジャマイカ
⑩メキシコ


嫌いな国①パキスタン
②サウジアラビア
③北朝鮮
④韓国
⑤イスラエル
⑥アメリカ
⑦中国
⑧オランダ
⑨ナイジェリア
⑩イラク


2011年 BBC調査より

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 01:56 投稿番号: [28996 / 29399]
生野菜にでニンジンは日持ちがしない、賢い君。

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 01:54 投稿番号: [28995 / 29399]
http://www.amazon.co.jp/verjus-%E4%B9%BE%E7%87%A5-%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%A9%E3%81%86%E8%B1%86%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9-%E3%83%94%E3%82%BC%E3%83%AA-%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%94%A3-500%EF%BD%87/dp/B005MJEP78

君は流石に賢いんだね、賢い君。

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/30 22:42 投稿番号: [28994 / 29399]
>やはり疑惑の資料と言わざるをえんな。

キリスト教的近代科学の視点から見ればそうなのでしょうね。


>軍関係の資料においてそれはあってはならんこと。

全然。英語教育をやめろとかいう寝言に対してはむしろ「戦争やっているから必要だろ」ということで当時の内閣総理大臣である東条英機はそのような要請を拒否しておりますが。

さらに言えば陸海軍とわず、宣伝などで平気で敵性語を使用しておりますけど。


>(戦時中、英語から日本語への言い換えの例)

ちなみにこの敵性語排斥運動は民間が勝手にやっているだけで法的根拠は全くありません。

さらに言えば戦争中において敵国の言語や文化を忌避するのは日本だけではなく古今東西どこにでも見られることですけど。

Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/30 22:30 投稿番号: [28993 / 29399]
>なぜキリスト教が近代科学を生み出したのか?

生み出しておりませんが。むしろ非キリスト教的なものには相変わらず批判的で現在でも進化論などを教えていない、中絶などをどのような理由であれ認めない、女性の司祭などの任命には消極的などいろいろありますけど

ちなみに言えば欧州における近代科学が発展した理由はキリスト教的な教えに嫌気がさした連中が「キリスト教(もっと正確にいえばカトリック)以前または以外のものやイスラム系の文化や技術の方が見るべきものがある」ということで起こしたルネサンス運動がきっかけですが。

>わしは教えんぞ。

「教えんぞ」ではなく「教えられない」の間違いでしょう。
言葉は正確に使いましょうね。

>とにかくルガルガ君は、もーっともーっとお勉強しなくてはならんようだ。

「なぜキリスト教が近代科学を生み出したのか?」

というのに対してわざわざガリレオやコペルニクスなどの事例を調べるなどですか?
でしたら小学校レベルで教わっておりますがあなたはご存じないようで

Re: 日本は世界で一番嫌われてる国

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/12/30 22:19 投稿番号: [28992 / 29399]
嫌々、反日教育を行っている特亜三国に逝っての、僕は似非日本人で有り、日本国が嫌いですから住まわせて下さいと言って頑張ってみな〜。

ハヨ、行った方が良いと思うがなぁ〜。

日本は世界で一番嫌われてる国

投稿者: shoojouji 投稿日時: 2012/12/30 19:42 投稿番号: [28991 / 29399]
中国に移住できるものならしたいですけど戦犯の国の住民である私を受け入れてくれる国はありませんな
犯罪を犯して賠償もろくにしない最低の国民

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/30 18:52 投稿番号: [28990 / 29399]
>生野菜↓
>蓮根        4.000トン
>馬鈴薯      12.000トン
>玉葱       20.000トン
>甘藷       10.000トン


生野菜に「人参」が入ってないのは変だな。

家庭においても日持ちの良い常備野菜としてジャガイモ、玉ねぎ、人参が特に重宝される。

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/30 18:41 投稿番号: [28989 / 29399]
>乾物↓
>昆布巻       2.000トン
>グリンピース    6.007トン
>焼松茸缶詰     3.024トン


たしかに一般人にとってすべての英語の禁止は困難を伴ったものらしい。

しかし軍関係の資料においてそれはあってはならんこと。

しかも乾物のグリンピースなどというものは聞いたこともない。

ふつうは缶詰であるものだがな。

それにグリンピースの量が6トンというのも他の食品と比べて突出して多いのが気になる。

グリンピースというものは料理のほんの飾り程度に使われるもの。

これほど大量のグリンピースでどんな献立がありえるのか?

やはり疑惑の資料と言わざるをえんな。


(戦時中、英語から日本語への言い換えの例)

「サイダー」→「噴出水」(ふんしゅっすい)
「フライ」→「洋天」(ようてん)
「キャラメル」→「軍粮精」(ぐんろうせい)
「コロッケ」→「油揚げ肉饅頭」(あぶらあげにくまんじゅう)
「カレーライス」→「辛味入汁掛飯」(からみいりしるかけめし)

Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/30 17:57 投稿番号: [28988 / 29399]
なぜキリスト教が近代科学を生み出したのか?

わかるかな?

わしは教えんぞ。

あんたの家庭教師ではないからな。

とにかくルガルガ君は、もーっともーっとお勉強しなくてはならんようだ。



>実家に帰っているので初詣は地元の神社ですませますけど

はいはいお疲れ様でした、よいお年を。

Re: 日本は犯罪の事実を認めて賠償しろ

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/12/30 17:22 投稿番号: [28987 / 29399]
反日特亜三国にハヨ、移り住め〜!中華自大夜郎主義のゴロツキに為りい〜な。
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