大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(15)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 17:11 投稿番号: [29032 / 29399]
太平洋の孤島や南方の密林とは違い、人口稠密で物資豊富な
中国戦線では、餓死者など 生じなかった と思われやすい。
しかし、敗戦前2年間の 中国戦線では 戦死者数よりも
病死者数が上回っており、その死因は 栄養失調、もしくは
栄養失調と不可分の マラリア、赤痢、脚気など だった。
中国戦線でも、補給困難による飢餓と 栄養失調による体力
消耗で、病気が重症化して 多数の「英霊」 を発生させて
いったのだ。 ある軍医の記録を 以下に引用する。
「酷熱多湿なるうえ敵機の跳梁、道路の破壊等により補給は
予定の如く 行なわれず、敵味方の大軍により 現地物資は
消費し尽され、将兵の疲労 言語に絶するものがあった」
(長尾五一著『戦争と栄養』、西田書店1994年より抜粋)
中国戦線の「英霊」増加が もっとも 集中したのは
最後の2年間であり、その多くが 戦死ではなく病死だった。
その状況は、45年に入って さらに 深刻になっていた。
中国戦線で最後の作戦となった 第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月から6月の3ヶ月間の死者の内訳は次のとおりだ。
戦 死 695人(22%)
戦傷死 322人(10%)
戦病死 2,184人(68%)
合 計 3,201人(100%)
圧倒的に多い戦病死者の詳細な内訳は不明だが、その大部分が
長期間の不十分な給養で、栄養失調状態から病気への抵抗力を
失い、病死にいたったことは、軍医の記録から 判明している。
中国大陸では、45万の 戦没者が発生した。
その過半数が 戦病死、それも 給養不足による 栄養失調や、
それが原因での体力消耗による 広い意味での餓死だったのだ。
戦死者よりも 餓死した者が多い、これが 日本軍の特徴だ。
中国大陸でも 太平洋でも、その事態は 変わらない。
このような「近代軍」が 20世紀にも 存在したのだ。
しかし、その悲惨な実態は 「玉砕」や 「散華」という
大本営が作り出した 美しく勇ましい言葉で 覆い隠された。
第二次大戦における 日本軍の戦没者の総数、その中での
戦死・戦病死者などの 正確な割合は、残念ながら判らない。
日本軍の敗北に終わったこともあって、正確に数えることは
きわめて困難であり、多くの戦場が「玉砕」 つまり全滅し、
生存者の証言や記録が失われていることも 原因の一つだ。
また、降伏の直後に、戦争犯罪の追及を恐れて、組織的に
関連資料の大量焼却が実行され、陸海軍の各部隊、さらには
市町村役場の 兵事関係書類までが 焼かれてしまったのだ。
このため、戦後も日が経つにつれて 調査がすすみ
戦没者の数が どんどん増えていく という状況だった。
この点からみても、旧軍部の体質を窺い知ることができる。
中国戦線では、餓死者など 生じなかった と思われやすい。
しかし、敗戦前2年間の 中国戦線では 戦死者数よりも
病死者数が上回っており、その死因は 栄養失調、もしくは
栄養失調と不可分の マラリア、赤痢、脚気など だった。
中国戦線でも、補給困難による飢餓と 栄養失調による体力
消耗で、病気が重症化して 多数の「英霊」 を発生させて
いったのだ。 ある軍医の記録を 以下に引用する。
「酷熱多湿なるうえ敵機の跳梁、道路の破壊等により補給は
予定の如く 行なわれず、敵味方の大軍により 現地物資は
消費し尽され、将兵の疲労 言語に絶するものがあった」
(長尾五一著『戦争と栄養』、西田書店1994年より抜粋)
中国戦線の「英霊」増加が もっとも 集中したのは
最後の2年間であり、その多くが 戦死ではなく病死だった。
その状況は、45年に入って さらに 深刻になっていた。
中国戦線で最後の作戦となった 第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月から6月の3ヶ月間の死者の内訳は次のとおりだ。
戦 死 695人(22%)
戦傷死 322人(10%)
戦病死 2,184人(68%)
合 計 3,201人(100%)
圧倒的に多い戦病死者の詳細な内訳は不明だが、その大部分が
長期間の不十分な給養で、栄養失調状態から病気への抵抗力を
失い、病死にいたったことは、軍医の記録から 判明している。
中国大陸では、45万の 戦没者が発生した。
その過半数が 戦病死、それも 給養不足による 栄養失調や、
それが原因での体力消耗による 広い意味での餓死だったのだ。
戦死者よりも 餓死した者が多い、これが 日本軍の特徴だ。
中国大陸でも 太平洋でも、その事態は 変わらない。
このような「近代軍」が 20世紀にも 存在したのだ。
しかし、その悲惨な実態は 「玉砕」や 「散華」という
大本営が作り出した 美しく勇ましい言葉で 覆い隠された。
第二次大戦における 日本軍の戦没者の総数、その中での
戦死・戦病死者などの 正確な割合は、残念ながら判らない。
日本軍の敗北に終わったこともあって、正確に数えることは
きわめて困難であり、多くの戦場が「玉砕」 つまり全滅し、
生存者の証言や記録が失われていることも 原因の一つだ。
また、降伏の直後に、戦争犯罪の追及を恐れて、組織的に
関連資料の大量焼却が実行され、陸海軍の各部隊、さらには
市町村役場の 兵事関係書類までが 焼かれてしまったのだ。
このため、戦後も日が経つにつれて 調査がすすみ
戦没者の数が どんどん増えていく という状況だった。
この点からみても、旧軍部の体質を窺い知ることができる。
これは メッセージ 29031 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.