南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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>河野談話

投稿者: ukipuka 投稿日時: 2003/03/14 23:27 投稿番号: [1281 / 29399]
少なくともあなたよりは河野談話は信用できる(笑い
そんなことをいっているから、日本人は嘘つきだといわれるんです。

慰安婦=被害者の証言が出発点です。
どの犯罪も被害者の捜索と証言から始まるのが常識です。
あなたは詐欺で告発された藤岡センセーとまったく同じ詐欺的論理ですよ(笑い

最後にもう一言いっておきますが、被害者の証言が決定的です。
それを否定するのは加害者かその共謀者です。

忘れてました・・

投稿者: kuroneko_pop 投稿日時: 2003/03/14 22:57 投稿番号: [1280 / 29399]
白馬事件に関して、書くの忘れてました。
確かにその事件はありましたね。私も否定しないです。
でも今ここで問題にしてるのは、朝鮮半島の女性を強制連行したのか、どうかだったんじゃないですか?
いきなり、白馬事件を持ってきて、「だから朝鮮半島でも日本軍は強制連行をした」ということにはなりません。
疑われる素地を作ってしまったことは事実ですけどね。
女性を日常的に連行し、性奴隷にしたという証拠を頼むから見せて下さい。
あ。ちなみに、「だったらあなたも、なかった、という証拠を見せて下さい」なんてことは言わないで下さいね。
裁判の検事も被告が無罪判決を受けたとしても「やってないという証拠を出してください」とは言いませんから。

お返事ありがと〜

投稿者: kuroneko_pop 投稿日時: 2003/03/14 22:42 投稿番号: [1279 / 29399]
>いきさつを書いた文章とかあるんですか?
とりあえず、河野談話で検索してみてください。そのいきさつが詳しくかかれてありますから。
たとえば「朝日、毎日の読書への資料:成田」を、見たらいかがですか?
それから少女慰安婦の話ですけど、アナタちゃんと人の話聞いてたんですか?
立証責任はアナタにあると言いませんでしたか?慰安婦の証言のみではなく、実際に12歳の少女を慰安婦にしていたという証拠でも持ってきて下さい。そしたら私は信じます。うん。日本軍は少女までをも性奴隷にしたのだ、と。うん。うん。信じます。
でもアナタが愛読されている吉見教授デスガ、「公文書は見つからなかった」ではなくハッキリ「証拠は見つからなかった」と言っておりました。もうすうねんも前のテレビ番組なので、ソースは提示できませんが・・・

それから日本は紙とハンコの文化です。たとえどのような命令だろうが、それが組織的に下された命令ならば、必ず公文書として残っているものです。日本政府はそれを探したんですよ。でも見つからなかった。
公文書だろうか民間の文書だろうが、今のところ見つかっていないのだから「ない」と言っても問題はないでしょう。ダメですか?

すいません。眠すぎて、稚拙な文章になってしまいました。頭が働かない〜・・また来ますんで、その時はヨロシク・・・

あなたの資料もヨロシク。

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2003/03/14 22:09 投稿番号: [1278 / 29399]
>外務省は韓国側が用意した元慰安婦と称する16人の非公開証言内容を一切検証することも無くそのまま鵜呑みにして、公式に謝罪してしまったんですよね。
それ以前に外務省はありとあらゆるツテで「強制連行の証拠や資料」を探したようですが見つからず、当時韓国側が「このままではいけないから、謝罪だけしてくれないか。賠償は求めないから」という密約で、河野談話が発表されたんです。

このいきさつを書いた文書とかあるんですか?
ヨロシクね。



>追伸。吉見義明って、確か「朝まで生テレビ」で、日本軍が女性を強例連行したという証拠は見つからなかったと、うっかり言っちゃった人でしょ?

証拠ではなく、「強制連行を指示した公文書」ではないですか?
まさか公文書に「強制連行して来い、とか、だまして連れて来い」とは書かないでしょうから。


これは、うっかりではなく「今のところの事実」なので、研究者ですから、正直に言ったまででしょう。

まず、あなたから答えてください。

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2003/03/14 21:53 投稿番号: [1277 / 29399]
>>いくらなでも12歳の女の子が慰安婦になったと言う事実はありません。

>あなたは、何を以って「事実が無い」とおっしゃるのでしょう?

まず、↑の私の質問に答えてください。
私は、前の1273に資料を提示しましたよ。


証言ばかりでなく裁判記録に残った「強制連行」↓

最も確実な証拠のある軍による強制連行の例はインドネシアで起こった「白馬事件」とよばれている事件です。白馬というのは当時の隠語で「白人女性に乗る」ことを意味していたみたいです。インドネシアには数カ所に白人女性を使った慰安所があり、総計65名のオランダ人被害者の事例が記録されていますが、特に有名なのが1944年2月新設のスマラン慰安所の事例です。

これは南方軍管轄の第一六軍幹部候補生隊が17才以上のオランダ人女性をスマラン慰安所に連行して、少なくとも35名に売春を強制した事件で、まぎれもない軍による強制と言えます。オランダ抑留民団が必死の抵抗を示し、陸軍省から捕虜調査に来た、小田島薫大佐への直訴に及んで、軍中央も知らないでは済まされないことになりました。オランダへはすでに様々なルートで事態が知らされており、国際世論の反発を招くことが必至の状況でしたので、軍はやむなく2カ月後にこの慰安所を閉鎖する処置をとりました。小田島大佐は陸軍省の捕虜管理部であり、これらの女性は慰安所に送られる前から収容所に入れられていたので、捕虜虐待問題として扱われましたが、戦闘員でもない17才の女の子を捕虜というわけにもいかないでしょう。これは、どう見ても住民虐待つまり慰安婦事件そのものです。

  こうした日本側の処置などが、記録に残ってしまったことと、被害者が白人だったので、連合国の追求がきびしく、関係者が戦犯に問われて裁判記録が残ってしまったことが今では決定的な証拠になっています。

河野談話

投稿者: kuroneko_pop 投稿日時: 2003/03/14 11:17 投稿番号: [1276 / 29399]
は、信用してはいけませんよ?
当時、外務省が韓国との密約にのっとって、謝罪らしきものをしたことは有名です。当時の官房副長官の石原信雄が明らかにしてそのことは新聞にスクープされたんですが、ご存知ありません?
外務省は韓国側が用意した元慰安婦と称する16人の非公開証言内容を一切検証することも無くそのまま鵜呑みにして、公式に謝罪してしまったんですよね。
それ以前に外務省はありとあらゆるツテで「強制連行の証拠や資料」を探したようですが見つからず、当時韓国側が「このままではいけないから、謝罪だけしてくれないか。賠償は求めないから」という密約で、河野談話が発表されたんです。

>あなたは何を持って「事実がない」とおっしゃるのでしょう。

それはこちらのセリフなんですが、ハッキリ言えばあなたが証拠を提示してないからです。
というより、肯定派全体が、ね。
慰安婦の証言だけをとりあげるのではなく、「何時、何処で、どのように、どうした。そして、何故(する必要があったか)」をあなた方肯定派は明らかにしなくてはいけないんです。
それが「立証責任」です。
裁判ではないですが、先に「あった」というなら証拠、資料を出して下さい。

最後にもう一度言っておきますが、「証言は証拠ではありません!!」
もし証言が証拠になるのなら、世界中、被害者と加害者で溢れてしまいます。
証言には裏付け捜査が必要なことをお忘れなく・・・

追伸。吉見義明って、確か「朝まで生テレビ」で、日本軍が女性を強例連行したという証拠は見つからなかったと、うっかり言っちゃった人でしょ?

もっと、勉強してね。

投稿者: kakusan_von_osaka 投稿日時: 2003/03/13 23:35 投稿番号: [1275 / 29399]
当時、日本でも貧乏な農家は娘を売っていた。

満州への移民も、国内で5反の田んぼを耕していても、凶作になったら、娘を売るしかない。こんな生活を止めるためには、満州へ行くしかないと言って、満州開拓民を集めた。
また、陸軍のクーデターを行った仕官や兵隊たちには、農村の貧しさから、世直しをしようと考える者が多かった。

あ、別に美化するつもりじゃないよ。
それくらい、当時は身売りが多かったと言うこと。

今でも、タイとかに行けば、身売りしている者がたくさんいるし、普通に仕事をしている女性でも、金持ち外国人が来ると、突然娼婦に早変わりしたりする。

そんな時代に組織的に連行する必要があるとは思えませんね。マージン欲しさに、だましたりして連れてきた女衒が横行したと思うけれど。

日本の害務省は、敗戦国のみじめさから、何でもかんでも謝る癖がついているので、信じられませんね。

そんなことより、日本政府が組織的に中国でアヘンを売った事の方がよほど信憑性がありますよ。

>まだまだ勉強中ですが

投稿者: tttsjp 投稿日時: 2003/03/13 22:22 投稿番号: [1274 / 29399]
>外務省のサイトです。
>強制連行を認めて謝罪してますが。


>慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。


外交的な談話を「強制連行」を認めたと判断してはいけません。
  甘言、強圧・・・事例が数多くあり・・
だから、国家的な強制連行とはとてもいえる代物ではありません。

まだまだ勉強中ですが。

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2003/03/13 22:07 投稿番号: [1273 / 29399]
>>そんな父が母に「戦地には、かわいそう女の子達が居た」と話していたそうです。


>そりゃどこの世界にも不幸な身の上の人はいたでしょう。女衒に騙されたり、借金のかた連れて来られたりとか・・・でもだからって、それは日本軍が被るべき罪ではないんですよ?
慰安婦問題で問われているのは、公娼制度の是非ではなく、日本が国家規模で組織的に、女性を連行したのか、どうかなんですから・・・

外務省のサイトです。
強制連行を認めて謝罪してますが。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html


>>12歳から15歳くらいの少女までもが、性奴隷にされたというのですから。

>いくらなでも12歳の女の子が慰安婦になったと言う事実はありません。あるのなら、あなたはまず、その証拠を提示すべきですね。立証責任はあなたにあります。


「立証責任」って、私は何か裁判にでもかけられてるのですか?
あなたは、何を持って「事実が無い」とおっしゃるのでしょう?
あなたは、どんな資料に基づいてるのですか?
私は、「共同研究日本軍慰安婦」という本の内容を投稿しただけですが。
(吉見義明/林博史   編著)
まだまだわからない所がたくさんあるので、勉強中です。

その103ページですが、、、
1992年11月までに明らかになった30人の元慰安婦のケースを見ると、その年齢は、12歳から26歳、その半数強は20歳以下だった。
徴集の方法は、家に居る時や道を歩いてる時、川で洗濯をしているときに強制的に連行され、強姦輪姦された上で慰安婦にされたケースが非常に多い。
そうした連行の方法は日本軍の占領直後から始まってる。
特に1944年7月以降、日本軍が米軍の来攻に備えて増強され、さらに10月の米軍のレイテ上陸以降、戦場になっていくに連れて、よりいっそう暴力的になった。ゲリラ討伐の名による住民虐殺を行う一方で、若い女性を拉致するケースがある。この段階では、特定の将校や兵士たちが拉致してきた女性を家に監禁して、順に輪姦を繰り返すというきわめて粗暴な傾向が見られる。
軍によって組織的に整備されていったそれ以前の段階やマラヤなどとは異なったフイリピンの特徴である。

(ひょっとして、↑これは、著作権にふれますか?)




>>今になって、「あったことを無かった」と言い張る人間、学者であればなおさら許せません。

>でも、日本軍が強制連行をしたという証拠や資料はないのです。ちなみに証言は即証拠とはなりません。
だから、元慰安婦が泣き叫んでもその証言は証拠ではありませんよ。
歴史はつねに多面性を持っています。あったのかどうかを議論することを自体を否定しては、言論弾圧国家になってしまいますね。

これは、日本政政府が一番証拠を握ってると思いますが。
そんな政府が「謝罪」してます。
そして、まだまだ公開してない資料がたくさんあるとか。
なぜでしょうか?



>最後にあなたが言った「性奴隷」という言葉にはっきり言って不快を感じます。
女性たちは好き好んでその道に入ったのではないのかもしれない。けれど、その道で一生懸命に生きてきたはずです。
それを性奴隷と一言ですますなんて、アナタは何様ですか?
人一人の一生を性奴隷で済ますあなたの人格を疑います。


お言葉ですが、私の問題にしてるのは、いわゆる「公娼」ではありません。

この言葉は、私の創作ではなく、彼女達の実態が、「性奴隷」であるということから使われています。
私も、連行された彼女達が兵士を「慰安」する義務も何も無いので、「慰安婦」という言葉を使わなかったのです。

なお、私は「何様?」といわれても困ります。
「庶民様」ですから。

慰安婦と拉致問題

投稿者: ukipuka 投稿日時: 2003/03/13 21:42 投稿番号: [1272 / 29399]
慰安婦を否定する人は拉致を非難する資格を自ら捨てるものです。

慰安婦の証言

投稿者: ukipuka 投稿日時: 2003/03/13 21:40 投稿番号: [1271 / 29399]
最大の証拠です。
すべての犯罪は被害者の特定から始まるのです。
慰安婦の証言を否定するものは加害者の立場に立つものです。
藤岡センセーらは自虐的だとか感情的に反発してそれを否定しましたが、犯罪を隠蔽する許されない行為ですね。

>小さい頃

投稿者: kuroneko_pop 投稿日時: 2003/03/13 20:07 投稿番号: [1270 / 29399]
>そんな父が母に「戦地には、かわいそう女の子達が居た」と話していたそうです。

強制連行をしたとでも話したんですか?あなたのお父さんは?
そりゃどこの世界にも不幸な身の上の人はいたでしょう。女衒に騙されたり、借金のかた連れて来られたりとか・・・でもだからって、それは日本軍が被るべき罪ではないんですよ?
慰安婦問題で問われているのは、公娼制度の是非ではなく、日本が国家規模で組織的に、女性を連行したのか、どうかなんですから・・・

>12歳から15歳くらいの少女までもが、性奴隷にされたというのですから。

いくらなでも12歳の女の子が慰安婦になったと言う事実はありません。あるのなら、あなたはまず、その証拠を提示すべきですね。立証責任はあなたにあります。

>今になって、「あったことを無かった」と言い張る人間、学者であればなおさら許せません。

許せないのは勝手ですが、誰も慰安婦はいなかったなんて言ってませんよ。慰安婦は確かにいましたし、その女性たちは、不幸な人たちもいたでしょう。でも、日本軍が強制連行をしたという証拠や資料はないのです。ちなみに証言は即証拠とはなりません。
だから、元慰安婦が泣き叫んでもその証言は証拠ではありませんよ。
歴史はつねに多面性を持っています。あったのかどうかを議論することを自体を否定しては、言論弾圧国家になってしまいますね。

最後にあなたが言った「性奴隷」という言葉にはっきり言って不快を感じます。
女性たちは好き好んでその道に入ったのではないのかもしれない。けれど、その道で一生懸命に生きてきたはずです。
それを性奴隷と一言ですますなんて、アナタは何様ですか?
人一人の一生を性奴隷で済ますあなたの人格を疑います。

不思議ですよ。

投稿者: marchan187 投稿日時: 2003/03/13 15:48 投稿番号: [1269 / 29399]
yuukouheiwaは、事実と信じているのに自分から絶対に何しない人。

自分から始める事は絶対しない。

いつも他人任せ。(日本政府頼み)

yuukouheiwaは、日本から補償金を引き出したいだけ。

たぶん、北朝鮮人ではなかろうかと。

祖国の将軍様に日本からの補償金を献上すれば大昇進。

しっかし・・・

投稿者: date0362 投稿日時: 2003/03/13 15:15 投稿番号: [1268 / 29399]
日本軍のなかに朝鮮人も入っていた時代なのに中国の人達は南北朝鮮を訴えないのかねぇ?
金があったからが理由なら強請・集りと変わらないよな。

事実だと思う人達は、ドイツみたいに南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行者への基金を募ったりはしないんだろうか?

さらなる論議を

投稿者: lostboy3jp 投稿日時: 2003/03/13 08:15 投稿番号: [1267 / 29399]
期待します。

言われると思った。

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2003/03/09 23:54 投稿番号: [1266 / 29399]
>オイババァ、お前のオヤジもその女を買ったそうじゃないか?
「関連本」に書いてあったぞ。ぷっ。

かもしれません。
だから私は、無関心ではいられない。

でも、あなたのように、「ぷっ」とか書けるその神経がわからない。
まるで人事ですね。

>小さい頃。

投稿者: never01jp 投稿日時: 2003/03/09 22:50 投稿番号: [1265 / 29399]
>戦争の話を、よく父から聞きました。〜関・連・本を読んでみると、12歳から15歳ぐらいの少女までもが、性奴隷にされたというのですから〜。<

オイババァ、お前のオヤジもその女を買ったそうじゃないか?
「関連本」に書いてあったぞ。ぷっ。

小さい頃。

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2003/03/09 21:36 投稿番号: [1264 / 29399]
戦争の話を、よく父から聞きました。
父は、戦闘で、手足の肉を抉り取られ、そして、麻酔なしで、盲腸の手術を受けたそうです。
もっとも、手術を受けられただけましだったかもしれませんが。

そんな父が母に、「戦地には、かわいそうな女の子達が居た」と話していたそうです。
それ以上は、母も私に話してくれなかったのですが。今となっては、複雑な心境です。
なにしろ、関連本を読んでみると、12歳から15歳ぐらいの少女までもが、性奴隷にされたというのですから。

今になって、「あったことを無かった」と言い張る人間、学者であればなおさら許せません。

その通り

投稿者: yuukouheiwa 投稿日時: 2003/03/08 23:04 投稿番号: [1263 / 29399]
南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行は国際的にそれぞれ事実と証明されている。

国際常識

投稿者: chokugennkoji 投稿日時: 2003/03/08 23:01 投稿番号: [1262 / 29399]
南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行を嘘だと主張した藤岡信勝は歴史学者ではない。
また、藤岡は詐欺容疑で訴えられるなど、もともと信用できる人物ではない。

ベトナムの基礎知識(日本学生交流s)

投稿者: tokutokusanndai 投稿日時: 2003/03/04 22:48 投稿番号: [1261 / 29399]
1940年日仏共同支配
1945年北部で200万人の餓死
    仏印処理=日本の単独支配
    日本敗戦
    ベトミン8月革命
    ホーチミンベトナム民主共和国
    独立宣言
1946年対フランス独立戦争(〜54年)

1959年日本ベトナム賠償協定

詳細は
http://jasic.infoseek.livedoor.com/viet/viet_bas.htm


http://jasic.infoseek.livedoor.com/index.htm
日本アジア学生交流センター   JASIC

ベトナム8月革命
ベトナムは、10世紀に中国からの自立を達成して以来、19世紀後半にフランスの植民地支配下にはいるまで、長い独立の歴史をもっていました。ベトナムの伝統国家の範囲が南のメコンデルタまで拡大するのは18世紀のことです。今のような南北に細長くのびた領土が、統一的な支配の下に置かれたのは、19世紀前半のグェン朝の時代になってからです。しかも、ベトナムを支配したフランスは、カンボジア、ラオスとともにインドシナという形でこの地域を支配しました。ベトナム人が集中して居住している地域はトンキン(北部)、アンナン(中部)、コーチシナ(南部)の3地域に分裂されました。結果、地図の上からベトナムという国家は消滅されました。植民地支配に抵抗したベトナム人の多くは、ベトナムの独立の回復を強く求めていましたが、ベトナム一国だけの再独立なのか、インドシナ各国との同時独立なのか、その運動の方向性には様々な難しさが含まれていました。
第二次世界大戦の末期、ベトナムは日本の占領下に置かれました。日本の敗戦と同時に植民地支配からの解放を求めるベトナムの人々は、ホー・チ・ミンとインドシナ共産党のもとに1941年に結成されていたベトミン(ベトナム独立同盟)に結集して蝶起をしました。このベトミンの8月革命は、それがきわめて大衆的な政治運動であり、ベトミンの武装勢力や共産党支配者だけでなく、それまで親日的な政治組織に参加していた人々や、あらゆる政治活動に加わっていなかったような人々をも広範に結集した点に大きな特徴がありました。そのために、共産党とベトミンの組織力には地域ごとに大きな相違がありましたが、8月革命の蝶起は、ハノイ・フエ・サイゴン3大都市をふくむベトナム全土で成功しました。ホー・チ・ミン氏が1945年9月2日の独立を宣言したベトナム民主共和国は全国政権であり、そのことがベトミンにきわめて大きな正統性を付与することになりました。

http://www.kaze.gr.jp/fwvietnam/viethis/viethiswar/viethiswar.htm

日本語力が足りないね??

投稿者: kakusan_von_osaka 投稿日時: 2003/03/03 23:37 投稿番号: [1260 / 29399]
日本語力と書いたのが、失礼だったかもしれないけれど、法律その他公文書では普通の書き方ですよ。

A、B、Cとその他・・であるもの。以上甲。
D、E。以上乙。
という書き方は多くて、その他・・・と書けば、それで終わり。ちなみに英文でも同じ書き方をしますよ。

例えば、ドイツ、メキシコ、シリアその他非常任理事国(以上N10)、米、英、露、仏、中(以上P5)と書けば、米英も非常任理事国になりますか?

要するに、甲地域はすべて日本の植民地なんですよ。
乙地域は、それ以外の地域なんですよ。

日本語力が足りないね?

投稿者: tokutokusanndai 投稿日時: 2003/03/03 22:35 投稿番号: [1259 / 29399]
/////其他皇軍ノ占領地域(以上甲地域)、仏>>印、泰(以上乙地域)トス/////

>つまり、乙地域とは日本軍が占領してい>ない地域と言うことになりますね。


そうかな?ごく普通によめば、皇軍の占領地域を「甲地域」と「乙地域」にその内情によって分けただけじゃーないのかな?占領していない地域だったら何も占領地域として表示することもないでしょう。非占領地域   仏印、泰(以上乙地域)とすれば良いのではないでしょうか?少し無茶苦茶じゃーありませんか?
こういうのを「ねじ曲げあるいは歪曲」というのでしょう。

日本語力が足りないね。

投稿者: kakusan_von_osaka 投稿日時: 2003/03/03 22:08 投稿番号: [1258 / 29399]
>本要綱ニ於テ対象トスル地域ハ蘭印、英領馬来及「ボルネオ」、比律賓、「ビルマ」
>其他皇軍ノ占領地域(以上甲地域)、仏印、泰(以上乙地域)トス

この文章を読むと、大東亜共栄圏の範囲(対象とする地域)を定義づけていて、
甲地域とは、現在のマレーシア、シンガポール、ブルネイ、フィリピン、ビルマの各国とその他の日本軍占領区域。
乙地域とは、仏印(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)とタイ。

つまり、乙地域とは日本軍が占領していない地域と言うことになりますね。

もし、あなたが日本人だとしたら、国語力が足りなさ過ぎますね。これでは、本や資料を読んでも、誤解ばかりするのではないですか?

Korea No Uta

投稿者: teradagon 投稿日時: 2003/03/02 11:44 投稿番号: [1257 / 29399]
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/3036/uri.html

うまい!!座布団二枚!!

投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/03/02 11:35 投稿番号: [1256 / 29399]
無知を相手にすると疲れると言われる貴方、こんなに汗かいて大変だね!
少し賢く相手をすると君は死ぬかも知れないね。
これ以上続けても時間の浪費ばかりで無意味だと思います。貴方のののしりに乗って貴方をののしっても
「傍からみればどちらが馬鹿か?」分からなくなりますのでやめておきます。

一句
「大馬鹿に、馬鹿といわれて、腹たたず。」

うまい
座布団二枚

3〜4歳の子供は時としてよく人を「馬鹿」と言いますが、、言われて本気で怒る人はまず、いないでしょう。
それと同じ!!        おわり

資料を読めない無駄金君

投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/03/02 10:52 投稿番号: [1255 / 29399]
<引用資料>
南方経済対策要綱
昭和16年12月16日   閣議報告
第一   方針
一、重要資源ノ需要ヲ充足シテ当面ノ戦争遂行ニ寄与セシムルヲ主眼トシ併セテ大東亜共栄圏自給自足体制ヲ確立シ速カニ帝国経済ノ強化充実ヲ図ルニ在ルモノトス
二、本要綱ニ於テ対象トスル地域ハ蘭印、英領馬来及「ボルネオ」、比律賓、「ビルマ」
其他皇軍ノ占領地域(以上甲地域)、仏印、泰(以上乙地域)トス

--------------------------------------------------------------------------

>****皇軍の占領地域として明記されてますが、、日本国政府が占領と謳っているのですから占領ではないのでしょうか?それとも「博識ある貴方」が正しいのでしょうか?
>無知な私は占領だと確信していますけどね。


無駄金君が”主観的に確信”するのは勝手だが、事実は異なり、軍政なり、それに順ずる体制を敷くことができず、だから1945年3月9日に進駐日本軍がフランス総督府とフランス軍にクーデターを起こし武装解除をしなければならなかったのでしょう。
日本軍は思い通りに(無駄金君が主張する)徴発や戦略作物への強制転作政策などが施行できたなら、戦力不足の戦争末期にクーデターを起こす必要などなかった訳でしょう。

この資料は日本の官僚が閣議に報告するため作成した文章(官僚による用語の主観的使用)だろう、そこでも「占領地域(以上甲地域)、仏印、泰(以上乙地域)トス」となっており、タイは同盟国であり、タイ政府の施政権下にあったことは歴然たる事実だし、軍政は敷かれていませんね。
それと同様に仏印も乙地域に分類されています。

「占領」と言う用語の内容を厳密区分せず”占領=軍政”として解釈し主張するのは無理がありますよ。

皇軍の占領地域、仏印 泰

投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/03/02 08:46 投稿番号: [1254 / 29399]
南方経済対策要綱
昭和16年12月16日   閣議報告
第一   方針
一、重要資源ノ需要ヲ充足シテ当面ノ戦争遂行ニ寄与セシムルヲ主眼トシ併セテ大東亜共栄圏自給自足体制ヲ確立シ速カニ帝国経済ノ強化充実ヲ図ルニ在ルモノトス
二、本要綱ニ於テ対象トスル地域ハ蘭印、英領馬来及「ボルネオ」、比律賓、「ビルマ」
其他皇軍ノ占領地域(以上甲地域)、仏印、泰(以上乙地域)トス

****皇軍の占領地域として明記されてますが、、日本国政府が占領と謳っているのですから占領ではないのでしょうか?それとも「博識ある貴方」が正しいのでしょうか?無知な私は占領だと確信していますけどね。

*   (一)   資源ノ調査研究ハ夫々陸海軍ノ定ムル所ニ依リ之ヲ行フ
(二)   資源調査ノ重要資源名左ノ除シ
(1)   ニツケル、銅、コバルト、モリブデン、タングステン、パナジウム、鉛
(2)   亜鉛、水銀、マンガン、クロム、雲母
(3)   ボーキサイト、含ニツケル鉄鉱、石油
(4)   タンニン材料、牛皮
(三)   研究項目ノ主要ナルモノ左ノ如シ
綿花(目標約三〇〇万担年産)、黄麻及ワツトル樹ノ栽培、緬羊ノ飼育
七、対米英経済圧迫
対英米経済戦ニ資セントスル物資左ノ如シ
ゴム、錫、石油、キナ、タングステン、マニラ麻、コプラ、パーム油
特ニ米ノ生産、精製等ニ関シ皇国ニ於テ逐次之ヲ指導乃至把握スルガ如ク措置ス
(一)   資源
(イ)   資源開発ニ当リテハ
(1)   泰国ニ依存度比較的高キ大東亜共栄圏必需物資ノ確保
(2)   大東亜共栄圏ニ於ケル不足物資ノ開発ニ重点ヲ置キ差当リ左記物資ノ積極的増産ノ方法ヲ講ゼシム
1   農産資源   蓖麻子、綿花、黄麻
2   林産資源   松脂、漆、大風子、「スチツクラツク」、「ダマール」、「マングローブパーク」
3   畜産資源   牛皮、水牛皮、鹿皮
4   鉱産資源   「タングステン」鉱、「チタン」原鉱
(ロ)   其他ノ国防重要資源ニ付テハ逐次之ガ資源調査ヲ実施ス

麻=(大麻、芋麻、黄麻、亜麻、マニラ麻の総称)アサ科の一年草、中央アジア原産の繊維作物(繊維、綱、網、帆布、麻袋(梱包材)などを作る。

輸出するにあたっては袋詰、養生、梱包しなければならない訳で、当然、梱包材が不足します。現地調達が軍の方針ですから、ここでも現地生産、自給自足の方針ですよ。
増産しろ、増産しろ、支払いは軍票で全てを賄った様子です、さぞかし国内の印刷局は忙しかったことと察します。
輸出税は払わないは、代金決済は本国からの品物と交換では仏印の経済はがたがたですな、資源確保のために外地を占領している国が本国から何を当地に輸出したのか興味ありませんか?興味ありますねーーー良識ある読者の皆様の判断委ねます。jyoui君にはハル長官の言葉を送ります。

「彼らは公然たる非友好的な行為を修飾するために、平和と友好という嘘と詐欺的な言葉を使うのである。彼らを止めることが出来るのは軍事力をおいて他にない」
***いつまで経っても戦争は無くならない訳だ。***jyoui君=でっち上げもほどほどにお願いしますよ、

決定的な証拠を発見「南京事件は嘘」

投稿者: michi_no_hikari 投稿日時: 2003/03/01 23:32 投稿番号: [1253 / 29399]
南京大虐殺   覆す新事実
これまで「南京大虐殺」の根拠とされてきた英国の新聞記者の著書が中国国民党の宣伝書籍だったことを示す極秘文書が28日までに、東中野修道・亜細亜大学教授の調査により台湾で発見された。「大虐殺」説を覆す決定的な証拠として注目される。
http://www.sankei.co.jp/news/030301/0301sha007.htm

おいおいj(youi君)=パトロールは?

投稿者: hahanonnki2003 投稿日時: 2003/03/01 15:31 投稿番号: [1252 / 29399]
合同パトロールはどんな具合でした。
貴方の父上の話は?どんな具合でした。

随分と話がそれているように思いますが、、、しっかりしてくださいね。
足元がふらついていますよ。

ベトナムの日本兵(引用文)

投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/03/01 11:51 投稿番号: [1251 / 29399]
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/gg8928/so/reki770.htm
ベトナムの日本兵
1990年10月、ベトナムのグエン・コ・タク外相が日本を公式訪問したが、
10月23日夜の中山外相主催の公式晩餐会で、タク外相はあいさつの中でこう証言した。

「この席にむかしジャングルで一緒に戦ったグエン・ミン・ゴックさんがいます。
私たちは、総司令部で一緒にいたが、ヴォ・グエン・ザップ将軍はよくゴックさんの
意見を参考にしていました。」

このグエン・ミン・ゴックとはべトミンと共にフランス軍と戦った日本兵の
ベトナム名である。

ベトナムにも日本兵により軍事幹部養成のための軍士官学校が創設された。

1945年、フランスがベトナムに再度侵略してきたが、
べトミンの部隊は組織化されておらず、熟練した指揮官もいない状態であった。
フランス軍に対抗するためには指揮官の養成が急務だった。
べトミンの指導部も指揮官の軍事教育がきわめて重要であると考え、
インドシナ駐屯第三十八軍・第三十四旅団、井川省少佐らに指導を要請した。

クァンガイ陸軍士官学校(クァンガイ陸軍中学校)の教官は日本軍の将校、下士官達がなり、
クァンガイ陸軍士官学校では、
教えたことをすぐ実戦で試して行く猛烈な実戦教育だった。

ここでは 対フランス全国抗戦が始まるまでに約200人の指揮官が育てられたが、
その後卒業生の半数は米国との戦争で死亡した。

井川参謀をはじめ日本兵766人がべトミン司令部に入った。
べトミン司令部にいた日本人幹部の調査によると
戦病死47人、1954年ジュネーブ協定締結後に日本に帰国したのは150人、
約450人はベトナムで消息を絶ったままだという。

>なんでかななんでだろ

投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/03/01 11:00 投稿番号: [1250 / 29399]
>同年7月28日、日本帝國政府は南部仏印進駐を行った。
>戦略資源確保の前線基地の入手が主な目的であり、北部仏印進駐を行った時の主目的だった蒋介石政権に対する圧力という意味は、この時は既に二の次となっていた。


この様な当時の日本の希望目的を羅列しても、無だがね君が主張する、”日本軍がベトナムを占領し、戦略物資の徴発や戦略作物の強制作付けし、200万人の餓死者を出した”と言う根拠にはなりませんよ。
客観的事実として、当時のベトナムの行政権はビシーフランス政府の植民地総督が握っており、その行政執行権力として9万人のフランス軍が駐留していたのは事実です。

>むちからものしりかおへ-2

投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/03/01 10:49 投稿番号: [1249 / 29399]
>対仏印支物資取得並ニ貿易方策要領
     昭和15年9月3日   閣議決定
>仏印支ヨリノ物資取得ノ方策トシテハ、物動計画ノ実施確保ヲ中心トスル応急方策ト資源ノ開発ニ重点ヲ置ク恒久方策トニ分ツテ考究スベキモノナル処差当リハ応急方策トシテ左ノ措置ヲ講ズルノ要アルモノトス


この閣議決定でも”戦略物資の徴発や戦略作物の強制作付け”などを決定してる訳ではありませんね。
貿易による物資取得と輸送についての方法を決定してるだけではありませんか。

これを持って日本がベトナムで行政権を行使し、”戦略物資の徴発や戦略作物の強制作付けし、200万人の餓死者を出した”を行った、と言う   あなたの主張の根拠にはなりませんよ。


以下は1943年に大東亜省の政策でサイゴンにに赴任?した方の自伝です。
当時の状況が判りますよ。
(引用)
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http://www7.ocn.ne.jp/~zerosiki/omide-be1.htm
http://www7.ocn.ne.jp/~zerosiki/omide-be2.htm

当時佛印には、日本軍が駐屯していたものの、日本の軍政下ではなく、ヴィシー政府の総督府と政庁が行政を握っていた。9万人のフランス軍はそのまま駐屯し、日本軍とは微妙なバランスを保っていた。

その中心であるサイゴン市にはフランス総督府があり、「東洋の真珠」とも呼ばれるサイゴン河の西に広がる美しい街並みは、異国情緒に溢れ「プティ・パリ」とも言われるに相応しく、当時は未だ戦争とは無縁に近い別天地であった。   その中で、フランス人は威張って歩いていた。
農村は未だ知らなかったが、街のベトナム人達は豊かでこそ無かったが、小奇麗な格好をしていた。(この辺りの描写は高橋孟氏著「海軍めしたき物語」にも間接的に裏付けられており、
  父は同時期に高橋さんとすれ違っていたかも知れないと考えると興味深かった:クラブ注)

サイゴンは1年通じて夏の気候で、雨季(3月より11月)と乾季(12月より2月)に別れ、乾季はいくらか凌ぎ易いが、雨季は暑くて定期的にスコールに見舞われた。一天俄かに掻き曇ったかと思う間もなく、樹々を揺るがす強風と共に沛然たる雨が降る。小一時間もすれば、次第におさまり、空は晴れ眩しい南国の太陽がまた照りつける。樹々の葉末から落ちる水の滴りは何ともいえず快い風情であった。食べ物は豊富で、市場に行けば、魚・海老・蟹などの海産物、牛肉・豚肉や果物、野菜が山のように売られており、離れてきたばかりの日本の食糧事情と較べて、あまりの違いに仰天し、またワクワクする思いでもあった。
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フランスが行政権を握り、ベトナム庶民も飢餓とは程遠い状態だったことが判るでしょう。

>むちからものしりかおへ-1

投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/03/01 10:33 投稿番号: [1248 / 29399]
>*なぜ南部へ進駐せねばならなかったのかを考えてみると、第一に支那事変解決の為の援蒋ルート遮斷が挙げられる。

>*侵略するための動機としては確固たるもので、動かしようがない。

>武力による威嚇、恫喝があったと見るのが当然のような気がします。日本軍の1


武力による威嚇、恫喝があるだろうが、9万人のフランス軍を相手に、本格的に戦争を仕掛ける場合は、”攻者三倍”の原則で、27万人の動員を必要とする。(空軍戦力が強力でも、18万人は必要でしょう。)
当時は中国各地のフランス租界にもフランス軍がいて、中国相手の戦争中で、それらに同時対処する事が可能だろうか?

(引用)
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http://www.kisweb.ne.jp/personal/cflat/azian_travel_crow/history/tabi_07_france.htm

休戦協定と仏領海外植民地  
仏独、仏伊休戦協定によって、フランス本土は以下の通りに分割された。    

●ドイツの占領地区・・・パリを含む北半分とボルドーを含む南西部    

●自由地区・・・・中央部の小都市・ヴィシーを首府とするフランス政府   

●ドイツ併合地区・・・仏独の長年の係争地である北東部のアルザス・ ロレーヌ    

●イタリア占領地区・・・マルセイユを含む南西部の一部地区

ドイツの全ての被占領国の中で、フランスだけが、国土の3分の1程度ではあったが、「主権」国家として政府を持ちつづけることが許された。しかし「主権」国家とはいっても、さまざまな制限がある「主権」であり、対独協力が「自主的」にも半強制的にも進められた。連合国軍が北アフリカに上陸すると、ドイツ軍は1942年11月11日、フランス全土を占領することになる。  

パリ陥落、ドイツへのフランスの降伏、フランス本土のドイツ軍占領となったが、インドシナを含むフランスのアジア・アフリカの広大な海外領土については、ナチス・ドイツは、ヨーロッパから離れたこれらの海外領土が離反していくのを防ぐ仕事をヴィシー政権に任せておく方が、ドイツ占領軍にとって得策であると判断。ドイツ占領軍の統制下ではなく、対独協力政権たるヴィシー政府の管轄のままとされた。

その後の展開
1944年6月2日、連合軍のノルマンディー上陸作戦が敢行され、1944年8月25日は、パリ解放が行われ、パリに凱旋したドゴールが、1944年9月9日、臨時政府首席として組閣を行った。翌1945年5月7日にはナチス・ドイツが降伏する。一方、仏領インドシナでは、パリ解放後1944年8月30日、ドゴールが、日本=ヴィシー政府間で締結された協定の無効を宣言し、敗色濃厚な日本の在留軍とインドシナ政庁との間に対立が顕在化してきた。米軍がインドシナ上陸をしてきた場合、在インドシナのフランス軍が呼応することを恐れ、日本軍は武力行使による在インドシナのフランス軍の武装解除とインドシナの完全占領を計画し、1945年3月9日クーデターを敢行した。これにより日本の敗戦まで、インドシナにおけるフランスの主権は全く失われた。

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これでも1945年3月9日まではフランスが行政主権を握っていたことが判り、又この時期は日本軍の大陸打通作戦(1944年5月発令)により中国沿岸部をベトナム国境まで占領下に置き、鉄道路を確保できた状況での援軍移動ができる状態での出来事です。

ランソン事件(1940年/昭和15年)

投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/03/01 08:19 投稿番号: [1247 / 29399]
北部仏印への進入(昭和15年)
フランスがドイツに敗れたのを見た日本はさっそく仏領インドシナに圧力をかけ始め、1940年8月30日の 東京条約(トンチン)で日本軍のトンキン湾通過をフランスに認めさせた。そして9月22日ハノイでの 日仏軍事協定により、ベトナム北部の飛行場4ヶ所の使用許可を得た。ところがその日の夜、日本軍はランソン(中国と仏領インドシナの国境)から侵入してフランス軍の前哨基地を攻撃し (ランソン事件)、26日にはトンキン湾のドーソン島を占領してしまう。この情勢を見たタイは10月より国境付近で威嚇を繰り返し、11月末にはサヴァナケット始めラオスの都市を白昼堂々と爆撃した。
年明けになると日本は紛争の仲介に乗り出し、翌年5月9日に東京(トンチン)で不平等な平和条約が結ばれ、タイはメコン河西岸の土地を獲得した。
インドシナの空軍戦力
フランスがインドシナに展開する航空兵力は極めて弱体だった。
戦闘機はMS406が17機、爆撃機はF221が4機とPotez542が6機。偵察機は Potez25TOEが60機、他に海軍の飛行艇ロワール130が10機程度で、 合計100機弱 である。しかし数より補給体制の方がより深刻で、弾薬や交換部品がなかなか本国から届かず、モラーヌの20mm機関砲は使用できなかった。
アメリカからの買い付け計画
インドシナ総督のデクー海軍提督から要請を受けたプラトン植民地相は、アメリカから双発戦闘機20機と双発爆撃機32機を購入すべく使節を派遣した。これはもちろんドイツから待ったがかかり、実現しなかった。
(注):仏英間はメル・ゼル・ケビル事件以来国交が断絶していたが、仏米間の外交関係は正常であった。 最初で最後の日仏航空戦
極めて限定的ながら、日本とフランスは航空戦を展開した。
9月23日:Potez25が日本機5機に撃墜される
9月24日:Potez25と護衛のMS406編隊が日本戦闘機(機種不明)と遭遇。双方被害なし
9月25日:護衛のMS406(1機)が日本戦闘機と交戦中にPotez25が撃墜される
結局、フランス側はPotez25を2機 失っただけで戦闘は終った。(右図はPotez25TOE)タイの野望
タイはかねてよりメコン河西岸の土地を要求しており、7月12日に仏領インドシナと相互不可侵条約を結んでいたものの、ランソン事件以降のフランスの弱腰を見て攻撃に転じた。タイ陸軍は常備兵力6万人のほかに30万人の動員が可能であり、総数5万(うちフランス人12,000)のインドシナ軍とは人的ポテンシャルに差があった。
タイ空軍の実態
タイの空軍は 総数250機とフランスの2.5倍だったがその内訳はスパッドVII、ハインケルHe43、ブリストル・ブルドッグなどの寄せ集めの複葉機が大半を占めていた。唯一近代的と言えたのが、カーチス・ホークII(H-75の廉価版で固定脚)で、質の面ではフランスといい勝負だった。
フランスとタイの航空戦の実態
両空軍の間では大規模な空戦はほとんど無かった。フランス爆撃機はもっぱら夜間に出撃し、日中の航空活動の大部分は地上部隊支援の偵察であった。
モラーヌ・ソルニエは空戦で2機の戦果を挙げ、 2機のMS406と1機のF.221が空襲で失われてた。タイ空軍は空中と地上合わせて 20機程度の損失を認めている。つまり航空戦の分野では フランス空軍が優勢 であった。
問題はやはり補給整備体制で、部品不足から故障が続発し、 稼働率はとうとう 50% を下回るようになった。
日本の介入
日本軍はタイに軍事顧問を駐在させたばかりか直接戦闘に加わり、 Potez25数機が日本海軍の水上戦闘機に撃墜されている。日本の狙いは仏領インドシナの徹底した弱体化であり、タイの軍事行動も日本がけしかけたようなものだった。結局、頃合を見計らって日本が和平交渉の音頭をとり、実質タイの勝利を認める条約を東京で調印させた。これによりタイはメコン河右岸のラオス領とバタンバン地方を手に入れた。
ランソン事件=1940年(昭和15年中国国境より進入し軍事衝突の際捕獲したフランス軍捕虜200人〜300人を殺害。
昭和20年3月戦犯として日本人将校、将兵4名死刑。

なんでかななんでだろー!

投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/02/28 23:21 投稿番号: [1246 / 29399]
大東亞戦争論:真珠湾に至る日米の戦略転換

日米関係の断絶が形になって顕われたのは、1858年に締結された日米通商航海条約の破棄が行われた1939年からである。
その後、日本帝國政府は日中戦争での主敵である蒋介石の仏印ルートを遮断し、さらに日中戦争遂行のための資源を確保するために北部仏印に進駐した。1940年9月22日のことである。
その二日後に、第二次近衛内閣の松岡洋右外相は日独伊三國同盟を締結した。これは、当時欧州戦線で連勝していた独逸と同盟を組むことによって仏印進出の後ろ盾とすると共に、この頃急速に強圧的になっている米英に対する地位の向上を企図したものである。
しかしながらこの松岡外相の思惑は外れ、米國は日本に対して経済制裁を開始した。そこで近衛内閣は野村吉三郎海軍大将を駐米大使に任命し、米國との関係改善を図ろうとした。
1941年4月、松岡外相は日独伊にソヴィエトを加えた四カ國が提携して米英を亞細亞から手を引かせようと、日ソ中立条約を締結した。
しかしその二ヶ月後の6月に、独逸のソヴィエト侵攻によって独ソ戦争が勃発し、またもや松岡外相の目論見は脆くも崩れる。この時日本帝國政府は三國同盟の解消を検討するものの、結局堅持していく方針を採る。これにより、「日独伊 対 米英ソ」という構図が決定的になった。
その後、日米対立を回避したい日本は、野村吉三郎大使を米國に送り、コーデル・ハル國務長官と日米諒解案の締結を行おうとした。日米諒解案は、対立回避という日本の思惑と三國同盟を骨抜きにしようとする米國の思惑がかみ合い、満州國の承認、経済的圧力の緩和、日中戦争解決の糸口など日本にとって非常に都合の良い条件でまとまるかに見えた。しかし、ここで合衆國に強硬的で、独逸との交渉を重視していた松岡外相が横やりを入れ、日米諒解案は決裂した。
米國との衝突を避けたい日本政府は、國益にそぐわぬ行動をする外相松岡洋右を更迭し、第三次近衛内閣が誕生した。

同年7月28日、日本帝國政府は南部仏印進駐を行った。
戦略資源確保の前線基地の入手が主な目的であり、北部仏印進駐を行った時の主目的だった蒋介石政権に対する圧力という意味は、この時は既に二の次となっていた。日本帝國政府はこれにより亞米利加が強硬な態度をとることはないだろうと甘い見通しを持っていたが、その4日後の8月1日に、合衆國政府は日本人の資産凍結・対日全面禁輸を決定した。
ルーズヴェルト政権の合衆國政府は、対日全面禁輸によって日本の南進を抑止せんとしたが、逆にこれによって大日本帝國は、日米決戦に向けての準備を開始する。
11月26日、コーデル・ハル國務長官は実質の最後通帳であるハルノートを日本に通告した。これは日本にとって到底受け容れがたいものであったので日本帝國政府は代替案を提示したが、日米決戦を決意している合衆國は当然これを相手にしなかった。
そして、大日本帝國は真珠湾攻撃を決断した。

むちからものしりかおへ!NO3

投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/02/28 22:50 投稿番号: [1245 / 29399]
対仏印支経済発展ノ為ノ施策       昭和15年9月3日
閣議決定  

世界新秩序ノ進展ニ伴フ経済圏発生ノ必然性ヲ確認シ、共存共栄ノ大局的立場ニ基キ、速ニ仏印支ト経済的緊密化ヲ図リ、皇国ヲ中心トスル大東亜経済圏ノ一環タル実ヲ挙ゲンコトヲ期シ、差当リ左記要領ニヨリ施策スルモノトス一、現地邦人ノ経済活動ヲ阻害スル諸種ノ制限的措置(別冊資料参照)ヲ撤廃又ハ緩和シ、邦人ノ経済的活動ヲ他ニ優先シテ自由闊達ナラシムル如ク努ムルコト二、皇国ノ必要トスル重要物資ハ可及的ニ大東亜圏内ニテ確保シ、以テ英米ヨリ資源的独立ヲ図ルタメ、仏印支ニ対シテモ法人企業ノ創設及経営ニ特別ナル便宜ノ供与ヲ要求スルト共ニ皇国必須ノ重要物資ヲ優先的ニ皇国ニ輸出ヲナサシムル如キ貿易協定ノ設定ニ努ムルコト    差当リ仏印支ニ対シ米、石炭、燐灰石、マンガン、工業塩、錫、生ゴム、亜鉛、珪砂等ニツキ輸出ノ保障ヲ要求スルコト    尚進ミテハ皇国ノ指導ニヨル貿易管理ノ実現ヲ見ル如ク努ムルコト三、仏印支ヲ通ズル雲南広西貴州等ノ周辺地区ノ重要物資ノ取得ニツキテモ、適当ノ措置ヲトラシムルコト四、皇国製品ノ対仏印支輸出増進ニツキ特ニ協力提携ヲ求ムルコト五、将来他ノ大東亜諸地域ヲ併セ皇国ヲ中心トスル大金融圏ノ設定ヲ目標トシ、仏印支トノ新金融関係ノ設定ニ付テモ之ガ一環タラシムル如ク努ムルモノトス、但シ仏印支自体ハ之ヲ円地域トナスコトヲ目的トセザルコト    尚仏印支ノ銀行等ヲシテ本邦側ニ極力金融上ノ便益ヲ供与セシムルノミナラズ、進ミテハ皇国ノ指導ニヨル為替統制ノ実現ヲ見ル如ク努ムルコト六、交通及通信ニ関シテハ大東亜全局ノ指導的地位ヲ確保スル一環トシテ左ノ特殊権益ノ設定ニ努ムルコト   イ、沿岸貿易権、不開港入港権及港湾設備ノ経営及利用権   ロ、海底電線ノ陸揚及運用権、国内通信事業経営ニ対スル参加権、ソノ他ノ通信権   ハ、定期航路ノ新設延長及航空保安施設ノ設置権七、水産業ニ関シテハ南方ニ確固タル地歩ヲ建設スルタメ漁業根拠地ノ設置其ノ他水産業ノ経営ニ伴フ権益ノ獲得ニ努ムルコト八、仏印支ニ於ケル第三国権益ニ関シテハ新規ノ設定ヲ許サザルト共ニ既存ノモノハ速ニ之ヲ駆逐スルガ如ク努メシムルコト九、仏印支ノ対内外経済政策ノ樹立及実施ニ参与シ、皇国トノ経済的提携ヲ強化スル為、仏印支側ニ本邦人ヲ加ヘタル経済建設委員会、其他適当ナル期間ヲ設ケシムルコト    貿易、金融、税制、関税、第三国トノ経済協定、企業、交通、通信等ニ関シテハ右機関ヘノ諮問ヲ要スルモノトス一〇、華僑ノ援蒋抗日態度ニ対シテハ仏印支当局ノ厳重ナル取締ヲ要求スルト共ニ、一方ソノ経済的地位ニ鑑ミ大局的立場ニテ組織及資力ノ利用ヲ策スルコト一一、皇国ノ経済的発展ヲ期スル為、土着有力者ヲ皇国ニ招致シ、又ハ皇国ノ真姿ヲ宣伝正解セシムル等諸般ノ処置ヲ講ズルコト一二、経済施策ハ大東亜共栄圏確立ノ大局的立場ニ立脚スルコトトシ、皇国ノ利益伸長ト土民ノ民生ト調和スル如ク努ムルコト   (備考)別冊参考資料ハ削除セリ

果たして軍を留め置いているだけなのでしょうか?
他国を支配下に置いてはいないのでしょうか?

無知と言われて、私は無知なのだと悟りました、人間たとえ100歳まで生きたとしても知っていることよりも遥かに知らない事の多きことを知りました。

むちからものしりかおへ!NO2

投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/02/28 22:43 投稿番号: [1244 / 29399]
私はこれが占領政策の一環だと思いますが、いかがでしょうか?

対仏印支物資取得並ニ貿易方策要領
     昭和15年9月3日   閣議決定
仏印支ヨリノ物資取得ノ方策トシテハ、物動計画ノ実施確保ヲ中心トスル応急方策ト資源ノ開発ニ重点ヲ置ク恒久方策トニ分ツテ考究スベキモノナル処差当リハ応急方策トシテ左ノ措置ヲ講ズルノ要アルモノトス
一、輸出物資ニ付対日供給ヲ優先的ニ確保スルコト
   仏印支ニ於テ生産又ハ集荷セラルル物資例ヘバ鉄鉱、マンガン鉱、タングステン、錫、アンチモン、亜鉛、珪砂、燐灰石、生ゴム、無煙炭、工業塩、漆、松脂、米、玉蜀黍、牛皮当ニ付テハ本邦ニ対シ其ノ必要量ノ優先的供給ヲ為スコトヲ仏印支政府ニ保証セシムル等ノ措置ヲ為スヲ緊要トス
二、輸出関税ヲ撤廃セシムルコト
   現在仏印支ヨリ米、玉蜀黍及珪砂等ノ輸出ニ付テハ輸出税ヲ賦課セラレ居ル為輸入価格ノ昂騰ヲ来シ居ル現状ナルヲ以テ之ヲ撤廃セシムルノ要アリ
三、仏印支周辺地域ヨリノ物資ノ取得ヲ図ルコト
  仏印支周辺地域例ヘバ雲南、広西、貴州等各州ヨリハ従来錫、アンチモン、タングステン、其ノ他ノ物資ガ仏印支ヲ経由シテ第三国ニ搬出セラレ居リタルヲ以テ、之等ノ経路ヲ利用シテ周辺地域ノ物資ノ取得ヲ図ルコト緊要ナリ、而シテ其ノ具体的方法ニ付テハ別途考究スルモノトス、尚本方策ハ今後共恒久的ニ実施スルモノトス
四、本邦側ノ物資獲得ニ付テハ其ノ代金ヲ極力本邦ヨリノ輸出貨物代金ヲ以テ決済スル様措置シ之ガ為本邦物資ノ輸出計画ヲ確立スルコト我国現下ノ為替資金ノ実情ニ鑑ミ仏印支ヨリノ輸入物資ノ代金ハ極力本邦ヨリノ輸出物資代金ヲ以テ決済スル様輸出ノ増進ヲ図ルコトトシ、之ガ為本邦品ニ対スル輸出関税ノ引下乃至撤廃、輸入割当ノ増加乃至廃止ヲ為サシメ、少クトモ我国ヘノ輸入額ト同程度ニ本邦品ノ輸出ヲ図ル様輸出計画ヲ確立スルモノトス
尚我国為替資金ノ節約ヲ図ル為クレヂットノ設定、円為替ニ依ル決済、バーター制度、清算制度ノ実施等凡ユル方法ヲ講ズベキモ仏印支ニ於ケル通貨金融制度ノ基礎ヲ破壊セザルヤウ措置スルノ要アリ
五、仏印支ニ於ケル邦人貿易商ノ進出ノ統制ヲ為スコト
   仏印支ニ於ケル邦人貿易商ノ進出ヲ統制シ仏印支物資ノ輸入商及本邦品ノ輸出商ノ競争的進出ヲ抑制スル為適当ナル措置ヲ講ズルモノトス
六、輸送船腹ノ円滑ナル手配ヲ期スルコト
  現下ニ於ケル船舶逼迫ノ実情ニ鑑ミ仏印支ヨリノ対日供給物資ノ確保ヲ期スルガ為ニハ船腹ノ手当ニ付充分ノ策ヲ講ズルノ要アリ殊ニ仏印支ヨリノ物資ハ石炭、鉄鉱、燐灰石、米等嵩高物資多キ現状ニ鑑ミ配船統制ノ強化其ノ他不定期船ノ手当等ニ付万全ノ措置ヲ講ジ尚定期航路存セザルヲ以テ定期航路ヲ開設スルノ要アルモノトス
七、本方策具現ノ為物資、資金、技術者等ヲ要スルモノニ就テハ各地域別交渉ノ実情等ニ鑑ミ広ク全般ノ状況ヲ考慮シテ実施ノ順序及程度ヲ決定スルコト
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00268.htm

むちからものしりかおへ!NO1

投稿者: mudagane 投稿日時: 2003/02/28 22:37 投稿番号: [1243 / 29399]
貴方が丸写しのHPの中にも疑問点が多々あると思いますが。
*なぜ南部へ進駐せねばならなかったのかを考えてみると、第一に支那事変解決の為の援蒋ルート遮斷が挙げられる。
もう一つの理由として同地及び南方は石油資源・鉱物資源の宝庫でもあり、ここを米英に抑えられてしまうと完全に我が国は干上がってしまうのを恐れたことである。
既に仏印・タイは昭和15年以降より米英の圧力から、日本及び円ブロック圏内に対する米殼とゴムの輸出規制を行っており、我が方が憂慮するに充分な下地があったのである。同地はビシー政府の管理下にあるとは言え、軍事的には空白地帯に等しく、且つ亦タイも事実上の英国支配を受けており、いつ米英が進駐してくるかわからない情勢であった。
当時の日本は軍国主義で侵略に侵略を重ねたという史観が萬延しているが、事実をみる限り、明らかに合法的且つ亦道義的に進駐を行っていることがわかる。
武力進出が出来るにも関わらず、これを行わずに仏政府の主權を尊重するなどの条件を認めつつ慎重に行動した理由としては、米英を必要以上に刺激してはならないという配慮があったと見える。
*侵略するための動機としては確固たるもので、動かしようがない。
国務長官のハルはこの南部仏印進駐に対し、
「彼らは公然たる非友好的な行為を修飾するために、平和と友好という嘘と詐欺的な言葉を使うのである。これは彼らが前進の準備ができるまでそうするのである。(中略)。彼らを止めることが出来るのは軍事力をおいて他にない。重要なのはヨーロッパにおける軍事問題に結論が出るまで、その状況をうまく扱うことのできる期間である」
と部下のウェルズ国務次官に話している。
つまり日本が協定に基づいて平和的に進駐したのは諸外国を欺くための手段に過ぎず、日本を止めるには武力を以て叩く以外ない。(これは貴方が掲載したHPのコピーです、ここを抜かしては反則ですよ)
戦時年表
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/data/ww2_euro.html

日本が北部仏印に武力進駐した目的の中には、日中戦争解決ため、蒋介石の物資補給ルートの一つである仏印ルートを遮断することもありましたが、それだけではありませんでした。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/3kitaindosina.htm
「北部仏印進駐問題の当初から、私は昆明作戦のためというねらいのほかに、仏印の資源獲得を考えていた。そこで仏印の首都はハノイであるが、ハノイを制すれば、全仏印を制しうるかというとそうではない。仏印の政治、経済の中心は南部であり、私は北部仏印進駐当時、一挙に全仏印の進駐権を獲得することが必要であると考えたが果たさなかった。軍務課長就任後果たせるかな、仏印は物をよこさぬ、米、ゴムの対日供給をしぶった。それ見ろと思った」   陸軍省軍務課長佐藤賢了大佐(当時)の発言
  (「戦史叢書   大東亜戦争開戦経緯<4>   P一一〇」

  この様に、陸軍の中枢には、仏印進駐を「資源確保のための武力占領」と考えている者がいました。この傾向は、この後の南部仏印進駐になると一層鮮明になっていきます。
  南部仏印進駐の目的として、陸軍省軍務課高級課員の石井大佐は以下の四項目をあげています。
一兵団を配置して全仏印を完全に掌握する。これによって少なくとも米とゴムだけは取れる。
一兵団を配置し、かつ航空基地と港湾施設を設定することにより、特に蘭印に対する遠隔的威圧を加えその背反を抑止する。
航空基地及び港湾施設を設定することにより、自存自衛のため武力行使する場合の準備を整える。
航空基地及び港湾施設を設定して、好機に投じ更に南方へ武力進出する場合の布石たらしむ。   (「戦史叢書   大東亜戦争開戦経緯<4> P一三六」一部漢数字を算用数値に置き換えた。)
  ここには、もはや、北部仏印進駐の目的であったはずの「支那事変解決のための援蒋ルートの遮断」という目的は入っていません。「仏印の資源(米とゴム)の確保」、「南方資源地帯への進出時の基地の確保」が南部仏印進駐の目的としてあげられています。   そして、そのあくまでも、自己の勢力圏を拡大しようとする日本の意志が、アメリカを刺激したのです。
以上コピー

占領と進駐  
占領=武力を持って他国の領土を自国の支配下におくこと。
進駐=軍が他国の領土に進軍しとどまっていること。さて、どちらが正しいのでしょうか?かつて、進出を侵略に書き直された苦い経験がありますが?
武力による威嚇、恫喝があったと見るのが当然のような気がします。日本軍の1

>開いた口が塞がりません。←嘘ですな2

投稿者: gaisenuyokuisnotjapanese 投稿日時: 2003/02/28 05:47 投稿番号: [1241 / 29399]
本文が長すぎて途中で切れてたみたい。
続き。。。

半島の人は自作自演が得意ですね。↓
チマ・チョゴリ切り裂き事件」の疑惑
http://www.infovlad.net/underground/asia/nkorea/bbs/nkoreabbs843.html
http://www.hehehe.net/library/D-00035.TXT

在日コリアンの来歴   なぜ日本に住むようになったのか?
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/zainiti_raireki.htm
↑ここに出てくる
「アボジ聞かせて   あの日のことを   -我々の歴史を取り戻す運動報告書-」
1988   在日本大韓民国青年会中央本部刊
この報告書は信じれないの?アンタ

IPI「韓国を引き続き言論監視対象国に」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/11/24/20021124000013.html

インタビュー   「親日派のための弁明」の著者、金完燮
http://www.fantasista-net.com/2002club/special/news_20021011001.html

あなたも何かの資料を出せるのでしょうね?
体験談以外の資料を。
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