南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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>むちからものしりかおへ-2

投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/03/01 10:49 投稿番号: [1249 / 29399]
>対仏印支物資取得並ニ貿易方策要領
     昭和15年9月3日   閣議決定
>仏印支ヨリノ物資取得ノ方策トシテハ、物動計画ノ実施確保ヲ中心トスル応急方策ト資源ノ開発ニ重点ヲ置ク恒久方策トニ分ツテ考究スベキモノナル処差当リハ応急方策トシテ左ノ措置ヲ講ズルノ要アルモノトス


この閣議決定でも”戦略物資の徴発や戦略作物の強制作付け”などを決定してる訳ではありませんね。
貿易による物資取得と輸送についての方法を決定してるだけではありませんか。

これを持って日本がベトナムで行政権を行使し、”戦略物資の徴発や戦略作物の強制作付けし、200万人の餓死者を出した”を行った、と言う   あなたの主張の根拠にはなりませんよ。


以下は1943年に大東亜省の政策でサイゴンにに赴任?した方の自伝です。
当時の状況が判りますよ。
(引用)
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http://www7.ocn.ne.jp/~zerosiki/omide-be1.htm
http://www7.ocn.ne.jp/~zerosiki/omide-be2.htm

当時佛印には、日本軍が駐屯していたものの、日本の軍政下ではなく、ヴィシー政府の総督府と政庁が行政を握っていた。9万人のフランス軍はそのまま駐屯し、日本軍とは微妙なバランスを保っていた。

その中心であるサイゴン市にはフランス総督府があり、「東洋の真珠」とも呼ばれるサイゴン河の西に広がる美しい街並みは、異国情緒に溢れ「プティ・パリ」とも言われるに相応しく、当時は未だ戦争とは無縁に近い別天地であった。   その中で、フランス人は威張って歩いていた。
農村は未だ知らなかったが、街のベトナム人達は豊かでこそ無かったが、小奇麗な格好をしていた。(この辺りの描写は高橋孟氏著「海軍めしたき物語」にも間接的に裏付けられており、
  父は同時期に高橋さんとすれ違っていたかも知れないと考えると興味深かった:クラブ注)

サイゴンは1年通じて夏の気候で、雨季(3月より11月)と乾季(12月より2月)に別れ、乾季はいくらか凌ぎ易いが、雨季は暑くて定期的にスコールに見舞われた。一天俄かに掻き曇ったかと思う間もなく、樹々を揺るがす強風と共に沛然たる雨が降る。小一時間もすれば、次第におさまり、空は晴れ眩しい南国の太陽がまた照りつける。樹々の葉末から落ちる水の滴りは何ともいえず快い風情であった。食べ物は豊富で、市場に行けば、魚・海老・蟹などの海産物、牛肉・豚肉や果物、野菜が山のように売られており、離れてきたばかりの日本の食糧事情と較べて、あまりの違いに仰天し、またワクワクする思いでもあった。
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フランスが行政権を握り、ベトナム庶民も飢餓とは程遠い状態だったことが判るでしょう。
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