南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: 糧食送付
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/21 18:13 投稿番号: [38333 / 41162]
>停滞感詰
7,500
>尋常缶詰
18,750
↑この二つの缶詰?の違いを教えてくれるかな。
これは メッセージ 38272 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38333.html
Re: 歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 17:03 投稿番号: [38332 / 41162]
歩兵第三八連隊命令
十二月十三日午前三時三十分
於與衛村
一.支隊当面の敵は尚頑強に抵抗しつつあり
其の一部に斥候は興家村付近に出没せり我師団の右翼隊は昨十二日夕刻柴金山第一峯を攻撃し続いて天文台高地を攻撃中萩州兵団の一支隊は鎮江方面より西進し烏龍山砲台を又柳川兵団に属する一支隊は蕪湖に於いて揚子江を渡河し南京対岸浦口に向かい近迫しつつあり吉住兵団は南京城東南角に又藤田兵団は南門角に夫々肉迫し敵を攻撃中なり支隊は今十三日重点を左方に保持しつつ敵の中央を突破し下関方面に進出す盆路口西方約一きろ標高一四七.一高地は我歩兵約一中隊を以て確実に之を占領し在り
二.連隊(旧前衛の歩力に迫撃砲小隊を配属せらる)は払暁に攻撃を準備天明後攻撃を開始し一部を以て「クリーク」北側地区より主力を以て十字街東側高地於攻略戦とす
連隊の進出線は紅山西方百米の高地線とす
三.歩兵第三十三連隊大一大隊は(欠如部耐久の如し)標高五七.四高地庄家礦南端高地標高一〇三.九高地和平門西方社家王北端を連ねる線以北に展開し概ね現在占有せる地線に展開し午前七時迄に攻撃を準備すべし但し一部「くりーく」北方地区に派遣誌的の左側背を攻撃せしむべし
四.軽装甲車第八中隊は天明までに出発の準備を整え現在地点に待機すべし
五.歩兵第三十八連隊第一大隊(第三中隊欠)は左第一線となり前項記載の戦闘地境以南の地区に於いて概ね歩兵第三十三連隊の現に進出し在る地線に午前七時迄に展開し攻撃を準備すべし
第一線両大隊の攻撃前進の時期は午前八時と予定するも別命す歩兵第三十三連隊の左第一線部隊の地域に在るものは午前八時迄に其の所属に復帰せしむべし
六.連隊砲中隊は龍家王付近に午前七時迄に陣地を占領し払暁以後射撃を開始得る如く準備すべし
七.速射砲中隊は両大隊に分属せらる場合を顧慮し標高四七.四付近及び単家庄東方高地付近に午前八時迄に陣地を偵察すべし
八.迫撃砲小隊は単家庄東方地区に陣地を占領し連隊の攻撃に協力し得る如く午前八時迄の諸準備を完了するを要す
九.通信班は両大隊と連隊本部旅団と連隊本部間午前七時三十分迄に電話連絡すべし
一〇.歩兵第三中隊速射砲中隊は予備隊午前七時迄に龍家王東側に至るべし
一一.後衛前任務を続行する筈
一二.野砲兵大隊(第三中隊欠)は明十三日払暁頃興衛村付近に陣地を占領する筈
一三.旅団予備隊は午前九時龍家王東側谷地に至るはず
一四.衛生隊は興衛村に開設せらる筈
一五.又第一野戦病院(半分欠)は堯化門に開設せらる
歩兵弾薬補給所は仙鶴門鎮とす
一六.余は午前七時龍家王北方高地に在り
連隊長
助川大佐
これは メッセージ 38331 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 17:03 投稿番号: [38331 / 41162]
3.支隊当面の敵は尚頑強に抵抗しつつある右翼隊は昨夕以来柴金山を攻略し又各兵団は何れも南京城に肉迫しつつアルの情報を受く当連隊は明日の払暁攻撃の為左記支隊命令を受け十三日午前三時三十分連隊の攻撃命令を下し午前五時行動を開始せり
右支隊命令
十二月十三日午前一時三十分
於與衛村司令部
一.支隊当面の敵は尚頑強に抵抗しつつあり昨十二日夕我師団の右翼隊は柴金山第一峯を攻略し続いて天文台に向かい攻撃中
萩州兵団の歩一連隊を基幹とする一支隊は鎮江方面より西進し烏龍山砲台
柳川兵団に属する国崎支隊は蕪湖に於いて揚子江を渡河し南京対岸浦口に向かい近迫しつつあり又吉住兵団は南京城東南角に藤田兵団は南門角に夫々肉迫し攻撃中なり
二.支隊は今十三日重点を左方に保持しつつ敵の中央を突破し下関方面に進出せんとす
盆路口西方約1粁三角標高一四七.一高地の我歩兵約一中隊を以て確実に之を占領せり
三.後衛は依然として其の任務を続行すべし
四.歩兵第三八連隊長の指揮する部隊(迫撃砲を配属す)は払暁以後攻撃を開始し一部を以て道路以北に主力を以て十字街東側高地の攻略に努ムベシ
五.野砲兵大隊(第三中隊欠)は可成速やかに與衛村付近に陣地を占領し第一線歩兵攻撃に協力すべし
工兵小隊配属旧の如し
六.予備隊は午前九時迄に龍家王東方高地(七五高地)東側他日に開進すべし追撃の場合を顧慮し十字街東西当地の南麓方面に於ける地形を偵察すべし
七.衛生隊は與衛村に繃帯所を開設すべし
八.第一野戦病院(半分欠)は堯化門に開設すべし
九.兵砲弾薬補給は仙鶴門鎮に於いて受くべし
一〇.余は與衛村に在り
支隊長
佐々木到一
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Re: 物事を論ずる資格 ー 汚爺UNKO先生
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/01/21 16:57 投稿番号: [38330 / 41162]
>おそらく世の中にはまともな精神構造の人がそうでない人より
多数であるからだろうね。
つまりガリレオの時代には「地球が丸かった」とか言っている輩はまともでない、よって彼らの意見は間違いであり、地球も丸くなかったはずだ、といいたいらしい。
たいした精神構造だこと。
これは メッセージ 38329 (shoujouji さん)への返信です.
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Re: 物事を論ずる資格 ー 汚爺UNKO先生
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/01/21 16:07 投稿番号: [38329 / 41162]
>南京事件に限らず事実や真実が何時から多数決で決まるように
なったのでしょうね。
おそらく世の中にはまともな精神構造の人がそうでない人より
多数であるからだろうね。
>多数がああだ政府があいったでは正にガリレオらを弾圧した
キリスト教ら教会となんら変わりませんし
甘いね。正常な精神を持つ人が多数を占める世の中で、少数の
異常者が自説を他人に認めさせるためには、尋常ならざる努力が
必要だぜ。自説を証明するのは悪魔の証明だから必要ない、など
と言ってたんじゃ、いつまでたっても耳を貸してもらえんだろうね。
これは メッセージ 38321 (rugaruga12 さん)への返信です.
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 15:49 投稿番号: [38328 / 41162]
午後五時右支隊は與衛に達し先遣大隊は正午頃より可家凹付近に於いて敵を攻撃中なることを知る
午後六時四〇分に至り支隊長は左の命令を下せり
依って前衛部司令官は右支隊命令に基づきて該地付近に兵力を結集し明日の攻撃準備をなさんが為次の命令を与えたり
右側支隊命令
十二月十二日午後六時四〇分
於與衛村司令部
一.敵は十字街東西の高地を南北に亘り二線に陣地を設備し迫撃砲数門竝に野砲一門在るものの如し
然して第一線陣地の右翼は十字街東南方約一粁の森林付近又其の左翼は蘒なからざるも姜比庄付近にあるものと想像せらる
先遣大体は可家凹より三角標高五七.四高地の亘る線に展開し正午以来敵を攻撃中ナリ
二.支隊は先遣大隊に後方に兵力を集結し明十三日に於ける攻撃を準備せんとす
三.前衛(工兵小隊を欠き歩兵第三中隊を復帰せしむ)
司令官は先遣大隊を併せ指揮し明十三日敵を攻撃する目的ヲ以て前面の敵情地形特に右翼正面敵情地形を捜索すべし
敵の退却する場合に於いては機を失せず追撃に移る準備に在るを要す
四.左側衛は日没後戦場を離脱し與衛村東北地区に兵力を集結し予備隊となるべし
但し第五中隊は與衛村東南方三角標高一四七一の高地を占領せしめてる後期間の指揮に復帰せしむ
五.後衛は前任務を続行すべし但し野砲兵大隊(一中隊欠)は作命甲第一六六号の如く明十三日払暁までに與衛村支隊司令部に追及すべし
六.歩兵第十一中隊長早く一小隊の兵力を正午迄に岡下三叉路に派遣し砲兵前進掩護竝に誘導に任ずべし
歩兵第十中隊は第二大隊長の指揮を受け予備隊となるべし
七.大行李は迫撃砲隊に続行し先頭を以て李家庄付近に前進し待機すべし
八.余は與衛村に在り
支隊長
佐々木到一
前衛命令
十二月十二日午後六時三〇分
於與衛村
一.敵は十字街東西を南北に亘り二線に陣地を設備し迫撃砲数門竝に野砲を有するものの如し
其の第一世陣地の右翼十字街南方約千米の森林付近に左翼は蘒ならざるも姜比庄付近に在るものの如し先遣大隊たりし歩兵第三十三連隊大一大隊(第二中隊欠)何家凹より標高五七.四高地に亘る線に展開し正午以来敵を攻撃中なり
支隊は先遣大隊の後方に兵力を集結し明十三日に於ける攻撃の準備をなす
二.前衛(P−隊を欠き歩兵第三中隊を加え先遣隊を併せ指揮す)は明十三日敵を攻撃する目的ヲ以て兵力を工家礦與衛付近の地区に集結し前面の敵情地形を特に我右翼正面の敵情地形を捜索せんとす
敵退却する場合に於いては機を失せず追撃に移る企図有す
三.前衛は王家礦付近に兵力を集結し何家凹方面より前面の敵情地形を捜索すべし
又敵陣地の右翼方面をも捜索するを要す
四.先遣大隊たりし歩兵第三十三連隊大一大隊は現に進出せる線を確保し攻撃ノ目的を以て前面の敵情地形を捜索すべし本夜敵の退却に当たっては之に尾し手追撃すること肝要なり
五.前衛本隊は與衛付近に露営す
露営司令官莊司大尉とす
連隊砲中隊は明十三日払暁後に於ける射撃諸準備を為すべし通信班は旧先遣大隊前衛及び旅団連隊本部艦に電話連絡すべし
六.本夜の給与は携帯せるものを使用す
七.大行李は迫撃砲隊に続行し其の先頭を以て李家庄付近に待機すべし
八.右側衛大隊は日没後転進し與衛村東北地区に兵力を集結する筈
九.野砲兵大隊(一中隊欠及迫撃砲小隊)は明十三日払暁迄に與衛村に到着する筈
一〇.支隊司令部は馬衛に在り
一一.余は與衛村三叉路に在り午後十時命令者を差し出すべし
前衛司令官
助川大佐
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南京事件に関する政府見解と国際常識(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 15:00 投稿番号: [38327 / 41162]
南京虐殺事件に関する
国際社会の認識を
知るうえでは、
日本国内の虐殺否定論や
それを反映した教科書記述問題に対し、
諸国がそれを
どう批評しているのかを
確認する必要がある。
たとえば、05年4月8日付英紙フィナンシャル・タイムズは、
「日本の責任」
と題した社説で、当時
議論となっていた
日本の教科書問題を
取り上げ、
次のように
論評していた。
社説は
まず
「過去に正面から向き合うことがアジアの怒りを
しずめる唯一の方法だ」
とし、
中国などでの
抗議運動を
引き起こしている要因は、日本の
国連常任理事国入りの動きと
「第二次世界大戦での
日本の蛮行について
年々、不正直に
なっている教科書を日本政府が承認したこと」
であると指摘。
さらに
社説は、
「中国政府が
1931年から45年までの
中国での占領と
残忍な行為について
日本を無責任な態度だと
非難するときに、(日本が)中国と論争しても無理がある」と述べ、
中国側に説得力がある
としている。
続けて、「問題の教科書は、
強制労働と従軍慰安婦、南京の大虐殺について言い訳をしている」
と指摘したうえで、日本が
近隣諸国と
良好な関係を望むなら、
「日本は
その過去を清算しなければならない」
と結んでいる。
同時期、日中関係の緊張が
アラブ諸国でも
関心を集めるなか、
サウジアラビアの有力紙
アルリヤドの
05年4月20日付は、
「南京で何が起きたのか」
と題する
論評記事を
掲載した。
この記事では、日本の過去の
中国侵略を
告発するとともに、
日本政府の無反省が
現在の問題の根本にある
と指摘したうえ
「中国と
日本との間で起きている
現在の危機は、教科書問題
によって
引き起こされている」
と述べて、ナチス・ドイツの
犯罪同様に
日本が中国や韓国で犯した
「恥ずべき歴史」を
日本の教科書が無視しているとする中国側の主張を紹介している。
さらに、日本の侵略の実態を詳述し、様々な反人道的行為を行い、
七三一細菌戦部隊に関しては
「捕虜や
市民に
生体実験をし、
その結果が
製薬会社にも提供された」
と犯罪性を強調した。
また、戦後日本を占領した米軍当局が
実験データと引き換えに
七三一部隊を
免罪した事実をあげて、ニュルンベルク裁判で
戦争犯罪の実態が
明らかにされた
ドイツと比べて、日本では
「多くが隠された」
とも指摘している。
そのうえで、社説は、「それでもなお日本が否定できない
二つの
スキャンダルがある」
として、
従軍慰安婦と
南京大虐殺を
あげている。
南京事件否定派の
諸氏にとっては
じつに不本意なことだろう。
しかし、このような
世界の反応は、すべて
日本国内の一部で
繰り返し、シツコク
持ち出される
「南京事件まぼろし論」や
教科書問題などが
喚起するものに
ほかならない。
身から出たサビ、自業自得である
と言える。
これは メッセージ 38326 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件に関する政府見解と国際常識(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 14:59 投稿番号: [38326 / 41162]
日本政府の公式見解は、「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為」は
「否定できない事実」
であると認める一方で、婦女暴行や
捕虜の大量虐殺などの具体的内容には
言及しておらず、また、
犠牲者数については
次のように表明している。
「数千人から30万人、40万人に至るまで
様々な説があり、
政府として
どれが正しい数か認定することは
困難である」
(1999年5月14日、外務省報道官の発表)
日本軍による
非戦闘員殺害や
略奪行為などがあったことは
事実であるという認識は
一貫して変わらないが、残念ながら
政府として
全容解明を目指そうという姿勢は
見られない。
この消極的な姿勢が、国内で「まぼろし論」
などが
繰り返し
湧いて出る土壌を作り、問題の解決を遅らせる要因となっている。
日本政府としての公式見解は、前述したとおり
報道官発表や
政府答弁書などで
繰り返して
表明されてきたところだが、
それ以前に、そもそも
戦後日本が占領状態から独立を回復し
国際社会への復帰を果たす際に、サンフランシスコ講和条約を
受け入れた事実を、あらためて
認識しておく
必要がある。
サンフランシスコ講和条約は
次のとおり規定した。
「日本国は、極東国際軍事裁判所
並びに日本国内及び国外の
他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁
されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行する」
条文中の
極東国際軍事裁判所とは、いわゆる「東京裁判」を、
他の連合国戦争犯罪法廷とは、南京軍事法廷などを指している。
東京裁判(1948年)
は、以下のとおり
認定をしていた。
「日本軍の占領中
最初の六週間の間に南京市内とその近郊で
虐殺された民間人と捕虜の総数は20万人を超える。(中略)
この数字には、日本軍によって
焼かれた死体、揚子江へ投棄
されたり
その他の方法で処理された死体は
含まれていない」
南京軍事法廷(1947年)は、以下のとおり
事実認定した。
「捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され
遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単燿亭など19万人余りに
達する。
このほか
個別の虐殺で、(中略)
15万体余りある。
被害者総数は
30万人以上に達する」
こうした判定の受諾が、戦後
日本国の出発点
となっており、
その意味で
日本政府は、この事実を
認めていることになる。
政府の見解は
現在も
外務省公式HPなどで確認することは
可能であり、報道官発表でも
明らかにしている。
では、日本国外における
南京事件に関する
認識はどうか。
あまりにも
当然のことながら、海外では
「南京虐殺まぼろし論」
を見出すことは
難しい。
これは メッセージ 38325 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件に関する政府見解と国際常識(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 14:58 投稿番号: [38325 / 41162]
日中戦争最中の1937年に、南京で発生した事件については
欧米では
Nanking Atrocities、
The rape of Nanking、
または
Nanking
Massacre
と呼ばれている。
日本国内では、一般に
「南京虐殺事件」
「南京残虐事件」、
あるいは「南京大虐殺」と表記されるが、歴史教科書などには
単に
「南京事件」
と記されることも多い。
「南京事件」を
英語に直訳すれば、Nanking
Incidentとなる。
“Incident”とは、偶発的な事件や「ちょっとした事件」という
ニュアンスでも用いられる言葉であり、大虐殺や残酷行為を指す
“Atrocities”や
“Massacre”
などとは
語意が異なる。
これに関し、米国のジャーナリスト
ポール・グリーンバーグは
アーカンソー・デモクラット=ガゼット紙
07年3月7日付の
記事において、「南京事件」
という言い方は
婉曲表現である
として
批判している。
呼称一つをとって見ても、この事件に関する
国際的認識と
日本国内での
認識度には、大きな格差が
生じている。
1970年代、日本国内で
一部の論者が、右翼雑誌などに
「南京大虐殺まぼろし」
論を
展開し始めた。
それ以降、
事実存否や規模、行為者、戦闘行動と戦争犯罪(不法殺害)の区別、
死傷者数、方法などを巡って
日本国内では
議論を呼んでいる。
論争は
学術論争ではなく、特定の歴史観・政治信条にもとづく
イデオロギー論争の様相が
より強くなり、出口が見えない。
その原因の一つは、敗戦時に
軍部も政府も
責任の追及を恐れて
証拠湮滅のために、多くの関係書類を
処分したことによる。
限られた断片的な記録や証言などから
全容解明に至るのは難しい。
また
戦後日本で、戦争原因や責任究明が
きちんと行われず、
戦争を美化し
戦争犯罪を隠蔽する勢力が
温存されたことも
関係している。
日本政府としては、この問題を過去の事として
曖昧なまま
歴史の彼方に
忘れ去られることを
望んでいたが、
皮肉なことに、南京事件否定派が問題を蒸し返し、内外に波紋を
広げたため、あらためて
公式見解を
求められる結果となった。
政府の公式見解は、外務省のホームページ「歴史問題Q&A」の
「南京大虐殺に対して、日本政府はどのように考えていますか」
という質問に
答える形で、以下のように
明示されている。
「日本政府としては、日本軍の
南京入城(1937年)後、
多くの
非戦闘員の殺害や
略奪行為等が
あったことは
否定できない
と考えています」
「日本は、過去の一時期、植民地支配と
侵略により、多くの
国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を
与えたことを率直に認識し、痛切な反省と
心からのお詫びの
気持ちを
常に心に刻みつつ、戦争を
二度と繰り返さず、
平和国家としての道を
歩んでいく
決意です。」
これは メッセージ 38324 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38325.html
Re: 埋葬記録による犠牲者数推計について(
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 14:57 投稿番号: [38324 / 41162]
>>十六師団の位置は中山門では無い
>ナルホド、なるほど〜〜
では、この人も嘘つきなのですね!
>↓
>中山門附近は、第16師団が戦闘を行っていた。
>【東中野修道氏(亜細亜大学教授)】
東中野教授は、過去に
被害者を
ウソつき呼ばわりして
名誉毀損に問われた裁判で、「東中野の
原資料の解釈は
およそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに
値しないと言って過言ではない」
と厳しく断じられて敗訴。
また、似非科学やオカルト本を認定する「と学会」
からも
その著書は
「インチキだらけの
ひどい代物なのである」
などと
酷評されている人物だ。
しかし、中山門附近で
第16師団が
戦闘を行っていた
という
彼の発言に関しては、珍しいことだが、事実だ。
したがって、中山門付近に同師団は無いという主張のほうが
明らかに
ウソ、または間抜けな勘違い
ということになる。
例えば、南京事件否定派も
好んで引用する
戦前の記録、
『支那事変
戦跡の栞』中巻に、以下のように書かれている。
[中山陵、中山門を占領]
南京総攻撃の先鋒
大野部隊の一部は、十一日午前九時
中山陵を占領し万歳の声と共に感激の裡に日章旗を掲げた。
戦車隊は迫撃砲、チェツコ機銃の集中射撃の中を中山門に
殺到したが、大野部隊の決死隊も
まっしぐらに戦車隊と
列んで突入したのである。紫金山より南京城壁に迫る富士井、
伊佐両部隊も
十一日朝来頑強に抵抗する敵を斬り伏せて、
午前十一時半
一気に中山門に
殺到したのである。
尚大野部隊の一部、片桐部隊の一部も、十三日午前三時、
中山門及び中山陵を
完全に占領したのである。
上記の文中にある「大野部隊」
とは、大野宣明大佐が率いた
福知山歩兵第20連隊を意味しており、また「片桐部隊」とは、
片桐護郎大佐が
指揮した
京都歩兵第9連隊を
指している。
両連隊とも
第16師団歩兵19旅団に属していた歩兵部隊だ。
なお、中山門を防衛していた中国軍は第2軍団教導総隊だった。
南京は
揚子江が
北から西に流れている。
したがって日本軍は
おもに東側からと
南側から攻撃をした。
とくに
南京の北東にある紫金山は
激戦地だった。
ここを攻めたのは
京都の第16師団と金沢の第9師団だった。
「砲撃戦は
ますます
激しくなり、砲火が交錯する戦場は
恰も不夜城を見る思いであった」
と第9師団の戦史は語る。
この紫金山を攻め下れば、東の門の中山門に至ることができる。
激しい攻防戦は
12月9日から続いた。
第16師団は、紫金山北側を迂回して
下関へ急進、
先頭は
軽装甲社中隊で
和平門まで前進したが、
思うように
はかどらなかった。
事態が
大きく動いたのは、12日だった。
自軍兵士に死守を命じていたはずの中国軍司令官唐生智は
突如として
退却命令を出して、まっ先に
愛人を伴って
さっさと
逃げ出した。
中国防衛軍は
総崩れとなった。
12月13日は
濃霧の朝だった。
第16師団に所属する歩兵部隊が
中山門を占領した。
これ以降、市内での掃蕩作戦が
展開されることになる。
市内を進む
各部隊は、家屋の中からの
攻撃を恐れた。
女性であっても
兵士の可能性があり、平服を着ていても
安心できなかった。
すべての建物は
敵陣であり、中国人は
すべて
敵とみなせ
というのが、日本兵に根付いた
「習慣」
となっていたため
日本軍兵士は、恐怖をこめた緊張状態のまま
市内に突入した。
上海戦以来の激戦で、多くの戦友が
犠牲になったことあって
中国人民に対する
怨み、憎しみも、極限に
達していた。
戦争という蛮行は、人心を荒廃させ
理性を失わせる。
数多くの非戦闘員が
犠牲となった
南京事件は、
その厳然たる事実を
明らかに示すものだ
と思う。
これは メッセージ 38317 (tyankonabejp さん)への返信です.
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 12:32 投稿番号: [38323 / 41162]
前衛命令
十二月十二日午後一時〇五分
於堯化門北方四〇〇高地
一.前衛は右側支隊命令に基づき堯化門−岡下−馬営十字街道を十字街に向かい前進せんとす
二.第一大隊(第二第三中隊欠)工兵一小隊は前兵となり午後一時二十分現在地を出発支隊の進路を十字街に向かい前進すべし前衛本隊との距離五〇〇米
三.本隊は左記行軍序列に従い前兵進路を前進すべし
左記
歩兵連隊本部
第二中隊
連隊砲中隊
速射砲中隊
軽装甲車第八中隊
四.通信班は一部を残置し既設線撤収の後追及すべし
五.連隊小行李は弾薬補充の後速射砲の後方に入るものとす
六.余は前衛本隊の先頭を行進す
前衛司令官
助川大佐
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 10:25 投稿番号: [38322 / 41162]
四.各時期に於ける戦闘経過
1.戦闘経過の概要別紙要図の如くにして堯化門付近の戦闘にて敵の陣地奪取したる後十二月十二日午後〇時堯化門正方向地に於いて左の右側支隊命令を受け連隊主力は前衛となり直ちに前衛命令を下し午後一時三十分堯化門出発岡下を経て馬衛−與衛に向かい前進す
岡下−與衛間の道路は野砲の通過少々困難なる為歩兵は補修を実施しつつ前進し午後六時前衛本隊は與衛村に達す
此の間敵の砲兵は熾に我を射撃し其の行動に妨得を与えたり
右側支隊命令
十二月十二日
午後〇時五十分
於堯化門北方高地
一.微弱なる敵は尚北方に残留し在り先遣大隊は本日午前十一時三十分十字街方向に進出し該地東側高地に在る敵を攻撃中
二.支隊は今より玄武湖北方地区に向かい転進せんとす
三.先遣大隊は前任務を続行すべし
四.前衛ハ午後一時二十分其の歩兵先頭を以て銀吼山北側を出発し岡下馬営を経て十字街に向かい前進すべし
五.左側衛は依然現態勢に在りて支隊の転進を掩護すべし
従命を待って夜暗を利用し離脱し支隊本体に追及し得べき準備に在りたるべし
六.後衛は支隊の転進を掩護したる後一切の後方機関を掩護して支隊本体に追及すべし
但し一部を残置し軍直轄の砲兵及衛生機関等掩護に任ぜしむるを要す又敵状に在りては其の大部を以て現任地付近に於いて駐止掩護の必要を生ずる場合を顧慮するを要す
七.本体たる諸隊は逐次堯化門付近に集合左の序列に従い前衛の後方千米を続行すべし
八.余は本体の先頭を行進す
支隊長
佐々木到一
軍隊区分
先遣大隊長
歩兵第三十三連隊大一大隊(第二中隊欠)
旅団無線一機
前衛
司令官
助川大佐
歩兵第三十八連隊本部
第一大隊(第三中隊欠)
工兵小隊
軽装甲車第八中隊
左側衛
歩兵第三十八連隊第二大隊(第五中隊欠)
後衛
歩兵第三十八連隊第三大隊(第十一中隊欠)
本隊
支隊司令部
歩兵第三中隊
歩兵第五中隊
野砲大体(一中隊欠)
迫撃小隊
歩兵第十一中隊
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Re: 物事を論ずる資格 ー 汚爺UNKO先生
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/01/21 09:41 投稿番号: [38321 / 41162]
>私はおまえの今までの投稿内容から
で、まずは慰安婦関係のあなた曰く「おまえの主張」したとされるものを提示しろといっているのだが。
それなのに一向に提示しないどころか適当なこと言って逃げ回るとさて私はいったい何を主張したのやら。
>前提のもとにレスを返している
上記の経緯からあなたの前提と言うのはまったくもってあてになりませんが。
それともあなたの脳内の「おまえ」さんが言われたことなのでしょうかね。
リアルの私と討論したければちゃんと投稿内容を読んでから、脳内の「お前」と討論したければ新聞広告のうらでどうぞ。ただ、リアルと仮想を混同しないで下しね。迷惑ですので
>ガリレオは自分の観察結果をもとに自説を主張した
で、あなたは「証拠にもとずいている」となんら裏づけなのいものを盾にそれを忌み嫌っている。正にガリレオを弾圧した宗教を盾にキリスト教そのものですな
>もう一度言うが
それは脳内の「おまえ」とやらに聞けばよろしかろう。
こちらはすでに自分が主張したいものは裏づけが取れたもの込み資料などは提示済みだよ。
後はお前さんが理解できるほどの知性と理性を持っているかどうかの問題でね。
>では、南京事件は世界中でおまえを含む日本の馬鹿ウヨ”だけ”が
認めたくないだけだ、で話は終わりになる。
あなたの宗派的にはそうでしょうね。
ようは「異教徒や異端と議論する必要はない」と
だいたい南京事件に限らず事実や真実が何時から多数決で決まるようになったのでしょうね。教科書の内容が新版が出るつどコロコロ変わるのでしょうね。
それも理解しないで多数がああだ政府があいったでは正にガリレオらを弾圧したキリスト教ら教会となんら変わりませんし、お前さんの言う根拠と言うのはその程度と言うことだよ。
これは メッセージ 38308 (shoujouji さん)への返信です.
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Re: 歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 09:17 投稿番号: [38320 / 41162]
十字街及與衛和平門及下関付近戦闘詳報
一.戦闘前に於ける彼我形勢の概要
1.敵は堯化門付近の陣地を固守したるも前日来の猛攻撃に対し該地付近一帯の陣地を捨てて主力は南京方向に敗走し又一部は東北方に於いて我を牽制する為か陣地を増築しあるものの如し
2.佐々木支隊は依然右側支隊にして堯化門に進出し爾後敵を南京北方地区に急追せんことを企図しつつあり
3.連隊主力は右側支隊命令に基づき玄武湖北側地区に転進し敵を殲滅せんとす第二大隊は支隊の左側衛となり盆路口北側高台を占領しあり又第三大体は支隊の後衛となり堯化門北方地区の敵を撃滅掃蕩を実施しつつあり
二.戦闘に影響を及ぼしたる気象地形等の状態
1.日出時刻は概ね午前六時五十分にして連日好天候にして戦闘行動に多大の好況を与えたり
日没時刻は午後六時頃にして夜間は星明ありて目指困難ならざるも四周に山を巡らして少透視困難なり
2.地形及住民
與衛及十字街付近は敵の平素に於ける演習地帯にして巧妙なる既設陣地あり地形大波状をなし防禦に適す又小部落の点在を見も全く住民は居住しあらず敵は是等の家屋を殆ど焼却し退却せり又道路は殆ど阻絶しありて車馬の通過不可能なり
三.彼我の兵力其の他ノ状況
1.敵の兵力明瞭ならざるも與衛付近約五、六〇〇名にして十字街付近のものは更に有力なるものの如し
野砲及迫撃砲数門を有す
2.交戦せし敵の団体号は第三十六師及第四十八師に属するもの竝に一部は教導総隊なるが如し
これは メッセージ 38319 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 08:51 投稿番号: [38319 / 41162]
五.戦闘後に於ける彼我形勢の概要
敵の大部は南京方に退却し其の一部は北方に於いて熾々我に抵抗を試みつつ在り
堯化門付近一帯の陣地を占領せる連隊は隊勢を整え馬園を経て千家営に転進を準備中なるも敵の砲兵は熾々我が行動を妨害しつつありて付近一帯は其の危険区域内に在り十二日正午該地を前進す
六.各人各隊の武功に対して特に抜群なるもの
1.各人武功特に抜群なるもの
第一大隊長
陸軍歩兵中佐
竹内
正
連隊副官
陸軍歩兵少佐
児玉義雄
第二中隊長
陸軍歩兵大尉
山田弥一
第三中隊長
陸軍歩兵大尉
森井菊蔵
砲兵中隊長
陸軍歩兵大尉
荘司武夫
第五中隊長
陸軍歩兵中尉
今村弥一
第三中隊長代理陸軍歩兵少尉
西峯義雄
連隊本部書記
陸軍歩兵曹長
武井昌邦
迫撃砲第一大隊長陸軍歩兵中佐
加藤正次
独立系装甲車
第八中隊長陸軍歩兵大尉
福田林治
堯化門付近戦闘参加将校(准尉)職員表昭和十二年十二月十日
十二月十二日
【省略す】
堯化門付近戦闘死傷表
連隊本部
死
0
傷
0
第一大隊
死
6
傷
36
第三大隊
死
3
傷
18
第五中隊
死
1
傷
3
歩兵砲隊
死
0
傷
1
速射砲隊
死
0
傷
1
参加人員
将校
36
准士官下士官兵
541
武器弾薬損耗
連隊本部
榴弾
0
小銃
700
機関銃
0
拳銃
20
第一大隊
榴弾
0
小銃
27600機関銃25016拳銃
144
擲弾筒
300
手榴弾
70
第三大隊
榴弾
0
小銃
20106機関銃22800拳銃
218
擲弾筒
72
手榴弾
22
第五中隊
榴弾
0
小銃
2683機関銃
0拳銃
38
歩兵総隊
榴弾
241
速射砲隊
榴弾
139
敵俘虜
将校
70
准士官下士官兵
7130
(俘虜の7200名は第十中隊が俘虜にし武装解除せしものを示す)
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Re: 埋葬記録による犠牲者数推計について(
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 08:17 投稿番号: [38318 / 41162]
中国軍
第二軍団
兵力
18000
損失
5000
保存
13000
第六六軍
兵力
7000
損失
3000
保存
4000
第八三軍
兵力
5500
損失
1500
保存
4000
第三六師
兵力
7000
損失
1500
保存
5500
第五一師
兵力
6000
損失
4000
保存
2000
第五八師
兵力
7000
損失
3000
保存
4000
第八七師
兵力
6500
損失
3500
保存
3000
第八八師
兵力
7000
損失
5000
保存
2000
教導総隊
兵力
11000
損失
7000
保存
4000
103,112師
憲兵、軍直部隊
兵力6000損失
3000
保存
3000
これは メッセージ 38309 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 埋葬記録による犠牲者数推計について(
投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2012/01/21 08:12 投稿番号: [38317 / 41162]
>十六師団の位置は中山門では無い、史実や戦闘詳報とは違う証言は信用出来ない。
ナルホド、なるほど〜〜
では、この人も嘘つきなのですね!
↓
中山門附近は、第16師団が戦闘を行っていた。
【東中野修道氏(亜細亜大学教授)】
※平成7年11月に東京都文京区の本駒込地域センターで、自由主義史観研究会主催の講演会での発言内容です。
「史実や戦闘詳報とは違う証言は信用出来ない」
(・´艸`・)・;゙.、ブッ
これは メッセージ 38314 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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東平、證誠寺、海神は、エロトマニアか
投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2012/01/21 08:12 投稿番号: [38316 / 41162]
東平、證誠寺、海神は、エロトマニアか、その他の妄想性障害でしょう
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Re: 埋葬記録による犠牲者数推計について(
投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2012/01/21 08:11 投稿番号: [38315 / 41162]
>十六師団の位置は中山門では無い、史実や戦闘詳報とは違う証言は信用出来ない。
ナルホド、なるほど〜〜
そうすると、この人は嘘つきジジイですね
↓
「私は第16師団京都福知山20連隊の第3大隊を指揮して中山門に向かって攻撃をしたのであります。」
「連隊長が軍旗を奉じて中山門に突入・占領されたのは、13日の午前4時頃でした。」
【「南京大虐殺」はなかった(森王
琢)】
※平成4(1992)年4月に岡山国民文化懇談会(代表・三宅將之氏)で開かれた森王琢氏の講演記録です。
「史実や戦闘詳報とは違う証言は信用出来ない」
(・´艸`・)・;゙.、ブッ
これは メッセージ 38314 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 埋葬記録による犠牲者数推計について(
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/21 08:02 投稿番号: [38314 / 41162]
国際員会から三萬減ったという報告は無い。
放置されていた屍体というのは入城前からあった。
これは メッセージ 38309 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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東南アジアの戦争博物館と対照的な遊就館
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 06:47 投稿番号: [38313 / 41162]
JEATH博物館は、タイ国のカーンチャナブリーにある。
この博物館は、太平洋戦争中に
日本軍の
指示によって
泰緬鉄道建設のために強制労働に従事した
捕虜に関する
資料の保存・展示を行っている。
博物館名は
日本(J)、
イギリス(E)、オーストラリア(A)と
アメリカ(A)、
タイ(T)、オランダ(H)
の頭文字を並べて付けられた。
JをDに変えると
「DEATH(死)」
が連想できる。
実際、最初は
DEATH
という案だったが、タイの
国民性に合わないということで
現在の名になったという。
なお、泰緬鉄道は
別名「死の鉄路」
とも呼ばれていた。
館内には、再現された
鉄道建設時の連合国軍捕虜収容所、
捕虜による絵画作品など
多数の資料が
展示されている。
泰緬鉄道はバンコクの西、ノンプラドック駅からビルマの
タンビュザヤまでの
延長415キロの
鉄道のことだ。
この鉄道を
一躍有名にしたのは、「クワイ川鉄橋」
だ。
捕虜虐待、過酷な強制労働の実体験に基づいて
書かれた
『戦場に架ける橋』という作品で
世界的に知られている。
泰緬鉄道の建設には
主に東南アジアの日本軍占領地から
動員された「ロームシャ」(中国、インドネシア、ビルマ、
マレーシア、インド、シンガポール、タイ)と連合軍捕虜
(米、英、オランダ、オーストラリア)
が投入された。
その数は、じつに40万人にも達した
と言われている。
ジャングル地帯での酷使と
コレラ、マラリアなど伝染病で
人員の半数近くが
未帰還だった
とされている。
現地で
「死の鉄路」
とも呼ばれているのは、このためだ。
日本軍は、ミッドウェー戦に敗北し、ビルマへの海上補給が
困難になったため、ビルマ経由の蒋介石政権への補給ルート
切断と、インパール作戦への戦略的補給路が「使命」だった。
しかし、インパール作戦の敗北で
所期の目的は
果たせず、
皮肉にも、日本軍がビルマから敗走するための経路になった。
手当ても受けられず、半死半生のまま
貨車で運ばれてくる
惨めな日本軍敗残兵の姿に、工事を生きのびた捕虜達ですら
哀れみ、食糧を与えたと
現地では語り継がれている。
JEATH博物館は、その戦争の悲劇を
現代に伝えている。
展示資料の中に、連合軍の捕虜が
収容所内の生活を描いた
スケッチブックがある。空腹のあまり食べ物を盗んだ捕虜を、
ロープで縛って吊るしたり、座らせた
足の間に棒を入れて
立てなくしている拷問の絵もある。
映画『戦場に架ける橋』には、捕虜を
炎天下に立たせたり、
重営倉に閉じ込めるなどいった
厳しい懲罰の場面があるが、
現実に比べれば、まだ
生やさしい。
東京九段の戦争賛美神社の展示施設で、泰緬鉄道関係の展示を
観たことがある。
当時「活躍した」という機関車両が飾られ、
はじめに建設を試みた英国は
工事の困難さから
断念したが
日本軍は迅速に工事が行い、1年3ヶ月という驚異的な早さで
開通させたなどと
誇らしげに
説明していた。
そこでは、捕虜や
現地労務者たちの苦難は
見えてこない。
ヤスクニ「神社」と称する
戦争賛美施設の
展示場では
歴史の真実に向き合うことを怖れる卑怯な姿勢しか見出せない。
これは メッセージ 38312 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38313.html
長期戦略の欠如と軍編成の不備について
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 06:45 投稿番号: [38312 / 41162]
1937年12月1日、大本営は中支那方面軍に戦闘序列を発令。
そのうえで
「中支那方面軍ハ海軍ト協同シテ
敵国首都南京ヲ
攻略スベシ」
という大陸命をくだした。
念のため付記すれば、
戦闘序列とは、戦時に令する
軍の編成を意味し、大陸命とは
大本営陸軍部を通じて発する
天皇の命令を
意味している。
蘆溝橋での武力衝突を発端として
両国が全面戦争に突入してから
すでに半年が経過していたにもかかわらず、この大陸命で大本営は
はじめて
中国を
「敵国」
と呼び、首都南京への
武力侵攻を
正式に
命令したのだ。
日本は、国際社会からの
大儀なき武力侵略に対する
批判を恐れ、
あくまでも「事変の鎮圧」
として、片付けようとしていたからだ。
もともと補給を軽視する日本軍の体質的欠点にくわえ、戦争方針が
数カ月程度の戦闘で中国軍を屈服させる
という甘い見通しのもと、
長期戦争の備えがないまま
中国に大軍を派兵したことが、のちに
深刻な食糧不足に伴う略奪行為多発や捕虜の大量殺戮につながった。
南京の攻略は、参謀本部が
初めから
予定していたわけではない。
第十軍を
杭州湾に上陸させたのは、予想外に厳しい上海の戦況を
打開するためであり、南京へ進撃するためではなかった。
中支那方面軍の編成も変則的で、司令部の機構も小さなものだった。
参謀長は
参謀本部第三部長
塚田攻少将、参謀副長は
参謀本部
第三課長
武藤章大佐、以下の参謀数名も
参謀本部の職員であり、
本部に在籍したまま
「出張」の形式で
派遣された。
その他の司令部の人員の多くは、上海派遣軍司令部の人員が兼務し、
さらに
方面軍には、直属の兵站部隊が
まったく
無かった。
こうした
異例の編成は、上海から遠くへ侵攻するつもりがなく、
後方が局限されていたからであり、このために、中支那方面軍の
南京侵攻作戦には、次のような
問題点が生じた。
第一に、後方補給の準備が
まったく
欠けていたため、
南京へ殺到した
各部隊の給養は
ことごとく
徴発に依存し、
これが
略奪暴行多発の
原因になった。
第二に、方面軍司令部には
外交や渉外の
機能がなく、
国際法の顧問も
従来の戦争のように
置いていなかった。
各国の公館が集中している首都に攻め込むのに、これは
きわめて
不十分な編成で、しかも
南京の公使館、上海の総領事館など
日本の外務省の機関との
連携も
悪かった。
それどころか、
軍は
外交官を
邪魔もの扱いにし、暴行を
制止しようとした
外交官が、身の危険を
感じるほどだった
と報告している。
第三に、軍紀風紀維持についての配慮が、きわめて
不十分だった。
方面軍には
もともと
直属の憲兵がなく、急遽配属された少数の
憲兵で
大軍の犯罪非行を取り締まるのは
ほぼ不可能に近かった。
第十軍に配属された
憲兵隊長の
上砂勝七も
「何分
数個師団
二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは如何とも
方法がない」
(『憲兵三十一年』東京ライフ社刊)と嘆いていた。
このように、長期的方針を欠いた戦略と
方面隊の編成にも、
大虐殺事件につながる要因が含まれていたと言うことができる。
これは メッセージ 38311 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38312.html
埋葬記録による犠牲者数推計について(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 06:45 投稿番号: [38311 / 41162]
日本軍側の
資料にも、数千
あるいは数万の単位で
捕虜を
処断した
と記録されている。
はたして、これほど
大量の
殺戮が可能だったのかと
現代の人間なら
疑問に思うだろう。
南京虐殺「マボロシ派」などは、ハナから
否定してみせる。
ところが
近代戦において、これは
じつに
簡単なことだ。
例えば、1万人を殺害するのに、機関銃10丁あれば
1時間、
1個歩兵中隊200名の兵力さえあれば
30分で射殺できる。
その歩兵中隊を、1個連隊で
平均12個隊を
保有している。
単純計算で
機銃数十丁、歩兵2千人超。
1個連隊にとって
数万人程度の捕虜殺害は
局地戦よりも
容易いことだ。
もちろん、南京に攻め込んだのは
1個連隊だけではない。
また、殲滅作戦は
数時間程度で
終了したわけではない。
南京攻撃に動員された日本軍の総兵力は
10万を超えていた。
そして、大量虐殺は
南京城陥落直後の
数日間だけではなく、
長期にわたる攻防戦と占領後の掃蕩作戦の中で継続的に起きた。
しかも、ごく一部の無法者が
犯した行為ではなく、組織的に
実行したのだ。
多数の生命を
奪うことは
可能だった。
近代軍の大兵力が、小銃や
機関銃による銃殺
のみならず
銃剣による刺殺などを
組織的に実行すれば、抵抗できない
捕虜などの大量殺戮は、いたって
容易なことだ。
参考として
南京戦にあたった将校の陣中日記を見てみよう。
以下は、歩兵第65連隊
第1大隊本部・上等兵の日記だ。
十二月十六日
今日南京城に物資徴発に行く。
捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
十二月十七日
今日は南京入城なり(一部分)。
俺等は今日も捕虜の始末だ。
一万五千名、今日は山で。
大隊で負傷、戦死有り。
(参考資料:『南京戦史資料集2』南京戦史編集委員会編)
1個大隊だけ、しかも
2日間だけで、1万7500名もの
捕虜を殺害した
という記録だ。
日本軍全体で、何日間もかけて遂行した掃討作戦と捕虜処刑。
その総数は、はたして
どれほど
膨大なものだったろうか。
当時、南京に駐在していた
ドイツ外交官の外交文書がある。
そこには
以下のような
本国とのやりとりが記されている。
(岩田勇治訳『資料・ドイツ外交官の見た南京事件』大月書店)
南京入城のさいの
日本軍の所業については、語らぬに
越したことはない。チンギス=ハーンを思い出さずには
いられないほどの
徹底した破壊ぶりであった。
(中略)
こうして南京に残っていた女という女はまったくひどい
目にあわされた。
これを
目の当たりにした男たちと
このことについて話をするのは容易ではない。残忍非道な
行為にたいする嫌悪感が、かれらの胸によみがえるからだ。
日本国内では
いまだに
この残虐事件をめぐって「論争」が
止まない。
が、しかし
事件そのものの否定や
学問を装う
自由主義史観の「学者」もどきの主張も含めて、これらの論は、
国際社会という舞台では
歯牙にもかけられるものではなく、
狭い日本の、その
ごく一部でしか通用しないのが
現実だ。
これは メッセージ 38310 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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埋葬記録による犠牲者数推計について(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 06:43 投稿番号: [38310 / 41162]
前述した
慈善団体などによる
遺体の
収容・埋葬に関して
とくに
多数の埋葬作業にあたった団体としては、「紅卍会」と
「崇善堂」
があり、1937年12月から
38年3月までに
両者併せて
約15万5,000体以上を
埋葬している。
東京裁判でも
南京虐殺事件の
最大の証拠とされたのが、
これら
慈善団体などによる
作業報告だった。
南京虐殺マボロシ派は、こうした数字は
ウソだ
と決め付ける。
なかには、崇善堂は民間の葬儀屋なので、多額の報酬を得るため
数を水増ししているのだ
という根拠のない憶測を唱える者もいる。
しかし、崇善堂は
日本軍の依頼にもとづき業務にあたっていた。
軍が依頼して
報酬を支払ったのであり、当然
その費用は
公金であるから、最低限の実績確認・検査は
行っている。
仮に
水増しがあったとしても、日本の役人の目を
欺くのにも
限度というものがある。
なお、通常
戦場の掃除は自軍兵士や
捕虜が実行する。
軍がわざわざ民間団体に
委嘱したことは、
捕虜を大量に殺害したため労働力不足であるうえに、軍だけでは
処理しきれないほどの遺体が存在していた事実を示している。
紅卍会と
崇善堂による遺体収容は、南京行政区の中だけであり、
周辺地域や
南京沿いを除く
揚子江などは
含まれていない。
さらに、遺体埋葬を行ったのは
この2つの組織だけではなく、
紅十字会(赤十字)など
複数の機関も
別途実施した。
したがって、南京周辺だけに限っても
約20万以上の
遺体が
存在していたということは、間違いない事実だ。
大量の遺体が遺棄されていたという事実は、日本軍の関係者も
記録している。
たとえば、第16師団の佐々木到一支隊長は
日記に
次のように
記している。
「この日、わが支隊の作戦地域内に遺棄された敵屍は1万数千に
上り
その外、装甲車が江上に撃滅したもの
ならびに各部隊の
俘虜を合算すれば、我が支隊のみにて2万以上の敵は解決されて
いる筈である。(中略)
午後2時ごろ、概して掃蕩を終わって
背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進、和平門にいたる。」
「その後俘虜続々投降し来たり数千に達す、激昂せる兵は上官の
制止を肯かばこそ、片はしより
殺戮する。
多数戦友の流血と
十日間の辛酸を顧みれば
兵隊ならずとも『皆やってしまえ』と
言いたくなる。」
「白米は
もはや一粒もなし、城内には
有るだろうが、俘虜に
食わせるものの
持ち合わせなんか
我が軍には無い筈だった。」
(佐々木到一少将私記「南京戦史資料集」南京戦史編集委員会編)
佐々木少将が
大ウソつき
でなければ、支隊のみで2万以上の
敵兵を「解決」したこと、俘虜だと認識しながら
殺戮したこと、
食料も底をつき
俘虜の給養は不可能であった状況
などが判る。
このほかにも
数千あるいは数万の単位で捕虜を処断した事実を
記録している軍関係の資料が
残されている。
では、短期間に
これほどの大量殺戮が
可能だったのだろうか。
これは メッセージ 38309 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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埋葬記録による犠牲者数推計について(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 06:42 投稿番号: [38309 / 41162]
南京大学難民収容所及遇難同胞記念碑、中山陵集団埋葬地など
南京城の内外には、夥しい数の
集団埋葬地が
存在している。
北極山の至る所に埋められた遺体叢葬碑の数は、二千を超える。
犠牲者の遺体は
次の5つのルートで
埋葬、処理された。
①
国際委員会によるもの
同委員会のメンバーであるベイツは、戦後の東京裁判で証言し、
南京陥落後
72時間以内に、国際委員会が雇った
労働者が
埋葬した軍人・市民の遺体は「3万体に達した」と語っている。
②
慈善団体や宗教団体等によるもの
南京城内外に放置された
遺体の埋葬作業にあたった
団体で、
紅卍会
43,123体、
崇善堂
112,267体、
中国赤十字社
22,683体、合計
約178,000体の
埋葬記録がある。さらに
同善堂という団体が7,000体余
を埋葬したとされる。
③
市民の埋葬によるもの
市民の手で
合計36,000体余を
収容・埋葬している。
湖南の木材商
盛世征、昌開運が出資して行った水西門外の
遺体収容が28,730体、城南市民の張瀉儒、楊広才らが
難民を組織して
中華門外の
7,000体あまりを
収容、
また、回教徒の埋葬隊が収容・埋葬した遺体は
約400体。
④
汪兆銘政権政権によるもの
日本軍の傀儡政権、汪兆銘政権(南京政府)
の市、区の
両級機関の
共同組織が
7,400体を
収容・埋葬した。
うち、第一区役場が
1938年2月に
同区の所轄内で
1,233体を収容。下関区役場が37年12月15日から
38年1月までに、3,240体を収容。
南京市政公署の
監督官高冠吾が
38年12月から
39年の
春にかけて、
衛生局に命じ、中山門外の霊谷寺、馬群一帯の3,000体
あまりを
収容している。
⑤
南京進駐日本軍によるもの
日本軍は
部隊を動員して
合計15万体を焼却・処理した。
うち、南京停泊場の司令部の
足立少佐と
大田寿男が率いた
部隊は、10万体を
長江に投げ捨てたり、江北まで運んで
焼却・土中に埋めた
と記録されている。
また、南京に侵攻した部隊が処理したものは、5万体とされる。
上述した
遺体収容・埋葬処理の記録を
単純に加算すると
40万体にのぼる。
ただし、収容・処理された
遺体には
重複して集計されたものも
含まれている可能性がある。
また、捕虜や市民ではなく、交戦中に戦死した中国軍兵士の
遺体も相当数
含まれている
と考えるべきだろう。
なお、日本軍関係者の記録によれば、揚子江に
投げ捨てたり、
城外に搬送して
密かに埋めた遺体も
少なくはない。
収容できなかったものは記録されず、正確な数を把握することは
残念ながら
不可能だ。
したがって、多くの研究者が主張する
10万〜20万人が
もっとも有力だが、公式には
東京裁判が
認定した30万人
というほかないのが
現状だ。
敗戦時の
軍による戦時関係資料の
大量焼却処分、真相隠蔽が
事件解明を困難にしたことは、取り返しのつかない行為だった。
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Re: 物事を論ずる資格 ー 汚爺UNKO先生
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/01/20 22:06 投稿番号: [38308 / 41162]
>上記の文節でいったい何がどう”そうか”なのですか?
私はおまえの今までの投稿内容から、おまえの意見が「南京事件は
なかった」であるという前提のもとにレスを返している。だから
おまえが自分がそんなことを言っていないというなら、ではおまえは
南京事件はあったという意見なのかと聞いている。後者であるなら
私がおまえにこれ以上言うことは何もないのだから、どちらであるか
は極めて重要なことである。意見のない者に対してレスを返す必要
などない。それともおまえは南京事件に対する自分のスタンスを
明らかにしないままで南京事件についての「議論」とやらを相手に
要求できるとでも思っているのかな?
>昔のキリスト教が天動説が正しいとし、それの反する考えを提示した
ガリレオらを宗教の名も下に弾圧
話は逆だね。ガリレオは自分の観察結果をもとに自説を主張した
のに対して、おまえは自説を証明することは悪魔の証明だから必要
ないとみずから言っているわけだからな。
>>米軍の慰安所なるものの資料をしっかり出してくれや
>しっかりでておりますが。
もう一度言うが、米軍の慰安所制度なるものについての資料を
おまえは出していない。それを出したくないのなら、南京事件の
証拠を出せなどという戯れ言を二度と言わんことだな。
>単にあなた”だけ”が根拠もなく認めたくないだけですが。
では、南京事件は世界中でおまえを含む日本の馬鹿ウヨ”だけ”が
認めたくないだけだ、で話は終わりになる。お互いに話が終わりに
なって何も言わないことにすれば、こちらは一向に困らない。馬鹿
ウヨ以外の世界のデフォルトでは南京事件はあったで決着している
からだ。それで困るのはおまえだからこそ、おまえは必死になって
掲示板で他人の投稿に横レスで因縁をつけ、きゃんきゃんと吠え
まくっているわけだ。
これは メッセージ 38306 (rugaruga12 さん)への返信です.
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/20 16:32 投稿番号: [38307 / 41162]
右側支隊命令
十二月十二日午前二時十分
於西碼頭司令部
一.支隊の当面の敵たる城外部隊は第四十八師全部にして我支隊の行動を牽制せんことを企図せしが如く昨十一日其の一部は右大隊正面万家沖に現れ其の東方高地に防御工事を実施中なり
烏龍山砲台の重砲竝に盆路口付近の野砲は目標を求めて時々我を妨害す師団方面の戦況は親展せるものの如し
各師団騎兵集成部隊は昨夜堯化門付近に於いて進出し爾後支隊と協力し下関方向に進出する筈
二.支隊は本十二日先遣隊を玄武湖北側地区に進出せしめ敵の退路を扼止すると共に支隊主力を進出の為拠点を確保せしめ主力は転進の諸妨害を除去しつつ事後の行動を準備せんとす
三.歩兵第三十三連隊大一大隊(−2)先見大隊となり午前八時現在地出発馬営付近を経て先ず十字街千家営付近に進出し和平門及中央門の撤退路を扼止すべし旅団無線第一基を配属す修戍騎兵隊と密に連絡すべし
四.歩兵第三十八連隊第三大隊(連隊本部の転騎一を配属す)払暁後万家沖東方高地の敵陣地に対し其の右側背より之を包囲する如く展開し攻撃を準備すべし
攻撃開始の時期は砲兵火力の発揚に伴い適宜決定すべし又別に約二中隊の兵力を以て馬園南方高地揚坊山等を占領せしめ支隊の後方機関及軍直轄砲兵の掩護に任ぜしむるを要す
五.歩兵第三十八連隊(−5)は馬営南方付近に於いて盆路口東北高地に対し其の一部を以て攻撃要点を占領せしめ敵情地形の偵察に任ずべし(無線一機配属旧の如し)野戦重砲大隊は其の部隊に協力する筈
六.野砲兵大隊は払暁前後に於いて其の一部を以て堯化門付近に其の陣地を変換し第四第五項の部隊に協力し得る如く諸準備を完了すべし
射撃開始の時期は第一線大隊と直接協定の上決定すべし
工兵小隊を配属すること旧の如し
七.爾余ノ諸隊は前衛本隊となり歩兵第三八連隊長の区署を以て堯化門揚坊山間に於いて敵砲兵隊火の死角内に位置し午前九時迄に前進準備を整え待機し在るべし
歩兵第三八連隊長は堯化門−花家巷より西進する道路偵察の任務ヲ続行すべし
八.大行李は依然仙鶴門鎮に集結し特に敵の騎襲に待機しつつ警戒に在るべし
九.余は午前九時揚坊山東端高地に在り
支隊長
佐々木到一
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Re: 物事を論ずる資格 ー 汚爺UNKO先生
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/01/20 16:31 投稿番号: [38306 / 41162]
>>私があなた曰くの「お前が主張した」とかいう私が投稿した文章の提示をお願いします
>そうか、おまえは南京事件が存在したと認めているわけかい。そいつは失礼したね。
上記の文節でいったい何がどう”そうか”なのですか?
日本語大丈夫ですか?
それとも「お前が主張した」ことは荒唐無稽の大嘘だったことを誤魔化したいのですか?だったら素直にそういいましょうね。
>地球が丸いことを含めて
どのような内容であれ討論に関する証拠やその裏づけを提示するのは当然ですな。
それが出せない上に根拠もなく自分が正しいと思い込むのは宗教であり、それを他者に押し付けるのは異端審問の領域ですな。
昔のキリスト教が天動説が正しいとし、それの反する考えを提示したガリレオらを宗教の名も下に弾圧したのと同じようにね。
>米軍の慰安所なるものの資料をしっかり出してくれや
しっかりでておりますが。足りかければ「お前が主張した」とされる脳内のrugaruga12さんにでも頼んだらいかがですかな。
>日本軍の慰安所と同じだねと認めてくれるかどうかはその後
の話だ。
単にあなた”だけ”が根拠もなく認めたくないだけですが。
>あと、南京事件を否定する根拠は存在しないという命題について、私が
証明する必要がないことは理解できたかな
”そうか”の使い方も理解できない人間にその手の資料の調査や提示を求めるのはその人の能力的に無駄だということですかな?
それとも異端審問気取っている凶信者には何を言っても無駄だ、と言うことですか?
どちらかもしくは両方だとしたもとても理解できますな。
>
これは メッセージ 38290 (shoujouji さん)への返信です.
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報 児玉証言
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/20 15:32 投稿番号: [38305 / 41162]
児玉義雄氏(第十六師団歩兵第三十八連隊副官)の証言
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として『支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ』と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。
参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
これは メッセージ 38303 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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fukagawatohei はどうせ嘘つき (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/01/20 15:24 投稿番号: [38304 / 41162]
汗水垂らして投稿を繰返しているが、もう議論で勝てることは永久に無い
(笑
嘘つきだと皆にバレているのだから
(大笑
父親が死んだとまで嘘を書いて、その嘘同士が矛盾を来たしたのだから
(笑
馬鹿だろう
(大笑
本当に父親が死ぬぞ、お前!
日本には”言霊信仰”があって、この手の嘘は「言い当てる」と言って極端に嫌われるんだよ、お前!
「結核が持病である自分の父親が徴兵された」との趣旨の投稿をしたから、「伝染病である結核が持病の人間が徴兵されることはない」と否定されて、次のような苦し紛れの逃げ口上を書いた。
>軍隊に入ってからすぐに広島にある「結核患者を専門に治療していた」
陸軍病院に「入院させられた」という事実から、おいらが親父の
結核は持病だったと表現しただけなんですけどね〜。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24475
投稿者:fukagawatohei
*注意:これが2008/ 7/ 8の記載である
次に「爆心地か近いところにあった陸軍病院で被爆した」と書いて、またまた、「結核専門病院は爆心地の近くにはなかった」事実を突きつけられて、
>おいらの親父が入院したのは爆心地から1〜1.5kmくらいのところに
あった広島陸軍病院だよ。
結核患者が必ずしも、結核専門の病院に入れられるとは限らないんだよ。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24782 投稿者:fukagawatohei
*注意:これは2008/ 7/24 である
と書いた。2週間の間に複数の相手と「嘘のやり取り」をしている内に、その場限りの「嘘」同士が、完全に、矛盾した。
入院したのが「結核専門病院であり」同時に「結核専門病院ではない」ことになってしまった。
両方とも嘘だからこうなった。
オカシカッタのは、この「嘘同士の矛盾」を、何回も突きつけられて、本人がなかなかワカラナカッタことである。
嘘ばっかり書いているから、頭が嘘になってしまったのである
(大笑
それ以来、fukagawatoheiは、嘘が「バレタラバレタ時ノコト」と開き直って投稿するようになった。
だから、新しい相手とやり取りを始めても、直ぐ突っ込まれて行き詰まり、あとは悪口雑言ばっかり、と云うザマになっている。
ここ数年間、ずーっと、その調子である。
嘘がばれる前提で嘘を書き続ける。止められない。
やっぱり、完全に、fukagawatoheは狂人なのである。
これは メッセージ 38301 (fukagawatohei さん)への返信です.
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/20 15:12 投稿番号: [38303 / 41162]
歩兵第三十八連隊命令
十二月十一日午後六時五十分
於堯化門西端
一.支隊当面の敵は主力を以て南京方向に一部を以て北方に撤退し微弱なる一部は尚少々抵抗しつつあり師団主力方面第一線は柴金山三角標高四八八より陣亡将士記念碑西側高地を経て孝陵営西側高地に亘る線に在り支隊は十一日現在態勢を以て夜を徹し翌十二日の転進を準備す
二.連隊(欠如配属旧の如し)刃先に確保せる要点を確保し其の他の兵力を堯化門付近に集結し夜を徹す
三.第一線両大隊は(欠如配属部隊旧の如し)現在の線の要点を確保し警戒を厳にして前進を準備すべし
四.予備隊は堯化門付近に露営すべし
五.第一線各隊は西北方竝に西方に進出する為出来得る限り道路の偵察ヲ実施すべし
余は堯化門西端小学校に在り
連隊長
助川大佐
11.堯化門北方高地線の敵は全く敗退し連隊は同夜該地付近に於いて夜を徹し明日の転進準備を為す然れども第三大隊正面の敵は万家沖付近に於いて建制せんが為工事を実施中なるが如し十二日午前二時左の支隊命令を受け午前五時十五分次の通り連隊命令を下し転進の準備を整えたり
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/20 14:47 投稿番号: [38302 / 41162]
右側支隊命令
十二月十一日午後四時四十五分
於揚坊山東端
一.支隊当面の敵は主力を以て南京方向に一部を以て北方に退却し微弱なる一部は尚少々抵抗しつつあり
師団第一線は柴金山三角標高四八八.五より陣亡将士記念碑西側高地を経て孝陵営西側高地に亘る線に在り
二.支隊は本十一日現在の態勢を以て夜を徹し明十二日の転進を準備せんとす
三.歩兵第三八連隊(欠如配属部隊旧の如し)は既に確保せる要点を確保し其の他の兵力を堯化門付近に集結し夜を徹す
四.歩兵第三八連隊大一大隊(第五中隊欠)は一部を以て亡路口西側高地を占領し敵情ヲ監視せしめ主力を以て鉄道路付近に集結し転進を準備しあるべし
五.歩兵第三十三連隊第三中隊は依然馬営を占領し西方十字街に至る道路偵察に任ずべし
六.歩兵第三十三連隊第一大隊(第二第三中隊欠)は予備隊となり仙鶴門鎮北方無名部落に於いて夜を徹すべし
七.軽装甲車中隊は堯化門付近に集結し夜を徹すべし
西北方竝に西方に進出するため為し得る限り道路の偵察に任ずべし
八.野砲兵大隊及工兵対は堯化門及揚坊山東北付近に於いて夜を徹すべし
九.余は西碼頭に在り予備隊より歩兵第一小隊を西碼頭に派遣すべし
支隊長
佐々木到一
因みに昭和十二年十二月九日及十日
戦死無し
消費砲弾
第一大隊
榴弾
38
小銃
330
機関銃
2100
拳銃
50
擲弾筒
8
第二大隊
榴弾
10
小銃
108
機関銃
1095
拳銃
71
擲弾筒
0
手榴弾
5
歩兵砲中隊榴弾
23
速射砲中隊
消費無し
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Re: 支隊長 佐々木到一氏の経歴
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/20 14:32 投稿番号: [38301 / 41162]
日中戦争では1937年12月、第16師団の歩兵第30旅団長として南京攻略戦に参加。[2]1938年3月、中将に進級、独立混成第3旅団長、支那派遣憲兵隊司令官の後、姫路に復員した第10師団長に親補され太平洋戦争開戦前の1941年4月予備役となる。退役後、満州国協和会理事。しかし終戦間際の7月、召集され第149師団長。
終戦後、満州でソ連軍に捕えられ長きに渡りシベリア抑留となる。その後中国に引き渡され、帰国も間もないと思われた1955年、撫順収容所で脳内出血のため没。享年69。
注)佐々木支隊の作戦地域内に遺棄された中国軍兵士(便衣兵含む)の屍体は数万人にものぼったとされる。
これは メッセージ 38299 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/20 14:23 投稿番号: [38300 / 41162]
百十四師団ノは後ほど正確な戦闘詳報を示すからね、待っていなさい、謄本木。
これは メッセージ 38298 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 支隊長 佐々木到一氏の私記
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/20 14:22 投稿番号: [38299 / 41162]
残念だね史実と違ったことが証明された、日記を出してしまったのは、唐変木君らしいね。
これは メッセージ 38297 (fukagawatohei さん)への返信です.
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戦闘詳報
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/20 14:15 投稿番号: [38298 / 41162]
第114師団歩兵第127旅団歩兵第66連隊第1大隊 戦闘詳報
[12月12日午後7時ころ] 最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として抵抗断念して投降せば、助命する旨を含めて派遣するに、その効果大にしてその結果、我が軍の犠牲をすくなからしめたるものなり。
捕虜は鉄道線路上に集結せしめ、服装検査をなし負傷者はいたわり、また日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ、さらに伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり。
[12日夜] 捕虜は第四中隊警備地区内洋館内に収容し、周囲に警戒兵を配備し、その食事は捕虜二○名を使役し、徴発米を炊さんせしめて支給せり。食事を支給せるは午後十時ごろにして、食に飢えたる彼らは争って貪食せり。
[13日午後2時] 連隊長より左の命令を受く。
旅団命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺してはいかん。
[13日夕方] 各中隊長を集め捕虜の処分につき意見の交換をなさしめたる結果、各中隊に等分に分配し、監禁室より五十名宛連れだし、第一中隊は路営地南方谷地、第三中隊は路営地南方凹地、第四中隊は路営地東南谷地付近において刺殺せしむることとせり。
各隊ともに午後五時準備終わり刺殺を開始し、おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首をさし伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容としおるものありたるも、中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり。特に隊長巡視のさいは各所にその声おこれり。
これは メッセージ 38297 (fukagawatohei さん)への返信です.
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支隊長 佐々木到一氏の私記
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/20 14:11 投稿番号: [38297 / 41162]
この日、我が支隊の作戦地域内に遺棄された敵屍は一万数千に上りその外、装甲車が江上に撃滅したものならびに各部隊の俘虜を合算すれば、我が支隊のみにて二万以上の敵は解決されている筈である。
午後二時ごろ、概して掃蕩を終わって背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進、和平門にいたる。
その後、俘虜続々投降し来たり数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮する。多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば、兵隊ならずとも「皆やってしまえ」と言いたくなる。
白米はもはや一粒もなし、城内にはあるだろうが、俘虜に食わせるものの持ち合わせなんか我が軍には無い筈だった。(12月13日)
[各隊は担当区域を]掃蕩し支那兵を撃滅すべし。各隊は師団の指示あるまで俘虜を受けつくるを許さず。(12月14日)
これは メッセージ 38295 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 物事を論ずる資格 ー 通州事件
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/20 14:03 投稿番号: [38296 / 41162]
君は人を嘘吐き呼ばわりしたことが無いの、唐変木。
これは メッセージ 38294 (fukagawatohei さん)への返信です.
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歩兵第三十八連隊戦闘詳報
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/20 14:02 投稿番号: [38295 / 41162]
右支隊命令
十二月十一日午後一時
於揚坊山
一.支隊当面の敵は第四十八師に属する約一旅団(迫撃砲数門を有す)にして城外支隊なるが如く堯化門敗退後尚北方近距離に停止し抵抗を試みつつあり
二.支隊は当面に敵を撃破し可成速やかに堯化門−花家王道上に逐次兵力を転移し依然敵の側背に対し行動を準備せんとす
三.歩兵第三十八連隊(第二大隊欠)は一部を以て敵を追撃せしめ主力を堯化門停車場付近より堯化門西北高地に亘る線を占領すべし
四.歩兵第三十三連隊大一大隊(−1)は約一中隊を以て馬園東側を占領し盆路口南側高地に在る敵に対し主力揚坊山東南側に集結し予備隊となるべし
五.歩兵第三十三連隊第二大隊(−5)は現在地付近に在りて成る可く兵力を集結し後命を待つべし
六.軽装甲車第八中隊は敵を追撃したる後堯化門付近に集結し後命を待つべし
七.野砲兵大隊(工兵小隊配属旧如)は一部を以て堯化門付近に陣地を変換し追撃対に協力し主力を適宜集結して爾後堯化門−花家巷を前進する場合を顧慮し諸準備を為すべし
八.歩兵第五中隊は依然予備隊となり歩兵第三十三連隊第一中隊長の区署を以て揚坊山東南方に位置すべし
但し一小隊を以て馬園南側高地を占領せしむべし
九.余は揚坊山東端高地に在り
支隊長
佐々木到一
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Re: 物事を論ずる資格 ー 通州事件
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/20 13:54 投稿番号: [38294 / 41162]
>チャンと裏付けを取ってこい
ニャンコチャン、他人をウソツキ呼ばわりする前に、通州事件の
裏付けをとってみたら。
日本軍が作ったインチキ資料、大本営の発表、当時の新聞記事は
裏付けにならないので、そのつもりで。
これは メッセージ 38291 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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