埋葬記録による犠牲者数推計について(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/21 06:45 投稿番号: [38311 / 41162]
日本軍側の
資料にも、数千
あるいは数万の単位で
捕虜を
処断した と記録されている。 はたして、これほど 大量の
殺戮が可能だったのかと 現代の人間なら 疑問に思うだろう。
南京虐殺「マボロシ派」などは、ハナから 否定してみせる。
ところが 近代戦において、これは じつに 簡単なことだ。
例えば、1万人を殺害するのに、機関銃10丁あれば 1時間、
1個歩兵中隊200名の兵力さえあれば 30分で射殺できる。
その歩兵中隊を、1個連隊で 平均12個隊を 保有している。
単純計算で 機銃数十丁、歩兵2千人超。 1個連隊にとって
数万人程度の捕虜殺害は 局地戦よりも 容易いことだ。
もちろん、南京に攻め込んだのは 1個連隊だけではない。
また、殲滅作戦は 数時間程度で 終了したわけではない。
南京攻撃に動員された日本軍の総兵力は 10万を超えていた。
そして、大量虐殺は 南京城陥落直後の 数日間だけではなく、
長期にわたる攻防戦と占領後の掃蕩作戦の中で継続的に起きた。
しかも、ごく一部の無法者が 犯した行為ではなく、組織的に
実行したのだ。 多数の生命を 奪うことは 可能だった。
近代軍の大兵力が、小銃や 機関銃による銃殺 のみならず
銃剣による刺殺などを 組織的に実行すれば、抵抗できない
捕虜などの大量殺戮は、いたって 容易なことだ。
参考として 南京戦にあたった将校の陣中日記を見てみよう。
以下は、歩兵第65連隊 第1大隊本部・上等兵の日記だ。
十二月十六日
今日南京城に物資徴発に行く。
捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
十二月十七日
今日は南京入城なり(一部分)。
俺等は今日も捕虜の始末だ。
一万五千名、今日は山で。 大隊で負傷、戦死有り。
(参考資料:『南京戦史資料集2』南京戦史編集委員会編)
1個大隊だけ、しかも 2日間だけで、1万7500名もの
捕虜を殺害した という記録だ。
日本軍全体で、何日間もかけて遂行した掃討作戦と捕虜処刑。
その総数は、はたして どれほど 膨大なものだったろうか。
当時、南京に駐在していた ドイツ外交官の外交文書がある。
そこには 以下のような 本国とのやりとりが記されている。
(岩田勇治訳『資料・ドイツ外交官の見た南京事件』大月書店)
南京入城のさいの 日本軍の所業については、語らぬに
越したことはない。チンギス=ハーンを思い出さずには
いられないほどの 徹底した破壊ぶりであった。
(中略)
こうして南京に残っていた女という女はまったくひどい
目にあわされた。 これを 目の当たりにした男たちと
このことについて話をするのは容易ではない。残忍非道な
行為にたいする嫌悪感が、かれらの胸によみがえるからだ。
日本国内では いまだに この残虐事件をめぐって「論争」が
止まない。 が、しかし 事件そのものの否定や 学問を装う
自由主義史観の「学者」もどきの主張も含めて、これらの論は、
国際社会という舞台では 歯牙にもかけられるものではなく、
狭い日本の、その ごく一部でしか通用しないのが 現実だ。
処断した と記録されている。 はたして、これほど 大量の
殺戮が可能だったのかと 現代の人間なら 疑問に思うだろう。
南京虐殺「マボロシ派」などは、ハナから 否定してみせる。
ところが 近代戦において、これは じつに 簡単なことだ。
例えば、1万人を殺害するのに、機関銃10丁あれば 1時間、
1個歩兵中隊200名の兵力さえあれば 30分で射殺できる。
その歩兵中隊を、1個連隊で 平均12個隊を 保有している。
単純計算で 機銃数十丁、歩兵2千人超。 1個連隊にとって
数万人程度の捕虜殺害は 局地戦よりも 容易いことだ。
もちろん、南京に攻め込んだのは 1個連隊だけではない。
また、殲滅作戦は 数時間程度で 終了したわけではない。
南京攻撃に動員された日本軍の総兵力は 10万を超えていた。
そして、大量虐殺は 南京城陥落直後の 数日間だけではなく、
長期にわたる攻防戦と占領後の掃蕩作戦の中で継続的に起きた。
しかも、ごく一部の無法者が 犯した行為ではなく、組織的に
実行したのだ。 多数の生命を 奪うことは 可能だった。
近代軍の大兵力が、小銃や 機関銃による銃殺 のみならず
銃剣による刺殺などを 組織的に実行すれば、抵抗できない
捕虜などの大量殺戮は、いたって 容易なことだ。
参考として 南京戦にあたった将校の陣中日記を見てみよう。
以下は、歩兵第65連隊 第1大隊本部・上等兵の日記だ。
十二月十六日
今日南京城に物資徴発に行く。
捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
十二月十七日
今日は南京入城なり(一部分)。
俺等は今日も捕虜の始末だ。
一万五千名、今日は山で。 大隊で負傷、戦死有り。
(参考資料:『南京戦史資料集2』南京戦史編集委員会編)
1個大隊だけ、しかも 2日間だけで、1万7500名もの
捕虜を殺害した という記録だ。
日本軍全体で、何日間もかけて遂行した掃討作戦と捕虜処刑。
その総数は、はたして どれほど 膨大なものだったろうか。
当時、南京に駐在していた ドイツ外交官の外交文書がある。
そこには 以下のような 本国とのやりとりが記されている。
(岩田勇治訳『資料・ドイツ外交官の見た南京事件』大月書店)
南京入城のさいの 日本軍の所業については、語らぬに
越したことはない。チンギス=ハーンを思い出さずには
いられないほどの 徹底した破壊ぶりであった。
(中略)
こうして南京に残っていた女という女はまったくひどい
目にあわされた。 これを 目の当たりにした男たちと
このことについて話をするのは容易ではない。残忍非道な
行為にたいする嫌悪感が、かれらの胸によみがえるからだ。
日本国内では いまだに この残虐事件をめぐって「論争」が
止まない。 が、しかし 事件そのものの否定や 学問を装う
自由主義史観の「学者」もどきの主張も含めて、これらの論は、
国際社会という舞台では 歯牙にもかけられるものではなく、
狭い日本の、その ごく一部でしか通用しないのが 現実だ。
これは メッセージ 38310 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.