南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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Re: 馬鹿はおまえだよ その3、訂正
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/31 15:22 投稿番号: [38121 / 41162]
紅軍→皇軍
これは メッセージ 38120 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38121.html
Re: 馬鹿はおまえだよ その3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/31 15:21 投稿番号: [38120 / 41162]
命令一下13Dの一部は北方より16Dは東正面より、9Dおよび3Dの一部は東南正面より14D及び6Dは南正面より夫々攻撃を開始した
中略
破竹の進撃を続ける無敵皇軍の前には流石の敵の堅陣も支え得ず一塁一泰次々に奪取して、十日午後五時光華門突入を初めとし、十二日午後零時過ぎ中華門、十三日午前三時中山門、同日午後四時下関と、相次いで我が占領するところとなり、攻撃開始後四日目、十三日夕刻に及び南京城は紅軍の完全に占領するところとなった
中略
この南京戦に於いて敵約十万に与えたる損害は約八萬にして詳述すれば次の通りである我損害は死傷者約四千である
一.敵遺棄屍体
五十三,八百十四
一.鹵獲品
重砲一〇八門、野山砲十九門、迫撃砲七九門、高射砲三七門、曲射砲十九門
機関銃四一一門、軽機関銃九五六門、自動小銃一三六挺、小銃九三三四挺、拳銃一一五挺、戦車一〇両、飛行機六機、自動車三六輌、手榴弾七七,八五〇発、重砲弾八,二一六発、野砲弾一,〇二六発、迫撃砲弾六二,五七二発
↑記録は残っているんだよね、脳死君。
これは メッセージ 38118 (shoujouji さん)への返信です.
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Re: 馬鹿はおまえだよ その3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/31 15:01 投稿番号: [38119 / 41162]
下士官も持っていたと謂いたいんだね、では日本軍は天皇の命令を聞かない集団団と謂いたいのかね、脳死君。
先ず兵士が使うことは無かっただろうね、人殺し以外は、つまり犯罪者以外は、脳死君。
下士官は南京侵攻以前は戦闘時に持っていた様だね、しかし南京攻略時は帯刀すること罷り成らん云う命令が出ているからね、戦闘時は持っていなかったんだよ、脳死君。
つまり戦闘で使うことは無かったんだね、脳死君。
日本軍は帯刀する兵士は下士官以上だから、射的の的になる様な馬鹿はしていなよね、脳死君。
これは メッセージ 38118 (shoujouji さん)への返信です.
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Re: 馬鹿はおまえだよ その3
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/31 13:14 投稿番号: [38118 / 41162]
>軍刀は士官の指揮刀としての役割が殆どだよね、近代的戦場に於いては、
現代では其の役割を終えているよね
その通りだよ。しかし中国大陸での日本軍は,20世紀の半ば近くに
なるのに,士官のみならず下士官までこぞって日本刀を持参したそうだね。
官製の軍刀のみならず家に伝わる私物の日本刀を持参することが許されて
いたようだ。こんな軍隊は当時の欧米では考えられないな。何のためだい?
指揮のためかな?「士気」のためかな?かれらは持参した刀を一度も人間を
斬ることに使わずにがまんしていたのかい?
成瀬関次著「戦ふ日本刀」より
「今次の事変では、…一面恐ろしい器械化戦が行はるると共に、他面一騎打
の原始戦が盛んに行はれ、戦風は一部元亀天正に逆戻りしたかのやうなところ
さへある。その上、未曾有の廣い戦線で混戦的に戦ひつつあるのと、昭和九年来
日本刀そのままでの使用が、事実上復活となり、戦線では軍の中堅をなす
下士官全部が兵種を問はず佩用する事となつた等から、爾来日本刀が実戦に
於いて有史以来の使用量を見せるに至つたのである。」
成瀬氏の著作は,日本刀神話が盛んな戦時中のものだから,日本刀が実戦で
使われたという前提になっている。しかし少なくともそこからわかることは,
下士官以上のほとんどが日本刀を持参してしかも使用したこと,日本刀という
のが「実戦」という前提のもとでさえ,数人斬ればたちまち駄目になるような
やわなものでなく,強力な殺人道具であったことだ。この著作で現在から見て
疑問符が付くのは,成瀬氏が戦地で日本刀を修理した際にそれらが人を斬った
刀であることの証拠を色々と説明しているが,それをすべて実戦(白兵戦)の
結果としていることのみである。
おまえが日本刀は人間を殺すのに何の役にも立たないやわなものだと言うなら,
成瀬氏のような専門家の言を否定することになる。一方で,日本刀が実戦
(白兵戦)に役立ったはずがないと言うのはその通りだ。日本刀は身動き
できない捕虜の据え物斬りにおいて,しかも比較的少数の捕虜に対して
士官が見せしめ的に行う斬首処刑において,最も威力を発揮したのである。
これは メッセージ 38117 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 馬鹿はおまえだよ その3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/31 11:56 投稿番号: [38117 / 41162]
これは メッセージ 38116 (shoujouji さん)への返信です.
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Re: 馬鹿はおまえだよ その3
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/31 10:17 投稿番号: [38116 / 41162]
>軍刀は、洋の東西を問わず、近代戦以降は殺傷兵器として
戦場で使われることを想定していない
と言いつつ,以下の文章ではすべて軍刀の実戦での使用法
について講釈を垂れたうえで,
>据えもの切りなどすれば、すぐに使い物にならないと書いておいたのだよ。
と,実戦で使い物にならなくなる,なるすり替えをやるわけだ(藁
実戦で最初から使い物にならないからこそ,捕虜の首斬りに限定して
使ったわけなんだがな(藁
>白兵戦での役に立たないものが、据えもの切りでは数百人どころか
数千を超える殺人能力を発揮できると考える根拠を書いたらどうだ。
はい,すり替えはやめような。
「白兵戦で銃剣や軍刀が役に立たない」なることは誰も言ってない。
「火器による近代戦で白兵戦をやろうとしても役に立たない」と
いうことだ。機関銃の弾幕のなかを銃剣や軍刀で突撃したところで
死体の山を築くだけだということは,古くは旅順攻撃,新しくは
太平洋戦争で証明されている。だからこそ,もっぱら捕虜の据え物
斬りに銃剣や軍刀を使うのである。数千を超える殺人能力?馬鹿か?
いつからひとつの軍刀で一回に数千の捕虜の首を斬ったという話に
すり替わった?
おまえ,自分じゃ普通の馬鹿ウヨとは違うと主張しているようだが,
言ってることはごく普通の馬鹿ウヨだわな(藁
これは メッセージ 38084 (maximirion さん)への返信です.
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Re: 大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 23:10 投稿番号: [38115 / 41162]
南京の虐殺も、日本軍の大量餓死も、裏付ける資料は単なる伝言程度しか無く、流言蜚語の類でしか内から、合理的な理由も示すことが出来ないので、一番非合理的殺傷を考えつくしか無く、現実的に昔も現代の軍隊も絶対にすることが出来ない。
これは メッセージ 38113 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 23:06 投稿番号: [38114 / 41162]
大量に餓死者が出たという記録は日本軍にも、米軍にも無いが、米兵が食糧難で餓死寸前だったことは、日本軍の記録に残っている。
これは メッセージ 38112 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(18)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 22:10 投稿番号: [38113 / 41162]
中国大陸に武力侵攻した日本軍が、南京などで
捕虜にした
多数の中国軍兵士を
組織的に
大量殺害した事件の背景に
補給線確保の軽視という
日本軍の特質が要因の一つとして
あったと考えられる。
自軍の食料さえ
確保困難な状況の
うえに、予想を超える
大量の捕虜が発生し、給養に窮して
殺害に及んだ
という証言記録などが、それを裏付けている。
日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において
略奪行為などが
多発する事態をも招いた。
そして、結果的に
大量の餓死者を出す悲惨な状況に至った。
太平洋の孤島や
南方の密林とは違って、多くの人々が住む
中国では、餓死者などはなかった
と思われやすいが、
敗戦前2年間の中国戦線では
戦死者を病死者が上回っていた。
長尾五一軍医中佐の遺著などが、その事実を
裏付けている。
中国戦線で
最後の作戦となった
第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月〜6月の
3カ月間の死者数は
戦死が695人、
戦傷死322人、戦病死2184人、計3201人にのぼり、
「第二十軍の統帥発動以来終戦までの各種比率」については
「戦死、戦傷、戦病死
おおむね
4対5対9」
である。
(第二十軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表の注)
中国戦線でも、戦死・戦傷より
「戦病死」
が圧倒的だ。
負傷した後に、包帯所や
野戦病院で
死亡する者も多かった。
これは、患者の給養がきわめて悪かったことと無関係ではない。
病死の大部分が
長期間の給養不足で、栄養失調状態にあって
病気に対する抵抗力を失っていたため、戦病死に至ったものだ。
これも
広い意味で
餓死の分類に入る。
中国戦線での
45万の戦没者の
過半数が戦病死、それも
給養不足に基づく
栄養失調や、それが原因での体力の消耗
による
広い意昧での餓死であった
ということだ。
日本軍が、補給らしい補給もなしに
現地調達する方針は、
明治以来
一貫していた。
日清戦争でも朝鮮出兵軍からの
補給困難の訴えに対し、参謀本部は
次のように訓令している。
「古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧を敵に因る)の一句あり。
爾来
内外の用兵にこれを奉じて原則となすゆえんのものは
この理由に外ならず。…糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、
いわんやこれを運搬する人夫においてをや…」
(明治27年6月29日、参謀総長熾仁親王から混成旅団長
大島義昌あての訓令)
「因糧於敵」、これが
侵略軍としての行為の根本にあった。
日本軍兵士の
戦地栄養失調症を含む広い意味での餓死者は、
合計で127万6240名に達し、全体の戦没者
212万の
約60%
という割合になる。
靖国神社が「英霊」
として
誉め讃える戦死者のうちの
半数以上が、敢闘勇戦の中において
散華したのではなく、飢餓と衰弱死に
追いやられたのだ。
このような軍が、何万もの大量の捕虜を
人道的処遇のもとに
収容し続けることは
まったく
不可能であった
と言える。
もともと
中国人を「殺害しても問題とはならない」
として
蔑視していたうえに、予想以上の抗戦によって
敵愾心が加わり、
さらに
実際の問題として
捕虜として処遇できない状況があり、
躊躇なく
中国人民の大量殺害に
及ぶことになった。
これが
南京虐殺の実情だ。
これは メッセージ 38112 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(17)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 22:09 投稿番号: [38112 / 41162]
大量餓死によって、夥しい数の「英霊」
が生み出された。
原因の
第3は、日本軍隊の
特質にあった
と言える。
ひとつは、日露戦争後の
日本軍の
軍事思想の中心に、
精神主義への過信があったという点にある
と考えられる。
もともと
日本軍は、天皇への忠誠と
死を恐れぬ勇気を
将兵に要求した。
日本軍兵士は、天皇のため戦い、死ぬ。
国民の権益を守るため国民自らが組織することを基本とする
欧米の近代軍とは異なり、前近代的な忠君報恩を基本とする
錦旗の下の「皇軍」
が、近代もなお
存在してしまった。
兵士に要求されたのが、忠義第一とする武士道精神だった。
命を惜しまず名を惜しめ、生き恥をさらすより
死を選べ、
という教育が、皇軍兵士に
徹底的に施された。
武士道精神は
近代戦においては
何の役にも立たない。
この事実は、陸軍の父・大村益次郎が実証したはずだった
にもかかわらず、軍の規範には「武士道」
がすえられた。
武士道を基調とする精神主義は兵士を組織に絶対服従させ、
個人個人の自発性を
失わせるうえでも
威力を発揮した。
天皇への忠誠を柱とする
精神主義の強調は
軍人勅諭に
表され、日本軍兵士の行動を
縦横に
縛り付けていた。
日露戦争での勝利も、日本軍に
欧米の模倣から脱却して
独自の軍事思想を確立させる機会となった。
物量よりも
精神力を重視し、歩兵の銃剣による
白兵突撃戦が最後の
勝敗を決するものだという
白兵主義に
つながった。
日露戦争で、砲兵火力で勝るロシア軍に対して、日本軍は
銃剣突撃をもって
旅順、遼陽、奉天で
勝利を収めた。
この経験から、日本軍部には兵力の多寡、装備の優劣より、
精神力の差が
勝敗を分ける
という軍事思想が根付いた。
こうした精神主義は、補給の軽視を生み、敗因となった。
こうした
火力軽視、白兵主義は、火力装備の発達した
近代の軍隊に対しては、まったく
通用しなかったのだ。
日露戦争において
旅順要塞への白兵突撃を繰り返して、
屍体の山を築いた
教訓は、少しも
生かされなかった。
速射砲や機関銃の弾幕、十字砲火の中に
白兵で突入する、
そんな作戦を
繰り返し、無駄な犠牲が出ても、第一線の
実情さえ知らない参謀や高級指揮官は、突撃を命じ続けた。
ガダルカナルでの失敗も
生かされず、ソロモン諸島でも、
ニューギニアでも、フィリピンでも、ビルマでも、皇軍は
白兵主義を盲信して
米軍の火力の前に死体の山を築いた。
こうした
無能な作戦を強行した
軍上層部連中と一緒に、
十把一絡げにして、悲惨な餓死を強いられた犠牲者たちを
「護国の英霊」だ
などとして
祀りあげることは、
戦争犠牲者への冒涜であり、厚顔無恥もはなはだしい。
これは メッセージ 38106 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38112.html
Re: 大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 21:59 投稿番号: [38111 / 41162]
日本兵の餓死者の記録は日本軍にも残っては居ないし、米軍の占領時にもその様な記録は残っていない。
幻の馬鹿サヨのプロパガンダに過ぎない。
これは メッセージ 38091 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38111.html
Re: 大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 21:57 投稿番号: [38110 / 41162]
南京に於いて大量虐殺は行われていない。
公式見解という物は何処にも無いし其れを裏付ける資料も無い。
亦大量の餓死者を出したことも無く、食糧不足は米軍も同じような状態に在った、之は史実である。
これは メッセージ 38091 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38110.html
Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 21:54 投稿番号: [38109 / 41162]
実戦では白兵戦以外では着剣しないのが常識、着剣命令が出てから付ける。
真正面以外は殆どさせない、逃げる敵には後ろから余程速く走らないと刺せない。敵兵の横を刺すと云う事は、敵兵が横切るとき以外にないから、横方向に振られて、小銃を落とす可能性がある、だから、真正面からの刺突の練習をする。
近代米軍の様な銃身が短く取り回しのしやすい銃では、切る、突く、突き上げる、の訓練をする。
三十八小銃は着剣寺には全長1663㎜(1.663m)となり非常に取り回しがしにくく、突く以外の動作は基本的には殆ど出来ない、銃杷と銃身を持った形では。
亦、敵兵も突撃してくるのだから、後ろに倒れることは殆ど無いし、後ろに倒れるときは敵兵への傷は浅くなる。
君の想像は実戦向きでは無いよね、銃のことを知らなすぎる。
これは メッセージ 38090 (lovely37821 さん)への返信です.
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Re: 大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/12/30 21:43 投稿番号: [38108 / 41162]
又、逝かれた海神ボイス。お前餓死で無くなった戦死者を誹謗してんのか〜。
日本国は敗戦し、当時のトップは断罪されている。真摯に真実を見つめ二度と戦争を防ぐ言なら、シナ大陸にも等しく叫んでみな〜!
それも出来ず、日本国にのみ行動する馬鹿サヨ!お前だぜ!
これは メッセージ 38091 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38108.html
大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(16)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 21:38 投稿番号: [38106 / 41162]
前述してきたように、日本軍戦没者の過半数が
餓死だった。
戦闘で、華々しく戦い
玉のごとく
砕け散ったのではなく、
飢えと
病気にさいなまれ、やせ衰えて
無念の涙を流し、
密林の中で
次々と倒れ、野垂れ死んだのだ。
こうした
悲惨な結果をもたらした原因を考察してみよう。
まず
第1に、補給無視の作戦計画が
あげられる。
軍隊が行動し戦闘するためには
兵員と軍需品の輸送手段と、
弾薬、資材、食糧などの軍需品を供給する補給が欠かせない。
ところが、日本軍は
補給を
きわめて軽視していた。
作戦目的ばかりを重視して補給を無視した無謀な作戦ばかりが
各地で実行され、結果として
多数の将兵を餓死に追いやった。
ガ島敗戦の際に今村第八方面軍司令官が、百武第十七軍司令官を
慰めて、この敗戦は「饑餓の自滅」であり、「全く軍部中央部の
過誤による」もので、これは「補給と関連なしに、戦略戦術だけ
を研究し教育していた陸軍多年の弊風が累をなし」たものだと
語っているのは、まさに
至言であると思う。
第2に、兵站軽視の作戦指導にあったと言えるだろう。
日本陸軍は、伝統的に
対露(ロシア革命後は対ソ連)戦争を
第一の目標として
編成され、訓練を続けてきた
経緯がある。
したがって、その予想戦場は
北満州やシベリアの広野だった。
軍需品や食糧の補給を担うのは
後方部隊の輜重部隊であり、
その部隊は、戦時に特設する馬を
主な輸送力としていた。
陸軍は
農林省と共同して
全国の農家に馬の飼育を奨励し、
戦時には
この馬を徴発する計画を
立てていた。
41年7月、日本軍部は
独ソ戦の推移いかんによっては
対ソ戦を始めようとし、陸軍は
大規模な動員を行なった。
これが
いわゆる関東軍特殊演習(関特演)だった。
こうした満州への大動員を行なっておきながら、南方攻略へと
大きく国策が転換されたが、後方軽視という状況が
現れた。
南方作戦を具体化にあたり、大本営の兵站に関する基本構想は
「原則として満州の集積軍需品は抽出せず、中国大陸に対する
補給は最大限に削減して余裕を作り、必要な場合は中国方面
からさらに引き抜いて南方用作戦資材を充足する」だった。
(参考:防衛研究所所蔵『戦史叢書・マレー侵攻作戦』)
つまり、満州に動員して大量蓄積した軍需物資は、対ソ戦に備え
そのままとし、支那派遣軍から一部を引き抜いて間に合わせよう
という
甘い考えしか
持っていなかったのだ。
「極力内地ノ負担及船舶輸送力ノ軽減ヲ図リ、最小ノ軍需資材ヲ
最有効ニ活用シ現地ニ於テ創意自製自活シ得ルモノハ原則トシテ
之ニ據ルヲ旨トセリ」(南方軍参謀作戦資料)という具合だ。
しかし、この方針には
欠点があった。
兵要地誌の調査不足による
現地自活主義の破綻は、
やがて明らかになり、大本営の見通しの甘さが露呈する。
気の毒などは
第一線の兵隊たちだった。
彼らは、情報収集力のない軍の失敗による犠牲者だった。
これは メッセージ 38105 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38106.html
大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(15)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 21:23 投稿番号: [38105 / 41162]
太平洋の孤島や南方の密林とは違い、人口稠密で物資豊富な
中国戦線では、餓死者など
生じなかった
と思われやすい。
しかし、敗戦前2年間の
中国戦線では
戦死者数よりも
病死者数が上回っており、その死因は
栄養失調、もしくは
栄養失調と不可分の
マラリア、赤痢、脚気など
だった。
中国戦線でも、補給困難による飢餓と
栄養失調による体力
消耗で、病気が重症化して
多数の「英霊」
を発生させて
いったのだ。
ある軍医の記録を
以下に引用する。
「酷熱多湿なるうえ敵機の跳梁、道路の破壊等により補給は
予定の如く
行なわれず、敵味方の大軍により
現地物資は
消費し尽され、将兵の疲労
言語に絶するものがあった」
(長尾五一著『戦争と栄養』、西田書店1994年より抜粋)
中国戦線の「英霊」増加が
もっとも
集中したのは
最後の2年間であり、その多くが
戦死ではなく病死だった。
その状況は、45年に入って
さらに
深刻になっていた。
中国戦線で最後の作戦となった
第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月から6月の3ヶ月間の死者の内訳は次のとおりだ。
戦
死
695人(22%)
戦傷死
322人(10%)
戦病死
2,184人(68%)
合
計
3,201人(100%)
圧倒的に多い戦病死者の詳細な内訳は不明だが、その大部分が
長期間の不十分な給養で、栄養失調状態から病気への抵抗力を
失い、病死にいたったことは、軍医の記録から
判明している。
中国大陸では、45万の
戦没者が発生した。
その過半数が
戦病死、それも
給養不足による
栄養失調や、
それが原因での体力消耗による
広い意味での餓死だったのだ。
戦死者よりも
餓死した者が多い、これが
日本軍の特徴だ。
中国大陸でも
太平洋でも、その事態は
変わらない。
このような「近代軍」が
20世紀にも
存在したのだ。
しかし、その悲惨な実態は
「玉砕」や
「散華」という
大本営が作り出した
美しく勇ましい言葉で
覆い隠された。
第二次大戦における
日本軍の戦没者の総数、その中での
戦死・戦病死者などの
正確な割合は、残念ながら判らない。
日本軍の敗北に終わったこともあって、正確に数えることは
きわめて困難であり、多くの戦場が「玉砕」
つまり全滅し、
生存者の証言や記録が失われていることも
原因の一つだ。
また、降伏の直後に、戦争犯罪の追及を恐れて、組織的に
関連資料の大量焼却が実行され、陸海軍の各部隊、さらには
市町村役場の
兵事関係書類までが
焼かれてしまったのだ。
このため、戦後も日が経つにつれて
調査がすすみ
戦没者の数が
どんどん増えていく
という状況だった。
この点からみても、旧軍部の体質を窺い知ることができる。
これは メッセージ 38104 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(14)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 21:22 投稿番号: [38104 / 41162]
インパールから
敗退する道は、日本軍兵士たちによって
「靖国街道」、あるいは
「白骨街道」
と名づけられた。
悲惨な退却の様相について、前述した
将兵とは別の
一人の
将校の証言を、以下に
引用してみたい。
兵隊達の姿は
既に骸骨に
等しかった。
げっそり窪んだ眼が、伸び放題の無精髭と
尖り立った
頬骨の奥に空ろに光っていた。顔色は日灼けのした上に
泥濘をまぶしつけて、それでいて、その底に澱む
不透明な蒼白さが
浮いて見えた。
手先きは
僅かに皮膚を冠ったばかりの骨が、一本一本
浮き立ち、その上を通る静脈がどす黒く不気味であった。
足先きは
靴が脱げない程
ふくらんでいた。
雨にふやけたのだ。
まるで豆腐糠のように光沢のない
白さに腫れ上がっていた。靴を穿き潰した者が大勢いた
が、そんな者の
足先きは
一層ひどかった。
被服は
いうまでもなく
泥にまみれ切って
臀や肘の
あたりがべろべろに破れていても修理など出来なかった。
それを
ひらひらさせながら
歩いていた。
もう
その頃になると、脚気で全身むくみあがった者は
いなかった。
とっくに
落伍したのだ。
したがって、
兵隊達は
一様に枯れ切った細い枯木に
ひとしかった。
(中略)
その頃、誰言うことなく、この街道を靖国街道と言った。
その儘歩き続ければ、靖国神社に通じるという意味である
(村田平次『インパール作戦―烈兵団コヒマの死闘』より)
1952年に
厚生省援護局の調査したビルマ方面の作戦兵力と
戦没者の数は、次のとおりだ。
兵
力
303,501
戦没者
185,149
帰還者
118,351
戦没者は、じつに
61%にも
達したことが分かる。
これは、陸軍の陸上部隊のみで
航空部隊は
含まれていない。
つまり、海軍と航空部隊を加えれば、犠牲者数は
もっと多い。
この戦没者の中で、餓死・病死者の割合が
どうであるかは、
正確には判明しないのだが、多くの将兵の証言や記録によると
戦死者よりも
餓死・病死者が
はるかに多かったことが判る。
補給を無視した
無謀な作戦に駆り出され、飢餓地獄のなかで
歩く体力を失い、助けてくれ、連れて行ってくれ
と泣き叫び
友軍兵士の脚に
すがりついていた
重病患者たちの
無念さ、
悲しみを
思うとき、「玉砕」などという粉飾された言葉を並べ
偽りの戦果ばかりを発表し続けた大本営、そして日本軍自体に
怒りと
情けなさを
感じざるを得ない。
同時に、その当時の軍部が
垂れ流した
戦争の大義名分や
美しく
粉飾された
武勇談などを、いまだに疑うことなく
賛美礼賛して憚らない
愚かなヤスクニ派が存在することも、
同じ日本人として
恥ずかしいことであり嘆かざるを得ない。
これでは、平和を生きる
日本国民としては
無責任であり、
無念の死を遂げた大勢の戦争犠牲者に対し本当に申し訳ない。
これは メッセージ 38103 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(13)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 21:21 投稿番号: [38103 / 41162]
惨憺たる敗北を喫し、おびただしい数の「英霊」
を増産した
インパール作戦の実情について、もう少し
記述しておこう。
南方軍復員本部復員課が
1946年6月に作成した資料、
「ウ号作戦及次期態勢移行ノ作戦間ノ給與及衛生」を引用する。
歩兵第六十七聯隊
大佐滝口一郎
給與
終始後方補給皆無ニシテ主食米ハ現地物資ヲ利用
セルモ、其他特ニ塩補給極メテ困難ニシテ全般的ニ
極メテ不良ナリ
衛生
給與ノ素悪、雨期、薬物補給ノ皆無等ニ依リ、
栄養失調、マラリア、脚気多発シ、戦病死者多発
スルノ止ムナキニ至リ、衛生状態極メテ不良ナリ
これは、報告の
ごく一部であり、他の聯隊長からの報告も
同様か、あるいは
それ以上に
悲惨な状況を報告している。
いずれも
作戦中は
糧秣の補給がなかったこと、
そのために
栄養失調やマラリア、脚気、赤痢などが多発し、
多数の死者が
出ていたことを
伝えている。
大本営が、作戦の失敗を
ようやく認めて、中止を命じたのは
7月3日のことだったが、ときすでに
遅かった。
兵士の体力は衰え、健康な者など
誰一人
いなかった。
兵士の命を第一に考えるなら、いさぎよく降伏すべきなのだが、
敵の捕虜になるなら死ぬべきだ
とする
皇軍においては
それは許されず、悲惨な退却が
試みられることになった。
飢餓に苦しみながら、雨期に入ったアラカン山系の密林の中を
退却中に力尽きた
将兵の死体が
退路を埋めた。
惨状は、生き残った兵士によって、次のように描かれている。
遺棄された死体が横たわり、手榴弾で自決した負傷兵の
屍があり、その数が
だんだん増えてきた。
石ころの
難路を越え、湿地にかかると、動けぬ重症の
兵たちが三々五々屯していた。水をくれ、連れていって
くれと
泣き叫び、脚にしがみついて
放れないのだ。
髪はのび放題のび、よくもこんなにやせたものだと
思うほど、骨に皮をかけただけの、あわれな姿だ。
息はついているが、さながら
幽霊だった。
(中略)
途中、潅木の中にひそんだ盗賊にやられた兵が、
腹部を至近弾でやられ、雑嚢が散乱している姿を見た。
戦争は生きることの全貌を一変させるものだ。
生きるためには、味方さえ
殺しあうのだ。
われわれも、恥もなく
屍についた雑嚢を探したのだが
食い物はなにひとつはいっていなかった。
おぞましい
非人の仕業もあきらめ、歩いては休み、休んでは歩き、
体内に残る生命の焔をかきたて、生きようとする苦行だけは
つづけた。
(志摩辰郎「地獄街道の戦い」より引用)
日本兵は、餓死寸前の状態で、インパールからの退却を続けた。
まさに
地獄であり、どこにも
美しい「散華」は存在しない。
このような
退却の様相は、ほかの将兵によっても語られている。
これは メッセージ 38102 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(12)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 21:20 投稿番号: [38102 / 41162]
ガダルカナル、ニューギニアなど
太平洋の島々のほかにも、
補給無視で
「英霊」を
増産した作戦として
有名なのは、
1944年に
ビルマ方面軍が強行した
インパール作戦だ。
戦力枯渇が目立つ44年になって、成算のないインド領への
大挙侵攻を実行するなど、無謀というほかない
作戦だった。
じつは、第十五軍司令官の
功名心から
実行されたものだ。
チンドウィン河を渡り、インド・ビルマ国境アラカン山脈を
越え、インド領内に侵入しようという
この作戦の経路には、
密林と
山脈があり、交通機関はなく、第十五軍の3個師団
10万の大軍の
兵站線確保の見込みは
最初からなかった。
すでに制空権は
連合国軍に移り、昼間の行動は
困難であり
道路を構築するための資材も土木機械も
日本軍にはなかった。
道路があっても、制空権がないため
物資を運ぶための
自動車を
走らせることはできず、また
走らせる自動車も、
ガソリンも欠乏していたのだから、土台
無理な計画だった。
なお、このときの
第十五軍
司令官は、盧溝橋事件の際の
支那駐屯歩兵第一聯隊長で、戦争のきっかけを作った人物だ。
軍司令官は、作戦に懸念を表明する補給担当の参謀を一喝し、
像や牛、馬、水牛の収集と
調教を命令した。
これらの動物に荷物を背負わせて運び、用が済んだら殺して
食べるのだといい、この作戦を
義経の「鵯越え」
や、
ハンニバルのアルプス越えに例えて得意になっていたという。
当時、大本営の作戦課長だった真田穣一郎大佐は、報告を受け
「第十五軍ノ案ハ徹底的ト云フヨリ寧ロ無茶苦茶ナ積極案ナリ」
と回想録に書いた。
(引用:『戦史叢書・インパール作戦』)
ところが、この“無茶苦茶な”作戦が、南方軍の認可を受けて
実行に移されてしまった。日本軍には構造的欠陥があったのだ。
3月上旬、携行食糧2週間分を持って、チンドウィン河を渡り、
攻撃を開始した
第十五軍の兵隊たちの運命は、悲惨だった。
左翼の第三十三師団は、3月下旬にインパール平地に達したが
食糧はなくなり、弾薬も不足して
攻撃続行が困難となった。
軍司令官は
これに憤って、師団長の柳田中将を罷免した。
中央を進んだ第十五師団も、インパール間近まで
迫ったが、
三十三師団と同様の状況から
攻撃が頓挫した。軍司令官は
消極的だとして、第十五師団長の山内中将も
罷免した。
右翼を進んだ第三十一師団の佐藤中将は、インパール北方に
進出していたが、「米一粒も補給がない」ため、独断で退却。
この佐藤中将の判断は当然であったが、日本軍という特殊な
組織では
許される行為ではなく、抗命の容疑で罷免のうえ、
軍法会議にかけられ、精神錯乱ということで
片付けられた。
軍司令官は
3人の部下師団長を全員罷免し、強引に攻撃を
督促したが、補給の途絶えた
部隊の状況は
地獄だった。
これは メッセージ 38101 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(11)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 21:18 投稿番号: [38101 / 41162]
補給無視の無謀な作戦で
大量の餓死者を出した例として
ガダルカナル戦と
ソロモン群島の戦闘状況を紹介したが、
これらは、大量の「英霊」
増産の
一例に
すぎない。
太平洋戦争の
各戦場で
餓死・戦病死が
多数発生した。
これは、日本軍の
近代軍にあるまじき欠陥に要因があった
無謀な侵攻作戦の例は、ガ島やソロモン群島の他にも数多い。
たとえば、42年の
ポートモレスビー攻略戦。
道なきジャングルを
踏破して、標高4千mの
山脈を越え、
ニューギニア東南岸を攻略するという無謀きわまりない作戦で
結果、日本軍は惨敗・退却したが、敗残兵の多くは補給もなく
餓死者を大量に発生させて
全滅に近い
状態となった。
このときの様子を、歩兵第百四十四聯隊の小岩井第二大隊長が
次のように述べている。
食糧の欠乏は、敵弾以上の徹底的損害を
我が軍に与える
ようになって来た。私の大隊の将兵もみんな飢餓で体力を
消耗しきってしまい、頬は落ち
髪は伸び放題となり、
眼球は深く
凹んで
底に異様な光が残った。
そして顎はとび出し、首は一握りほどに細り、気力なく
足を引きずってよぼよぼと歩き、着ているものは破れ、
跣足で棒のように痩せた腕に飯盒をぶら下げ、草を摘み
水を汲んで歩く姿にはどこにも二、三十才の年齢は見られず
老いさらばえた乞食といった様子だった。
栄養失調の衰弱した体に
一たび下痢が始まりマラリアが
頭を擡げると、血便をくだし、四十度前後の高熱に襲われ
キニーネ等の微温的な投薬では解熱どころか却って下痢を
悪化し、発病までは一粒の米でも貪り食った者が、今度は
戦友の心尽くしの一滴の粥すら
欲しないようになり、水
ばかり飲んで喘いでいるのだった。
(中略)
患者はたいてい一週間も発熱を続けると
脳症を起こして
うわ言を
いい始め、嘘のように脆く、
ちょうど晩秋の落葉のように
飽気なく
死んで行った。
三十才にもなろうかという男が
無意識に
母親の名を
呼び続けて
死んで行くこともあった。
(中略)
この作戦の終ったあとで戦歿者の統計を調べると
三割が
敵の弾による戦死、残る七割は病死だった。
戦場の実態は
このような惨状だったが、大本営はこれを「玉砕」
という
美しく華々しい戦闘死であったかのように
伝えている。
無謀な作戦に駆り出され、補給もないまま
やせ細って
死んだ
多くの犠牲者の無念、苦しみ、悲しみは
すべて覆い隠された。
これは メッセージ 38100 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(10)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:58 投稿番号: [38100 / 41162]
第十七軍と同じく、タロキナ作戦失敗後の
第六師団が
現地自活に移ってからの
状況の例として、「戦史叢書」は
第六歩兵団司令部
木下西舟少佐の
次の回想を掲げている。
タロキナ作戦終了後の歩兵大隊の兵力は二〇〇〜三〇〇名
であったと思うが、マラリアと栄養失調で
悲惨な状況で
あった。
糧食の補給は
間もなく
全く
なくなった。
現地自活に着手し、一人一畝を
耕作して、これによって
一日
約一キログラムの芋を
収穫することにしたが、
収穫までは
約三カ月かかるので、この間
毎日
ジャングルの中の
野草を捜した。
ひどい時には
飯盒の蓋一杯の
野草が食糧で、
これに
時に澱粉椰子の団子が
加わる程度であった。
塩は海岸で作った。
ようやく
芋が出来始めると、今度は畑を荒す者が出た。
畑を荒す者は
銃殺であった。
人肉を食べた者がある
などという話も
あった。
(引用史料:『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈5〉』)
タロキナ作戦終了後
4万余の兵力は、方面軍の報告によれば
45年の
敗戦後には
23,053名にまで
減少しており、
「大部分このような事情に基づく戦病死者であると推定される」
と書かれている。
NHKの教育テレビで
「封印――脱走者たちの終戦」という
ドキュメント番組が
放送されたことが
ある。
その内容は、
ブーゲンビル島の第六師団のすさまじい飢餓の状況にかんする
旧日本兵たちの生々しい証言だったが、その中で
食糧を求め
離隊し、終戦後に戻った兵を
逃亡兵として、裁判にもかけず、
銃殺したというもので、終戦後60日もたってから30人もが
「処刑」
された
という証言もあった。
極限の飢餓状態の中で、食糧を求めて
隊を離れた
兵士を
「敵前逃亡」の罪名を被せて、軍法会議にかけずに殺害した
ということが事実であれば、当時の日本軍が
いかに
非人道的な強制を
行なっていたかが
示されている。
食糧は、わずかながら
自給できたとしても、栄養の偏りは
避けられず、将兵の体力は
低下していった。
さらに
補給の途絶によって、医薬品も
底をついた。
44年9月ごろには、マラリアの薬が
なくなり、全部隊の
人員の
じつに95%が
マラリア経験者だった
という。
なんらの戦果も期待できず、戦略的価値を
完全に失った島で
敵からさえも無視されまま、ただ餓死者を増やし続けた皇軍に
残された
唯一の道は、一人でも多くの生命を
救うために、
いさぎよく
敗北を認めて、ただちに
降伏を
すべきだった。
しかし、皇軍には
人権感覚や
近代軍としての
判断力が、
まったく
備わっていなかった。
その無謀な体質の背景には、「死」を
美しく
粉飾し続ける
靖国思想の侵淫が
少なからず存在していたと言えるだろう。
これは メッセージ 38099 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(9)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:57 投稿番号: [38099 / 41162]
44年1月、日本軍の軍事拠点ラバウルは
完全に孤立した。
ニューギニアとニューブリテン島の間の
ダンピール海峡が
米軍に突破され、さらに
北方の諸島を
占領されたからだ。
44年3月、日本軍は
タロキナの敵陣地への反撃を試みたが、
圧倒的な米軍の火力に阻まれ、戦力をまったく喪失してしまう。
以後、ブーゲンビルの
第十七軍約3万2千、第八艦隊約2万、
計5万の陸海軍将兵は飢餓と戦いつつ敗戦を迎えることになる。
タロキナ作戦失敗後の状況は、第十七軍残務整理部が作成した
「ブーゲンビル島の作戦」
という史料に、記録されている。
タロキナ攻略作戦は全力を傾けて行はれた。
残余の軍需品も戦力を培養する為
無制限に使用されたのは当然である。
そこでこの作戦が失敗に帰したときには
食ふべき何物も
残って居らなかった。
そして銃を捨てると鍬をとった。
作戦間に荒れ果てた耕地はもとより
密林を伐開して開墾につとめた。
(中略)
土民の所有しているものが多くあらう筈がないのに
之も半ば強制的に徴発するものも出て来た。
木の芽、草の根、食べられるものはすべて食した。
海の魚はとりたくても
敵機が絶えず哨戒するし
爆薬は将来の作戦を考へればこんなことに供用は
出来なかった。
小川の魚は
すぐとり尽された。
蛋白質の給源は「トカゲ」であり
蛇であり鼠、
「バッタ」の類に
及ばざるを得なかった。
(中略)
以上のような給養状態であるから負傷したものの傷は
なかなか
癒らないし
病後の恢復は
むつかしく、
マラリアの蔓延は
之を助長した。
かくの如くして「タロキナ」
作戦にもまさる
兵力の損耗を来した。
率直に云ふならば死ぬ前に
一度、たった一度だけで良いから
腹一杯食べたい
と思ったのは
死んでいった戦友だけではなかった。
戦線が
すでに
北太平洋に移行したので、連合軍側は
この無力化した日本軍を無視し、あえて強攻を
加えることなく、
第十七軍は、もっぱら「飢餓」
という強敵とのみ
戦いながら、
おびただしい数の
「戦死者」ならぬ
「餓死者」を出しながら
惨めな敗戦を
迎えることになった。
「英霊」が
大量に増産された背景には、こうした惨状があった。
これは メッセージ 38098 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(8)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:56 投稿番号: [38098 / 41162]
惨めな
ガダルカナル敗退後の
ソロモン諸島方面の状況は、
その教訓を
生かせず、補給困難な離島に
兵力を送り込み、
「飢餓」大量発生の悲劇を
繰り返すばかりだった。
ガ島撤退の際、ラバウルの第八方面軍は、新来の第六師団を
北部ソロモンの
ブーゲンビル島に送り、第十七軍の収容と
同島の警備に
当たらせた。
また
従来から少数の陸軍部隊を配備していた中部ソロモン
ニュージョージア島ムンダや
サンタイサベル島のレガタに、
海軍陸戦隊を増強した。
陸軍も新たに南東支隊を編成した。
しかし、1943年当時
すでにソロモン群島方面の制空権は
米軍の手中にあり、島々への
補給輸送は
困難をきわめ、
ガ島の
二の舞になることは、必至の状況
となっていた。
米軍の
中部ソロモンへの攻撃は、ガ島撤退から
4ヶ月後、
43年6月30日に
始まった。
7月上旬には飛行場を奪い、
8月中旬には
北部の島にまで
上陸した。
各戦線では
残存部隊が
敵中に取り残され、撤退もできず、
また
降伏することも
許されず、「置き去り」
となった。
北部ソロモンの主島
ブーゲンビルには、各方面から
撤退してきた
部隊が
集まっていたが、11月1日、
米軍は
日本軍の予想をうらぎって
ブーゲンビル島
西海岸の
タロキナ岬に
上陸した。
ブーゲンビル島は
ラバウル防衛のための
要点だった。
海軍は
航空兵力の主力をあげ、タロキナへの反撃を行なった。
この
ブーゲンビル島沖航空戦について、大本営は、戦艦4隻、
航空母艦5隻、巡洋艦10隻撃沈などの
大戦果をあげた――
と
発表したが、これは
例によって、まったくの虚報だった。
第十七軍は、ジャングルを踏破して
タロキナ岬を攻撃したが、
圧倒的な火力の差で
反撃に失敗した。
米軍は、タロキナの橋頭堡と
飛行場を確保した後は、
日本軍を深追いせず、すでに
次の作戦に移っていた。
北部ソロモン群島の戦いが続いている間に、米軍は中部太平洋
方面での攻撃を進展させ、43年11月にはギルバート諸島の
マキン、タラワ両島に
上陸し、海軍守備隊は
全滅した。
44年2月には、マーシャル群島のクェゼリン、ルオット両島で
上陸した米軍に
陸海軍の守備隊が敗北、全滅した。
大本営は、これを
例によって
「玉砕」
と発表した。
同月17日、海軍の根拠地
トラック島が空襲で大損害を被った。
その後、ニューブリテン島はるか北方のアドミラルティー諸島を
占領されたので、ラバウルは完全に敵中に孤立することになった。
この段階で、ブーゲンビル島はもちろん、ラバウルの戦略的価値は
完全に失われた。
にもかかわらず、日本兵は投降できなかった。
撤退も降伏も許されない戦場で、皇軍兵士たちは
敵兵ではなく
より苛酷な
飢餓という
強敵との戦いを
続けることになった。
タロキナ作戦失敗後の
第十七軍の状況については、後述したい。
どのようにして「英霊」が大量増産されたか、実態を知ることで
ヤスクニ神社が美化する
戦争の真実を、明らかにできるだろう。
これは メッセージ 38097 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38098.html
大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(7)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:56 投稿番号: [38097 / 41162]
ガ島奪回作戦は、補給をまったく無視して
部隊を送り込み、
戦死者の3倍もの餓死者を出すという
悲惨な結果を迎えた。
大量の餓死者を出すというこの戦局で、何よりも問題なのは
補給が困難なのがわかっているのに
上陸作戦の強行を命じ、
長期間
撤退させず、持久戦を命じた
大本営の責任だろう。
その伏線は、すでに
ミッドウェー作戦にあった。
連合艦隊が
ミッドウェー作戦を
計画したとき、当初
大本営海軍部は
強行に反対した。
その反対理由のひとつは、
たとえ
ミッドウェーを攻略できたとしても、占領後の防備や
補給輸送が難しい
ということだった。
(参考文献:防衛研究所『戦史叢書・ミッドウェー海戦』)
じつは、陸軍部も当初は反対で、補給が難しかろうというのが
その理由だった。
しかし、海軍主体の
作戦なので、陸軍は
わずか歩兵一大隊主体の
一木支隊を派遣することにしたのだ。
一木支隊の兵力は
歩兵第二十八聯隊長一木清直大佐指揮下の
歩兵一大隊を基幹とする
約3,000名だった。
この
一木支隊が、ガ島の
奪回作戦に
振り向けられた。
制海権が失われていたために
輸送船は使えず、一木支隊は
駆逐艦で
ガ島に送り込まれた。
このため、重火砲などは
運ぶことができず、火砲や戦車をそろえて待ちかまえていた
米軍に
敵うはずはなく、わずか
半日の戦闘で
先遣隊は
全滅し、聯隊長は
自決した。
圧倒的な兵力の差はもちろん、武士道精神と
銃剣突撃で
米軍の弾幕に
対抗できるはずは
なかった。
一木支隊惨敗の後も
大本営は、同じように
川口支隊、
第二師団、第十七軍と、兵力の逐次投入を
繰り返した。
補給は
輸送船が使えず、「鼠輸送」や「蟻輸送」に頼った。
「鼠輸送」とは、本来戦闘用の艦艇である高速の駆逐艦を使い、
「蟻輸送」とは、小型の発動艇を使って昼間は島の陰に隠れて
夜間に
少しずつ行なう
輸送のことだ。
どちらも
兵員や小火器を運ぶのがやっとで、重火砲や戦車を
運ぶことはできず、少人数の補充兵を
送るのがやっとだから、
大軍を支える補給品、弾薬や食糧を運ぶことは無理だったのだ。
そんなところに
陸軍兵力を
次々と送りこんだということは、
圧倒的に優勢な米軍の火力装備に
銃剣で勝てるという妄想を
軍上層部が
抱いていたからでは
ないだろうか。
さらには、
送り込んだ兵力への補給を無視し、持久戦を命じていたことは
精神力で飢餓を克服できると大本営は、本気で考えていたのだ。
歩兵の白兵突撃は、米軍の自動小銃と機関銃の圧倒的な弾幕に
なぎ倒され、ことごとく
全滅した。
ところが
日本軍は、
同じ失敗を、敗戦まで、他の島々でも
繰り返したのだ。
こうして、「玉砕」と称する
悲惨な全滅戦が全域で続けられ、
大量の
「英霊」が
生み出されていくことになった。
これは メッセージ 38096 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(6)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:55 投稿番号: [38096 / 41162]
補給もなく、飢餓と
栄養欠乏による疾病で、兵士が
次々と
倒れていく
惨状。
にもかかわらず、大本営は
ガ島作戦を
中断せず、11月16日には、持久戦をせよ
と命令した。
第十七軍参謀長
小沼治夫少将は、次のように
書いている。
輸送、補給が続く状況に於ては
持久戦が成立するが、
輸送補給が
途絶し
第一線将兵が飢え
杖をついて
辛うじて歩行して居る「ガダルカナル」の第十七軍が
持久任務を受けて
何時迄持久し得るやの回答は単に
「敵の大攻勢を受ける迄持久し得」
といふに止まる。
予が
大本営から持久任務を受領して
感じたことは
「敵をして
大攻勢をとらしめないように
陣地特に
アウステン山方面の陣地を
強化しつつ
進んで欺瞞、
陽動及局部的積極行動を採り絶えず敵に危惧、圧迫感を
抱かせる」
ことの必要であった。
つまり、補給が途絶えている状況で
持久戦を命じられたが、
見通しは立たず、結局のところ
敵に攻撃されるまで耐える
だけであり、できることとして
考えられるのは、局地的な
ゲリラ戦法等で
敵軍に
不安感、精神的圧迫感を
抱かせ、
攻撃を遅れさせるしかない、ということだ。
さらに
小沼参謀長の手記は
以下のように続く。
第一線陣地の守兵中歩行に堪えない傷病者は
陣地の守備に
任じ(壕内に寝て居り敵が近づいて来ると起き上って射撃し
又は手榴弾を投ずる)。
杖に倚って歩行し得る者は後方の
糧秣運搬及炊事を担任し
比較的元気の者は或は挺進斥候と
なり(出発数日前から飯の配給量を増加し元気を回復させて
出した)敵陣深く潜入して
後方撹乱を行なわせ
或は夜間
敵陣地又は哨所を奇襲して
偉功を樹てる等上下一致、戦友
相励まし終始積極的(局部的なるも)に行動し敵の大攻勢を
遅らせるに役立った。
歩行できない兵士が陣地の守備、杖をついて歩く兵士は後方支援、
「比較的元気」のある者が
夜間奇襲などを
試みていたのだ。
このように
寝たきり状態や
杖を頼りに歩く兵士を抱えて、
ガダルカナル島の持久戦が行われていた。
これでは自滅作戦だ。
防衛省の
公判戦史が、各種資料から推計した
数によると、
陸軍の
ガダルカナル島に上陸した人員は
31,400名、
そのうち、途中病気などで
離島した者は
740名、
撤収作戦で
収容されたのは
約9,800名
であるから、
じつに
20,860名
もの生命が
失われたことになる。
このうち、純戦死が5,000名から
6,000名であり、
残りの
約15,000名が
栄養失調症、マラリア、下痢、
脚気などの悪化による餓死や病死である
とされている。
(参考:防衛研究所『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈2〉』)
つまり、純然たる戦闘死の
3倍以上が
広義の餓死者なのだ。
このような
悲惨な状況を自ら招いた「皇軍」
には、根本的に
近代軍としては
致命的な欠陥があった
と言えるだろう。
これは メッセージ 38095 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:39 投稿番号: [38095 / 41162]
降伏を許されず、死ぬまで戦うことを義務づけられた兵隊が、
戦うための体力を失い、密林の中で
次々と餓死・病死した。
そうした状況を
生き延びた将兵が
残した手記がある。
以下、小尾靖夫「人間の限界――陣中日記」
より引用する。
12月27日(1942年)
今朝もまた数名が昇天する。
ゴロゴロ転がっている屍体に蝿がぶんぶんたかっている。
どうやら俺たちは
人間の肉体の限界まで
きたらしい。
生き残ったものは全員顔が土色で、頭の毛は産毛のように
薄くぼやぼやになってきた。黒髪が、ウブ毛にいつ変った
のだろう。
体内にはもうウブ毛しか生える力が、養分がなくなったらしい。
(中略)
やせる型の人間は骨までやせ、肥える型の人間はブヨブヨに
ふくらむだけ。
歯でさえも金冠や充填物が外れてしまった
のを見ると、ボロボロに腐ってきたらしい。歯も生きている
ことを初めて知った。
この頃アウステン山に
不思議な生命判断が流行りだした。
限界に近づいた肉体の
生命の日数を、総計の結果から
次のように
わけたのである。
この非科学的であり
非人道的である
生命判断は
決して
外れなかった。
立つことのできる人間は・・・寿命三十日間
身体を起こして坐れる人間は・・・・三週間
寝たきり起きられない人間は・・・・一週間
寝たまま小便をするものは・・・・・三日間
もの言わなくなったものは・・・・・二日間
またたきしなくなったものは
・・・・明日
これが、ガ島の第一線部隊の
食糧欠乏がもたらした
状況だ。
こんな惨状に陥っている第十七軍に対しても、なおも大本営は
11月16日付で、持久戦をせよ
という命令を
下している。
裸の人間を
毒蛇の巣に放り込んでおいて、そこで
耐えろ
と言っているに
等しい。
これでは
まるで、意図的に
靖国の「英霊」を、大量に増産しようとしていたかのようだ。
これは メッセージ 38094 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:38 投稿番号: [38094 / 41162]
補給が
不可能ならば、近代戦では
「敗北」
を意味する。
それでも
大本営は、ガダルカナル島奪回作戦を
打ち切る
という決断を下すことができず、前線の指揮官も作戦中止を
言い出すことができず、ずるずると
無謀な戦いが継続した。
この間の
海空の大消耗戦で生じた
艦船、航空機、兵員の
莫大な損害は、取り返しのつかない
戦力喪失となり、
その後の戦況にも
大きな影響を
及ぼすこととなった。
大本営が、やっとのことで
ガ島からの撤退を決めたのは、
42年12月31日に
なってからだった。
撤収作戦そのものは、米軍に
察知されずに
成功したが、
かろうじて救出された者は、上陸した全兵力の
3分の1、
その兵隊たちも
栄養失調で体力を失い、餓死寸前だった。
この
ガ島惨敗の責任は、まったく
大本営の作戦にある。
装備も優秀で
準備万端を整えて上陸してきた
米軍に対し、
情報収集もせずに、わずか1000名で軽装備の一木支隊を
銃剣突撃で飛行場を奪回しようという、およそ戦理に反した
無茶な攻撃を実行させ、その後も
同じ失敗を
繰り返した。
一木支隊先遣隊が、米軍の火力に阻まれ、戦車に蹂躙されて
一瞬にして全滅したのに、何回も同じ戦法を繰り返したのだ。
制海・制空権を失ったために
闇夜の中の鼠輸送しかできず、
重火器も運べず、白兵突撃戦法しか採れない――
これでは、優秀な火力装備に
勝てないことは明らかなのに、
大本営は、装備も補給も軽視して
亡国的怠慢を犯したのだ。
装備が
運べないのだから、食糧も
運べない。
人間は
食糧がなければ
生きて行けない。
ましてや
戦闘に耐えうる
体力維持は
不可能だ。
大本営の作戦当局者たちは、前線に送り込んだ兵隊たちの
食糧補給を、いったい
どう考えていたのだろうか。
南太平洋方面の日本軍の
戦略基地であった
ラバウルと、
ガダルカナル島との間は
1100キロも
離れている。
制海・制空権を
奪われ、補給が困難なことは明白なのに、
3万を超す将兵が、身一つで
この島に送り込まれたのだ。
上陸した兵士たちは、背嚢に背負った
数日分の食料を
食いつくした後は、食糧の補給を
受けられなかった。
空腹に耐えかね、野生の植物を食べて
下痢をおこしたり、
有毒植物に当たる場合も
多かった。
栄養失調で
体力が衰えているため、赤痢や
マラリア、
その他の風土病への抵抗力もなくし、次々と
倒れていった。
そうした記録を
掘り起こしながら、太平洋戦争の実相と
玉砕という愚挙を繰り返した
日本軍の性質を
考えていきたい。
これは メッセージ 38093 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:37 投稿番号: [38093 / 41162]
1946年6月5日のミッドウェイの敗北によって、日本海軍は
主力空母
4隻を失い、太平洋戦線における
制海権を
失った。
それなのに、8月7日に
米軍がガダルカナルに上陸すると、
その時の前線基地ラバウルから、600カイリも前方にある
この島に、大本営は
次々と
兵力を送り込んでいったのだ。
米軍の上陸に
慌てふためいた大本営は、その奪回を決意し、
第十七軍を
その作戦に
当てることにしたが、とりあえず
急行させる
兵力としては、ミッドウェイ作戦用の
部隊で、
その中止後
グアムに待機していた一木支隊を送ることにした。
ところが
一木支隊を
急遽派遣するために、輸送船によらず
一木清直大佐以下1000名の先遣隊を駆逐艦6隻に分乗させ
急行させたのだ。
もともと
軽装備だった一木支隊先遣隊は、
駆逐艦輸送のため
重火器は持てず、食糧7日分だけを携行し、
戦車や重砲を持つ米軍から
飛行場を奪う任務を
負わされた。
一木大佐は、白兵突撃で
飛行場を奪回するつもりで、
8月1日夜
ガダルカナル島タイボ岬に上陸し、8月20日、
米軍陣地に突入したが、圧倒的な米軍の砲火によって全滅した。
一木支隊先遣隊の攻撃失敗後、第二梯団や海軍陸戦隊の輸送は、
制空権を握った
米軍機の妨害で
ことごとく
失敗した。
だが、大本営は
あくまでもガダルカナル奪回の意向を変えず、
パラオの川口支隊に続いて、ジャワから第二師団を第十七軍に
増加した。それらは
船団輸送ができず、「鼠輸送」とよばれる
夜陰に乗じての
駆逐艦による輸送に
頼らざるを得なかった。
辛うじてガ島にたどり付いた川口支隊は、9月11日と13日、
飛行場に
総攻撃を行なったが、強力な米軍の
砲爆撃を受け
携行食糧も尽きたため
失敗した。
10月24日、25日に第二師団主力による攻撃を行なったが、
これも
第一次攻撃と同じように
失敗した。
それでも
大本営は、奪回の方針を
変更しなかった。
11月中旬には
さらに 第三十八師団主力をガ島に送った。
こうした兵力輸送のたびことに、輸送に当たった 駆逐艦も、
これを援護する
海軍の航空兵力も 艦艇も
大損害を受け、
とどまることのない
消耗戦の様相を
深めていった。
ガ島における
陸上部隊の状況は、悲惨
の一言だった。
増援兵力を送るのさえ困難をきわめたのだから、補給物資を
送る余裕はなく、駆逐艦が
米などを
ドラム缶やゴム袋に
入れて、海岸の近くに投棄したりして、辛うじて
わずかな
補給をしているだけ
というありさまになっていたのだ。
これは メッセージ 38092 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:35 投稿番号: [38092 / 41162]
餓死という言葉で
まず思い浮かぶのは、ガダルカナルでの
餓死者の大量発生であり、ガ島は「餓島」と揶揄されるほど
これは
ひじょうに有名な
事実だ。
1942年8月から43年1月にかけてのガダルカナル戦は、
太平洋戦争での米軍反攻による戦局転換のきっかけになった。
ガダルカナル戦は、この島に日本海軍が建設した航空基地を、
上陸・急襲した
米軍の海兵
一個師団が占領し、
それを奪還しようとする日本軍との間で
戦われた攻防戦だ。
日本軍は、すでに制海・制空権を奪われていたにも係わらず、
飛行場奪回のために、次々と
陸軍の部隊を島に送り込んだ。
兵員・物資の輸送もままならず、かろうじて上陸した部隊も
補給が途絶している上に、利用すべき現地物資も皆無に近く、
餓死者続出の
惨状をもたらした。
半年後、装備を捨てて
生き残った人員だけを
かろうじて
撤退させることになった。
この敗退を
大本営は
国民に
「転進」
と発表したが、日本軍敗退の
第一歩となった。
ガダルカナル撤退を指揮したラバウルの第八方面軍司令官の
今村均大将は、その回顧録に
次のように
記している。
五ヶ月以前、大本営直轄部隊として、ガダルカナル島に
進められた
第十七軍の百武中将以下
約三万の将兵中、
敵兵火により斃れた者は約五千、餓死した者は約一万五千、
約一万のみが、救出されたのだ。
そして、自決して責任をとる
と申し出た百武軍司令官を
押し止めた言葉の中でも、次のように言ったと述べている。
今度のガ島での敗戦は、戦によったのではなく、饑餓の
自滅だったのであります。
この飢えはあなたが作った
ものですか。
そうではありますまい。
日本人の横綱に百日以上も食を与えず草の根だけを口に
させ、毎日たらふく食ってる
かけだしの米人小角力に、
土俵のそとに押しだされるようにしたのは、全くわが
軍部中央部の過誤によったものです。
これは、補給と関連なしに戦略戦術だけを研究し教育
していた陸軍多年の弊風が累をなし、既に
制空権を
失いかけている時機に、祖国からこんなに離れた、
敵地に近い小島に、三万からの第十七軍をつぎこむ
過失を、中央は
犯したものです。
今村大将による
この指摘は、まさにガダルカナル敗戦の原因、
餓死者大量発生の責任を
的確に衝く言葉ということができる。
これは メッセージ 38091 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:35 投稿番号: [38091 / 41162]
南京において
日本軍による組織的な虐殺行為があった事実は、
多数の証言や
軍関係資料の記録によって
既に証明されており
現在の日本政府も、公式見解として
その事実を
認めている。
犠牲者数については
諸説あるものの、虐殺事件そのものは
日本国内の一部勢力を除き
世界中が
事実として認識している。
事件があったか、なかったか、などという論議は
過去のものだ。
否定派の多くも、南京事件そのものを
否定できなくなり、
犠牲者数を
極力少なく見積もろうと
必死に
「だったはずだ」
という
主観論を振り回すか、あるいは、
「他国の軍隊にも残虐行為がある」式の
姑息な議論すり替えや
免罪論に頼り、実相から目を背けるほかに手段がなくなっている。
いま
本当に必要なことは、南京事件の原因が
どこにあったか、
なぜ、防げなかったのか、という
検証作業であり、背景を探り、
そこから
いかに
教訓を導き出すかが、より重要である
と思う。
中国大陸に武力侵攻した
日本軍が、南京などで
捕虜にした
多数の中国軍兵士を
組織的に
大量殺害した事件の背景には、
日本軍の補給軽視の体質が
大きな要因だった
と考えられる。
自軍の食料さえも
確保困難な状況で、大量の捕虜が
発生し、
殺害に及んだ
という証言記録が、それを
裏付けている。
日本軍の
補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において
略奪行為などが
多発する事態をも
招いた。
さらに、大戦の全般を通じて
日本軍兵士の
戦死者のうち
直接の戦闘での
死亡者数よりも
餓死者の数が上回るという
およそ
近代軍とは思えないような惨状を
招くものとなった。
第二次世界大戦における
日本人の戦没者は
約310万人。
そのうち、軍人軍属の
死者数は
230万人とされている。
特徴的なことは、その過半数が、餓死や病死であった事実だ。
「英霊」
の多くが、華々しく
戦いに散った
のではなく、
飢餓地獄の中での
惨めな野たれ死に
だったのだ。
栄養学でいえば、飢餓には
食物を
一切摂取しないで起る
完全飢餓と、栄養不足または失調による
不完全飢餓がある。
日本軍の
戦闘状況の特徴は、補給の途絶によって、膨大な
不完全飢餓を発生させ、その結果、完全な餓死だけではなく、
栄養失調のために
病気に対する抵抗力をなくし、マラリア、
アメーバ赤痢、デング熱等よる多数の病死者を出したことだ。
戦死よりも
餓死や
病死者の方が多い――
それが一局面の特徴的な状況ではなく、戦場の全体にわたり
発生したことに、旧日本軍の
特質を
みることができる。
補給もせずに、占領地の死守を命じ、退却も
降伏も許さず、
自軍を次々と
全滅させた大本営は、それを「玉砕」と称し、
美しく粉飾した挙句、餓死者たちを「英霊」
と誉め讃えた。
近代国家間の戦争で、これほど
悲惨な結果を招いたうえに
反省も改革も怠り、自画自賛ばかりを
最後まで繰り返した
軍隊が、はたしてあるだろうか。
近代戦において、補給途絶は
それだけで
敗北を意味する。
大和魂だけで勝てるはずがない。
惨めな敗戦は当然だろう。
大儀なき侵略戦争に駆り出され、無謀な作戦に投入され、
悲惨な死を
強いられた
若者たちの
無念さを思い、
大量餓死や
無謀な玉砕戦法をもたらした
日本軍の責任と
特質を明らかにして、それを
歴史に残す必要がある。
大量の餓死や「玉砕」と称する全滅は、人為的なものであり、
その責任を、死者に代わって
告発しなければならない。
それによって、二度と再び
あの悲劇を繰り返さないように
未来へ伝える「歴史の教訓」
とすることこそが、
先人たちの犠牲を
無駄にしない
唯一の道だろうと思う。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38091.html
Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: lovely37821 投稿日時: 2011/12/30 17:31 投稿番号: [38090 / 41162]
>何故なら、実戦では真正面から刺しますよね、すると人間はとっさに引き抜くために銃身をしっかりと握り、前倒しになります。すると刺した方の兵士は銃を落とすまいと力を入れますから、銃身が曲がります。
実戦になれば、真正面から刺すとは限らんな。横からも後ろからも刺す可能性がある。真正面から刺したとしても、刺された方が銃身を握らずそのまま後ろに倒れる場合もあろう。君の想定は単純すぎるよ。
これは メッセージ 38088 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38090.html
Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 16:25 投稿番号: [38089 / 41162]
概要 [編集]
銃剣術の技は、刺突(突き)、斬撃(斬りつけ)、小銃の銃床(ストック、台尻)部分を利用した打撃が基本であるが、弾倉部分や銃全体での打撃や敵の銃剣攻撃をかわす方法、敵に剣を刺突したままでの発砲や蹴りの反動を利用して引き抜くなどの技術もある。銃剣での刺突時、銃身に極力ストレスを加えないよう、正確にまっすぐ刺突して、より刃先が相手の肉体を貫通するよう十分に荷重をかけることを求められる。ただし、相手を突いた後は、銃身が多少曲がることがあり、それにより銃の狙撃能力が落ちる事がある。
これは メッセージ 38087 (tyankonabejp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38089.html
Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 16:20 投稿番号: [38088 / 41162]
>銃剣というのは直接銃身に装着しませんから、ただ刺すだけは銃身がゆがむことはありえません。
白兵戦のときには、はげしい格闘で銃身にも衝撃が加わり損傷する可能性はありますが、「衝撃で照準器がずれることが多く、照星や照門の微調整をやり直す必要があった」という程度です。銃剣格闘による白兵戦でさえも銃がゆがむほどの衝撃はかかりません。
つまり、捕虜を刺殺する程度では銃本体に影響などは出ないのです。
銃剣の使い方によって「銃身を歪めてしまうことも少なくなかった」という主張が、貴殿のたんなる想像でなければ、ソースを示してみせてください。銃剣を装着したために銃が使えなくなったという記録がありますか?
↑銃身が歪みますから、銃剣練習用の銃は別にしてありますよ。
何故なら、実戦では真正面から刺しますよね、すると人間はとっさに引き抜くために銃身をしっかりと握り、前倒しになります。すると刺した方の兵士は銃を落とすまいと力を入れますから、銃身が曲がります。
此の為に日本軍には鉄工が居て修正をするんですよ。
亦、日本軍の銃身は出来るだけ軽くなる様に作っていますからね、外国製の銃よりは華奢です。
南京では何万人も殺したとありますが、その様な事実は物理的に不可能です。次期出撃準備命令が陥落前から出ていますから、銃弾を使うこと出来ません。
亦当時警備していた部隊にはその様な予備の銃弾がありません、警備兵は銃弾十発しか持っていませんからね。
若し陸軍が最初からその様なことを考えていたとすれば、国産安全委員会の住所は米国の大使館から日本軍に手交されていますから、口封じのために、悉く事故死にしたでしょうね。
簡単ですからね、銃や銃剣などを使わずに、城外から無差別砲撃を加えれば、事故として処理出来ますが、日本軍はしなかった。
これは メッセージ 38087 (tyankonabejp さん)への返信です.
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Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2011/12/30 13:15 投稿番号: [38087 / 41162]
失礼ですが、貴殿の投降は想像だけで書いているように思いますが。
>これを銃に付けた場合、銃の性能を阻害するだけでなく、銃剣の装着機構によって、使い方が悪いと銃身を歪めてしまうことも少なくなかった。
銃剣というのは直接銃身に装着しませんから、ただ刺すだけは銃身がゆがむことはありえません。
白兵戦のときには、はげしい格闘で銃身にも衝撃が加わり損傷する可能性はありますが、「衝撃で照準器がずれることが多く、照星や照門の微調整をやり直す必要があった」という程度です。銃剣格闘による白兵戦でさえも銃がゆがむほどの衝撃はかかりません。
つまり、捕虜を刺殺する程度では銃本体に影響などは出ないのです。
銃剣の使い方によって「銃身を歪めてしまうことも少なくなかった」という主張が、貴殿のたんなる想像でなければ、ソースを示してみせてください。銃剣を装着したために銃が使えなくなったという記録がありますか?
>銃剣自体の投身も使い方が悪ければ曲がったり歪んだりするし、刃こぼれが酷くなれば本来の突き刺し引き抜く能力も激減する。
「銃剣自体の投身」w(´Д`)
銃剣が自分で身を投げることはありませんし、もし投げたとしても、銃剣は曲がるようなものではありません。
それに、人体に刺した程度では刃こぼれなどしませんよ。もし万が一、刃こぼれしたとしても、銃剣は切ることを目的としたものではなく、突き刺すものですからね。殺傷力は低下しません。
っていうか、日本軍の銃剣には初めから「刃」なんてついてませんから。全長40cmのうち先端から19cmの処迄しか刃が付いていないんです。銃剣は突き刺すための槍として使う刃物であり、日本刀のように切り付けることを目的としていないのでこれでよかったのです。
また、もしも刃こぼれしたとしても、研ぎ直せば刃物の威力は落ちませんから。
>命がけで白兵戦に持ち込んで突破し、敵を制圧するという前線の将兵自身が一番自覚する日本軍の状況下で、その便りとなる銃剣を消耗或いは損傷するような行為を数週間に渡って続けるわけがなかろう。
「その便りとなる銃剣」w(゚∀゚○)
銃剣は「お便り」にはなりませんよ。「頼り」にはなりますが。
仮に3万程度の聯隊で、一人の兵士が平均3、4人を始末しただけで10万人くらいの殺害は可能です。それに、数万人を殺したといわれる南京虐殺では全員を銃剣で殺したわけではなく、小銃や機関銃で射殺したのも多いはずです。また、捕虜の始末は各部隊とも交代でやったでしょうから、何週間も続けて毎日おなじ銃剣を使ったわけがないw
交代の合間に銃の手入れくらいはできたのです。
これは メッセージ 38084 (maximirion さん)への返信です.
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米国を戦争へ導いた馬鹿女
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 09:45 投稿番号: [38086 / 41162]
昨年度米国議会に出席して反日的策動に努力せるMrs. Geraidine Townsend Fitchは日本侵略不参加同盟当地支部主催の下に当地に於いて講演する為四月十五日(昭和15年)当地に来れるが新聞記者に対し要旨左の如く語りたる趣なり
米国の対日「エムバーゴー」は強制的なると政府の自由権限に依るものなるとを問わず之が唯一の解決方法なり現在「モラール・エムバーゴー」に依り飛行機の禁輸を行い居れるが日本は依然軍事行動遂行に必須の航空用「ギャソリン」「屑鉄」を獲得し居れり近き将来に関する限り日本は米国にとり何等軍事的脅威にあらず従って日本に「エムバーゴー」を課したりとするも戦争誘発の虞なし
之に反し日本が米国の原料により支那事変に勝利を占むれば米国は対支貿易のみならず対日貿易をも喪失するに至るべく更に日本商品の米国市場進出を見ることとなるべし若し日本が支那の無尽蔵の原料と低廉なる労働を使って生産を始めたならば如何なる関税所障壁を以てするも日本品を防圧するの方法なかるべく右は既に中南米に於ける日本貿易に其の例を見るところなる云々
尚同婦人の夫は支那生まれなるのみならずYMCA書記として多年上海漢口重慶等に居住せしことあり同婦人も亦二十年間支那に滞在せる趣にして四月十四、十八両日は当地教会に於いて講演を為す予定なり
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Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
投稿者: singodama 投稿日時: 2011/12/30 03:17 投稿番号: [38085 / 41162]
目撃もない、死体なき殺人。
それでも死体は毎年増える。
だれが信用するの?
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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馬鹿はおまえだよ その3
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/30 01:20 投稿番号: [38084 / 41162]
<shoujouji>
銃火器による現代戦において銃剣や軍刀による白兵戦は役に立たないということであり、
おまえは据え物切りがあたかも白兵戦であるかのごとき印象操作をやってるに過ぎない
ということだな。
白兵戦での役に立たないものが、据えもの切りでは数百人どころか数千を超える殺人能力を発揮できると考える根拠を書いたらどうだ。
どの投降にも明確な根拠を示せない、shoujouji にはそんな能力などないか。(笑)
銃剣の場合は、近代戦に於いては白兵戦での得物としての役割を担っていたのだ。
しかし、戦闘で殺傷して突破するのに必要な訓練を受けていた将兵は、日本陸軍ぐらいのものだろう。
現代戦でなくても、欧米では近代戦以降は銃火器の弾薬量とそれを持った兵士の総数で優位に立つことに充填を置いた用兵と訓練をしてきた。
機関銃の性能を上げて大量に投入したのもその一環だ。
だが、最初から軍用物資に限りがあり、多くの点で高性能な兵器の大量生産では欧米列強に引けを取る日本軍は、高性能な銃火器や兵器の使用は少数精鋭に限定せざる得なかった。
日本陸軍の実情としては、飛び交う銃弾の中をかいくぐって白兵戦に持ち込んで制圧するしかないという上京が殆どを占めたのさ。
飛び交う銃弾の中を生き抜くには、前に走り続けてできるだけ止まらずに突破すること。
だから、白兵戦になれば圧倒的に日本兵は優位に立っていたのだよ。
その反面、米軍はますます銃火器と弾薬量の数で圧倒し、銃火器や爆撃の威力を増し、射程距離を伸ばすことで勝利しようと努力したのさ。
つまり、白兵戦に至る前に日本兵を殲滅するか銃口で取り囲んで制圧するかという戦術をとった。
米国は、国力の強みを生かしすことにしたのだね。
銃剣は、突き刺し、引き抜くことに長けた刃物で、斬ることは想定してない刃物。
これを銃に付けた場合、銃の性能を阻害するだけでなく、銃剣の装着機構によって、使い方が悪いと銃身を歪めてしまうことも少なくなかった。
銃剣自体の投身も使い方が悪ければ曲がったり歪んだりするし、刃こぼれが酷くなれば本来の突き刺し引き抜く能力も激減する。
命がけで白兵戦に持ち込んで突破し、敵を制圧するという前線の将兵自身が一番自覚する日本軍の状況下で、その便りとなる銃剣を消耗或いは損傷するような行為を数週間に渡って続けるわけがなかろう。
世の中の多くの人は、shoujouji より遥かに利口で道理を知っているのだよ。
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38084.html
馬鹿はおまえだよ その2
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/30 01:09 投稿番号: [38083 / 41162]
<shoujouji>
おまえが長々と講釈を垂れたところの銃剣や軍刀は人を殺すのに何の役にも立たないなる言説は説得力ゼロだと言っている。
文盲くんは、私のどの投降のどの部分に「銃剣や軍刀は人を殺すのに何の役にも立たない」と書いてあるのか、引用して明示しなさい。
私は、銃剣や軍刀での殺傷の仕方を簡単にではあるが説明しているのだよ。
逆に、武器としての限界も書いているに過ぎない。
その結果、銃剣や軍刀が大量殺戮兵器として使うには性能不足だと言う結論がでるだけのこと。
<shoujouji>
銃火器による現代戦において銃剣や軍刀による白兵戦は役に立たないということであり、おまえは据え物切りがあたかも白兵戦であるかのごとき印象操作をやってるに過ぎない。
そうやって、根拠のない書き込みを繰り返すところが、進歩のない馬鹿の証なんだよな。
現代戦に於いても白兵戦の訓練はなされている。
その中に、銃剣の役割も織り込まれているのだよ。
軍刀は、洋の東西を問わず、近代戦以降は殺傷兵器として戦場で使われることを想定していない。
護身用の殺傷能力を最低限持った指揮棒という側面で帯刀されるのだよ。
軍刀の刃物としての能力が、敵兵の接近を阻止するために足などを薙ぎ払い、或いは銃剣などで付いてくる敵の小手を払うなり叩くなりし、あわよくばその手足の筋を断って戦闘不能にする程度の斬撃と、銃剣を払いのけるなどするに刀身が歪まずに耐える強度なのだ。
その刀身とはものによる構造は、突き刺して抜くに易い構造にするため、刀身は短めで反りが少ない。
斬りつけたさいに収縮筋肉から刀身を抜いたり切り裂いたりする能力も、骨を断つ能力も端から備えていない。
据えもの切りなどすれば、すぐに使い物にならないと書いておいたのだよ。
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38083.html
馬鹿はおまえだよ
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/30 00:56 投稿番号: [38082 / 41162]
<shoujouji>
まず、現実の南京事件における虐殺は銃撃プラス銃剣や軍刀であり、銃剣や軍刀は補助的な役割であること、すでに戦闘が終わったあとの無抵抗の捕虜の殺害であり、多数の将兵により多数の銃剣や軍刀を使って少なくとも数週間以上の長期間にわたって行われた殺害であるという前提はいいかな?
そう言う前提を否定されてるということが分かってなくてレスをしてる時点で、論外だろ。
銃撃の補助が銃剣や軍刀だと言うのであれば、銃撃何割に対して銃剣や軍刀での補助が何割で、銃撃と補助それぞれの殺人数をどのくらいだと見積もるのか明示したまえ。
戦闘が終わっても次の戦闘があるうえに、銃剣も軍刀も支給品であって、将兵には天皇からの賜りものだといって、その手入れに予断がないよう厳しく躾けられていた。
支給されて平気の手入れが、戦場で自分のみを護るには最重要だと、戦闘経験のある将兵なら誰でも知ることになる。
戦闘が終わった将兵が、まだ尚次の戦闘が待ち構える予断のない状況で、余計なことにその武器を使って手入れの手間を増やしたり修理の必要を発生させるわけもない。
数週間以上も殺害し続けていた場合に、どのくらいの弾薬やその補助の従縁と軍刀を消耗してしまうのか、考えてみる知恵もないのが shoujouji だからな。
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38082.html
馬鹿はおまえだよmaximirion
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/30 00:01 投稿番号: [38081 / 41162]
<shoujouji>
まず、現実の南京事件における虐殺は銃撃プラス銃剣や軍刀であり、銃剣や軍刀は補助的な
役割であること、すでに戦闘が終わったあとの無抵抗の捕虜の殺害であり、多数の将兵に
より多数の銃剣や軍刀を使って少なくとも数週間以上の長期間にわたって行われた殺害で
あるという前提はいいかな?
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38081.html
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