南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(18)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 22:10 投稿番号: [38113 / 41162]
中国大陸に武力侵攻した日本軍が、南京などで   捕虜にした
多数の中国軍兵士を   組織的に   大量殺害した事件の背景に
補給線確保の軽視という   日本軍の特質が要因の一つとして
あったと考えられる。   自軍の食料さえ   確保困難な状況の
うえに、予想を超える   大量の捕虜が発生し、給養に窮して
殺害に及んだ   という証言記録などが、それを裏付けている。

日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において   略奪行為などが   多発する事態をも招いた。
そして、結果的に   大量の餓死者を出す悲惨な状況に至った。
太平洋の孤島や   南方の密林とは違って、多くの人々が住む
中国では、餓死者などはなかった   と思われやすいが、
敗戦前2年間の中国戦線では   戦死者を病死者が上回っていた。

長尾五一軍医中佐の遺著などが、その事実を   裏付けている。
中国戦線で   最後の作戦となった   第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月〜6月の   3カ月間の死者数は   戦死が695人、
戦傷死322人、戦病死2184人、計3201人にのぼり、
「第二十軍の統帥発動以来終戦までの各種比率」については
「戦死、戦傷、戦病死   おおむね   4対5対9」   である。
(第二十軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表の注)

中国戦線でも、戦死・戦傷より   「戦病死」   が圧倒的だ。
負傷した後に、包帯所や   野戦病院で   死亡する者も多かった。
これは、患者の給養がきわめて悪かったことと無関係ではない。
病死の大部分が   長期間の給養不足で、栄養失調状態にあって
病気に対する抵抗力を失っていたため、戦病死に至ったものだ。
これも   広い意味で   餓死の分類に入る。

中国戦線での   45万の戦没者の   過半数が戦病死、それも
給養不足に基づく   栄養失調や、それが原因での体力の消耗
による   広い意昧での餓死であった   ということだ。
日本軍が、補給らしい補給もなしに   現地調達する方針は、
明治以来   一貫していた。   日清戦争でも朝鮮出兵軍からの
補給困難の訴えに対し、参謀本部は   次のように訓令している。

「古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧を敵に因る)の一句あり。
爾来   内外の用兵にこれを奉じて原則となすゆえんのものは
この理由に外ならず。…糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、
いわんやこれを運搬する人夫においてをや…」
(明治27年6月29日、参謀総長熾仁親王から混成旅団長
大島義昌あての訓令)

「因糧於敵」、これが   侵略軍としての行為の根本にあった。
日本軍兵士の   戦地栄養失調症を含む広い意味での餓死者は、
合計で127万6240名に達し、全体の戦没者   212万の
約60%   という割合になる。   靖国神社が「英霊」   として
誉め讃える戦死者のうちの   半数以上が、敢闘勇戦の中において
散華したのではなく、飢餓と衰弱死に   追いやられたのだ。

このような軍が、何万もの大量の捕虜を   人道的処遇のもとに
収容し続けることは   まったく   不可能であった   と言える。
もともと   中国人を「殺害しても問題とはならない」   として
蔑視していたうえに、予想以上の抗戦によって   敵愾心が加わり、
さらに   実際の問題として   捕虜として処遇できない状況があり、
躊躇なく   中国人民の大量殺害に   及ぶことになった。
これが   南京虐殺の実情だ。
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