南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/26 16:41 投稿番号: [38000 / 41162]
南京の資料をさらけ出して居る日本政府、嘘吐く君。

Re: 南京城内に打ち込んだ砲弾数

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/26 16:40 投稿番号: [37999 / 41162]
Ⅱ/155Aの発射弾数ですから、自ずと大砲の種類は限定されますね。

Aは野戦砲兵隊ですから自ずと野砲と言う事になりますね。

基本的に日本の野砲は75㎜ですね、此以外の野砲はありません。

他の記録は、現在の所見つけ出していません。

Re: 軍内の連絡の実体

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/26 16:17 投稿番号: [37998 / 41162]
↑命令は記録に残る様にやっているんだね。>

命令が記録に残ってないと、後々何を根拠に将兵を動かし、兵站を動かしたのかを管理していた証明が出来ないからね。

軍の将官や部隊長レベルであれば、戦闘行動はもちろんそれ以外の軍務に関する行動が軍紀軍律に沿っていなかったとなれば、生死に関わることだからね。

軍事も知らなければ算数も出来ない白痴

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/26 16:11 投稿番号: [37997 / 41162]
<oldjiiji>
しかしですぞ。
日本軍は南京へ20万人の兵力で攻め込んでおきながら、30万人殺せる弾薬もなかったというのは、あまりに装備がおそまつとしかいいようがありませんな。

<wadatumi_voice21>
南京侵略に投入された   日本軍の総兵力は   実に12万に達した。
その   12万もの大兵力が、一国の首都を攻略する戦闘において
30万人を殺害するだけの弾薬を有していなかった、と言うのだ。

南京攻略戦が、2〜3日で終了するような   戦闘ならば分かるが。
実際には、南京までの攻略戦は   上海戦以後の追撃戦の延長上に
長期間にわたり継続したのであり、膨大な武器弾薬が投入された。

日中戦争期間中において   国民党政府が徴発した   兵士の
総数は、じつに   数百万人に達した   とされている。   このほかに
日本軍は、約15万6千人(1938年当時)の   共産党軍をも
相手にして   戦ったのだ。
戦地において弾薬がなければ、戦争の継続など   到底   不可能だ。

<shoujouji>
おーい。
ブレてるぜ。 30万人殺す弾薬が物理的になかったという主張と,捕虜を
殺す弾薬は無駄玉だったから使わなかったという主張は根本的に違うだろうが。



白痴な頭の連中は、現実として目の前にいる敵との交戦で消費される弾薬を勘定に入れることなく、捕虜や非戦闘員である民間人を殺傷するのに使えると思っているのだろう。

南京陥落で、蒋介石軍が全滅したわけでもなく、遷都した国民党軍との戦闘はその後も当然続くのであるから、武器を持たない住民や捕虜30万人を殺害するために兵站を消費している余裕など当然ないのだ。

平和惚けした虚妄で歴史を云々騙ろうとする輩では、軍事の基本も分からんのだろう。
軍の兵站も弾薬も無尽蔵に供給されるわけでもなければ、無節操に供給されるわけでもない。

作戦毎の見積もりに従って兵站分が請求した数量に対して、軍政が精査した後に決定した数量が供給されるだけだ。
その数量が、多くの場合見積もりを満たす数量でないのは、洋のの東西を問わない常識。

特に、弾薬の類は軍が携行する武器や動員する兵器に適合した者を国内生産して供給するのであるから、どの軍でも請求以上に潤沢な供給を受けることはない。
見積もられた戦闘規模に対して最小限必要と見積もる弾薬に対して、そのときの生産状況や軍全体の準備状況に応じて、各部隊への供給量が決められる。

戦闘後の占領政策で浪費しようものなら、そこでの消費分の補充分が供給されないばかりか、次の戦闘に必要な弾薬量として見積もった分やそれに対するマージン分の弾薬を含む兵站が削られてしまうのだ。

交戦用に供給される弾薬や燃料を戦闘以外で大量消費することは、目的である戦闘での敗北を誘引するばかりでなく戦局の悪化を齎す。
そんなことは、軍事の常識なのだよ。

そもそも、南京陥落に至るまでの戦闘で弾薬を費やした後に、さらに30万人を殺傷に足る弾薬があったと考える時点で、軍事への無知と算数程度の能力も持ち合わせていないことを告白しているも同じさ。

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/26 15:58 投稿番号: [37996 / 41162]
>つまり、外務省は、何一つ根拠、記録、証言、証言録がないにもかかわらず、HPに漠然と「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。」と書いているだけだったことが判明した>

おまえ、本当にガキだな。
日本政府が正式に南京大虐殺の証拠を暴露するわけないだろ〜が。
外務省のコメントは日本の国益を最優先にしたリップサービス
にすぎない事はだれでも分かることだろ、バカ以外は。

Re: 南京城内に打ち込んだ砲弾数

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/26 15:27 投稿番号: [37995 / 41162]
日本陸軍の大砲の口径は一種しかないのですか?   何発撃ったかという記録
だけで、口径の記録ないとすると、一種しかないように思われるが。

南京城内に打ち込んだ砲弾数

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/26 09:39 投稿番号: [37994 / 41162]
十二月十日   下麒麟門   飛行場三叉路   9100m   10発
            南京中央三叉路   11200m   20発
            南京通済門五叉路   9500m   20発
            南京城内       10500m   21発
            南京通済門      10500m   10発
            飛行場三叉路      9200m   20発

       大校飛行場   中山門       4075m   30発
             柴金山       6600m   25発
             中山門西方三叉路   6000m   27発
             中央五叉路      8900m   30発
             中山門        4050m   43発
             中山門        4025m   48発
             柴金山トーチカ    6100m   27発
             中山門        4025m   29発
             北極閣        8600m   24発
             中山門        3900m   26発
             柴金山トーチカ    6100m   20発
             光華門        2400m   84発
             同          同       68発
             光華門上阻止     2400m   30発
             同          同       30発

一会戦での小銃実弾消費量

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/26 09:19 投稿番号: [37993 / 41162]
南山    戦闘一日    八九発/一銃

紱利寺   戦闘二日    五〇発/一銃

大石橋   戦闘三日     七発/一銃

遼隅    戦闘十一日   八七発/一銃

沙河    戦闘七日    九五発/一銃

奉天    戦闘二六日   一二〇発/一銃

旅順(第一回)   戦闘六日   九三発/一銃

旅順(第二回)   戦闘六日   五三発/一銃

旅順(第三回)   戦闘十一日   一〇三発/一銃

↑此等を総合して携帯弾約一二〇発が決められたんだよね。

しかし時には一八〇発を携帯することがあった様だね。

日本軍を知らずに、日本軍を語る馬鹿サヨ特に和田罪作りの様な奴が居るからね、話しが混乱する、しかし事実を調べれば南京虐殺など物理的に不可能なのが分かる。

日本軍主要弾薬定数

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/26 08:44 投稿番号: [37992 / 41162]
司令部   小銃弾    12958    MG普通   4350

連隊    小銃弾   172190    MG普通   213840   MG徹甲弾    19440

輜重    小銃弾   315730    MG普通   160920   MG徹甲弾    19440

↑南京陥落後次期戦闘準備をする部隊が、総ての弾薬を使うはずがないし、その様な命令を出す馬鹿な司令官は居ない。

南京警備状況

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/25 13:13 投稿番号: [37991 / 41162]
中山路以北を16D、以南をⅢ/7i、Ⅱ/7i、10A、9D、35iが警備していたんだね。

16D:16師団

7i:歩兵第7連隊

Ⅲ/7i:歩兵第七連隊第三中隊

Ⅱ/7i:歩兵第七連隊第二中隊

10A:第十軍

9D:第九師団

35i:歩兵第35連隊

此以外の軍は入城が禁止されていた。

軍内の連絡の実体2

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/25 10:59 投稿番号: [37990 / 41162]
丁集作命甲第五十四号

丁集団命令    十二月六日午前十一時
        於湖州

一.第一後備歩兵團主力を以て湖州付近に位置し杭州方面の敵に対し軍の背後連絡線を援護すべし
   一部を以て石門湾を守備すること故の如し
   歩兵第四十七連隊第二大隊(湖州守備隊)との交代は其の先着部隊を以てすべし

二.第二後備歩兵団は一部を以て廣徳付近に主力を以て北部密国付近に位置し南部密国方面に対し軍背後連絡線を援護すべし

三.両後備兵団の警戒地域の境界は独立標高五八五高地(長興西方約四里)同二六七高地(下泗安東南方約二里)同四六一高地を連ねる線とす

四.両後備兵団長は緊急の場合同地に在る兵站守備隊を指揮する事を得

五.左記諸隊は左の如く交代竝行動すべし
   1.歩兵第四七連隊第二大隊(第五中第第六中隊の一小隊及び第八中隊欠)
     第一後備芸談と交代し原隊所属に復帰
   2.歩兵第四七連隊第八中隊
     第六師団下泗安警備中隊
     同      廣徳警備中隊
     兵站守備部隊と交代し原所属に復帰
   3.歩兵第百二十四連隊第二大隊(二中隊及び機関銃隊欠)
     第百十四師団宜興警備中隊
     同     漂陽警備中隊
     兵站守備隊と交代し師団主力に追及

六.予は湖州に在り

    丁集団司令官    柳川平助

下達法   1.両師団は通信筒
     2.両歩兵團及び在湖州部隊命令受領者に印刷命令公布
     3.其の他の部隊には伝令による印刷命令公布

軍内の連絡の実体

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/25 09:48 投稿番号: [37989 / 41162]
中方作命第二十七号

中支方面軍命令   十二月四日   午後九時
         於上海方面軍司令部

一.中支那方面軍は南京郊外既設陣地を奪取し南京城の攻略を準備せんとす

二.上海派遣軍及び第十軍は南京郊外既設陣地を奪取したる後概ね上元門(下関北方約四粁)−−小衛南京句道上−−高橋門−−雨花台−−綿花地の線に進出し南京城の攻略を準備すべし

三.両軍の作戦地境を左の如く改む(十万分の一地誌図に依り)天王寺十字路−−蒲塘(秣稜關東方約四粁)−−蒲塘より南京東端に至る水流の線

四.予は上海方面軍司令部に在り

     中支那方面軍司令官    松井石根

下達法
両軍に電報

↑命令は記録に残る様にやっているんだね。

Re: 南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/25 09:28 投稿番号: [37988 / 41162]
南京大虐殺は無かったと言うことが、世界中の認識。

兵士の携帯弾約数では物理的に無理。

当時の南京城内警備兵の数では無理。

司令部が南京城内に有ったにも拘わらず、司令部では虐殺を誰も知らなかったという事実。

国際安全員会が便衣兵摘発に協力しているが、殺されたという報告又は抗議は無く、継続して日本軍と便衣兵摘発を行ってたという事実。

便衣兵摘発には国際安全員会が積極的に協力し、一般中国市民を守っていたという事実。

南京の人口は増えはしても減ったという報告は何処にも無いという事実。

南京は南北に分けて、上海派遣軍北支派遣軍が夫々警備していたが、警備区域を越えて俘虜の移動は出来ないにも拘わらず、南京の南部から北部に連れて行って殺したという様な証言が有るが、事実に反する虚偽の証言である。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/25 09:11 投稿番号: [37987 / 41162]
>そのかわり戦前、わしらは中国人のことをチャンコロと呼んで差別しておった。

↑中国革命以来中国人同士でチャンチョロと言っていたんだよ、日本人の言葉じゃ無いよね。

>ソ連軍や中国軍の暴走は億単位で桁が違う。日本軍による虐殺が30万人としてもかわいいもんですな。

↑中国やソ連では粛清は軍部、知識階級、一般市民と無差別に行われた。

日本が南京で殺す理由が無い。

況してや外国の観戦文官が居る状態で。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/24 21:58 投稿番号: [37986 / 41162]
>どっちでもない、すなわち虐殺はあった、ではっきりしている
わけだ(藁

日本語理解できない御仁にはそう読めたのでしょうね。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/24 21:33 投稿番号: [37985 / 41162]
>ちゃんと読めば「どっちでもない」ではっきりしているのだが。

どっちでもない、すなわち虐殺はあった、ではっきりしている
わけだ(藁

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 21:01 投稿番号: [37984 / 41162]
日本で発刊されている主な辞書事典類、歴史専門書などで
南京虐殺事件自体を否定している記述のものは、おそらく
ひとつもないだろう。   いずれも   学術的な書籍だからだ。
純粋な学問とは次元の異なる   イデオロギー、政治思想が
絡んできて、はじめて   「虐殺はウソ」「捏造」   という
否定論が持ち出される隙間が生じてしまう   ということだ。

否定論には、「中国の情報戦略」だとか、反日左翼の策謀
だとか、プロパガンダ   などという、学問とは別な次元の
思想差別や   論者への人格攻撃が   必ず付きまとっている。
しかし、歴史辞典や歴史教科書、公文書類は、特定思想や
政治宣伝に関係して編集されるものではない。したがって
それらの記述は、すべて   南京での虐殺は事実と記される。

日本で採用されている歴史教科書は、すべて   南京事件を
記載しており、あの「作る会」編集の歴史教科書でさえも
例外ではない。   ただし、「作る会」教科書は   「日本軍
によって民衆にも多数の死傷者がでた」という程度でしか
記述していない。   これでは、まるで偶発的に   民間人が
戦闘にまきこまれて   犠牲になった   という印象をうける。

こうした表現は、じつに   不正確なものだ。
「民衆にも多数の死傷者がでた」というのは、南京だけに
限ったことではなく、中国大陸各地で   日本軍が行動した
ほとんど   あらゆる戦場で起こったことで、これだけでは
なぜ「南京事件」が   世界的な非難の的に   なったのかが
理解できないだろう。

南京事件が   なぜ特別の注目を集めるかといえば、それは
戦闘中だけでなく、とくに   戦闘終了後も、捕虜や一般の
市民に対する   殺戮行為が   大規模に、しかも   組織的に
行われた点   なのであり、その肝心の事実を   抜きにして
「民衆にも多数の死傷者がでた」   というだけの叙述では
とても   この事件の本質を   知ることはできない。

完璧な人間など、どこにも   存在しない。
ましてや   成長過程では、誰しもが   失敗を経験する。
若気の至りで他人に迷惑をかけたり   試行錯誤を経て
世間に尊敬されるような人格者に   成長していく。
同様に   はじめから   「完璧な国家」   も存在しない。

あらゆる国家は過去において必ず   間違いを起こした。
悲しいことだが、高度な民主主義社会に到る過程では
避けられない運命であった。   しかし、ここから先が
その国民の   質と未来を   決定する。
過去の過ちを   ひた隠そうとする人間は   品性下劣だ。
その程度は低く、他人(他国民)から   信頼されない。

けれども、自分の過ちに気づき、その間違いを自力で
乗り越えるとき、その人間(国家)には   未来がある。
自己の行為を厳しく点検・反省する一連の苦行により
人間(国家)の質が   高められるばかりか、自浄作業
そのものが、他人(他国)の信頼を   かちとるからだ。

自分の犯した間違いを認めようとせず、自画自賛だけ
繰り返す者は、一見、愛国者に見えて、じつは国民の
質を貶め、日本国の名誉を汚し、国際社会から永遠に
この国を隔離しようとする   売国奴である   と思う。

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 21:00 投稿番号: [37983 / 41162]
辞書や百科事典類は、当然   素人が執筆するものではない。
少なくとも   日本で発行されている辞書・事典については
専門知識を有すると社会的に公認される   各分野の権威が
相当の研究成果と学術的根拠に基づいて編纂されるものだ。
たとえば、いま   手元にある『日本の歴史』(中央公論社)
第25巻『太平洋戦争』   の執筆者は、歴史学者の林茂氏だ。

歴史学に   少しでも   縁のある人間ならば、林茂という名は
おそらく   一度ならず   聞いたことはあるはずだが、多分
南京事件否定派の諸氏では   知らない者も多いと思うので
念のため説明すると、林氏(1912年〜1987年)は、
戦前は   東京帝国大を卒業後、京城帝国大助教授、戦後は
東京大学教授などを歴任した   日本を代表する歴史学者だ。

その林氏が執筆した   「南京占領と虐殺事件」   の解説を、
以下に   引用しておこう。
まず   南京事件の前史について   次のように   語っている。

   「上海の防禦陣地を破られたあとは、南京までのあいだには
   中国の防禦線はなく、日本軍は日に六、七里というスピード
   で進撃を続けた。この間、『軍補給点の推進は   師団の追撃
   前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る約百里
   の間、殆んど糧秣の補給を受くることなく、殆んど現地物資
   のみに依り、追撃を敢行せり』(『第九師団作戦の概要』)
   という状態であり、徴発を名とした掠奪が行われた。同時に
   『敗残兵狩り』   という名目で、一般民衆にたいする   虐殺・
   暴行がくりひろげられ、それはやがて、世界を驚かせた南京
   虐殺事件の前史をなしている」

短い文章だが、この作戦に加わった第9師団の作戦記録で
証拠づけをしながら、記述を   すすめているところなどは、
さすがに   歴史学者の筆だ   と思う。
続けて、南京事件の本史について述べた文章を引用しよう。

   「南京城に対する攻撃は、十二月十日から開始され、十三
   日には日本軍の手中におちた。   国民党政府は漢口に逃げ
   のびていた。   そしてその日から、日本兵は捕虜の虐殺を
   はじめた。」

このあと、林氏は   当時の旅団長として   攻撃を指揮した
佐々木到一中将の記述を引用しながら敗残兵虐殺の事実を
記述している。   どうやら、南京事件否定派の   定義では、
林氏も   捏造をたれ流す“反日サヨク”の筆頭になりそうだ。
もちろん   同氏は、学者として   事実を記したにすぎない。
記述は、事件の国際的反響をも含め   次のように続いている。

   「その後も、みさかいもなく   一般民衆にたいする虐殺が
   つづくのであり、十五日の夜だけで   二万人が殺されたと
   いわれる。(中略)   このニュースは世界に大々的に報道
   されたが、日本人は、戦後の東京裁判で   追求されるまで、
   この事件を知らないでいた」(『太平洋戦争』64頁)

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 20:59 投稿番号: [37982 / 41162]
平凡社『日本史大事典』第5巻に記述されている南京事件の
項目は、詳細で   かつ   かなり正確な解説なので、抜粋して
以下に   引用しておこう。

  【南京虐殺】
   「日中戦争で南京占領に際し   日本軍によって   中国軍民に
   加えられた大規模な残虐行為。」

   「一九三七年(昭和十二)八月、日中戦争は華北から華中に
   拡大、日本軍は上海で   中国軍の激しい抗戦に   直面し、
   大きな損害を被った。   十一月上旬   ようやく   中国軍を
   退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
   指揮下の   上海派遣軍(軍司令官   朝香宮鳩彦王中将)と
   第一〇軍(軍司令官   柳川平助中将)を、与えられていた
   任務を逸脱して   国民政府の   首都南京に向かって急進撃
   させた。」

   「上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏切られた   日本軍兵士は
   自暴自棄となり、補給がともなわず   現地徴発に頼ったこと、
   中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれて
   いたことなども加わって、南京への進撃途上で   すでに掠奪・
   強姦・虐殺・放火などの非行が   常態化する状況となった。」

   「十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の入場式に備え、
   徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで   大量に
   処刑し、多数の一般市民を   その巻き添えにし、略奪・強姦・
   放火を重ねた。   さらに   十二月二十二日、佐々木到一少将が
   城内粛清委員長に就任、中国兵の狩出しと   処刑を続け、
   三十八年二月初めに及んだ。」

   「犠牲者数については   中国側の公式見解は三十万人とするが、
   戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ   進撃途中から
   三十八年二月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人
   前後に達するとみられる。(以下、省略)」

以上、平凡社版『日本史大事典』からの引用だが、南京虐殺を
事実という者に対し、「腐れサヨク」や   「反日・親中国」、
あるいは   「共産主義者の回し者」の類だ、と   悪罵を吐く
ウヨにかかれば、平凡社さえも   その類に   されてしまうだろう。

だが、同社が   中国共産党の手先だとか、反日勢力に加担する
サヨク集団である   とは   到底、思えない。
平凡社にかぎらず、日本国内の   主要な出版社が   発行する
歴史辞典・百科事典の類は、いずれも   学術的に   証明され、
信用に足る   記録と情報に基づいて   編纂されているのだ。

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 20:58 投稿番号: [37981 / 41162]
日本の歴史事典や百科辞典類で、南京大虐殺事件を否定   または
存疑として   記述しているものは、なかなか   見つけられない。
国内の歴史教科書にも   事件自体に疑いを差し挟んでいるものは
例の「作る会」教科書も含め、おそらく   一つもないと思われる。
南京大虐殺否定論は、右翼たちが、学術的には見向きもされない
根拠のない主張を   勝手に言い立てているだけ   にすぎない。

日本でも   公の場では全く認められていない、アングラ的言説に
過ぎないのだが、このアングラ説に   とびついた漫画(ゴー宣)や
いわゆる「トンデモ本」   とよばれる   カルト本などのせいで、
そういうものしか読まないような者は、こちらが   真説なのだと
思い込んでしまう傾向があるらしい。   何とも仕方のないことだ。

そんなレベルの人間でも理解しやすい   子供向け学習事典もある。
たとえば、ネットで検索する百科事典の解説を   引用してみよう。
以下、『学研の学習百科事典   学研キッズネット』   の解説文だ。

  ナンキンぎゃくさつじけん【南京虐殺事件】
  「日中戦争(せんそう)中の1937(昭和12)年12月、中華民国
  (ちゅうかみんこく)の首都   南京占領   (ナンキンせんりょう)
  前後に日本軍(ぐん)がひきおこした   投降兵(とうこうへい)・
  一般住民(いっぱんじゅうみん)を   殺害(さつがい)した事件。
  南京大虐殺   (ナンキンだいぎゃくさつ)ともいう。」

  「日本軍が   殺害(さつがい)した   中国人の   人数については
  数万から30万までの諸説(しょせつ)があるが、この事件は
  中国民衆(みんしゅう)の   怒(いか)りを   高め、国民政府
  (こくみんせいふ)は   武漢(ウーハン)に   うつって   抗戦
  (こうせん)を   つづけた。」

ひら仮名がふってあるので、否定派諸氏でも   読めるだろう。
否定派諸氏なら、学研は反日サヨクが牛耳っている出版社だと
言い出すかもしれないが、おそらく   そうではなく、学問的に
すでに定説となっている事実を   書いているだけであると思う。
図書館などに足を運ばない諸氏には、電子書籍もお奨めしたい。
マイクロソフト社の電子百科事典『エンカルタ百科事典』では
以下のように   解説している。

  南京大虐殺   ナンキンだいぎゃくさつ
  「日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の
  大量虐殺事件。(中略)軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された
  中国人は   数万人とする説から   43万人とする説まであるが、
  少なくとも20万人以上であったと推定されている。」
 
  「12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。
  その後数週間にわたって、南京城内外で敗 残兵狩りや、一般市民
  に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。 この日本軍に
  よる蛮行は   アメリカなど世界中で   報道されたが、日本国民には
  知らされず、第2次世界大戦後の   東京裁判(極東国際軍事裁判)で
  はじめて明らかにされた。(以下、略)」

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 20:57 投稿番号: [37980 / 41162]
“Nanking Atrocities”(南京大虐殺)は、国際社会では
否定できない   「歴史的事実」   として   共通認識されているが、
日本国内の   一部では、70年代後半頃から   中国側の捏造だとか、
あるいは   投降兵の殺害行為は   正当な行為であった   などという
主張を、否定派や正当化論者が   繰り返し、教科書記載問題などを
めぐり、しばしば   社会的に   注目を浴びている。

国内の書店にも   「南京大虐殺はなかった」、「外国人の捏造」、
「情報戦による謀略」、「反日プロパガンダ」、「自虐史観」など
政治的文言を書き連ねて   事件否定論を流布する   “トンデモ本”が
並んでいる。   来日した外国人   留学生などが   心底から驚き、
これが日本社会の共通認識なのか   と疑いを持つのも当然だろう。

実際には、大虐殺否定論は   一般に   受け入れられてはいない。
少なくとも   日本で刊行される辞書・事典などには、否定論や
正当化論に基づく   解説などは、まったく   見当たらず、当然
政府や   自治体の公的文書、刊行物にも取り上げられていない。
学術・学問的には、歯牙にもかけられていない   ということだ。

『山川   世界史小辞典(改訂新版)』(04年   山川出版社)は、
230名の専門家が   最新の研究成果を取り入れて   執筆した
約9,400項目を収録し、世界史を学習するうえで   必携書
といえる   権威ある歴史辞典の一つだが、その497ページに
掲載されている「南京事件」の項目は、次のように記している。

「①1927年3月24日、南京で起きた   暴動に端を発した
国際的事件(省略)」
「②〔1937〕   南京大虐殺   ともいう。   日中戦争初期に
中国国民政府の首都   南京を攻略した   日本軍が、中国軍民に
対して   大規模な   残虐行為を行った事件。」

「1937年   12月13日に   南京を占領した   日本軍は、
住民を   巻き込んだ   包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を   展開した。
この時、すでに   戦闘部隊の体をなさず、戦意を   喪失した
膨大な数の投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
違反して   処刑、殺害した。」

「日本軍の軍事占領は翌3月まで続き、この間に   敗残兵狩り、
便衣兵(私服になった兵士)狩りを行い、兵士の嫌疑をかけた
成年男子市民も   殺害した。」
「中国女性の強姦、食物や物資の略奪、人家の放火・破壊など
軍紀の乱れによる   不法行為も多発した。」
「南京城内とその周辺   さらに付近の農村を含めて   十数万の
中国軍民が   犠牲になった   と推測されている。」

以上が、『山川   世界史小辞典(改訂新版)』からの引用文だが
どこを   見ても、「〜というウソ」、「これは中国人の作り話」、
「共産主義者のプロパガンダ」などといった解説は   ひと言も
付記されてはいない。   否定論者諸氏は、この辞典を執筆した
学者先生は反日サヨクに違いない   という妄想を   吐くしかない。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/24 20:51 投稿番号: [37979 / 41162]
>そのかわり戦前、わしらは中国人のことをチャンコロと呼んで差別しておった。

その程度の差別ぐらいで大量虐殺が起きていればアメリカでは年がら年中起きて、遠の昔にアメリカにおける有色人種は死滅しているはずですが。

まぁ、どっかの犯罪者が社会が悪いみたいに言って言い逃れよろしくあなたみたいのが差別で人を殺して、それは旧軍全体に擦り付けただけかもしれませんが

>ソ連軍や中国軍の暴走は億単位で桁が違う。日本軍による虐殺が30万人としてもかわいいもんですな

余所もやったからあっちもやったレベルではお話にならないのですが

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/24 20:46 投稿番号: [37978 / 41162]
>どっちだ。
はっきりしろや。

ちゃんと読めば「どっちでもない」ではっきりしているのだが。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/24 20:45 投稿番号: [37977 / 41162]
>そのかわり戦前、わしらは中国人のことをチャンコロと呼んで差別しておった

それで?

>さよう。
ソ連軍や中国軍の暴走は億単位で桁が違う。日本軍による虐殺が30万人としてもかわいいもんですな。

だから?

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/24 18:19 投稿番号: [37976 / 41162]
ごまかすのはやめろや。日本軍は補給が貧弱で弾薬が足りなかったから虐殺は
物理的に不可能だという主張なのか,日本軍は補給潤沢で弾薬は十分にあったが,
戦闘以外の殺害は無駄だったから弾薬は使わなかったという話なのか。どっちだ。
はっきりしろや。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/24 18:00 投稿番号: [37975 / 41162]
>日中間ではユーゴやルワンダのような宗教的民族的文化的確執もないし、

そのかわり戦前、わしらは中国人のことをチャンコロと呼んで差別しておった。

>指揮系統がしっかりしている以上その手の行為は禁止されている以上ソ連軍や中国軍のような大規模な暴走も発生しようがないのだが。

さよう。
ソ連軍や中国軍の暴走は億単位で桁が違う。日本軍による虐殺が30万人としてもかわいいもんですな。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/24 17:24 投稿番号: [37974 / 41162]
>30万人殺す弾薬が物理的になかったという主張

南京に駐留した部隊では、と説明書きはちゃんとあるが

>捕虜を殺す弾薬は無駄玉だったから使わなかったという主張は根本的に違うだろうが。

やろうと思えば可能でしょうな。派兵の全軍集めれば。

>戦闘以外に弾薬は使わなかったという話になる。

軍人に限らず公務員が仕事以外に使えば公物横領ですけどね。

>どっちなんだい?

普通に日本語読めれば両方とも該当することが理解できると思いますけど。普通に日本語が読めればね。

>もう一度聞こう

派兵した部隊にはあるかもしれないが南京に駐留した部隊にはない、と言うお話ですね。

軍隊の結構な割合は実は非戦闘員=後方支援が任務とか、軍隊は必要がなければ一箇所にまとめない、とか言う超基本的な軍事知識が理解している前提ですが。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/24 17:14 投稿番号: [37973 / 41162]
>10万もを超す大兵力による   大量殺人は、十分に   可能だった。

軍隊のかなりの割合(近代軍隊では3,4割近く)が実は後方支援とかいう事実がなければ可能でしょうな。

ちなみに水滸伝において梁山泊の好漢108人+α中4割ほどが後方支援=10万もを超す大兵力による   大量殺人、とかいうやつの軍事的知識は水滸伝の作者(明の時代の人)以下となるのだがね。

つまり10万いれば普通戦う=虐殺に参加できるかずは7,6万でしかないと。

だいたい、いくら首都を攻略してもその周辺での戦闘や治安維持、追撃戦などがあるから南京に駐留している数はもっと少なくなる=そういう意味で中国に派兵している全軍をあわせれば可能かも知れないが、南京にいる部隊では不可能と言うお話ですが。

それとも十数万も軍隊を一箇所にわたり(基本的に軍隊は普段は複数個所にわけ、会戦時には一箇所に集まる=分進合撃が常套手段)数週間にわたって遊ばせていました・・・とか言い出すのでしょうかね。水滸伝の作者以下の軍事的知識の持ち主達は。

>殺せるほどの弾薬を   もっていなかった

で、仮に全軍入城長期駐留と言う軍事的に非常識なことしてし30万ほど殺せるほどの武器弾薬を持っていた=武器弾薬や当然、食料補給も十二分に受けられる状態だった、とするならばあなた方が主張するような食糧不足を理由に捕虜を虐殺する理由がなくなる=日本軍が大量虐殺する動機や原因がなくなるのだがね。

日中間ではユーゴやルワンダのような宗教的民族的文化的確執もないし、指揮系統がしっかりしている以上その手の行為は禁止されている以上ソ連軍や中国軍のような大規模な暴走も発生しようがないのだが。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 16:43 投稿番号: [37972 / 41162]
ぶれる事は無いよ、陸軍の会戦装備を知っているからね、脳死君。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/24 16:27 投稿番号: [37971 / 41162]
おーい。
ブレてるぜ。 30万人殺す弾薬が物理的になかったという主張と,捕虜を
殺す弾薬は無駄玉だったから使わなかったという主張は根本的に違うだろうが。
無駄な弾薬は使わなかったと言い出すなら,30万人だろうが1万人だろうが
戦闘以外に弾薬は使わなかったという話になる。それは「弾薬がないから物理的
に不可能」なる主張から完全に後退し,何のことはない,「皇軍は品行方正な
軍隊だから戦闘以外では殺さなかった」と言ってるのと同じだ。どっちなんだい?

もうひとつ,馬鹿ウヨお得意のセリフに,便衣兵の処刑は戦闘行為の延長だから
合法だってのがあるわな。合法の戦闘行為なら,おまえに言わせれば無駄玉では
ないのだから何発銃弾を使おうが構わんだろうが。どっちなんだい?

もう一度聞こう。日本軍は補給が貧弱で弾薬が足りなかったから虐殺は物理的に
不可能だという主張なのか,日本軍は補給潤沢で弾薬は十分にあったが,戦闘
以外の殺害は無駄だったから弾薬は使わなかったという話なのか。どっちだ。
はっきりしろや。

南京攻略に関する命令

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 16:12 投稿番号: [37970 / 41162]
南京城ノ攻略及入城二関スル注意事項
1 皇軍力外国ノ首都二入城スルハ有史以来ノ盛事ニシテ永ク竹帛二垂ルヘキ事績タルト世界ノ斉シク注目シアル大事件ナルニ鑑ミ正々堂々将来ノ模範タルヘキ心組ヲ以テ各部隊ノ乱入、友軍ノ相撃、不法行為等絶対二無カラシムルヲ要ス

2 部隊ノ軍紀風紀ヲ特二厳粛ニシ支那軍民ヲシテ皇軍ノ威武二敬仰帰服セシメ荷モ名誉ヲ毀損スルカ如キ行為ノ絶無ヲ期スルヲ要ス

3 別二示ス要図二基キ外国権益特二外交機関ニハ絶対二接近セサルハ固ヨリ外交団力設定ヲ提議シ我軍二拒否セラレタル中立地帯ニハ必要ノ外立入ヲ禁シ所要ノ地点二歩哨ヲ配置ス 又城外二於ケル中山陵其他革命ノ志士ノ墓及明孝陵ニハ立入ルコトヲ禁ス

4 入城部隊ハ師団長力特二選抜セルモノニシテ予メ注意事項特二城内外国権益ノ位置等ヲ徹底セシメ絶対二過誤ナキヲ期シ要スレハ歩哨ヲ配置ス

5 掠奪行為ヲナシ又不注意ト雖 火ヲ失スルモノハ厳罰ニ処ス 軍隊卜同時二多数ノ憲兵、補助憲兵ヲ入城セシメ不法行為ヲ摘発セシム

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/12/24 16:01 投稿番号: [37969 / 41162]
>少なくとも   日本政府の公式見解は、犠牲者数は認定できないが
日本軍により   多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは、
否定できない事実であるということで一貫して変わっていない。


外務省HPには、「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。」と掲載されている。

しかし、それについて民主党国会議員の河村たかし(現名古屋市長)が平成十八年六月十三日に次の質問を含む「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を提出した。
―――――
三   それにもかかわらず「非戦闘員の殺害は否定できない事実」という政府見解や、日本軍は市民や捕虜を殺害して国際的な非難を浴びたという教科書記述はいったい何を根拠としているのか。市民虐殺と捕虜虐殺があったと明確に記載されている、南京陥落当時の、既に検証された記録をご教示いただきたい。

四   旧日本軍兵士の聞き取り調査等により、南京大虐殺を行ったという証言を得たことはあるか。また、南京市民において、親族が虐殺されたといった類の証言ないし証言録を政府は取得したことがあるか。
―――――

上記の河村たかし議員の「質問主意書」に対して、政府(内閣総理大臣小泉純一郎)は、何一つ根拠、記録、証言、証言録を示すことが出来なかった。

つまり、外務省は、何一つ根拠、記録、証言、証言録がないにもかかわらず、HPに漠然と「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。」と書いているだけだったことが判明した。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 15:45 投稿番号: [37968 / 41162]
日本軍は会戦に充分な弾薬が有った、馬鹿の様に無駄打ちする弾薬は無かった。

近代の軍の装備や、当時の軍の装備で比較しても遜色は無い、今も三十萬人を殺すほどの弾薬を持った師団や軍は何処にも居ない。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 15:43 投稿番号: [37967 / 41162]
南京城内に入れた兵隊の数はほんの一部だけ、と言う事実を無視したいんだね、君は。

史実では城内に警備の為の兵隊しかいなかった。

Re: 日本軍には弾薬がなかったという珍説(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 15:41 投稿番号: [37966 / 41162]
日本軍の装備及び現代の米軍の装備を比較しても当時と殆ど変わらない、弾丸の口径が小さい分余計に持っているがね。

君は陸海軍の協力は無かったと言ったが実際には、協定を結んで協力をしていた。

日本軍には弾薬がなかったという珍説(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 15:41 投稿番号: [37965 / 41162]
日本軍は「戦闘には十分な弾薬」があるのに「捕虜を殺す」には
不足していたという、証拠もない虚言を   吐くヤツもいるらしい。
苦し紛れにしても、とんでもなく   マヌケな話だ。
戦争遂行には   十分だが、捕虜の殺害には   足りないなどという
理屈が   世間に通用すると   思っているのだから、嗤うほかない。

以前から   否定派は、敗残兵狩りを正当化するための理屈として
便衣兵は敵対行為を働くゲリラである、したがって   その殺害は
戦闘行為の延長である   などと主張するものが   少なくない。
敗残兵の殺害が   正当な戦闘行為であるという主張が正しければ、
一方で   「戦闘には十分な弾薬」   があったと言うのであるから
南京城内における   殺戮には、十分な量だったということになる。

そもそも   数万規模の中国防衛軍と長期の戦闘を行おうとしたら、
どれだけの銃弾が   必要となるのか、冷静に想像してみればよい。
いかに射撃に優れた兵士の銃弾であっても   百発百中ではない。
たとえば20万の南京防衛軍に対して、日本軍は   何発の銃弾を
必要としていた   と考えるのか。

30万人を殺害する程の弾薬もなくて戦争していたと言うのは、
当時の   中支那方面軍の総兵力さえも把握していない   珍論だ。
馬鹿馬鹿しい話だが、南京虐殺否定派の   論拠は、この程度だ。
このような連中を相手にして   まともに議論する必要などない。

「弾薬が30万人を殺せる程なかった」と言うならば、いったい
日本軍には   何発分の弾薬があったのか、それで   何人までなら
殺せたというのか。   まったく   話に   ならない。   このように、
彼らの理屈には   何ら具体的根拠が備わっていないことがわかる。

陸海軍協定

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 15:38 投稿番号: [37964 / 41162]
南京攻略戦に関する陸海軍協定

一.南京攻略作戦の為中支方面軍及び支那派遣艦隊は左の如く協定す

(1)中支方面軍は上海派遣軍を以て成るべく南京に近き地点で揚子江左岸地区に上陸し南京の背後より攻撃すると共に浦口鎮及び揚州付近に於いて津浦鉄道及び江北大運河を遮断す

(2)支那方面艦隊は第三艦隊の一部を以て揚子江水路啓開を促進し豁然江の上陸作戦に協力す

(3)以上の策戦の細部に関しては上海派遣軍と第三艦隊と直接協定す

二.航空作戦

(1)支那方面艦隊は陸戦協力の外航空兵力の大部分を以て常州蕪湖方面に進出せしめ中支方面の制空権を獲得す

(2)中支方面軍は飛行場の整備警戒補給に関し協力す

(3)陸戦協力の細目に関しては中支方面軍と支那方面艦隊との間に別に協定す

右協定す
昭和十二年十二月一日

      中支方面軍司令官    松井石根
      支那方面艦隊司令官   長谷川清

日本軍には弾薬がなかったという珍説(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 15:37 投稿番号: [37963 / 41162]
南京事件否定派の主張の中でも、これほどの珍説はないだろう。
日本軍は、30万人を殺せるほどの弾薬を   もっていなかった
という馬鹿げた話が、百万歩譲って   もし本当だと   仮定しても、
10万もを超す大兵力による   大量殺人は、十分に   可能だった。
十三師団山砲兵第十九連隊第三大隊に所属していた上等兵は、
陣中日記の中に   以下のとおり   記述している。

  拾二月拾六日   晴
   午后一時我が段列より二十名は残兵掃湯の目的にて馬風山
   方面 に向ふ 、二三日前捕慮せし支那兵の一部   五千名を
   揚子江の沿岸に連れ出し   機関銃を以て射殺す、
   其の后   銃剣にて   思う存分に突刺す、
   自分も此の時ばかりと憎き支那兵を三十人も突刺した事で
   あろう。
   山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは
   鬼をもひしがん勇気が出て   力一ぱいに突刺したり、
   うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も
   居る、   一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、
   こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった、(略)
   帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれて居た。
   (『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P350〜351)
 
機関銃を使用したうえ、死に切れない者を「思う存分に突刺」
したという記録だ。   刀で首も切ってみた、珍しい体験だった、
とも述べている。   このような   “珍しい体験”   をしたのが
この上等兵だけに   限ったことでないことは、数多の   証言や
記録からも   うかがい知ることができる。

次に、南京周辺で墜落した日本軍機搭乗員の   遺体捜索活動に
従事していた   海軍将校の記述を、以下に   引用しておこう。

   下関は、南京と揚子江の対岸にある浦ロとともに、交通の
   要衝であった。   浦ロは、私が上海着任直後に、最初に、
   爆撃したところでもあった。   下関には   かなり大規模な
   停車場と開源碼頭(波止場)があった。
   そこで、その付近を   見回っているうちに、陸軍部隊が  
   多数の中国人を   文字通り虐殺している現場を見た。(略)
   構内の広場に入って見ると両手を後ろ手に縛られた中国人
   十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、
   軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江に   投棄されていた。
   (奥宮正武『私の見た南京事件』より)

虐殺すべてが   上記のような軍刀や銃剣による殺害ではないが、
組織的に、相当手際よく   数日間にわたって   捕虜の刺殺が
行われたことを考えれば、仮に   弾薬が不足していたとしても
数千人   あるいは数万人単位の虐殺は、容易に   可能だった。

日本軍には弾薬がなかったという珍説(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 15:35 投稿番号: [37962 / 41162]
>>三十万を殺すだけの弾薬が無かった、又兵士も居なかった、物理的に不可能。
>貴殿の言われることが真実ならば、そのような貧弱な装備で南京まで攻め入ったことは無謀ということになりますな。

それは   珍論・奇談の類だ。   心底から嘲笑するほかないだろう。
南京侵略に投入された   日本軍の総兵力は   実に12万に達した。
その   12万もの大兵力が、一国の首都を攻略する戦闘において
30万人を殺害するだけの弾薬を有していなかった、と言うのだ。
南京虐殺はなかった   などと主張する者の「論拠」とは、つまり
その程度の   非現実的な妄想から   吐き出されているに過ぎない。

もしも、それが本当だとしたら、中支那方面軍は、無謀どころか、
深刻な妄想にとりつかれた   異常者の集団だった   ということだ。
南京攻略戦が、2〜3日で終了するような   戦闘ならば分かるが。
実際には、南京までの攻略戦は   上海戦以後の追撃戦の延長上に
長期間にわたり継続したのであり、膨大な武器弾薬が投入された。

なお、日中戦争期間中において   国民党政府が徴発した   兵士の
総数は、じつに   数百万人に達した   とされている。   このほかに
日本軍は、約15万6千人(1938年当時)の   共産党軍をも
相手にして   戦ったのだ。
戦地において弾薬がなければ、戦争の継続など   到底   不可能だ

そもそも、南京陥落後に、10万もの大兵力を   もってすれば、
すでに戦力を喪失した   敗残兵や   非戦闘員を   殺害するのに、
無駄な弾薬を   費やす必要などは   なかった。
仮に、10万の兵士が   平均で   1人あたり   数人程度の捕虜を
「処分」しただけで、数十万人規模の殺害は   容易に達成できる。

また、殺害のすべてに   弾薬を使ったとは   限らない。
十六師団歩兵第三十八連隊第一大隊の兵士の証言を引用しよう。

   「南京の   和平門に着いた。(略)   中にいた敗残兵が、次々と
   手を挙げて   出てきました。   大隊長は『切れ』   という仕草を
   して両手を振り下ろしました。」
   「命令ですので   みんなで   突き殺しました。」
  
投降してきた敗残兵を   銃剣で「突き殺す」のに、弾薬は   不要だ。
次に   第百十四師団歩兵六十六聯隊第一大隊戦闘詳報を引用する。

   (12月13日)
   午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
   左記
   イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ   其ノ方法ハ
   十数名ヲ捕縛シ   逐次銃殺シテハ如何   (中略)
   午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附キ意見ノ
   交換ヲナサシメタル結果、各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室
   ヨリ五十名宛連レ出シ、第一中隊ハ路営地南方谷地、
   第三中隊ハ路営地西南方凹地、第四中隊ハ露営地東南
   谷地付近ニ於テ刺殺セシムルコトトセリ   (中略)
   各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ   概ネ午後七時
   三十分刺殺ヲ終リ   聯隊ニ報告ス

この大隊は、連隊を通じた旅団命令に従って捕虜を殺害したこと、
中隊ごとに   捕虜を要所へ連行して「刺殺」   した事実がわかる。
刺殺であるから、もちろん弾薬の消費は   なかったことになる。

南京攻略命令

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 15:27 投稿番号: [37961 / 41162]
        中支方面軍司令官

軍司令官宛

中方参電第二六九号其一−−其二−−其三

中方作命第二五号十二月一日午後七時

一.中支方面軍は支那方面艦隊と協力し南京を攻略せんとす

二.上海派遣軍は十二月五日頃主力の行動を開始して重点を丹陽句容方面に保持し当面の敵を撃破して麿盤山山系西方地区に進出すべし
   一部は揚子江左岸地区より敵の背後を攻撃すると共に津浦鉄道及び江北大運河を遮断せしむべし

三.第十軍は十二月三日頃主力の行動を起こし一部を以て蕪湖方面より南京の背後に進出せしめ主力を以て当面の敵を撃破し漂水付近に進出すべし
   特に杭州方面に対し警戒すべし

四.両軍の作戦地境を左の如く延進す
   黄金山鎮−−天王寺十字路−−赤山

五.余は上海に在り   方面軍司令部は十二月七日蘇州に移る予定なり

            方面軍司令官
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