南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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Re: 731部隊の人体実験
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/11/11 00:13 投稿番号: [37363 / 41162]
米軍が資料を買い取った事実はありません、其の事実があれば、証拠プリーズ。
ドタマの悪い唐変木の嘘吐き君、証拠を御願いね。
これは メッセージ 37358 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 731部隊アメリカの対応
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/11/10 18:42 投稿番号: [37362 / 41162]
>BC部隊の調査官は、731部隊は攻撃用の兵器を作った形跡はないと報告している。
ごまかすのはやめようや。日本が攻撃用の細菌兵器を作った形跡はない(より
正確には、日本の細菌兵器研究はまだ限られたものであり、差し迫った軍事的脅威
ではない)というのは、まだ731部隊が明るみに出る前の大戦中(1941-1943)の
米国の調査報告だ。戦後のヒルレポートやフェルレポートには、731部隊関係者を
免責することを条件に日本で尋問した結果、細菌兵器の開発のために捕虜に対して
人体実験を行ったり、細菌兵器を中国人に対して用いたことが明確に書いてある。
公開された米軍資料には731部隊が人体実験をやった証拠がなかったとかいうのは、
ネットで流布しているネトウヨのうわさかな?低能のネトウヨが英文の資料を読む
とは思えないから、ネトウヨのHPにあるガセネタを手放しで信じちゃってるのかな?
おまえがリンクした
http://www.archives.gov/iwg/japanese-war-crimes/select-documents.pdfの冒頭に、これらの米軍資料の内容リストがあり、そこには
Japanese research and experiments in biological warfare (BW)
Japanese invetigation of biological warfare attacks in World War II
Japanese biological warfare experiments on living humans and animals
と書いてあるんだがね(藁
私も資料をひとつひとつ読む暇はないが、ざっと目を通しただけでも、上記の内容の
資料がいくらでもあるな。リンクが貼ってあるものだけいくつか出してやろう。
サイトの左上の矢印でスキャンしていくと、Sec1の35、36、39、40というのが
出るはずだ。本文では次の通り。
JWC 231/10 Nishimura [fnu] accusesYamaguchi, et al., of the dissection of “many prisoners
of Allied Forces at the outdoor dissecting ground of [Unit] No. 100 Army Corps at Hiainking,
Manchuria” and ofinfecting POWs with glanders [JWC 231 series].
Hiroshi UEKI accused Shiro ISHII of establishing “a large-scale human experiment
station” at Harbin where he “executed brutal experiments on many Allied POWs” [see
JWC 258/8a & 242/18].
Hisashi OKADA reports to CinCFE that bacteriological experiments were conducted on
POWs at the Infectious Disease Research Laboratory, Tokyo [JWC 258/18].
Ryoichi NAITO alleged that Ishii conducted BW experiments on POWs, and provided
names of Japanese scientists working with Ishii [see JWC 242/28].
これは メッセージ 37357 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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嘘ばっかりfukagawatohei (大笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/11/10 16:18 投稿番号: [37361 / 41162]
(下のような嘘を書きまくっておいて、あとは何を書いても、アウトさ、あほう!!)
嘘をついて(父親が死んだとまで書いて)、その嘘同士が矛盾を来たした。馬鹿だろう
(大笑
「結核が持病である自分の父親が徴兵された」との趣旨の投稿をしたから、「伝染病である結核が持病の人間が徴兵されることはない」と否定されて、次のような苦し紛れの逃げ口上を書いた。
>軍隊に入ってからすぐに広島にある「結核患者を専門に治療していた」
陸軍病院に「入院させられた」という事実から、おいらが親父の
結核は持病だったと表現しただけなんですけどね〜。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24475
投稿者:fukagawatohei
*注意:これが2008/ 7/ 8の記載である
次に「爆心地か近いところにあった陸軍病院で被爆した」と書いて、またまた、「結核専門病院は爆心地の近くにはなかった」事実を突きつけられて、
>おいらの親父が入院したのは爆心地から1〜1.5kmくらいのところに
あった広島陸軍病院だよ。
結核患者が必ずしも、結核専門の病院に入れられるとは限らないんだよ。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24782 投稿者:fukagawatohei
*注意:これは2008/ 7/24 である
と書いた。2週間の間に複数の相手と「嘘のやり取り」をしている内に、その場限りの「嘘」同士が、完全に、矛盾した。
入院したのが「結核専門病院であり」同時に「結核専門病院ではない」ことになってしまった。
両方とも嘘だからこうなった。
オカシカッタのは、この「嘘同士の矛盾」を、何回も突きつけられて、本人がなかなかワカラナカッタことである。
嘘ばっかり書いているから、頭が嘘になってしまったのである
(大笑
それ以来、fukagawatoheiは、嘘が「バレタラバレタ時ノコト」と開き直って投稿するようになった。
だから、新しい相手とやり取りを始めても、直ぐ突っ込まれて行き詰まり、あとは悪口雑言ばっかり、と云うザマになっている。
ここ数年間、ずーっと、その調子である。
嘘がばれる前提で嘘を書き続ける。止められない。
やっぱり、完全に、fukagawatoheは狂人なのである。
これは メッセージ 37356 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 731部隊の人体実験
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/11/10 16:11 投稿番号: [37360 / 41162]
>頭が腐っているんだろうなぁ〜、日本悪しでの〜>
安愚楽牧場、大王製紙、オリンパス、その他諸々。
悪人を見ても、見て見ぬ振りをするのが、日本人ってか。
そういう田舎者がいるから、日本がどんどん腐っていく。
ikuyo_kuruyo オメ〜のこっちゃ、ボケ!
これは メッセージ 37359 (konoyo_anoyo さん)への返信です.
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Re: 731部隊の人体実験
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/11/10 15:17 投稿番号: [37359 / 41162]
つまり、有ったて事が証明出来ない深川トー辺ボク。
米国軍の残虐さは素知らぬふりのトー辺ボク。
頭が腐っているんだろうなぁ〜、日本悪しでの〜。
これは メッセージ 37358 (fukagawatohei さん)への返信です.
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731部隊の人体実験
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/11/10 14:27 投稿番号: [37358 / 41162]
>つまり、アメリカが持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく
云々>
アメリカが大金をはたいて731部隊から買い取った人体実験の
資料を公開すわけないだろ〜が。
おまえ、ほんと〜にドタマ悪いな〜っ!
これは メッセージ 37354 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: 731部隊アメリカの対応
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/11/10 10:53 投稿番号: [37357 / 41162]
これは メッセージ 37356 (fukagawatohei さん)への返信です.
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731部隊アメリカの対応
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/11/10 09:53 投稿番号: [37356 / 41162]
米司法省、旧731部隊員の入国を禁止
日本政府は、第二次世界大戦中に日本軍が中国で行った残虐行為を一般国民の目から隠してきた。学校で使用される教科書にも当時のことについてはあまり触れられていない。
その結果、「特に戦後生まれの若い世代は、戦時中の残虐行為についてほとんど無知であり、そのためにその罪や日本の戦争犯罪を世界がどう見ているかということを理解してはいない」とは、ウィリアム・トリプレットの言葉である(『ワシントン・ポスト』紙、3/23/1997)。
日本国民がトリプレットの分析を認めるかどうかは別として、この分析は多かれ少なかれ的を射ていると思う。米国の学校教育がコロンブスを英雄としてあがめ、コロンブスが実際にはインディアンの征服者であることを教えないのと同様に、日本政府は日本の恥ずべき行為を国民の目から隠してきたからである。
しかし、最近になって日本の731部隊による中国大陸における残虐行為が世界に広く知れ渡ることになった。米司法省が昨年12月に旧日本軍関係者16名の入国を禁止したことで、世界に対して日本の戦争犯罪を正式に非難したためである。
米司法省の特別調査事務所(OSI)は1979年の設立以来、ナチス・ドイツ関係者のみを対象とし、これまで約7万人を入国禁止のリストに入れてきた。
日本人をそのリストに加えたのは今回が初めてで、その内12人が731部隊関係者、残りの4人は従軍慰安婦の関係者であるという。
トリプレットは、「日本人をこの入国禁止リストに加えたのは、日本の戦争犯罪者に対して戦後初めて米国政府が公式にとった措置である」と述べている。
これは メッセージ 37354 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: 南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/11/09 22:49 投稿番号: [37355 / 41162]
>こうした記録からもわかるとおり、焼却されずに
軍幹部が
隠し持つなどして
残った書類も相当数あったと考えられる。
そうした
一例として、第十一軍総司令官
岡村寧次大将が
南京事件について受けた報告に関する記録が
残っている。
以下に「岡村寧次大将陣中感想録」
を、例示しておこう。
38年7月13日のこと
として、以下の
記述がある。
>「中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田
少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは
従来
派遣軍第一線は給養困難を名として
俘虜の多くは之を殺す
の悪弊あり、南京攻略戦に於て
約四、五万に上る大殺戮、
市民に対する掠奪、強姦多数なりしは
事実なるか如し」
●『岡村寧次大将回想録』に収録されている「岡村寧次大将陣中感想録」という資料は、【終戦後戦地(支那)に於て抜粋摘記せられたもの】
つまり、日記等の当時の記録そのものではなく、戦後、支那において国民党軍によって拘束されているときに抜粋・適記したと述べられている。
その間、岡村寧次は、蒋介石に厚遇され、蒋介石との個人的なコネにより戦犯として処刑されることを免れている。
『岡村寧次大将回想録』に収録されている「岡村寧次大将陣中感想録」という資料は、蒋介石の意を受けて、国民党の宣伝戦略に合致するように書かれたモノと考えられる。
実際に、帰国後、岡村寧次は「白団」を組織して1949年から長年にわたり蒋介石の国民党政権に協力した。
―――――――
岡村は中国政府、殊に蒋総統、国防部上層諸将軍の終始一貫の好意は、真に感謝に堪えず、戦犯に服役している二百数十名の旧部下の内地服役の実現に努めると共に、病癒えたならば壮年時代からの宿志でもあり、日中の提携に身を投じようと心にかたく誓っている。
・・・
・・・・帰国後、岡村大将は、蒋介石総統の要請を容れ、政治・経済的な問題を抜きにして、ただ終戦時の恩義に報いるという名目で、昭和二五年(一九五〇)二月、富田直亮少将を長とする十九名の陸軍参謀を台湾に送った。「白団」と称せられるこの軍事顧問団は、以後十五年間続き、団員の数ほ延八十三名に達した。
舩木繁著『支那派遣軍総司令官岡村寧次大将』
―――――――
蒋介石は、岡村寧次にとって自分や部下たちの命の恩人であり、岡村寧次が恩を仇で返す支那人みたいな真似も出来ない。
●『岡村寧次大将回想録』は、『岡村寧次大将資料』回想編の原資料
●『岡村寧次大将資料』は、1966年に岡村寧次大将が死んだ後、1970年に出版
宮崎参謀、原田少将、萩原中佐等より聴取する所に依れば、
1.俘虜を殺す悪弊があった
2.南京攻略時に約四、五万の大殺戮があった
3.市民に対する掠奪・強姦が多数あった
ことは事実なるが如し(事実であったようだ)、・・・
↑
↑
↑
●南京戦当時、岡村大将は南京には居なかったので、後から宮崎、原田、萩原の3人に話を聴いたが、俘虜を約四、五万殺戮した、とは書かれていないし、ましてや、市民を不法に殺害したという認識は全くなし
●1947年3月10日の日記が『岡村寧次大将資料』の前半部にあるが、第六師団の谷中将は「ほとんど罪のない方を代表して」処刑された、と記されている
1970年出版の後半回想編第四編「武漢攻略前後」において、第六師団(谷中将)を「南京攻撃戦で前科のある師団」としている
1954年編纂の『岡村寧次大将回想録』では、武漢入城に際して第六師団其の他に強姦事件二、三件発生し、一汚点を印するに至りたるは遺憾なり、と述べている
このように「二、三件」の強姦事件を「汚点」と嘆く岡村大将が、武漢入城に際して第六師団を投入したということは、仮に岡村大将が本当に第六師団のことを「南京攻撃戦で前科のある師団」と思っていたとしても、せいぜいその程度
武漢入城に際して「二、三件」の強姦事件が判明した経緯は、被害者を保護した外人宣教師の告訴によるものだったので、南京安全区国際委員会による日本大使館への抗議と同じ手口かもしれないので事実かどうか疑わしい
これは メッセージ 37330 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/11/09 22:47 投稿番号: [37354 / 41162]
>しかし、石井隊長は
保身のために、隊員にあれほど厳重に
秘匿を言い渡したにもかかわらず、密かに
隠し持っていた
「七三一関係資料」
を米軍に提供した。
米軍は
資料の
価値の大きさを測って、石井以下幹部の
免罪嘆願に及ぶ。
裁判にかければ、731部隊の技術情報が
ソ連側に流れる。
その可能性を危惧したのだ。かくて、同部隊の実態は隠された。
2007年1月18日、米国立公文書館は、731部隊が満州で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開しましたが、何か(・0・)?
2007年1月18日、米国立公文書館は、731部隊が満州で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。
この時、石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡したことを裏付ける最高機密文書も明らかになった。
ところが、731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全くなかった。
文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だった。
ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に構成された記録作業部会(IWG)は、「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も探したが、証拠は見つからなかった。
奉天(瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが、「当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。
つまり、アメリカが持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われたことは全て嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
これは メッセージ 37326 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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: 強制連行モアシュビッツも嘘だ?
投稿者: nanja3231 投稿日時: 2011/11/07 10:53 投稿番号: [37353 / 41162]
ついでに教えておくけどアウシュビッツにおいて、ドイツが使用したというシアン化合物ガスの反応は全く無く、ガス室と呼ばれる場所では使用されてない。と「ロイヒター・レポート」で証明されてるな。
また、アウシュビッツ解放時の遺体検死結果も毒ガスによる死亡者は0、一体これでどうガス室があったと主張出来るのか聞いてみたいな。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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: 強制連行モアシュビッツも嘘だ?
投稿者: nanja3231 投稿日時: 2011/11/07 10:38 投稿番号: [37352 / 41162]
ほれ、日本で裁判までおこしてあるのに妄想ね(呆)
.
:元慰安婦の1人文玉珠は、1992年、慰安婦時代の2年半の間に貯めた郵便貯金2万6145円の返還請求訴訟を行ったが、日韓基本条約
に付随する日韓請求権並びに経済協力協定で解決済みとされ敗訴した。裁判で明らかにされたところによると、26,245円の貯金から5,000円を朝鮮の実家に送っていたという
.
因みに当時の陸軍大臣が年収4000円くらいの時代な♪
郵便貯金の通帳もあったしこれが妄想かい?
サヨクは目ついてるかい?
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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: 強制連行モアシュビッツも嘘だ?
投稿者: nanja3231 投稿日時: 2011/11/07 10:24 投稿番号: [37351 / 41162]
アウシュビッツのガス室とユダヤ人が主張するものを見たことあるが扉が木製だったぞ♪
気密出来ない部屋をガス室って言われてもなぁ(呆)
ついでにアウシュビッツは否定してないぞ♪
ユダヤ人の言う虐殺収容所三ヶ所で六百万人虐殺が嘘だって言ってるだけで。
ホントだって言うなら六百万人の死体はどこに行ったか説明してくれよ。
死体をどう処理したんだ?
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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強制連行は嘘だな♪
投稿者: nanja3231 投稿日時: 2011/11/07 07:47 投稿番号: [37349 / 41162]
>日本軍の強制連行と慰安所設営は日本政府も認め世界も非難している常識でも日本には何時までもグダグダ言い訳をして認めたくない連中は未だ相当いる、
.
強制連行されたのに、陸軍大臣より慰安婦が稼いでいたけど、強制連行して大金払うっておかしいと思えないほどアンタアホなの?
.
>独逸にもナチスのユダヤ人強制連行と虐殺を認めない連中がいるが極めて少数だ。
.
六百万人アウシュビッツで虐殺は嘘でしょ♪アウシュビッツにガス室があったってのも嘘
べつにナチスがユダヤ人を迫害したのは否定しないが、嘘を嘘と主張するのは正しいと思うけどな。
ついでにこの手の主張はドイツではなく、アメリカが主流だぜ。ドイツじゃハーケンクロイツ持ってるだけで犯罪扱いされるからそんな奴等は殆ど存在出来ない。むしろアメリカ人がナチスを擁護してるんだがね♪
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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日本軍の慰安婦強制連行と慰安所設営は嘘か
投稿者: oldninja7 投稿日時: 2011/11/07 07:30 投稿番号: [37348 / 41162]
これは メッセージ 37281 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/37348.html
あれ?
投稿者: nanja3231 投稿日時: 2011/11/07 06:55 投稿番号: [37347 / 41162]
アカ罪ちゃん、これなんだが
.
>そうした 一例として、第十一軍総司令官 岡村寧次大将が
南京事件について受けた報告に関する記録が 残っている。
以下に「岡村寧次大将陣中感想録」 を、例示しておこう。
38年7月13日のこと として、以下の 記述がある。
.
肝心の第十一軍って38年7月に新編されたばっかりの部隊なのに、なんで南京大虐殺の報告してるの?(大爆笑)
つうか、新編部隊の司令官として6月に就任、7月から部隊として行動せにゃならない時期に、なんで関係のない南京事件の報告してる訳?(大爆笑)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/37347.html
アカ済みちゃんの妄想
投稿者: nanja3231 投稿日時: 2011/11/07 03:02 投稿番号: [37346 / 41162]
>たとえば 虐殺、強姦、強奪などの 蛮行事件に
かかわるものを、徹底して 隠蔽されたことは、間違いない。
.
いや、中隊レベルまでに拡散した命令書類は隠蔽不可能だから(大爆笑)
.
>しかし、限られた期間に 軍の書類すべてを 処分するのは
できなかったはずだ。
.
そう思うのならその命令書類をだせば?
.
> 事実、公文書の 最重要書類が、
軍の 焼却指示にもかかわらず、所轄の軍将校が 隠匿し、
GHQの追求から逃れた という記録が 残されている。
.
記録が残ってるなら隠蔽出来てないやんけ(大爆笑)
そもそも記録があるならそれを出せ(大爆笑)
大概なアホだな♪アカ済みちゃんは♪
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/37346.html
Re: 南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/11/07 01:51 投稿番号: [37345 / 41162]
>冒頭
拙文で述べた
つまりそれを大義名分にして自分の怠慢や無能さを誤魔化そうとすると。
もっと資料が少ない時代や地域、分野でも必死で調べている歴史の研究家がいると言うのに何という言い草でしょうね。
その程度で人様のせきにんにしてぎゃぎゃ喚くくらいならばそいうのをやめた方がいいと思いますよ。
>虐殺、強姦、強奪などの
蛮行事件に
かかわるものを、徹底して
隠蔽されたことは、間違いない。
命令した人物はともかく学術的に見て書類を隠ぺいや処分しただけで事件や実績を消せると思いているのでしょうかね。この御仁は。
だとしたらそもそも書類どころか文字すらない時代を調査している考古学者は商売あがったりですな。
>軍幹部が隠し持つなどして
残った書類も相当数あったと考えられる
私は貴方と違って最初からそい言っておりますが、いくら隠蔽処分命令してもちゃんと証拠となるものは残りますよ。ですからそういうのを調べたらいかがですか?と。
で、先程から貴方はどう言う理由だか事情だかあるかは知りませんがそれを見つけられないだか調べられないだかの理由を「日本軍が隠蔽処分したからだ」と必死でしているだけど。
他人のせいにするのはどうなんでしょうね。
これは メッセージ 37330 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/37345.html
Re: 南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/11/07 01:29 投稿番号: [37344 / 41162]
>敗戦の直後、日本軍が
大量の「機密」
処分を命令していた
つまり、敗戦時の混乱で必要書類すべてを処分できたと。
しかも日本国内だけならまだしも東・東南アジアの広範囲に渡って展開している、場合によっては壊滅してその余裕すらない状況なのに・・・と。流石無敵の皇軍様ですね。
で、繰り返すが書類の処分どこう以前にそんな軍隊にどうやったら勝てるのかお教え願いたいものだが。
かりに残っていて少しでも残っている上で”解明を困難”だと言うのは単に当人が資料の解析や読解に向いていないか、まともに読んでいないか、都合もいいものが見つからないからいっているだけにすぎませんね。
繰り返しになりますがこんな駄文書いている暇があるのでしたら資料の解析や読解、探索に時間を費やした方がいいですよ。
これは メッセージ 37327 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/11/07 01:24 投稿番号: [37343 / 41162]
これは メッセージ 37326 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の解明を困難にした売国奴達
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/11/06 23:40 投稿番号: [37342 / 41162]
南京大虐殺の証拠を示すことが出来ない、中国政府の馬鹿さ加減。
和田罪は、中国共産党の尻馬に乗って、自国日本を貶めている犯罪者。
これは メッセージ 37326 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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◆南京大虐殺という醜悪なる歴史の捏造
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 21:18 投稿番号: [37341 / 41162]
南京攻略した日本軍の先兵の記述によると、国民党軍は戦闘を放棄し、南京市内で略奪の限りを尽くす中国兵士たち。
当時の中国軍には、「占領されるくらいなら何もかも破壊してしまえ」との考えがあったそうで、南京以外にも日本軍が攻め込む前に村ごと焼き払って敗走した事が何度もあったそうです。
南京市民から略奪した後は、国民党軍の殆どが敗走し、一部が奪い取った衣服を身にまとい国際法に抵触する便衣兵となって、日本軍が占領したあとも散発的なゲリラ行為を続けてたそうです。
こうして、便衣兵を処分したのですが、それも武装解除してから市街追放する程度で、当時の「処分」=「処刑」とは違うわけです。
勿論抵抗した便衣兵やそれに疑われた人物がその場で射殺されたこともあるでしょうが、南京での死亡者の殆どがこの類であり、その数は決して多くはなかったのです。(抵抗する捕虜や便衣兵の殺害は戦場においては正当なる行為です)
当時の記録でも日本軍が南京を占領してから数万単位で人口が増加してる事実。
非常に危険だった中国大陸においては、国民党軍が治めてる地域よりも日本軍が治めている南京の方が安全と判断したからこその人口増なんですよね。
追記
日本軍が攻めてくるというのに、これから攻められる南京城に逃げ込む馬鹿がどこにいるというのでしょうか。
安全な山や草の生い茂った野原に逃げ込んで身を隠すに決まっているでしょう。
国民党軍にしても共産軍にしてもゲリラ戦術を取っていたんですから真正面から戦闘を挑んでくる訳がないのです。
南京市の人口20万人の中の中国軍のほとんどが我さきに逃げ出して、南京城はほとんど空っぽだったと考えるのが当然だし、それが歴史の真実だったでしょう。
石井松根大将らの南京入場の映像からもそれは伺い知ることが出来るのです。
そして日本軍が撤退した3ヶ月後に、人口が25万人へと5万人も増えたのは周辺の町から南京城へ避難した人たちによって膨らんだからに違いないのです。
何故ならば、安全区以外にいる一般中国市民は、日本のスパイとみなされて共産軍によって虐殺されるかもしれないからです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑨
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 21:15 投稿番号: [37340 / 41162]
都新聞の小池秋羊記者は、こう述べています。「食糧がなく飢餓状態で、食糧をくれ、とわれわれにすがりつく人もいました。私たちの宿舎には発見された米が何俵もありましたので、難民区のリーダーを宿舎に連れていき、米や副食品などを大八車二台分やりました」
南京の病院で勤務していたアメリカ人、ジェームズ・マッカラム医師は1937年12月29日の日記にこう書いています。「(安全区に入ってきた日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。若干のたいへん愉快な日本兵がいました。私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました」(東京裁判
速記録210)
さらに、こう書いています。「12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横断して集まるのを目撃しました。あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分された米を携帯して帰って来ました」。「日本人の善行を一つ報告しなければならない。とても気持ちのよい日本人が最近病院にやってきた。彼らに患者の食料の不足を告げたところ、きょう、百斤の豆と牛肉を持ってきてくれた。この一ヵ月というもの肉は食べられなかったので、この贈り物は大歓迎だ。他に欲しいものはないかと言ってくれた」(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p263)
また南京戦により、12月13日の南京陥落からしばらくは、南京市街は水道も電気もとまり、夜は真っ暗といった状態でした。しかし翌年1月元旦から南京全市に、電燈がともり、水道がよみがえりました。1938年1月3日付の朝日新聞によると、電気については日本人技術将校以下80名と中国人電工70名の協力、また水道も同様に150名の編成で、不眠不休で取り組んだ結果であるといいます。また1月3日には、多くの南京市民が日の丸と中国の五色旗を振り、市街で「南京自治政府」(リーダーは中国人)の発足を祝っています。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑧
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 21:14 投稿番号: [37339 / 41162]
市民・捕虜と日本兵の交流・温情
南京を占領した日本兵たちの、市民や捕虜に対する態度は実際はどのようなものだったのでしょうか。以下は彼らの証言です。
「敵の大軍は、わが軍のために完全に撃破されました。見れば、幾十となく敵の死体がころがっております。中にはまだ虫の息でうねっておる者さえおります。これを見られた隊長が、『苦しいか、今、薬をやるぞ』と何かやられますと、一兵士は目を開けて、『水、水』と、かすれた声で哀願しました。誰かが水を飲ませてやりますと、両手を合わせ涙をたたえ、『謝、謝』(シェーシェー)と伏し拝みました。……今までにわが中隊では幾十人となく、敵兵を救い、郷里に帰してやりました。その中には中隊のために骨身を惜しまず、弾丸下もものともせず、じつに勇敢によく働いた者もたくさんあります。そして彼らが郷里に送り帰される時は、別れを惜しんで泣いて別れるのでした」(歩兵第47連隊:大分
第2中隊
伍長S・S)(『1937南京攻略戦の真実p.165)
「(南京への途上)露営のとき、私は道路の警戒を命ぜられました。特に監視すべき方向はこの方向と道路上をさすと、指したところに忽然と姑娘が現われて、窈窕(ようちょう)たる姿態が楚々(そそ)として、この方に来るじゃありませんか。誰だって面食らいます。……『日本の兵隊さんね』、流暢な日本語なんです。年の頃27、8、聞いてみると、上海から逃げてきたけれど、皆殺されたり、はぐれたりして、これは支那軍のほうにいると危ないと思い、やってきたという。
『日本語はどこで覚えた』と聞くと、『長崎に4年、活水女学校を卒業して、上海の日本人書店に雇われていた』と言います。……いろいろ調べられるけれども、くさいところは無いらしい。ちょうど中隊に通訳がいなくて何かと不自由していたこととて、通訳代わりに使うことにしましたが、炊事をさせると日本人の味の好みを心得て、乙なところをみせる。所帯慣れしているから、兵隊に程良く愛嬌を振りまく。皆で大切にしたものです。
ときには宵待草(よいまちぐさ)や、荒城の月を聞かせてくれました。毎日の行軍も宿営も楽しみでした。……しかし、南京へ南京への猛追撃に、我々に伍して行けるはずがない。中隊長殿が見かねて上海の方へ帰されたが、その日の行軍のけだるいこと、道の遠いこと、足の重いこと、皆考え込んでしまっていました。
『おい、きついなあ』『うん』。返事も上っすべり。誰かが思い出し風に、『変なこと言いっこなしよ、皆兄弟じゃないか』と彼女の口真似をすれば、とたんに爆笑がわいたものです」(歩兵第13連隊:熊本
第11中隊
歩兵曹長K・S)(同p.190-192)
「私が洗面していると、前にきて頭をぴょこんと下げ、『兵隊さん、おやよう』とはっきりした日本語で、支那人から挨拶されました。不審に思ってよく聞くと、『大阪に18年間いました』という。……(彼の相談に乗ってあげると)彼は一時間ばかりして喜んで戻ってきました。そして言うことには、『家族も安心しました。長男が27歳になっていますが、長男も日本語が上手に話せます。皆の者に「日本軍が来たからもう安心しておれ」と、言ってきました』と、いかにも落ち着いたものです。齢は50歳くらいでしたが、達者な男で、南京攻撃、安慶上陸から漢口攻略まで、1年3ヶ月の間、日本軍のため忠実につとめ、大きな功績を残して行きました」(第2野戦病院
T・Y)(同)
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑦
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 21:13 投稿番号: [37338 / 41162]
日本兵による悪事の証言の信憑性
ところで、日本兵たちの犯した犯罪について、虐殺肯定派がしばしば引用するのが、松岡 環著『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて』です。この本には、日本兵が中国で犯してきたという数々の非道な行ないが、102名の元・兵士の証言の形で書かれています。しかしこの本に関し、亜細亜大学の東中野修道教授はこう批判しています。
「百二名の兵士はみな『匿名』『仮名』なのである。……誰が証言内容に責任を持つのか。証言内容が真実かどうか第三者的に検証できないようでは、客観的報道、客観的記録とは言いがたい。……百歩譲って『証言』が事実だとしても、彼らの多くは憲兵の目を逃れて軍紀違反の違法行為を繰り返しながら処罰を免れてきた悪運強き戦争犯罪人でしかなかったことを明らかにしただけなのである」(『諸君』平成十四年十一月号)。
また歩兵第33連隊第5中隊の第1小隊長だった市川治平氏は、この本をこう評しています。
「本当にばかばかしい本です。私のところに聞き取りには来ませんでしたが、元気な2人の戦友に尋ねたら、2人にも来なかったと言っています。まともな話をする人には行かないようです。確かに予備役には悪い事をする人もいましたが、この本をざっと読んだところ、強姦などの話は、創作8割、本当2割でしょう」(「正論」平成14(2002)年11月号
阿羅健一著「南京戦・元兵士102人の証言」のデタラメさ)
また、アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』にも引用されている田所耕三という人物は、南京陥落後約10日間にわたって、殺人と強姦を行ったと述べています(『アサヒ芸能』昭和四十六年一月二十八日号)。ところが、竹本忠雄教授(筑波大学)、大原康男教授(国学院大学)によれば、彼の所属する部隊は陥落2日後の12月15日には南京から転進していて、この人物が10日間も南京に残留したはずがありません。実際彼自身、のちに取材に応じて「記者が何かおもしろいことはないかと聞いてきたので、あることないことを喋ったんだ」と、この発言自体の信憑性を否定しています。
また曽根一夫という人物は「手記」を出版し、そのなかで南京戦と南京陥落後の虐殺事件の実行と、目撃談を書いている(『続・私記南京虐殺』など)。しかし、この人物は手記のなかで自らを歩兵の分隊長と称しているが、実際は砲兵の初年兵でした。また、入城式には彼の属する部隊の一部が参加しただけで、部隊そのものは南京城内に入ってもいません。従って、彼が書いているような虐殺を南京やその近郊で見ることも実行することも不可能であったのです。南京戦中、行動をともにした戦友もそうした虐殺行為を目撃・実行することはあり得ないと証言しています。つまり、曽根の「手記」そのものがまったくの創作だったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑥
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 21:12 投稿番号: [37337 / 41162]
虐殺はなかったとする証言
当時の南京を実際に知る多くの人々は、南京で「虐殺はなかった」と証言しています。
たとえば、南京の日本大使館で働いていた外交官補の福田篤泰(ふくだ・とくやす)氏は、日本軍による南京占領の当時を振り返って、こう語っています。「日本軍に悪いところがあったことも事実である。しかし20万、30万の虐殺はおろか千単位の虐殺も絶対にない。……いわば衆人環視の中である。そんなこと(虐殺)などしたら、それこそ大問題だ。絶対にウソである。宣伝謀略である」(田中正明『南京虐殺の虚構』35-37頁)
日本軍と共に南京に入った東京日日新聞の金沢喜雄カメラマンは、こう語っています。「私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たことがなければ、兵隊から聞いたこともありません。虐殺があったなんて、あり得ないことです。死体はたくさん見ています。敗残兵がたくさんいましたし、戦争だから撃ち殺したり、殺して川に流したことはあるでしょう。しかしそれは、南京へ行く途中、クリークで何度も見ている死体と同じですよ」(阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』p.42)
東京日日新聞の佐藤振寿カメラマンも、こう語っています。「虐殺は見ていません。12月16、7日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。また多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集ってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません」(同p.53)
福岡日日新聞の三苫(みとま)幹之介記者には、お嬢さんが一人おり、南京には家族で赴任していたので、お嬢さんは1年生から5年生まで南京の日本人小学校に通っていました。彼女に南京大虐殺のことを来てみると、こういう答えでした。「そんな話は全然聞いたことがありません。あちらでは近所の支那人の子供ともよく遊びましたが、彼らからもそのような噂すら聞きませんでした」(同p.138-141)
歩兵第13連隊(熊本)第4中隊のU中尉はこう語っています。「抗州湾上陸以来、私は(中国の)女たちが、墨や油や泥を顔や手足に塗り、ことさらに臭気を放つようなボロをまとって、わが軍の入城を迎えるのを知っております。彼女らは、なるべく醜悪に見えるように努めていました。……日本の兵隊は支那の軍閥の兵隊とは全然素質が違うのだ、ということが了解できると、それから徐々に生地を出し始める。黒い顔が白くなり、汚い服がきれいな服に変わるのであります。南京の難民地区でも、私はやはりそうした女の移り変わる姿を見ることができました」(東中野修道『1937南京攻略戦の真実』p.124)
南京攻略戦に参加した野砲兵第22連隊長・三国直福大佐は、こう証言しています。「昭和13年8月にまた南京に戻ってきました。この時も虐殺があったという話は聞いていません。もう日本人の商人もたくさん来ていました。南京の街は朗らかでした。町の人とも親しく話しましたが、その時も、中国人からそんな話(虐殺)を聞いた記憶はありませんでした」
第十軍参謀・谷田勇(たにだ・いさむ)大佐は、こう証言しています。「(昭和13年11月以降、私が担当していた課は、支那復興のため)南京での経済指導を行なうので、寸暇もないほど多忙であった。したがって課長以下、日中官民と接触して、これを理解し、かつ中支那の風物に親炙(しんしゃ)する機会がはななだ多くなっていった。この時、中国官民と親交を重ねたが、たとえ酒食の席においても南京虐殺に関する話を聞くことはなかった」
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑤
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 20:57 投稿番号: [37336 / 41162]
捕虜は虐殺されなかった
一方、虐殺肯定派がよく引用するものに、第16師団長・中島今朝吾(なかじま・けさご)の日記があります。とくに12月13日に捕虜にした7000〜8000人の中国兵についての次の記述です。
「この7000〜8000人、これを片づけるには相当大きな壕がいるが、なかなか見当たらない。一案として100人、200人などに分割してのち、適当な箇所に誘って処理する予定だ」(現代文に修正)
つまり、この大量の捕虜を殺害して壕に埋めてしまおう、という処理予定を考えたともとれる内容です。当時はたしかに、ただでさえ食糧の調達など大変でしたから、このような大量の捕虜を一体どうしたらいいのか、ということは確かに大問題でした。それで、中にはこうした考えを持つ者もいたようです。
けれども、中島日記をみても、彼ら捕虜を実際に殺害したという記述はありません。また当時の日本軍の記録をみると、この7000〜8000人の捕虜は結局殺害されず、捕虜収容所に送られたことがわかるのです。当時の膨大な資料の集大成である『南京戦史』(偕行社)は、様々な資料を引用し、こう結論しています。
「これらを総合すると、堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことは明らかである」(P324)
また資料によれば、当時南京の捕虜収容所は、これら7200人の捕虜を含む、計1万人ほどの捕虜を受け入れたとなっています。彼らの多くは、そののち釈放され、故郷に帰されました。あるいは苦力(クーリー)として労役に雇われた者も多く、また後に上海の捕虜収容所に移送された者もいました。
さらに、そのうち約2000名は、のちに汪兆銘の親日政権の南京政府軍に編入されました。その中に、劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将もいました。彼は南京安全区に潜んでいたところを摘発され、しばらく苦力として使われていましたが、1940年に南京に成立した汪兆銘政府において和平救国軍の軍長となった人です。
また中島今朝吾・師団長の言葉の中に「大体捕虜はせぬ方針なれば」というのがあったことが、よく指摘されます。実際、大量の捕虜をかかえこむことは大変なだけですから、捕虜は少ないほうがいいわけですが、「捕虜はせぬ方針」について、大西 一 参謀はこう述べています。
「それは、銃器を取りあげ釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」 (「正論」61.5 阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)
さらに大西参謀は軍命令、師団命令で捕虜殺害命令など絶対に出ていない、と断言しています。資料をみても、捕虜殺害の記録はありません。また支那事変当時の日本の新聞にも、釈放されて故郷に帰る中国兵たちが荷物を持ち、ニコニコ顔で写真におさまっている姿などが載っています。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造④
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 20:56 投稿番号: [37335 / 41162]
日本軍が南京に達する以前に、蒋介石は、すでに早々と南京から脱出していました。また南京防衛をまかされた唐生智将軍も、敗北色濃くなったとき、敵前逃亡して南京から出てしまいました。残された中国兵らには混乱が走りましたが、敗戦が決定的となったとき、中国兵らには3つの選択肢がありました。
一つは、降伏することです。降伏すれば「捕虜」として扱われることになります。
二つ目は、南京から逃げ出すことです。そのとき、日本軍に殺されるかもしれません。また中国には、「督戦隊」というものがありました。これは戦いを督促する中国人部隊で、背後にいて、戦場から逃げ出す中国兵を見つけると撃ち殺す兵士たちなのです。逃げる中国兵を撃ち殺す中国兵です。そんな非人間的な部隊が、中国にはありました。ですから、南京から逃げ出そうものなら、彼らに撃ち殺されるかもしれません。
実際に、中国督戦隊に撃ち殺された中国兵たちが多くいました。ダーディン記者は、南京城壁の北側の門において、高さ1メートル半にも積み重なって小山を形成していた中国兵の死体を目撃しています。これは日本軍が殺した中国兵ではなく、中国督戦隊に殺された中国兵だったのです。なぜならダーディン記者は戦後、こう語っています。
「これは、この門から脱出しようとした中国兵の死骸です。中国兵はあちらこちらで城壁によじのぼり、脱出を試みました。これらの死体の山は、日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この地域で(日本軍の)戦闘はありませんでした」(1987年8月14日のインタビュー、質問者は笠原十九司、伊原陽子。『南京事件資料集
アメリカ関係資料編』P571
青木書店)
つまり、それは中国督戦隊によって殺された中国兵らの死骸だったのです。
そして中国兵に残された三つ目の道は、軍服を脱ぎ捨て、民間人に扮して、安全区の中に身を隠すことでした。少なからぬ兵士たちがこの道を選びました。
そのため日本軍は、南京占領後、この民間人に扮した中国兵たちの掃討作戦を行ないました。そして次々に摘発しましたが、武器を隠し持っているなど危険な中国兵たちは、発見されると、処刑されました。市街戦の準備とみなされたのです。その数は数千人に達しました。
問題は、これが国際法上、合法か否かです。しかし、こうした不法な戦闘員の処刑はどこの国でも慣習的に行なわれていたことであり、また「ハーグ陸戦法規」(1907年)にも定められていたことで、明らかに合法的でした。つまり、兵士は明確に兵士とわかるよう軍服を着用しなければならず、また武器は隠さず公然と携帯しなければならないのです。
その法規を守らなければ、捕らえられても「捕虜」としての保護は受けられません。法を守らない者は、法の保護を受けられないのです。彼らは「不法戦闘員」として扱われ、処刑されても仕方ないというのが国際法上の理解でした。こうした点で、数千人の「不法戦闘員」の処刑は、「捕虜の処刑」でも「捕虜の虐殺」でもなく、合法的なものだったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造③
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 20:56 投稿番号: [37334 / 41162]
軍服を脱ぎ捨て民間人に化けた中国兵たち
捕虜の虐殺はあったか、という問題について見てみましょう。
この問題をみるために、まず、中国兵とはどんな兵士たちだったか、についてみてみたいと思います。中国兵は、じつは国際法感覚のほとんどない兵士たちでした。
多くの日本兵たちが「軍服を着ていない中国兵」たちを目撃しています。
たとえば橋本以行(はしもと・もちつら)氏は、南京攻略戦の最中、揚子江岸で見た中国兵たちについて、「小銃や機銃を大事に携行していても、正規兵の服装をした者は一人も見当たらない」(証言による『南京戦史』10、130頁)と語っています。また彼ら揚子江岸の中国兵らは、降伏勧告にも応えず、戦闘を続けたので、日本軍は攻撃を続行。中国兵はジャンク舟に乗って逃げようともしましたが、多くは溺死し、遺体は下流の揚子江岸にうち上げられました。
その写真が残っていますが、この写真がのちに虐殺肯定派の人々によって「南京大虐殺の証拠写真」として使われました。しかしそれは戦死体だったのです。
また南京の城壁内で、ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は、「軍服を一斉に脱ぎ捨てる中国兵たち」に出くわしています。
「私は一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃したが、それは滑稽といってよいほどの光景であった。多くの兵士は下関へ向かって進む途中で軍服を脱いだ。小路に走りこんで便衣(民間人の普通の服)に着替えてくる者もあった。中には素っ裸になって一般市民の衣服をはぎ取っている兵士もいた」(ニューヨーク・タイムズ
1937年12月22日付)
また南京陥落後、南京城壁内へ入った日本兵たちもみな、この「脱ぎ捨てられた中国兵の軍服」が街路の至るところに散乱しているのを目撃しています。彼ら中国兵は、民間人になりすますために、軍服を脱ぎ捨て、民間人の服に着替えたのです。民間人の服を盗む者もいれば、民間人を撃ち殺して衣服をはぎ取る者も多くいました(南京のジェームズ・エスピー副領事の報告)。
このように軍服を脱ぎ捨てて民間人に扮した中国兵が死んだとき、その死体は、死体だけを見た者には「民間人の虐殺死体」に見えたでしょう。ですから、こうした中国兵の行動は、日本軍の側に多くの誤解を生じさせる元となったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造②
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 20:55 投稿番号: [37333 / 41162]
南京入城に際し、新聞記者たちも同行
南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入りました。その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じていません。
アメリカのパラマウント・ニュースも、南京占領の記録映画をつくっていますが、その中に「30万人大虐殺」は報じられていません。また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面をみると、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されています。これが一体「大虐殺」のあったという都市の光景でしょうか。
また南京で実際にどのようなことがあったか、日本の当時の新聞を閲覧してみても、よくわかります。そこには、日本兵が武器も携帯せずに南京市民から買い物をする姿、南京市民と歓談する光景、日の丸の腕章をつけて微笑む南京市民の姿などが、写真入りで解説されています。また、平和回復を知って南京に戻ってくる住民、中国の負傷兵を手当する日本の衛生兵たち、再び農地を耕し始めた農民たち、そのほか多くの写真が記事と共に掲載されています。
それは平和が戻り、再び以前の生活を取り戻し始めた南京市民と、日本兵たちの心と心の交流の姿なのです。当時、報道は「検閲」の下に置かれていたとはいっても、これらは到底「大虐殺」があったという都市の光景ではありません。
蒋介石は一度も「南京大虐殺」に言及せず
中国国民党の総統・蒋介石は、もともと南京にいた人です。しかし彼は、日本軍が攻めてきたことを知ると、南京の防衛はさっさと部下にまかせて、南京を出てしまいました。そののち終戦に至るまで、蒋介石は中国人民向けに何百回ものラジオ演説を行なっています。ところが、その中で彼はただの一度も、「南京で大虐殺があった」等のことは言っていません。もし大虐殺があったのなら、これは非常に不自然なことです。蒋介石の認識の中にも「南京大虐殺」はなかったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造①
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 20:55 投稿番号: [37332 / 41162]
1937年12月、日本軍は支那事変を終結させるため、南京へ侵攻。12月13日にそこを占領しました。いわゆる「南京大虐殺」とは、その占領から約6週間の間に数十万人単位の人間(市民や捕虜)が日本軍によって南京で虐殺されたとする説です。中国共産党が公式に述べてきたものとしては、その数30万人。中国にある南京大虐殺記念館の外壁には、大きな文字で「300,000」の数が、犠牲者数として掲げられています。
この「南京大虐殺」は、日本でも戦後、共産党員や共産主義シンパなどを中心に広められ、そののち多くの人々を巻き込み、教科書にまで書かれ、日本人の「自虐史観」の根底に置かれてきました。しかし今日では、このような30万人もの大虐殺は実際にはなかったことが、多くの証拠によって明らかになっています。
日本兵たちによるある程度の犯罪はありました。しかし、それはどこの国の軍隊にもある程度のものであり、むしろ南京での日本軍の活動をみてみると、非常に人道的なもののほうが多く目につきます。
日本軍が南京を占領したとき、中国兵の多くは軍服を脱ぎ捨て、民間人に化けて南京の安全区に逃げ込みました。そのため日本軍は、掃討作戦を行なわなければなりませんでした。日本軍は彼らを見つけだしたとき、武器を隠し持っているなど特に反抗的な不法戦闘員数千名を処刑しました。国際法では、こうした不法戦闘員は「捕虜」としての扱いを受けることができず、処刑されても致し方ないとされているからです。こうした不法戦闘員の処刑が、誤って「捕虜の虐殺」と伝えられた面があります。
また安全区に逃げ込んだ中国兵の中には、日本軍になかなか捕まらず、民間人に化けて安全区内で強姦や、略奪、殺人などを行ない、それを日本兵のしわざに見せかけたり、あるいは被害者を脅迫して「日本兵が犯人」と言わせるなど、反日工作を繰り返していた者たちがいました。こうした反日工作により、あたかも日本兵が残虐の数々を繰り返していたかのように伝えられた面があります。
そうした事情はありますが、いわゆる「南京大虐殺」はなかったのです。以下、その証拠をみてみましょう。
南京に戻ってきた住民
南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう。しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えているのです。もし「虐殺」があったのなら、人々が戻ってきたりするでしょうか。
日本軍の南京への攻撃開始の約1週間前の1937年11月28日に、警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表しています。そののち日本軍は12月13日に南京を占領しました。それから5日後、12月18日には、南京国際委員会(南京の住民が集まっていた安全区を管轄する委員会)が人口「20万人」と発表しています。また12月21日には、南京外国人会が「南京の20万市民」に言及、さらに南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、国際委員会が人口「25万人」に増えたと公表しているのです。
住民が戻ってきました。上智大学の渡部昇一教授によると、南京陥落から1ヶ月後に日本軍が約「25万人」の住民に食糧を配ったとの記録も残っています。
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コピペ頑張っ(嘲笑)
投稿者: nanja3231 投稿日時: 2011/11/06 19:54 投稿番号: [37331 / 41162]
アカの中でも反論すら出来ないよね♪
アカ済みちゃん♪
まぁ、賢いのかな?
アカって戦後どれだけ虐殺したか知ってりゃね♪
そりゃコピペ全開だよな♪
いやいや、賢い賢い、まともにやれば勝てないけど、コピペなら書いたやつに言えって逃げれるから(大爆笑)
反論してみ?(嘲笑)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/06 19:50 投稿番号: [37330 / 41162]
冒頭
拙文で述べた
「敗戦時に
軍部も政府も
責任の
追及を恐れて、証拠湮滅のために
多くの関係書類を処分
した」
というのは
当方の創作ではなく、提示したとおり
すでに
発見された資料や
証言などで
証明されている
覆せない
歴史的事実なのだ。
もちろん、「書類すべてを処分」
した
などとは、誰も
言っていない。
日本軍にとって
非常に都合の悪いもの、
たとえば
戦争犯罪、国際法違反に問われるような
証拠を
隠滅するうえで
必要な重要書類を、組織を挙げて
処分した
のであり、たとえば
虐殺、強姦、強奪などの
蛮行事件に
かかわるものを、徹底して
隠蔽されたことは、間違いない。
しかし、限られた期間に
軍の書類すべてを
処分するのは
できなかったはずだ。
事実、公文書の
最重要書類が、
軍の
焼却指示にもかかわらず、所轄の軍将校が
隠匿し、
GHQの追求から逃れた
という記録が
残されている。
例えば、防衛研究所戦史部が
保管している
『大陸命』に
付せられた『経歴票』
には、次のように
記されている。
「昭和20年8月14日大東亜戦争終戦に方り陸軍一般に
保管書類焼却の指令が出されたが、第二課〔参謀本部作戦
課〕においては
本大陸命綴のみは
焼却せず、庶務将校
椎名典義中尉が都内某所に隠匿し、第一復員省(局)史実
調査部(資料整理部)編成に伴い、占領米軍の公私に亘る
一般資料追及の監視を避けて
部長宮崎周一中将が自宅に
保管した。〔中略〕
昭和21年12月宮崎中将退職に伴い後任部長服部卓四郎
大佐が
保管を継承し、同大佐は
占領時代終了を待って
正統戦争史の本格的編纂にあたるためこれを自宅に保管した。
同大佐の『大東亜戦争全史』
の著述にあたりては
これが
利用された。」
こうした記録からもわかるとおり、焼却されずに
軍幹部が
隠し持つなどして
残った書類も相当数あったと考えられる。
そうした
一例として、第十一軍総司令官
岡村寧次大将が
南京事件について受けた報告に関する記録が
残っている。
以下に「岡村寧次大将陣中感想録」
を、例示しておこう。
38年7月13日のこと
として、以下の
記述がある。
「中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田
少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは
従来
派遣軍第一線は給養困難を名として
俘虜の多くは之を殺す
の悪弊あり、南京攻略戦に於て
約四、五万に上る大殺戮、
市民に対する掠奪、強姦多数なりしは
事実なるか如し」
この記録史料の表紙には、「一切転載並公表を禁ず」
という
ただし書きが
付されている。
敗戦直後の徹底した文書焼却が、軍や政府の犯罪への関与を
立証する上での
大きな困難点になっていることは
事実だ。
こうした現実を
踏まえれば、かつての軍国政府を
免罪し、
戦争を美化しようとする
勢力が、犠牲になった人々に対し
「証拠を示せ」
などと、声高に
がなりたてることが、
いかに卑怯な態度か、理性のある者なら
理解できるだろう。
これは メッセージ 37329 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/06 19:47 投稿番号: [37329 / 41162]
市町村に対する
兵事書類の全国一斉焼却命令
だけでなく、
軍機に関係する書類の処分が
敗戦直後に
組織的行われた。
吉田裕著『現代歴史学と戦争責任』(青木書店97年)には
「敗戦前後における公文書の焼却と隠蔽」(P127〜141)の章で
書類の焼却処分のことが
詳しく
書かれている。
その中には
たとえば、敗戦当時、官房文書課事務官だった
大山正が
「内務省の文書を
全部焼くようにという命令が
でまして、後になってどういう人にどういう迷惑がかかるか
判らないから選択なしに全部燃やせということで、内務省の
裏庭で三日三晩、えんえんと夜空を焦がして燃やしました」
と
回想している。
また、処分されず
残った記録資料も
進駐してきた米軍に
押収されたため、軍関係資料は
ほとんど
残らなかった。
兵士個人が
隠し持っていたものや、米国との協定に基づき
返還を受けて
防衛省が保管しているもの
などしかない。
戦闘詳報については、ウイキペディアの解説を
引用すると、
「敗戦により
文書焼却命令が下った際、戦闘詳報も多くが
焼かれたが、海軍では
人事局功績調査部が
山梨県韮崎に
疎開させた物と、海軍省が
神奈川県大倉山に保管していた
物は焼却を免れ、後者は進駐軍の命で
押収となり、前者も
東京への移送中に
進駐軍に押収された」
となっている。
こうしたことが、南京事件や従軍慰安婦、細菌兵器開発や
占領地での強制動員など、日本軍による残虐行為の実態を
解明するうえで
大きな障壁となり、さらには「南京事件
は無かった」
などという否定論が
日本国内の
一部で
臆面もなく
振り回される要因の一つ
となっている。
慰安婦に関しては
たとえば
歴史学者の秦郁彦氏は
著書
『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)
で
次のように書いている。
「軍は有史いらい
初めての敗戦に動転したのか、終戦の日に
重要書類の大部分を燃やした。戦犯裁判の
材料にされるのを
恐れたから
とされるが、選別の余裕もないままに、人事記録
まで処分してしまう。
そのため、講和後に
軍人恩給が復活
したとき、裁定に困惑した。
しかたなく、履歴がない軍人・
軍属には
申請書に同一部隊の戦友二名の証明を添付すること
で間に合わせた。
部隊行動の記録はあるので、それと照合
して計算したのである。看護婦も類似の手法で処理している。」
「しかし慰安婦の場合は、身分が軍人でも軍属でもないため
公的書類がない。
業者があちこちからかき集めてきた例が
多いので、女性同士のつながりもなく、戦友会的な組織もない。
源氏名を名のっていたので、同じ慰安所に起居した仲間同士
でも、本名や出身地を覚えてないのが普通だった」
「慰安婦だった事実だけでも、立証困難な例が
多いから、
彼女たちが
数十年の歳月を経て
記憶だけを頼りに語る
『身の上話』
は 雲をつかむようなものばかりである。」
やはり、軍による
証拠書類の大量処分は、戦時下において
発生した
さまざまな問題の
実態を解明するうえで、
大きな障害となってしまったことが
理解できる。
しかし、焼却から免れ、押収後に返還された
貴重な資料も
防衛研究所図書館などに保存されている。
困難な作業だが、
それらを検証し、戦争の実相を解明する努力を続けるべきだ。
これは メッセージ 37328 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/06 19:44 投稿番号: [37328 / 41162]
最近、鳥取市の
鳥取県立公文書館で、敗戦の際に
日本軍が
自治体に出した
徴兵関係書類の焼却命令を記録した
メモが
確認された。
同県日野郡二部村(現・西伯郡伯耆町)
の
「兵事動員ニ関スル日誌」
の1945年8月15日
の項に
はさまっていたのだ。
軍の焼却命令を伝える文書は
珍しく、
軍部による
指示の具体的内容を知るうえで
貴重な資料だ。
メモは、はがき大の紙に「連隊区司令部ヨリノ通知」
として、
「現在入営並ニ応召者ノ名簿丈ケヲ残シ其他ノ兵事関係書類ヲ
全部至急焼去スル事」
などと書かれていた。
末尾には赤字で
「二部駐在所
津島巡査」
とあり、当時、
村の駐在所に勤務していた巡査(故人)が軍部からの命令を
書き取り、村役場に渡したものとみられる。
召集令状の回収・焼却なども
指示されており、その内容は
日誌にも
転記されていた。
日誌の翌16日午前の項には、
「関係一切ノ焼去ヲ実施ス」との記述があり、軍の命令通り
焼却が行われたとみられる。
防衛省防衛研究所戦史部の
柴田武彦・主任研究官によると、
敗戦時の軍の焼却命令は、痕跡を残さないよう密かに出され、
命令を伝える文書自体が
焼却の対象だった
という。
軍から自治体に対する命令も
同様の扱いだった
とみられる。
メモが
はさまっていた日誌は、37年7月22日から45年
11月24日まで、村民の出征先や戦死場所など召集に係わる
出来事を
564丁(丁は表裏2面のとじこみ)
にわたって
記録している。
柴田氏は
「村は
日誌を残すべき名簿類に
含むと判断したのではないか」
と推測し、その日誌の中に
はさまっていたため、メモが偶然
残ったとみる。
二部村の人口は
当時、2千数百人。
約400人が出征し、
48人が戦死した。
日誌には37年10、11月、記録上
最初の戦死者2人が出た時、知事が弔問に訪れ、約800人が
参列し
村葬が行われたことや、敗戦直前の45年6月13日、
「未ダ兵籍編入ノ年令ニ至ラザル者」
に令状が届くなど、
動員システムに
混乱があったことなどが
書かれている。
焼却命令のメモだけでなく、当時の
召集の実態を記録した
資料の発見もまれで、県立公文書館の伊藤康・総括専門員は
「召集令状が役場に届いてから本人に通知されるまでの過程が
分刻みで書かれるなど、村が戦争に巻き込まれていく様子が
目に浮かぶようだ」
と話している。
戦前、全国の市町村役場には「兵事係」
が置かれ、兵役や
招集など戦時対応に係る
兵事関係書類が
存在していた。
東海大の
山本和重教授(軍隊社会史)によると、現存する
兵事関係書類は、全国で
わずかに
約20町村分だという。
それは、敗戦直後に
陸軍などの命令で
全国の役場などで
一斉に
焼却処分されたためだ。
これは メッセージ 37327 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/06 19:42 投稿番号: [37327 / 41162]
敗戦の直後、日本軍が
大量の「機密」
処分を命令していた
事実が、近年
米国で公開された
資料からも浮かび上がった。
外交上不利益になる
公文書の焼却などを指示する
日本軍の
暗号通信を、米側が傍受して
解読した記録で、
林博史関東学院大教授が
米国立公文書館で入手したものだ。
これは、米陸軍省が
大戦中に解読した日本軍の暗号通信を
要約して
関係部門に配っていた
速報のうちの
一つだ。
資料によると、指示は
45年8月15日午前0時に始まった。
「ご真影や連隊旗、天皇の手によって書かれた
書類を集め、
部隊指揮官は
崇拝の念をもって
焼却せよ――」
と、
陸軍省が
主な野戦司令部に
命令していたのだ。
玉音放送が敗戦を告げた
同日午後には、「陸軍の機密文書と
重要書類は、保持している者が焼却せよ」
と命令を
追加。
翌16日、海軍省軍務局長が
主な指揮官に向けて、
「敵の手に落ちたとしても、帝国にとって
外交上不利に
ならないもの」
を例示し、捕虜のリストや
死亡記録は
保持するように指示し、暗に
ほかの文書の処分を求めた。
前線に近い部隊になるにつれ、処分対象の指示は具体的に
なった。
同月20日、上海にある
支那方面艦隊は、
将校の登録簿や勤務経歴を
「即座に焼却せよ」
とした。
戦争責任を追及される際、誰がどこに配属されていたかが
分からないようにするため
とみられる。
インドネシアの
海軍第23根拠地隊は
8月24日、
「化学戦用機材」
や、残酷兵器として
ハーグ会議で
使用禁止が宣言されていた「ダムダム弾」
の処分を命じた。
戦後、国際的な批判にさらされることを
恐れたようだ。
軍にとって
何が都合悪いかを
冷静に識別し、組織的に
処分したことが
こうした記録などからも
明確に判る。
敗戦直後から
こうした命令が出されていたという事実を
裏付ける
貴重な証言がある。
一つだけ
紹介しよう。
最近、渓流社から出版された
吉田敏浩著
「赤紙と徴兵
105歳 最後の兵事係の証言から」
には、滋賀県大郷村
(現・長浜市)の
元兵事係、西邑仁平さんの
告発内容が
収録されている。
「焼却命令には合点がいきませんでした。村からは多くの
戦没者が出ています。これを処分してしまったら、戦争に
征かれた人の労苦や功績が無になってしまう、遺族の方に
申し訳ない、と思ったんです」
警察や進駐軍による
家宅捜索への
不安の毎日。
妻にさえ打ち明けることができなかった。
100歳を超え、ようやく
公開に踏み切った。
村人に毎日のように赤紙(召集令状)を届け続けた兵事係、
西邑仁平さん(昨年105歳で死亡)
は、敗戦の時、
軍から24時間以内の焼却命令が
出ていたのに背き、
命がけで
大量の兵事書類を
残した。
戦前の徴兵制の運用の詳しい実態が
焼却せずに残した
兵事書類を通じて
明らかにされた
貴重な本だと思う。
これは メッセージ 37326 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/06 19:39 投稿番号: [37326 / 41162]
南京事件などの
全容解明を困難にしている要因の一つに、
敗戦時に
軍が多くの書類を
焼却するなど処分したことが
挙げられる。
かろうじて処分を免れた
断片的な資料から
事件の実相に迫るしか
手段がない
というのが
現状だ。
この点については前述したが、ある書き込みで
可笑しな
「反論」らしきものがあった。
拙文と併せ再掲してみよう。
>敗戦時に
軍部も政府も
責任の追及を恐れて、
>証拠湮滅のために
多くの関係書類を処分した
これに対する
「反論」
は、次のような
書き込みだ。
>敗戦時の混乱で必要書類すべてを処分できたと(中略)
>そんな軍隊にどうやったら勝てるのかお教え願いたい
いかにも
典型的な南京事件否定派の、面白い迷文だ
と思う。
「多くの関係書類を処分」を、「書類すべてを処分」
へと
すり替えたのは、意識的なのか
読解力がないだけの曲解かは
分からないが、どちらにしても
文の意味が変わってしまう。
確かに、軍が
書類すべてを処分することは、難しいだろう。
だが、事件に関わる重要な証拠書類を処分するのは
可能だ。
事実として、重要部分は
失われているのが
実状だ。
あらためて、日本軍による
証拠隠匿のために行なった
敗戦直後の
書類湮滅に関して論じておくことにしよう。
事実、敗戦決定から
撤退あるいは占領軍進駐までの期間に
多くの書類を焼却処分した
という記録や証言が
存在する。
たとえば、細菌兵器の
開発にあたっていた
731部隊も
例外ではない。
同部隊の施設が現在も中国に残されており、
本部棟や
ボイラー室の煙突、レンガ塀など、破壊を免れた
建物の一部が、「世界文化遺産」
として
保存されている。
この建物は
一部破壊されているが、破壊したのは中国軍や
旧ソ連軍ではなく、じつは
日本軍自身が
破壊したものだ。
敗戦が迫り、ソ連軍が
間近に迫ったとき、731部隊員は、
ソ連軍に証拠をつかまれて
戦争犯罪に問われることを恐れ、
ボイラー室で
証拠書類を焼却し、さらに
逃亡する際には
石井隊長の命令によって
施設を爆破していったのだ。
ボイラー棟の煙突は
もともと3本あったが、爆破により
1本は倒れ、現在は2本が残る。なお、このボイラー室から
隊全体に給湯され、セントラルヒーティング
が整っていた。
当時としては豪華な設備だが、隊員の生活のためというより、
ペスト、コレラなど細菌を培養するために必要だったという。
撤収に当たり、石井隊長は隊員に
以下の命令を下していた。
①七三一部隊に在籍した事実の秘匿、
②公職復帰への禁止、
③隊員相互の連絡の禁止
隊員たちは
戦後、混迷を極めながらも
この命令を守った。
だが
進駐軍は、同部隊の調査を
進めていく中で、
石井隊長以下
幹部たちの所在を
突き止めるに至った。
極東軍事裁判で
ソ連は、彼らの取り調べと処刑を要求した。
しかし、石井隊長は
保身のために、隊員にあれほど厳重に
秘匿を言い渡したにもかかわらず、密かに
隠し持っていた
「七三一関係資料」
を米軍に提供した。
米軍は
資料の
価値の大きさを測って、石井以下幹部の
免罪嘆願に及ぶ。
裁判にかければ、731部隊の技術情報が
ソ連側に流れる。
その可能性を危惧したのだ。かくて、同部隊の実態は隠された。
これは メッセージ 37309 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/37326.html
◆虐殺論者(ワダツミ)の嘘・捏造③
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 18:48 投稿番号: [37325 / 41162]
「隠された連隊史」という本を、共産党「赤旗」の下里正樹という記者が書いております。
これには私の属しました福知山歩兵第20連隊のことが書かれています。
大体、共産党の機関紙の記者が書いたものですから、内容は読まずとも知れたものですが、私の連隊のことを書いているものですから読んでみますと、よくもまぁこれだけ大ウソを書けたものだと思うくらいのものです。
イ、「歩兵第20連隊では兵士が上官の指揮を批判し、命令に反抗し、将校はひたすら兵に迎合して兵の非行も黙認し、部隊内には下克上の空気蔓延し、将校の権威も指導力も全く零であった」
私は第20連隊の中隊長として、兵士の機嫌を取らねばならない等と、思った事さえ1度もありません。
常に部下の兵士と共に、お互いが信頼しあって戦ってきたのです。
その結果もう半世紀も経った今もなお、当時の戦友会が毎年開かれているのです。
来月の7日にも、私の中隊の戦友会が京都府の綾部で行われますが、例年のごとく、「隊長殿、是非出席して下さい」と招待されております。
将校が兵士の機嫌を取らねばならなかった軍隊で、そんなことが続けられるのでしょうか?
また私が十数年前に大病で下関で入院したことがありますが、当時の部下の多くは京都府に住んでいるのですが誰かれ言うとも無く、
「隊長殿がひどい病気だ」
ということで、知らぬ間に多額の見舞い金を送ってくれました。
私はベッドで感激の涙にむせんだ事でした。
将校と下士官・兵の心が離れていたならば、こんなことはあり得ないと思います。
これは私の場合だけではなく、中隊長と中隊の兵士の気持ちがしっかりと結ばれていなければ、激戦を戦い抜くということは出来ないのです。
ロ、「日露戦争の際、歩兵第28連隊(北海道旭川)の兵2千人が捕虜になり、戦後恥ずかしくて日本には帰らず、ハワイに移住した者もある」
これもまた、ものを知らずに書いたにしてもあまりにひどいじゃないか、というものです。
1個連隊は約3千人ですが、そのうち2千人が捕虜になったなどということはあり得ないことです。
私に言わせれば、下里正樹は「私はウソを書いております」と、自分で白状しているようなものであります。
「天に向かってツバをする」とはこの事でしょう。
以上は
『南京攻略戦の大隊指揮官真相を語る』
―
謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ―
「南京大虐殺」はなかった
より引用
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/37325.html
◆虐殺論者(ワダツミ)の嘘・捏造②
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/06 18:47 投稿番号: [37324 / 41162]
(2)次に、戦後に参戦者の手記、日記、インタビュー等から、盛んに「虐殺」を言っている記事で、その取材の仕方が全く偏向したものである例を挙げます。
まず、第一に、取材する相手に、虐殺を証言する人間しか選ばないという点があります。
虐殺を否定すると思われる人には取材をしません。
そればかりか取材をすると何とかデッチあげてでも虐殺に仕立てるという事を致します。
場合によっては、証言を意図的に歪曲し、時には正反対の解釈をして、証言者がそんなことは言ってない、と憤慨(ふんがい)している例もあります。
また、証言者が、
「中隊の軍紀は非常に厳正でありました。」
などと証言しても、そんなことは一切取り上げようとしません。
自分の取材意図に合ってさえいれば、証言内容が明瞭(めいりょう)なウソであると判っていても、そのまま記事にしております。
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮買ったものであると、読者が抗議しています。
また森村誠一の「続・悪魔の飽食」に、日露戦争当時の伝染病による死体写真を今次大戦の関東軍の虐殺の証拠写真としていつわって掲載しているのを、読者よりの指摘抗議によって暴かれたのは有名な話です。
そのような記事について、
「そんなことはあり得ないことである」
と反論されても、無視し、認めないか、言を左右にしてうやむやにするのが、彼らの常套手段(じょうとうしゅだん)なのです。
都城連隊関係者が、朝日新聞に対して名誉毀損の抗議訴訟を起こして朝日が敗訴した件、京都新聞の無責任な記事に対する歩兵20連隊第3中隊の抗議に対する態度、また「平和のための京都の戦争展」の朝日新聞の記事に対し私が抗議しましたが全く無回答、これが新聞の態度です。
全く礼儀知らずと言うほかありません。
さらに、偏向的時後取材により「南京大虐殺」を盛んに主張する例を挙げます。
朝日新聞の本多勝一という記者が「中国の旅」という本を書いています。
これは彼が戦後・満州・中国に行って、日本人がそんなに悪い事をしたかを中国人に取材して、全く無批判に鵜呑みにして書いたものですが、その内の南京関係の例をあげてみましょう。
イ、姜根福の証言。
日本軍は南京城北の燕子磯で10万人くらい機関銃で射殺した。
紫金山で2千人を生き埋めにした。
あるいは軍用犬に中国人を襲わせ、その人肉を食わせた。城内で20万人を虐殺、死体を積み上げて石油をかけて焼いた。
ロ、伍長徳の証言。
南京戦直後、日本兵に銃剣で肩を刺されたが逃げ、揚子江に飛び込んで、日が暮れるまで水中に隠れていた。日本軍は逮捕した青年を高圧線にぶら下げてあぶり殺し、工業用硝酸をかけて殺した。
ハ、李秀英(女性)の証言。
日本兵に強姦されそうになり抵抗、その銃剣を奪って格闘して追い払った。しかし37ヶ所も刺されて気絶していたのを、親族の者達に助けられた。
2千人を生き埋めにするための労力と時間と穴の大きさは、どれ程のものであったのでしょうか?
軍用犬に人を襲わせて、その肉を食わせるなどという馬鹿なことがあり得るのでしょうか?
石油や工業用硝酸を、戦場でいつ、どこで入手したのでしょうか?
揚子江は確かに冬でも凍りはしませんが、12月の揚子江に飛び込んで、首だけ出していて一体日が暮れるまで我慢できるのでしょうか?
高圧線に、どうやって人間を吊り下げるのでしょうか?
当時の日本兵は現役バリバリで士気も高く、女性と格闘して銃剣を奪われ、尻尾を巻いて逃げ出すような情けない兵士がいる訳がありません。
37ヶ所も刺されて失神した者が、また蘇生するなどという事があり得るでしょうか?
どれ1つ取ってもすぐウソだと判る事ばかりです。
それを本多勝一記者は、「なるほど、ごもっともです」とそのまま本にしているのです。
本多記者については、
「朝日の中には、本多君に対して良くない感情を持っている人が沢山いる」という事を朝日新聞の同僚の記者が言っていますし、又石原慎太郎氏は平成3(1991)年の「文藝春秋」に、
「朝日には本多という奇妙な性格の記者がいて、盛んに南京虐殺のことを書く」と言っております。
本多勝一記者は、
「日本の子弟に国際性を持たせるため、南京大虐殺の教育を徹底させる必要がある」と言っています。
私は売国奴、何を血迷ったか、妄語断じて許すべからずと、憤(いきどお)りに駆られます。
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