南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/06 19:42 投稿番号: [37327 / 41162]
敗戦の直後、日本軍が
大量の「機密」
処分を命令していた
事実が、近年 米国で公開された 資料からも浮かび上がった。
外交上不利益になる 公文書の焼却などを指示する 日本軍の
暗号通信を、米側が傍受して 解読した記録で、
林博史関東学院大教授が 米国立公文書館で入手したものだ。
これは、米陸軍省が 大戦中に解読した日本軍の暗号通信を
要約して 関係部門に配っていた 速報のうちの 一つだ。
資料によると、指示は 45年8月15日午前0時に始まった。
「ご真影や連隊旗、天皇の手によって書かれた 書類を集め、
部隊指揮官は 崇拝の念をもって 焼却せよ――」 と、
陸軍省が 主な野戦司令部に 命令していたのだ。
玉音放送が敗戦を告げた 同日午後には、「陸軍の機密文書と
重要書類は、保持している者が焼却せよ」 と命令を 追加。
翌16日、海軍省軍務局長が 主な指揮官に向けて、
「敵の手に落ちたとしても、帝国にとって 外交上不利に
ならないもの」 を例示し、捕虜のリストや 死亡記録は
保持するように指示し、暗に ほかの文書の処分を求めた。
前線に近い部隊になるにつれ、処分対象の指示は具体的に
なった。 同月20日、上海にある 支那方面艦隊は、
将校の登録簿や勤務経歴を 「即座に焼却せよ」 とした。
戦争責任を追及される際、誰がどこに配属されていたかが
分からないようにするため とみられる。
インドネシアの 海軍第23根拠地隊は 8月24日、
「化学戦用機材」 や、残酷兵器として ハーグ会議で
使用禁止が宣言されていた「ダムダム弾」 の処分を命じた。
戦後、国際的な批判にさらされることを 恐れたようだ。
軍にとって 何が都合悪いかを 冷静に識別し、組織的に
処分したことが こうした記録などからも 明確に判る。
敗戦直後から こうした命令が出されていたという事実を
裏付ける 貴重な証言がある。 一つだけ 紹介しよう。
最近、渓流社から出版された 吉田敏浩著 「赤紙と徴兵
105歳 最後の兵事係の証言から」 には、滋賀県大郷村
(現・長浜市)の 元兵事係、西邑仁平さんの 告発内容が
収録されている。
「焼却命令には合点がいきませんでした。村からは多くの
戦没者が出ています。これを処分してしまったら、戦争に
征かれた人の労苦や功績が無になってしまう、遺族の方に
申し訳ない、と思ったんです」
警察や進駐軍による 家宅捜索への 不安の毎日。
妻にさえ打ち明けることができなかった。
100歳を超え、ようやく 公開に踏み切った。
村人に毎日のように赤紙(召集令状)を届け続けた兵事係、
西邑仁平さん(昨年105歳で死亡) は、敗戦の時、
軍から24時間以内の焼却命令が 出ていたのに背き、
命がけで 大量の兵事書類を 残した。
戦前の徴兵制の運用の詳しい実態が 焼却せずに残した
兵事書類を通じて 明らかにされた 貴重な本だと思う。
事実が、近年 米国で公開された 資料からも浮かび上がった。
外交上不利益になる 公文書の焼却などを指示する 日本軍の
暗号通信を、米側が傍受して 解読した記録で、
林博史関東学院大教授が 米国立公文書館で入手したものだ。
これは、米陸軍省が 大戦中に解読した日本軍の暗号通信を
要約して 関係部門に配っていた 速報のうちの 一つだ。
資料によると、指示は 45年8月15日午前0時に始まった。
「ご真影や連隊旗、天皇の手によって書かれた 書類を集め、
部隊指揮官は 崇拝の念をもって 焼却せよ――」 と、
陸軍省が 主な野戦司令部に 命令していたのだ。
玉音放送が敗戦を告げた 同日午後には、「陸軍の機密文書と
重要書類は、保持している者が焼却せよ」 と命令を 追加。
翌16日、海軍省軍務局長が 主な指揮官に向けて、
「敵の手に落ちたとしても、帝国にとって 外交上不利に
ならないもの」 を例示し、捕虜のリストや 死亡記録は
保持するように指示し、暗に ほかの文書の処分を求めた。
前線に近い部隊になるにつれ、処分対象の指示は具体的に
なった。 同月20日、上海にある 支那方面艦隊は、
将校の登録簿や勤務経歴を 「即座に焼却せよ」 とした。
戦争責任を追及される際、誰がどこに配属されていたかが
分からないようにするため とみられる。
インドネシアの 海軍第23根拠地隊は 8月24日、
「化学戦用機材」 や、残酷兵器として ハーグ会議で
使用禁止が宣言されていた「ダムダム弾」 の処分を命じた。
戦後、国際的な批判にさらされることを 恐れたようだ。
軍にとって 何が都合悪いかを 冷静に識別し、組織的に
処分したことが こうした記録などからも 明確に判る。
敗戦直後から こうした命令が出されていたという事実を
裏付ける 貴重な証言がある。 一つだけ 紹介しよう。
最近、渓流社から出版された 吉田敏浩著 「赤紙と徴兵
105歳 最後の兵事係の証言から」 には、滋賀県大郷村
(現・長浜市)の 元兵事係、西邑仁平さんの 告発内容が
収録されている。
「焼却命令には合点がいきませんでした。村からは多くの
戦没者が出ています。これを処分してしまったら、戦争に
征かれた人の労苦や功績が無になってしまう、遺族の方に
申し訳ない、と思ったんです」
警察や進駐軍による 家宅捜索への 不安の毎日。
妻にさえ打ち明けることができなかった。
100歳を超え、ようやく 公開に踏み切った。
村人に毎日のように赤紙(召集令状)を届け続けた兵事係、
西邑仁平さん(昨年105歳で死亡) は、敗戦の時、
軍から24時間以内の焼却命令が 出ていたのに背き、
命がけで 大量の兵事書類を 残した。
戦前の徴兵制の運用の詳しい実態が 焼却せずに残した
兵事書類を通じて 明らかにされた 貴重な本だと思う。
これは メッセージ 37326 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.