Re: 南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/11/09 22:49 投稿番号: [37355 / 41162]
>こうした記録からもわかるとおり、焼却されずに
軍幹部が
隠し持つなどして 残った書類も相当数あったと考えられる。
そうした 一例として、第十一軍総司令官 岡村寧次大将が
南京事件について受けた報告に関する記録が 残っている。
以下に「岡村寧次大将陣中感想録」 を、例示しておこう。
38年7月13日のこと として、以下の 記述がある。
>「中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田
少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは 従来
派遣軍第一線は給養困難を名として 俘虜の多くは之を殺す
の悪弊あり、南京攻略戦に於て 約四、五万に上る大殺戮、
市民に対する掠奪、強姦多数なりしは 事実なるか如し」
●『岡村寧次大将回想録』に収録されている「岡村寧次大将陣中感想録」という資料は、【終戦後戦地(支那)に於て抜粋摘記せられたもの】
つまり、日記等の当時の記録そのものではなく、戦後、支那において国民党軍によって拘束されているときに抜粋・適記したと述べられている。
その間、岡村寧次は、蒋介石に厚遇され、蒋介石との個人的なコネにより戦犯として処刑されることを免れている。
『岡村寧次大将回想録』に収録されている「岡村寧次大将陣中感想録」という資料は、蒋介石の意を受けて、国民党の宣伝戦略に合致するように書かれたモノと考えられる。
実際に、帰国後、岡村寧次は「白団」を組織して1949年から長年にわたり蒋介石の国民党政権に協力した。
―――――――
岡村は中国政府、殊に蒋総統、国防部上層諸将軍の終始一貫の好意は、真に感謝に堪えず、戦犯に服役している二百数十名の旧部下の内地服役の実現に努めると共に、病癒えたならば壮年時代からの宿志でもあり、日中の提携に身を投じようと心にかたく誓っている。
・・・
・・・・帰国後、岡村大将は、蒋介石総統の要請を容れ、政治・経済的な問題を抜きにして、ただ終戦時の恩義に報いるという名目で、昭和二五年(一九五〇)二月、富田直亮少将を長とする十九名の陸軍参謀を台湾に送った。「白団」と称せられるこの軍事顧問団は、以後十五年間続き、団員の数ほ延八十三名に達した。
舩木繁著『支那派遣軍総司令官岡村寧次大将』
―――――――
蒋介石は、岡村寧次にとって自分や部下たちの命の恩人であり、岡村寧次が恩を仇で返す支那人みたいな真似も出来ない。
●『岡村寧次大将回想録』は、『岡村寧次大将資料』回想編の原資料
●『岡村寧次大将資料』は、1966年に岡村寧次大将が死んだ後、1970年に出版
宮崎参謀、原田少将、萩原中佐等より聴取する所に依れば、
1.俘虜を殺す悪弊があった
2.南京攻略時に約四、五万の大殺戮があった
3.市民に対する掠奪・強姦が多数あった
ことは事実なるが如し(事実であったようだ)、・・・
↑ ↑ ↑
●南京戦当時、岡村大将は南京には居なかったので、後から宮崎、原田、萩原の3人に話を聴いたが、俘虜を約四、五万殺戮した、とは書かれていないし、ましてや、市民を不法に殺害したという認識は全くなし
●1947年3月10日の日記が『岡村寧次大将資料』の前半部にあるが、第六師団の谷中将は「ほとんど罪のない方を代表して」処刑された、と記されている
1970年出版の後半回想編第四編「武漢攻略前後」において、第六師団(谷中将)を「南京攻撃戦で前科のある師団」としている
1954年編纂の『岡村寧次大将回想録』では、武漢入城に際して第六師団其の他に強姦事件二、三件発生し、一汚点を印するに至りたるは遺憾なり、と述べている
このように「二、三件」の強姦事件を「汚点」と嘆く岡村大将が、武漢入城に際して第六師団を投入したということは、仮に岡村大将が本当に第六師団のことを「南京攻撃戦で前科のある師団」と思っていたとしても、せいぜいその程度
武漢入城に際して「二、三件」の強姦事件が判明した経緯は、被害者を保護した外人宣教師の告訴によるものだったので、南京安全区国際委員会による日本大使館への抗議と同じ手口かもしれないので事実かどうか疑わしい
隠し持つなどして 残った書類も相当数あったと考えられる。
そうした 一例として、第十一軍総司令官 岡村寧次大将が
南京事件について受けた報告に関する記録が 残っている。
以下に「岡村寧次大将陣中感想録」 を、例示しておこう。
38年7月13日のこと として、以下の 記述がある。
>「中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田
少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは 従来
派遣軍第一線は給養困難を名として 俘虜の多くは之を殺す
の悪弊あり、南京攻略戦に於て 約四、五万に上る大殺戮、
市民に対する掠奪、強姦多数なりしは 事実なるか如し」
●『岡村寧次大将回想録』に収録されている「岡村寧次大将陣中感想録」という資料は、【終戦後戦地(支那)に於て抜粋摘記せられたもの】
つまり、日記等の当時の記録そのものではなく、戦後、支那において国民党軍によって拘束されているときに抜粋・適記したと述べられている。
その間、岡村寧次は、蒋介石に厚遇され、蒋介石との個人的なコネにより戦犯として処刑されることを免れている。
『岡村寧次大将回想録』に収録されている「岡村寧次大将陣中感想録」という資料は、蒋介石の意を受けて、国民党の宣伝戦略に合致するように書かれたモノと考えられる。
実際に、帰国後、岡村寧次は「白団」を組織して1949年から長年にわたり蒋介石の国民党政権に協力した。
―――――――
岡村は中国政府、殊に蒋総統、国防部上層諸将軍の終始一貫の好意は、真に感謝に堪えず、戦犯に服役している二百数十名の旧部下の内地服役の実現に努めると共に、病癒えたならば壮年時代からの宿志でもあり、日中の提携に身を投じようと心にかたく誓っている。
・・・
・・・・帰国後、岡村大将は、蒋介石総統の要請を容れ、政治・経済的な問題を抜きにして、ただ終戦時の恩義に報いるという名目で、昭和二五年(一九五〇)二月、富田直亮少将を長とする十九名の陸軍参謀を台湾に送った。「白団」と称せられるこの軍事顧問団は、以後十五年間続き、団員の数ほ延八十三名に達した。
舩木繁著『支那派遣軍総司令官岡村寧次大将』
―――――――
蒋介石は、岡村寧次にとって自分や部下たちの命の恩人であり、岡村寧次が恩を仇で返す支那人みたいな真似も出来ない。
●『岡村寧次大将回想録』は、『岡村寧次大将資料』回想編の原資料
●『岡村寧次大将資料』は、1966年に岡村寧次大将が死んだ後、1970年に出版
宮崎参謀、原田少将、萩原中佐等より聴取する所に依れば、
1.俘虜を殺す悪弊があった
2.南京攻略時に約四、五万の大殺戮があった
3.市民に対する掠奪・強姦が多数あった
ことは事実なるが如し(事実であったようだ)、・・・
↑ ↑ ↑
●南京戦当時、岡村大将は南京には居なかったので、後から宮崎、原田、萩原の3人に話を聴いたが、俘虜を約四、五万殺戮した、とは書かれていないし、ましてや、市民を不法に殺害したという認識は全くなし
●1947年3月10日の日記が『岡村寧次大将資料』の前半部にあるが、第六師団の谷中将は「ほとんど罪のない方を代表して」処刑された、と記されている
1970年出版の後半回想編第四編「武漢攻略前後」において、第六師団(谷中将)を「南京攻撃戦で前科のある師団」としている
1954年編纂の『岡村寧次大将回想録』では、武漢入城に際して第六師団其の他に強姦事件二、三件発生し、一汚点を印するに至りたるは遺憾なり、と述べている
このように「二、三件」の強姦事件を「汚点」と嘆く岡村大将が、武漢入城に際して第六師団を投入したということは、仮に岡村大将が本当に第六師団のことを「南京攻撃戦で前科のある師団」と思っていたとしても、せいぜいその程度
武漢入城に際して「二、三件」の強姦事件が判明した経緯は、被害者を保護した外人宣教師の告訴によるものだったので、南京安全区国際委員会による日本大使館への抗議と同じ手口かもしれないので事実かどうか疑わしい
これは メッセージ 37330 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.